世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

小沢一郎の長い道のりが始まる 奇をてらわず、哲学性に満ちた理念を語り切れ

2013年01月26日 | 日記
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小沢一郎の長い道のりが始まる 奇をてらわず、哲学性に満ちた理念を語り切れ

 小沢一郎の腹は固まったようだ。「腐っても鯛」、「沈丁花は枯れても香し」等と云う諺があるが、筆者は小沢一郎の政党は、それで良いのだと思う。“オリーブの木構想・国民連合”など、筆者も賛同した一人だが、具体性に欠けた夢物語を語っていたに過ぎないと、強く反省している。小沢は25日の国民の党代表就任の挨拶の中で、「自分自身、心から強い責任を感じている」と云う発言は、突如、嘉田由紀子を担ぎ出し、日本未来の党を演出した戦術の誤りと、儚いオリーブの木構想を考え、多くの同士に苦渋を舐めさせてしまった反省と謝罪が籠められていたと確認する。

 具体的党名は語らなかったが、日本維新の会が自民党の補完勢力である、と改めて再確認したと云う点は正しいと考える。みんなの党も結果的には、維新同様、自民党補完勢力の方向に走っている事実も小沢の腹を決める、事実関係だったと言えるだろう。現状の政治権力情勢を考えれば、「生活の党」が今夏の参議院選で、自公政権に対抗する政治勢力となるとは考えにくいのが現実的だ。しかし、憂うることはまったくない。自民党にしても、維新にしても、みんなの党にしても、彼らが信じている“市場原理主義”が時代遅れである事は、世界の潮流が示唆している。

 EUの共同体思考といい、米国のオバマ大統領の医療保険制度改革(オバマケア)に象徴される共同体としての“共助の姿勢”などは、欧米の国家の在りように関する示唆的流れである。昨日のコラムで言及したが、先行する経済のグローバル化に遅れること二周半で、政治(国家)が青息吐息で追いつこうとしているのが、今の先進諸国の思考的潮流である。そのような先進国の潮流の中で、“市場原理主義”的な発想など、本来生まれる理屈はないのだが、既存の勢力にとって、単にその方が都合が良いと云う、近視眼的ものである事は俯瞰的にみて自明だ。

 しかし、一定の国民には、近視眼で個別対応する政策の方がわかり易く、マスメディアの利益とも合致するので、政治闘争としては有利な立場である事は言うまでもない。100年、500年先の日本の姿に、思いを馳せる有権者がどのくらいいるのか、考えただけで身の毛がよだつわけだ(笑)。だが、既存の利益集団だけが利を得るアベノミクスや維新などの市場原理主義が、80%を占める一般庶民に過酷な結果を齎すことが理解された時点で、日本の政治勢力図は劇的な変化を生む可能性は残されている。

 現時点で、「生活の党」が掲げる“自立と共生”の政治理念や、掲げる政策の一つ一つがインパクトに欠けているのは、丁寧にして具体的なわかり易い説明が、かなりの点で欠如している事である。経済にしろ、外交安全保障にせよ、社会保障、税制、地域主権にせよ、余程の勉強家でなければ、その想像図を政権選択時に思い描くことは不可能なのである。小沢自身でも良いのだが、生活の党が行おうとしている一つ一つの政策が実現した場合、自分達の生活がどのようなものになるか、スト―リが思う浮かばない限り、強い支持を得ることはないだろう。

本来であれば、小沢の理念や政策を意訳し伝える伝道者が側近にいれば良いのだが、どうも今ひとつ適任者は不在のようである。逆に言うなら、小沢一郎の描く将来像を、充分に理解し、咀嚼しきれていな感もある。たしかに、小沢一郎が描いている日本の将来像は壮大であり、極めて哲学性を帯びている。側近に、これと云う人物が不在であるなら、自ら“噛んで含める如く”自説を説く骨折りを行うしか道はないものと考える。議員らに「そんなこと自分で考えろ」方式では、メディアの連中もムッとするだけだし、まして国民にはチンプンカンプンなものになる。特に、無党派層を対象とした語りかけが重要だ。

  結果的に、政治理念や政策をまったく理解されずに、ズルズルと凋落してゆくリスクを抱えている。小沢は、自らも“教育”の重要性を語っているのだから、小学生でもわかる事でも、質問されたら丁寧に答えることが、ネット時代と認識するならば、必須である。たしかに、記者クラブ連中の質問もクダラナイが、フリーのメディアの質問も、どこか抽象的に過ぎる。両者に期待出来ないのであれば、質問を仕込んでも良いのではないだろうか?記者クラブの記者連中と政権側が常に行っている分業のようなもの、真似ても罪にはならないだろう。百術は一誠にしかずと怒鳴られるかもしれないが、背に腹は替えられない。

  「増税する前にやるべきことがある。具体的には地域ごと独自に地域に合った政策が打てると云うことだが、その知識や実行力にまだら模様が生まれると思うが、その修正はどのようにするのか。また、地域に自主財源を回すことで、国家財政がどの位圧縮できると考えているのか」とか、「福島原発事故が収束してないことは勿論だが、それでは、生活の党は、コンクリートの中で今も溶融している核燃料をどのように処理しようと思っているのか」とか、「外交安全保障において、中国の尖閣へのチャチャ入れ、どのようなスタンスで収束させようとしているのか」とか、「日本の経済はGDP成長主義で今後も行くのか。現状で日本の経済成長が可能と考えているのか、或いは地域主権になって、国家全体の経済成長規模をどのように見ているのか」等々、突っ込んだ質問がなされ、それに小沢代表が丁々発止と答える映像はインパクトがある。

 “仕込み”はいかんと云っても、政治理念を正確に国民に伝えるのは、政党の重要な役割だ。その為のプロパガンダは、いい意味で駆使すべきだろう。何ひとつ理解されずに野垂れ死にするのは、あまりにも滑稽だ。最終目標が政権奪取であるのは当然だが、時代に即応した記者会見の演出も、ネット時代に必要なわけで、小沢一郎がムッとするような質問を吟味する、その質問に嫌になるほど熱心に説明する代表の姿。こう云うものが今後求められると思っている。マニュアルに頼る生き方をする国民を生みだしたのは、小沢を含む過去の為政者の咎めであり、その咎めを、一番不得手な政策に関する“噛み砕いた説明責任”で政治家のイメージを変えて貰いたいものである。

 勿論、そのような努力だけで、“功成り名を遂げる”とはならないだろう。現状の政治勢力は、生活の党に極めて不利だ。多くを望む戦略はさておき、確実なものを確実に入手し、プラスアルファーを目指すべきだろう。その為には、直近の参議院選にばかり焦点を当てることなく、次なる闘いに備え得る勢力の維持も大切なことだと考える。運が良ければ、アベノミクスが参議院選前に欠点を露呈する可能性もあるが、テクニカルな手法で当座を乗り切る可能性の方が高い。故に、自民党勢力に変わり得る政党勢力の地道な伝道が必須なのである。筆者は、早くて安倍政権が躓き、次期衆議院総選挙までは、小沢一郎の壮大な哲学性に満ちた政策論を語り切ることが非常に重要だと考えている。労を惜しまず、実生活者が共鳴できる、判りやすい説明
をどうすべきか、その手法を真剣に考える段階に入っている。その肝は、適切な質問と云うワードだ。

歴史が後ずさりするとき――熱い戦争とメディア
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