acc-j茨城 山岳会日記

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南会津・大幽東ノ沢~丸山岳

2002年09月05日 14時52分46秒 | 山行速報(沢)

2002/9上旬 南会津・大幽東ノ沢~丸山岳

拝啓

素敵な言葉の羅列ほど無力なものはない。 
こうしてこの場に立っているとそう思う。

自然のなかで人は人として生きている。 
水は流れて海へとそそぐ。

大体、なぜこれほどまでに川は流れつづけるのだろうか。 
清冽な瑞々しい水というものが涸れることなく湧きつづけられるのか。 
それだけとってみても「奇跡」というべき出来事のように思えてならないのだ。 
山から海へ、海から空へそしてまた山へ。 
その隅っコに私達がいる。 
そう思えば何も欲張ることなどないのではなかろうか。

南会津、大幽東ノ沢から。


原始の森

穏やかな流れを穏やかに遡って行く。 
太陽に輝く瀬の水面も、豊富な水をたたえる淵も、見惚れる瀞も、 私の心を満たしてくれた。

しかし、勘違いしてはならない。 
それらが優しいと感じるのは、思い上がりである。 
機嫌を損ねることのないよう細心しながら生きていかねばならない。 
それが原始の森に生きる動物の流儀でもある。

サブウリの廊下で私はサルになり、カモシカとなり、岩魚となった。 
岩を攀じるも岩棚を進むも廊下に泳ぐも誰も拒みはしない。 助けてもくれない。 
ただひとつ言えるのは生きていけるか、そうでないか、だ。

狩猟動物

廊下を泳ぎ最後の小滝を乗越すと窪の沢出合。 
今宵の停泊場所であり、ゴキゲンな幕場がそこにある。

先ずはツエルトを張り流木を集める。 
ひと仕事を終え、一服を済ませたらおもむろに竿を出す。 
釣果の期待などさらさらない。 
ただ、森に生きるこの瞬間に狩猟動物の真似事をしたまでだ。 
秋の気配を予感させる高い空にテンカラ竿がしなることはなかった。


三度目で火の手は上がった。燃え盛る炎に安堵した。 
パンツ一丁になって焚火に当たる。 
それが乾けば替えの衣類で身も心も温まる。

深緑の谷に白煙が流れる。 
流木は灰となって大地を癒す。

亡骸

一瞬、目を疑った。しかしそこには流れを遡るネズミの姿があった。 
実に器用にスピ-ディ-な行動である。 
ときに水流に完全に没しながらもサクサクと遡行していく。 
その果敢な姿に時を忘れて呑気に見失うまで見惚れてしまった。

東ノ沢支流、葦ノ沢へと進むと途端に傾斜が増し、小滝が幾つか現れる。 
5mほどのチョックスト-ンは右側を行くがなかなかどうして 一歩が踏み出せない。 
体重を移動しつつ乗越す瞬間に足を滑らせ滑落した。 
幸い怪我もなく事無きを得るが、大いに反省させられた。 
ここでの下降は懸垂下降を余儀なくされるであろうと登り終えてから 目印を打っておいた。

決して整然と並んだ植林の森ではない。 
豊潤な原始とのふれあいに己の野生も刺激を受けているかといえば、 そんな覚悟は毛頭ない。観光気分といわれてもそれを否定する言葉もない。 
カモシカの亡骸を前に悲哀の感情を持つことからしてそのことが浮き彫りとなる。 
どうしたってこの溝は埋まらないであろう。 
たとえ私が死して土に返ろうとも。

空中戦

稜線へ最後の詰めでイヤらしい草付きの急傾斜に出くわした。 どれをとっても、か細い草にとてもじゃあないが登れる気がしない。 
すこし戻って、草むらを左に進む。 先ほどの壁より岩が露出しており、手がかりは多いようだ。 
気は進まなかったが、意を決する。

稜線にあがれば、猛烈なネマガリタケが待っている。 
足を取られ、体を跳ね返され、まさに七転八倒。 
時には足が地面につかない”空中戦”もしばしば。


視界は薮にさえぎられ、方向感覚はあまりない。 
ただ斜面を登る事に従事した。 
コンパスで方向確認などしたところで草原に辿りつく保証などない。 ひたすら上を目指すのみである。

遭遇

なんにでも弱点はある。心持ち薮の扱いにも慣れて来た頃、 前方20m先にポッカリと草原が広がっていた。

あまりの突然に、美しさに、私は言葉を忘れた。 
一筋の踏跡は過去につけられた縦走構想の跡でもある。 
これが山頂へと伸びているのは明らかだ。

薮の入り口に目印を打ってから、一歩一歩、確かめるようにそして 大切に踏跡を辿った。

 

丸山岳

南会津の深々たる山々にあって丸山岳とはいささか迫力に欠けた山名である。 
地図を開けば城郭朝日山・高幽山・会津朝日岳・梵天岳・火奴山など いかにも深山の風格を備えた山名に思える。 
沢にしても大幽沢・スギゾネ沢・西実沢など風情を思わせ、メルガマタ沢 に至ってそのネ-ミングは芸術的とすら言える。

その南会津、駒ケ岳・朝日岳山群のほぼド真ん中のあって「丸山岳」とは、 南会津ファンの私にとって大いに不満の想いがあった。

しかし、しかしである。一目して私は思った。 
丸山岳は丸山岳で良かったんだと。間違いじゃあないんだと。 
不満なんてとんでもない。そこは丸山岳しか有り得ないんだと。 

溜め息

山頂草原にツエルトを張ったらあとはボケッとするだけだ。 
草原に寝転び空を見上げてあくびなどしてみる。 
「あ-あ、ヒマだな-」なんて贅沢を言ってみたりもする。

寝転んだままに首を右にコロッと回すと昆虫達の目線だ。 
草原に生活する小さな小さなクモが草草にぶら下って、 なぜだか、下がったり上がったりを繰り返していた。 
アリ達は寡黙に彷徨し、虻は無軌道な飛行線を描いていた。 彼らに私の存在はどのように映っているのか想いに更ける。

滾々と湧き出す生命感。

私は今、ココにいる。そして生命に溢れている。 
それだけで充分じゃないか。 
自分の愚かさに思わず溜め息がでる。 

爽快感

遠くで鳥の声が聞こえた。 
断末魔の叫びにも似た不気味な声だった。 
不吉な目覚めに心の脆さを突かれた思いだ。

昨夜から一抹の不安があった。 
あのヤブを通って正確に沢床へと辿りつくことができるかどうか。 
印は打ったがそれすら回収できるかどうか怪しいものだ。

懐かしい会津朝日と三角山
天気が良いのが救いである。 
懐かしき風景に安堵しながら昇ってきたお日様におはようの挨拶をかわした。

交錯 
吊橋が見えると、この山旅も終わりを迎える。 
寂しい気持ちとホッとする気持ちの交錯する一瞬である。

決して楽じゃないフィ-ルドにこれほど魅力を感じるのは 私がヒトだからなのかも知れない。 
辛くて、寂しくて、楽しくて、嬉しくて。 
それを感じられるすばらしい能力をもっているからなのだと思う。

積年の想いがやがて現実となる。 
決して結果や評価など問題ではない。 
快心の想いを目指して創造の畑を耕す事を知っている動物はヒトだけだから。

 


sak