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昭和のプロレス:先輩は後輩に学ばず

2022-06-03 06:29:19 | 日記
疑惑の判定

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を盛り立てた脇役達を
振り返っています。
今週登場するのは「恐竜、ルーク・グラハム」です。
 1965年3月に初来日して日本プロレスの新春国際試合に出場、
そのまま4月開催の第7回ワールドリーグにも出場しました。
 193cm126kgの堂々たる体格と25歳の若さを武器に活躍が期待
されましたが、結果は無惨。
1勝もあげられずに全敗のまま途中帰国し、ダメ外人の烙印を押されて
しまいました。

 ところが帰国後に何故か大化け、日本マットと縁の深いロス地区で
WWA世界王者に輝きました。
 実はこの王座、豊登とペドロ・モラレスが日米で王者を名乗る混乱
状態にありました。
その最中にモラレスから王座を奪ったグラハムが豊登と統一戦を行う
展開になったのです。
 9月8日にオリンピック・オーデトリアムで行われた試合は豊登が
2対0で勝利しましたが、経緯が不透明。
グラハムの抗議で20日に再戦が行われましたが、1対1で迎えた
3本目がまたも不透明。
 逆エビを決められたグラハムがロープを掴みエスケープ、しかし豊登
は技を解かないために反則負けの判定。
両者が勝利を主張したまま豊登は帰国し、WWAはグラハムを正式に
王者に認定。
 一連の混乱試合の結果、日本のファンには「グラハム、たいした
こと無し」の認識が広まったのでした。

ハンセンとの比較

 その後3度の来日を経て81年2月に国際プロレスに登場。
1月に行われたテーズ杯前期リーグに続き、2月27日から始まる後期
リーグに出場したのでした。
 顎髭を生やして赤いバンダナに市松模様のタイツを纏って入場するグラ
ハムは、若干たるんではいるけれど41歳としては元気溌剌に見えました。
でも試合ぶりは正直言って低調なもの。
 大ぶりのパンチに力のこもらないチョーク。
歯を当てただけの噛みつきの次に頭突きをすれば痛みで自分がのけ反る
始末です。
最後はパートナーに誤爆されてフォール負け。
典型的な「ダメ外人」の試合を展開したのでした。

 この頃日本で人気が高かった外人レスラーのひとりがスタン・ハンセン。
グラハムとほぼ同じ体のサイズながら動きが俊敏、予測不能な攻撃が信条
でした。
日本のファンは予定調和の動きには飽きていたのでハンセンの人気は急上昇。
 テーズ杯に出場したマイク・ジョージとレイ・キャンデーは後に新日に
転出しましたが、グラハムには声も掛かりません。
体力面ではまだまだ十分に通用したはずですが、あの試合ぶりでは。
 もしもハンセンの成功に学ぶ意識があったならば、巨体を生かした魅力的
な動きができたかもしれません。
しかしこのシリーズが最後の来日になってしまったのでした。
 
コメント
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