先日母が3年に一度くらいにやっているいとこ会に行って来た。
母の父親方のいとこが集う会。
毎度大盛り上がりになるようで、今回も総勢20人で大盛り上がり大会だったそうだ。
場所は故郷の静岡。
母の両親(私の祖父母)は二人とも元々浜松の人なんだけど、戦後、菊川に暮らした。
いとこ(私にとっては叔父叔母)は浜松に集結している。
母曰く、
浜松の衆は柄が悪くて参っちゃうよぅ(笑いながら嘆いている。笑)(静岡イントネーション、衆って必ず使うよね、静岡の人。笑)
とのことだが、
私が子供の頃の記憶としては、浜松の親戚の人たちが一番面白くて、何より明るくて楽しく、夫婦漫才を聞かせてもらってる風味あり、社会に対する風刺漫才を聞かしてもらってる風味あり、盆暮れと大笑いさせてもらったことしか覚えがない。
浜松の人たち、早くおじいちゃんちに遊びに来ないかなーとか思ったもんだ。
真面目な私の父も、母曰く「柄が悪くて」というこの自分の妻の親戚は「楽しくて大好き、人として好き」と言っていて、一番お喋りがうまかった叔母さん(今思えばいつも着物着てたな。)に毎度いじられては、ニヤニヤニコニコワハワハ喜んでいたのも懐かしい。
そんな柄が悪いという中にも画家をやっているオジが2人いる。
一人のオジは毎年皇室の歌会始のお題にまつわる絵画の中から選ばれた絵画が伊勢神宮に飾られるが、お題が「葉」の時に選ばれて特等席に飾られ、大層喜んでいた。
画家になる前は染物屋で版をつくる事をしていて。中卒で仕事について。浜松特有の籠染?とかいうもの。
今現在、改めて技術伝承ってことで活動をしていたりする。
こないだもシンポジウムみたいなやつのパネラーで出たり、忙しく活動している様子。
このオジさんは寡黙で大人しい感じ。
柄が悪い中でも純粋綺麗な感覚は残るんだよねって感じ。笑笑
絵もやり始めた頃と今とでは画風が違い、最初はヘタウマみたいな抽象的っていうか、そういう風だったのに、今は緻密系。
そこにガラスのグラスがそのまま本当にあるような。
大抵の画家さんって緻密→抽象的という風な路線を辿るようなんだけど、オジは逆なんだよね。謎。
そんなこんなで都会に出ているのが、母と母の弟。
母が、
「たまにはこっちに遊びに来てよ。」
と言ったら、
「行かんよ〜ぅ(のんびり、欲まるで無し)」
の大合唱で、
「やだよぅ、人混みが。わざわざ行かんよぅ。たまに都会の風を入れにあんたらがこっちに来ればいいよぅ。」
とのことだった、、、と聞いて「相変わらずの静岡の人達!」と大笑い。
都会への憧れとかまるでないんだよね、静岡の人。
うちの親族だけなんだろか。笑
西(名古屋)に通わせたしなぁ、私のいとこも、子供の大学。
「東京の何がいいもないよぅ、活きるに一番大事なのはそういうことじゃないだしねぇ。」って昔から。
しかし「都会の風をたまに入れてくれればいい」って何か田舎にまつわるヒントかな。