外国で開催されるウィンブルドンのテニスやワールドカップのゴルフ、フィギアスケートなどをテレビで観ると、
観客の集団が花が咲き乱れたようなカラフルな色合いで映るのにはいつも目を奪われる。
「なんでかいな?」これが日本で開催しているのを観るとモッサッ~と映るのは何故かな?
「なるほど、肌の白地に色合いが乗るから綺麗に見えるんだなぁ」ヘヤーも金色、茶、銀、赤など色とりどりだから暗くならないんだ。
日本人は肌が黄色地でヘヤーは黒地になるから同じ華やかな色合いの服装しても映えないんだわなぁ。
「映像で観賞する限りに於いては、日本人(アジア系)はどうあがいてもあちらには勝てないね」
だから映画なんかでは、このネックを考慮して「あちらの真似事」的な格好つけは控えたほうがいいのだ。
また国民性も大事で此れを無視すると国籍不明の陳腐な作品になってしまう。
日本人は野暮いスタイルの中に格好良さを求めるほうがリアルで共感を得るし納得もできる。
自分を知らずして何を語る。自然に馴染める題材を映像化すべきやね。探せば幾らでも有るよ。
先進国と云う驕りのような発想が定着して駄作ばかりを製作し排出する。営利を優先する体質に名作は生まれない。
そういう時代だからこそ、観るものに本当の感動を与える題材は手付かずの宝庫かも知れないよ。
クリエィターと称する者、また其れを目指す者の中に「冒険者は居らんのか?」
歌手やタレントで人気があるから、儲けが見込めるからなんて商魂逞しい輩の言いなりになっていては駄目だ。
客は下手な学芸会もどきを求めて金払って観に行ってる訳じゃないぞ。芝居という世界で這い上がろうと懸命な奴等に目を向けろ。
「役者」を使え。「役者を育てろ」光るやつは必ず居る。日本の映画界は、媚びることなく妥協せず、いいものを必死で創ろうと云う思いに立ち返れ。
今の若者にこそ「本物の味」を教えて遣れ。選択眼を研ぎ澄ます機会を提供しろ。優れた文化を次の世代に継承せねばという責任感を持て。
低資本でも名作は創れる、いや限られた枠の中でこそ思考の深さを求められ試行錯誤の苦しみを繰り返し、
無駄を削り本身を凝縮して中身の濃い映画が創れるのだ。役者の大部屋で機会を待つ者が居る。彼らはそのために人生を賭けているんだぞ。
名作ではないが、観るものを引きずり込む魅力を持つ作品がある。
昔、まだ大した出演作の経験も無い役者が主役になって、東映の斬られ役ばかりの役者等が脇を固め「新撰組血風録」っていうテレビ連続時代劇を創った。
週を重ねるごとに人気は不動のものとなり続編の製作や映画化になったりと大層騒がれた。
未だに語り継がれているよ。「新撰組」って云ったら「栗塚旭の土方歳三」って。無名の役者の懸命さが溢れていたね。
此の後、二匹目の鰌よろしく御大鶴田浩二が近藤勇役で「新撰組」や「沖田総司」「新撰組始末記」など
名の通った役者らが出演して華々しく放映したけれどことごとく失敗した。無名の役者等の「新撰組」に勝る「新撰組」は未だ出てこない。
ひたむきで純粋な製作意欲を忘れてはいけない。前記で(其の百十七)触れた「若者たち」や「泣いてたまるか」など、
人の心を打って永く其の余韻を残す名作に金はかからない。
これらに例えた作品はテレビ番組だが映画もしかりである。「今こそ世の流れに逆らい 純粋さと清廉さ を問い直すべき時」と思う。
土方歳三(栗塚旭)、沖田総司(島田順司)、斉藤一(左右田一平)貴方達は永遠やね。