ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

愛車と分かれる

2011-09-01 | 日記風
長年私の足となって北海道の広い原野をともに駆けめぐった車を、とうとう手放した。廃車にするまで乗るつもりだったが、幸か不幸か18万㎞乗ったこの車を今しばらく乗りたいという人がいたので、墓場に送るのではなく、別の人に使われてくれと別れを言ってきた。サスペンションがダメになっているようで、少々乗り心地が悪いが、気になるほどではない。エンジンはまだまだ快調な響きを聞かせてくれる。これまで一度もエンジントラブルを起こしたことがなかった優秀な車だった。トラブルを起こしたのは常に運転する人間だったから、車は10年間ほど、堅実に、雪と氷の冬道も、濃霧にぬれた夏の道も、私を望むところへ連れて行ってくれた。

 思えば、この車と出かけた道すがらには、いろんな思い出がある。路肩に寄せたつもりが深い雪の中に潜り込んでしまい、車はほとんど横向きに近く傾いてしまったこともあった。近くを通りかかったトラックが、親切にワイヤーで牽引してくれたので、助かったが、あのトラックが助けてくれなければ、夜の峠で野宿だったかもしれない。

 サンナシ小屋への道すがら、小道の横の小川に入り込んで、このときも車がほとんど横倒しに近くなってしまったこともあった。しかも小川の底はもがけばもがくほど深く潜り込む泥地獄。このときもどうなるかと思ったが、近くの農家に助けを求めたら、除雪用のブルドーザーで引き上げてくれた。九死に一生を得る思いで助かったが、このときに車の左前輪のカバーが大きく壊れてしまった。でもそれも直さないまま、今日まで乗り続けた。そういえば、この人のブルドーザーにはもう一度お世話になっている。冬の雪道に、サンナシ小屋への入り口までのアプローチで、雪の吹きだまりに車が突っ込んで、動けなくなった。このときも、この農家のブルドーザーで周りの雪を除雪してもらい、なんとか抜け出した。

 思い出せば、トラブルだけが思い出に残っている。しかし、すべてこの車のせいのトラブルではなかった。この車で北海道のあちこちの山を登った。登山口まで前日の深夜に車で行き、早朝まで車で仮眠して登り始める。そして頂上まではピストンで日帰り。夜ひた走りで家まで帰るという山行が続いた。おかげで、北海道の有名な山はかなり登ることができた。大雪山系の山々は言うまでもない。十勝岳、アポイ岳、斜里岳、羅臼岳、雌阿寒岳、雄阿寒岳、富良野岳、暑寒別岳、後志羊蹄山などなど。車で行けなかったのは、利尻岳くらいだ。

 空港で、車に別れを告げたときに、涙が流れたわけではないが、ただ、これまで感じなかったような車への人間的な思いが湧いてきて、ああ、この車ともお別れだなと思った。私の夢とともに北海道を駆けめぐったこの車に、ありがとうと言いたくなった。車が無くなったと思ってはじめて感じる、いささか勝手な感情なのだろうけど。

 これで車を持たない生活が始まる。せいせいしたような、なんとなく心許ないような。いつまで続くのだろうか。