それを取り入れた動機が違えば、それは全く2つの違うものになってしまう。
例えば宗教。
例えば占い。
例えば健康グッズ。
例えば、例えば、、、
♪たとえば、たとえば、たとえば、、、渡辺真知子の♪たとえばを歌いたくなったぞ。笑
まぁ「逃げ」や「すがる」という動機で取り入れた場合、大概人から反対されたり、非難されたり、白い目で見られることに。
そして「それ」は「たいして悪いもの」でもないのに、「まるで悪」のように仕立てられてしまう。
それを取り入れた動機は大事なのだ。
あまりに「それ」に対して批判や批評することに倒れている人は大概なんかあるのよ。
親が、、、
親戚が、、、
友だちが、、、
知り合いが、、、
っていうね。
しかもその共通項は「すがって逃げる人生」を選択しているの。
そうならないから悪に仕立てたくなるわけだ。
動機が確固たる考え方に基づいてる人が取り入れる「それ」は周りは特に何も批判も批評もなく、「あの人が取り入れたってことは悪くもなく何かしらいいところがあるんだろうね」ってことになる。
噂より、そういうことを口にする、そもそもの動機がなんだったか?に、全てがあると思う。
「それ」って「すがる人以外が取り入れていれば」そんなに悪いものはないはず、、、
ここは見分ける着目点だと思う。