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朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
聖書を一日一章、読んでみませんか。

エペソ人への手紙1章

2020年08月25日 | エペソ書
エペソ1:18-19 あなた方の心の目を明らかにして下さるように、そして、あなた方が神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、また、神の力強い活動によって働く力が、私たち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなた方が知るに至るようにと祈っている。

エペソ人への手紙は、私たち即ち教会が如何にすばらしい存在であるかを告げています。
 
進化論に基づく思考では、人間は偶然に猿から進化して現在の文明まで進んできたと考えているでしょう。しかし、聖書は全くちがいます。神は、天地創造の以前から、人間をイエス・キリストの中で準備し、ご自分の子にしようと定められたと言っています。
 
みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。(1:4-5)
 
この一文にふれるだけでも、神の経綸の深遠さに心がふるえます。このような思想は人間からは出てきません。ましてや、進化論からは到底導き出すことができません。
 
あなたも私もキリストの中で選ばれています。神の子どもになるように定められています。愛されるように定められています。相続者となるように定められています。
 
しかし、私たちの霊の目が曇っていて、その素晴らしい姿が見えていません。エペソ書1章では、そのための祈りがささげられています。私たちも、日頃からエペソ書1章のように祈る必要があります。

その祈りのポイントは、私たちの心の目が明らかになって、はっきりと見えるようにしてくださいです(1:18)。どのようにして見えるようになるのでしょうか。神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなた方に与えてくださることによってです(1:17)。

神様の領域、天に属する領域は、御霊(聖霊)による知恵と啓示によらなければ見ることができません。

ユダヤの人々が、イエス様のことを大工のヨセフの息子にすぎないと考えたのは、この「知恵と啓示の御霊」によらなかったからです。たとえ学識豊かな律法学者たちであっても、御霊によらなければ、イエスが神の御子キリストだと分かりません。

実は、イエスの弟子たちも分かっていませんでした。イエスが十字架の死を予告なさっても、それを理解できず、ペテロはいさめるように、「主よ、不吉なことを言わないで下さい」と、神の働きを妨害しました。

彼らの心は閉ざされていたので、イエス様の十字架の死の意味が分かりませんでした。でも、聖霊(御霊)を受けてから、イエスの死は、人類の罪を贖(あがな)うためであったと分かりました。

このように、神からの智恵と啓示の御霊が注がれて、私たちの霊の目がはっきりと見えるように……と祈るのです。

信仰とは、目に見えない世界を見るメガネです。このメガネをかけていなかった時は、肉眼で見える世界が全てでした。肉眼で見える世界の出来事で一喜一憂していました。それは、霊的な領域が見えていなかったからです。

信仰というメガネをかけるとき、聖霊は智恵と啓示の霊を注いで、私たちに約束されているすばらしい世界が見えるようにしてくださいます。では、どんな世界が見えるのでしょうか。18~19節には三つの内容が記されています

(1) 私たちに与えられている望みについて

今どんな望みがありますか。目先の小さな望みは、私を少し元気にしてくれます。でも御言が、「あなた方が神に召されていだいている望みがどんなものであるか……」と告げる望みは、とてつもなく大きい望みです。この大きい望みに目が開かれて、大きな元気を受けてください。

その望みとは、私たちが栄光の体に復活する望みです。復活した私たちが、キリストと共に神の御国を相続する望みです。キリストの花嫁として、キリストと共に永遠に居る望みです。

神がくださる永遠の望みを知ることができますように、祈ります。

(2) 私たちが相続することになっている富の豊かさについて

神は、御子イエスを万物の相続者として定められました。「な~んだ。イエス様が相続なさるのか」と思わないでください。クリスチャンの奥義は、私たちはキリストの中にいることです。私たちがキリストの体であることです。

ですから、御子イエス・キリストが相続者であるとは、キリストの中にいる私たちも相続者です。私たちは、キリストの中にあって神の御国を受け継ぐ者たちです。 ※「キリストにあって」「このお方にあって」と繰り返し記されているが、「キリストの中で」という意味である。

肉親である父母の遺産が気になりますか。それは欲しい人が受け継げばよいのです。私たちは神の御国の世継ぎです。どうか、その身分と、その受け継ぐものの豊かさを見ることができますように祈ります。

(3) 私たちに働く神の力の絶大さについて

天に行ってからようやく受ける望みではありません。今も現実に働く力を、私たちは受けています。それは神からの力です。私の弱さの中に働く神の力です。

神の力の絶大なことは、復活に表現されています。キリストは地上では弱くあられました。十字架で死んでしまわれるほどに弱く、小さく、愚かであられました。

でも、父なる神の絶大な力は、キリストを復活させました(1:20)。そして、天に昇らせ、神の右の御座(王座)に座らせました。それと同じ力が、私たちにも注がれています。

このようなすばらしい神の力に目覚めることができますように……、その力が私の弱さの中に現れてきますように……祈ります。(Ω)

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