カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

独り言-130 『藤純子』

2011年06月30日 | 日記






下駄履きの映画館が懐かしい。大阪市内の松屋町筋と長堀橋筋の交叉点近くに気楽に観れる映画館があった。

家から近くでぶらりと出掛けて東映の任侠映画をよく観た。高倉健の昭和残侠伝や藤純子の緋牡丹博徒なんか「良かったねぇ~」

邦画は観ないって思ってたが、ここは邦画専門だから仕方なく観に入ったら緋牡丹博徒をやっていた。






綺麗な熊本弁で啖呵きってやくざの悪を小太刀で斬る。正統な小太刀の使い手と云う設定で殺陣が極まっている。






綺麗で色気があって品を漂わせて強い。「藤純子っていいなぁ~」と思ったね。

そして何処かで見た人だと気づいた。此の人はその数年前にテレビのお笑い番組「スチャラカ社員」に女子社員のマドンナ役で出ていた人だった。

何処かのお嬢さんって感じの人だったなぁ。「この番組も面白かったね」






着物の着付けも粋で若いのに貫禄がある。女博徒ものもいろいろ観たが「此の人に勝る人は居なかったね」

此れを機に東映任侠映画に病みつきになって、よく此の映画館に通った。

普段着でいいは、下駄でええは、煙草は吸いながら観れるはで気楽この上ない映画館だったね。

















性は矢野、名は竜子。通り名を緋牡丹のお竜と発します。






















独り言-129 『見えない恐怖』

2011年06月30日 | 日記








東北の魚が市場に流れだした。「岩手の宮古で獲れた」って漁師さんが言ってる。南相馬から200キロ程北になる。

漁師さんたちの顔は晴れやかだけど「魚達よ、おまえ達は獲られるまで何処を回遊したの?」聞けるものなら聞いてみたい。

検査体制が間に合わず素通りで市場に流れるなんて信じられない。






「我が国日本はアホか?」国民を守る義務は何処へ行った?此れも復興支援なのか?

セシウムやヨウ素やストロンチウム、プルトニウムなどの放射能物質が南相馬の海に垂れ流されて海流にのって拡散し続けているんだよ。

「糞が垂れ流されても自然浄化されるけど放射能はそうはいかん物質なんだぞっ」






ヨウ素は甲状腺に集まる性質があり甲状腺がんの原因となる。セシウムは様々な臓器に吸収され、将来、がんを起こす可能性がある。

ストロンチウムは骨に沈着し白血病の原因になりやすい。プルトニウムも骨に集まりやすく周囲の組織にもダメージを与える可能性がある。

白血病の場合は被曝後2~3年で増え始め、6~7年後にピークとなるらしいんですよ。






晩発性障害って云って10年後ぐらいから障害(癌など)が出てくるんですよ。






テレビのインタビューに東京のお母さんが「どうだか解らないし食べちゃおうって思ってます」大方がそうなんじゃないのぉ?

何十年も裁判が続いて判決が出た頃には、地獄の苦しみを味わった多くの被害者の大半が亡くなっていた「イタイイタイ病」なんかが脳裏によぎらないの?

水銀に汚染された魚貝類を食していた多くの人たちが犠牲になった。






「少しは危機意識持てよぉ」おまえ達の子供の人生を考えてやれっ。彼らは、おまえの判断で未来が決定されるんだぞっ。

オレと同じ爺や婆は勝手にしろ。どちみち先は短い。未来のある若者や子供達のために「現実を直視して出来得る限りの防疫手段を心得てやれ」






それでも「解んないから食べましょ」って云う親は、子供達を好きなように生かしてやれ。

「学校が嫌だ」と云ったら休ませて目一杯遊ばせてやれ。未来を遮断された者に社会の決まりごとで苦しませる必要はない。

「菅のボケは何しとんじゃっ?」てめえの延命工作なんか遣ってる場合か。








 「見えないの」








結果でしか、その恐怖が実感できないなんて、見えない脅威ほど怖いものはない。























独り言-128 『一生の付き合い』

2011年06月29日 | 日記






中二の男の子との会話で、私との付き合いは「一生続くねん」って彼女が云ってる。男の子が「葬式は?」まだ生きとおるがな。

「学校行ってる時やったらどおにも出来ん」えらい具体的やね。じゃあ、オレは君が学生の間にくたばるの?

もう、ちょっとしかあらへんがな。死んだツラなんか見せとうないわな。






「お顔のところにお花を差し入れたげる」気持ちはありがとうね。でもね、其の前にどんな病でくたばるか解らんよ。

ヨレヨレなった姿なんか見られたくないよ。此れでも誇り高いとこあるねんで。

「何処にあるの?」なんて聞くな。無様な姿晒すなんて恥であるという思いがあるのだ。やっぱり格好つけなんかな?






猫は死を悟ると姿を消すっていう。そういえば昔に飼ってた猫ちゃんらはどうだったかなぁ?パトラは家で死んだけどクレオやスケベの福は姿消したなぁ。

「オレもそんな死にかたがいいな」って思う。しかし「ふざけんなよ。なんで死ぬ用意せなあかんの?まだ死ぬ予定ないよ」






君には危ない話や行動でハラハラ心配させられるけれど自分の意思を貫く強さには敬服するよ。

今日も「毎日奢ってくれる人居ないかな?」なんて言い出すから「ケチで計算高い奴は最も嫌われるよ」って諭すと

「他にもなんぼでも居るわっ」ってむくれてる。とんでもない大胆なことを云って「こいつ、頭大丈夫か?って思う時もあるけどね」






自分の外見に自信があるようで、お姫様気取りの夜遊びも嫌いじゃないらしい。上辺の良さは内面が支えているところが大きいんだよ。

上辺と内面がすれ違って支えを失うと上辺は崩壊するよ。外見なんてその程度のもんなんだよ。光るも曇るも心根次第なんだよ。

ただ、此の娘(こ)は、言葉遊びが好きなところがあるみたい。






思いついた言葉を放って跳ね返ってくる「相手の反応」に「反論」する遊びなんだろうかね。其れに乗せられているオレはなんなんだろうね?



























独り言-127 『猫に餌やるな』

2011年06月27日 | 日記







街の裏通りのあちら此方でよく目にする注意書きがある。「猫ちゃんに餌を与えないでください」

なるほど野良猫らしき数匹が銀紙の上の餌を食べている。何日かして前を通ると「野良猫に餌を与えないでください。大変迷惑しています」

と張り紙が変わっている。釣り餌を買いに行く路なので此の前をよく通る。「餌をやるな」に変わってる。でも銀紙の上の餌を猫が食べている。







人が近づくとさっと姿を消すようになっている。「ええ加減にせえよ。餌やるなって言ってるやろ!!」に変わってる。

でも銀紙の上に餌が置かれている。「見つけたらどつくぞ!!餌やるな云うてるやろ!!バカめ」張り紙がキレている。

でも銀紙の上に餌がある。それなりの迷惑を被るから張り紙の内容に現在の心境を言葉に表し訴えている。







見つかればどつかれるかも知れない危険を冒してでも猫に餌を運ぶ人が居る。

「餌置く場所変えたらどうなの?」とまず思う。でも、また其処でも同じような張り紙で牽制されるでしょうね。

哀れに思う気持ちは同情しますが、人には限界って云う非情があります。守り切れない限界があるんですよ。






野良猫にせよ野良犬にせよ、かれらは家畜から野生に目覚めて自然界の掟を心得るんじゃないんですかね。

其れを身に着けて生きねばならない宿命なんでしょうね。都会の中の「野生の王国」なんですよ。

「ニャ~ン」って泣けば「可哀想」って反応しますが、彼等は同類の子を食べてでも生きる術を心得ているんですよ。






人間より逞しいかも知れませんよ。決まったように餌をあてがえば、

其れが途絶えたときに厳しい野生の世界を生き抜くための知恵も力もない「なまくら者」になるだけじゃないんですかね?






福島の原発周辺の立ち入り禁止地域で取り残されたペットたちが野生化して問題になってるらしいですよ。

問題視するのは人間で、彼等にとっては生き抜くために野生の本能に従っているだけなんですよ。

人間が人間らしく生きることを問われるように、彼等は家畜から野生に目覚めれば野性で生きる力を問われるんですよ。






慰めに一言・・・ペット在籍中の奴でも一週間やそこら放浪するつわものも沢山居ますからね。案外、強いんですよ彼等は。



















箕面の猿も元々野生で生きているのに人間が餌遣るからズボラになって泥棒猿にまで堕ちてしまったでしょう。




















独り言-126 『常識』

2011年06月27日 | 日記







先週の休みから梅雨が活発化するような週間天気予報(大阪)だったけれど大方晴天続きで一週間が過ぎた。

当たる時は当たるけど、当たらん時はホンマに当たらん。下駄放って「表なら晴れ、裏なら雨」と占うやつとそう変わらん。

気象庁へはやっぱり苦情はあるのかな?「そらぁ~ありまっせ。毎日此れとの戦いですわ」なら解る。






昔と違い観測衛星まで飛ばして経費も馬鹿ならん。世間では、こんなけ間違い続けたら普通机は無くなりまっせ。






宝くじも億万長者が何百人なんて大層な宣伝で釣って買わせるけど、ホンマに当たってる人が居るのん?

「そら~毎度沢山の方が当たってまっせぇ」なんて言っても信じられん。「秘密にせんとあかん」と云うベールが胡散臭い。

「これは実際に億万円に当たらんことには信じられないね」「もう、そろそろ貴方の番ですよっ」「えっ、ホンマ?」「匂いますよ」

「よっしゃあっ、ポーンとはたいて買うでっ」これは買う奴がアホ云うだけのこと。






社会は、まず「信じる」ってことから成り立っているんですね。大方の人が常識を守るから信号を信じて渡れます。

大方の人が影に隠れてHするべきと常識を守るから連れ込みホテルが繁盛する。

大方の人が街行く女性にタッチやモミモミしてはいかんと常識守るから女性は街ん中を安心して歩ける。






このにぎりを握った手は清潔であると疑わないから「美味いっ」って味わえる。

















何事も型に填めようとする煩わしい「常識」されど自身や愛する人を庇護してくれているのも「常識」なんだわなぁ。

















独り言-124

2011年06月26日 | 日記




「男は顔に責任を持て」とか「三十にして立つ」とか「年輪の渋さ」とか、いろいろと男の生き様について云われるが、

尽く「失格やね」自分の顔に責任は持てないし、三十にして転んだし、年輪の渋さなんて食えないから甘いし、

我ながら「お気の毒」なおっさんだと思う。



気休めに「子供心を忘れるな」ってあるね。これだけやね「子供のまんま」やもんね。「情け無いね」 世の中の決まりごとなど眼中になかった。

人は人、オレはオレを通して生きてきた。だから世間並みから外れている自分がある。「それで良かったか?」「解らない」









最期まで人生は解らないから答えは急がない。「あれ、もうこんな時間になってる。寝よ。おやすみなさい」






独り言-123

2011年06月26日 | 日記







芋けんぴをパクつきまがら視線はパソコンの画面を見ているような見ていないような空ろな状態で脳味噌だけが何かを考えている。

「人間は何事でも答えを求めて生きて行くもんなんだなぁ」って漠然と思っている。人其々の納得いく答えを求めて生きてるんだろうね。

問いかけが多すぎて流していたことが、フッと現れて問い直してくる。未だに解らないこともあれば、今だから答えられることもある。






人は遠い昔の宿題を後生大事に抱えているもんなんですね。人はよく「何も悪いことして無いのに」って云いますね。

警察沙汰にならなければ悪くないなんて子供の世界ではなく、悪いことしてない人間なんてそんなに居ないと思う。

大なり小なり心に残る悪いことをして生きてきてるもんですよ。それが許せる罪と許せぬ罪を見極める要素になっているんじゃないんですかねぇ。

















人を大事にする人しない人、人を許せる人許せない人の分れ目は、この自覚のあるなしに関わっている部分もあるんじゃないでしょうかね。






昨日今日と仕事が遅くまであり疲れてしまって何も浮かんできません。「ごめんなさい」




















独り言-122 『何事も為るようにしか為らん』

2011年06月25日 | 日記








答えの出ないことで悩めるときは煙草一本持ってベランダに出る。

「放射能が大気を汚す昨今、煙草の煙の何ほどのことか」と火を付け一服する。

空を見上げて宇宙の果てしない大きさを想うと「悩みのなんと些細なことか」とアホらしくなる。






「何事も為るようにしか為らんもんだ」と、煙草とともに悩みも揉み消すのです。



















視点を変えれば靴の周りを這い回る蟻の群れの一匹に過ぎないではないか。「物事、大仰に捉えて悩まず」だね。
















独り言-121 『ただちに健康に影響はない』

2011年06月23日 | 日記







もう真夏の太陽って感じになってきた。各地の海もプールも客を迎える準備に忙しいことだろう。

ただ、開催を前に何処もかしこも放射能の数値を計るなんて前代未聞の状況だね。

大腸菌の数値を計ることは毎年のことだけれど、放射能汚染度を計らねばならないなんて「ホントに日本は大丈夫なの?」






「湯を通せば大丈夫。安全値になります」なんて売る方の一方的納得でお茶を外国へ輸出してる。

買った国では汚染していることを知り廃棄処分してる。

「何考えてるんでしょうかね?」放射能に汚染されたものを輸出するなんて日本の信用に関わる大問題でしょうがっ。






「応援します」なんてのは「頑張りますっ」「負けるな日本」「復興を応援しますっ」なんて綺麗ごとばかり並べて、

本当の怖さを極力覆い被せて誤魔化す日本の国内だけに通用するもんなのっ。外国の知ったことかっ。

被害が軽微に収まるよう心配しつつ願っては居てくれるが、なんでわざわざ汚染品を買ってまで呑まなあかんのじゃっ。アホッ。






台風や洪水で被害を受けた野菜や果物ですら、商品価値を失って大打撃を被るのが台風銀座の日本の宿命みたいなのに、

なんで放射能汚染が商品価値に影響しないなんて考えるの?

「何処の田舎のおっさんじゃっ?!」隣国が同じような災害で原発事故を引き起こし「湯を通せば大丈夫」って食品売ってきて

「お前はそれを食すか?」都合のええ解釈もほどほどにせいっ。






「東北を応援します」なんて云って、どこぞの会社の社員食堂のおかずは福島産です。

食べてる社員さんは口揃えて「美味しいです」当たり前やがな。味は変わらんわっ。

それなりに高等教育受けた賢い人たちなんでしょう?食うもんまで会社のロボットにならなあかんのん?若い女子社員さんなんか気の毒やで。






赤ちゃん産むんでしょう?死なばもろともの精神か?「日本人の気持ち悪いとこやねぇ」しょっぱなの水素爆発の辺りで、

相当量の高濃度の放射能が大気にばら撒かれたらしいって、今頃発表してる。あなた方が美味しいなんて食べてる野菜類は其れをまともに受けてますよ。

枝野さんが「ただちに健康に影響はない」って云いまくってた通り、すぐさま症状は出ないだけでしょうね。






助け合うってことはとてもいいことだと思います。其れを実践する人々に頭が下がります。

ただ、浪花節では通用しないこともあるってことを逸らさずに見るのも大事ですよ。本当に被災地を復興して今まで通りの生活が可能なんですか?

観光にしても漁業にしても農業にしても酪農にしても成り立つんですか?放射能濃度を気にしながら観光して楽しいんですか? 






仮に炊いたり焼いたりしたら何とか食べれますなんて注意書きされた魚貝類が売れますか?

洗ったら汚染度も落ちますなんて云って野菜や米が売れますか?混ぜたら薄まりますなんて云って牛乳が売れますか?

一番危惧されるのは、何が何でも復興して「遣るだけは遣った。あとは皆さんの努力です」っていう責任逃れの政策だ。






「本当は大変なことが実際に起こってしまい広域な範囲においては復興不可能って宣言が正しいのではないんですか?」

広域に及ぶ汚染の負担をそのままに、努力じゃどうにもならんでしょう?



















一度絶望した人々を二度絶望させるような酷い仕打ちにならぬよう、政府は現状と展望を正直に報告して其れに応じた復興方法を模索すべきだ。























独り言-120 『なんちゅう犬や』

2011年06月23日 | 日記








昔は一戸建てのお家だったので拾ってきた猫や犬を親に頼んでは飼うことを繰り返していた。犬や猫にも性格があって其々に個性がある。

幼児に尻尾を掴まれ引っ張りまくられようが何されようが怒らず「もうやめてえなぁ」と云う風に相手になり通す猫が居た。

賢い猫で一家が銭湯に行くと、着いて来て出て来るまで入り口で待っている。







ネズミで困っていた米屋さんが「暫く貸して欲しい」って頼みにきた。

自転車の後ろの箱に入れられて行ったが、途中で飛び出し行方不明になってしまった。

「あれはイカンかったなぁ。安請け合いで可哀想なことをした」って親父は反省したけど「安請け合いもええとこやっ」と皆が怒る。







ハチ公って云う雑種が居た。いつも子供たちと遊びまくって自分も人間と思っていたふしがある。

何処へ行くのも一緒だったから留守番が理解できない。放って行き掛けると絶叫上げようる。

ハチ公のために家族揃っての外出は出来なくなった。或る日、兄貴が学校へ行くのに着いていき日本橋筋の交叉点で交通事故死した。







銭湯へ行く途中で捨て犬を拾った。小さな子犬で弱っていた。持ち帰ると「湯で洗ったり」と親父。湯上り後ちょっと元気になった。

家には福という猫が居た。このメス猫は見るからに妖艶な雰囲気でスケベだった。どこぞのオス猫と遣りまくって子供が五匹居た。

2回目だった。子猫を貰ってもらう度にお袋が泣いていた。実際可愛い盛りだから「貰ってもらわな困るし、情はうつってるし」で罪なことやわな。







「おまえが次から次へと拾って来るからやんか」





















子犬はマルと名づけた。猫どもが食事終わるまでじっと待つ。だんだんと震えてくるけど我慢してる。

鼻濡らして身もだえして板の間に座っているから震えると爪でカチカチカチカチカチカチと音が鳴る。

我慢強い犬でした。福はチラチラ見ながら最後までゆっくり食べる。「こいつスケベで意地も悪いな」って親父が言ってる。







マルと仲良しなるよう強制的暴力で躾けたのを「おまえのせいじゃ」なんて恨みもっとおるな。満腹になると虎のように悠然と場所を離れていく。

マルが此方の合図を待って見てる。「マル食べや」と云ったら飛んで行って茶碗ガタガタいわせて残り物を綺麗に平らげる。

面倒見のいい賢い犬で子猫の相手を嫌がらず腹みせて遊んでやってる。福はまた男漁りに忙しい。







それから数年後、5~6回目の出産後、福は子供の面倒を二週間ほどで放棄して男漁りに出て行く。

こいつは完全な淫乱女やね。「なんちゅう猫や?」放置された子猫を抱えて、いかず後家のマルは乳をやっている。「なんちゅう犬や?」 

このマルは柴犬の雑種でホンマに賢い犬でした。飼った犬猫紹介してたら明日になるのでこの辺で。



















休憩-13

2011年06月20日 | 日記







ちょっと中休みだった梅雨が活発化しそうな気配ですね。湿気が高くなるとじめじめと蒸し暑く鬱陶しいことです。

梅雨が明けたら、今年こそはカメラを持ってあちら此方と出かけよう。

ブログのネタも拾えるだろうし撮りまくればカメラも少しは上手くなるかも知れない「アカンかもね」






ビール呑んだ後ワインを呑みながら書いたからやね。

大酒呑みの親父が反面教師になって息子たちは、皆お酒には縁遠く呑んでも弱い。

100ミリリットルのキリン発泡ビール缶一本とコップ半分のワインでフラフラとなり眠たくなってくる。でも気は高揚するんやね。






この休みに強行軍で遠くへ出かけていた彼女が帰ってきて、出先で有ったことをあれやこれやと話して聞かせてくれる。

話の途中で「聞いてるのっ?」ってよく怒られるのは、今日に限ったことではないんだけど「聞いているんだけれどもっ聞こえない」ってこともある。

此の娘(こ)はよく怒るけど「あっさり」してるとこがいい。しかし、オレは耳が遠くなったなぁ。






「なんでも、どうでもいい」って思っているから気にならないけど相手は気になるらしい。

いつも来る新聞配達のおじさんが「耳の遠い人は長生きするんやで。昔からそう云うがなぁ」って言ってた。

「あっそう、じゃあ尚更気にすることはないね」























独り言-118 『本物の味』

2011年06月19日 | 日記







外国で開催されるウィンブルドンのテニスやワールドカップのゴルフ、フィギアスケートなどをテレビで観ると、

観客の集団が花が咲き乱れたようなカラフルな色合いで映るのにはいつも目を奪われる。

「なんでかいな?」これが日本で開催しているのを観るとモッサッ~と映るのは何故かな?






「なるほど、肌の白地に色合いが乗るから綺麗に見えるんだなぁ」ヘヤーも金色、茶、銀、赤など色とりどりだから暗くならないんだ。

日本人は肌が黄色地でヘヤーは黒地になるから同じ華やかな色合いの服装しても映えないんだわなぁ。

「映像で観賞する限りに於いては、日本人(アジア系)はどうあがいてもあちらには勝てないね」






だから映画なんかでは、このネックを考慮して「あちらの真似事」的な格好つけは控えたほうがいいのだ。

また国民性も大事で此れを無視すると国籍不明の陳腐な作品になってしまう。

日本人は野暮いスタイルの中に格好良さを求めるほうがリアルで共感を得るし納得もできる。






自分を知らずして何を語る。自然に馴染める題材を映像化すべきやね。探せば幾らでも有るよ。

先進国と云う驕りのような発想が定着して駄作ばかりを製作し排出する。営利を優先する体質に名作は生まれない。

そういう時代だからこそ、観るものに本当の感動を与える題材は手付かずの宝庫かも知れないよ。






クリエィターと称する者、また其れを目指す者の中に「冒険者は居らんのか?」






歌手やタレントで人気があるから、儲けが見込めるからなんて商魂逞しい輩の言いなりになっていては駄目だ。

客は下手な学芸会もどきを求めて金払って観に行ってる訳じゃないぞ。芝居という世界で這い上がろうと懸命な奴等に目を向けろ。

「役者」を使え。「役者を育てろ」光るやつは必ず居る。日本の映画界は、媚びることなく妥協せず、いいものを必死で創ろうと云う思いに立ち返れ。






今の若者にこそ「本物の味」を教えて遣れ。選択眼を研ぎ澄ます機会を提供しろ。優れた文化を次の世代に継承せねばという責任感を持て。

低資本でも名作は創れる、いや限られた枠の中でこそ思考の深さを求められ試行錯誤の苦しみを繰り返し、

無駄を削り本身を凝縮して中身の濃い映画が創れるのだ。役者の大部屋で機会を待つ者が居る。彼らはそのために人生を賭けているんだぞ。






名作ではないが、観るものを引きずり込む魅力を持つ作品がある。

昔、まだ大した出演作の経験も無い役者が主役になって、東映の斬られ役ばかりの役者等が脇を固め「新撰組血風録」っていうテレビ連続時代劇を創った。

週を重ねるごとに人気は不動のものとなり続編の製作や映画化になったりと大層騒がれた。






未だに語り継がれているよ。「新撰組」って云ったら「栗塚旭の土方歳三」って。無名の役者の懸命さが溢れていたね。

此の後、二匹目の鰌よろしく御大鶴田浩二が近藤勇役で「新撰組」や「沖田総司」「新撰組始末記」など

名の通った役者らが出演して華々しく放映したけれどことごとく失敗した。無名の役者等の「新撰組」に勝る「新撰組」は未だ出てこない。






ひたむきで純粋な製作意欲を忘れてはいけない。前記で(其の百十七)触れた「若者たち」や「泣いてたまるか」など、

人の心を打って永く其の余韻を残す名作に金はかからない。

これらに例えた作品はテレビ番組だが映画もしかりである。「今こそ世の流れに逆らい 純粋さと清廉さ を問い直すべき時」と思う。




















土方歳三(栗塚旭)、沖田総司(島田順司)、斉藤一(左右田一平)貴方達は永遠やね。




















独り言-117 『若者たち』

2011年06月18日 | 日記







小、中学生のときは、毎度顔を見せていた子が高校生になると滅多に顔を会わせる機会がなくなってしまう。

最近、久ぶりに顔を見せたので「おうっ、どうしてる?調子はいいか?」「あかんわぁ」「なんでや?」「テスト欠点や」

「脅迫観念持つなよ。どうってことないわな。もうあかんなんて云いながら人は何とかなって行くもんや」「そうかなぁ?」






「諦めなきゃなるんだよ。諦めてないだろ?」「うん」「それでいい」

「いつもこんなに遅いのか?」「うん」「じゃあ、土日で気を抜け」「あかん、土曜は授業終わったら日曜の夕方まで合宿やねん」

「なんじゃそらあ。詰め込みやなぁ」「うん」元気がない。可哀想やね。誰にもかれにも一律って遣り方しかないのかね。






オレなんか勉強の出来る奴の引き立て役なんか遣ってられるかってこっちからオサラバしたけれど、

商売失敗したら、其れに見合った仕事しか就けずに、結局、今流で言えば、負け組みって云う標本みたいになったわなぁ。

「社会受け悪くとも人受けいいなんて手も有るぞ」てなこと云えんしな。






「中学のときより高校生になったら社会が身近に感じられるだろ?」「・・・」「つまり社会の仕組みってのがぼんやりでも解ってきたろ?」「うん」

「嫌で不向きなところで頑張るのはな無意味なことではないよ」「勉強が面白くないねん」

「勉強はな欠点クリアぎりぎりでええがな。壁乗り越えることに励め」「どういうこと?」






「出来る奴より抵抗が大きいんだから、そんな自分を乗り越えることに目標を持て」「・・・・」

「目的、目標を持ったり掲げたりするとな、人間は強くなるんよ」「・・・・」「人間の基礎造りや。

厳しい処で頑張った奴は基礎が出来上がるんやぞ。少々のことでは揺るがん根性が身につくんや。「・・・・」






「女の子にも、そういう子がいるよ」「一緒ぐらい?」「ああ、2年やで。根性あるでぇ。勉強も大事だけど支えが弱いと役に立たんのやわ。

抵抗が大きい環境ってことは、裏返せば自身の為には栄養分が多いってことなの」「・・・・」暫く考えておったな。

「おっちゃん、ありがとう。こんな話を聞きたかってん」「そうか、此の程度でいいならいつでもおいで」若者たち皆が幸せに生きていければいいね。






そう有るべきなんよ。「時間を有効に使って気を抜けよ」「うん」






「いい会社に入っていい給料を貰って誰よりも優雅で安定した生活を得るために勉強をする」

いつしか教育は人間成長のためではなく、いかに贅沢に生きるかの手段と化して久しいね。

ただ、其れが必ずしも「幸せ」とは比例しないことが、せめてもの人間的救いなんだろうね。



















君の行く道は果てしなく遠い~昔、テレビで「若者たち」って連続ドラマがあった。ああいう考えさせられる人間ドラマが無くなったねぇ。























カメレオンの独り言