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絵本と児童文学

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広場でのサッカー

2004-02-02 14:13:19 | 子どもからの発見
広場でのサッカー  (2004年02月02日 (月) 14時13分)

 風が冷たいものの、いい陽気である。広場に、サッカーをしに出かけた。とはいってもぼくがやるためではなく、近くに住む3歳2ヵ月の海と一緒である。3号ボールを初めて外で使う日となる。
 広場は1000坪ほどだろうか、大人がソフトボールをしていた。隅の方を使って、ぼくはゆっくりボールを押し出すようにドリブルをして一緒にやるように誘発するが、「サッカー」と口ずさんでそれらしいフォームをしてひたすら走る。ボールを時々足で触るそぶりをしながらなお走る。
 海はすでにテレビでサッカーを見ているためか、サッカーは走るものと象徴的にとらえているようである。ときおり「ニッポン、がんばれ」ともいう。テレビで得たサッカーを、ごっこのように再現しているのである。ぼくのやろうとしていたことでは、数回ボール交換しただけだったが、初回だからやむをえない。完成度の高い内容の映像再現としてのごっこではない、ボールを扱うおもしろさをどう体験させていくか、考えていくことにした。現実をみようみまねで獲得することの方が子どもの力になるものだし、子どもが映像から学ぶことを内容によっては過信してはいけないと考える。
 顔が紅潮したのを見て上着を脱ぐようにうながしたら、ぼくにも上着を脱ぐよう言った。ちょっと寒かったが脱いだ。ぼくの上着を自分の脱いだ上着のそばへ置いて、いっそう共感的感情が生じたようだった。
 途中で空を見上げてジェット機の雲を見つけて「はしごだ!」といったので、一瞬意味がわからず反応が遅れたら、「消防車のはしごとおんなじだ」と付け加えた。なるほど飛行機雲は2本線だった。「おんなじだ」というのは、3歳ならではの形の弁別に関心を持つ特徴を現しているということだ。
 また「どうしてサッカーするの」とも聞かれた。「いい天気だからだよ」と即答したが、その答えでよかったか迷っている。いい天気の日はサッカーをする、と思ってしまうかもしれない。「ぼくがやりたいからだよ」と言えば、ぼくの呼びかけでサッカーをするとなるので、その方がよかったかな。
 この「どうして」というのは、しばらく接触がなかったのにぼくが呼びかけたことにもよるだろうが、5歳頃までは何かにつけて「どうして」を連発することになるだろう。言葉を考える手段として使えるようになることであり、対応は大事にしたい。その場しのぎで関心をそらすのではなく、さりとてすべてを説明し尽くすのでもなく、理解できる範囲にとどめながら、場当たり的ではない一貫性をもった対応が必要だろう。内容によっては秩序の形成になるものも含んでいるので、大人自身のあり方が問われることでもある。
 ぼくは70歳を越えただろうお年寄りに目がいくが、ソフトボールに加わっていた人がいた。広場の枝打ちをしていた人、ウォーキングの人、ベンチにすわって辺りを眺めている女性は、海に話しかけてきた。
 ひろった石を大事そうにポケットに入れ、大仕事を終えたような気分で帰路についた。住宅地の道を歩くのだが、車が通るときは端によって立ちどまって通過を持つ。これは1歳過ぎからの散歩の際、自転車、バイク、車とすれ違うときに立ち止まったことが定着したのである。子どものテンポに合わせて歩いて10分ほどで家に着くと、母親に得意げに何かを告げていた。

<近所に住んでいる子どもと交流したとき、これを通して発見したことを随時綴ることにする。>