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進化する魂

フリートーク
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市民社会の到来?:「被災者」か「リーダー」か

2011-03-28 15:52:31 | 社会
今はまだ気にならないが、皆が「復興」のビジョンを語りはじめるとき、我々は国家と市民社会との間を行き来することになるだろう。
こういう時、被災地の指導者には、「被災者」としてではなく「リーダー」として振舞ってほしい。
国家から施しを受けるのではなく、自分達のために助けを引き出し、投資を呼び込むのだ。

順風満帆な時なら誰でも輝ける、逆境の時に輝ける者こそが英雄だ。

下記は市民社会を念頭においた名演説だが、人間の心情として、これは被災した立場の者にしか言えない。
今回であれば誰が言えるのか・・県知事達にこれが言えるか?
「市民社会」という文脈では民主党の十八番のはずだが果たして・・。

東京市長永田秀次郎、関東大震災後の名演説「市民諸君に告ぐ」
http://kousyoublog.jp/?eid=2572

大正十二年(一九二三)九月一日に帝都東京を襲った関東大震災の半年後、新たな東京を作るための区画整理の認可が降り、大正十三年三月二七日、整理地区が告示された。その発表とともに、東京市長(現在の東京都知事東京府知事が現在の東京都知事にあたり、その下で東京十五区を統括する立場にあたる)永田秀次郎は「市民諸君に告ぐ」と題した演説を行った。


「市民諸君に告ぐ」

市民諸君
我々東京市民は今やいよいよ区画整理の実行にとりかからなければならぬ時となりました。

第一に我々が考えなければならぬことは、この事業は実に我々市民自身がなさなければならぬ事業であります。決して他人の仕事でもなく、また政府に打ち任せて知らぬふりをしているべき仕事ではない。それ故にこの事業ばかりは我々はこれを他人の仕事として、苦情をいったり批評をしたりしてはいられませぬ。


[中略]

昭和五年(一九三〇)十月一日、再び東京市長となっていた永田秀次郎は東京市の自治記念日の式典で演説を行った。帝都復興事業の完成を祝い、市民を労い、しかしまだまだ解決すべき困難な課題が山積していることを喚起する「帝都市民諸君に告ぐ」と題されたその演説の最後はこう結ばれている。


東京市を救うものは東京市民である。東京市政の利害得失を真ともに受けるものもまた二百三十万市民である。



しかし、皮肉なことに。


永田は東京市長から鉄道大臣などを歴任したのち政界から引退、故郷淡路島に帰り、青嵐と号して俳人として余生を送る。昭和十八年(一九四三)九月十七日逝去、享年六七歳。東京が空襲に見舞われるのは翌昭和十九年からである。彼が復興に心血を注いだ東京が焦土と化すのを目にすることは無かった。


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