goo blog サービス終了のお知らせ 

絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

買う、もらう、借りる、返す

2004-09-10 12:57:49 | 子どもからの発見
買う、もらう、借りる、返す   (2004年09月10日 (金) 12時57分)

 会うといきなり「あれ、どうだった」というので、答えに困った。内容をつかめないでいるわたしの表情を読み取りつつ、答えを期待していた。そこで前日に借りた絵本のことだ、と気づかされた。「おもしろい!もう少し貸してね」と答えると通じ合った満足の顔に変わった。
 子どもとのコミュニケーションは、子どもが大人に寄りかかりながらするし、相手のことを考えられないので(自己中心性とでも言うか)言葉の省略が多い。状況を読み取って対応するのは、大人の子どもの内面の読み取りが重要になる。子どもはコミュニケーションで満たされることが多いと、むしろ大人への寄りかかった言い方が少なくなる。期待しながら言葉を交わすことが多くなるので、語彙が増えるだろうし安心感と自己肯定感にもつながるだろう。
 商店の多い都市部での暮らしなので、2歳の半ばごろから買うともらうの区別ができたようだ。3歳の半ばごろから、さらに借りることと返すという、所有についてわかった。借りるということがわからないときは、気に入ったものを自分で持っていったが、子ども自身が返すという行為を通して、モノの所有がわかっていった。


形の弁別

2004-08-07 06:00:19 | 子どもからの発見
形の弁別  (2004年08月07日 (土) 06時00分)

 言葉の獲得が著しいものがあります。言葉を増やし知識を拡大する、ものの関係の理解、感情やニュアンスの理解とその使い分け、自己主張、からだの動きをつくるなど、様々意味を持って言葉を力にしていきます。
■「○○いらっしゃいますか」といいました。正確に使い分けているとは思えないが、ちょっとかしこまったニュアンスで使っていることは確かでした。
 おれと言っていたのが、「かいは・・・」と自分の名前を言うことにまた変わりました。「あれ、自分のことはおれって言うんじゃないの」というと「おれとかいはちがうの」ということです。自分を押し出すニュアンスのとき、おれと言って使い分けているらしいのです。

■スイカを食べやすいようにと思って小さめに先をとがったように切ってあげたら、「ヘルメットみたいにきってたべるの」といって、がんと譲らないのです。何かと思ったら、スイカの円形を残したまま切るとのこと。3歳半過ぎから、「おんなじだ」「○○みたい」といったことを言うように、形の弁別力が育つことを反映しての言葉です。球形をサッカーボールといったものではなく、ヘルメットと比喩したことは意外でした。
 ヘルメットのように切ったものを与えたのをかぶりついて食べたが、薄く切ったものの食べきれないのはあたりまえというものです。

おれ、と言うようになった

2004-08-03 17:31:10 | 子どもからの発見
おれ、と言うようになった  (2004年08月03日 (火) 17時31分)

 最近自分のことを、おれというようになった。3歳9カ月である。
 3、4カ月ほど前に、いっとき「ぼく」と「○○です」「すみません」といった言い回しを連発していたことがあった。出会いまもなくの間だけ母親の言い回しを真似て、ちょっとよそゆきのように振舞っていたようだ。
 ところが、おれはどうも定着しそうである。「おれって、誰から教えてもらったの」と聞いたら、「トトロのかんたがいってる」と返ってきた。普通は親から教わるものと思っていたら、今どきの子どもはアニメ映画から覚えていくとのか、と考えさせられた。
 『となりのトトロ』を何回もみているらしく、そこから的を得た覚え方をしている。こうして子どもは親と共にしかいないのに、親以外からの情報で学習しているのである。子どもがメディアからの影響を受ける強さを、大人は真剣に考えなけらばならない。メディアの内容と視聴のさせ方などの環境づくりについて、子どもの発達のことを考えて子育てのあり方として方針をもって実行している親は、どのぐらいいるだろう。
 ところで昔の記憶であるが、学生時代の児童心理の授業で「3歳からは社会性が育つので、自分のことを名前に変わって、ぼくというようになる」と教わった。当時は社会性というのが幼児期の発達のキーワードだった。今は自分のことを○○ちゃんという大人がいる。ナルシズムの断片なのか、社会化するということが大人になる目標ではなくなっているからかなあ。


おやつをぶーぶーにも食べさせる

2004-06-19 21:07:09 | 子どもからの発見
おやつをぶーぶーにも食べさせる  (2004年06月19日 (土) 21時07分)

■ミニカーを手に入れて、とても気に入っていっとき手放したくないぐらいのとき。おやつを食べるとき、
「ぶーぶーもいっしょにたべる」
といった。どうするのかと思ったら、自分の前にそれを置いて食べ物をミニカーにもって行き、食べさせるかのようなしぐさをしてから、それを自分の口に運んだ。繰り返しそれをやって満足そうである。

■近所の家を、
「さいとうさんのうち、かとうさんのうち…」
と名前で言うようになった。一軒ごとの家を、仕分けをするようにったということだろう。
 公園に散歩をするとき、違う道を歩くといい、道のつながり方が分かってきている。いくつかのルート知るようになり、どこを歩くかにも興味を持ってきている。また、いつもいく店を名前で言うようになった。
 周囲への関心を持つようになり、それを言葉で理解して確かなものにするようになっている。 


説得するより、子どもの心に届く言葉を

2004-04-03 10:32:04 | 子どもからの発見
説得するより、子どもの心に届く言葉を  (2004年04月03日 (土) 10時32分)

■昼寝が遅かったので途中で起こして、次の予定された行動をうながしたときのこと。起きたがいいが、すぐに行動に移せなく立ったまま言った。
「かい、おこってるんだよ」「おこってる!」
といってそれらしい顔をして、足に力を入れて立っていた。
「怒ってる気持ち、とんでいけー」
というと、いっそう妥協は許さないといった雰囲気で、構えた。手のしぐさを交えてまた言う。
「怒ってる気持ち、とんでいけ!」
間をおいてもう一度言うと、気分転換ができて行動に移った。3歳半ばなので「・・・とんでいけ!」といった言葉が、理屈を言って説得したりするより有効と思われる。
 起こされた不快感を、「怒ってる」と言葉で表現できることに新鮮さを感じたし、この年齢としては大事なことだ。その子どもの表現を認めつつ、ゆったりと安心を与えるように対応することによって、気持ちがほくれて、もつれたりかんしゃくを起こしたりしない。自分の気持ちを言葉に置き換えられることを伸ばしていくことは、必要なことなのである。
 もしこの時「怒りたかったら、怒ってな」「何やってるの、早くしなさい」「どうして怒ってるかいってごらん」といった大人の立場からものを言い、子どもの気持ちを押しつぶすように対応をしたら、そこで子どもの気持ちがもつれて、大声で泣いたりふてくされて次の行動にさっと移行できないだろう。そして親子のすれ違った気持ちが、蓄積していくのである。

■「さっきタクシーがうろうろしてたよ」
 うろうろ、という表現を使ったので驚いて、
 「うろうろって?」と反応すると、
 「バックしたり、すすんだり・・・」
 と状況の適切な説明をした。たしかにタクシーが家の前で、行ったり来たりして場所を探している様子だった。「うろうろ」という擬態語を、いつの間にか適切に使っているのが発見であった。


ドラえもんの顔は

2004-03-21 14:32:31 | 子どもからの発見
ドラえもんの顔は   (2004年03月21日 (日) 14時32分)

■ドラえもんの絵を描くようにせがまれたので、カレンダーを切ったカード状の紙にいくつか描いた。以前にリクエストがあったとき描けなかったので、ドラえもんのさまざまな表情を描けるように準備をしていた。ドラえもんには顔の表情を端的に表現できるはずの眉毛がないため、口でそれを表すことになる。口を谷形にしたら笑顔や穏やかや表情なので、満足のようだ。ところが左右の目をいくぶん近くして口を山形(いわゆるへの字)にしたら、怒っている顔として、受け取るのを避けたいとした。幼い子どもが表情の読み取るのは、正確なものだ。幼いがゆえに、恐怖から逃れ安心を求める心理が働くからだろうか。

■ところで顔の表情は目ですると思われがちだが、眉毛が第一でその次は口なのだ。目はあくまでもそれらに付随するものだ。それが簡単に分かるのは、松井秀樹(ヤンキース)のインタビューである。彼は感心するぐらいインタビューに誠実に対応しているが、眉毛で表現をしないので、口元に注目すると彼の心境を読み取ることが出来るのだ。

■ついでに顔に関する絵本を、2冊紹介することにする。
『かおかおどんなかお』(柳原良平作 こぐま社 88年1月発行)
「かお」から始まり「かおにはめがふたつ」、「はなはひとつ」、「くちもひとつ」という具合に顔の成り立ちを進めて、「たのしいかお」「かなしいかお」と顔による感情表現が展開される。作者は、表情を目と口と顔の形で表現している。顔の表情に即して、その雰囲気を出す色にも工夫している。幼い子どもに分かりやすい。
『かお』(おぐまこうじ作 くもん出版 03年2月発行)
黒いサインペンで、いわゆるマンガのように描かれている。「わはははわらったかお」といったように擬態語も交えた言葉に、主として眉毛と口で顔の表情をさせている。感情や気持ちによって、目も変わるが顔の形が四角や三角にさせながらデフォルメした表現をさせている。「だいじょうぶ?のかお」や「しんぱいしてくれてありがとう」といったように、顔による感情表現にととまらず心理表現もあつかっている。この絵本を通して、子どもは自分の感情や心を自覚するヒントにもなる。その意味では小学生も手にとってもよい絵本である。

■庭に来る野鳥が、えさをついばんでいるのを見てのこと。
 「ちゅんちゅん、ごはんたべておっきくなるんだよ。みかんだけじゃだめだよ」

■「かいがうまれたとき、ふうちゃん(妹のこと)はどこへいたの?」
 「いなかったんだよ」
 「・・・・・・」
 「ねんねしていたの?こっちのうちにいたの?」


バリエーション表現技法の、絵本の読み語り

2004-03-09 15:36:40 | 子どもからの発見
バリエーション表現技法の、絵本の読み語り   (2004年03月09日 (火) 15時36分)

 時には絵本の読み語りをするが、ロングセラーである『おおきなかぶ』(内田梨沙子再話、佐藤忠良画 62年福音館書店発行)を読んだ。とっかかりはあまり興味を示さなかった。すでに「あんぱんまん」「プーさん」「ミッフィー」そして最近は「ドラえもん」というキャラクターが、子どもに入り込んでいるので、それらとは異質の絵ということもあろう。
 この絵本を3歳の一人の子どもに読んでいて気づいたことは、作品がぎりぎりまで省略をしていることである。そのシンプルさによって、子どもが絵本に主体的に向かえるし、想像力をかきたてると、改めて感心をした。それにストリーが、助けを求めて増えていくという、いわば「添加」のバリエーションの表現技法が、2回3回と繰り返して読むごとに、子どもに余裕と安心を与えることも再発見したものだ。場面によって高揚したらほっとしたりして、読み終えた後余韻を楽しんでいるようでもあるのだ。
 別な日に『三びきのやぎのがらがらどん』(マーシャ・ブラウンえ、せたていじやく 65年福音館書店発行)の読み語りをしようとしたら、いやがった。やはり「かわいい」キャラクターと比べて怖いと感じたのではないか。その感覚は80年代に学生にこの絵本を紹介したときに、「絵がかわいくない」といった反応したことから推測してみた。ところが一度読んだら気に入った。さすがに名作だけあって、子どもの気持ちの高揚感が伝わってくるほどだ。これも橋の下にいるトロルを、がらがらどんが「通過」するバリエーションの技法で表現されている。子どもに予想を可能にし、そのとおり展開されるため期待と高揚感をつくる。いっときのその世界から解き放たれたとき、やはり子どもはほっとするのだ。
 バリエーションという絵本の表現技法は、コミュニケーションと安心を与えるという意味で、子どもに対してすごい力を持つものなのだ。
 

はさみを使う

2004-03-01 14:46:13 | 子どもからの発見
はさみを使う  (2004年03月01日 (月) 14時46分)

 はさみを与えたのは、2歳10カ月頃だったろうか。はさみは小ぶりだが、大人が使う切れ味のよいものだ。5色の色画用紙とスティクのりを用意した。はさみをもった手を握る動作がせいいっぱいなので、1回切るだけである。紙を1回の動作で切りとれるように、3~4センチぐらいで横長にしたものを与えた。切るという作業の達成感の体験につなげるためである。1回切るごとに両手ではさみを広げては握る動作をし、切ってはおもしろがった。
 切った紙をスティクのりで貼り付けた。スティクのりは色つきのものなので、塗ったところを確認できる。とはいってもこの年齢では、塗るというよりたたくような動作のためまんべんなくのりがつかないが、何とか貼り付けられる。貼り付けたのは切ることと連続した作業となるためであり、なにか作品のようにすることを期待したのではない。画用紙が入るぐらいの箱には切った画用紙がたくさんになったが、作業が終わってのかたづけもそこにすべてが収まった。
 ところで久しぶりに「はさみできる」と言い出したのでやってみた。横長に切った画用紙を与えたりする条件の配慮はしないでみた。利き手である右手(2歳すぎから右の使用頻度が多くなった)ではさみを持ち、左手で画用紙を添えて持って作業をした。握って切ると、その状態で刃を広げて次の切る動作に移れた。前にだけではなく横にも切り、時には手前にもはさみを向けて小さく切った。本来は前にだけ切り進むのを基本としたいもの。添えている指にはさみの刃がさわったら止めて、左手の画用紙を持ち直して切った。その瞬間は動作をとめて真剣な顔になった。それを2~3回体験しただろうか、慣れてきたらはさみと指の距離を保つようになった。試行錯誤をへながら技術と安全な道具の使い方を獲得いていく様子がよく分かる。
 のりをつけるのは、同じ力で横に引きずるという塗ることが可能になっていた。クレヨンで線を描くのができるようになったのと同じ動作である。
 この年齢の5カ月というのは随分成長するものだ、と改めて実感した。はさみを使うことは、この後は作業を繰り返すことによって習熟していくだろう。はさみの受け渡しや持ち運びなどある時期に教えて、道具の扱い方をマスターしていくことになる。
 今後私が興味を持ったことは、はさみを連続してきり進められるようになるのはいつ頃からかということ。それに片面だけ色つきの紙の貼り付けについてである。白いほうを表にしたかったようだが、白いほうにのりを塗ったので色つきの面を貼ったことになった。本人はそのことには無頓着であった。モノには面があり、それをある目的のために見通しをもってどう扱うかという思考がどういう体験を通して獲得するのだろうか。
 そういえば1歳半ぐらいだっただろうか、空き缶に水を入れるとき、水の入ったものを缶の上に置いたことを思い出した。今では、こぼさぬよう注意をはらって入れられるようになっている。


ドラえもん

2004-02-28 06:45:16 | 子どもからの発見
ドラえもん   (2004年02月28日 (土) 06時45分)

■どのようなルートか定かではないが、ドラえもんに興味を持ち出している。画用紙にクレヨンで、大きな丸二つを対称に描き、その中に小さな丸を書いた。その中央の下に線を描いた。描いてから「ドラえもん」と言ったので、ドラえもんの顔を描いたのだ。顔の輪郭は描かなかったが、目と唇を描いたのだ。
 それまで点をたくさん描き横長の丸い線を結んで「おいも」と言っていたのからすると、飛躍したものだ。ぼくに「ドラえもんかいて」と言ったので描こうとしたが、まったく思い浮かばない。知っていそうで、自分の興味に取り込んでいなかったことに気づかされた。しょうがなく同じように目と唇を描いて顔の輪郭でかこった。そしたら「りんご、りんご」と言った。あごの部分がりんごの下の線にそっくりになっていたことに気づかされた。

■またドラえもんのことを言うときは、声を高くして喉にかかるように出す。明らかにドラえもんのアニメの声を真似ている。そういえばこのところ、ときには高い声か裏声(声がひっくり返るようになる)でしゃべるようになった。どうも自分の言いたいことを伝えようとしたときになるみたいだ。自分の感情表現が声の質の変化にも結びつくようになる兆しかもしれない。また時々「すみません」「しつれいします」「・・なもんで」とお辞儀を加えながら言うことがある。言葉や声を親の真似をしているのだ。


薪ストーブは「きがあついね」

2004-02-23 10:50:07 | 子どもからの発見
薪ストーブは「きがあついね」  (2004年02月23日 (月) 10時50分)

■薪ストーブの木が燃えてる火を見て「きがあついね」といった。マトを得たおもしろい表現だ。
言葉が目に見えるモノや自分の欲求をあらわしていたのが、3歳頃から言葉だけの機能をもつものとして使うようになる。自分の言葉によって他人が行動したり、見えないことを言葉で言うことを身につけていくことは、子どもにとっては大変な出来事だろう。そのような言葉の力を獲得すると、モノの擬人化や比喩的表現を出来るぐらい言葉をあやつるおもしろさを体験して、考える手段としての言葉にもなっていく。

■家の屋根から全体を眺め、「かいのうち」「かいのうち」と確信ありげに繰り返した。周りの風景を見るようになったことと、他と区別した自分の所属の意識の芽生えか。そういえば、関心のある近所の車や大型バイクを2歳半ぐらいから触ったりしなくなった。

■自分のことを「かい」といっているが、ときには「ぼく」と言うこともある。モノを「かりる」というようになり、所有の意識がはっきりしてきた。2歳10ヵ月ぐらいからだろうか、店で「かう」ということが分かったとき、「もらう」と区別するようになった。時々「・・です」といった言い方をする。