京都市の郊外に絵本を読ませるための喫茶店があると聞いて、訪れてみた。バス停のそばにある3階建ての洋風の家の1階にその喫茶店はあった。洒落た金属の看板がぶら下がっている。部屋はやや小ぶりで、座る椅子は13人分くらい。部屋の一方の壁に内外の絵本がきれいに並べてあって、自由に絵本を手にとって読むことが出来る。コーヒーや紅茶を飲みながら、絵本を眺めながらゆったりとした時間を過ごすことが出来た。
絵本はときどきテーマに沿って入れ替えるらしく、行ったときのテーマは、「時をめぐる絵本」というもので、時の流れを感じさせる絵本が選ばれて並んでいた。興味をひいた絵本を探してきて、紅茶を飲みながら読み進んだ。絵本は、文章が短いのが多いから、読むのにあまり時間はかからない。それでもお茶を飲み干した後も、絵本をじっくり読んでいた。店主は絵本が好きでこの喫茶店を始めたらしいので、絵本を読んでいればいくら長い時間椅子を占有していても怒ったりはしないから、こちらもゆっくり出来る。
難点と言えば、椅子があまりゆったりと作られておらず、姿勢を正して読むことを強いられる。これは店主の考えなのかもしれない。ひっくり返って読んだりしないで、絵本は姿勢を正して読めと言うことなのかも。飲み物の値段も普通の喫茶店に比べるとやや高い。でも、普通の喫茶店とは違った趣向が凝らされている。客の様子を見て、途中で店主がやってきて絵本の一つを口上と共に紹介し、やがてショパンの音楽と共にスクリーンが下り、部屋の灯りが消されて、プロの朗読者による絵本の朗読と絵の映写が始まる。今回の映写は「手を つなご」という絵本だった。身障者を父親に持った娘が悲しい思いを父に向ける。父親は泣き続ける娘に「手をつなご」と手を差し出す。そして時は流れていき、車いすの老人と初老の婦人が、昔の河原で過去の出来事を回想する。婦人は老人に手をさしのべて、手をつなぐ、という絵本だった。絵は独特の描き方で、この絵本の原画が部屋の壁に展示してあった。
ここで、私は10冊の絵本を読んだ。「木を植えた男」ジャン・ジオノ著、「虔十公園林」宮沢賢治著、「千の風になって」新井満著、「せいめいのれきし」バージニア・バートン著、「葉っぱのフレディ-いのちの旅-」レオ・バスカーリア著(みらいなな訳)、「岸辺のふたり」マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット著(うちだややこ訳)、「よあけ」ユリーシュルビッツ文・画(瀬田貞二訳)、「てん」ピーター・レイノルズ著(谷川俊太郎訳)、「いつか ずっと 昔」江國香織著(荒井良二絵)、「The Hidden House」Maritin Waddell著 (Angela Barrett絵)。最後の絵本は英語の原本で、欧米では有名な絵本だとか。あとは、すべて日本語の絵本だった。この中で、私がもっとも好きだった絵本は「岸辺の ふたり」。お祖父さんが死んで、一人残された娘がやがて子どもや孫を残して死んでいくまでの物語を、死ぬということを感じさせないで、たんたんと書いている。死ぬことは消えていくことであると。
絵本は文章よりも絵が大きい役割を果たしている。そう言う意味で言えば、「よあけ」という絵本の絵が私はもっとも気に入った。物語よりも絵だけだったけど。文章と絵がすばらしくマッチしているというのが絵本のもっとも素敵なところなのだろうが、絵だけでも楽しむことは出来る。
夕方まで2時間以上をのんびりと過ごし、なんとなく心洗われたような気分になって帰路についた。こんな絵本美術館のような喫茶店があったことが不思議な気分だ。でもこの喫茶店、あまり客は来ていないように見える。大丈夫だろうかと思ってしまう。でも客が増えすぎてもこの雰囲気はきっとダメになりそうだし、かといって無くなってしまうのも残念だ。そっと誰かに教えて、少しだけ人々が訪れるようになるといいのだが。
絵本はときどきテーマに沿って入れ替えるらしく、行ったときのテーマは、「時をめぐる絵本」というもので、時の流れを感じさせる絵本が選ばれて並んでいた。興味をひいた絵本を探してきて、紅茶を飲みながら読み進んだ。絵本は、文章が短いのが多いから、読むのにあまり時間はかからない。それでもお茶を飲み干した後も、絵本をじっくり読んでいた。店主は絵本が好きでこの喫茶店を始めたらしいので、絵本を読んでいればいくら長い時間椅子を占有していても怒ったりはしないから、こちらもゆっくり出来る。
難点と言えば、椅子があまりゆったりと作られておらず、姿勢を正して読むことを強いられる。これは店主の考えなのかもしれない。ひっくり返って読んだりしないで、絵本は姿勢を正して読めと言うことなのかも。飲み物の値段も普通の喫茶店に比べるとやや高い。でも、普通の喫茶店とは違った趣向が凝らされている。客の様子を見て、途中で店主がやってきて絵本の一つを口上と共に紹介し、やがてショパンの音楽と共にスクリーンが下り、部屋の灯りが消されて、プロの朗読者による絵本の朗読と絵の映写が始まる。今回の映写は「手を つなご」という絵本だった。身障者を父親に持った娘が悲しい思いを父に向ける。父親は泣き続ける娘に「手をつなご」と手を差し出す。そして時は流れていき、車いすの老人と初老の婦人が、昔の河原で過去の出来事を回想する。婦人は老人に手をさしのべて、手をつなぐ、という絵本だった。絵は独特の描き方で、この絵本の原画が部屋の壁に展示してあった。
ここで、私は10冊の絵本を読んだ。「木を植えた男」ジャン・ジオノ著、「虔十公園林」宮沢賢治著、「千の風になって」新井満著、「せいめいのれきし」バージニア・バートン著、「葉っぱのフレディ-いのちの旅-」レオ・バスカーリア著(みらいなな訳)、「岸辺のふたり」マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット著(うちだややこ訳)、「よあけ」ユリーシュルビッツ文・画(瀬田貞二訳)、「てん」ピーター・レイノルズ著(谷川俊太郎訳)、「いつか ずっと 昔」江國香織著(荒井良二絵)、「The Hidden House」Maritin Waddell著 (Angela Barrett絵)。最後の絵本は英語の原本で、欧米では有名な絵本だとか。あとは、すべて日本語の絵本だった。この中で、私がもっとも好きだった絵本は「岸辺の ふたり」。お祖父さんが死んで、一人残された娘がやがて子どもや孫を残して死んでいくまでの物語を、死ぬということを感じさせないで、たんたんと書いている。死ぬことは消えていくことであると。
絵本は文章よりも絵が大きい役割を果たしている。そう言う意味で言えば、「よあけ」という絵本の絵が私はもっとも気に入った。物語よりも絵だけだったけど。文章と絵がすばらしくマッチしているというのが絵本のもっとも素敵なところなのだろうが、絵だけでも楽しむことは出来る。
夕方まで2時間以上をのんびりと過ごし、なんとなく心洗われたような気分になって帰路についた。こんな絵本美術館のような喫茶店があったことが不思議な気分だ。でもこの喫茶店、あまり客は来ていないように見える。大丈夫だろうかと思ってしまう。でも客が増えすぎてもこの雰囲気はきっとダメになりそうだし、かといって無くなってしまうのも残念だ。そっと誰かに教えて、少しだけ人々が訪れるようになるといいのだが。