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昭和のプロレス:偽物にあらず

2022-06-17 06:29:49 | 日記
パンフの紹介記事

 イワン・プトスキーは本場MSGで人気を博した大物レスラー。
その名は日本にも届いて「まだ見ぬ強豪」として来日が期待されました。
 1980年には第1回MSGタッグリーグ戦にアンドレのパートナーと
して来日が発表されましたが諸事情でキャンセル。
その後は来日が計画されず、とうとう一度も日本マットに登場しないまま
で終わりました。
 ところが同じ名を名乗るレスラーが新日本マットで活躍した記録が残って
います。
はてさてことの真相は?

 「甦れ!金曜8時の昭和のプロレス」では主役を輝かせた脇役達を振り
返っています。
今週は「筋骨隆々、イワン・プトスキー」です。

 初来日は72年9月の国際プロレス。
この時はリック・フェララを名乗って登場し、2年後にプトスキーに名を
変えて新日のゴールデンファイト・シリーズにやって来ています。
 このシリーズの主役はタイガー・ジェット・シン、二番手がヘスと
ショッツのドイツコンビ。
それに続く番付がプトスキーでした。
 当時のパンフレットにはこう紹介されています。
<リッキーの名で日本のリングに登場しているがリングネームを変え、
ファイトスタイルも一層荒っぽさを増した。
アメリカでは小型クラッシャーと言われ、その爆発的なファイトはリング
に新風を吹き込む。>
 よくあるパターンのありきたりな紹介記事です。

ほぼ同じ体型

 5月24日の足立区体育館での開幕戦では第5試合で登場し魁と対戦、
7分29秒に逆片エビで勝利を得ています。
とは言え、第4試合までは日本人若手同士の対戦カード。
シリーズ最初に登場する外人レスラーがプトスキーとは、期待されていた
のか諦められていたのか、判断に苦しみます。
 29日の盛岡大会ではメインで猪木とシングル対戦し、15分51秒に
弓矢固めで敗退。
 31日の八戸大会と6月4日の青森大会ではいずれもメインのタッグに
登場しますが、負け役は全てプトスキー。
この頃になると新日の評価も定まった感があります。
 77年のゴールデンファイト・シリーズにはリックの名で新日に再登場。
シリーズ中に9回のテレビ中継がありましたが、リックが映ったのは6月
17日の長州戦のただ1回だけでした。

 何やらプトスキーを名乗る偽物のにおいがプンプンします。
本家はポーランドの童話の怪力キャラクターをヒントにした175cm113
kgの怪力レスラー。
 日本にやってきたのは173cm105kgのフランス人。
となると本家の人気にあやかったまがい物と断じたくなりますが、真相は
違いました。
 <1960年代末からポーランド人のイゴールと組みイワン・プトスキーを
名乗っていた。>(ミック博士の昭和プロレス研究室 より)
それが日本にやってきたプトスキーの経歴。
68年にデビューし70年代初頭に頭角を現す本家の、実は先を行って
いたのでした。

コメント
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