カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1240 『最近にない傑作 映画 ローン・サバイバー』

2014年09月30日 | 日記







 『マーカス・ラトレル(マーク・ウォールバーグ )』 2014年10月1日








微々たることでもいい、日々の努力の成果というものを、なんでもいいから体験することが大事だと思うよ。なんでもいいんだよ。

それは、身から悟る抵抗のない産物なんだよ。その微々たる成果が、全てにおいて、自分を正しい道に誘(いざな)ってくれるよ。自我を抑える力となるね。

努力とは抵抗を撥ね退けやり続けることだから、常に自身と戦って克つことを知らず知らずに覚えるんだね。





やがて、それは快感に変わってくるんだよ。克つという快感だね。勝とうとする意欲を育ててくれるね。不思議な力だね。



















どうしようが、こうしょうが、全くもって向上の気配すら感じられないこともあるね。「おまえの写真か?」 よく解るね。

「シャッター押すときに脇を絞めろって云ってんだろうがっ」 脇を絞めてもブルブル震えるのを押えるのはどうする? 「三脚だろ」

あのね、使わないから、簡単に三脚だろって云えるんだよ。実際に使ってみろ、面倒なんだよ、此れがあ。






イタリアのマンフロット、フランス(現在はイタリア)のジッツオーなんて高級な三脚を何種類も所有したけどね、使い切ったのはゼロだよ。

下手したら、セットする段で、高級レンズ填めたカメラを落としてしまうよ。「慌てるからだろ?」 慌てるよ、人間の心理だよ。

此処って瞬間があるんだよ、其れを外すと、なんでもない絵しか撮れないんだよ。「それは一人前の奴が云う台詞だろ」 ああ、そう。






「おまえは、初歩も初歩、基礎がなってないよ」 しかしねえ、違いは解るね、いかにコンデジが進化しても一眼レフを越すことは出来ないね。

「具体的に云ってみろ」 う~ん、冴えだね、オレの写真で云うと、被写体の一部でしかないんだけど、捉えた一部分の冴えが全然違うよ。

云わば、切れるような描写力だね。「おまえの場合は、其の上に高級レンズが全てホローしてるからね、おまえは、持ち歩くだけだよ」 随分だね。






カメラって不思議な力を持ってるよ。防湿庫から取り出し2、3枚撮るとね、無性に出かけたくなるんだよ。「常に首に掛けておけ」 随分だね。



















今日は、9月28日じゃないか。「それがどうした?」 もう、10月じゃないか。ニ・シ・ム・ク・サムライだから9月は30日だね、あと2日か。

よおしっぃ~。「また、始まったね」 3度目の正直だよ、出かけるぞお~。行楽のシーズンだよ。「おまえとは無縁だろうが」ふっふふふ、今年は縁を繋ぐぞ。



















今日、ゆっくりと、DVD『ローン・サバイバー』を観賞したよ。全てが素晴らしい出来の映画だね。感動した。最近にない傑作だよ。






2005年6月、アメリカが誇る精鋭特殊部隊ネイビー・シールズによるアフガニスタンにおけるタリバーン指導者暗殺作戦中に起きた、

ネイビー・シールズ史上、最もたる悲劇といわれるレッド・ウィング作戦を、実際に作戦に参加し、

ただ一人奇跡の生還を果たした元隊員マーカス・ラトレルの手記『アフガン、たった一人の生還』を原作に映画化したものだね。












『ローン・サバイバー』(原題: Lone Survivor)は、2013年制作のアメリカ映画。ピーター・バーグ監督








こんな傑作の最新作を200円で観れるなんて結構な時代だね。こんなに集中させられた映画にお目にかかるのは久しぶりだよ。

特殊部隊ネイビー・シールズの4人の兵士が、タリバーン(神学生)の指導者暗殺の命を受け作戦実行中に

羊飼いの連中と遭遇したことから計画は破綻。人道的な判断が、彼らを窮地に落とし入れるんだね。






追ってくる200人のタリバーンの猛攻に、全員が、身体中に被弾、被弾、被弾、壮烈なことになる。

鍛えに鍛え抜かれた精鋭なればこそってのを納得させられたよ。描写に手抜きがないね、

被弾して飛び散る血肉、撃たれて倒れるタリバーンなんかホントに実弾撃って殺してるみたい。「アホか」 リアルだよ、凄まじいんだよ。



















逃げるって、ただ走って逃げるんじゃないよ。行く手には断崖、他に回ることも出来ないほど切迫してる。

どうなとなれって走り飛ぶ。岩や石がゴロゴロしてる傾斜をおもくその勢いで転げる、落ちる、ぶっ飛ぶ、満身創痍の骨折の血だらけ。

仲間を思う気持ちが濃いんだね。それだけに悲壮感が迫ってくる。凄い映画だね。






戦争映画では、其のリアリティな描写は、「プライベート・ライアン」と双璧を成すね。



















アフガニスタンの村人が先人の教えに習い、タリバーン相手に銃を取り、最後の一人を庇い通して救うんだね。いやあ~実に素晴らしい映画だったよ。

オレ流に先人の教えなんて漠然とした言葉を使ってるけど、これは、「パシュトゥーンの掟」と云って、

「助けを求めてきた客人は、どんな犠牲を払っても守り抜く」 という2千年前からのパシュトゥーン族の習いなんだね。






この倫理規定のようなことは、アフガンの歴史に良くも悪くも影響があり、ビン・ラディンを匿ったとされたり、

普通に米軍とコンタクトをとっただけで、タリバーンに処刑されたりと、必ずしも自分たちの利益に繋がることではないんだね。

日本で云うとヤクザの仁義みたいなもんかね? 






アメリカ英雄気取りなんて、真ん中取りの似非(えせ)正義漢みたいなのが、難癖つけて解ったような解説するのが出るだろうけど、

タリバーンの連中は、とんでもない野蛮人だね。そんなのが追ってくるから映画は、尚更、恐怖心を煽って面白くなるんだよ。






当地で、実際に戦い生きた人の云うことを重きにおくよ。安全な処で気侭に生きて似非正義漢面する奴は、当地へ行ってタリバーンと話しをして来い。

タリバーンって、兎に角、狂信的なんだね。意に添わぬ人は、羽交い絞めして首をチョン斬ってしまうんだね。クワバラ、コワバラ。

瀕死の重傷負って取り残された隊員が、どんな目に合わされるかとハラハラしたけど銃を向けよったからホっとしたよ。「殺されねんで」 状況から判じて仕方ないね。



















写真は左から、アクセルセン、ダニエル、ジェームズ、「マーカス・ラトレル」 エリック、マイケル(実在した本人)2005年6月28日撮影。

「マーカス・ラトレル」以外の兵士がアフガニスタンで戦死した。

援護戦闘ヘリ(アパッチ)不在のまま救援に向った輸送ヘリが、タリバーンのRPG(対飛行機携行ロケット砲)をまともに喰らって墜落爆発する。






搭乗員16名は全員死亡。ネイビー・シールズ隊員11名が含まれている。其の中の兵士(ジェームズとエリック)も、此の写真に映ってるんだね。

いかに鍛えに鍛えてもRPG一発で瞬時に死ぬときは死ぬ。粘りに粘って戦い抜いて瀕死の状態に追い込まれた仲間を救援に向かい、

当地の空に到着して、いざ、降下という段になって機内にRPGが飛び込んでくる。






どうしたことか衛星通信は通じない、携帯も通じない、緊急の救援が必要なときに援護の戦闘ヘリが出払って居ない、全てがついてないんだね。

なんでもない羊飼いの連中との遭遇がケチの付き始めなんだね。、解放するか、凍死か狼の餌になるかも知れないが木に縛り放置するか、もしくは排除(殺す)か、

4人の意見は分かれるが人道的な対処で結論、解放するんだね。解放されたタリバーン派の若者の足の速さ、身の軽さ、驚きの速さでタリバーンに伝える。






4人は、作戦続行を断念、通信が可能と判断される山の頂に向うんだけど、予想外の速さで追跡してきたタリバーンの戦闘員200名と遭遇する。

ついてない時は、正義の判断さえ裏目に出るんだね。戦いにおいて果たして正義が正しいのかどうか、結果的に19人の命を代償に値するものかねえ?

オレなら、足手まといな老人は解放しても若者は連行する。山頂で救援の連絡が通じた時点で解放すれば良かったんじゃないんかねえ?






作戦実行の特殊部隊ネイビー・シールズの4人の兵士



マーカス・ラトレル一等兵曹 (マーク・ウォールバーグ )

マイケル・マーフィ大尉 (テイラー・キッチュ)

ダニエル・ディーツ二等兵曹 (エミール・ハーシュ )

マシュー・アクセルソン二等兵曹 (ベン・フォスター)






あの状況で生き延びるってのは、その人が授かった生命力のなせる業(わざ)なんだろうね。彼は退役して現在一児の親になり平和に暮らしているらしい。

































カメレオンの独り言-1239 『生きるということ』

2014年09月29日 | 日記







 2014年9月29日








花見月の葉っぱが薄っすらと色づいてきたよ。秋の真っ青な空に綿を千切って並べたような白いうろこ雲。

ちょっと湿気てるかなあ? そのぶん暑く感じるね。

もう、同じ光景を幾度となく見ているのに季節の変わり往くころは、何故か目にとまって感慨深いんだね。





否が応でも歳をとる階段は上がらねばならない。物云わぬ木々も、毎年、年輪を重ねていくんだね。

今は、こうしてオレがおまえを見ているつもりだよ。

でも、いつの日か、オレが見ていたのではなく、おまえが、オレを見ていたことに気付くときがくる。





おまえの前を吹き抜けて行く風のように、オレも、いつの日か去っていくんだね。

そういうオレも、此の歳になるまでに多くの人が過ぎ去るのを見送ったよ。見送り、見送られて、命は吹き抜ける風の如しだね。



















オレと同年輩ほどのインテリの紳士が、「〇〇〇〇さん、行って来たよ」 どちらへ? 「仕事仲間の会合なんだけどね」って、

封筒からしおりを抜き取り差し出される。ほお~う、オレの住む世界とは違う方ばかりですね。「そんなことはないよ」 

人は、解ってるようで居て自分が見えんもんですよ。上品に笑われるんだねえ、此の人は。オレと、エライ違いだよ。「おまえは?」 うっわっはっはははだよ。





「いやね、此の上にね、名が出ると終わりだよ」 お迎えですか? 「そうだよ、よく出てるんだよ」 寂しい話しですが、悲しい話じゃないでしょう?

やり終えた上に自分の名が出る。なかなか、こんなところに出して貰えませんよ。「そうかねえ?」 

まあ、ご主人の名が出るまで、まだ、何十年も先の話ですよ。「そうかなあ」って、嬉しそうに笑われていたよ。此の人は、上品な人柄が光るね。





中身までは無理だけど外見だけでも盗もうか。「盗人か?」 人にいい影響を与える、人生で培った養分を他に施す、長く生きるとは、そういうことだよ。



















もの言わぬ木々を見ろよ。年輪を重ねて不動にある其の姿、緑を一杯に蓄えて人に癒しを与えて其処に在り続ける。

葉は枯れて全てが身から落ちようとも、雪解けとともに、また、新芽を吹かせて若葉に覆われる根強さを、繰り返し繰り返し見せて教えているんだよ。

成るとも成らずとも、人は、諦めてはいかんのだよ。とこ、とんやれ、粘りで立ち続けねばいかんのだよ。其れが、強さなんだよ。





格好つけようのない時も、格好悪いこと此の上ない事態に陥っても、とこ、とんやれ、恥かきまくって影で泣いても、笑っていればいいんだよ。

そんな時ってのはね、周りの奴は、全て、上手く生きている中の天涯孤独ってのが相場だよ。自分一人だけが、間違いなく最悪なんだね。

世間全般が幸せ一杯、そうとしか見えないんだね。でも、其れは、あくまで錯覚であることを肝に銘じることだよ。





落葉樹の定めと解して春を待つんだよ。やがて、芽が吹き出し若葉が身を包む頃、ひとつの試練を乗り切った自分を知るんだよ。其れが人生だよ。



















もの言わぬ木々たちよ、おまえたちを見ていると、そんなことを考えているオレがいる。おまえ達にもピンから切が在る。人々にも、其れがあるね。

おまえ達も根を張る場所を間違えれば、やがては立ち枯れするし、多くが育てば伐採されて木屑になる。

生まれ出でる場所を選び探さねば大木になるのは難しい。しかし、選べない、それが宿命かもしれないね。人智の及ばぬ神の領域の話だろうかね。





おまえもオレも、全ての生きとし生けるものが、百人百様、抱え持つ「大いなる矛盾」を目の前にぶら下げて生きて此処に在るんだね。















『 御嶽山 』が爆発(2014-9-27)したね。行楽シーズンの土曜日ってのが災いしたね。沢山の人が重軽傷ってある。さぞかし吃驚しただろうね。

昔、車で向かいの低い山を登って、絵葉書同然、鮮明この上ない御嶽山を目の当たりに見たことがある。あんなのが爆発するんだねえ。

37人が、まだ、山頂の山小屋に避難したまま下りて来ないらしい。登ったら自力で下りて来いよ。重傷者が居るんだろうかねえ?





救助隊を待ってんだろうけど、行く人はホントにコワイよ。いつ、また。ドカンッとくるかも解らない。相手は、火山だよ。抗せる相手じゃないよ。

昔、九州の雲仙普賢岳(ふげんだけ)の噴火で火砕流が猛烈な勢いで斜面を駆け下り多くの人たちをのみこんだ怖ろしい災害があった。

映像(すぐさま放映禁止になった)をニュースで観たけど、火砕流の噴煙に巻き込まれて、よろよろと下り来る消防団員の悲惨な姿が映ってた。





それでも、救助に向う人たちがいる。凄い勇気と使命感だね、頭が下がるよ。頂上には、身動きできない重傷者が居たみたいだね。

高熱の噴煙を吸い込むと体内が焼け爛(ただ)れるらしい。綺麗な御嶽山に感動し、一変して、怖ろしい御嶽山に恐れ戦(おのの)き恨みは深しだね。

何処で何が起きるや解らんね。巡りあったが百年目だね。

















28日(日)夕方のニュースで大変なことになってるね。31人が心配停止状態、40人ほどの人が行方不明らしい。

情報も錯綜しているだろうから、どこかで無事にいることも考えられる。そうあって欲しいね。





















カメレオンの独り言-1238 『懐かしの映画 史上最大の作戦ー後編』

2014年09月28日 | 日記







 『史上最大の作戦』 2014-9-28







「史上最大の作戦」の後編です。オレの構想では、役者の演じる役名も画像も網羅したものだったけど、アカン。

其れを、所々に挿入して仕上げる積りが、制約一杯で、其れをやったら前、中、後と分けなければ無利だね。それでは、やたらと長ったらしくなるよ。

「余計な画像が多過ぎるんだよ」 貼り出すとね、意地になるんだよ。今回は、映画「史上最大の作戦の全体像を紹介するにとどめておきます。






















上陸開始に先立って、海岸付近のドイツ軍を攪乱し、反撃行動を妨害し、上陸部隊の内陸進攻を容易にするため、

イギリス第6空挺師団に続いて、アメリカ第82、第101空挺師団が6日前夜、大輸送機編隊に分乗してイギリスを飛び立った。






















「降下地点を誤ったら北微東の方向へ進め」「沼沢地帯はなるべく避けて降りろ」「俺たちは、泳ぎに来たんじゃないからな、解ったか?」















ノルマンディー地方の西方、ユタ・ビーチのあるコタンタン半島上空に米軍輸送機の大編隊が到達、

アメリカ第82、第101空挺師団1万8000名のパラシュート部隊が、夜のとばりのおりた田園地帯に降下の時が来た。

Dデーの警報を受けなかった、唯一のドイツ軍部隊の展開する地域の真ん中へ。















映画は、このサント=メール=エグリーズの真上から第82空挺隊F中隊が降下、折から街の教会が火災で人々がバケツリレーで消火する真っ只中なんだね。

夜空を煌々と照らす火柱に彼らの姿が浮かび上がる。消火の指揮をとるドイツ軍が、いち早く発見、機銃で撃ちまくるから、

降下中の空挺隊は、恰好の標的となって着地したときには死体となって意味を成さない。それでも着地して応戦するが態勢的に待ち受けるほうに分がある。































































見知らぬイギリスで満を持し、見知らぬ空に飛来して、見知らぬ国の夜空に舞い飛び着地を待たずに死ぬ。

また、敵の姿さえ見ることも無く海や沼に突っ込み溺死する。何十キロもの装備を身につけて大地に叩きつけられる覚悟で降下する身にとって、

ズボッと潜り込む態勢など用意がない。戦うために機体を蹴って夜空へジャンプする。納得のいかない無念やるかたない死だろうね。


















































アメリカ陸軍第82空挺師団 ジョン・スチール(一等兵(レッド・バトンズ)







ドイツ軍がいる町の真ん中に降下してしまった82空挺師団ジョン・スティール二等兵のパラシュートは、教会の塔に引っかかり、

宙吊りになる。鳴り続ける鐘の音を背後に聞きながら、街の中へ降下した仲間たちが、半ば殺戮されるさまを見下ろすしかなかった。

彼の当時の状態を、現在のサント=メール=エグリーズの教会の塔に人形に模してぶら下げられている。

















予定地点から5マイルも外れた沼地一帯に降下した第2大隊長ベンジャミン・バンダーボルト中佐らは、サント=メール=エグリーズの街へ辿り着く。

バンダーボルト中佐は、街の中に降下したF中隊の将兵らの死体が、所々にぶら下がったままの姿を目の当たりにして、

彼らの降下時の状況が壮絶なものだったことを知る。「彼らを降ろせっ」 部下の命を預かる身にとって忍び難い光景だったんだろうね。

















アメリカ陸軍第82空挺師団 シーン中尉(スチュアート・ホイットマン)




















アメリカ陸軍第82空挺師団第505空挺歩兵連隊第2大隊長 ベンジャミン・バンダーボルト中佐 (ジョン・ウェイン)







ドイツ側では、「総統が起きられたら伝える」「わかりました」 ドイツ西部軍参謀長ギュンター・ブルーメントリット大将(クルト・ユルゲンス)は、

噴き上がる怒りを抑えて受話器を置いた。危急存亡の非常時にヒトラー総統は就寝中につき取次ぎできないと云う。

ヒトラーは、不眠症に悩まされ感情不安定な日々が続いていることから側近の重臣らは及び腰だったんだね。総統の承認を仰がねば機甲部隊を使えない。

















ドイツ西部軍参謀長 ギュンター・ブルーメントリット歩兵大将 (クルト・ユルゲンス) 右





ブルーメントリット大将は 「この瞬間に歴史は変わる」「俺たちは負けるぞ、偉大なる総統閣下が睡眠薬で寝ておられる」「お起こしできんのだ、信じられん」





オーヴァーロード作戦の最初の段階である、ノルマンディー海岸への橋頭堡形成作戦には、ネプチューン作戦というコード名が付けられた。





イギリスのモントゴメリー将軍の総指揮の下、西から順に、ブラッドレー将軍指揮のアメリカ軍担当の「ユタ」(第4歩兵師団コリンズ将軍指揮)

「オマハ」(第1歩兵師団ゲロウ将軍指揮)、デンプシー将軍指揮のイギリス軍担当の「ゴールド」(第50歩兵師団ブックノール将軍指揮)

「ジュノー」(カナダ第3歩兵師団)、「ソード」(第3歩兵師団)の5つの管区に分けられた。





航空機の爆撃、艦船からの艦砲射撃、空挺部隊降下の支援の下、水陸両用戦車を配備した第一次上陸隊が橋頭堡を確保し、

第二次上陸隊以降が突破口を広げる計画が立てられていた。

そして、1944年6月6日午前6時30分、5つの管区で一斉に上陸を開始し、オマハ以外では、犠牲を少数にとどめ上陸を果たした。





映画では、ドイツ第352師団沿岸砲兵隊指揮官 ヴェルナー・プルスカット少佐(ハンス・クリスチャン・ブレヒ)が、早朝、愛犬とともに海岸防衛線を散歩、

コンクリートで固められた防御施設に入り銃眼から海を遠望して、副官と話したあと、「さて、もう一度見て帰ろうか」
















































ドイツ第352師団沿岸砲兵隊指揮官 ヴェルナー・プルスカット少佐 (ハンス・クリスチャン・ブレヒ)







双眼鏡で海の向こうに視点をおいて呆然とするんだね。朝もやが晴れ往く海上の地平線を埋め尽くした大船団の姿が目に飛び込んでくる。「侵攻だっ」










オッカー中佐 (ペーター・ファン・アイク)


























後方のオッカー中佐に緊急連絡、「嘘じゃないっ」 と彼は叫んだ。受けてのオッカー中佐は、事態が呑み込めず反応が鈍い。

「信用しないのなら、ここへ来て、自分の目で見たまえっ 途方もない船団だっ 信じられない眺めだっ」 ちょっと間があいて、再びオッカーの声がもどった。





「その船団はどちらへ向かっているのかね?」 受話器を握りしめたまま、プルスカット少佐は、銃眼に目をやって答えた。「まっすぐ私の方へだ!!」































百数十隻の艦船から艦砲射撃が一斉に開始されて海岸線一帯の防御施設が破壊されていく。猛烈な艦砲射撃のなか、

ドイツ軍は、防御陣地の壕に身を隠し、やがて、押し寄せるであろう上陸用艦艇への迎撃のときを待った。

プルスカット少佐の入る防御施設も炸裂する砲弾の衝撃で分厚いコンクリートがひび割れ、天井を突き破るほどに傷めつけられる。







 実写



















































そして1944年6月6日午前6時30分、連合国軍は、5つの管区で一斉に上陸を開始した。オマハ以外では犠牲を少数にとどめ上陸を果たした。










































4日間の休暇をとって妻の誕生日を祝っていたロンメル将軍に、連合国軍の侵攻作戦が伝えられた。










ドイツ陸軍B軍団長 エルヴィン・ロンメル元帥(ヴェルナー・ヒンツ)







「ソード・ビーチ」では、英第3歩兵師団が上陸に成功し、彼らの死傷者は少数であった。彼らはその日の終わりまでに約5マイル (8km) 進撃した。

第1特務旅団は、二つのフランス兵部隊を伴ったイギリス海兵隊第4コマンドに率いられて第二波として上陸した。

フランス兵部隊の目標は、ブロックハウスとカジノであり、第4海兵隊の目標は海岸を見下ろした二つの砲台であった。





「ジュノー・ビーチ」に上陸したカナダ軍は、11基の155mm砲重砲台、及び、9基の75mm砲中砲台に直面した。

また、そこには機関銃の巣とトーチカや他のコンクリート堡塁、そしてオマハ・ビーチの二倍の高さの護岸堤が立ちはだかっていた。

第一波は、オマハ以外の5つのD-デイ上陸拠点のうちで最高の50パーセントの死傷者が出た。














「ゴールド・ビーチ」では、部分的に水陸両用シャーマンの到達が遅れ、死傷者が増えることとなった。

また、ドイツ軍は、海岸上の村を防衛拠点として強化していた。

しかしながら第50師団は障害を克服し、その日の終わりまでにバイユーの周辺に向かって前進した。





ドイツ空軍は、この時フランス北部沿岸全体に183機(実働160機)しかいなかった。

国防軍最高司令部は、ドイツ本土への空爆に対応させるためと、爆撃の激しいフランス北部沿岸で損耗させることを避けるため、

このうちの160機を、フランス北部沿岸地帯から移動させていたんだね。





国防軍最高司令部が海の荒れる6月には連合軍は上陸しないと見ていたのも大きな要因である。

このため、第26戦闘航空団からヨーゼフ・プリラー大佐とハインツ・ヴォダルチック軍曹の駆る2機のFW190戦闘機が出撃し、

「ジュノ、ゴールドビーチ」に上陸中の連合軍に一回の機銃掃射を加えたのが、ドイツ空軍戦闘機が、唯一、行った上陸作戦に対する攻撃となった。










ドイツ第26戦闘航空団司令 ヨーゼフ・プリラー大佐 (ハインツ・ラインケ)



































































「オマハ・ビーチ」においては、米第1歩兵師団が最悪の苦難を経験した。

ここでは、他の海岸に比べ特殊装甲車両の装備が少なく、さらにオマハに割り当てられた水陸両用戦車27両の多くは高潮の影響で次々と浸水し、

海岸に到着する前にほとんどが失われた。更に、上陸用舟艇10隻も戦わずに沈没するハプニングに見舞われている。


























しかも、当初、海岸に配備されていたドイツ側の守備隊は二線級の第716歩兵師団と予測されていたが、

実際は、東部戦線における激戦の戦闘経験を持つ第352歩兵師団であった。

第352歩兵師団は、連合軍の知らぬ間にオマハ正面へ布陣しており、その火点の多くが事前の航空爆撃や艦砲射撃にも生き残り上陸部隊を猛烈に攻撃してきた。





彼らは、海岸を見下ろす険しい崖の上を拠点とした。「上陸10分以内に(先導)部隊は指揮官を失い活動能力を失った。

指揮をとる全ての士官、及び、下士官は戦死または負傷した。……それは生存と救助のための闘争となった」

上陸部隊の第一波は、独軍守備隊の抵抗により海岸へ釘付けとなり、死傷者が続出。そこへ第二波以降の部隊が次々に詰め掛け、海岸線はパニックに陥った。





その光景はさながら、地獄絵図そのもので「ブラッディ・オマハ(血まみれの)オマハ」と呼ばれている。











































工兵役のジェフリー・ハンターの活躍を貼ってやりたいけど、ちょっと後がないから省くよ。なんかハラハラしてきたよ。

























「オック岬」のドイツ軍コンクリート要塞は、米第2レンジャー大隊の攻撃目標であった。

彼らの任務は、敵の砲火の下ロープと梯子を用いて高さ約30mの崖を登り、ユタとオマハを射程とした要塞内の砲を破壊することであった。

部隊は到達に成功し、おそらく前日の爆撃中に移動された砲は見つかり破壊された。上陸部隊の死傷者の割合はほぼ50パーセントだった。





「ユタ・ビーチ」では、オマハ・ビーチとは対照的に死傷者数は197名で全上陸管区中最少であった。

これは、潮流や視界不良などにより、当初予定されていた上陸地点を東に2kmほどずれたのが、かえって幸運だったためである。

2万3千名が上陸を果たし、彼らは内陸に進撃を行って、先陣の空挺部隊との連絡に成功した。





こっちは、失敗しかけだよ。終れへんがなあ~。「収拾つくかあ?」 怖くなってきたよ、吐く息が荒いよ。何処かで手を抜かんとアカンでえ~。

また、20000字が近づいてきたよ。「写真が多過ぎるんだよっ」 しかし、雰囲気としては入れたいがなあ。「文で収めろ」 し、しかしい~。

考えたら、オール・スターのわりに役者が出て来ないね。仕方ない、ショーン・コネリーを貼っておこう。






















イギリス軍コマンド部隊長 ロバット卿 (ピーター・ローフォード)

 
















「ソード・ビーチ」に上陸したフランス兵部隊の目標は、ブロックハウスとカジノとあるが、詳しい資料はないね。

フランス海軍コマンド部隊長フィリップ・キーファ中佐を クリスチャン・マルカン が演じてるね。

映画では、カジノのビルに陣取るドイツ軍を攻撃、死傷者を多数出すが、戦車の救援でビルを崩壊してドイツ軍を撃退するまでが挿入されている。





此の戦闘シーン、及び、背景となる運河が流れる街並みが目を引くね。大掛かりなセットなのかね? 印象に残ってるよ。





























































































フランス海軍コマンド部隊長 フィリップ・キーファ中佐(クリスチャン・マルカン)








『実際のカジノのブロックハウス』








「オック岬」の第2レンジャー大隊の攻撃シーンも事実に基づいて描かれてるんだろうね、あまりお目にかかれない戦闘シーンだったね。

そのために訓練されているんだろうけど、岩肌よじ登って撃たれに行く根性は見上げたもんだよ。30mの断崖だよ。ビルなら15、6階かね。 




























































































上から手榴弾を雨のように放り投げ落とされて炸裂する。身の隠しようもない。絶壁の下まで駆け上がると空に向って錨の頭が付いたロープを発射する。

錨はロープを引いて空を飛び、絶壁の上に設けられた鉄条網に絡みつく。此れを登るんだね。ある者は梯子を伸ばして登るんだけど、よくやるねえ。

上では、錨が絡んだ鉄条網をカッターで切る。途中まで登っているものが落ちる。それでも登るんだね。





幸いなのは、備えの手薄な絶壁からの攻撃だから、敵も兵士の機銃と手榴弾のみの防戦となる。重火器は後方のトーチカの中で絶壁を上がり来る者は撃てない。













































































レンジャー隊員のジョージ・シーガルが、途中で振り向くんだけど、其の視界の海に大きな水柱が立つ。綺麗なんだね。このシーンがずっと残ってるよ。















登場人物











アメリカ陸軍第4歩兵師団副師団長 セオドア・ルーズベルト准将(ヘンリー・フォンダ )と同師団長レイモンド・バートン少将 (エドモンド・オブライエン )









ドイツ第7軍参謀長 ヨーゼフ・ペムゼル少将 (ヴォルフガング・プライス) 左









イギリス空軍パイロット デビッド・キャンベル(リチャード・バートン)と アメリカ陸軍第82空挺師団アーサー・シュルツ一等兵(リチャード・ベイマー )









オマハ・ビーチの上陸を果たしたアメリカ陸軍第29歩兵師団副師団長 ノーマン・コータ准将(ロバート・ミッチャム)















The Longest Day MARCH(1962) - Mitch Miller









『史上最大の作戦』 the longest day 1962年(昭和37年)度作品




Many men came here as soldiers

Many men will pass this way

Many men will count the hours

As they live the longest day



Many men are tired and weary

Many men are here to stay

Many men won't see the sunset

When it ends the longest day



The longest day the longest day

This will be the longest day

Filled with hopes and filled with fears

Filled with blood and sweat and tears

Many men the mighty thousands

Many men to victory

Marching on right into battle

In the longest day in history







1939年9月1日にポーランドへ侵攻して勝利したドイツ軍は、1940年5月10日にオランダ・ベルギー・ルクセンブルクに侵攻、

5月17日以降に北フランスを席捲した。ドイツ軍は戦車・航空機といった新しい兵器を中心とした電撃戦を展開、

その火力・機動力を集中して運用する新しいスタイルの戦法によって連合軍主力の後方を突破すると、





ドーバー海峡まで駆け抜けてこれらを包囲し、フランス、イギリス海外派遣軍、総勢35万人をダンケルクへ追い詰めた。

ドイツ軍のフランス侵攻の1940年5月24日から6月4日の間に起こった戦闘である。

輸送船の他に小型艇、駆逐艦、民間船などすべてを動員した史上最大の撤退作戦となった。





それから、ちょうど、4年目に連合国軍が、総力を結集してフランス解放のために史上最大の上陸作戦を決行したんだね。








フランス ノルマンディ、オマハビーチの東側に聳える断崖、現在のオック岬だね。





前編のトンガ作戦で、占拠したベヌーヴィル橋と呼ばれていたこの橋は、着陸部隊の部隊名を取って、公式に「ペガサス橋」と改称された。

第二次世界大戦終結後、この橋は架け替えられたが、歴史的な印象をそのまま残すために、オリジナルの橋をそのまま拡大した形で設計され架橋された。

橋の占拠を指揮したハワード少佐の名誉を称え、道路も「ハワード少佐通りと改称された。ランヴィル橋はグライダーの名前をとり「ホルサ橋」と呼ばれている。





モントゴメリー将軍は1944年7月16日に、ジョン・ハワード少佐の卓越した指揮を称え殊勲賞を授与した。同じく、第6空挺師団の兵士は殊勲十字賞を授与された。













現在の『ペガサス橋』






まだ、いけるか? まだか?と、制限以上の注意テロップが、出るか、出るかと、ビクビクしながら登場人物を挿入してたけど、もう限界だね。






















カメレオンの独り言-1237 『懐かしの映画 史上最大の作戦ー前編』

2014年09月26日 | 日記








 『史上最大の作戦』 The Longest Day 1914-9-26








時代だね、映画が娯楽の主流だった1970年頃までは、一本の映画に対する思い入れが今の比じゃないね。誰もが同じ思いを共有していたよ。

昭和37年、道頓堀の松竹座で「史上最大の作戦」が上映されてたね。映画館の前は、これでもかって感じで大看板が掲げられて映画の世界へ引き込むんだね。

上映待ち時間には「史上最大の作戦」マーチが鳴り響いてた。前を行き来する人たちが、足を止めては看板を見上げてた。





オレも行ったよ、映画館の前で切符持って、次の上映時間を待ってたね。今みたいに時間制じゃないので場内への出入りは自由だったけど、

外から見ると、ロビーの向こう側の場内ドアが膨れて開いてる。立ち見の人の背中に押されてんの。とてもじゃないけど入れない。

その人らの頭の向こう側にスクリーンが緑がかったモノクロシーンを映し出してるのが見えるんだね。此れが堪らんかった。背伸びして見るんだね。










『1992年封切りのボディガード公開時の大阪道頓堀筋 松竹座』 映画封切り館当時の写真があまり残ってないね。








場内から「史上最大の作戦」マーチが聞こえてくる。ラストだね。暫くするとお客さんが動き出す。

切符を渡してロビーの中へ入り、入れ代わりに備えだすんだね。ザワザワザワと観客が溢れ出て来る。玄関前ロビーは、瞬く間に人の波でごった返す。

満足と期待が入れ代わるんだね。でも、席は7割がた埋まってる。中途から観た人、観直す人、それと立ち見の人たちが空いた席を取っちゃうんだね。





でも、何とか席を確保してゆっくりと観れた。大画面を揺さぶるような大音響に圧倒されてノルマンディ上陸作戦を堪能したね。



























映画は、銀幕を、場内を、揺さぶるような威圧的小太鼓の効果音で始まる。ナチス・ドイツの威厳を示すような響きなんだね。





























































































レジスタンスか、スパイか、機密書類を抱えて逃げる男が、後方からシュマイザーで撃ち倒される。

ドイツ将校が車から降りて来て死体を足蹴に転がし鞄を取る。中身を調べて死体を一瞥、座席に鞄を放り投げて車で去る。

この出だしのシーンで、ああ、この映画は裏切らないって思ったよ。そして、あの置き去りの死体は、どうなるのかなあ?なんて思ってたよ。


































ドイツ側、連合国側、そして、其の間で活動するフランス、レジスタンスの動向を史実に基づいて描いてるね。

戦争映画だからダラけさせる女性の出る幕はないんだけど、レジスタンスの女活動家が紅一点で出演してる。此の人も実在していた人なんだね。

ジャニーヌ・ボアタールって人で、イリナ・デミックが演じてる。





馬や牛に食わせる、藁(わら)ってのかね? 出て来んわ。其れを一杯積んだ荷馬車が検問で銃剣を刺して隠しものがないか検査を受けている。

其処へ、彼女が自転車で現れる。スケベなドイツ兵は、綺麗な女性の方に忙しくなって荷馬車を適当に通行させる。男って、なんなんだろうね? 

難癖つけて付き合わせる魂胆なのかね? そこへ、上官が現れる。ドイツ兵は、慌てて通行許可を与え女を通す。任務遂行中でありますっ。



















































荷馬車に追いつき御者の男に微笑むと走り去る。藁の中には数人の男が隠れ潜んでいたんだね。このくだりはレジスタンス映画の定番だね。











アメリカ、イギリス、フランス、ドイツの映画スターが勢揃いし、監督も米英独から3名が当って、此の大作を完成させた。

オールスター映画ってのは、総じて中身の薄い顔見世的なものになるんだけど、この映画は、その殻を破ってドキュメンタリー風に仕上げて中身も濃い。

当時としては、破格の制作費40数億円を投じて製作された戦争巨編だよ。





「史上最大の作戦」ってのは、第2次世界大戦の欧州戦線で連合国軍がフランスのノルマンディに上陸した作戦のことで、D-デイ(D-Day)と称される。

D-デイとは、戦略上、重要な攻撃、もしくは、作戦開始日時を表す際にしばしば用いられたアメリカの軍事用語なんだね。

漠然とした日付を表すDayの頭文字という説がある。歴史上、最も有名なD-デイは、1944年6月6日のノルマンディ上陸作戦なんだね。





これはナチス・ドイツ占領下のヨーロッパにイギリスから連合国軍( アメリカ合衆国、イギリス、カナダ、自由フランス軍、ポーランド、オーストラリア

自由ベルギー軍、ニュージーランド、オランダ、ノルウェー、自由チェコスロバキア軍、ギリシャ王国)が侵攻を開始した「オーバーロード作戦」の

決行日でもあるんだね。最終的に200万人近い兵員が、ドーバー海峡を渡ってフランス・コタンタン半島のノルマンディー海岸に上陸した。





此の上陸作戦は、現在に至るまで最大規模の上陸作戦だったんだね。










『当時のノルマンディ海岸=実写』






作戦には、合計で47個師団が投入された。(師団=1万~3万人規模)其の内訳はイギリス軍、カナダ軍、自由ヨーロッパ軍26個師団にアメリカ軍21個師団とある。

上陸用舟艇4千隻、及び、艦砲射撃を行う軍艦130隻を含む6千を超える艦艇が投入された。空挺部隊を運ぶ輸送機1千機を含む1万2千機の航空機が上陸を支援した。

ドイツ軍に対して投下するために合計5千トンの爆弾が準備された。





其の日のノルマンディの海は艦艇に埋められ、空は、航空機でイナゴの群れの如くに覆われたんだろうね。





一方、ナチス・ドイツ軍は、フランス西海岸からの連合国軍の侵攻を阻止をするため西部防衛軍に知将ロンメル将軍を指揮官に任命し防衛の強化を図っていた。

1941年から北アフリカ戦線で、その知略に長けた勇猛さを「砂漠のキツネ」と称して連合国軍を悩ませ怖れさせたロンメル将軍は、西部防衛線を視察して、

ナチスの豪語した『大西洋の壁』(ノルウェー沿岸からスペインに達する3千マイル以上の大西洋沿岸全てを要塞化)が、










『イエローラインが「大西洋の壁」防衛線構築計画だったんだね。無理な計画だね』



















『海岸線の防御を構築するドイツ軍=上3枚実写』 







アドルフ・ヒトラーが「連合国軍が上陸する地点だ」と固執したカレー方面でも80%前後、ノルマンディーに至っては計画の20%前後の進行率でしかなかった

「敵よりも、むしろドイツ国民に対する宣伝用のこけおどし」であり、ドイツ宣伝省によるプロパガンダ(宣伝活動)に過ぎない実情を目の当たりにしたんだね。

でも、叶わずとも、実際には、それを現実のものにするためドイツが注いだ力は凄まじいものだったらしい。










『実際のアドルフ・ヒトラーと幕僚らの作戦会議』






膨大な量のコンクリート、セメントが集められ、徴用された何万人もの労働者たちが、ヒトラーの言う"狂信的"突貫工事を進めたことは事実だったんだね。

しかし、ナチス・ドイツは、東部戦線(ロシア)に力を削がねばならぬ状況下であったため許さぬ内情が計画を遅らせていたんだね。

連合国軍が上陸するのはノルマンディーであると考えていたロンメルは、着任の後、全力でノルマンディー沿岸の防御施設の構築を推し進めた。





ロンメルは手に入る限りの資材・人員・武器・兵器を全て投入したが、その中でも地雷は最も多く投入され、その数は、

ノルマンディー沿岸の全体に約6百万個以上であったという。戦争とは、殺戮以外のなにものでもないね。いかに大量に殺すかが最大目的なんだね。

ゴキブリホイホイとなんら変わらないよ。地球より重たい命も、大量のゴマ粒ふうに捉えれば、風に飛ばされる塵の如くに軽いんだね。

















その他にも波打ち際の海中に立てられた杭には機雷をくくりつけ、砂浜に障害物を置き(此れが、いまいち効果の程が解らん、

弾丸の遮蔽物を与えて敵の利になるんじゃないの?) 空挺部隊が降下しそうな地域を増水させ罠を設置するなど出来る限りの備えをめぐらせた。

ロンメルは、「敵がまだ海の中にいて、泥の中でもがきながら陸に達しようとしているとき」 水際で徹底的に殲滅することであると確信していた。





しかし、ロンメル軍団の上層にある西部方面軍総司令官ルントシュテットは、内陸部に連合軍を敢えて引き込み、

連合軍の橋頭堡がまだ固まりきらないうちを狙って撃滅する作戦を支持したんだね。この意見対立で機甲師団の配備が分断されたことが明暗を分けるんだね。

機甲師団とは、戦車部隊を中心に、戦車に随伴する自動車化・機械化された歩兵部隊、





同じく自動車化された工兵・砲兵・偵察・通信などの諸兵科の部隊から構成される師団のことを云う。










『ドイツ海軍 魚雷艇Sボート、高速艇で、潜水艦Uボートと同じく、其の存在は敵艦を怖れさせたんだね』 実写








連合国軍側では、此の作戦の計画立案のプロセスは、連合軍総司令部のスタッフによって1943年の1月に始められていたんだね。

1944年4月28日には、南デヴォン(イングランド南西部の地域)のスラプトン海岸で、ノルマンディのユタ海岸を想定した上陸演習が行われた。

訓練では、上陸部隊に対する海軍の護衛が不足し、ナチス・ドイツのSボートによる攻撃を受けて749人のアメリカ軍の死者を出したんだね。





連合軍上層部は、この失敗で、大規模な上陸作戦の用意が露見することを恐れた。幸い、ドイツ軍情報部は、詳しい情報はキャッチしていなかった。

連合軍が徹底的にオーバーロード作戦を秘匿したにも拘らず、ドイツ国防軍情報部(アプヴェール)は、オーバーロード作戦が開始される前兆として、

BBC放送がヴェルレーヌの「秋の歌」第一節の前半分、すなわち「秋の日の ヴィオロンの ためいきの」を暗号として放送するという情報を掴んではいた。





これは、「連合軍の上陸近し。準備して待機せよ」という、ヨーロッパ大陸の対ドイツレジスタンス全グループにあてた暗号放送だったんだね。





ドイツの諜報活動も盛んに行なわれており、イギリス南部の広範囲にスパイ網を持っていたが、不運なことに連合国側に寝返った諜報員が多く、

ほとんどの情報は、上陸地点がパ・ド・カレーであることを確認するものであった。陽動作戦も頻繁に行なわれレーダーおよび軍事施設への攻撃は継続されたが、

ノルマンディーを爆撃した場合は、パ・ド・カレーに其の倍の爆弾を落とすと言う具合で、あくまでノルマンディー方面はフェイントであり、





パ・ド・カレー(現、フランス北部ドーバー海峡の海底を英仏海峡トンネルが開通)が連合軍の主目標であることを印象付ける事を目的としていた。























1944年5月当時、上陸作戦に備えてイギリス国内に駐留したアメリカ兵は約150万人に上った。とんでもない数だよ。

作戦予定日は、当初5月1日となっていたが、予定は何度も繰り下げられて最終的に6月5日となった。

しかし、4日は、ドーバー海峡付近は激しい暴風雨に見舞われていたため連合国軍総司令官アイゼンハワーは、作戦期日の1日延期を決定しD-デイは6日になった。






























6月5日のノルマンディー沖での集結のため4日からすでに出航していた輸送船団は中止の命令を受けて引き返した。

活字では、簡単だけど、船に満載されて荒波に翻弄されて、覚悟のやり直しを強いられる海兵隊員たちは、不安と酔いで辟易したろうね。

映画は、ドイツ側のシーンに入ると重奏な小太鼓の効果音が響き渡る。なんども云うけど、これが凄く効いてるんだねえ。





この映画は、モノクロなんだけど、当時の映画では、少し緑がかった色合いに仕上がってたと記憶する。だからオレも緑に染めた。全部はしんどい。













































ドイツは、この悪天候が9日まで回復しないであろうと予想し、連合軍の上陸はないと判定したため幹部の休暇要請を許可している。

ロンメル将軍のほか、海軍総司令官、西方軍集団情報主任参謀、諜報を担当する国家保安本部軍事部長も休暇をとっていた。

しかし、連合軍は6日に天候が回復すると観測していた。ドイツ軍は大西洋方面の気象観測基地を多く失っており、予報にかけては連合軍が有利であった。




















































6月4日、雲の垂れ込む空を見上げつつ 「此の天候では侵攻はあるまい」 ロンメルは妻の誕生日を祝うためと、

少なくとも5個師団の指揮権を委譲するようヒトラーと直接交渉するため、

副官のフォン・テンペルホーフ大佐とヘルムート・ラング大尉を連れ4日間の休暇をとった。








かねてから自由フランスのカリスマ的指導者であるシャルル・ド・ゴール将軍の強硬な態度を嫌っていた米国大統領フランクリン・ルーズベルトは、

この作戦に参加させないようにしたがっていたが、英国首相ウィンストン・チャーチルの説得で直前に知らせることにした。

この作戦を二日前に知ったド・ゴールはすぐさま本作戦の総司令官アイゼンハワーの下に赴き、「フランスでの戦闘はフランス人が行うべきであって、

指揮をとるのは私でなくてはならない」と激しく詰め寄ったという。自国解放の尖兵に立ちたい思いは解るね。





アイゼンハワーも作戦の参加を認めないわけにはいかず承諾したものの、結局フランス軍は小規模な兵力で臨まざるを得なかった。





一方、ドイツ側では、6月5日、ドイツ時間午後9時15分、「秋の歌」第一節の後半「身にしみて ひたぶるに うら悲し」は、

ドイツ国防軍情報部によって傍受される。これは「放送された日の夜半から48時間以内に上陸は開始される」との暗号で、

直ちに関係する各部隊へ警報を発したが、何故か、この警報は、各部隊に信憑性をもたらされず対応の処置が行き届かなかったようなんだね。





















「身にしみて ひたぶるに うら悲し」














この放送は、当然、レジスタンスにも行き届いた。彼らの反応は、ドイツの其れとは違い作戦の援護行動は迅速だったんだね。























D-Day 1944年6月6日 前夜 出撃を前にアメリカ陸軍第82空挺師団に対し第2大隊長ベンジャミン・バンダーボルト中佐が訓示。






上陸開始に先立って、海岸付近のドイツ軍を攪乱し、反撃行動を妨害し、上陸部隊の内陸進攻を容易にするため、トンガ作戦を開始。

イギリス第6空挺師団、アメリカ第82、第101空挺師団がノルマンディー一帯に降下作戦を開始した。

映画では、アメリカ陸軍第82空挺師団 第505空挺歩兵連隊第2大隊長ベンジャミン・バンダーボルト中佐をジョン・ウェインが演じてる。






















「沼地は、出来るだけ避けろ、俺たちは、泳ぎに来たんじゃない」 





同じく、シーン中尉に、スチュアート・ホイットマン、ハーディング大尉に、スティーブ・フォレスト、ウィルソン中尉に、トム・トライオン。

ノルマンディー地方の西方、ユタ・ビーチのあるコタンタン半島には、米第82および第101空挺師団が降下したが、彼らの任務もまた困難に遭遇していた。

一部はパイロットの経験不足で、また一部は降下困難な着陸地点のため、部隊は広い範囲に散らばって降下した。





ドイツ軍は空挺部隊の行動を阻むためにこの地方の川をせき止めて沼を作り出しており、少なくない数の兵士たちが、これらの沼に降下して溺死した。

輸送機は西から東へ航路をとって半島を横切るのに12分しかかからず、降下が遅すぎた者は英仏海峡へ落ち、早すぎた者は西海岸から冠水地帯の間に落下した。

ある者は飛び降りるのが遅すぎ、下の闇をノルマンディだと思いながら英仏海峡へ落ちて溺死したとある。





一緒に降下した兵士たちは、ほとんど重なりあうようにして沼に突っこみ、そのまま沈んだきり上がってこない者もあった。ロンメルの防御策だね。

降下24時間後、第101空挺師団のうち3千名だけが集合できた。多くが敵の後方を歩き回り戦うことを余儀なくされた。

第82空挺師団は6月6日の早朝にサント=メール=エグリーズの街を占領し、同地は侵攻によって解放された最初の街となった。





第82空挺師団F中隊は、サント=メール=エグリーズの街の中へ降下した。防衛に当るドイツ軍の真っ只中へ降下するはめになる。(後編で)









英第6空挺師団は、午前0時10分過ぎ、最初に活動を始めた部隊だった。

彼らの主任務は、ソード・ビーチからやや南東にある、内陸進攻に必要なペガサス橋とホルサ橋の2つの橋の占領確保。

そして作戦の最も困難な部分は、4門の大口径砲を備えたメルヴィル砲台陣地の無力化であった。























これらの砲は、上陸艦隊に対する脅威と見なされており、遅くても午前5時30分までに無力化せよと命令されていた。

4255名の英第6空挺師団は、橋と砲台の周辺に第1波は、パラシュート、第2波は、グライダーで強行降下、着陸を試み、作戦を開始する。

橋は短時間で確保することができたが、メルヴィル砲台陣地の攻略は困難を極めた。






反攻を受けないように緊要地形を確保する。船団・上陸舟艇・海岸の上陸部隊が砲撃を受けないように砲台を破壊する、此れにより上陸部隊の側面を確保する。

地域を制圧して、ドイツ軍の組織的な反撃攻勢を阻止することが主目的であった。

上陸海岸の東側はイギリス陸軍・カナダ陸軍の強行着陸によるものでトンガ作戦と呼ばれた。






西側は、アメリカ陸軍の第82空挺師団がデトロイト作戦。同じく、第101空挺師団がシカゴ作戦を敢行した。

この映画では、東側の内陸進攻に必要なペガサス橋の占領確保を目指した英第6空挺師団の戦闘を描いている。


























































イギリス軍第6空挺師団指揮官ジョン・ハワード少佐をリチャード・トッド が演じてるね。グライダーで強行着陸を試み橋を占拠する。












































6月5日夜から、ハワード少佐率いるD中隊およびB中隊は、ハリファックス爆撃機に曳航されたホルサ・グライダー6機に搭乗した。

グライダーは、メルヴィルの東、ノルマンディー海岸上空、高度1900mで切り離された。

8日0時16分、ハワード少佐および第1小隊を載せた1番機(グライダー92号)は、目標となるペガサス橋からわずか47mの地点に着陸した。





着陸時、最初の鉄条網を突破した時点で急停止したため、乗員は衝撃で意識不明となったが、すぐに意識を取り戻し行動に移った。

もう1機のグライダーは、ハワード機のすぐ横に着陸した。部隊の4分の1がこれら二つの橋の直近に着陸したのに対し、他の機は滑走して6名が行動不能となった。

しかしながら、ドイツ軍の橋梁守備隊は、これらのグライダーを目撃しなかったか、あるいは撃墜された機だと思い、全く反応しなかった。





以前にも爆撃機が墜落する際の破片の衝撃音を聞いていたためと考えられている。






イギリス兵は川の東側にある、機関銃を備えた堅牢な監視所に手榴弾を投げ入れ、攻撃を開始し、その直後に橋を攻撃した。

デン・ブラザーリッジ大尉は、いったん橋の西側に手榴弾を投げたあと、監視所にも手榴弾を投げ入れた。

この間、数名の部下が敵の機関銃射手を射殺したが、この攻撃中に大尉は首を撃たれ重傷を負い、結果的に彼はD-デイに死亡した最初の兵員となった。















『実際の占拠間もなくのペガサス橋』








残念ながら、20000字までの制約があった。もう、大方出来上がったんだけど、一括では、保存及び更新が不能の注意テロップが出たよ。

画像も行数も字数に入るようだね。もっと、枠を広げろよ、ホンマあ~。

仕方がないので、此処で切り分けて、ここまでを前編、26日の分とします。後編は、28日付け更新します。









The Longest Day MARCH(1962) - Mitch Miller










『史上最大の作戦』 the longest day 1962年(昭和37年)度作品




Many men came here as soldiers

Many men will pass this way

Many men will count the hours

As they live the longest day



Many men are tired and weary

Many men are here to stay

Many men won't see the sunset

When it ends the longest day



The longest day the longest day

This will be the longest day

Filled with hopes and filled with fears

Filled with blood and sweat and tears

Many men the mighty thousands

Many men to victory

Marching on right into battle

In the longest day in history



































カメレオンの独り言-1236 『悲しみの重み』

2014年09月25日 | 日記








 9月25日








昨日はちょっと用事に追われて時間を失ったよ。でも、ツタヤへは行ってDVD「史上最大の作戦」を借りてきたよ。

此れで、巨編を書くことが出来るよ。「まだ云うとるわ」

ごめん、間違ったよ。構想二日、製作、実に一日を費やした超大作巨編だよ。読まなきゃ損するよ。「するかっ」 






ちょっと隙間が空いたから、明日か明後日の夜(28日付けで)更新するよ。楽しみにしておいてね。「誰が、するかっ」

内容は、毎度の如く、身勝手な映画紹介もどきだよ。

男性は、必ず、読むべきだよ。女性の方も読んでもいいよ。「放っとけ、そんなもん好きにするわ」 親切で云ってるつもりなんだけどね。 






「また、写真、ベタベタ貼りまくりか?」 いや、今回は、そんなズルはしない。2万字はいくよ。「字数が多けりゃいいってもんじゃないよ」

解っとるわっ。オレの思い入れだよ。若かりし頃に観た戦争スペクタクル巨編をだね、こんなんだったよって、紹介してあげるんだよ。

「今の若い人もDVDなんかで観てるだろ?」 そんな人には、こんなんだったねって、感動を共有するんだよ。「なるほどね」





そういうことで、今日のは、あまりせこ入れて書いてられないんだね。しかし、なんか更新の間が空きすぎたので、これはいかんと無理やり書いてんの。





















人の命を、果たして、なんと思っているのかねえ? これから生きようとする幼い子を狂った欲望の犠牲にする。鬼畜としか云いようがないね。

そんな奴が、近所で生活している。ことが起きるまでは解ろうはずもない。接点だろうね。鬼畜が行動する点と線との接点が悲劇を生む。

尋問で自白したら、まず、幼子の遺体が発見された雑木林に連れて行き、後ろ手に木を抱かせて手錠をかけて三日三晩、其処へ放置しておけ。





断ち難い未練と悔しさと苦しみと悲しみの声を聞かせろ。骨の髄まで染み通る思いをさせろ。手ぬるい裁きは、そのあとでいい。

しかし、こういう酷い事件は無くならんねえ。なんでかねえ? 遺体を入れた袋に、おのれの診察カード、名刺代わりか? 呆れる馬鹿者ではないか。

犬に噛まれて死ぬほうが諦めがつくわっ。47歳の猟奇殺人犯の過去が、どうたらこうたらなんか暇なときにしろ。早いとこ首吊ってぶら下げてまえっ。





こんな奴をぶら下げることに反対する輩は、逆さ吊りにしておけ。「なんでやねん」 頭に血が回れば目が覚めるよ。

わが子が、同じ目に遭っても死刑反対なんて云うかあ? 犯人の過去の事情に同情して許すんかえ? 殺された子の前途の事情をどうして聞いてやれる?

人の前途を奪い無きものにした奴の過去の事情のほうが重たいんかえ? 親御さんにハンマー貸し与えて、一発でいい、悲しみの重さを込めてどつかせてやれっ。



















優しく導き守ってやるのが、47年、先に生きて来た人間の務めだろうが。いやな事件だね。ニュース見てて腹が立つから熱が入ってしまったよ。
























カメレオンの独り言-1235 『丸か四角か三角か』

2014年09月24日 | 日記






 9月24日







仕事を終えてツタヤへ行って来たよ。おかしいね? 目新しいのが並んでないね。新作コーナーには、「ノアの箱舟」が沢山並んでる。

でも、沢山残ってるね。此の手の映画は、いまいち触手が伸びないよ。おっ「アイアン・クラッド」って手を伸ばしたら、みんな空箱だよ。

くだらねえ映画は沢山用意して並べてんのに「アイアン・クラッド」は10本程度かよ。仕入れ担当は、映画を知らんね?





もう、新作がズラッと目新しくなってていい頃なんだけどね、おっ「ローン・サバイバー」が出てるよ。新作では、目ぼしいのがこれ一本だね。

もしや、準新作のほうへ回ってるかなあ? あかんねえ、並んでるのは見慣れたヤツばかりだよ。仕方がない、手当たり次第揃えて5本1080円也。

旧作を見て歩いたけど、ほとんど見たヤツばかりだね、うん「史上最大の作戦」かあ、5本の中に足そうとしたけど、これ持ってたねって気がついた。





「ローン・サバイバー」「ゴースト・エージェント」「ブロークン・シティ」「最愛の大地」「47RONIN] まともなのが何本あるかねえ?










『ローン・サバイバー』(原題: Lone Survivor)は、2013年制作 アメリカ映画。ピーター・バーグ監督。







アメリカが誇る精鋭特殊部隊ネイビー・シールズによるアフガニスタンにおけるターリバーン指導者暗殺作戦中に起きた、

ネイビー・シールズ史上最大の悲劇といわれるレッド・ウィング作戦を、実際に作戦に参加し、

ただ一人奇跡の生還を果たした元隊員マーカス・ラトレルの手記『アフガン、たった一人の生還』を原作に映画化。ちょっと、愉しみだね。





しまったね、帰ってから調べたら「史上最大の作戦」は、持ってなかったね。「何を云うとんや、しっかりせいよ」まあ、いいや、今度借りよ。 

「懐かしの映画」で、書こうかなって思ったからだよ。覚えてないのんか? 覚えてるけど画像が欲しいんだよ。「泥棒かよ?」

人聞きの悪いこと云うな、オレは、画像には頼りたくないんだけど、活字だけだったら読む人が目がチカチカして疲れるだろ? 休めるためだよ。





オレの画像を違反だって消去しよったら、今度は、また、しんどいけどオレの絵で行間を埋めるよ。「そうすりゃ、気兼ねがないね」 うん。

やりたいのはね、画像を似せて書くんだよ。「難しいだろ?」 簡単だよ。ドローイングで一発描きだよ。しんどいけど。「どっちやねん?」 

めんどいだよ。画像の貼り付けでも、大概、疲れんだよ。「おまえのは、しつこいからね」 それもあるけど画像サイズ合わせたりもするだろ?





毎度、3~4枚の絵を描いて貼っててみろ、オレの仕事、休まなきゃできないよ。クビになるよ。「言い訳できないね」 

ブログが忙しいからって云ったら呆れて馬鹿にしよるだろうね。「そらそうじゃ」 だからあ、画像が要る訳よ。

画像もね、愉しませてあげようって気持ちで貼ってるわけで、なんでもいいやばかりじゃないよ。ファイルを開けて探しまくってる時があるよ。





おれの思いが通じてるかねえ? でもね、ホントは、自家製だけで創りあげたいのが本望なんだよ。いつか、そんなのを当たり前にしたいんだよ。



















一日おいて、また、休みか、久ぶりに大作を書くか。「大層なこと云うな、何処が大作やねん? こっちが恥ずかしくなるわ」 そうか、すまん。

オレが大作ってのは、長かったら大作だよ。字数の問題だよ。「あっ」と驚くだろ? それを、「ああっあっああ~」と表して字数を稼ぐんだよ。

返事がないね? 「バカらしくて応える気もせんわ」 猿真似の知識をコピペしてね、オレ流に利用させて貰って仕上げるんだよ。猿真似の大作だよ」





15000字ぐらいのを書きたいね。「何を書きたい?」 映画案内もどきの巨編だよ。「巨編って、おまえ」 超巨編だよ。なんでもいいんだよ。

今は「懐かしの映画 史上最大の作戦」を考えてるの。「あんまり大きなこと云うなよ」 

あのね、前回の「グリーンベレー」も戦争スペクタクル巨編なんて銘打って公開して、おっさんに「しつこいのおっ~」って、怒られてんだぜ。





宣伝と実際は違うんだよ。創作とは、期待と裏切りと偶然の成功で回転してんだよ。

だから、回転を止めることなく漕ぎまくってたら、いつかは偶然の成功もなくはない世界だよ。想像力の世界だよ。当てにならないんだよ。「どっちやねん?」

答えなんかないってことだよ。感性の一致だね。その一致が多ければ多いほど支持数が増える。





オレみたいに外れたことばっかし書いてる奴は、なかなか支持数が上がらない。しかし、其の中で、一致して見てくれる人こそが、本物なんだよ。



















「じゃあ、大作、巨編なんて嘘っぱちは云うな」 馬鹿だね、おまえは底が浅いよ。感性が一致した人ってのはね、オレの巨編の中のオレを見失わないよ。

猿真似知識のコピペのアレンジの中に、オレの個性を、ちゃんと見つけてくれるんだよ。

つまり、料理の技だね、生かすか殺すか包丁捌きと盛り付けの箸の冴えひとつだね。そして、隠し味で決める。巨編は骨で持たすんだよ。





「なんか、尤もらしいご意見ですが、ホンマに書くんやろな?」 気が向いたらね。「人をおちょくっとんかっ」 気が向かなきゃ書けないよ。

まあ、予告編と、とっておいて貰おうか。「ど厚かましい態度やの」 まず、ツタヤで借りて来なあかんし、ざっとは観なあかん。

何ごとも、それなりに準備は要るよ。下揃えができたら、後は、転ぶように仕上がるもんさ。「なんか態度がでかいね」 





邦画の新作の映画の発表会ってのかなあ? 出演者やスタッフ連中が舞台の上で挨拶したあと、こそばゆくさせて話してるだろ? 「こそばいか?」

オレは、こそばゆく感じるよ。下から笑うような感じだね。「どんな感じやねん?」 前見て笑えないんだよっ。

「是非っ、観てくださいっ」なんて売ってるね。何度も平気で裏切って、其の舌乾かないうちに、また、売ってるよ。面の皮の厚い奴等だよ。





あんなの観てたら勇気を貰えるよ。恥を知らん奴等だね。失せろっ、大根っ、蓮根っ、ゴボウどもっ。「なにを怒ってんねん?」



















終業間際に、彼女が、ひょっこり現れたよ。僅かな時間を、別段、話すこともなく時間の経つのに任せてる。おかしな二人だね。

中高大って長い年月の間に習慣になっちまったのかなあ? オレが、バカみたいに陽気に話せなくなってからも長いよ。

心ん中が、バレないかとハラハラするから、どうでもいい言葉しか出て来ないんだよ。でも、彼女も、いつからか話さなくなったなあ。





まさか、彼女も金縛り症候群かな? 「おっさんのおまえを目の前にしてか?」 有り得ないね。切ない思いは、オレだけでいいよ。






















カメレオンの独り言-1234 『懐かしの映画 グリーンベレー』

2014年09月22日 | 日記







 『悲しき戦場』 9月22日








映画、「史上最大の作戦」の戦闘服スタイルのジョン・ウエインの写真を見ていて、彼の主演作「グリーンベレー」を思い出したよ。

当時は、此の映画の封切りを凄く楽しみにしてたよ。ジョン・ウェインが、ベトナム戦争で活躍するグリーンベレーを演じてるんだね。

1968年、上映されたのは道頓堀の松竹座。封切りを観に行ったよ。映画館の前の看板が盛り上げてるんだねえ。ワクワクもんだったよ。





1966年にヒットしたバリー・サドラー軍曹が歌う「悲しき戦場」が主題歌に使われていて、否が応でも雰囲気が盛り上がるしかないよ。

TVの『逃亡者』リチャード・キンブルを演じて人気スターになったデビッド・ジャンセンが新聞記者役で出てる。

白黒テレビのドラマでは、妻殺しの濡れ衣で逃げる医者のキンブルの陰ある鬱陶しさが、いい味になって人気だったけど大画面に出ると、やっぱり鬱陶しいまま。












『逃亡者』 デビッド・ジャンセン









リチャード・キンブルの役どころで鬱陶しいんではなく、デビッド・ジャンセン自体が陰気で鬱陶しい男なんだね。アカンわ、こいつ。

映画は、タイトルから「悲しき戦場」が合唱(下の予告編で歌ってる)で流れるんだね。タイトルから本題に入っていくんだけど歌は流れ続ける。

グリーンベレーの演習場を見学する一行にジャンセンが居る。このなんでもない見学シーンを背景に「悲しき戦場」が止らない。





演習場をひと回りしてきたらしい連中が、説明を受けるための野外教室みたいなとこで一息入れてる。そんなの背景に「悲しき戦場」が止らない。





ちょっとどころか、だいぶん、おかしいでえって思って観てたら、前の席のおっさんが、「しつこいのお~っ」って、大きな声張り上げよった。

釣られて周りで笑い声が起きてる。みんなも、そう思ってたんだね。それでも「悲しき戦場」は止らない。クスクスの笑い声が聞こえるよ。

「ああ~ああ~」って、おっさん、だれてるジェスチャーしてる。周りでクスクス笑い声が漏れてるよ。





出だしから、なんだよお~って思ってる。場違いな場面で長い合唱を続けんなよ。馬鹿みたいじゃないか。ワクワク感を裏切るなよっ、ほんまあ~。

オレにとって、場面と音楽がマッチした時間ってのは、愉悦、恍惚、陶酔するほど好きなんだけど、此れはいかんでえ、台無しやないかいっ。

前の席のおっさんも、ここは堪えて声出すなよ。納得のシラケじゃないか。始まったとこだよ、あと大方が気の抜けたビールでしかないじゃないか。





新聞記者のジャンセンは、アメリカが何故アジアでの戦争に加担するのかって、軍事介入に懐疑的なんだね。よくある話だよ。

グリーンベレーの大佐役のジョン・ウェインは、共産主義国の介在を実際にベトナムへ従軍して、その目で見ろって提案する。

まあ、兎に角、こうして、本題のベトナム戦争に話は進んでくれるんだね。銃を持って早よ行けよ。









グリーンベレー 予告編











映画の出来はだね、西部劇とあんまり変わらんね。衣装や銃器などが現代版に変わってるけど騎兵隊みたいな雰囲気やね。そんな映画でした。

「どんな映画やねん? さっぱり解らんわ」 初っ端にシラケさせる最悪の映画ってイメージだね。観れば解るんだけど粗筋を書いておこか。 



















数日後、ベトナムのダナン近郊。ジョン・ウェイン大佐は、ベトコン地区の真っ只中に建設中のキャンプ(陣地)の完成を急ぐことにした。

子供好きのジム・ハットン軍曹は、キャンプに居つく8歳の現地人孤児と親しくなる。

だが、平和は、ほんのひと時、ベトコンの奇襲、スパイの摘発など部隊は最前線の緊張を強いられた。



















ある夜、キャンプはベトコンの総攻撃に遭い、グリーンベレーの勇士たちも次々と倒れていった。一度はベトコンに奪われたキャンプを奪還。

そして、ベトコンのリーダーを捕えるため敵地に侵入、作戦を成功させるが、部隊も何人かの勇士を失った。ジム・ハットン軍曹も敵の仕掛けで命を落とす。

キャンプに帰還したジョン・ウェイン大佐からジム・ハットン軍曹の形見のグリーンベレー(ベレー帽)を渡されて泣きじゃくる孤児の少年。





大佐は「我々は君のために戦っているのだよ」と勇気づけて少年の手をひき、夕陽の中を歩くシーンで「悲しき戦場」が流れる。ここだけで良かったんだよ。



















思うに、頭脳明晰、技術万能、格闘技から射撃まで鍛えに鍛えられた精鋭なんだけど弾が当れば呆気ないんだね。

ベトコンの罠にかかれば一般人と同じく串刺しなんだね。自信のある奴の100人の中から選ばれた3人の精鋭なんだよ。

そんなのが寄ってても、結局、運命に左右されて生き死を振り分けられてんだろうかね。「鍛えたのに勿体無いねえ」 





ジョン・ウエイン大佐も、そんな連中の一人なんだろうね? でも、重たいでえ、歳食って肉食い過ぎての成れの果てとしか思えんで。

しかし、この人を悪く云う人は、あまり居ない。なんでも良い方に解釈して納得してる趣やね。オレも、その一人やね。

ジム・ハットン軍曹の活躍シーンが記憶に無い。足をロープに獲られて振り子よろしく仕掛けにぶち当たって串刺しで死ぬ。





慕っていた子供を泣かせるためだけに出演してたような気がするよ。「そんなことはないよっ」って怒るだろうね。

デイヴィッド・ジャンセンは最初のうちは居ったけど、こいつ、後は居てたかなあ? 記憶に無いね。どうでもええ役どころだったんだね。

期待満々で観に行ったんだけど、考えたら、あとあと、なんにも残らない映画だったね。ハッキリ覚えてるのは、最初のシラケなとこだけだね。





「悲しき戦場」のバリー・サドラー軍曹が、「俺の歌のイメージを落とすなよ」って、怒りよるで。





















『グリーンベレーのバラード』(原題:The Ballad Of The Green Berets)は、アメリカ陸軍の特殊部隊グリーン・ベレーを題材としたバラードスタイルの軍歌で、

ベトナム戦争で反戦の機運が高まっていた1960年代当時としては、珍しく軍に肯定的な歌詞を持つ曲だったんだけど、

発表された1966年にはビルボードチャートで5週連続第1位となるほどの大ヒットを記録したんだね。ラジオのヒットパレードで、毎度のように流れてた。





グリーン・ベレー隊員としてベトナム戦争に従軍し負傷の後に帰国した傷痍軍人のバリー・サドラー軍曹が作曲し、

小説『グリーン・ベレー』を手がけた作家ロビン・ムーアが作詞に協力したとある。

歌詞は、1962年4月8日にベトコンの手で処刑された、グリーンベレー隊員ジェームズ・ガブリエル・ジュニア(ハワイ人)に捧げられたものらしい。





「おまえもいかんで」 なんでや? 「先に歌でシラケたこと書いた後から、其の歌を紹介するのは、どうかと思うで」 思いつくままだから仕方がないよ。








Ballad of the Green Berets - 2013










邦題 『悲しき戦場』 原題:The Ballad Of The Green Berets  バリー・サドラー軍曹  1966年





Fighting soldiers from the sky,
空からやって来る戦う兵士たち

Fearless men who jump and die
恐れを知らぬ男たちが死地に跳び込む

Men who mean just what they say,
口にすることに偽り二言のない男たち

The brave men of the Green Berets.
グリーン・ベレーの勇者たち





Silver wings upon their chests,
胸に輝く銀鷲の翼

These are men, America's best,
この男たちはアメリカの最高の者たちだ

One hundred men we'll test today
本日、われわれは100人の男たちの試験を行う

But only three win The Green Berets.
だが、グリーンベレーを手にするのは、その中の僅か3人だけなのだ





Trained to live off nature's land,
野生の地で生き抜くことを訓練され

Trained in combat, hand to hand
肉迫した実戦の中で鍛えられる

Men who fight by night and day,
夜昼なく戦う男たち

Courage take from The Green Berets.
グリーン・ベレーから得る勇気





Silver wings upon their chests,
胸に輝く銀鷲の翼

These are men, America's best,
この男たちはアメリカの最高の者たちだ

One hundred men we'll test today
本日、われわれは100人の男たちの試験を行う

But only three win The Green Berets.
だが、グリーンベレーを手にするのは、その中の僅か3人だけなのだ





Back at home a young wife waits,
故郷に戻れば若い妻が待っている

Her Green Beret has met his fate
彼女のグリーン・ベレーは非業の死を遂げた

He has died for those oppressed,
虐げられた者たちのため、彼は死んだのだ

Leaving her this last request.
妻には、この最後の頼みが残された





Put silver wings on my son's chest,
この銀の翼を、おれの息子の胸につけてやってくれ

Make him one of America's best,
あいつを、このアメリカの最高の者のひとりにしてくれ

He'll be a man they'll test one day,
あいつが大人になって、いつの日か彼らの試験を受けるだろう

Have him win The Green Beret.
彼がグリーンベレーを手にできるようにしてやってくれ









 『ジョン・ウェイン』























カメレオンの独り言-1233 『茜(あかね)色の空』

2014年09月20日 | 日記







 9月20日







長いことツタヤに行ってないなあ。そろそろ覗きにいこうかな。観たいなあって思ってた映画が棚に並んでんだろうなあ。

「何が観たい?」 みんな忘れたよ。「なんやねん」 忘れんように、このブログの中にズラっとメモっておいたけど何回目に書いたかも忘れたよ。

ツタヤへ行って、棚に並んだヤツを見たら、少しは思い出すと思うよ。今度の土曜の夜にでも覗きに行くか。






バタバタさせられて、気に病んでたことも、なにかしら向こうが見えてきたような感じだし息を抜きたいね。

次の休みには、やっぱり、スラックスのオーダーメードを、もう一本頼みに行こう。「ランクを上げてか?」 そう度々じゃないんだからね。

「ブレザーは?」 これはだね、オレの歳からしたら一生ものだから、しっかりした服屋さんで拵えて貰うよ。一張羅だよ。






「しかし、おまえって服にしても何にしても欲求が少ないね」 少ないね、あまり、外界に興味が無いからだろうね。しょうもない。

衣服は、気に入ったものが数点あれば何年でも着てるよ。10年着ても平気だよ。大事にするから経たらないよ。

それより、オレは下着とかワイシャツ、靴下なんかをダースで揃えておきたい欲求が強いよ。自分で買いに行かないから、今は人任せだけどね。






自分で揃えるようになったら、まず、此れを実践したいね。「流行って意識にないの?」 男がか? そんなのは、金持ってる奴に任せとけばいいんだよ。



















今日も残業で遅くなった。そろそろだねって思ってたら高2の男子二人が、「★★ちゃん、遅くまで居てるな」って覗いてる。

お化け屋敷の話やら、肝試しの話やら、映画のリングの貞子の話やらで大笑いしたよ。こいつら、相手にしてたらホンマにおもろいわ。

片方は鈍感で、もう一方は怖がりで、鈍感な奴を怖がらそうと、いろんな話しを持ち出すんだけど、やっぱり鈍感なままなんだね。






其のぶん、怖がりなほうはホンマにビビリ出してる。「★★ちゃん、もうええわあ~」 よし、今日は有意義な話しだったよ。「どこがやねん」

「★★ちゃん、ソロソロ帰るわ」 おう、じゃまたな。「★★ちゃん、出てきよるぞお~」なんて云って帰って行ったよ。

時間も回っちゃったよ。帰る支度しながら、ふっと窓を見ると、じっと、女の人が、此方を見て立っている。ギクッ、吃驚したあ。





一声かけてから立ってよ~。近所の奥さんだね。ちょっと、世間話で相手になったらご機嫌で帰られたよ。オレは、一杯呑み屋のおっさんかよ?



















朝夕は、もう秋だね、暗くなるのも早くなって涼しくなったもんだよ。長袖着てる人が多いね。ちょうど、こんなぐらいの時期だったかねえ。

昔、倉庫で肉体労働やってた頃、会社がはけたら同僚が誘うので、駅までの道で営業してる養老の滝ってお店に、よく通ったね。

焼き鳥と串かつに一品もの頼んで、ジョッキをグビグビグビと空けて、美味かったねえ。あのお店は、まだやってんかなあ? よく流行ってたねえ。





此の頃は、金が無かったから、安く呑める此のお店は救いだったよ。オレが飲み食い贅沢したのは、もっと、前の年だったね。

商売やってる時は、小遣いも潤ってたし、誘われて覚えたパチンコが、偶然に上手かったのかして、何処のお店でも終了してたから財布の中は札で一杯だったよ。

其の頃のパチンコは、今みたいなダイヤル式じゃなくてお皿に玉を並べて親指で弾いて打つヤツだったから、技も競えて奥行きが深かったよ。





まだ、独り者だったから、パチンコのあとは外食ばかりだった。オレは、テーブルにズラッと注文したのが並ばないと駄目なんだね。



















全部揃ったらビールくださいって注文する。テーブル一杯に揃ったらビールを呑みながら頂くんだね。大同門の焼肉は常連だった。

「何人様?」なんて聞かれたのは、最初だけだったよ。あとは、4人がけのテーブルに案内されて毎度のパターンで頂いてたよ。美味かったねえ。

他のお店でも同じだったな。オレは、すぐに覚えられるのかしてパターン化するんだね。中華料理の眠眠なんか注文しなくてもメニューを覚えられてたよ。





お店のお姉さんが 振り返って「厨房(料理する人)さんが、格好いい人やって、いつも云ってるんですよ」って、餃子なり野菜炒めなりサービスしてくれたよ。





「今日は貧乏臭い話じゃないね」 そらあそうよ。毎度、貧困の話では、オレのイメージに関わるよ。「もう、遅いわ」 だろうね。

炉端焼きのお店も、あちらこちらと通ったよ。連れと行ったら、みんな、オレが奢ってたよ。奢られるより奢る方が、美味く感じれるよ。

そんなのを思い出したからって、またぞろ、繰り返したいなあとも思わない。喰うことは、ひもじくなければそれでいい。そのほうが身体にはいいらしい。



















家へ帰って風呂入って、すっきりして夕飯頂いて熱いお茶を呑んだらパソコンの前なんだけど、

時折、どうしようもなく虚しいってのかねえ、遣る瀬無いってのかねえ、重たくなって、暗い淵に沈み往くような気分になる時があるね。

隠し持ってる想いが、そうさせるのかも知れないね。人生は一人ぶんしか生きれない。





だから、人は、夢を追うのかも知れない。砂に書いた想いの端くれが波に消されて茜色に光ってる。自由なオレが、オレを見て笑ってるよ。

































カメレオンの独り言-1232 『砂漠で穴を掘るよな人生』

2014年09月18日 | 日記








 9月18日








人生で気をつけねばならんことは、不明なことの解明、疑問の解決努力を怠り、先延ばし、先送りすることだろうね。

人生は長い、それらが、知らぬ間に山積して不明のドツボに填まって新たに生み出されたことの脚を引っ張ることになるようだね。

全てに於いて、その時、その時に消化して往かねば、いずれ頑固な便秘に悩まされることになる。





あの、呪わしい学校の宿題は、其れを教えているんだろうね。そういう理屈を懇切丁寧にユーモア交えて教えてやれよ。

これからの自分の人生で臍(ほぞ)を噛む子が少なくなるよ。

学習ってのは、そのためにあるってのは漠然とは理解できているんだけど、具体的にどう役立つかってことには無頓着なんだよ。





幹を太く育てるってのは、それに連なる枝葉の成長に大きく影響するもんだよ。全てに応用して無駄の無い対処法を身につけていく基だからね。

癖は、習慣になり、それは、やがて、本質となるだったかなあ? 誰かが云ってたなあ? その通りだと思うよ。

ただ、悪しき癖も同じくだろうね。これが本質となったら、もう、治せないだろうね。人間を創り上げる基かも知れないね。





無垢の赤子が、それぞれに育って物心つくころには、それなりの人格が出来上がってる。ものごとの捉えようひとつで道が分かれていくね。

其の上に、人が変わりいくのは、関わる人や環境、境遇、運命、宿命なんてのが影響するから、ひとつごとで語れるもんじゃないけどね。

背負うものを常に軽くする努力だね。機会に対して動きの妨げにならない自分であるべきだね。自棄(やけ)ぱっちになって好機を捨てずに済む。



















残業で遅くなったよ。ほっとするね。パソコンの前に腰掛けて磯竿を取り出し眺めては磨くようにして何度も何度も拭いてるよ。

オレも出不精なったね。なんで、こんなに固まっちまったのかなあ? なんて考えながら、うん? 竿のトップのガイドがガクガクしてんかね? 

インナーロッドの先端のガイドを弄(いじ)ってたらスポッと抜け取れたよ。気がついて良かったよ。釣り場で抜けたら其の日の釣りはアウトだからね。





幸い、瞬間接着剤があったので修理は簡単に済ませた。以前は、アロンアルファって瞬間接着剤を常に使ってたけど、此れは100円均一で買った奴。

接着能力は変わらない。此の手の接着剤は、使ったあとの保存方法が難しい。説明書の通りに保存すると残量がカチカチに固まってしまうんだね。

先の尖った漏斗(じょうご)の口をセロテープで貼って空気を遮断すると2、3回は使える。それでも周りが白っぽくなって完全じゃない。





ほんの数滴しか使わないから、大方の残量を捨てることになる。強力だから頼りになるんだけど勿体無いんだね。

で、100円均一のお店のを買ってみて使ったら効果は変わらない。セメダインのような搾り出しなんだけど、搾らずとも口を針で開ければタラ~と出てくる。

使い終われば、付属の先の尖った漏斗式の蓋を閉める。ミソは、この漏斗の先端を切らずに、そのまま蓋代わりに使って口を上向きに立てて仕舞うんだね。





何回か使ってるけど固まらない。今日も漏斗を外すとタラ~と出て来たよ。垂らし易く用意されてるけど漏斗を利用せずに、そのまま蓋代わりにすべきだね。



















オレも、固まり易い瞬間接着剤の保存方法みたいに、ちょっと工夫すれば動かず固まったケツを椅子から離れ易く出来るかも知れん。

ちょっと、生活スタイルを変えねばいかん。外に出ても思考は出来る。目先を変えれば、ものごとの捉えかたも拡がる。マイナスにはならないね。

家に篭るのは、もっと爺になってからでいい。切替えよう。「3年を無駄にしたね」 無駄じゃないよ、目的の土台を創り上げたよ。





来年の春までに、今の仕事から足を洗おうかと思ってる。「どうして生きていくねん?」 死なない程度に生きてりゃいい。「どんなんやねん?」

ここで固まってると、もう、進展はないよ。それに定年の時期もそう遠くはない。動かされる前に動く。

オレが、動かねばならんときは、必ず、周りから波が起こりだすんだよ。そんな気配を徐々にではあるんだけれど感じないこともない。





ハチャメチャな人生を生きてきて、へこたれもしなけりゃ、幸いにも若さも失わない、まだ、遣らねばならんことがある。「しんどいやろお?」 しんどいよ。

人生に意味のないものはないって視点からね、オレのハチャメチャな人生は何のために有ったのかってことを考える時があるんだね。

そうして考えるとね、答えは、まだ、出てないんだよ。「答えなど無い、ただのハチャメチャだったら?」 云うだろうと思ってたよ。



















そんときは、これだよ。「釣りかよ?」 そこらの川で構わんよ、好きなことして笑って死ぬよ。

そいで、彼の世へ逝って、神さんに、輪廻転生は、もう、結構って云うよ。「神さんは、そんな気侭は聞きよらんで」 かもね。

そんなら、砂漠で穴を掘るような人生は、もう、結構って云うよ。






















カメレオンの独り言-1231 『斑(まだら)模様』

2014年09月16日 | 日記







 9月16日







頂いた巨峰を摘まみ皮から実を吸い取るように口に含む。甘い果汁が咥内一杯に広がって美味いの一言だね。皮の裏側に果汁を蓄えてるね。

巨峰に馴染むと、ブドウの小さな粒を吸い取るのが、面倒になってしまう。あれは、あれで美味しいけどね。

今日のは種無しだから、尚更、食べ易くて止らないわ。でも、ひと房頂いたら満足だね。毎度、結構なものをよく頂くよ。





















お盆が明けたら岩肌滑落して元に戻ったね。「なんのことや?」 訪問者の方々の数値だよ。想定内のことだから、別段、いいんだけれどね。

上がる快感を味わうと落ちると気分的には凹むね。今思うと、あの盆休みの10日ほどの上昇はなんだったんだろうかね?

本当は、もっと滑落しても構わない。根性の程をみせてやる、また、コツコツと上がるんだね。うふふふ、自分を試すんだよ。「Mか?」 Sもいいよお~。





それに伴って内容も向上するってもんだけど、してるかなあ~? 「一緒やで」 迫ってないのかねえ? 「真面目さが足らんのじゃないか?」

ただね、変わらず、オレが満足させてもらってるのはね、訪問者の方々の閲覧枚数の多さだよ。これは、由々しきことだよ。「またや」

黙々と読んで頂いてるね。偶然、訪れた方々も多々居られるはずなんだけど「なんやねん、これ、下らん」って、出て行く人が居ないみたいだよ。





「なんで解るねん?」 解析の24時間アクセス表を見れば、その動向が読み取れるんだよ。

嬉しいことだねえ、創作意欲が沸き立つよ。「大層なこと云うとるわ」 よしっ、もっと、うがらせてやるなんて思ってしまうんだね。

「おまえの駄文にうがってるかどうか解らんだろ?」 じゃあ、なんで、読むんだよ? 「退屈しのぎさ」 いいじゃないかあ~憩ってんだよ。「憩うかあ?」





















オレのは、数行に纏められたスマートな文じゃないよ。読み出したら時間を喰うよ。大事な憩いの時間をだよ、稚拙な乱文と付き合うには我慢を要するよ。

其れを克服しつつ付き合てくれる方々の苦労を思い遣るね。「人ごとみたいに云うなっ、おまえが書いておるんだろうが」 そうだよ。

オレはね、長けりゃいいなんて思ってない。短く簡潔に纏め上げて云いたいことを伝えるってのが理想だよ。





しかしね、それでは寂しいじゃないかって思うんだね。連絡帳じゃないんだからね、書いてる奴の癖ってあるだろ? 其れを匂わせてんだよ。

この野郎って思わせたいの。「なんやねん?」 云いたいこと云いやがって、ふざけとるよっ。これだよ、こう思わせたいんだよ。

「そんなの意図しなくても、駄文の中に自然と出てんじゃないの?」 そうかねえ? 「相当に臭いよ」 ああ、ホントお~? それがオレの個性だよ。





上がったり下がったり遣ってるうちにホンモンが顔を出すってあるからね。「おまえのホンモンってどんなんや?」

アホか、おまえは? 今は解らんから、顔出すかも知れんって云ってんだろ。解った顔出して何がおもろいねん? 

自分でも解らんのだよ。しかし、眠っているよな気がするんだよ。まだ、このしつこさの中に、何か埋もれているように感じるんだね。





















そいつが、顔を出すまでは、書いて書いて書きまくるんだよ。「訪問者がゼロになったら?」 ひょっとしたら、そのときがホンモンの登場かも知れんぞ。

そうだね、そん時は「続・カメレオンの独り言」で再登場だね。「しつこいね」 状況に惑わされずに我が道を往く、人生と同じだよ。

流れに翻弄されて強くなり、其処から流れを導く術を知ればいいんだよ。「知ったか?」 答えを急ぐな、前を見てみろ、道が続いているだろ? 未知への道だよ。





実際に道を踏みしめねば解ろうはずのないことがあるよ。知りたければ歩み続けることだよ。「それでも見つからないときは?」 道を誤ったかなって不安になるね。

「そらみたことか」 簡単だよ、まだ、歩き足らないだけだよ。「ズルいぞ」 おまえは、オレがダウンするのを待っておるのか? 「オモシロイから」

意地でもダウンせんぞ。 歩き続けて、そのまま彼の世まで直行でも構わねえ。「何が、そうさせるのかね?」 オレも解らん。





まあ、強いて云えばだね、オレの夢遊びの最後の挑戦みたいなもんだろうね。

ただ、それが、オレにとっては一番、苦手で不似合いなものになってるのが悲しくもあるけどね。選んだのは自分だから仕方がないね。

何処まで行けるかねえ? 歩きながら知識を蓄えつつ、それなりに装って歩き続けることが可能なのかねえ? 「弱気だね」 いつも弱気だよ。





















ひとつ、変えていかねばと感じるのはね、前々からではあるけどね、自分語りから、人に目を向けた話に転換すべきではなかろうかってね。

話しをしていて自分語りを展開されると辟易することがあるね。オレは、それを解って書いてきた。「なんでや?」 それしか書けないんだよ。

人さんの内面なんか憶測でしかないからね。憶測は止め処ないから失礼の上乗せ築くだけだよ。ガラス張りの人なんて、そうそう居ないよ。





自分をマナ板に置いて料理するのは自分の勝手だから失敗しても構わない。他人(ひと)さんに関してはよろしくないよ。

相手が、不特定多数に於いての場合は、云いたいこと云ってるけどね。「そいでいいんじゃないか?」 そうかね? 「おまえのブログなんだから」

まあ、そう云えばそうだね。「おまえが語らねば、誰が語るんだよ?」 そうだね。今んとこ、そういうことにしておこうか。





















3連休だし、今日はいい天気だから、ちょっと、出かけてきたよ。ウロウロして帰りに服屋さんに寄ってスラックスの生地を選ばせて貰った。

色合いや生地の織り方っていうのかね? オレの好みの範囲は狭いから、バサッと出されても絞り出すのに時間は掛からないよ。

サイズは、登録されてるから、これをお願いしますって決めてきた。2本拵えるつもりだったけど1本にしておく。「なんでや?」





ランクがあるんだけど最初のにはお気に入りがなかった。ワンランク上げて探したらひとつあったんだね。「じゃあ、もう1ランク上げんかえ」

値がさも上がるんだぜ。次にするよ。「一緒じゃないか」 一緒だけど気分を分散するんだよ、ちょっと一緒じゃないだろ? 「一緒やないかえ」

「後先ズラしても減るお金は一緒だろ、肝っ玉の小さい奴やで」 違うね、蓄えが小さいんだよ。大きく出れないんだよ。「哀しい話しやねえ」 そう。





なんか、みすぼらしい話だね。笑ってしまうね。うわっはっははは。「馬鹿やで」 事実から目を逸らさない、昨日かな? 云ったろ。

しかし、あれで良かったかなあ~って不安が残ってる。「しっかり見たのか?」 見たよ。「まじまじとか?」 オレにしたらまじまじだろうね。

「どう、不安なんだよ?」 色に妥協したかなって。「何色や?」 濃い目のグレーだと思う、いや、思いたい。「その差が不安なのか?」 そう。





「薄かったらどうする?」 云うなっ。 其れと下地に薄っすらと赤みが斑(まだら)にあったようなあ~? 「おまえどんなスラックス履くつもりや?」

まあ、端的に云えばビジネス・スラックスだよ。「ビジネス・スラックスって、そんなもんに赤みのマダラ模様? 考えられんなあ」 そうだろ?

気のせいかなあ? 「ふつう、気のせいやと思うで」 オレの目もあやしいからね。「出来上がりがコワいね」 うん、ちょっとコワい。





















「明日、もう一度行ってこい」 ええっ、めんどいよ。「赤のマダラが入ってたらどうする?」 箪笥の奥に隠しておくよ。「アホかっ、勿体無いやろっ」

気が向いたら行くよ。「向かなかっても行けっ」 電話で確かめるよ。「ホンマかあ?」 気が向いたら。 「向かずとも電話しろっ」

なんで、おまえが、そんなに熱くなるんだよ? 「無い金はたいて買ったんだろがっ?」 ああ、そうかあ。 「ああ、そうかあ? こいつのいかんっとこやねえっ」





「もっと、シビアに生きろっ」 もう、買っちまったんだよ。矢は放たれたんだよ。「だからあっ?」 

其の矢がマダラに当ればお笑いだね。泡吹くほどに腹たつだろ? 「はっ腹が立ってっいっいっ息苦しいわあ~」 上手い、それだよ、その表現は生きてるよ。

「なっなっなんやてえ~?」 オレは、出した金は惜しまない。「ハア~ハア~、格好つけてる場合かっ」 オレの生きざまさ。





「なっなっ生意気云うっ云うううっ~うっうっ~」 血管切れたか? どうしようもなく腹立つときってこんなだろうね? 

大丈夫だよ。此の前買った時も出来上がるまで同じように不安だったからね。でも、思いどおりの良いのが出来上がっていたよ。楽しみだなあ~。

「ちよっちょちょっとまだら~」 ちょっと待てだろ? 「こ、これは、ま、まだら~遊びかあ?」 まさかだろ? そうさ、遊びだよ。






















カメレオンの独り言-1230 『吹き溜まりのお話』

2014年09月15日 | 日記







 9月15日








3連休の2日目、いい天気だね。みんな、あちこち出かけてるんだろうね。今日は、早起きした。窓を開けると涼しい風が室内に流れ込む。

閉じ込めて澱んだ空気が循環されて爽やかだね。開放的に生きるってのは、こういう感触なんだろうね。

30度を割ってるね、28度くらいかなあ、いい頃合だね。ああ~、のんびりできるよ。ずう~と、こんなの続けば、尚、快適であろうね。

















「28度くらいがか?」 違うがなあ、休みでのんびりがだよ。自然の欲求だよ。「張り詰めたゴムが緩るまって、それで得る安息だろ?」

そうだね、其れで云うと何度も何度も繰り返してるうちに、弾力も緩んで伸び縮みに張りがなくなって来てるね。「慣れだろうね」

「しかし、おまえのゴムは、まだ弾力が生きてるね」 気が小さいから慣れがでにくいのかね。「おまえ、緊張のし過ぎじゃないか? 馬鹿正直なんだよ」 





緩んで見えてもね、根が緊張して在るから、ことの進展に滞りをもたらさないんだよ。仕事姿勢の基本に忠実なんだよ。「抜くのも大事だよ」

昔ね、親父の仕事場を掃除するのが日課だった。でかいモーターで丸砥(まると)を回転させて磨きを入れるんだけど、其の回転の動力はベルトで伝えるんだよ。

長く使ってるとベルトが弛(たる)むんだね、動力に遊びが出て丸砥の回転が落ちる。親父が、時折、ベルト外して弛みを調整してたよ。





お父さん、何してんの? 「うん? ベルトが弛むとな、いい仕事が出来ない」 だから締めてんのん? 「〇〇〇、人も弛んだ姿勢で仕事はできんぞ」 はい。












『昔の丸砥を回転させる作業台は、もっとごっつかったよ。今はコンパクトになって、もう、無いね』







「〇〇〇、後を頼むで」 はい。オレは、仕事場を一生懸命に掃除すんだよ。丸砥の回転盤の下側は、削れた砥石と鉄粉が一番溜まるんだけど狭いんだね。

其の上、福やクレオやパトラがウンチしよるから大変なんだね。コロンコロンのときはいいんだけどピーピーの時は最悪だよ。

上下に何本も張られたベルトと鉄の軸棒に設けられた滑車の間に身体半分潜り込んで、ハア、ハアなんだけど、臭いから息止めなあかんし苦しいし死にそう。





「福やクレオやパトラって猫か?」 そうだよ。親父は、全然、相手にならないのに、「また、やっとおるわ」って、云うだけで怒らなかったね。





「仕事場に排泄するとはけしからん奴等や」って、家ん中、走り回ってる福やクレオやパトラに怒鳴るけど笑ってたよ。オレが怒りたいよ。

汗かいて掃除し終わると、ほっとするんだよ。翌朝、「〇〇〇は、仕事の出来る奴になるな」って、親父が云って褒めてくれるんだよ。

仕事で嘘をつかない姿勢ってのは、それで習ったね。三つ子の魂、百までって云うらしい。オレも、そのくちだよ。だから、緊張感が抜けないんだよ。





「おまえのお父さんは、多くを語らず、子に生きる姿勢を伝授するね」 そうみたいだけど、受け手のオレも冴えてたよ。「それを云うかあ?」 云うよ。

働かざるもの喰うべからずなんて教育だったからね。なんでか知らんけど、今、考えたら、オレが一番、用事を一手引き受けてたような気がするよ。

「おまえ、他所の子とちゃうか?」 アホンダラッ、列記とした此処の子じゃ。戸籍謄本も確認済みです。「なんやねん、不安やったんか?」 ちゃうわ、アホッ。



















オレの話は、木枯らし吹く道路の片隅だね。ゴミや枯れ葉が吹き寄せられるように話が転んでいくよ。

そういえば、昔、菅原文太の仁義なき戦い「吹き溜まりの詩」ってのがあったね。「そげなあ、うたあ、うとうとったかのお~」

オレ、レコード買ったよ。「へええ、ほんとなあ?」 大掃除のとき捨てたけど 「ああ、そうなああ~こんなの言いざまじゃ、まるで喧嘩を売っとるようなもんで」 





全然、関係ないけど思い出したので「吹き溜まりの詩」の歌詞だよ。「やすう、見られたもんよのお~」 







 『仁義なき戦い』








吹き溜まりの詩 菅原 文太









風が身体を吹き抜けて あとは乾いた夜ばかり

骨の髄まで痩せこけた 影を引きずる 影を引きずる 吹き溜まり




夢という奴、道連れに 当てのないまま踏み迷う

オレは人生、横に見て いつか涙の いつか涙の 吹き溜まり




愚痴と云うなら、それもいい 笑いたければ、それもいい

路地の枯れ葉に おふくろの 子守唄聞く 子守唄聞く 吹き溜まり




俺が死ぬときゃ俺らしく 場所を探しに行くだけさ

花も飾るな 振り向くな どうせ世の中 どうせ世の中 吹き溜まり







 『吹き溜まりの詩』






















カメレオンの独り言-1229 『事実を直視する強さが己れを守る』

2014年09月14日 | 日記






 8月14日








自分の書いた駄文を遡って読んでたら、オレって外面に拘る傾向が強いねって思ったよ。「遡って読まなくても解るだろ?」 そんなもん解るかい。

「おまえの偏見じみた文句は、そればっかしだよ」 エラそうに云うけどね、おまえも気付いてたら、もっと早く指摘しろよ。

「いつも云ってるじゃないか、やめろ、やめろって」 やめろだけじゃ解らないんだよ。実際、面白いからね。「それがいかんのじゃ」





何故かって、簡単だよ、外見をどうたらこうたら云うのはだね、内面を掘り探るより、はるかに表現が楽なんだよ。内面を問うのは難しいぞ。

つまり、底が浅いんだよ。くるぶし程度だね。まあ、深けりゃいいってもんじゃないよ。浅けりゃ溺れる心配がないからね。

偏見、偏見って云うけどね、IQだって偏差値だって、其の最もたるもんだよ。能力測って人生が左右されんだよ、命の価値を測ってんだぜ。





肉体的なことは差別だ、偏見だってヒステリックに唱えるけど、能力に関しての差別は努力の二文字で公平性が保たれてるように云うだろ。

馬鹿こけ、すんなり吸収できるスポンジみたいな脳味噌と岩石みたいな脳味噌の違いを知らんのか? 基は持って産まれたもんじゃないか。

そこからして、どうにもし難い差があるんだよ。それが持って産まれたもんなら、外見的なことも持って産まれたもんだよ。

















この辺に教育の操作を感じるよ。どうでもいいことに人間の目を逸らしてんだねえ。「ホンマかえ?」 フラフラ乗る奴が多いんだよ。

利に絡む話だからね。そして利を産む流れに添うもんだからね。変えねばと思うんだけど変えられないもんなんだよ。

其処へ行くと、外見に関わる偏見はくるぶし程度の浅瀬で埋め易い。暴力が封じ込められていく過程に似ているよ。





「暴力はいかんだろ?」 暴力、暴力ってね、人間のクズみたいに云うけどね、人間は暴力で今の世を築いたんだよ。

確かに、人間の英知の図る上での必要悪って看板がついてるけど暴力には変わりない。其れも辿れば気の弱い人は倒れそうな内容ばかりだよ。

野蛮人に至れば野獣の王国だったんだよ。弱肉強食だよ。ライオンも吃驚だよ。





ひ弱いインテリなんかチョン、コロリンだよ。「なんやねん、それ?」 首が転ぶんだよ。当時は、価値が低かったんだよ。

















暴力が利に絡む時代だったんだよ。そして利を産む流れに添うもんだったんだよ。

クレオパトラの鼻が、もう少し低ければ歴史は変わっていたなんて云うのは、美醜の価値に関わる大問題だよ。

まあ、此れはフランスで云われる喩えで、日本流に脚色された部分があるらしいけどね。表現の違いはあっても、詰まるとこは美醜の問題が鍵になってる。





歴史はだね、大事小事に関わらず美醜に絡んだ悲喜劇なんてのは、それだけで大陸が出来るほどの物語があるよ。

つまり、偏見なくして社会はないのが宿命だよ。理想郷を前提として捉えるか、現実社会を前提に考えるか、夢と現実の相反だね。

暴力は野蛮、美醜は偏見、なびかせるんだね。有象無象をなびかせやすい対象なんだね。浅はかな正義感に酔うものたちへの環境創りは功を奏してる。





現代社会の矛盾をうやむやに成立させたいがための操作だよ。かなり成功してるよ。しかし、オレは誤魔化せない。





素晴らしく切れる脳味噌、其の方面には不自由などない。使える場面を増やして欲しい。でも寸足らずでぶ男で見苦しくて無様、それで公平なんだよ。

秀才此処に在り、難問奇問珍問、総なめになで斬りの大根斬りの短冊斬りよ。でも、性格悪くて根性が臭くて異性に縁がない。平等だよ。

解んない、知らない、情けない。でも可愛いから引っ張りだこ。こういうのは、寿命の短い春は楽しめる。公平だよ。





外面、内面、全面、全てに於いて非の打ち所がない。早く死ぬよ。「なんでやねん?」 此の世で果たさねばならん業(ごう)を背負っておらんよ。



















しかし、オレの文は、子供がクレパスで画用紙に思いのままに殴り書きしたようなのと同じだね。純粋だね。「エエように云うな」

外見的なことを外すと書くことが無くなるじゃないか。正直で素直で優しくて面白い、そんなのは一緒になってから判断しろ。

嘘つきで頑固で恐くて暗いってのが正体だよ。「おまえのことか?」 そう云えば他人のように思えない。





安っぽい鍍金(メッキ)同士で磨り合ってたら互いに剥げるのも早いよ。「信じられないっ」 相手も「信じられないっ」もん同士だね。

相手の前には自分が居る。見える相手ばかりに注文が多い。見えない自分を忘れてる。自分を見てる相手もそうだろうよ。

「おまえの内面を語るってのは、この程度か?」 だからあっ、外面的なお話しばかりになるんだねえ、原因が解ったよ。





「おまえは面食いだろ?」 当然だね、美しい方がいいね。「スタイルも」 スマートでグラマーなのがいいね。「頭は?」 賢い人がいいね。

なんでもいいものはいいね。其れを支えてるのはなんだと思う? 「その人の人間性だろ」 いいものには、其れ相応の中身が問題になるんだよ。

で、ないと極端に軽く見えるからね。外面と内面のバランスだね。其れを知ってる綺麗な人は、それだけで疲れてしまうんだよ。気の毒だよ。



















犬も歩けば棒に当るけど猿も木から落ちる。「おまえ、其れは、別個のもんやで」 オレの場合は、一緒さ。若い頃のオレだよ。「どういうことや?」

オレが外を歩けば綺麗な女性の目にとまる。「おまえって、なかなか云えないことをスンナリ云うねえ」 いつも云ってるだろ、事実だから仕方ない。

で、なんかお話しして、いい雰囲気になるんだけれど、オレは自信が無いから自滅するんだね。これも事実だよ。





若い頃は、そんなのを繰り返してたね。その顛末(てんまつ)を云ってる訳。「勿体無いね」 全然、いつも焦ったことがなかったよ。












『なんで、ここで藤純子なんだ? いいじゃないか、オレはね、強くて綺麗なひと(女性)に弱いんだよ』 







「思い出すのか?」 記憶には残ってはいるけど、それだけの縁(えにし)の人(女性)だったんだろうね。もう、何処かでお婆ちゃんになってるよ。

「そんな見方をするか?」 其れが事実だよ。嘘のような話だけど、妖艶な人、個性的な人、真面目で優しい人、つまり綺麗な人ばかりだったよ。

不思議と、皆、スマートでグラマーな女性が多かったね。オレは、誰にでも屈託無く喋るからね、相手にすれば楽な気持ちになれるから喜ぶんだろうかね?





オレは、根が浅ましくないから綺麗な付き合いだけで満足しちゃうところがある。根はスケベーなんだけど。「どっちやねん?」 浅ましくないスケベーなんだよ。

誰とでも軽やかに喋るのに本当に好きって思うと喋れなくなるね。口が重たくなるんだよ。それに頭の回転も悪くなるんだね。話題が消えちゃうんだよ。

此の人、いいなあなんて思い出したら終わりだね。自分の真面目な気持ちが前面に出てきて金縛りだよ。木登り上手なサルが木から落ちるんだね。





不真面目な男が憧れではあるけれど、それも、そう好きでもないね。オレは、綺麗なのがいい。心にいつまでも残る綺麗なのが好きだね。



















「それはそうと、おまえ、奥さんとはなんで一緒になった?」 う~ん、一言で云うならば、人生の交通事故だね。 「おまえなあ~」 居眠り運転だよ。





















カメレオンの独り言-1228 『イメージ』

2014年09月13日 | 日記







 9月13日







週間天気予報で晴れマークが一週間も続くなんて珍しいね。で、今日、見たら晴れマークが減ってるよ。なんだよ。

こんな落ち着かない空模様も珍しいね。関東のほうでは集中豪雨で、あちら此方と水浸しだね。

大阪の今日(10日)は、晴れて少し暑かった。残暑って感じだね。常緑樹の葉っぱってのはツヤがあるから日差し跳ね返してキラキラ光ってるね。






隣りのケヤキの葉っぱは、もっさあと弛んで団子になってむさ苦しいね。「ほっとけ」 シャキーンとでけんのか? 「こう、暑いとねえ~」

葉っぱにもいろいろあるんだねえ。そういえば、今年の蝉も、いつの間にか居なくなっちゃったよ。代わってトンボが青い空を飛びまくっておるよ。

虫たちの世界は、もう季節の交代を済ませてるみたいだね。






吹かせた煙草を、吊るされた吸殻入れに捨て、何気に足元見たらヨロヨロ黒い虫が壁伝いに這ってる。ふう~ん? 目を近づけてよく見るとクモだね。

1.5センチほどの奴だけど脚が短い代わりに図体がデカイタイプだね。小型タランチュラもどきだね。しかし、こいつ、ヨタヨタしとるよ。

革靴の爪先上げて踏み潰す所作をしたけどやめた。殺す意味がない。外の道路の壁伝いを邪魔にならぬよう這ってるに過ぎない。

















バッタやカマキリ、コオロギなんてのが足元来ても踏み潰そうとは思わない。クモよ、おまえも見てくれが悪くて損をするね。「スパイダーマンの友達だよ~」 

そういえば、街灯を保護する格子状のカバーの中に入り込んで、アタフタ暴れて首が格子の間に挟まり動けなくなったコウモリが居たね。

こいつもキモイんだねえ~。「バットマンの友達だよ~」って云うから助けてやろうと脚立に登って近くで見たら「ドラキュラの友達」としか思えない。






「チッチガウ~ッ」 キバ剥いて云うなっ。ネズミみたいでありながら鳥のようでもあるけど鳥じゃない。絶対に親しめない奴やね。

おまえみたいなの、オレは、よう触らんわ。脚立を下りると「まっまってくねえ~」 軍手とドライバーを取って来るんだよ、待ってろ。「早くしてくねえ~」

こいつを触らないようにしてカバーのネジをドライバーで外しにかかる。バタッバタッバタッ、アホンダラッ、臭い埃をたてるなっ。狭苦しくて外すのが大変だよ。






こいつ、アホやで。オレもおかしいなあとは思ってたんだけど、格子を潜(くぐ)って入ったのに、なんで出れんのや? 

頭を上へズラしたら格子の隙間が広くなっておるではないか。「グチグチ云うてんとっ早よ外したれやっ」 ドライバーの柄でどつくぞっ、この野郎っ。

しんどい目したけど、仕方ない、外して地面に下ろして、さあ、行け。バタッバタッバタッ焦ってる姿がキモイ。オレの駄文と似て、こいつは神さんの駄作やね。





こいつ、おちょくっとんかあ? 頭ズラして広くなった格子の隙間から出て礼も云わずに飛んで行きよった。余計な仕事させよってからに~。

















おかげで埃だらけになるわ、クモの巣は顔を這うわ、ネジ落として失うわ、代わりのネジ探しまくって間に合わすわ、散々やったね。

まあ、生きとし生けるものを思い遣り、汗をかき無事であれば結構なことなんだろうね。

しかし、足元をヨタヨタと這うスパイダーマンの友達は、一向に前に進まんね。もう、老衰が近いんじゃないの? 





早く行くか、壁登るかせんと蟻どもが襲って来よるぞ。おまえ等の生きる道も、それなりに厳しいね。

人間も同じだよ、老いれば哀しいもんさ。此の前、食事時にテレビを観てたら、若者たちが巣立って年寄りばかりが残った団地の様相を放映してたね。

保険相談室だったかなあ? 団地の下にお年寄りが困ったら世話を焼く相談室がある。頻繁に来客があって対応に追われてる。





其の日の朝、世話になったことを夕方には忘れてる人や、余命幾ばくも無い癌を抱えた人、身体は動かないんだけど映画試写会を観たいって念願する人、

もう、自分の力ではどうにも進まぬ老人たちなんだね。誰かに、お世話にならなきゃ生きていくのが困難な人たちだね。

そんな人たちを、明るく優しく世話をするおばさんたちが居る。素晴らしいことだね。そんなお年寄りからすれば命の拠り所だろうね。

















画面に映る、お年寄りは、どう見てもただのお年寄りにしか見えない。どんな角度から見ても爺婆でしかない。

経たり切った老獪(ろうかい)でしかないんだね。オレは、此れを観ていて、この人たちは、もう、プライバシーも糞もないではないかと思うんだね。

見ず知らずの通りすがりの人が、手を貸そうと思える近しく感じる何かを身に付けるべきだと思ったよ。「何を身につける?」





オレは、クモは、正直、大嫌い。デモね、事務所内の壁を、時折、うろつくクモに名前を付けるんだね。そうするとね、キモくなくなるんだよ。

忘れた頃に現れると、おお、太郎、久しぶりやねって笑ってんだよ。身震いするほど大嫌いなクモにだよ。

クモを例えに失礼な話だけどね、お年寄りには、その人の人生を感じさせるものを身に付けさせてあげるべきだよ。





その人の若い頃の写真だよ。はじめから爺婆なんていないんだよ。解っているのに、目の前に居るのは劣化した爺婆にしか見えないんだよ。

見て解る、その人の人生の重みだね。其れを付加することで、全くの他人さんも親しみを覚えるきっかけになるんだよ。

連絡先を記した透明の札入れを首に吊るしているね、其の裏側に若い頃の写真を入れてあげるんだよ。

















いつもニコニコできる人ばかりじゃないよ。苦虫噛み潰したような顔しか出来ない人も多いよ。接点の持ちようもない人が居るよ。

そんなタイプの老人が、あっちへウロウロ、こっちへウロウロ、様子が気になっても素通りしてしまうんだね。

そんな老人の胸元に若い頃の写真が笑ってる。その笑顔に釣られて他人さんが勇気を出して手を差し伸べてくれるんだよ。





道に迷って彷徨う年寄りに声をかけた若者たちの反応の声が聞こえるようだよ。長い人生を生きて来た人として実感するんだよ。

人生を刻んだ深い皺(しわ)なんて美化して云ったところで皺は皺だよ、昔、歳喰えば子供に返るっていうのは、面倒をかけるってことの裏返しだよ。

こんなの云うと、必ず、無礼者なんて怒るのが出てくる。怒る元気のある老人対象外の話だよ。





弱きものが、歳老いて、尚且つ、弱きものになって、其の上、病に冒されたり、独りになったりした老人のお話だよ。
























カメレオンの独り言-1227 『宇宙に繋がる無限の夢』

2014年09月12日 | 日記







 8月12日 なんか日が合わないね。「早く更新し過ぎなんだよ」







事務所の窓の脇で新聞配達のおっちゃんが、高1の女子をつかまえて自慢話に忙しい。話し相手を高1の女子に任せて、のんびりしてると二人の間から

「★★ちゃん、ヤッホ~」って、某私立大学付属の高2の女子が顔を覗かせて笑ってる。おう、今日は、早いね。

二人を擦り抜けて事務所に入って来て脇に立つと、オレの顔見て、ニッタラ、ニッタラ笑ってる。 どうした? 「疲れたわあ~」





オレの椅子を貸せってことか? 「そう」 オレと入れ代わって腰掛けてる。疲れてんなら真っ直ぐ家へ帰りゃあいいのにね。

「★★ちゃん、コーヒーは?」 なんでコーヒーがあるんだよ。「★★ちゃん、タダの券は?」 ああ、お店に、沢山ぶら下がってるみたいだよ。

「★★ちゃん、それでタダで飲んでるの?」 オレからは注文しないよ。お店の人が、云ってくれるの。そん時は頂くよ。





「わたしが行っても飲めるかなあ?」 其れを知ってるのは、お店の責任者みたいな人だよ。知ってるか? 「知らんわあ~」 

でも、もう、然程、残ってないかも知れないよ。〇〇〇が、飲んじゃったかも知れんよ。「〇〇〇って誰っ?」 なんで、睨むんだよ?

おまえ、知ってるか? 髪の毛の長い娘(こ)だよ。「ああ~ん」 知ってるみたいだね。「★★ちゃん、コーヒー飲みに行こ」 

















少し考えて、「やっぱり、★★ちゃん、貰ってきて」 あのなあ、なんで、オレが、貰いに行くんだよ? 「わたしが、留守を見ておいてあげるわ」 

「★★ちゃん、貰って来たりいや」 新聞配達のおっちゃんが加勢しよる。仕方ないね。「此の子のも頼むで」って、話し相手の高1の女子を指差してる。

アホか、オレは給仕さんかよ、両手にカップ持って、零さぬようにソロリソロリと帰って来るのかよ。みんなで笑ろうとおるわ。





「★★ちゃん、美味しいわ」 そらあ、そうだろ、おっさん、こき使って飲むコーヒーだからね。おまえは、しかし、根っからのお嬢様育ちやね。

「今度、★★ちゃんに、いつ遭えるかなあ~」 わりと遭ってんじゃないのお? 「これから9時回るねん」 遅くまで頑張るんだね。

壁のカレンダー見詰めて 「★★ちゃん、鉛筆書きしてる日は残業か?」 そうだよ。 「何時まで?」 「8時だね」 ニッタラ、ニッタラ笑ってる。





「★★ちゃん、其の日は、わたしが帰るまで居ときや」 なんでやねんな~、また、コーヒー運ばせる気か? 

「じゃあ、そういうことで」 どういうことや? 振り返って 「★★ちゃん、髪の毛伸びたやろ?」 うん、そういえば、長くなってきたね。

ニッタラ、ニッタラ、「ほなあ~帰るわあ~」 おまえなあ、其の作った様子と流し目はいかんでえ~。行っちゃったよ。





しかし、此の娘(こ)は、勉強一筋に縛られてるわりには、精神は、至って自由に解き放って明るいね。制御の術が長けておるね。

















こころなしか、夕方のお日さんの残照が秋の風情を見せ始めたように思うね。電柱や木々の影が地面に長く延びてる。うん、秋の気配だね。

日中は、まだ、暑いから残暑の頃なんだけど、朝夕は、一足早く季節の変わり目を迎えてるね。

そういえば、仰ぎ見る青い空は、いつしか入道雲が遠慮して白い綿を並べたようなウロコ雲に変わってるよ。季節は正直だね。

















来週の連休辺り、服屋さんに行って秋冬用のスラックス何本かオーダーメードしとこうか。此処のは、生地もいいし縫製もしっかり出来てるわ。

息子が、「おとん、そのズボン、格好ええわ」 おお、拵えてん。「ゆったりしてんのにスマートやなあ」って、褒めてくれたしね。

あれえ? おまえ、髭剃ったの? いつもの聖徳太子も悪くないけど、すっきりして清潔感がアップしたよ。親子で褒め合いしてんの。






「おとんは、脚長くないのに、なんか、格好がええなあ」 それは、貶(けな)してるの? 褒めてるの? 「身体の均整がとれてんのかなあ?」 

「此の子の脚は長いで」 脇から奥さんが口出してる。 「此の人は脚短い」 余計な口出しすんな。その代わり胴が長いわい、ざまあみろ。

「おとんは、ホンマに不思議やけど格好ええで」 自分の表現に笑っておるわ。「せやな、この人は、誰もが云うなあ、お母さんは、そうは思わんけどな」






おまえの美的感覚が狂っとんだよ。思わないのはおまえだけ。そうそう、此の前、葬式で、礼服着て兄貴のとこへ行ったやろ、暑いから上着は脱いでたけど

あんときも、「〇〇〇さんはホンマに格好ええわ」って、その話題でもちきりよ。余計に暑かったよ。「恥ずかしいんかいな?」 そう。

「おとんはな、スタイルだけやないねん、おとん特有の雰囲気が加味されて、そう見えるのんとちゃうか?」 どんな雰囲気や? 「う~ん?」

















「ほ~ぉん、正体の解らんおっさんやからなあ~」 この婆。「いや、そう、前も云うたやろ、そやねん、おとんは正体不明やねん」 正体不明?

「実体がないねん」 実体が無いっ? あるでえ。「いや、ないねん」 「そうそう、ないない」 ばばあが相槌打ってる。

それは、どう、受け止めたらいいの? 「おとんは、それでええねん」 正体不明で実体が無くてもええのん? 「そう」 






「此の人は、自分がないねん」 あるわ、アホッ。「おとんはなあ~、自分は、しっかり持ちながらも執着がない、変化(へんげ)自由な要素やなあ・・・」

こいつ、何とはなしに言い当ててるとこがあるみたいな気がするよ。「おとん特有の処世感から出来たものかも知れんわ」 う~ん・・・。

「均整のとれた姿と相まって、その特有の雰囲気とが融合して創り出しているのかも知れんわ」 おまえは、何処かの研究員か?






写真撮ったら9割がたが顔歪んで不細工なのに男前って云われるのもそのせいかな? 「そやっ」 「ただの錯覚云うことや」 カチンとくる婆やで。

おまえも、その錯覚に引っ掛かったと云うことか? 「そや、騙されたんや」 「それは、おとんの罪じゃないで」 そうそう。

「おとんは、騙したり遊んだりするタイプじゃないわ」 そうそう。 「おかんが、おとんの要素を、よう読み切らんかったんや」 「此の子は、ホンマにぃ~」

















正体不明で実体が無い、死ぬ前から幽霊かいな? なんでもええわ。でも、人って知らず知らずの間に見ているもんなんだねえ。

オレにあるのは滅びぬ夢だけだよ。夢は不可能を可能にする力だよ。

オレの場合は、夢の世界で独り遊ぶのが好きなだけ。夢遊病者一歩手前かね? でも、夢の力を知ってるのかも知れない。まず、へこたれないね。






成るならぬなんかは、二の次なんだよ。その魔力が全てだよ。人生を愉しむんだよ、その力だよ。

現実は戦うもの。現実に答えは求めない。現実は、事実のみが人を追い詰める。夢は、死んでも生き続ける、自由なんだよ。

「おまえ、ホントにそう思ってるの?」 思ってるよ。「現実逃避か?」 逃げずに戦っておるよ。相手になってやるよ、来んかえ。






夢の世界はね、わざわざロケット飛ばさなくても宇宙と繋がってあるものだよ。無限の世界だよ。現実のコロッケひとつで何人の人が喜べる?

夢のコロッケひとつの話を語れば、腹は満てぬとも、多くの人たちの心を満たすことができるんだよ。

解る人には解るだろうけど、解らぬ人からは馬鹿にしか見えないだろうね。そいでいいんだよ。なにが正しいかなんて人生に答えは無いよ。

















なんか、話が横道に逸れちゃったね。もう、格好云々云う歳ではないね、貧乏丸出しよりは、それなりの服装ができれば、それでいい。

この際、ブレザーも、色柄の気に入ったのがあったら拵えて貰おうか。今年の冬は、ちょっとお洒落してどこぞへ出かけよ。「何処へ行く?」

おまえが、それをいちいち聞くから面倒になるんだよ。何処でもいいんだよ。久ぶりに映画も映画館で観たいしね。






映画館も時間制になってから行ってないし、ちょっと、梅田の変わりようでも見て歩くかあ。「何処のおのぼりさんやねん」 大阪のおのぼりさんだよ。

梅田は何度も行ってるけどね、ビルからビルへ交叉点を跨ぐ陸橋ばかり利用してるから、周りは、てんで見ることがないんだね。

まあ、何処でもいいや、気晴らしに街ん中のんびり散歩してりゃいいお店に行き当るかも知れないよ、それと、綺麗な女性(ひと)にもね。












『1966年(昭和41年)12月 大阪梅田交叉点』 









『1966年 (昭和41年)  3月 大阪梅田交叉点』








『現在 大阪梅田交叉点 西から見る』







「暫く、見てないからって、過去の写真が古すぎるんじゃないの?」 48年経過してるね。たしかに古すぎるね。

古すぎる写真の梅田を親父の仕事の配達で自転車飛ばして走ったり、市電やバスで行ったり来たり、馴染み深いところだね。

空は、季節に追われて様変わり、街は、時代に追われて様変わり、人は、歳月に追われて老けて弛(たる)んで様変わりだね。

















翌日、終業間際に夕刊に目を通していて流すように見てるぶんには、小さな活字も苦なく読めてるんだけど、

ちょっと気になったところをせこ入れて読もうとすると霞むんだね。天井の照明の真下に広げて、なんとか読んでると背後で人の気配。

振り返ると、あれえ? 某私立大学付属の高2の女子が、窓枠に鞄を載せて、其の上に頬杖ついて見てるよ。あれえ、おまえ、なんや? 早いね。






おまえ、いつから其処に居たの? 「ずっと」 ああ、ホントお~。なんだよ、その見下ろしたような目つきは? 笑ってる。

9時じゃなかったのか? 「部活」 部活休んだのか? 「そうやねんっ」 えらい嬉しそうやね。部活休んだら、このぐらいの時間か? 「そう」

「★★ちゃん、何してんの?」 うしろで見てたんだろ? 新聞読んでんだけど字が見えないの。耳も聞こえない、頭は悪い、三重苦だよ。






おまえ、いつもニコニコしてるのに、ふっと寂しそうな表情をするね。なに考えてる? 黙って見てる。おまえなあ、そんなにじっ~と見るなよ。

オレはな、昔から、女性に見詰められると、なんか、凄く、恥ずかしくなるんだよ。そうっそんな目だよ。やめろ、アホ。

彼氏・・・なんだったかなあ? 彼氏・・・「居ない歴のことか?」 そうそう、おまえ、金色蹴って、其のあと彼氏できたろ? 「なんで知ってんのん?」



















おまえが云ってたろが。あれは、どうなった? ふられたのか? 首ふって舌出してる。ふったんか? あれからしたら居ない歴は短いだろ?

おまえ、ふるんじゃなくて友達で線引きしてやね、そんなの、何人か置いておけば退屈しないだろ? 「そんなん、うざといやん」 ゴキブリみたいやね。 

「迫(せま)ってきたらどうすんのん?」 大笑いだよ。そんな無礼者には云ってやれよ、おまえは相手じゃないって、引導渡してバイバイだよ。






〇〇は、何人も相手にするタイプじゃないね? 「そんなん、ようせんわ」 〇〇、おまえはね、人間性とルックスで云えば、かなり上に入るよ。

自信を持ってゆったり構えてろ、いずれ、デカイのが釣れるよ。「せやろかあ?」 伸ばした髪の毛、顔に巻きつけてる。なにしてんの? 喜んでんか?

満面笑みして喜んでるよ。此の娘(こ)は、色が白いから照れたら頬がピンク色になるよ。健康そうな子だね。「ほなあ~★★ちゃん、帰るわあ~」 






おう、今日は、時間にゆとりがあるからのんびりできるよ。「バイ~バイ~」 ちょっと話すと気が晴れるのかねえ。

















昨日、今日と話のネタが浮かんでこないから、有ったことで間に合わせておこ。しかし、なんかダラダラと長かったね。



























カメレオンの独り言-1226 『思い出は映画とともに』

2014年09月10日 | 日記






 9月10日






遠い昔、オレは、子供なりに映画鑑賞の感想をノートに書いて溜めてた頃があった。今よりも拙い感想文なんだけど思いのままに書き留めてたね。

其れを、なにかの話の折におふくろに見せたんだよ。絶対に見られたくない秘密の感想文なんだけどね、何故か、見せたんだね。

おふくろは優しく微笑みながら見てくれたよ。「〇〇〇ちゃんは、映画がすきなんやねえ、そんな想いが伝わってくるよ」って、褒めてくれたよ。





身体の熱が全身を真っ赤に染めてんじゃないかと思うくらいに恥ずかしいんだけど嬉しいんだね。複雑な思いだったよ。





狭い家だったから寝るのは、ずらっと布団並べて親子6人が横になるの。天井に天窓があって外の明かりが薄っらと家ん中を照らすんだね。

妹、弟を挟んだ向こうにおふくろが寝てる。「〇〇〇ちゃんは、ものごとのポイントをしっかり掴んで見てるなあ」って、おふくろが云ってくれた。

「〇〇〇ちゃんの書く手紙も、そう、人の心を打つものがあるね」って、棚からぼた餅喰らったほどに嬉しかったね。








 

『当時、住まいが在った大阪日本橋筋一丁目(昭和30年代後半)』






学校嫌いのオレにおふくろは、刺激を与えて心変わりを目論んだのかも知れないけど、そんな話はせずに「〇〇〇ちゃん、また、増えたら見せてや」

「うん」 天井を繰り抜いたように模(かたど)った吹き抜けの上に天窓がある。

天井は真っ暗なんだけど、繰り抜いた部分には、天窓から差し込む明かりが優しく照らして希望の光のように見えたね。





人生は、流れ往くもの、人、それぞれの生きる道がある。おふくろは、其処から寄り来るものを拒むことなく、逃げることなく受け入れて生きた人だったね。





全身が真っ赤になるほどの羞恥心を失った訳じゃない。失うどころか、尚更、それは激しいものになってる。進歩を閉ざして今が在るからね。

変わったのは、在るがままが自分だと知ったから、こうして恥を曝して書き続けることができるんだね。どうなと思え、だろうね。

「名を伏してならばこそだろ?」 そうだね、大きな砦だろうね。でも、其れも中から崩せば脆いカーテン如きに過ぎぬことも解ってきたよ。





カーテン滑らせて開けば何がある? 変わらぬ景色が在るに過ぎないじゃないか。「じゃあ、カーテン滑らせて開こうか?」 ちょ、ちょっと、待ってえ。








 『1964年(昭和39年)の南街劇場』








おふくろよ、オレは、親の期待を全て裏切ってきたような男になっちゃったけど警察に世話になるような悪いことだけはしなかったよ。

今ね、気の向くままブログを書いて見知らぬ人に見て貰ってるよ。昔のオレなら、熱で湯気が上がって倒れるほどに恥ずかしいことなんだけどね。

歳喰らって皮が厚くなったのかして、そんなの表面には出なくなったよ。随分と厚かましい男になったもんだよ。





自分の書いた映画紹介もどきを読み返すとき、今、おふくろが、此れを読んだら、どう云うだろうなって、必ず、あの日のことを思い出してるよ。

少しは成長したねって笑って褒めてくれるかなあ? おふくろが亡くなった歳に近づいてね、其の年頃の人の思いが解るんだね。

なんにも変わっちゃいないんだよ。幼いときも、若いときも、そして、今も、生き続けて一体であるってことを、今更のように解ったんだね。





人は、人生に練れて厚みを増して大人に成っていく。経験から知恵を育み、体験から人の痛みを知り、教養で人格を高めて己の主張で道を拓く。

若い頃は、大人は違う人種のように思えてた。現実に重きをおき夢絵空は娯楽の世界、けじめを忘れないのが大人と思っていたよ。

おふくろは、苦労の塊のような人生を生きても夢を失わない人だったね。長いものに巻かれず個性を大事にする人だったよ。





おふくろが、今の時代に若く生きてたら、きっと、想うさま人生を謳歌して生きていく人だったろうなあって思うんだね。

















埋もれるってことを考えるんだね。大方の人は、成り行きに順じて、そうせざるを得ない穴凹に嵌まって一生を終えるんだろうね。

其の成否を問うんじゃなくて、生き方の変化の可能性を考えたりするんだね。オレは、ほんとに、此れが、オレの人生かって問いかけるんだよ。

問いかけて返る答えはない。答えは、問いかけを行動で表すしかないって思うんだね。エネルギーの問題かねえ? 言うは容易くするは難しだけどね。





おふくろから学ぶのは、前向きだね。障害を跳ね返してでも前に進もうとする意志力だね。生きる力だね。

オレは、何事も運命の流れに任せてきたから、気づいた時には、もう、後がないところまで来ちゃったよ。だから、出来ることをしようと思うだけだね。

映画を観てるとね、そんなことを考えさせられることがままあるんだよ。創る人、演じる人、それに携わる多くの人、人生の縮図のように思えるんだね。





表舞台で煌びやかに輝く人、その舞台を支える人、創り上げた夢に酔う人、どれが欠けても成り立たないね。










『ダンスの王様 フレッド・アステアと女優さんは、誰だったかなあ?』






前回の「慕情」のテーマソングを聴いていて思い出したことを書いたよ。この曲は、人生を振り返らせるね。曲の中に、生きているってのを感じるんだよ。

映画では、コーラスだったかなあ、歌が入らないオーケストラの演奏だったかなあ?って、定まらない記憶は毎度のことなんだけどね。

何故か、此の曲は、人生の全てに添う旋律を感じるよ。





幼い年頃に耳にして解らぬうちに感動して心に焼き付いたからだろうね。 人の優しさ、人の歓び、人の哀しさ、遣り切れなさが匂いたつんだね。








Ray Conniff - Love Is A Many-Splendored Thing (Singers Version) (with lyrics)









映画解説者のおじさんが居たね、淀川長治だったかね? あの人じゃないけれど、オレも映画で教えて貰ったことが多い人生を生きてきたね。


























カメレオンの独り言