ねーさんとバンビーナの毎日

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あの人を納得させられる人

2008年04月09日 20時11分38秒 | 観察屋ねーさん
あの人は。
孤高の人なんかでない。

ここう【孤高】
[意]ひとりだけ他をよせつけず、けだかくすぐれていること。


気高くないし、誰かを押しのける優れたものもない。
サラッと表面的に見てれば孤高風にも見えなくないが、決して孤高の人と評価するような人ではない。凡人だ。

ぼんじん【凡人】
[意]普通の人。


ただあの人は。
「自分を認めてくれる人」をまだ延々と探し続けている。
決して「許容してもらえる自分」を自分自身で求めているのではない。
「許容してもらえる自分」なんて「くそくらえ。」らしい。
だから「認めてくれる人」を求め続ける旅を続けている。


きょよう【許容】
[意]おおめにみて許すこと。


自分の博学さや、自分が一般人とは違う高承な(はたまた下劣な)環境で育った中で培われたセンスなどを鋭く見抜いて認めて欲しいのだ。

はくがく【博学】
[意]いろいろな方面の学問に通じ、多くの事を知っていること。

こうしょう【高尚】
[意]俗っぽくなく、精神的に程度が高く上品なようす。

げれつ【下劣】
[意]態度などが下品で不道徳なこと。


だけど「人に認めてもらう」ということはそういうことじゃない。

いちいち本人が確信できる称賛や品物や言葉を欲しだすと、嫌味な空気がまといだし、勘が衰えていない人は誰でも「サササ…」と離れていってしまう。


しょうさん【賞賛・賞讃・称賛・称讃】
[意]ほめたたえること。

そこに気付かずに延々「しかめっ面」とウィットに富んでるつもりの(と当人は思っている様子)どっちでもいい会話を続けて他人を探り続けている。

そんなことよりも「許容してもらえる自分」を求めたほうが生きやすいだろうに…と思うのは、「人の気持ちを組めない人が吐くセリフさ。」と掃き捨てられてしまうのだろうか。


まぁ本人の人生は本人次第だから本人が気が付かなければ始まらない。
どっちでもいいのなら、それでいい。

/(.^.)\あゆモバ
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