世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●中国に断トツに引き離される日本経済 どうする日本?

2019年04月09日 | 日記

 

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●中国に断トツに引き離される日本経済 どうする日本?


筆者は後20年生きている可能性は半々だが、このままの経済成長が続くと、2040年には、中国のGDPは米国の倍、日本の10倍になるそうである。


*参考グラフ


(科学技術白書から引用)


嫌中(対中コンプレック)な精神構造が強い、日本政府や日本人にとって、この予測は不快極まりないもだが、若干の調整はあるとしても、ほぼ実現されるのは確実だ。

長谷川幸洋氏のように、中国経済は必ずクラッシュ派の論客らは、今後も、中国クラッシュ説を唱えるだろうが、いずれ、泡沫評論家に落ちぶれることだろう。

今さら、日本が、どのような経済政策を打とうとも、或いは、徹底的な規制緩和、産業構造改革に乗り出しても、時すでに遅く、逆に慣れないことに手を出し、大火傷することになるだろう。

一定の見識ある人々は、日本の20年後の姿を、情報として理解しているが、その現実の世界に思いを馳せるのが嫌なようである。

まぁ、そんな気持ち、判らないではないが、事実は事実として受けとめた上で、自分達の立ち位置を考えておく必要がある。

無論、他の隣国と比較して、自分の立ち位置を考えるのも如何かと思うが、比較対象することで、自国の力量を知るのが一番わかりやすい。

まぁ、西暦600年における遣隋使や遣唐使の時代を思えば、それから1400年経過して、再び日中の関係が元に戻ったと考えれば、それほど驚くに値しない。

以前にもコラムに書いた記憶があるが、国家の経済を動かす原動力は、国民の勤勉・努力も不要だとは言わないが、多くは人口の増加に由来することが多い。

日本の高度経済成長の原動力も、急激な人口増であった。ただ、中国の場合は、いくぶん意味合いが違う。

中国は、政治体制として、自由主義による民主主義制度は採り入れず、中国共産党独裁制(国家主義)を敷きながら、経済だけ、自由主義な市場原理主義経済を採用し、謂わば“良いとこ取り”のルール違反な感じもするが、“勝てば官軍”なのが、世界の常識だ。

勝てば官軍の象徴的事例、長州軍も安倍自民も、わが姿を鏡に映せば、文句が言える立場ではない(笑)。


問題は、その安倍政権が“下駄を履かせて”まで、追い求める経済成長戦略は、かなり的外れな戦略と云う事が出来る。

経済規模と云う競争原理では、ウッカリすると、韓国や台湾にも抜かれる可能性があるのが、日本の経済なのだ。

いやいや、場合によると、北朝鮮と肩を並べる心配をした方が良いのかもしれない。

つまり、言いたいことは、経済規模では、世界の三流国になることが決定づけられているという事実である。 ここの部分をシッカリ自覚すべきだ。

その上、幸福度ランキングも落ちるばかりだろうし、報道の自由度ランキングも60~70位から抜け出すことは、当分なさそうだ。

まぁ、筆者の考えでは、経済大国の夢を捨てるのは、極めて合理的な答えだ。

要は、どのような価値観を目標に進むかは、今後の日本人が考えることだが、少なくとも経済成長ではないのは確実だ。

問題は、その価値観を提示するのは、哲学者でも、経済学者でもなく、わが国では、政治家なのだと思う。

単に政治家と云うより、官僚が上手に政治家をリード出来るかどうかに掛かっているかもしれない。

いやいや、民間から国家のイメージが出てくることもあるだろう。

まぁ、正直、どこから国家のイメージが生まれても構わない。

その考えの根本に、国家の価値を、規模や量で追求するのではなく、日本の国民が、到達感・満足感をおぼえる何らかの価値の創造だ。


規模や量でないとすれば、「質」になるわけだが、どのような「質」を日本と云う国の価値観にするかによって、今後の日本人の幸福度は決定すると言っても過言ではない。

 

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