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昭和のプロレス:生涯のライバル

2022-06-10 06:29:39 | 日記
機動隊40名

 ディック・ハットンと言えばルー・テーズを破って第41代NWA
チャンピオンの座に就いた実力者。
アメリカマットで主役を務めましたが、日本では脇役。
テーズの添え物みたいに扱われてしまいました。

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を支えた脇役達を振り
返っています。
今週は「テーズと互角、ディック・ハットン」です。

 日本にやってきたのは62年の第4回ワールドリーグ。
テーズ、ブラッシー、シャープ、オースチン、アトミックの豪華絢爛、実力
者揃いの中、元NWA王者のハットンはテーズと共に優勝候補の最右翼でした。
 テンガロンハットにジーンズ姿、188cm110kgのハットンは4月
20日の前夜祭のマットに上がり、力道山とのエキシビションに臨みました。
 ちなみにこの日の会場には40名の機動隊、25名の東京消防署員が動員
されていました。(日本プロレス70年史 より)
ブラッシーの狂乱ファイトに備えたのです。
 翌週27日のテレビ放送を見た6名の高齢者が流血試合にショックを受けて
死亡する凄惨な事故が起きています。

 5月2日にハットンは長崎でテーズと対戦、終了間際にコブラツイスト
を決めましたが惜しくも時間切れの引き分け。
10日には大阪で翌日の力との対戦を賭けてブラッシーと対戦、勝利を
収めて11日の対戦に臨みました。
 この対戦はカナディアンバックブリーカーに担ぎ上げたハットンが1本目
を先取。
2本目も同じ技を決めますがバランスを崩してリング下に転落しカウント
アウト負け、負傷して3本目は試合放棄に終わっています。
 16日には岐阜でテーズと再戦し、フライングボディシザースに敗退。
25日の決勝戦で力がテーズと戦うことを許してしまいました。

全くの互角

 日本ではそれまでに幾度もやってきていたテーズの知名度の方が圧倒的
でしたが、本場のマットでは甲乙つけがたい戦績。
 ふたりの対決は54年のオハイオ州で始まりました。
この時テーズ38歳でハットン30歳。
 その後の2年間に11回対戦し戦績はテーズの4勝7分け。
12回目の対戦にしてハットンがコブラツイストでテーズに初勝利。
 57年11月14日の選手権試合ではハットンが勝利して第41代NWA
王座を獲得。
この座は59年の1月にオコーナーに敗れるまで保持しています。

 テーズとの対戦はその後も16回続き、こちらはハットンの9勝5分け
2不明の結果。
最終的に両雄の戦績は12勝12敗15分け2不明試合と全くの互角です。
(昭和プロレス激闘史 より)
 日本ではテーズの陰に隠れがちだったハットンですが、アメリカマット
では本領発揮でテーズに引けはとりません。
 惜しむらくは1度しか日本に来てくれなかったことでした。


コメント
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