ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

~1965年代と1966年代~の間。

2010年09月25日 20時24分19秒 | 観察屋ねーさん
昭和40年代と41年代の間。


昭和40年は1965年の巳。
昭和41年は1966年の丙午。



「ここって分岐点だよなぁ…」とつっくづく思う。


社会背景的に何があったんでしょうね。(笑)


まぁ多分一番荒れたんだよ、丙午世代。
だからもう中学~高校時代で、荒れて騒がせた側もそれを見せられた側もシラケてんのよ。
やり終えた、見せられ続けてゲンナリ、みたいな。

「あ~ぁ、ハイハ~~~イ。」的な。(笑)

別にあのヤンキーさん達をどうのこうの言ってる風紀委員気取りもいなかったよなぁ。
住み分けしちゃってる訳、自然に。

むやみに因縁つけてるようなヤンキーはいたけど「あ~ハイハイ」的だし、
それに因縁返しするのはヤンキー同士だし、
オバチャマの仲間うちの女子は「納得いかない」って食ってかかってた。(ドハハハ)
絡んでくる男子には「いい加減にしなさいよっ!!」ってイス投げつけてた。強い。(ドハハハ)

でもこれも「そういうお戯れ」的でクラス中がなんかそれによって考えさせられる一幕になったり。

でも、考えれば、道理は外れてなかったよなぁ、荒れてた側もさ。
マナー・ルール違反なだけじゃん。


例えばの話、「好きな音楽の前提」とか「友達の前提」とかも違うんだよねぇ。
なんか何もかも「前提」が違うんだよねぇ。

「自分○本意(×勝手)が認められてる1966年代以降」

みたいな感じといいましょうか。


上の世代って周りへの気配りがハンパない感じがしちゃうんだよなぁ。
時にイタイくらいに。(笑)

本音は「キライ」なのに荒立てないように「いいよね!」的に作るのが妙に上手っていうかねぇ。

「無理しないで適当にスルーでいいのになぁ…疲れるよ…」的な。

あれはさぁ、ハッキリ言って申し訳ないけど、そうしておかないとお金が循環しないような関係性ができちゃってるんじゃないの?


「お友達商売の関係性でお金を循環させるのが根本にある」みたいな。


うちらの世代はそういう「妙な作り」がなかったよなぁ…。
「本音丸だし」だったような。
そこまでウソ演技して金儲けはいいよ・・・みたいな。


で、好きキライ感情もなにもなく、「それもアリなんじゃな~い?わたしは不要だけど~」的な。
案外もう根底はシラケてんだよね。さっぱりと。
だけど「わざとミーハー気取りして事を楽しむみたいな楽しみ方する」っていうか。

わかっていてそういう風にやってるわけさよ。
自分が楽しみたいわけよ。自分本位に。
「対象物を崇拝する」ってより、「陶酔してる自分が好き」みたいな。

こういう風なのを見かけると「やらせに騙されてる」みたいなことを言う人がいるんだけど、そんなのもどうでもいいんだよね。
「そんなのもわかってるし、わかっていてやってるんだから邪魔しないでよ。シラケさせんなよ。つまんないなぁ、ったく。」ってかね。
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