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イタリアより

滞在日記

シラクーザにて/妄想ストーリーその2.

2020年12月28日 | シラクーザ

シラクーザ・ドオーモ広場

大聖堂をはじめバロックの建物が立ち並ぶ美しい広場でした

2019年12月24日撮影


ディオニュシオスがシラクーザの僭主となる以前には、ゲロンとヒエロンという兄弟がこの地を支配していましたが、その頃から既にカルタゴとの争いは続いていました。もうそれはそれはあくことなく。


古い写真で恐縮ですが…

左上:デルフイのアポロン神殿跡/恐れ多くもディオニュシオスはこの神殿の略奪を企てたらしい
左下:先の東京五輪でこの店の店主が聖火ランナーで使用したトーチを持たせて貰いました
右上:古代ギリシャ時代の競技場の跡/真っ白い大理石が埋め込まれた所がスタート地点
右下:両手を前に出す当時の正しいスタートの姿勢/選手は男性のみ、皆全裸だったとか

今更ながら…この国からシチリアへ植民が始まった…

2004年ギリシャにて


シラクーザをはじめ、シチリア島に目を付けたのはギリシャのみならずカルタゴも同様でした。地中海のど真ん中に位置し、沢山の穀物が収穫できるこの島を占拠して、交易をも独占する、シチリアに対する両者の思惑は一致して、カルタゴのフェニキア人はギリシャ人を、ギリシャ人はフェニキア人を、シチリアから、そうしてシラクーザから追い出そうと心血を注ぎます。優れた造船技術を持ち、最強の海軍を誇る地中海の覇者カルタゴ相手に、シラクーザの先の軍人ヘルモクラテスに続いて、ディオニュシオス一世も闘い続けました。そんな戦争に明け暮れた末、やがてディオニュシオス一世は逝去し、彼の三番目の妻との間にもうけた弱冠30歳の息子、ここだけの話ヒソヒソ…ちょっとデキがいまちだった…ディオニュシオス二世へとその座は引き継がれていきます。


ディオニュシオス1世
ウィキペディアより


kazu:あのぉ…ディオニュシオスさんは、暴君だとみんな言ってるのですが…
ディオ:?
kazu:大きな洞窟に沢山の人を閉じ込めたでしょ?「ディオニュシオスの耳」っていう洞窟…
ディオ:ふむ思い出した。あれは町を襲った敵をあの洞窟に封じ込めたのだ。
ディオ:ヒソヒソと話す敵兵の会話を看守が聞いて、私に報告に来たものだった。
kazu:メロスのお友達を殺そうとしたでしょ?
ディオ:おーそんなこともあったが、あの若者は実に無礼なヤツだった。
ディオ:買い物籠を担いだまま王を殺しに来たのだぞ。大根の葉っぱが籠から出ておった。
ディオ:一人の老人の話をうのみにしおって、何の戦略も立てず、ただの自己陶酔ではないか。
ディオ:しかし二人の命は助けてやったぞ。他の王なら首をはねておるわ。

とまあ言ったかどうか…


ディオニュシオス1世が建設したユーリアロ城の遺跡

カルタゴの攻撃から町を守る為に作られた城壁が偲ばれる

「Castello Eurialo」サイトより

ASTのバスでベルヴェデーレの町へ/入場料1人4ユーロ
時間が取れず行けなくて残念でした



なお、太宰治の「走れメロス」では、暴君のモデルがディオニュシオス二世となっていますが、ギリシャの「ダモンとピュティアス」の伝説(走れメロスと同じストーリー展開)を下敷きにしたアメリカの映画「Damon and Pythias」(イタリアでは「Il tiranno di Siracusa」)では、その背景は父親ディオニュシオス一世の治世となっていて、どちらにしても、親子二代にわたる「ディオニュシオス」という名の君主が、いかに暴虐非道な人物であったかを、こうした種々の媒体を通して私たちは知ることとなりました。

ちなみに、あのフィレンツェの詩人・ダンテでさえも彼の「神曲(地獄篇)」で、我慢ならぬ暴君として彼を地獄に突き落とす…「ディオニュシオス」の極悪ぶりは、後世でも相当目に余るものだったのでしょうね。

真っ赤に煮えたぎり流れいく血の川を見よ
あの中に暴力で人々を苦しめた者たちが
額まで浸けられてぐらぐらと茹でられている
あいつらは僭主どもだ
ここには
シチリアに悪政をしき
暴虐の限りを尽くした
残忍なディオニュシオス一世が居る


とダンテは、こんな風に…
コメント (6)
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シラクーザにて/妄想ストーリーその1.

2020年12月22日 | シラクーザ

シラクーザ・オルティージャ島にて

その昔、ギリシャ人も歩いたかも知れない…

お天気に恵まれて散策しました

2019年12月24日撮影


※当初の予定なら、今頃はイタリアのどこかの町巡りをしているのに…未練がましいですよね…

さて、平たい、さくっとしたお話になりますが…

シラクーザをはじめシチリア島には、紀元前1000年あたりから原住民が住んでいましたが、やがて人口が増え過ぎた近隣国ギリシァからの植民が始まります。ナクソス・シラクーザ・アグリジェント・セリヌンテ・セジェスタ等々、シチリア島の東西にわたってギリシャ人は自分たちの植民都市を築いていきました。



中でもシラクーザは、最もギリシャの影響を受け、同時にその繁栄も余すところなく享受します。時は紀元前8世紀。その後、瞬く間にシラクーザは、本国ギリシャ・アテナと競える程富と力を得ていくことになります。ちなみに、伝承によれば、この頃、ローマでは、オオカミに育てられた兄弟の一人、初代ローマ王ロームルスが王政ローマを建国します。何だか一からげになってしまいますが、そんな昔々…華やかな「ノルマン・シチリア王国」が歴史に颯爽と登場するのは、まだまだ遠い未来のお話です。


ギリシャ人が建てたドーリア式の堅牢な柱が今も残る
アポロン神殿跡/バンカーリ広場にて

オルティージャ島に入るとすぐ目の前に現れます

2019年12月24日


さて、古代ギリシャに建設されたポリスと呼ばれる都市国家の住人たちは、民主制の元、各々がポリスを守るべく武装して都市の防衛に当たっていました。それは徴兵制ではなく、市民の義務として自らが用意した武器によってその任をこなすというスタンスでしたが、やがてその中から、力量のある者も現れ始めます。植民地であったシラクーザでも、紀元前409年、一人の若者が、当時シラクーザと対峙していた今のチュニジア・カルタゴとの戦いで、大いなる活躍をします。彼は、その功績が認められ、三年後には軍の最高司令官になり、翌年には、ついに僭王へと上り詰めます。これがシラクーザの暴君ディオニュシオス一世の誕生です。



ちなみに、僭王(せんおう)とは、本来の王族の血筋によらない実力だけで君主になった者のことを言います。ディオニュシオス一世は、どうも弁がたち、民衆受けする話しぶりにも人々は共感を抱いたようでした。先に戦死したヘルモクラテスという軍人の娘とも結婚しますが、ヘルモクラテスはシラクーザの名門貴族であったため、一介の役人に過ぎなかったディオニュシオスはこの婚姻で、体面を保ち自身の権力を強化することにもなりました。

ディオ王:おーっそなたはkazu殿ではないか?
kazu:ハイ、初めまして~♪。
ディオ王:先般はシラクーザには立ち寄られずパレルモへ行ってしまわれたが・・・
kazu:スイマセン…あの時はツアーだったし、シラクーザはそれ程メジャーではなかったので(汗)
ディオ王:待ちかねたぞ

-続く-


余談


このバスに乗ってカターニアからシラクーザへ

コルソ・ウンベルト/エディーコラ近くにて


カターニアからシラクーザへのバスは、これまでの「FSシラクーザ駅前」ではなく、『コルソ・ウンベルトのエディーコラ前に到着する』との注意書きがバス会社のサイトにありました(2019年12月)。カターニアへ戻るバス停も同じ場所からの発車でした(2019年12月現在)。

が、以下は、バス会社のサイトですが、今見ると、2020年12月現在、注意書きはなくなっていて、SIRACUSA - Corso Umberto, 196(駅近く)とあるのでバス停は元に戻ったのかも知れません。
コメント (2)
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「走れ私!」

2019年12月25日 | シラクーザ

シラクーザのドォーモ
Tempio di Minerva


■2019年12月24日

小学校の教科書に載っていた、太宰治の名著「走れメロス」の舞台となった、シラクーザという町に行って来ました。この町は、シチリアを語る上で(私は語れませんが・・・)、とても重要な歴史を有することを知り、急遽行くことに決めたのでした。


オルティージャ島に渡ります
向こうに見えるのは、サンタ・ルチア橋


昨夜、行き方を調べたところ、さほど難しくないことも分かったので、楽勝だとばかり揚々とバス停に行きました。ネットの時刻表通りバスもやって来て、無事に現地に着きましたが、シラクーザの市内に入った途端、バスは渋滞に巻き込まれ、もうすぐ終点だというのにそこから遅々として進まない。結局、1時間以上も時間を無駄にしたことになりましたが、それでも晴天に恵まれて、町の散策はとても楽しかったです。


島内入り口にあるアポロ神殿の遺跡


旧市街になるオルティージャ島を先ずは見て回り、その後タクシーで新市街地の「テアトロ・グレコ」に向かいました。この町は、遠い昔、強国だったギリシャの支配下に置かれたことがあって、その時代の遺跡や建築物が、新旧二つのエリアに点在しています。その後の変遷にも深い歴史が刻まれていて、どこを見ても成る程なぁと感心することしきりでした。


サンタ・ルチア・アッラ・パディア教会

幸運なことに教会も開いていて
カラバッジョの「聖ルチアの埋葬」も観覧できました


そんな散策中に突然、ざわざわと胸騒ぎが起きました。それは、やがてイヤな予感に変わって来て、一体この砂嵐のような気分は何に起因するのか、ますます不安を駆り立てることになりました。


古代遺跡「ディオニスの耳」と呼ばれる洞窟
ちなみに、そう名付けたのはカラバッジョらしい・・・

少しの音でもとても大きく反響します
私は柏手を打ちました♪パンパン

この洞窟の名前こそ、あの暴君ディオニス
メロスに走れーと命じた王様
わたしも言われた気が・・・


このテアトロ・グレコの古代遺跡は思いの外、早く見終わったので、入り口で待って貰っていたタクシーの運転手さんをせかせて、今ならまだ間に合う、予定より一つ前のバスでホテルに帰ることにしたのです。


円形闘技場


果たして・・・その予感は的中して、クリスマスを迎える町を爆走することに。ため息をつくことさえも忘れて、地下鉄に飛び乗り、バスにも乗って・・・あ~又々「走れ!わたし」!!
コメント (7)
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