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トヨタ社員労災認定裁判・証人尋問報告

2020年02月19日 15時46分36秒 | トヨタ自動車

裁判後の報告会

 2020年2月10日と13日、折田(被災者)の労災認定裁判の証人尋問が名古屋地裁で行われ、原告側2名、国側6名、そして原告本人の9名が約11時間にわたって証言しました。
 被災者はトヨタ自動車の生産技術者としてCVJ(等速ジョイント)という駆動装置の生産設備の製造を担当していました。2009年頃に担当したのは、①、三好工場での新型プリウスのCVJラインの自動化、②中国の子会社TFAP(ティファップ)のCVJ製造ラインの改造(汎用化と自動化)、③2020年ビジョンの作成などをリーマンショック後残業ゼロ規制の中で業務を遂行しなければならず、2010年1月に自死されました。豊田労基署はこれらの仕事を特段困難なものではないとし、また上司のパワハラも認めず労災不認定としたため、被災者の妻が原告として、労災不支給決定取消を求めて名古屋地裁に提訴していました。

業務の困難性を証言
 まず被災者とともに、①の作業を担当した当時入社3年目の鎮西(同僚)の証言です。彼は「自動化はトヨタにとっても初めての試みであり。2009年4月に予定されていた号口(ごうぐち)移行(トヨタ用語で量産のこと)は不具合続発で直前に延期になり、その後もチョコ停(短時間の停止や)やドカ停(長時間の停止)が連発し、予定のサイクルタイムも実現できず、一体いつ号口に移行したのさえわからなかった」と証言しました。そして、「15年以上、生産技術者としてやってきた経験から言えば、当時の被災者のスキルでは無理があった」と断言しました。
 続いて三好工場の海外支援グループとしてTFAPに関わってきた鈴木(先輩)は次のように証言しました。②の「ラインの改造は中国現地の設備課の実力では無理。しかし被災者は上司から『SVレスでやれ(SV:スーパパイザー、ここでは日本の機械メーカーやトヨタ本体の技術者を指す。派遣すると数百万円の経費がかかる)』という指示をうけ、経費削減との狭間で悩んでいた」と。

パワハラも白日の下に
 上司からのパワハラについても鎮西は明らかにしました。被災者と鎮西は仕事の遅れやそれの打開プランについて連日のように上司の西GLと山下室長から怒鳴られ続けました。しかも具体的な指導は全くなく「機械メーカーにやらせろ」とかと言うだけでした。このパワハラが原因で鎮西も会社をやめています。この証言について、被告弁護士は「管理職として失格だと言っているのか」と鎮西さんに迫りましたが、鎮西は「私はそう思う」ときっぱり答えました。そして国側証人として出廷した同僚の巴月、伊藤も、先の鎮西、鈴木の証言を裏付けるような証言をしました。また2020年ビジョンの作成についても、国(会社)が言うような「夢を語る」ものではなく、部長も出席して30数回も会議を持った重要な取り組みであり、それを主導することを要請され被災者にとって大きな負荷のかかる仕事であったことも証言の中で明らかにされました。

中国業務の困難性を逆証…被告側証人
 そのほかの多くの証言の中から一つだけ重要な証言を紹介します。被災者の死後TFAP業務を引き継いだ入社4年の前浜証言です。彼が被災者の後を引き継いでTFAPのラインの改造をやり遂げたことをもって被災者がやっていた「中国業務は困難ではなかった」というのが労基署の不支給決定の一つの論拠でした。前浜は次のように証言しました。「カローラはやっていない(すなわち、汎用化はやっていない)。自動化もやっていない」。「予算・見積もりから始めた」と。すなわち被災者が手がけていた仕事を最初から見直し、簡略化し「SV」派遣の予算も付けたということです。これで被災者の業務が困難であったことが明らかになりました。

パワハラをごまかす…上司証言
 国側証人の最後に上司である西GLと山下室長が証言台に立ちました。西GLは次のように言っています。「ラインオフ(号口移行)に間に合わない場合、他ラインでバックアップもするし、自分も入ってみんなで相談してやる」と。しかし、どのような具体的な指導をしたのかはほとんど語られませんでした。唯一わかったことは「そんなことは外注メーカーにやらせろ」と言っていたことでした。製造ラインの不具合それ自体は機械メーカーの責任ではなくラインを設計した生産技術の責任です。上の発言は現場技術者の苦悩を無視した無責任な発言です。また、山下室長にいたっては、「多くのライン改造を手がけてきたが、この問題は記憶に残っていない。だから大きな問題は起こっていなかったのではないか」ととぼけました。一人の部下が死を選ぶような困難に遭っていたにもかかわらず「記憶に残っていない」とは絶対に許せない発言です。
 最後に被災者の妻である原告が証言に立ち、夫が仕事で落ち込み、体調を崩していった様子をとつとつと、しかし、しっかりとした口調で語り、裁判官に労災認定されることを訴えました。
閉廷に当たって裁判長は「今回をもって弁論を終了し、次回は判決とする」と宣言し、6月29日(月)13時15分を判決日に指定しました。
コメント (1)
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