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acc-j茨城 山岳会日記

acc-j茨城
山でのあれこれ、便りにのせて


ただいま、acc-jでは新しい山の仲間を募集中です。

奥秩父 大原平

2010年12月15日 06時49分46秒 | 山行速報(薮・岩)
12月12日、奥秩父の梓山の裏山のような大原平という山に行ってきた。友人U氏お薦めのルートである。U氏お得意の藪岩稜の尾根である。メンバーは東京N、A夫、A妻と茨城A、M、ガストンの計6名である。梓山で東京の3人と待ち合わせるも、現地は予想外にも数日前に雪が降ったようで、着くなり「こりゃ今回は登れないな」と思った。それは、東京の3名はスニーカーという足回りであるからだ。どうせ明日は登れないのだからと、ゆっくり宴会して寝る。明るくなってからも二度寝する。朝食を摂ってから「せっかく来たのだから、とりあえず行ける所まで行ってみっか」というわけで9時30分発。
林道は凍結して車では登れず県道の傍らに置いていく。鹿よけの柵を入ってから歩きやすい斜面を登る。ヤブも薄く踏跡もあるのでペースが捗る。新しいクマの足跡がたくさんあった。やがて岩稜の風穴を過ぎキレット前で小休止、10時40分。キレットはクライムダウンで底まで降りる、11時。


風穴

茨城の3名は正面の壁を直登。ロープを付け、途中の松の木にランナーが取れたが、岩に雪が付いてちと悪く、他人には見られたくない格好で這い登った。東京の3名は左下に懸垂して越して行った。結局、東京のパーティの方が抜けたのは早かった。ヤブも次第に濃くなってきた。いくつかの岩のピークを超すと頂上であった、12時20分。


頂上手前の岩峰


頂上で記念撮影


頂上にあったテープ(大原平→大平原)(^_^)この間違いには笑ってしまった


なんとそこには「大平原」と書かれたテープが付けられていた。大原平→大平原か、なるほど間違いやすいな、と笑ってしまった。西側は100m位はありそうな垂直の壁で切れ落ちている。日だまりで昼食を食べながらゆっくり休み、下降はGPS使用で東斜面を下り、ドンピシャリ、柵のゲートに着いた、車に14時ジャスト着。
枯葉の上に15cm位の積雪で、滑ること滑ること、しりもちを10回くらいついたかな。でも全員ケガなく降りられた。
ヤブグレード1級  行動時間 4時間30分
                               ガストンガニマタ

筑波山・V字谷

2009年02月15日 19時10分51秒 | 山行速報(薮・岩)

2009/2月中旬 筑波山・V字谷

目論見

梅花の彩る頃。 
筑波山中腹の梅林では来る春を祝うかのように「梅祭り」の準備に大わらわ。 
筑波の山には何度となく参礼しているものの、この季節、この場所へきたのは 
コレがはじめて。

もちろん、その目論見は梅林にあるわけではなく、筑波山の沢登りがタ-ゲット。 
「筑波山で沢登り」とは大げさながら、核心のV字谷は小滝を右に左に楽しめる。

親しみやすい山・筑波にあって貴重な1本。 
踏み後とマ-キングを頼りにル-トファインディングの魅力がまだまだ残されている。 
このたびのふるさと探検隊のテ-マは「筑波を遊び尽くそう!」これなのだ。


V字

出発はいつもどおりに起床して朝ご飯をいただいてから。 
筑波だから出来るのんびり山登り。この身近さが筑波の魅力のひとつだ。

まずは梅林より男体山に突き上げる沢筋を探って行く。 
このあたりは、登山も含めキノコや山菜採りの踏み後が縦横無尽に入交じる。 
注意深く探っていけば「V」のマ-キングが程なく出てくる。 
これが、V字谷へと誘導してくれることになる。 
この季節、水量はほとんどなく、沢というよりは、ガレをひたすら詰めていく。

いわゆる核心とされる小滝は左の立木に抱きつくように登る。 
物足りずに右のスラブも試登。 
水量の少ない今ならば問題はない。


再認識

続く変形ルンゼ状は右壁に足を突っ張って越えていく。

コレはコレでちょっとした岩登りでもある。 
スケ-ルが小さいのが残念ではある。 
とはいえ、筑波にこんなル-トがあるとは終ぞ知らず、山遊びの奥の深さを再認識。

ちなみに筑波にまつわる登山道は公式には数本。 
しかし、現実には縦横無尽に踏まれているという実態がある。 
さまざまな社会環境の中、登山にまつわる環境もその歴史とは裏腹に変わって行く。 
「自然を愛する」精神もさまざまに捉えられてきた証だ。

春はもうすぐとはいっても、切れ込んだ谷筋のそこここには、滴る水が氷柱となっていた。 
自然の創り出す造形は何時めぐり会っても心癒す何かを宿している。 
我々とて長い年月を経て創られし者たちのはずなのだが。

原風景

さて、ここからは沢筋を詰めていくが、幾筋かに分かれた沢筋をマ-キングと山ヤのカンで遡って行く。 
踏み後は多数あるのでそれらに惑わされないのがコツといえばコツか? 
適当なところで左の尾根に乗って詰めあげると見晴らしのいいテラスに行き着く。 
大きなスクリ-ンに切れ落ちた足元。 
見上げれば、男体山山頂の直下らしい。 
ここで幕を張って、昼間から一杯やるなんてのもオツな遊びではなかろうか。 
気分よく大休止。

思えば、登山を意識して幾年月。 
さらにそれを遡り、筑波山は幼少の想い出にもたびたび登場する。 
山に縛られることなく、自然を好む嗜好も含めて、さかぼうの原風景はここにある。

野山を駆け巡った少年期を経て登山と出会い、沢やクライミングと出会い。 
時代や志向は変わったとしても、今もって変わらぬフィ-ルドがそこにある。 
ふるさとの山は、今も変わらず実に優しい。

そこからは一投足で自然探索路。 
山頂には行かず、梅林へと下った。 


sak


妙義・金鶏岩~筆頭岩

2008年11月25日 19時08分49秒 | 山行速報(薮・岩)

2008/11月下旬 妙義・金鶏岩~筆頭岩

前衛

金鶏岩は、過去に取り付いたことがあった。 
しかし、登り口を取り違え、垂直の東壁に阻まれたという記憶があった。 
言ってみれば、リベンジの山であった。

「見晴らし」の駐車場から中之岳神社方面へ数分 
立派な階段、数段を上がることから始まる。

なんとなく上のほうへとグイグイ登っていけば、やがてアバタ状の岩肌が現れる。 
手足の置き所には苦慮しないので、面白いように高度を上げていく。

ルンゼを詰め上げ、傾斜を増した頃、リッジにあがるのだが、途中、このリッジに微妙なバランスで建つ石碑が印象的。 
奇峰、妙義の前衛を守る金鶏山。 
山頂の石像や標石はその険しさゆえ、修験道としての歴史の香りが色濃く残る。 

 

風情

金鶏岩からは筆頭岩を目指して縦走路を行く。

峰峰の登り下りを繰り返すものの、判然としない箇所もたびたび。 
以前は縦走路として機能していたらしいが、今では篤志家向けの薮山となっているかの様相だ。

この季節に西上州の薮山は実にイイ。 
落ち葉をサクサクと踏みしめながら道を読む。秋風に枯葉がカラカラとなる。 
実に風情があってイイ。 
こんな何気ない場面が心癒す 
いかに、普段の疲弊が進行していることかと時に哀しくもなる。 
追憶の季節。高い空に葉の落ちた木々がよく似合う。

登攀

行き着いた筆頭岩南壁を左にトラバ-ス。 
登攀は西稜より。

ロ-プを出してクライミングシュ-ズに変えれば、登攀自体、さして困難はない。 
都合4ピッチ。途中のナイフリッジが見晴らしも良く爽快。 
そして適度に楽しめる快適なクライミング。 
秋の好日、秋風に吹かれながらが、心地よい。

妙義紅葉ライン(自動車道)がほぼ直下に見える。落石は厳禁。 
山頂でゆったりと大休止。

追憶

山頂からは南壁を懸垂下降。 
1ピッチ目は一段7mをまず下り、のこりは45m、1ピッチで。

岩に薮に遊ぶ妙義の前衛。クライミングで〆れば今日一日、イイ気分。 
充実の秋の一日となること請け合いだ。

追憶の季節に追憶の山行。 
暑くもなく寒くもない。実に快適、爽快なクライム。 
仲間の笑顔で存分に楽しくもあり、充実の一日に一抹の物悲しさ。 
秋の日は人々に何か語りかける、そんな季節であったのかもしれない。

 

sak


妙義・星穴岳

2004年12月20日 17時04分48秒 | 山行速報(薮・岩)

2004/12月 妙義・星穴岳

エピソ-ド

ひとつの物語にいくつものエピソ-ド 
何気ない日常の中にもキッカケは隠されていて 人々はそれらをみつけては想いを巡らす。そうして創作の楽しさは脈々と受け継がれていくのである

しかし、何気ない日常にウンザリする今があるとすれば 大きな風に翻弄されて疲弊しているか、何気なさに麻痺して視力を失っているかのどちらかではなかろうか

物語には結末がある 
感動あり涙あり、最悪の結末もあるだろう。 私たちはそれに一喜一憂し生きていく

登路は矢印の方向へ。 
ここが物語の始まりと思えば期待と不安が一瞬のうちに脳裏をかすめる 

 

シ-ン

絵になるシ-ン 
瞬間を逃さぬようにシャッタ-を切る 
私が名手ならばもっと臨場感を伝えられそうなものではある。 
なおさら一流の文章家ならばこのシ-ンを巧みに表現できそうなものだし、 物語家ならば、この鎖一つからエピソ-ドを想像し、たちまち物語が生まれだすことであろう

そう思えば非常に残念だが、絵になるシ-ンに実は何もいらない 
傍らで出会えたシアワセを噛み締める

 

記憶

星穴岳を知ったのはいつのことであったか

思い出されるのは数年前、冊子の片隅にそれはあった 
一瞬のうちに興味が湧いた 
「難路」という評判よりもむしろ「星穴」とは何かを知りたかった 
ココロに響く場所の一つとして記憶の中に星穴は引っかかった

 

星穴

なぜ星穴なのか、眼前に広がるそれについてはもはや説明するまでもなかろう 
たとえ諸説の言い伝えがあったとしてもそれはそれでしかない

不意に一つのエピソ-ドが思い浮かぶ 
ここに立つことの叶った者達ならばやはり似たようなことを想いついたかもしれない 
ちょっとしたきっかけで欠片と欠片が繋がっていくことは珍しくはない 
が、それが一筋のラインを引いていくかといえばそうともいえない 
残念だが、それらは最後に行き詰まり、見返してみればその綻びに赤面することすらある 
前例に違うことなく、原稿は頭の中でくしゃくしゃに丸められた  

最終章 

浮かんでは消え、浮かんでは消え 
たわいもないアイデアに肉付けをしてみてはゴミ箱に放り投げる 
普段のそんな細々とした営みが今は楽しい

星穴にまつわる物語

そう考えただけでも想いは及ぶ 
そうして及んだ数ほどゴミ箱に投げることとなるのだろうけど 
凡人はやはり凡人で仕方ないと思う。またそれでよかったとも思う

夜空の星はぐるぐる回り、そうして物語は最終章 
けど、でも、きっと、新たな新章がまた始まる

sak


西会津・木地夜鷹山

2001年10月25日 12時34分50秒 | 山行速報(薮・岩)

2001/10下旬 西会津・木地夜鷹山

秋、探訪

里でも小さい秋がそこここに顔を出し始めた。 
そんな季節に山人達が考える事といえば、やはり山の色づき具合であろう。

山の紅葉はいつしか始まりいつしか消え落ちる。 
それは日を追う毎に刻刻と移り変わって行く。 
秋の山に出かけ枯葉を踏んで帰るなんて事も珍しくはない。 
だからこそ、山人達がそのタイミングに敏感になっているのもうなずける。

しかし、山の色づきが良いとか悪いとか現代に生きる我々がいかに自分勝手であるか 反省する所でもある。

私は秋を味わいに西会津に訪れた。 
山々は秋色に輝いていた。

沢と薮

山の色づきにはおおまかに紅葉と黄葉がある。 
その樹その樹によって色づき方は異なる。 
紅葉の代表的なものといえばモミジや ナナカマドであり、黄葉の代表といえばブナであろう。

現代日本においてはどちらかというと紅葉が珍重されているようであるが その昔、中国文化の影響を強く受けた時代には黄葉が”最も美しい物のひとつ” と称されていたと聞く。

そんな黄と紅と緑のコントラストが絵画のような美しさを描き出す沢を遡行 していく。 
地図を頼りに長谷川の支沢を詰め、支沢はやがて薮へと様相を変えていく。 

 


会津日和

山頂はだいぶ冬枯れの進んだ寂葉の枝が風を切り、ひゅうひゅうと 口笛を吹いているようであった。

心地よい日和が私を包む。 
温かい紅茶で一息。そして甘栗を口にほうり込む。

まさに会津日和。山人であれば誰もが感じる贅沢なひとときである。


山と逸話

その昔、鉄砲伝来以前に鷹を使った狩り、鷹狩りという手法があった。 
また、鷹は山の守り神として崇拝されたり、畏敬の対象として敬われた事であろう。 
木地夜鷹山にはどのような鷹に関するエピソ-ドがあるのだろうか と想いを巡らす。

標高は859mと決して高くはない。とはいえ、明瞭な道はなく会津の原生が 芯から楽しめるという意味では”低山”という範疇を逸脱する魅力がある。

山頂からは隣の夜鷹山へと続く切れ落ちた稜線が良く見える。 
キツネモドシというその難所は、この辺りを根城にするキツネが恐怖に泣き泣き 戻ったという逸話があるらしい。

鷹といいキツネといい、興味の尽きない山岳劇場となった。


迷い人の回想


山には色々な山がある。 
言わずもがな、岩や薮や沢や湿原などである。 
それにまつわる楽しみとなると、山はさらに広がる。 
このたびの山行は、予定通り行かないという楽しさが魅力のひとつであった。

木地夜鷹山の麓にはあまり人に知られる事の無い沼がひっそりと佇む。 
予定では沼から山頂へと向かうはずであった。 しかし、それがどうにも見つからず、山頂へと至った。 
山頂からは地形が手に取るように良くわかる。 
さあ、秘められた沼探しに出かけよう。

私は目的地に向かって猛烈な薮を手がかりに急降下を始めた。 

静寂の水面

私にはすぐわかった。この雰囲気は間違いが無い。

干上がった沼地、背丈を越える葦、傍らに一筋の流れ。 
ようやく行きついた。

興奮を押さえながらその流れに導かれて行くと突然視界が広がり静寂の水面が 余所者の私を拒む事なく迎えいれてくれた。

それが百戸沼である。

秋の色づきと青い空、それらをそれ以上に美しく写し出す沼面。 
しばしため息。言葉で賞賛するのは野暮というものだ。

 

原生逍遥

自然は美しい。 
無為に胸打つ何かを秘めている。 
ことさら秋ともなればなおさらである。

自然は賢明である。 
全てに理由があり、ひとつの無駄も無い。 
森羅万象、輪廻転生。全てそこから始まり、そこで終わる。

果たして私は、美しくあるだろうか?賢明であるだろうか? 
愚問である。苦笑いせずには居られない。 
自身が一番その答えを知っているのだから。

原生逍遥の素晴らしさは己が動物になれる事、自然になれる事。 
そしてなにより素直になれる事のように感じてならない。

sak


槍ヶ岳・北鎌尾根

2001年08月15日 12時31分02秒 | 山行速報(薮・岩)

2001/8中旬 槍ヶ岳・北鎌尾根

プロロ-グ

何故、そこに行くのかとたずねられたら、ただなんとなく笑って誤魔化す。 
期待外れのリアクションはどのように映るのだろうか。

利口な遣り方じゃあない、器用でもない。 
ただ、「何でもいい」とか「かったるい」とか、 
涼しい顔して言ってるわりに誰かに期待している生き方よりはよっぽどいい。

辛くて泣いて、緊張に汗して、ほとほと疲れ果てても 
結局それが一番楽しくて、嬉しくて最高の笑顔でいられる。 
いつだって、感動しながら生きていきたいから。


貧乏沢下降点

それは突如として現われた。 
立派な標示板があり、入り口を探すのに迷う事はない。 
しかし、ここから先はバリエ-ションの世界。 
とうとうここまで来たんだなと、気も引き締まる。

昨夜、仕事を終えてから中房温泉へと急いだ。 
車で仮眠をとるも、睡眠不足は否めない。 
事実、ここに来るまでに何度居眠りした事か。 
少しの心配を他所に体とココロは感動に飢えていた。

 


貧乏沢

貧乏沢の上部はガレ道と潅木をかき分けて進む。 
潅木のヤブコギはまだ良いが急なガレの下りには神経をすり減らされる。

しばらく行くと右からの水流が滝となり合流する。 
ここがおおむね沢の中間部。 
ようやく出てきた豊富な水に喉を鳴らして小休止とする。

下流部は沢を歩いたり左岸の道を歩いたり。 
水流は消えたり現われたりを何度か繰り返す。

 

天上沢

沢の流音は徐々に大きくなって行き、天上沢へと出合う。 
ここから15分ほど遡行すると北鎌尾根への取り付き、北鎌沢出合だ。 
ココはケルンやリボンがその存在を明確に教えてくれる。

天上沢は上流に行くにしたがって水が涸れる。 
北鎌沢の出合で幕営の予定をしていたが 
水を豊富に補給できる天上沢に変更をした。


この日、天上沢のビバ-クサイトには三人の男が天幕を張ることになる。 
一人はさかぼう。 
次に来たのは体の大きな青いザックの男。 
日も暮れかかった頃に小柄な赤いザックの男がやってきた。 
皆、単独行であった。


天狗の腰掛

北鎌沢は右股を行く。 
右股は小さく、分岐で左股に入りかけてしまった。 
直線的に登って行くので息も切れるがグングンと高度を稼ぐ。 
嬉しい事に水流はかなり上部まで顔を出してくれていた。 
さあ、北鎌沢のコルまで良い汗かこうじゃあないか。

コルから天狗の腰掛までは岩と潅木、土のミックスである。 
かなり急な斜面をも潅木を手がかりに体を上へと引き上げる。 
天狗の腰掛からは独標が行く手に立ちはだかるようであった。

三人は微妙に間を取りつつ歩いていた。 
先頭はさかぼう。続いて青ザック氏、赤ザック氏。 
それぞれが単独行。 
”一緒に行きましょう”なんて口に出すのはナンセンスに思えた。

独標トラバ-ス

独標のトラバ-スは切れ落ちた岩のバンドを渡ったり 突き出た岩を抱えこみながらバンドを進んだり、 ザレ、ガレの急斜面を渡って行く。 
踏跡が不明瞭である。いや、そこに踏跡を期待するのが間違いというものだ。

難しさの現実が三人を襲う。 
岩稜を登る。 
ここで一歩。たった一歩、足を踏み外せば確実に死ねる。 
岩壁を登る。 
ここで次の一手が出ないとたちまち力尽き落ちる。 
体力はもちろん登攀力、バランス、ザイルワ-ク、道読み能力が問われる。

ここに来て三人の距離はいつしか近づいていた。 
さかぼうは登攀具と体力で道を開いた。 
青ザック氏は道を読み先頭のさかぼうにアドバイスを送った。 
赤ザック氏は豊富な経験を元に状況と天候を読んだ。

それぞれがそれぞれの個性を生かしてうまく機能していた。

独標

三人はもはやパ-ティ-と言えた。 
三人の単独行者はお互い干渉する事はなかったが、 互いに刺激を受けながら歩き続けた。

ル-トは今まで以上に道読みが困難になってくる。 
相変わらずの脆い岩はつかんだ岩が不意に剥がれたり、 一抱えある大岩がグラッときたりとスリルに事足らない。

独標辺りでガスが多くなってきた。生憎、槍の穂先はガスの中だった。 
ガスで距離感が鈍り、現在地を把握するのが億劫になる。 
このピ-クは何処か、それよりも先に行く事が最優先された。 
それは、激しい雷雨が前日にあったから。 
今日も高い確率でそうなる事が容易に想像できた。

北鎌平

雨が降り始めた。 
雷の呻きが私を責め立てた。 
この雨は長くはない。休憩だね。赤ザック氏はそう言った。 
同感だった。


「ラアァァァァ-ク!ラアァァ-ク!」 
ガスのなかにこだまする声といつまでも続く岩雪崩の音。 
かなり先に見えた先行パ-ティ-が案外近くにいた事を知った驚き以上に 背筋の凍る瞬間だった。

「だいじょうぶかぁ-?」 「オ-ケェェェ-!」 「ゴメェェェ-ン」 
大事はなかったようだった。

幸い雨とガスは10分ほどで消えた。 
大槍、小槍が迫力で迫ってくる。 
「この中に行い良い奴がいるんだなあ」と三人共、笑った。

頂稜

穂先への登りはキツイ。 
しかし頂へのクライマックスのためか俄然やる気が湧いてくる。

手がかり足がかりも多く、気分よく高さを稼ぐと最後の難関、直下のチムニ-だ。 
さかぼうと赤ザック氏はフリ-で登るも青ザック氏はザイルを使う。 
さかぼうは青ザック氏の為にここまで二度、ザイルを張った。 
しきりに恐縮する彼の山歴は冬季西穂-奥穂、冬季阿弥陀岳南稜・・・。 どれをとってもさかぼう以上。 
しかし、ほんの少しの登攀力の違いがこの結果だ。つまり北鎌とはそういう所なのだ。

チムニ-を後に白杭に導かれた辺りで、山頂の人々が見えてくる。 
さあ、待ちに待った瞬間だ。 
三人を迎えたのは拍手でもなく歓声でもなく 私達に向けられたカメラのシャッタ-音だった。

さかぼうは頂稜へ立った。天を突く頂で天を仰いだ。 

ヒュッテ大槍

都合、4度目。槍の山頂はまたもガスだった。 
山頂で雨に降られ、槍ヶ岳山荘に着く頃には濡れ鼠になってしまった。 
ここまで来るともはや軟弱モ-ド。ヒュッテ大槍、宿泊決定!

夜が明けた。 
雷鳥平からは槍と北鎌が良く見える。 
一夜明けて改めて歓びを噛み締める。 
そしてなんだか少しだけ泣けた。

 

槍へ槍ヶ岳・北鎌尾根

さかぼうはたしかにそこにいた。 
あの栄光と悲劇の山稜に。

魅せられし者達は色褪せる事なく夢を見続ける。 
いつかまた名も知らぬ仲間達と感動できる瞬間まで。 
見果てぬ夢に終わりは無い。


sak