全トヨタ労働組合(ATU)

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読者の皆さんの疑問点に応えて

2015年07月28日 21時09分09秒 | Weblog
吉田裁判和解解決について弁護団から報告いただきました

アイシン機工吉田裁判の結果について
                                                     弁護士 中谷雄二

1 吉田さんの労災認定裁判、会社との損害賠償裁判が勝利的に和解解決した。結果は、労災について一審段階での右手について労災を認め、左手について労災を認めないという判決を引き継ぎ、高裁でも同様の判決であった。ただ、一審判決後、労使双方が控訴をせず、本来であれば一審判決段階で決着していた事件を会社側の補助参加による控訴申立により、ここまで延びていただけと見ることもできる。会社側の補助参加、控訴の狙いは、行政訴訟の確定により労災という判断が法律上確定することを阻止することにあったことは明らかである。会社が気にしていたことは、社会的な世論、社内の労働者の感じ方、それを前提にした親会社の意向にあったと思われる。

2 この事件は、吉田さんの両手首の怪我を私傷病だとする会社が休職期間の満了による退職としようとするのに抗し、すでに復職可能であること、休職原因は労災であり、療養期間中の解雇は許されないとの理由で地位保全の仮処分を申し立てた。審尋の過程で復職を前提とした和解の話が進んでいたところ、労働組合の紹介で受診した広島の宇土医師から、そのままの復職したのでは怪我が一層悪化すると告げられたため、復職和解を中止し、休職期間満了により退職となることを覚悟して、労災の療養中であることを理由に本訴で争うと会社に通告して仮処分を取り下げた。

3 仮処分取下後、一つは労災を認めなかった労働基準監督署の処分の取り消しを求める行政訴訟と労災を前提に会社に損害賠償を求める民事訴訟の二つの裁判を提起した。裁判では、国は私傷病であるとし、会社はそれに加えて、仮処分の時点で原告は、すでに復職可能であると主張していたのに、訴訟時点でも療養中だとの原告の主張とは矛盾すると争ってきた。
 吉田裁判では、国の専門家意見書や医師の証人を論破し、行政訴訟で一部を労災と認定させた。これがその後の損害賠償訴訟の解決を始め、最終解決へとつながる大きな力となった。その原因として、宇土医師の実験と意見書、証言という力強い協力、労働組合の尽力と実験への協力や当事者本人を支える様々な支援を挙げることができる。いつも満杯の法廷での傍聴により裁判所に緊張感を持たせたこと、ビラ配布等の宣伝活動により社内の労働者の関心を集め、協力者が絶えなかったことは、裁判の主張・立証上も裁判結果につながった。なにより職場労働者との交流・関係を重視し、つきあい続けた原告吉田さんの姿勢によるものである。

4 会社との和解内容は、最終的に原告側が要求した金額を飲んだ和解であり、金銭解決の水準としては満足すべきものである。ただ、吉田さんが最初から望んでいた職場復帰を果たせなかったことが残念であるが、和解条項において、今後の職場の労働環境への配慮や労働者の健康配慮を約束させたことも含めて大きな成果を勝ち取ったものと評価できる。

5 解決をどの時点で計るのか、和解か判決かは裁判闘争全体の流れの中で到達点と彼我の力関係を勘案して決めるべきことである。裁判闘争が当事者にとって人生を懸けた闘いであるだけに、主観的願望だけで突き進むことはできない。この時点での和解解決は、原告吉田さんとそれを支えた家族にとっての最善の選択であると考え、和解することを勧めた。

6 原告の吉田さんの闘う姿勢は、原則的で最初から最後まで揺るがなかった。毎回の裁判に九州から駆けつけ、それを支えた続けた家族の方の力も大きい。その姿勢は支援する人たちになんとか良い結果を勝ち取らせたいと感じさせるのに十分なものであった。
 今回の吉田裁判は、復職目前で、一旦、休職期間満了による自然退職という困難な状況を選択し、そこから本訴を起こすという極めて難しい出発点であったが、問題点を克服して、満足すべき結果を勝ち取った。この闘いの過程は、今後に続く労働者に大きな教訓を残したものと考える。
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吉田祐二 裁判を振り返って

2015年07月21日 20時15分07秒 | Weblog




元AKK社員 吉田祐二さんからのメッセージ

 この8年間を振り返って、長いようであっという間の裁判生活だった。最初はどうしていいのか分からなかったが、全国を回る旅に出て導き出した答えが、自分の問題は自分で解決するしかないということ。自分の中では、会社は何もやっていない、ウソとゴマカシ、結果ありきの調査しかやっていないので、絶対にまけるわけがない、と絶対の自信があった。だからこの裁判では自信を持って会社を追求できた。
 しかし会社は私を解雇してきた。私は会社への手続きに行ったが、その時、担当者に自分は必ず戻ってくることになる。何故なら、あなたたちは何の仕事もしていなかったからだ、と言って会社を去った。結果裁判では右手だけだが、労災になったし、会社に戻ることができたのである。しかし会社は補助参加制度を悪用し、高裁に上げてきた。それでも全くまける気がしなかった。会社は全く調査すらしなかったのに、いまさらどうやって新事実を出すつもりか、分かっていたからだ.高裁も判決が不利と分かると、和解に応じてきた。最終的に会社が折れる形になったので、この辺が潮時と見て和解に応じることし、その日に退職となった。
 自分はケガをするまで会社に疑問を感じることも多々あったが、ここまで腐りきっているとは思っていなかった。当時の総務部長は中日病院の裏の公園で「会社を辞めてもらう、これは会社の意見でもあり、私の考えでもある」と平然と言い放った。また団交の席で「裁判に勝ったら謝る」と公言しておきながら、自分の立場が危なくなると子会社のMに逃げ込んで謝罪の一言もない。責任ある立場のものがこの有様なのだ。作業者が不良を出すと徹底的に責任を取らされるのに。全ての役職者がこうではないと思いたいが、今まで見てきた者はこれに近い。駐車場から職場、食堂、挙げ句の果てはトイレまで女性の後について回る、そんな役職や監督者がいる。職場の仲間に伝えたいことは昇進が出来ないからダメな人間ではないということだ。AKKという会社は上のウケが良ければ誰でも上がれる会社。上に嫌われると昇進はない。「自分がダメだから、使えないから」という声も聞くが、自分に自信を持って生きて欲しいと思う。
 組合は組合員のためにあるとほとんどの従業員は思っているがそうではない。今の組合は会社とその恩恵に授かれる者のためにある。自分を見殺しにした委員長は、今どんな立場にいるのか? 組合員を裏切る見返りに、名ばかりの役職を恵んでもらっている。
自分がやってきたことが、会社で劣悪な現場で働かされている作業者に参考になれば幸いである。もし理不尽な理由で追い詰められている者かいれば、ATUに相談して欲しい。ATUは相談に乗るし、知恵も出す。しかし最後に決断するのは自分自身である。死ぬつもり、事件を起こすつもり、辞めるつもりの勇気があるのならATUに相談してみて下さい。
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トヨタ社員の遺族が訴訟

2015年07月12日 20時42分24秒 | トヨタ自動車


また犠牲者が、残念です! 
 共同通信によると、トヨタ自動車の男性社員=当時(40)=が2010年に自殺したのは過重な業務と上司のパワーハラスメントが原因として、男性の妻(44)が10日、労災を認めなかった豊田労働基準監督署(愛知県豊田市)の処分取り消しを国に求める訴訟を名古屋地裁に起こした。
 訴状によると、男性は1990年にトヨタに入社し、車体生産ラインの設計などに従事。08年のリーマン・ショック以降、パワハラを受けるようになった。09年9月から担当を変わったが、パワハラは続き、うつ病を発症。10年1月に豊田市内の林で首つり自殺した。トヨタ自動車は「訴訟の詳細を把握する立場にない」としている。

 トヨタはリーマンショック以降、売上生産とも大幅にダウンする事態となり、生産調整で期間従業員の大量雇止めをはじめ、労働者に多大な犠牲を押し付けて事態を乗り切ろうとしました。赤字転落に陥った経営は、部品の取引関連企業には無理難題の単価切り下げを強制しました。
 社内では、残業規制、事務・技術職に就く社員を現場に移動させるなどをしたことで、男性社員のように人員が削減されて、残業まで禁止されたことで仕事の納期に支障をきたし矛盾が噴き出てきたものと思われます。
 一昔はチームワークでみんなの知恵を出し合い仕事を進めるシステムだったのが、いまは課長でさえも仕事は一人工として働かなければならず、相談する相手もおらず一人で進めなければならないことがしばしばあるのです。技術競争をあおられ、おまけに成果主義評価となり働く者にとって息を抜く暇さえありません。そんな職場環境ですから、残念ながら過労死類は増えることがあっても減ることはないのかもしれません。当労働組合は遺族の要請があれば積極的に支援をしていきたいと思います。
 
コメント (5)
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