先週行った大田区立郷土博物館に昭和7年発行の田園調布の地図が展示されていた。
大田区だけでなく川崎側も載っている。
特に注目したのが武蔵小杉周辺。
南武線や東横線(地図には横浜電鉄と表記されている)が開通している。
違和感があるのは武蔵小杉の駅が「グランド前」という駅名になっていることだ。そして新丸子の駅から多摩川沿いに引き込み線が北西へ延びている。
武蔵小杉駅は現在の小杉御殿町の交差点のあたりになっている。すぐ北には田圃の中にぽつんと大西学園がある。今の武蔵小杉駅近くには名前のとおり第一生命のグランドと横浜正金銀行のグランド?がある。だからグランド前だ。
街の中心は旧中原街道沿いだったことがわかる。
驚きなのは中原街道が多摩川を渉る所。
橋がない。渡し舟だ。
船で多摩川を渉ると沼部の駅から桜坂を登る。そして今の中原街道へつながるようだ。
なるほどこういうルートだったのかとイメージが湧く。
昭和7年では自動車はまだほとんど走っていなかったということなのだろう。
第一生命グランドのすぐ北は自動車練習場となっているので、そういう歴史が始まる分岐点の時代であったのだろう。
ところで地図の中で特に目を引くのは北北西から南南東へ流れる二ヶ領用水の流れだ。
回りは田圃だらけ、どれだけこの用水路が重要であったのかがわかる。
網の目のように張り巡らされた水路網は、農村地帯であった当時の川崎の生命線ともいえる施設だ。着工は1597年なので、おどろくなかれ、関ケ原の合戦前まで遡る。完成したのが1611年。その後も補修改良工事を重ねて現代に至るという、途方もない歴史をもつ施設だ。
溝の口先にある久地円筒分水(昭和16年完成)
(地域に公平に水を分けるため最新の技術を駆使して完成させた。)
先人達の努力を思うと涙なしには見られない。
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