波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

昨日は南青山RED SHOES

2010-02-27 22:32:00 | Weblog
金曜日、早めに会社を抜け出してそのまま南青山のRED SHOESというクラブへ。
小雨がぱらつく中、表参道から骨董通りを抜けて向かったぼくは、渋谷から歩いてきた彼女とちょうど店の前で合流。
2枚チケットを出して中に入ると、まだ人はまばら。
ジャケットを預けて、片隅に座る。
1人で来ると手持ち無沙汰になりそうだ。

ロックミュージシャン浅井健一のファンクラブ会員対象のイベント。
抽選で当たった人にチケットが送られたらしい。
ぼくはファンクラブでの会員ではないけど、チケットが手に入ったので彼女と一緒に来ることができた。

ビールやテキーラを飲みながらぼんやり過ごす。
タバコを吸う人が多いので、ぼくは息がつまりそうになる。
できるだけ息を吸わないで時間をすごそうと心がけるけど、それはむずかしい。

8時、9時を進むにつれてベースの仲田さんやキーボードの福士さんがDJをやって盛り上がる。
9時半くらいから、ベンジーがDJブースに立った。
店内に何十人かいる人たちがみんなブースの周りに近寄る。
手の届く距離で笑顔を見せているベンジー。
オールディーズやフレンチポップス、ロック。何でもかっこいい。

やせた女の子がくらくらしながら踊っている。
笑顔の女性が跳ねている。
かっこいい帽子をかぶったカメラマンがベンジーを撮っている。
踊りなれた男が即興でステップを踏み、フロアの片隅では音楽関係者が談笑。
ビールを頼んでその場で支払うと、たくましい従業員がすばやく飲み物を運んで来る。

タトゥーやチェーンやブーツや派手なシャツをおしゃれにまとめている人たちの中で、ぼくは浮いているだろう。
仕事が忙しくてもう2か月以上散髪もしてないし、会社帰りの普段着だし。
わるいことなんか一切やりそうにないまじめっこ顔だし。

彼女はずっと控えめで、目の前で女性3人がグッズや財布やケータイにサインしてもらっている時も眺めているだけだった。
熱心なファンなのに。スーパーや服屋さんではもっと強引なのに。

深夜12時半を過ぎて店を出て一緒に渋谷駅まで歩いていると、「ベンジーの踊っているところを見れて良かったぁ」とか「かっこよかったぁ」と小さな声をもらして余韻に浸っていた。

まあ、ぼくは彼女の満足気な姿が見られて、満足。
いつもはレストランでちょっとタバコの煙が流れてくるとメニュー表でパタパタあおぐほどタバコ嫌いな彼女なのに、憧れの人がいる場所でなら我慢できるというのは、不思議だ。


http://www.fanclub.co.jp/k_asai/?id=8
Cold Mink Club PRESENTS
SEXY STONES SHELLBY NIGHT

2010年2月26日(金) 南青山RED SHOES
( http://www.redshoes.jp/ )
OPEN / START 18:00 END 24:00 入場無料(要招待券・ドリンク代別)

セクシーストーンズが2010年にリリースする第一弾の「SHELLBY -世界の片隅で静かに生きる―」の発売を記念してCold Mink Clubの会員の方限定でパーティーを行います!
「SHELLBY」の楽曲はもちろん、セクシーストーンズにかかわる人達のDJによる素敵な音楽で盛り上がりましょう!都会のド真ん中でにぎやかにすごそぉー!

※入場申し込みは、締め切らさせていただきました。たくさんのご応募ありがとうございました。抽選の結果、当選された方のみに招待券を郵送致しました。



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GWはベトナム

2010-02-27 01:23:37 | Weblog
この4~5年、毎年1回はベトナムに行っている。
特に中南部の乾燥地帯が気に入っている。
素朴で明るくてミネラル豊富で、英気を養うことができる気分のいい海沿いなのだ。

だけど、今回はちょっと行ったことのないところに行ってみようかと思っている。
カンボジアに近い、フーコック島。
白い砂が美しい、素朴なビーチがあるらしい。

ベトナムにはすてきなビーチが多い。
ダナン、ホイアン、ニャチャン、ファンラン、ファンティエット、等々のビーチはどこも広々とした海岸線がまぶしく、椰子の木の下でゆっくりくつろぐことができる。
だけど、海の色は少し鈍く、沖縄のほうが青く美しかった。
島に行けばベトナムにも美しい色の海があると聞いたので、フーコック島に行きたいと思っていた。

今年のGWは4/30(金)だけ休めば、4/29(木)から5/5(水)まで丸々1週間の休暇を取ることができる。
だけど、4/29出発の航空券は非常に高い。
ほんの1日2日早く休むだけで、とても手ごろな値段のチケットを手に入れることができる。
(2月の半ばに安いチケットが出回るので、タイミングよく購入することが大事だ)
ぼくは、4/29より少し前にベトナムに行って、5/5を少し過ぎて帰ってくる。
ANA直行便往復のチケットは2人で総額8万7千円以下だ。

フーコック島では素朴なバンガローに3~4泊してみよう。
それから、ちょっと高級なリゾートにも行って3~4泊してみよう。
ビーチ沿いのテラスで夕日を眺めながら、蒸した貝や焼いた海老を食べてビールを飲もう。
海岸沿いを歩いた後は、2時間かけてゆっくりマッサージをしてもらおう。

そんなことを想像しながら、忙しい3月4月をなんとか乗り切ろうと思っている。
のんびり休んでいるばかりではないのだ。
今はとても忙しい。
GWにゆっくりするために、目の前の仕事をがんばろう。


追記
フーコック島は雨季に入ってしまうかもしれないので、
もしかしたらまた中部のホイアンやダナンに行くかもしれない。
彼女はホイアンの古民家カフェの男の子がちょっと気に入っているし。

ダナンからホイアンにかけては大規模リゾートホテルが次々と建設されている。
ホイアンでは、古い町並みの中でゆったりとした時間をすごすことができる。
ダナン郊外のの隠れ家リゾートから大規模リゾート、ホイアンの古民家ホテルなどをめぐってみるのも楽しそうだ。


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天皇以外みんな渡来系 (飛鳥地方には弥生遺跡がない)

2010-02-27 00:45:15 | Weblog
天皇制という言葉にはすこし違和感がある。
日本は米食制ではないし、洋服制でもない。多神教制でもない。

流れの結果、ある習慣や制度が出来上がっていても、何かをきっかけにしてまた状況は変化していくかもしれない。

天皇制という言葉は、明治以降に法制化された、近代の天皇のあり方を指しているのだろうか。
天皇制を無くせばいいと主張する人は、近代の天皇のあり方をやめろと言っているのだろうか。
あるいは、天皇そのものの存在をなくすべきだと言っているのだろうか。
どちらでもいいけど、天皇家は、世界遺産に値するのではないかと思う。

越前出身の継体天皇が即位してもう1500年。
1500年以上もひとつの権威ある一族が存続しているというのは、歴史遺産として注目に値する珍現象だ。

最近の日本では天皇は名誉職のようなもので、どこかを訪問してあいさつしたり、賞を授与したり、賓客を接待することが仕事なのかという印象しかない。
(一部官僚にとっては、自分たちに権威を与えてくれるありがたい存在でもあるらしい。リベラルな外交官でも天皇のことをわるく言う人はあまりいない)

だけど、ほんの100年前は絶大な権力を持つ君主として、帝国に君臨していた。
現在の天皇のことを海外でEmperor Akihito と呼ぶのはその名残だろう。

戦中戦後生まれの人の中には、今でも天皇のことを強大な権力者だと認識して敵視する人もいるけど、全体的には、今の天皇に抑圧や拘束を感じない人のほうが多い。

韓国や朝鮮の人は、天皇に対して特別な感情があるようだ。
100年前、天皇の名のもとに朝鮮半島は日本に併合され、日本の領土になってしまった。

これは耐えられない屈辱であり、今でも韓国のメディアでは日王とか日帝強占期という言葉を使う。
国際法的には当時の朝鮮半島は Occupied Korea ではなく、日本領土の一部だったけど、そんなことは受け入れがたい。
どうして自分たちより優れている訳でもない日本人に支配されなくてはならなかったのか、と悔しく感じる。
レイプに匹敵する、自尊心を踏みにじる行為だったと言って批判する。

認めたくない過去に苦しむ人は、精神的なバランスをとるために、さまざまなことを無意識に考える。

かつて、強大な外国勢力を目にして自分たちの存在維持に不安を感じた日本人の場合は、日本は特別な国だとか、日本には世界最古の歴史があるとか、日本には世界最古の文字があるとか、いかに自分たちがすごいかということを主張して心の安定をはかろうとした。

釈迦もキリストも日本に来た、と主張する宗教者がいたし、すべての人類は日本で生まれた、日本に超古代文明があった、古代文字があった、などと主張する本を発行する人もいた。

現在の日本でそういう人があまり目立たないのは、日本人の心理状態が比較的安定してきたからだろう。
経済が発展して生活も徐々に豊かになり、海外から侵略される恐れも少なく、自分たちの生活を維持していくことに危機感を抱かない。

ところが、かつての日本と同じようなことを韓国は現在も行なっている。
いかに韓国の歴史文化が偉大か、どんなすぐれた起源を持っているか、学問的に根拠の薄いことでも大々的に宣伝している。

韓国の人が誇大妄想のような説を主張すると、日本や中国の一般人や学者は笑うけど、彼らがあのような主張を行うのにも原因はあるのだ。
朝鮮半島を長年にわたって属国扱いにした中国や、朝鮮半島を日本領にしてしまった日本の責任は大きい。
彼らが精神的に不安定になってしまったのは、日本と中国の責任であるともいえる。
彼らのことがわずらわしく感じられるかもしれないが、嘲弄すべきではないと感じる。
ぼくたちだって同じようなことをやりがちだ。


韓国の人の主張することでよく目にするのが、天皇はもともと百済の人間だったのだ、という話だ。
韓国では当然の歴史のように思われている。学校で教える教師もいる。

日本列島の最高権威者であると思われている天皇が、朝鮮半島出身だったとしよう。
そうすると、起源を重視する韓国・朝鮮の人々は、優越感を得ることができる。

「日本列島は朝鮮半島にあった国家の植民地」「朝鮮半島の人々がいなければ日本は存在しなかった」などと認識すれば、日本に支配された時代の屈辱を、少しはやわらげることができる。

実際のところはどうだったのだろう。
日本には朝鮮半島を経由してやってきた人は多い。

だけど、4~5世紀までに来た人と、6~7世紀に来た人、7~8世紀、20世紀に来た人ではそれぞれ意識が違っていただろう。
(関西には渡来系の顔立ちの人が多いけど、すっかり日本を母国だと認識している人たちは、遅れて来た在日韓国人や朝鮮人の人たちをよそ者扱いする場合もある)

統一国家ができるまでに朝鮮半島にいた人々は、朝鮮半島の国民としての意識を持っていなかった。百済や済州島の人だって、「朝鮮・韓国人」「朝鮮半島に広く分布する栄誉ある民族」という意識はなかった。
むかしの日本人だって、各地域の人に日本国民としての一体感などはなかった。
かつては朝鮮半島も中国も日本も、新モンゴロイドや古モンゴロイドの様々な部族の人々がいて、やがて一つの民族や国民に収斂していった。

それにしても、神功皇后などのモデルになったと言われる卑弥呼は、247年頃に亡くなったと推測されている。
卑弥呼の時代にはまだ百済(346~660年)も新羅(356~935年)も存在していなかった。
百済の人が日本に来て天皇のもとになる一族となって古墳を作った、と考えるのはむずかしい。せめて、乗っ取った、と考えないと時代が合わない。

そもそも、天皇の位置付けや機能といった特長は、弥生以前にさかのぼる可能性もある。
続縄文文化の後にアイヌ文化に移行したアイヌ人は、祭祀を重視し、集団のリーダーは権威を持って祭祀を執り行った。
縄文時代の遺跡を見ても、縄文時代の人々が祭祀を行なったことは否定しにくい。
後の時代の天皇になるような権威者の存在が、縄文人たちのグループに芽生えていた可能性もある。

だが、渡来人たちが増えてくると、権威者はその立場を奪われたかもしれない。
日本人がアイヌを討ったように、中国人がチベットを制服したように。
百済からやってきた先進的な技術をもつ人々も、大和の国を乗っ取ったかもしれない。

かつて満州に傀儡国家を作った大日本帝国は、多くの官僚を満洲帝国に送り込んで意のままに操ったが、トップは清王朝の末裔、皇帝溥儀だった。

朝鮮半島を日本領にしてからは天皇が朝鮮半島の主権者となったが、朝鮮王室の人は天皇家に準じる皇族扱いとなり、李王の名を維持した。

もしかしたら、渡来人が天皇をかついで、朝廷を作り上げたということもありえるかもしれない。
傀儡国家を作ったときに、そこのトップに現地の権威者を据えることは珍しくない。

だから、いっそのこと発想を転換して、天皇は原住民系だったけど、周辺のブレーンはみんな渡来系だった、と想像することがあってもいいのではないだろうか。

継体天皇のことはともかく、天皇家のルーツが渡来系ではない、と推測される状況証拠はいくつかある。
まず、天皇家の基盤があった飛鳥は奈良盆地の南東にあるが、このエリアはなぜか弥生時代の遺跡が出てこない。縄文遺跡や古墳時代の遺跡はあるが、弥生遺跡がない。

通常、近畿では、弥生時代の遺跡が圧倒的に多い。
だけど、飛鳥地方や山岳地帯には、原住民系というか縄文系の人々の息づかいが感じられる。

「日の本の大和」の呼称は「太陽の出てくるところの山の出口」というくらいの意味ではないか。
日は太陽、本は根元。奈良盆地南東部の飛鳥地方は、山のむこうに日の出を仰ぐところに位置している。
「ヤマ」は高く盛り上がって広がりを持つ形状。
「ト」は外、戸、門などに通じる。中と外の境に位置する。
山を神聖視する山岳民族の影響を感じる。
なぜか、飛鳥地方と同じく、盆地の南東部に縄文遺跡がある場合はめずらしくない。

また、中世の天皇家は稲作を行う渡来系農民とのつながりは強固ではなかったと主張する人がいる。
古代政治史学者の長山泰孝は「大和朝廷の農民支配はきわめて不十分であり」「大化前代においては非農業民に対する支配が大きな意味を持っており、彼らの貢納する食の贄が大和朝廷の収入の中で相対的に大きな比重を占めていたと考えられる」と書いている。

だから、天皇を渡来系と見るより、むしろ、「原住民系の天皇以外、ブレーンはみんな渡来系」と考えてみることがあっても、いいのではないかと思う。


奈良の縄文遺跡についての記事があったのでつい妄想。
あんまり日本史に興味はないんですけどね。
  ↓
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100226/acd1002262059003-n1.htm
■縄文時代のクリ林確認 奈良・観音寺本馬遺跡
2010.2.26 20:57
縄文時代のクリ林が確認された観音寺本馬遺跡=奈良県橿原市(飯田英男撮影)
 奈良県橿原市と御所市にまたがる観音寺本馬遺跡で、縄文時代晩期(約2800年前)のクリの木の根株25株がまとまって確認され、橿原市教委が26日発表した。クリ林は狩猟採集で生活していたとされる縄文人が、食料確保のために植林していたことを示す重要な発見になるという。
縄文時代の人工林の存在は、三内丸山遺跡(青森県)の花粉のDNA分析などで指摘されているが、実物の根株の分布によって明らかにされるのは極めて異例という。
この遺跡から出土した根株68株を顕微鏡で分析した結果、20種の樹木が確認され、約半数が食用可能な種だった。クリは最多の25株を占め、水路に囲まれた80メートル四方のエリアに集中していた。
 クリ林は集落の住居跡から約300メートルと近く、クリだけの林が自然に存在するとは考えにくいことから、市教委は「クリを中心に利用価値の高い植物を局地的に栽培していたのではないか」と話している。



コメント (3)
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