波打ち際の考察

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波屋山人

天皇以外みんな渡来系 (飛鳥地方には弥生遺跡がない)

2010-02-27 00:45:15 | Weblog
天皇制という言葉にはすこし違和感がある。
日本は米食制ではないし、洋服制でもない。多神教制でもない。

流れの結果、ある習慣や制度が出来上がっていても、何かをきっかけにしてまた状況は変化していくかもしれない。

天皇制という言葉は、明治以降に法制化された、近代の天皇のあり方を指しているのだろうか。
天皇制を無くせばいいと主張する人は、近代の天皇のあり方をやめろと言っているのだろうか。
あるいは、天皇そのものの存在をなくすべきだと言っているのだろうか。
どちらでもいいけど、天皇家は、世界遺産に値するのではないかと思う。

越前出身の継体天皇が即位してもう1500年。
1500年以上もひとつの権威ある一族が存続しているというのは、歴史遺産として注目に値する珍現象だ。

最近の日本では天皇は名誉職のようなもので、どこかを訪問してあいさつしたり、賞を授与したり、賓客を接待することが仕事なのかという印象しかない。
(一部官僚にとっては、自分たちに権威を与えてくれるありがたい存在でもあるらしい。リベラルな外交官でも天皇のことをわるく言う人はあまりいない)

だけど、ほんの100年前は絶大な権力を持つ君主として、帝国に君臨していた。
現在の天皇のことを海外でEmperor Akihito と呼ぶのはその名残だろう。

戦中戦後生まれの人の中には、今でも天皇のことを強大な権力者だと認識して敵視する人もいるけど、全体的には、今の天皇に抑圧や拘束を感じない人のほうが多い。

韓国や朝鮮の人は、天皇に対して特別な感情があるようだ。
100年前、天皇の名のもとに朝鮮半島は日本に併合され、日本の領土になってしまった。

これは耐えられない屈辱であり、今でも韓国のメディアでは日王とか日帝強占期という言葉を使う。
国際法的には当時の朝鮮半島は Occupied Korea ではなく、日本領土の一部だったけど、そんなことは受け入れがたい。
どうして自分たちより優れている訳でもない日本人に支配されなくてはならなかったのか、と悔しく感じる。
レイプに匹敵する、自尊心を踏みにじる行為だったと言って批判する。

認めたくない過去に苦しむ人は、精神的なバランスをとるために、さまざまなことを無意識に考える。

かつて、強大な外国勢力を目にして自分たちの存在維持に不安を感じた日本人の場合は、日本は特別な国だとか、日本には世界最古の歴史があるとか、日本には世界最古の文字があるとか、いかに自分たちがすごいかということを主張して心の安定をはかろうとした。

釈迦もキリストも日本に来た、と主張する宗教者がいたし、すべての人類は日本で生まれた、日本に超古代文明があった、古代文字があった、などと主張する本を発行する人もいた。

現在の日本でそういう人があまり目立たないのは、日本人の心理状態が比較的安定してきたからだろう。
経済が発展して生活も徐々に豊かになり、海外から侵略される恐れも少なく、自分たちの生活を維持していくことに危機感を抱かない。

ところが、かつての日本と同じようなことを韓国は現在も行なっている。
いかに韓国の歴史文化が偉大か、どんなすぐれた起源を持っているか、学問的に根拠の薄いことでも大々的に宣伝している。

韓国の人が誇大妄想のような説を主張すると、日本や中国の一般人や学者は笑うけど、彼らがあのような主張を行うのにも原因はあるのだ。
朝鮮半島を長年にわたって属国扱いにした中国や、朝鮮半島を日本領にしてしまった日本の責任は大きい。
彼らが精神的に不安定になってしまったのは、日本と中国の責任であるともいえる。
彼らのことがわずらわしく感じられるかもしれないが、嘲弄すべきではないと感じる。
ぼくたちだって同じようなことをやりがちだ。


韓国の人の主張することでよく目にするのが、天皇はもともと百済の人間だったのだ、という話だ。
韓国では当然の歴史のように思われている。学校で教える教師もいる。

日本列島の最高権威者であると思われている天皇が、朝鮮半島出身だったとしよう。
そうすると、起源を重視する韓国・朝鮮の人々は、優越感を得ることができる。

「日本列島は朝鮮半島にあった国家の植民地」「朝鮮半島の人々がいなければ日本は存在しなかった」などと認識すれば、日本に支配された時代の屈辱を、少しはやわらげることができる。

実際のところはどうだったのだろう。
日本には朝鮮半島を経由してやってきた人は多い。

だけど、4~5世紀までに来た人と、6~7世紀に来た人、7~8世紀、20世紀に来た人ではそれぞれ意識が違っていただろう。
(関西には渡来系の顔立ちの人が多いけど、すっかり日本を母国だと認識している人たちは、遅れて来た在日韓国人や朝鮮人の人たちをよそ者扱いする場合もある)

統一国家ができるまでに朝鮮半島にいた人々は、朝鮮半島の国民としての意識を持っていなかった。百済や済州島の人だって、「朝鮮・韓国人」「朝鮮半島に広く分布する栄誉ある民族」という意識はなかった。
むかしの日本人だって、各地域の人に日本国民としての一体感などはなかった。
かつては朝鮮半島も中国も日本も、新モンゴロイドや古モンゴロイドの様々な部族の人々がいて、やがて一つの民族や国民に収斂していった。

それにしても、神功皇后などのモデルになったと言われる卑弥呼は、247年頃に亡くなったと推測されている。
卑弥呼の時代にはまだ百済(346~660年)も新羅(356~935年)も存在していなかった。
百済の人が日本に来て天皇のもとになる一族となって古墳を作った、と考えるのはむずかしい。せめて、乗っ取った、と考えないと時代が合わない。

そもそも、天皇の位置付けや機能といった特長は、弥生以前にさかのぼる可能性もある。
続縄文文化の後にアイヌ文化に移行したアイヌ人は、祭祀を重視し、集団のリーダーは権威を持って祭祀を執り行った。
縄文時代の遺跡を見ても、縄文時代の人々が祭祀を行なったことは否定しにくい。
後の時代の天皇になるような権威者の存在が、縄文人たちのグループに芽生えていた可能性もある。

だが、渡来人たちが増えてくると、権威者はその立場を奪われたかもしれない。
日本人がアイヌを討ったように、中国人がチベットを制服したように。
百済からやってきた先進的な技術をもつ人々も、大和の国を乗っ取ったかもしれない。

かつて満州に傀儡国家を作った大日本帝国は、多くの官僚を満洲帝国に送り込んで意のままに操ったが、トップは清王朝の末裔、皇帝溥儀だった。

朝鮮半島を日本領にしてからは天皇が朝鮮半島の主権者となったが、朝鮮王室の人は天皇家に準じる皇族扱いとなり、李王の名を維持した。

もしかしたら、渡来人が天皇をかついで、朝廷を作り上げたということもありえるかもしれない。
傀儡国家を作ったときに、そこのトップに現地の権威者を据えることは珍しくない。

だから、いっそのこと発想を転換して、天皇は原住民系だったけど、周辺のブレーンはみんな渡来系だった、と想像することがあってもいいのではないだろうか。

継体天皇のことはともかく、天皇家のルーツが渡来系ではない、と推測される状況証拠はいくつかある。
まず、天皇家の基盤があった飛鳥は奈良盆地の南東にあるが、このエリアはなぜか弥生時代の遺跡が出てこない。縄文遺跡や古墳時代の遺跡はあるが、弥生遺跡がない。

通常、近畿では、弥生時代の遺跡が圧倒的に多い。
だけど、飛鳥地方や山岳地帯には、原住民系というか縄文系の人々の息づかいが感じられる。

「日の本の大和」の呼称は「太陽の出てくるところの山の出口」というくらいの意味ではないか。
日は太陽、本は根元。奈良盆地南東部の飛鳥地方は、山のむこうに日の出を仰ぐところに位置している。
「ヤマ」は高く盛り上がって広がりを持つ形状。
「ト」は外、戸、門などに通じる。中と外の境に位置する。
山を神聖視する山岳民族の影響を感じる。
なぜか、飛鳥地方と同じく、盆地の南東部に縄文遺跡がある場合はめずらしくない。

また、中世の天皇家は稲作を行う渡来系農民とのつながりは強固ではなかったと主張する人がいる。
古代政治史学者の長山泰孝は「大和朝廷の農民支配はきわめて不十分であり」「大化前代においては非農業民に対する支配が大きな意味を持っており、彼らの貢納する食の贄が大和朝廷の収入の中で相対的に大きな比重を占めていたと考えられる」と書いている。

だから、天皇を渡来系と見るより、むしろ、「原住民系の天皇以外、ブレーンはみんな渡来系」と考えてみることがあっても、いいのではないかと思う。


奈良の縄文遺跡についての記事があったのでつい妄想。
あんまり日本史に興味はないんですけどね。
  ↓
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100226/acd1002262059003-n1.htm
■縄文時代のクリ林確認 奈良・観音寺本馬遺跡
2010.2.26 20:57
縄文時代のクリ林が確認された観音寺本馬遺跡=奈良県橿原市(飯田英男撮影)
 奈良県橿原市と御所市にまたがる観音寺本馬遺跡で、縄文時代晩期(約2800年前)のクリの木の根株25株がまとまって確認され、橿原市教委が26日発表した。クリ林は狩猟採集で生活していたとされる縄文人が、食料確保のために植林していたことを示す重要な発見になるという。
縄文時代の人工林の存在は、三内丸山遺跡(青森県)の花粉のDNA分析などで指摘されているが、実物の根株の分布によって明らかにされるのは極めて異例という。
この遺跡から出土した根株68株を顕微鏡で分析した結果、20種の樹木が確認され、約半数が食用可能な種だった。クリは最多の25株を占め、水路に囲まれた80メートル四方のエリアに集中していた。
 クリ林は集落の住居跡から約300メートルと近く、クリだけの林が自然に存在するとは考えにくいことから、市教委は「クリを中心に利用価値の高い植物を局地的に栽培していたのではないか」と話している。



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3 コメント

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明仁天皇「韓国とのゆかり」発言 (ナツメグ)
2010-03-03 10:53:32
明仁天皇が68才のお誕生日に
「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に紀されていることに、桓国とのゆかりを感じています」と おっしゃられています。
サッカーW杯の共催前です 2002年3月20日 日本版NEWSWEEK に 記事が 掲載されていました。
突然、おじゃましました私、昔
詩とメルヘンというサンリオの雑誌が好きだったのですが、
詩とファンタジーという本で、やなせたかしさんが、投稿作品募集をしておられると知り
かまくら春秋社の事を 調べていて たどりついた通りすがりです。
でも
興味深い記事が多くて
これから また 読ませていただきます
返信する
文字間違い (ナツメグ)
2010-03-03 10:57:50
コメント韓国の韓がΣ( ̄□ ̄;) 桓に なっていました。訂正します
ごめんなさい
返信する
Unknown (だめ)
2013-10-07 13:01:34
>天皇以外みんな渡来系

天皇も、アフリカからの渡来人だよ
返信する

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