ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

無作為に選ばれることへの遺憾

2004年12月01日 12時36分04秒 | おもうねーさん
「無作為に選ばせていただきました。」

なんだか自分が特別扱いされた感じを受けるだろうし、
受け取った側が良い気分になるだろう、
との思惑があったら大間違いですぞ、主催者側の人たち。

昨今は逆に怖さを感じます。

先ほどのA社のメールしかり、
今年は横浜市の市民意識調査で「無作為に選ばせていただきました。」
といって封書のアンケートが送られてきて。

この横浜市のやつも「なんで?いきなり?どうして??」ってすごく疑問を
抱いて確認しちゃいましたもの。

意識しすぎ??

いや、ねーさん、こういうのって昔は全く何の疑いも無しだったんですが、
やっぱり昨今の「顔の見えないコミュニケーション」ってやつが浸透するに
したがって、怖さを感じるようになってきてます。

話が本題とズレますが、
インターネットやメールやチャットもやり始めはすごーく違和感&拒絶感が
あったんですが、「これはこれで便利なものである。」と割り切れて、
さらには「顔が見えない分、正直に自分が出せる利点もある。」なんて、
思いはじめたりもしました。
そうこうして、かれこれ5年ほど経ってみて、ネットコミュニケーションは
ほどほどにしないと人間ダメになるって痛感してます。
※「異論あり!」という方がいるのも認めます。
ニュアンスが伝わりづらい部分もそうですし、逃避場所になってしまうから、
無責任な人を作り出しちゃうと思うのです。
なりすましも出来てしまう訳ですしね。
疑いの無い人は「ガセネタの宝庫」でもあるインターネットの情報を鵜呑みに
しちゃってますし、それが元で関係に誤解が生じたり。


話を戻すと、顔や声が聞こえない手段で「無作為に選ばせていただきました。」
ってのが恐怖感をあおるのですね。

電話での無作為アンケートはまだ声があるから安心するっていうか。

あくまでこちらが何も関係していない案件で一方的な要求をするのに、
顔が見えない・声が聞けないのは失礼だと思うんですよね。
だったら誰にでも公開するアンケートにするべきかと。

この記事についてブログを書く
« パソコンメーカー・A社からき... | トップ | マイキーワードは失敗と不具合 »