週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#136 -’18. Schindler's list - John Williams - NL orchestra

2018年05月14日 23時40分56秒 | 音楽
若かりし多感な時期にアンネの日記を読みました。
その後、映画にもなりましたからご存知の方も沢山居るかと思います。
ナチスに拠って民族浄化(ホロコースト)の苦難の道を歩んだユダヤ人。
ドイツ第三帝国としてゲルマン民族(ある意味近隣国と多民族要素を持つ)の団結を強固にする為にユダヤ人として嫌われている民族を敵として祭り上げたのです。
為政者が団結を呼びかける時に良く使う汚い手法です。
アムステルダムに行ったとき、アンネ・フランク一家が隠れ住んでいた家を見に行きました。
事前に予約しないと入れない事は分かっていましたが、徒歩で行ってもそれほど遠い距離ではなかったの行ってみましたが、予約でも列ができているので直ぐにわかりました。

シンドラー・リストの映画のテーマ曲(ジョン・ウイリアムズ)をオランダ交響楽団による演奏と、そして素晴らしい、ストリングスを奏でるシモーネ・ラムスマ。
オーボエを奏でて、涙を流しながら最後まで演奏しきるダビダ・シェファーズ感動編です。
英語のサブタイトルでは、娘の18歳の誕生日です。
娘にあこがれの舞台を誕生日に聴かせることで感極まったと英語のサブタイトルでかかれています。
でも、ダビダの涙に関しては私は異なる考えです。
ダビダがユダヤ人か否かは分かりませんが、18歳の誕生日の娘とユダヤ人のアンネ・フランクが重なりシンドラーのリストで感極まったと思っています。

涙は嬉しくても、悲しくても流れますが!

この演奏を聴いたあなたは?



Schindler's list - John Williams - NL orchestra


兄からか姉からか廻ってきて読んだアンネの日記が思い起されます。

追記です。
三年前の5月に美しいベネルクス三国とチューリップ見たくてお邪魔しました。
アムステルダムの自由時間で家内と二人でアンネ・フランクの匿われていた家と宮殿と東京駅丸の内口のモデルと成った言われているアムステルダム中央駅を探索しました。

運河です。
撮影は全てスマホです。




アンネ・フランクと書かれているのが分るでしょうか。
一般の建物ですから外見上は特筆すべき事がありません。

コメント (4)
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§ 日本人は異星人也や?(首相案件なんら問題無しです。)

2018年05月14日 14時56分51秒 | たわごと(少し硬派に振って)
     『世界の常識をわきまえない、悪い意味での異星人の如くの日本人の続きです。』
日本国民全員に問いかけしたいですが、私のブログではそれ程の訪問者もおりませんので尋ねることが叶わないのが残念でなりません。

首相案件て、いけない事ですか?
世界の政治からすれば何ら問題はありませんし、日本であっても何ら問題ではないはずです。
日本の国民の思考回路では首相案件とはいけないことで、首相が指弾されるされるべきことですか?
ここまでが皆さんへの問いかけです。
私の考えは追って、述べます。


私の見解です。
ご存じの通り日本では大統領制ではありません。
議院内閣制の下に議会たる国会において内閣総理大臣が指名されます。
国民から直接に選出された大統領とは違う国会からの指名即ち信任を受けて内閣総理大臣として国の行政を司るわけです。

国が進むべき国際政治、国内政治など政策から予算の裏付け迄総理の意思が反映されるのです(されるべきなのです)。
それは指弾されるべき事でも何でもありません。
所信を示し、総理の意思に基づく案件である事など全く持って問題ありません。
非難される謂れなど何も無いのです。
いつの世から首相が上意下達で国の政治を指揮してはいけなくなったのでしょうか。
まるで、諸外国では当たり前のトップダウンが政治的に指弾される歪んだ事と決めつけるマスコミとその事に対して何らの疑問も抱かない自分の意思(考える過程)を持たない国民。
そんな事だから、末梢の事でG20の会議を蔑ろにしたり、先日の日中韓の首脳会談が殆ど話題にもならずに軽んじられるのです。
総理案件との事で私自身は法的にも政治的にも常識的にも何ら問題無い事だと思っています。
経済政策でも国内政策でも首相が自身が考える政策を実行する事に何ら憚る事は無いのです。
首相は自分の政治的な行いについて国民の意思を問う時は、衆議院を解散して信を問えば良いのです。
議院内閣制ですからそれ以上でもそれ以下でも無いのです。

勿論、その前提として総理の意思決定の過程で違法性が無い事です。
総理案件として獣医学部の新設を規制しているのは、法律でも何でもありません。
日本では何の法的立法権限も無い行政機関が行政指導との名の下に行政内閣と揶揄される権力を行使しているのです。
今回の獣医学部の新設も既得権益を持つものを利するだけの制度でしか他なりません。
なのに、経済特区など特別の力を借りねばその既得権者の権益を削ぐことが出来なかったのです。
今回の事で不幸だったのは、安倍総理が本質論でマスコミ等に反論できない弱みがあったのです。
それが、友人であるとの事です。
友人ならそれこそ10数年も獣医学部の新設についてほったらかしている筈はないのです。
友人だからと言って、特別な配慮は何も見つかっていませんし、これからも出てきません。
今までの秘書官との面会も陳情と言う意味からすれば、日常的に普段から行われている事で何ら問題無いのです。
その陳情の席で札束の入った茶封筒を届けた訳でもありません。
首相案件と述べようが、総理の意向と述べようが総理の所信を表す事に何ら問題無いのです。
何の違法性も出て来ないのに、末梢の事で非難するマスコミと野党です。
そして、自分の頭で考えることを放棄している人達です。

言いたい事の全てを書く時間が有りませんのでここで一旦アップします。


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