今日はくもりです。
ところで、この間、お昼ご飯を食べにいって、お店の天井に龍の頭部の絵が描かれていました。
白い龍で、ちょっとおどけた表情の瞳をした、楽し気な感じの東洋風の龍の絵でした。
私が、普段イメージの中で見る龍神様と、そっくりだなと思いましたが、好々爺の雰囲気があって、迫力のある外見と存在感と美しさと別に、優しみと、親しさが感じられるのでした。
天井に描かれていた龍も大きかったのですが、私が見る龍神様は、もっと大きい感じだなと思いながら、なんとなく上を見上げていました。
一緒にいった友人が、釣りをしたいというので、漁港の堤防まで、行ってみました。
トンビが、とても器用にホバリングをしていましたが、下では、オキアミを撒いている釣り人がいて、それを見ているようでした。
釣り人の頭上4メートルほどの上を飛んでいて、風が強いにもかかわらず、一か所でとどまって、じっと釣り人の手元を見ているように見えました。
器用な、トンビもいるもんだと、思って見ていましたが、龍神さまにしても、守護をお願いしているときは、あのように頭上から、守っている人を、見て守っているのかもしれないなと、ふと思ったのでした。
アトランティスのが師匠が以前、3年ほど前だったか、このブログにも書いたのですが、こちらにいる私にメッセージを送ったり、存在感を示す時に、我らは鳥を使う。という、短いメッセージが届いたのですが、この時に、鳥の姿や瞳は、師匠の目になっているのではないのかなと、思ったのでした。
まるで、監視カメラを各所に置くようにして、鳥の目をカメラのように使って、こちらをじっと観察しているような気がしたのです。
鳥の姿に、何度か助けられたことがあったのですが、大きな鳥が飛んでいる姿は、昔見た、ドラゴンが空中を自由に飛び回っていた光景によく似ていると、何度か感じたことがありました。
ドラゴンは、翼をあまり動かさないで飛びますが、ワシやタカやトンビなども、同じような飛び方をするなと、思って見ていたのでした。
バシャールの言葉を紹介しているブログでは、飼い猫や、外猫の猫は、宇宙存在と意識を同調しやすくて、善意の宇宙存在などはよく、猫の瞳を使って、地球人類や、飼い主を観察していると書かれていました。
街中で見かけた猫の姿と瞳に、安心感や親しみを、神秘的な魅力を感じてしまうのは、語りかけてくるようなエネルギーとそぶりをもった猫に、なにか、他の存在の意識を、それも美しい魂を感じているのかもしれないなと、思っていたのでした。
猫はよく、多次元の存在だといわれていますが、レースカーテンで仕切られただけのような、薄い次元の境界を、行ったり来たりできる存在のようでした。
その感じが、エネルギーに敏感なひとには、たまらなく魅力的なのでしょうが、猫のだすヒーリングの脳波は、人間にとって最高のヒーラー的な存在なのではないのかなと、思ったのでした。
普段守ってくださいと、お願いしたりしても、なんとなく忘れてしまうものですが、ところどころで、ああそうだったと、思い出したりするので、その度に、あの時も、そうだったかなと、思ったりするのでした。