民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道 | |
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●遠い未来、近い将来 国のかたちを考えなくて良いのか
さて、直近の話題としては、冒頭解散、衆参同日選が永田町の興味であるが、安倍首相にしてみれば、説明のつかない厚労省の「毎月勤労統計」等のデータ粉飾は賃金が毎年下がっていたことを証明する可能性があるのだから、厄介だ、二度も予算修正案を出す内閣など聞いたことがない。
外交の安倍にしては歯切れの悪い問題だらけで、対韓、対仏、対露等々の外交の不備が山積している。
二島返還にしても主権を曖昧に決着させる可能性プンプンだ。これでは、米国側に、北方領土米軍基地設置案と云う匕首を持たせることになるだろう。
かなり受け身の国会が開かれるわけだから、そろそろ答弁する気力を失っているだろう。そういう意味で、冒頭解散の可能性は否定できないが、衆議院で2/3議席確保の目処があるとも思えないわけだが、ヤケクソ解散してしまう可能性もなきにしもあらずだ。
この辺は、あの安倍政権のやることだから、正直、判らないとしか言いようがない。
辺野古埋め立てにおけるサンゴの移植に関するデタラメ発言も気になっているだろうし、軟弱地盤による工事の変更申請を県に提出予定のようだが拒否は当然だ。
沖縄県民投票は、民事上の損害賠償裁判と市長リコールで対抗するのが筋。
県が弱腰な点が気がかりだ。
日米のFTA 交渉をTAG等という造語を誰が翻訳したのかも追求されるだろう。
入管法改正は法として成立しているが、その中身について、あらためて野党の追求を受けるのは必至だ。精査すればするほど、奴隷的法律であることが判明し、法務省では説明で立ち往生間違いなしである。
日本オリンピック委員会会長・竹田恒和の贈賄疑惑も格好の追求ポイントだ。竹田氏、森喜朗元首相への証人喚問も見逃せない。
普通であれば、そろそろ、登校拒否反応を起こしても良さそうな時期である。
もう、八百長株価以外に、自慢できるものがない状況なのだ。NYダウが再び下げに転じ、円高が再開すれば、もう、自慢できるものは皆無になる。
それにしても、主権者である国民の反応が鈍い。
特に安倍内閣を支持してはいないが、他に目だって魅力的政党がないが主流になっている。
日々、社会、政治や行政において、社会システムの悪質な劣化が進行しているのだが、立て続けに起き過ぎるため、覚えてさえいられない状況が続くと、人間は、その日常に麻痺してしまい、世の中とは、こういうものだと認識してしまうのかもしれない。
つまり、明らかに、国家が壊れてしまう症状が慢性化しつつある。
このような国において、自分の国のあり方など、考える、或いは、考えようと云う機運は、永遠に起きないことかもしれない。
しかし、望むと望まざるに関わらず、国のあり方は決定してゆく。
おそらく、国のあり方などと云う問題は、既成事実の積み重ねに異論を挟まない間に岩盤化して、もう決定された物事のように動きだす。
貧すれば鈍する、という言葉があるが、まさに、いまの日本に用意された言葉のようだ。
国民は政治から離れたところで生きているようにさえ思える。働く場があり、給料がもらえ、慎ましくでも生計が維持されれば、もう、望みはない。
年金生活者は、必死で健康に留意して、長生きの秘訣探しをする。年金支給額の低さを、長期支給を受けることで、お得感を得ようと試みている。
そのような国民の心は、政治への関心を失う代りに、復讐心だけは残される。
この復讐心は、日々の消費に反映され、広告に踊らされない強い心を形成した。
不思議に、裕福な家庭までが、右に倣えして吝嗇に励む。
つまり、吝嗇が、美徳であり、且つ、政治不信への最大の復讐行為として定着していくのだ。
もう、このようような状況になった国には、改革は起きないし、あらたなビジョンの形成のキッカケも生まれないだろう。
それでも、虚無的状況にあっても、国のあり方を考えておく必要は無駄ではないと信じて、このようなことを書いている。
残念ながら、筆者に、国のあり方について、絶大なビジョンが存在するわけもない。
はるか遠くにうすぼんやりと、幾つかの国の姿が見えているだけだ。
そのビジョンは、合理的、地政学上に考える日本のたち位置である。
しかし、合理的の前に、日本の歴史や文化などが前提条件として存在することも忘れてはならない。
逆に、戦後70年における、アメリカ支配の中で生きてきた生活環境も考慮せざるを得ない。
これらの要素は、互いにぶつかり合う価値観であったりもするので、容易に解決の道筋は見えない。 しかし、この辺の基本的考えを捨ててしまうと、安倍政権的政治が、永遠に続く危険が待ち受ける。
場合によると、より先鋭化され、完全に全体主義国家に変貌することも現実的に見えてくる。
選挙を通じて民主主義は機能するのだろうが、選挙の前に、政治の意味や、民主主義の意味や、主権について、有権者が意識的になれるかどうか、そこが問題なのだろう。
現状の国会を観察する限り、各論的論争に終始しており、首相の年頭所感なども、ライターの空文になっており、政治概論部分が欠落している。
つまり、総論がないのだ。理数系の議論ばかりで、文系の議論が置き去りにされている。
おそらく、市場原理主義が理数系の流れの上にあるからだろうが、哲学なき政治は、小手先政治になるのは理論上の結果である。
現実に、国のあり方を議論する時、何らかのきっかけが必要になる。
第一のキッカケは、経済を破壊するほどの自然災害。
第二は、経済的疲弊が起きる場合。国債のデフォルトや銀行閉鎖。
第三は、他国と戦争になり、日本が敗戦した場合。
第四は、これが最も望ましいかたちだが、国民運動に繋がるような壮大なイデオロギーが生まれ、国民が動きだすパターンだ。
筆者は、未熟者で、到底、そのイデオロギーを生みだす力はないが、国民が動きだしてくれるようなイデオロギーが発生するために必要な材料を、ランダムにでも発信して行ければ良いのではないかと認識している。
今後は、その点も踏まえながら、個別の案件に言及していこうと考えている。
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