絵本と児童文学

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教わること教えること

2006-10-23 22:26:45 | 生活・教育・文化・社会
 月曜日が空いているとき、たまにテニスをすることがある。今日はいくぶん寒さを感じる小雨のなかやってきた。関東は気候がいっきに変わり、秋の深まりを感じる。

 現在のテニススクールに通うようになってからは、フォームの矯正を言われ続けている。それに基礎技術の繰り返しが多く、試合的要素を持った実践的メニューや試合が少ないので、モチベーションが高くならない。
 月曜日は一人なので、60分の個人レッスンとなる。個人レッスンで、メニューは基礎練習だが、この日はたのしい。それは指摘を受けることが、納得できることが多いからである。
 わたしは教えた経験が多いし今もその立場になるので、他のコーチのレッスンよりなぜ受け入れられるのか敏感に感じるのだ。

 最近はボールの打点が近すぎる、という指摘を受けることが多い。たしかに打点が近すぎると、いわゆる差し込まれて腕に負担がかかり打つボールが軽くなる。わずかでも打点を遠くにするためにどうすればよいか分からないので、なかなか改善できない。問題点だけを言われ続けては、足踏みするだけだ。
 わたしは視力の問題か、あるいは小さいときからキャッチボールの経験がないので、ボールの空間認知ができないのだろうか、などと自分なりに理由を探していた。
 視力については、自動車の大型免許を取った時と免許更新のたびに深視力というのが引っかかるのだ。前後の奥行きを判断する視力が弱いのである。これはテニスにも影響していると思う。奥行き判断の視力が弱いのに、スピードが加わるボールの打点を判断するわけだから。
 ところが個人レッスンになるコーチは、診断をして問題点はわたしのまねをするので分かりやすい。何よりも改善するにはどうすればよいかに重点をおいたメニューを提示してくれるのだ。打点が近いということもそのことの指摘ではなく、ボールを向かいいれるときのステップの仕方やフォロースルーなどの側面から改善の意図口がつかめてきた。
 それから前からうすうす気づいていたことで、最近確認できたことがある。元来の緊張タイプということもあってか、ボールを打つとき息をとめているのである。そのためラリーが続くと呼吸が激しくなり、その後のペースを乱してしまうのである。このところボレーのときの打つときは、息を吐くようにいわれている。これが定着しつつあり、かなり楽になってきたのだ。
 コーチングで大事なことは、診断し、どんな課題があるかみつけ、向上するためのメニューを提示する、ということのようである。
 学習する内容が、系統的技術があり段階を経て向上するものであっても、個人差を加味した学習メニューを用意することが必要なのである。
 わたしは教わりながら、教えることの難しさを考えさせられるよい機会になっている。