ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

停電に踏み切ろう

2007-08-23 | 環境
今朝は久しぶりに寝苦しい暑さから解放された。夜半からの雨のせいである。それでも気温は28℃。今日一日は曇りの予報だったし、最高気温が30℃を下回るという事だったので安心していたが、11時現在、真夏の太陽が赫々と照りつけている。

 昨日まで、熱中症のような症状でダウンしていた。朝から水浴びをしたり、氷枕をしたり、水風呂に入ったりしたが、体のだるさはなくならない。昨日は死にかかり、黄泉の国の入り口までたどり着いた感じがした。今朝は黄泉帰った。都内の夫婦が熱中症で死んでいたのが2-3日前に見つかった。彼らもクーラーを使っていなかった。

 柏崎刈羽原発が運転停止したことで電力が足りないと東京電力が対応に追われている。昨日は大手工場の操業短縮や停止でなんとか電力不足が起こらずにすませたという。しかし、工場の操業停止などで削減できた電力はわずか60万キロワットに過ぎなかった。個人の住宅のエアコンはフル回転のようだ。これを止めずには電力不足は防ぎようがない。この需要をまかなおうとすると、火力発電所などもフル回転せざるを得ず、結局温暖化ガスの過剰放出につながり、それはさらに気温の上昇→エアコンのさらなる運転と負のらせんに落ち込む。

 エアコンを使うべきではない。私も熱中症にかかりながらもエアコンのスイッチはついに入れなかった。熱中症で死んだ人たちの中には生活保護世帯でエアコンを買うことが許されなかった人もいる。エアコンの効いた部屋で快適に暮らすことが異常気象を引き起こし、自分以外の人には加害者として振る舞っていることを気がつくべきである。

 この際、東京電力は停電に踏み切るべきである。無理して温暖化ガスを増やすことを止め、これ以上は電力は供給できませんといって停電すべきである。第3世界では、停電は日常的に起こっている。先進国だからといって無制限に電力を使うことは許されない。どこかで停電に踏み切れば、住民も節電を考えるだろう。エアコンを使うことを考え直すことがあるだろう。

 冷蔵庫もできれば使わない生活をしたい。現状ではなかなか難しいが、昔は毎日の食料品は毎日お店に買いに行った。だからそれほど冷蔵庫を必要としなかった。今では冷蔵庫があるから、買い物も大型スーパーで一週間の食料を買い込んでいる。それだから、ご近所のお店はみなつぶれ、郊外の大型スーパーが繁栄する。郊外まで買い物に行くから車がないと不便になり、なんでも車を利用する。車社会が温暖化と光化学スモッグを引き起こす。そして町の中がシャッター街と化す。

 すべて便利さを追求しすぎたことが、今日のいろんな問題を引き起こしている。もっと便利さよりも大事なことがあることを知るべきではないか。停電のローソクの下で、それを考えてみてはどうだろう。