今日は晴れでした。
ところで、悲観的なひとというのは、いますが、このひとは、悲観的なせかいに住んでいるので、かかわらないほうが、良かったのでした。
親類に、ナチュラルにひとの不幸が好きなひとがいるのですが、美味しいものでも、食べた時のように、うれしそうな顔をするので、快楽物質でも、脳ででてるのかなと、思ったのでした。
ひとの、ことと自分の環境を、くらべるので、しあわせになれないようですが、タイプとか、発想がちがう人間というのが、いるのが、よくわからないようだったのでした。
このひとは、もう、年季がはいっているというのは、それが、習慣化しているのか、ひととひとを、争わせるのが好きで、たとえそれが、身近な大切な身内でも、かわらないようだったのでした。
自覚があるのか、わかりませんが、そうして、すこし、トラブルや不穏な空気になったところを、相撲の勝敗をまるで、見るようにして、喜んでいたり、したのでした。
姉妹で、仲がよくないと、そのひとが気にしているので、子供でしたが、たまたま、様子をみにいくと、そのひとは、一方の子供だけ、ひいきして、あからさまにあつかっていたのでした。
こどもというのは、大人の態度や気持ちに敏感で、それで、姉妹が争いになると、あらあら、ダメよ。とか、いって、かまいにいくのでした。
承認欲求の、ゆがんだ形かと、思ったのですが、自分がいないと、このこたちは、ケンカするというような、設定を、無意識につくっているのかなと、思ったのでした。
バ〇じゃねーの。と、正直に思いましたが、そのひとと、離れると、姉妹は、じきに仲良くなっていったようでした。
だれかに、必要とされていたい欲求が強いひとだと、思っていましたが、自分が、仲裁にはいって、姉妹のケンカをいつもやめさせると、自分の働きを、旦那さんに、報告したいようでした。
姉妹とか、ひとが、自分から、逃げる夢をみると、いっていましたが、その恐怖心が、つよいのかなと、やっぱりと、思ったのでした。
よからぬ、エネルギーの袋を、もっているような、感じのひとは、たまにいますが、自分の、存在意義や、過去に不満で、それが、消化されてないのだろうと、思ったのでした。
物理的、心理的な距離をとるのは良いことで、そのひとは、さみしでしょうが、無意識の、自分の欲求を、解消できなければ、夢の中のように、ひとは、そのひとから、はなれていくのだろうと、思ったのでした。