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昭和のプロレス:元祖「逆転劇」

2022-06-24 06:29:29 | 日記
3人に負け

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を引き立てた脇役達を
振り返っています。
今週は力道山に花を持たせるために「逆転劇に甘んじた、レオ・ノメリーニ」
です。
 1952年2月3日、力道山はプロレス修行のためにハワイに旅立ちました。
そこで18戦を行った後、6月10日にはいよいよアメリカ本土に上陸。
翌年の3月6日羽田に帰国するまでに幾多の試合を経験しました。
 記者会見では「今回の遠征では数多く戦ったが、シングルで負けたのは
たったの3回」
 ハワイでタム・ライスに、本土でフレッド・アトキンスに敗退。
そして出発からちょうど1年を経た53年の2月3日にサンフランシスコで
戦ったのが現役のフットボーラーでもあったノメリーニ。
強烈なタックルの前に敗れたのでした。

 雪辱を果たすべくノメリーニを日本に呼んだのは60年4月の第2回
ワールドリーグ。
 15日の開幕戦でサニー・マイヤースと戦ったノメリーニは引き分け。
16日には160kgの巨漢のモンタナを破り、17日にはタッグながら力に
勝利しています。
 23日にはいよいよ力との公式戦を行い時間切れ引き分け。
予選リーグの結果は力が8勝2反則負け2引き分け、ノメリーニが10勝
1敗2分け。
5月13日の東京体育館での決勝戦で戦うことが決まりました。

アクシデントで決着

 当時のノメリーニは途轍もない看板を背負っていました。
936連勝中だったテーズに反則ながら55年に勝っていたのです。
 その2年前に800連勝を記録していた頃のテーズと力はロスで戦っています。
結果は投げっぱなしパワーボムで屈辱の試合放棄。
 だから互角に戦って勝利したノメリーニが如何に凄い選手かは身をもって
感じていたのです。
となれば決勝戦で無様な負け方をさせるわけにはいきません。
 1本目は殺人タックルからのボディプレスでノメリーニが先取。
2本目は空手チョップで反撃した力が巻き返し。
3本目は再び殺人タックルを浴びせんとロープに飛んだノメリーニ。
 反射的に力はマットに身を伏せました。
それを飛び越えんとしたノメリーニは目測を誤って力の脇腹に躓きリング
下に転落。
衝撃で悶えるノメリーニはとうとうリングに戻れず、5分27秒にリング
アウト負けが宣せられました。

 得意技で徹底的に痛めつけ、勝利を目前にしながらもアクシデントで
敗者になったノメリーニ。
一方看板シリーズで期待通りに優勝を果たした力道山。
共に実力者の名声に傷を付けずに勝負を終えたのでした。
 力道山は多くのものを日本のプロレスに残しましたがこの逆転劇もそのひとつ。
得意技で見せ場を作り、同じ攻撃でとどめを刺そうとする裏をかく作戦。
外人スター選手の顔を潰さずに自身が勝利する方法を遺産としました。
 馬場対テーズ、小林対ゴードン・ネルソン、昭和のプロレスでは何度も
このやり方が再現されたのでした。

コメント
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