倉田さんを支援する会第5回総会に参加を
刈谷市職員倉田さんの過労死認定を求める会
「刈谷市職員倉田康弘さんの過労死認定を求める会」が結成されてもう4年が経過します。刈谷市美術館に勤務していた倉田康弘さんが亡くなられたのは、1998年12月のことでした。康弘さんが亡くなられる数ヶ月のハードな労働を身近に見ていた奥様の利奈さんは「過労死」であるという確信を持ちました。周囲の人も当初は皆そう思いました。しかしその後の刈谷市当局は冷たい対応でした。
結成して4年、支援する会はご遺族の利奈さんとともに、1ヶ月に1~2回のペースで定期的な会合を行い、地方公務員災害補償基金愛知県支部や刈谷市への署名や要請行動も行ってきました。
これまで公務災害の認定を求めるための、可能な限りの行動をしてきました。この6月には、基金本部の最終裁決がされます。今まで当事者の申請内容や基金支部の対応などを見れば、好転することはないと判断しています。
したがって、私たちはご遺族の意思・決意も尊重しながら、次の段階へ歩を進める必要があります。
このたび、5回目の支援する会の総会を行います。今回の総会はご遺族のこれからの意思と支援者の決意の確認の場になると思います。多くの皆様の参加をお待ちしています。
6月15日(日)午後1時30分~ 刈谷市民会館302・303
刈谷市役所の職場とトヨタは類似しています。
刈谷市職員倉田さんの過労死認定を求める会
「刈谷市職員倉田康弘さんの過労死認定を求める会」が結成されてもう4年が経過します。刈谷市美術館に勤務していた倉田康弘さんが亡くなられたのは、1998年12月のことでした。康弘さんが亡くなられる数ヶ月のハードな労働を身近に見ていた奥様の利奈さんは「過労死」であるという確信を持ちました。周囲の人も当初は皆そう思いました。しかしその後の刈谷市当局は冷たい対応でした。
結成して4年、支援する会はご遺族の利奈さんとともに、1ヶ月に1~2回のペースで定期的な会合を行い、地方公務員災害補償基金愛知県支部や刈谷市への署名や要請行動も行ってきました。
これまで公務災害の認定を求めるための、可能な限りの行動をしてきました。この6月には、基金本部の最終裁決がされます。今まで当事者の申請内容や基金支部の対応などを見れば、好転することはないと判断しています。
したがって、私たちはご遺族の意思・決意も尊重しながら、次の段階へ歩を進める必要があります。
このたび、5回目の支援する会の総会を行います。今回の総会はご遺族のこれからの意思と支援者の決意の確認の場になると思います。多くの皆様の参加をお待ちしています。
6月15日(日)午後1時30分~ 刈谷市民会館302・303
刈谷市役所の職場とトヨタは類似しています。