カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1471 『ポチチブ positive』

2015年08月30日 | 日記







 2015年8月30日







朝、目覚める。今日は昨日とは違う愉しいこと、嬉しいこと、明るいこと、幸せなことなんてなことを想い描いて外に出る。

若者たちの一日の始まりかね? 朝、目覚める。昨日と同じ日が始まって、同じ明後日(あさって)が来るのが解ってる、それは、おっさんかねえ?

年月が、其れを教えてくれる。並みの人生かねえ? 鶴亀松竹梅なんて人生を生きてる奴は、今日は、どんな日かなあって若者なみなんだろうかね?





気持ち悪い奴等だねえ。「なんでや?」 いや、なんとはなしに。「やっかみか?」 オレに、そういう類(たぐい)の感情はないよ。

まず、第一にどうでもいい。第二に、知ったこっちゃない。第三に、他人(ひと)の人生を欲しない。「それは、どういうことや?」 なにがや?

「他人(ひと)の人生を欲しない?」 いいとこ取りだけなんて無いだろ? そいつの全てをひっくるめて有るもんだよ。そんなのは興味ないよ。





あいつの幸せが妬ましい、ではあいつの苦しみがセットされても欲しいか? その妬ましい輝きは、あいつが生きて往く上で有るものさ。

例えば、あいつは、ゆくゆく、若くして癌で死ぬ、その運命までも引き受けるか? ならば、まとめておまえにくれてやる。そういうもんだよ。

蓋を開ければ腐ったような臭(にお)いの人生でも、オレは、オレの人生を生き切ることが忙しい。他所の奴は、他所の人生を生きればいい。





「なるほど、でも薄情にも聞こえるね」 人の明日など解らない。自分の明日さえ解らない。解らない上の、その場限りの羨望でしかないんだよ。

だから、笑うも泣くも、人生の連続の過程に過ぎないと云ってんだよ。そいつの不幸を前提に語れば、妬ましく見える輝きも色褪せる。

つまり、人の物を欲する心ってのはね、ご都合主義で欲通しくて浅ましいの一語に尽きるんだよ。乞食根性だよ。





泥棒する奴は、その家の不運も一緒に持っていけっ、不心得もんがっ。























夢ってのは、際限なく自由なんだよ。荒唐無稽な夢から慎ましやかな夢まで、見るものに、この上ない喜びをもたらすよ。誰でも見れるもんだよ。

神さんは、一人一人に夢見る自由を宛がってるよ。夢見て、些細なことでも実際に成るよう汗をかくべきことを教えてるよ。

因果めいた話でなくても、輝く奴は、見えないところで、ど汗をかいて、ど恥をかいて、その結果、輝いた人生を生きてるもんさ。欲望に忠実なんだろうね?





スイスイとすべらかに輝く奴は、其れを維持する段階で大きな試練が待っている。どちらにしても涼しい顔して得れるもんじゃないだろうね。

よくよく考えれば、妬ましいとか羨むとかなんて心情は、上辺だけを見て起こるんだね。

そんなのに負けないって、しゃかりきなって努力して頑張って輝いたらホントのところが解ると思うよ。しんどいよ、一度、試してごらん。























「鶴亀松竹梅を生きてる奴らが、今日を前向きに生きる姿が気持ち悪いってのは、どういうことなんだ?」 感じたままさ。

「何故、気持ち悪いんだ?」 思ったままさ。 「どう気持ちが悪いんだ?」  加速してんだろうね。ノッてる訳だよ、止まらないんだよ。

「だからあ?」  やる気満々なんだよ。 「そいでえ?」  疲れ知らずなんだよ。疲れてるもんからしたら、そんな奴見たら、気持ち悪いだろ?





そいだけのことさ。まあ、何とか成る奴は、バイタリティーに溢れてネガティブを引きずらないね。何ごとにもポチチブだよ。「ポジティブだろうが」

ポジティブって云いにくいよ、ポチチブのほうが云い易いよ。「前にも、同じこと云って笑いをとろうとしたな?」 とれたかな? 「取れるかっ」

「くだらんこと繰り返すな」 ああ、そうだ、ポチチブと云えば、何ごとにもポチチブな雰囲気の彼女が来たよ。





自動二輪の免許を収得(と)ったって、報告に来たよ。止めて止まらぬ台風女だよ。

自転車で引っくり返って顎(あご)切って血だらけなっても懲りない娘(こ)だよ。寝なくても平気な娘(こ)だよ。信じられん。

ネガティブなオレからしたらバケモノみたいなポチチブな娘(こ)だよ。糸の切れた風船みたいに風まかせで飛びまわってんだろうね。






















ネガティブに鍛えられると折れない、ポチチブに任せて跳ねてるとポキッと折れる。折れないように見守りようもない。

小賢しい知恵で人を思うさまに振り回す。何を意図してそうなるのか、オレが知ってる限りじゃ彼女の行動は好きにはなれない。思う処があるんだろうね。

人は、皆、自分の人生を生きてる。オレもそうなら彼女もそう。解らぬことは 知らずと同じ、知らぬことは語りようもない。





よしんば、ポキッと折れたら、そんときは、添え木にでもなってやろう。「おまえに添え木ができるか?」  黙って傍らに居てやればいいんだよ。



























カメレオンの独り言-1470 『書くこと浮かばんからジェイソン・ステイサム』

2015年08月29日 | 日記







 『ブリッツ』  2015年8月29日







今日の朝の空を見上げて、ああ、秋だねって感じたよ。真っ青な空が高く見えたね。「一緒だろ?」 一緒なんだけど違うんだね。

下に浮かぶ綿のような白い雲の加減だろうか? 紺碧の空が突き抜けて高いんだよ。天高く馬肥ゆる秋だよ。

まあ、そういうことで、日中は暑かったね。「夏並みか?」 残念ながら、そうだね。でも、去り往く夏の背中を見た思いだよ。





あれだけ耳について騒がしい蝉の声も、いつの間にか途絶えてたんだね? 聞かなくなったなあ、とも思わないままだったよ。

羽根を摩り合わせて鳴くのに疲れて、尽く死んじゃったんだね。気にも留めぬほど忙しくもなかったけどね。そうして今年の夏の合唱も終ったよ。

そういえば、今年は、耳元でブ~ンって、イラつかせる吸血鬼の蚊は、例年より少なかったね。今年、全然、刺されてないわ。





なにかしら、もう、終わりを迎える頃になると、喉元過ぎる前から暑さ忘れるで、全般的には、うだるような暑い夏でもなかったね、なんて思ってる。

「暑い、暑いと云うとったやないか」 そうか? 覚えがない。「覚えとけよ」 去年の夏を緻密に覚えてるか? 過ぎ去れば終わりなんだよ。

何ごとも、そうだよ、人は、其の渦中に於いて正直に反応するけど、過ぎ去れば、振り返る今に自分を置いて想いを語るもんさ。





死にたくなるような苦しい日々も、其処から脱して一息すれば、大したことでもなければ、死ぬほどのものでもないことを知るんだよ。












『ジェイソン・ステイサム』






『ブリッツ』(Blitz)2011年イギリス映画。ジェイソン・ステイサムらしい映画だね。なにか映画を観たくなったから、また、観ちゃった

ロンドン警視庁の刑事ブラント(ジェイソン・ステイサム)は、暴力的な捜査方法で犯罪者に容赦のない男。

警官ばかりを狙う連続殺人事件を追うんだね。事件の犯人は「ブリッツ」と称する男、法で裁けぬ奴は、オレが裁く。どんどん遣ってちょうだい。





強い正義の男はいいねえ~、怖い展開のストーリーでも、こいつが居るから安心だよ。ボコボコにいってもうたれ。返り討ちだよ、ざまあみろっ。

オレは、こういう映画は、何度観ても、また、最後まで観てしまうね。そして、前に観たときと同じくスカッとしてるんだよ。

正義は絶対でなくてはいかんよ。何のために強いか? 其れが問題だよ。この人の映画は、その答えをストレートに見せてくれるね。





此の映画は、前に下手でも書いたと思うから、今日はこのぐらいにしておこう。





















昨日は、夏の背中を見たような気がするなんて書いたけど、きびすを返して戻って来よったね。戻って来んな、アホッ。暑いがなあ~。













『トランスポーター3 アンリミテッド』








最近、昼の休憩時間、昼食終えたらギリギリまで寝てしまうね。椅子から落ちそうになってはっと目覚めることが多い。

クソッ、映画のヒーローは2日寝ずとも暴れておるのに、オレの場合は、一日5時間はぐっすり寝ておってもフラフラだよ。

寝不足で元気な奴って信じられないわ。根がひ弱なんだね、オレって。「口だけ達者か?」 そうだよ、でも、其の口も接客が重なるとしんどいよ。





昔は、休みってなったら16~20時間眠りぱなしって当たり前だったよ。今でも寝れるもんなら死ぬまで寝てたいよ。「なんちゅう奴や」

睡眠も取り過ぎると身体に悪いなんて、馬鹿テレビでタレント気取りの医者が云ってるよ。何処がどう悪いんじゃっ? 

こいつ等の云ってること鵜呑みにしてたら元気な身体が病魔に冒されるわ。寝ろ、寝ろ、寝る子は育つんだよ。





寝るってのはね、身体も休めるし精神も休める。臓物も脳味噌も心も活動停止して無の世界で浮遊出来るんだよ。安息の世界だよ。

アホらしいくらいに欠伸(あくび)がでるよ。眠気で頭が働かない、ちょっと、ズボラしてブログを簡単に終ろうか。

DVDを引っ張り出してドライブのお皿に載せて『トランスポーター3』を回してる。ジェイソン・ステイサム、格好いいねえ~。





黒いスーツを着こなしてアウディA8をブッ飛ばす。今日は、勝手ながら 『トランスポーター3アンリミテッド』を観て気持ちよく寝ます。








『トランスポーター3 アンリミテッド』予告編









タフな昔のオレが懐かしいよ。「ホンマか?」 う~ん、昔も睡眠不足になったら弱かったね。徹夜明けは、ゾンビになったような気分だったよ。

「ゾンビの気分ってどんなんや?」 血の気の引いた貧血症状みたいな体調じゃないか? 実際の貧血症状知らんけど。

目の周りクマ付けて頬削げて、いかにも元気の無さそうな表情なってフラフラと歩く。なんか目が回るような感じになるんだね。





「よ~く寝たあとは?」  矢でも鉄砲でも持ってこんかえっ、これだよ。 「今は?」  ゾンビだよ。













『トランスポーター3 アンリミテッド』 アウディA8







間に合わせでごめんなさい。





























カメレオンの独り言-1469 『見るとこで雰囲気変わるガスタンク』

2015年08月27日 | 日記






 2015年8月27日






今日は、やたらとお客さんが来られて、お相手してたら知らぬ間に就業時間になってたよ。ああ~口が疲れたあ~。

台風15号がえらい遠回りして上がってきて、沖縄、九州で暴れて日本海に抜けたね。

ダブル台風がどうたらこうたら前宣伝ばかりが大仰だね。16号なんか太平洋でカーブ切りすぎて、どっかへ行っちゃったよ。





15号の右半球は風が猛烈なんて云うから天気図見てたら大阪ヤバイって思わせるんだけど北へ抜けちゃったよ。脅して遊んどんかえ?

「来ないことは幸いじゃないか」 まあ、そうだけどね、バチが当たるね。朝から、其れらしい風は吹いてはいたけどね。

北朝鮮と韓国が一触即発、チャンワン、チョンヤン話し合いで危険回避したね。「怒られるぞ、なにがチャンワン、チョンヤンや?」 聞いた感じだよ。





同胞同士が憎しみあって、チョーグアンコンチョロマンチョロ、スオーロモンテンヤッなんて、こき下ろして因果な国だね。「それは、なんやねん?」

今日はね、話題がないんだよ。仕事の接客で喋くりまわしたから気合が抜けてしまったよ。

今日も、思い出話しで逃げようか? 映画を観たいんだけど時間が無い。観たら、なんなと感想がてら話も湧くだろうけど、そんなのしてたら朝になる。













『1961年(昭和36年) 大阪中之島』








晴れてんだけども雲ってるような空なんだね。モヤ~とした幕のかかったような空気感ってのかね? 辺りが黄がかったてんだね。

暑苦しくて鬱陶しくて立ち止まり、そんな空を見上げて首筋の汗を拭いてる。神崎川の堤防を歩いてたのは覚えてる。

阪急宝塚線の三国駅で降りて、ずっと神崎川の堤防を西に向って歩いて来たのかね? 





ふつうなら、今、立ち止まってる此処は、阪急神戸線の神崎川駅で降りれば近いんだけど神崎川駅ってのに全く記憶がない。

三国駅は、しばしば利用して馴染みがあるんだね。どうやら慣れた三国駅で降りて健脚頼りに歩いて来たと思うんだけどね?

川沿いの工場の煙突の煙がモヤモヤと上がって、お世辞にもいい環境とは思えない。角の取れてない砂利の土手道はギラギラと日差しを跳ねてるよ。





記憶の端っこの、いつも出て来る光景なんだね。黒い川を右に見て左の土手下は黒やら茶色、錆びてんかね? ブリキ屋根の工場が熱を噴いてる。

ボヤア~とした空気の向こうに日差しを影にドス黒いガスタンクが聳えてる。こいつなんだよね、こいつをいつも思い出す。

記憶を寄せ集めて神崎川の土手沿いにあるガスタンクって思い込んでる。三津屋の辺りだろうかね? 神崎川には間違いがないの。





其のガスタンク前を歩いてんだね。こいつが爆発したら、オレは消えちゃうねなんて思いながら汗を拭き拭き歩いてんだね。

なんか辺りは変な臭いがするんだね。鉄の焦げたような匂いかな? そのうち、北へ橋を渡った記憶があるんだけど、何処のどの橋か全く記憶に無い。

親父の仕事の配達、おふくろが風呂敷に包んでくれてる。品物をくるくると巻いて両端交えて交差して巻いた部分をひと巻きして縛る。





こうすると手首に通して持つことが出来るんだね。工場地帯だね、そんな中に商店街のような町並みが在って、その並びに配達先が在った。

ほっとするよ。此の部分は記憶の映像に残ってる。空気が澱んで辺り一面変な臭いがして、道路は、やけに埃っぽいんだね。未舗装だったよ。

其の頃、住んでた市内の南区の日本橋筋一丁目は、いいところだなあって、改めて思うんだよ。環境的には雲泥の差だったね。





高度成長時代の工場地帯だったのかなあ? 神崎川の水は真っ黒けだったような気がする。どぶ川だったね。黄色い空に黒いガスタンク、異様な雰囲気だったね。













『神崎川三津屋のガスタンクと思われる 昭和60年代まで在ったようだね 此の写真は、其の頃(60年代)の風景だね』







「昭和何年頃の思い出や?」 36~42年頃だったかねえ。淀川河口の酉島(とりしま)にも大きなガスタンクが並んでたよ。此処とダブってんのかなって、

思ったりするんだけど川は神崎川だったのは確かだね。昔の神崎川沿いにガスタンクが在ったのかどうか、グーグルで検索して調べたら

「三津屋の北西隅当りに大きなガスタンクが有ったことを思い出しました」なんて、同じような昔の風景を語られてる記事が出てたよ。





オレの記憶では、ガスタンクは、土手から、然程、離れてないんだね。その人の云うガスタンクと一緒かは定かじゃないけどね。大阪ガスの敷地になるね。

ひとつの記憶が、まばらな記憶の点と繋がり線になる、其の中に違う点が入り込むと、おかしな具合な線になるんだね。ごちゃ混ぜだよ。

確かなのは、そのおかしいかも知れない点の中にも、当時のオレが生きて居たことには間違いがないよ。





オレは、このとき尼崎の戸の内に渡ったのかも知れないね。土手沿いに大阪ガスの広い敷地が今も在るね。南に十三筋が走ってて三津屋南の北になる。

歩いたからねえ、自転車で走りまくり、徒歩で歩きまくってた頃だよ。今地図を見ると、此処は自転車の方が楽だったね。

迷わぬ道を教えて貰ったかね? 昔は、今じゃないから、この辺りの夜は、真っ暗なんてもんじゃない、暗黒だよ。





どす黒い川を渡る橋なんかタヌキも狐も化け放題って感じだよ。変われば変わるもんだね。













『昔、大阪 神崎川沿いの三津屋のガスタンクの位置(今は無い)』 歩いた土手は、今じゃ舗装の道になって車が走ってるよ。








上の地図、黄色の枠が大阪ガスの敷地だね。川沿いだね。歩いたのは黄色の点線、効率の悪いルートを辿ってるね。脚を鍛えるにはいい運動だよ。

話のネタが浮いて来ないから思い出語って字数を稼ぐ。当時の神崎川沿いの夜は、今の人には想像もつかないほど、一面、真っ黒けだったよ。

当時は、梅田からバスで2号線の神崎川停留所に着いたら日は落ちて、辺りは、なんも見えないとこだったからね。子供のオレは、ホンマ、怖かったよ。





人は、生きようと思えば、どんなところでも生きれるもんだよ。外は暗黒でも、家ん中は裸電球が明かるく灯りちゃぶ台囲んで家族の心が通じてたよ。



























カメレオンの独り言-1468 『神のみぞ知る、試練の人生に克て』

2015年08月25日 | 日記







 2015年8月25日







最初、女の子の遺体が見つかったってテレビで報道してた映像では解らなかったけど、明けて昼間の映像を見た時、あれっ?と記憶が甦ったよ。

何処かで見たなあと思った。昔、妹夫婦が高槻の須賀町で住んでいて、よく淀川に釣行がてら遊びに寄ったんだけど、

いつもより、もう、少し下流のほうへと思い、釣り場を探しに芥川方面に歩いたことがある。





相当歩いたね、土手に上がる道が解らなくなってウロウロして疎水沿いに歩いて、土手と離れないように進んでた道で見たね、其の辺りだよ。

オレって大事なことは忘れちゃうのに、こんなのは覚えてんだね。人気が無くて寂びそうに映ってるけど、明るいうちは、のんびりした処だよ。

で、歩いてるうちに芥川が淀川に流れ込む河川敷辺りは、放牧に適してんかして乳牛が数頭、いつも居るって記事を思い出した。いいねえ。





で、待てよ、マムシがやたらと多いのも此処じゃなかったかって、思い出したの。そうだよ、増水時に上流から流木に乗って留まり繁殖したらしい。

立て札も土手に打たれて注意を呼びかけてるなんて紹介されてたはずだよ。こらあ、あかんわ。

何度も記憶違いかなって疑ったけど確かに芥川の流れ込み付近だったよ。戦意喪失、また、もと来た道を引き返したんだよ。





毒蛇はコワイ、人間の中にも毒蛇みたいな奴が居るんだね。子供をさらってガムテープでグルグル巻きにして切り刻む。毒蛇より性質(たち)が悪いね。





















容疑者が逮捕されたね。過去にも、子供をさらった前科者だったとか載ってるよ。更生の道を与えて釈放する。

更生どころか、なお残酷になって人が殺される。それでも、弁護の人は、こいつらの無罪を主張し罪を軽くするために脳味噌駆使して守ろうとする。

以前に、こいつを弁護した奴をテレビで晒せ。毒蛇を撒き散らして飯を食う。おまえらのために、あちらも此方も変態の毒蛇だらけじゃないかっ。





人にはいろいろな事情がある。子供たちにも、それらの事情の影響をもたらされる。深夜から朝方まで行き場もなく街を彷徨う。

安心して眠れる家庭を築こうと親は必死なんだろうけど野宿してでも独りになりたい。心にポッカリ空いた穴を埋めてやることに気付かない。

難しい問題だからね。男が働き女が子供たちに寄り添う、それでも溝ができて、やがて河になって渡るに渡れぬような隔絶を生じるのが親子だからね。





日常が悪夢のような非常に変わる。そんなこともある世の中と知った時は、もう地獄の沼に浸かってる。酷いね、相手は子供じゃないかっ。

魔がさすんだろうかね? そうそう行き当たらぬ中で毒蛇の尻尾を踏むんだろうかね? ほんの僅かな呼吸で苦しかったことだろうと思うよ。

後ろ手にテープで縛られ、顔中にテープを巻かれ、刃物で切られ切られて、恐怖の中で母親を、我が家を想ったことだろうね。





二人殺せば死刑、二人殺さねば死刑にできない、誰が決めてん? 一人じゃ殺され損か? 我欲で人を傷つけた奴は、即刻、死刑にしろっ。

変態野郎を釈放したければ、必ず、去勢しろ。本当は、我欲の悪行を働く奴は、一線を踏み越えるとき、それなりに覚悟の上なんだよ。

それを罪を憎んで人を憎まずなんて理屈で救うから、遣る奴は、覚悟の無い糞ズルイど卑怯もんに更に堕ちてハイエナになるんだよ。





そんな屑みたいな奴に甚振られて殺された人は、ほんまに救いがないで。そいつを尋問するときは、顔面、ガムテームグルグル巻きにして行えっ。





















腹立ちを言葉にすれば、いつもと変わらぬ喚(わめ)き散らしになるばかり。泣かせる人と泣く人、どうして、尽きることなく繰り返されるんだろうかね?

ふっと、湧いて出るのは、欲望と欲求が突き動かす行動の接点じゃないのかなって思ってしまう。

全てじゃないけどね、欲望のままに行動する者、なにかしら満てぬ思いに突き動かされて行動する者、そんな求める波長が重なるのかも知れないね。





危機意識の薄弱。日中と深夜のけじめが無くなって久しい。サバンナで生きて往く動物たちから教えて貰わねばならぬことが増えたね。 

悪い奴が居なければ問題はない、でも、居なくならない世の中だから、こいつ等がフルに活動する深夜は出歩かないに越したことはない。

それでも出るなら覚悟の上となる。あとは運任せ。そんな輩とかち合わぬように充分の注意が必要となる。身を守る術を心得ねばいかん。





人間は、昼と夜の顔を持ち合わせてる。表と裏かね? 闇は、裏の顔を出し易くさせるんだろうね。

巣を離れた子供は、獣の絶好の餌となるなんてのは、動物紀行なんて番組で毎度の如く放映してるよ。可愛い、可愛いばかりを観てるのかねえ?

他人事、自分には起きないという錯覚が大きいんだろうね、人から見れば自分も他人事の中に居ることを知らねばいかんよ。





傷つけられて昨日までの自分を失う、殺されて明日からの全てを失う、今の自分と欲求とを秤にかけて行動を問うべしだね。



















男の子も、同じようにガムテープグルグル巻きの遺体で発見されたらしいね。自供とともに、即刻、吊るせ。子供たちは、そうして無慈悲に殺された。

犯人が反省しようがしまいが子供たちは還らない。長々時間をかけるのは税金の無駄使いの最もたるところだ。

全てが記憶に明るいうちに悪を処断する。大きな抑止力に繋がるんだよ。遣れば遣られる、ハイエナどもも迂闊なことはできなくなる。





世間が忘れた頃に仕置きするよな寝と呆けはやめろ。死刑の承認印押すのがどうたらこうたら、正義感のない奴に法務大臣任せるな。

「そんな単純なもんじゃあないんだよ」なんて高等面して云うだろうね。じゃあ、至って単純な欲望で命奪われた者はどうなるんだ。

ハイエナだからなんでも殺してしまえって云ってんじゃないぞ。其れ相応の悪行に対して速やかに罰を下せって云ってんだよ。





いつも思うんだけど、殺された人は、もう、死んだからええのんかあ? 生きてる奴が大事なんかえ? 日本国憲法第9条よりも法の裁きを見直すべきだよ。

北朝鮮や中国なみに遣れとは云わん、此処らは、甚だしく人道的に外れておるからね。見本にはならん。

本人の自白と裁判の結果をもって、顔にガムテープをグルグル巻きにして窒息死させるべきだよ。己れの遣った酷い仕打ちを思い知れ。成仏できるよ。





腹立ちを言葉にして熱くなったら、また、喚(わめ)き散らしだね。ホントは、こんなのしても無くならないんだね。





















ハイエナたちよ、もう、こんな哀しいことを繰り返すなよ。言葉にならぬ苦しみを背負っていても理解の及ばぬ宿命に身を焼いても人の幸せを願え。

それはね、試されているんだよ。己の人間性を試されているんだよ。目の先狂わせるだけのくだらん煩悩の秤を捨てろ。恨みを捨てろ。

負だらけの自分の人生を呪うのは誰でも出来る。人の道を外さず人として真っ当に生きろ。出来ぬことに挑戦する人間の誇りの価値を悟(し)れ。





神さんが、おまえに授けた試練なんだよ。受けて立つ心意気で生きろ。おまえが踏ん張ってやらんと、おまえの魂を受け継ぐ奴が、

同じ苦しみ背負って此の世に生まれて繰り返すんだよ。因果を断ってやれ。

おまえの力で魂を清めてやれ。そして、次に受け継ぐ奴に綺麗な魂をくれてやれ。人を愛すると云うことは、そういうことなんだよ。





それは、素晴らしいことなんだぞ。有象無象の人間どもには解らなくとも、彼の世の神さんが「汝は、出来ぬことをしたな、見事だ」と褒めてくれるよ。



















「おまえ、なんか宗教やってんか?」 我が家は、浄土宗だけど、兄貴に任せてオレはズボラだよ。でも、神さんは居ると思ってる。

彼の世から何もかも見てるよ。何処から来て何処へ逝くとも解らん者が、神など居るかなんて、とても、よう云わん。人は生かされてる。

此の世で為さねばならぬ宿命を背負って生かされてんだよ。宿題だよ。仕上げてあの世に戻るんだろうね。





「今日の絵画は、意味があるのか?」 雰囲気に過ぎんよ、何の絵やらさっぱり解らん。「無責任なおっさんやねえ」 そうさ、其の程度さ。




























カメレオンの独り言-1467 『映画 アレクサンドリア ・ 棚から自転車落ちてきた』

2015年08月23日 | 日記







 『アレクサンドリア』  2015年8月23日







歳喰うと怪我したら治るのが完全じゃないね、鼻の脇の打ち身の痣は回復したけど少しクマのように残っちゃったね。

ちょっと奥目風で、なんとはなしに目の周りがクマっぽいのが嫌だったのに、もうひとつ、濃くなってしまったよ。運気に良かろうはずがないよ。

よく顔を出す若者が、或る日、顔面ボコボコに腫れ上がらせて痣だらけで現れた。そん時は、ビックリしたよ。「喧嘩か?」 「うん」





相手も同じように顔面打撲で傷みわけで収まったらしいけど、相当、派手にやったみたい。そんな傷なのに二週間も経ったら綺麗な顔に戻ってた。

若い奴等の回復力は違う。オレの自然治癒力も落ちたね。手洗いの鏡に映るおっさんは、冴えない顔してんね。

こういう時の気分って、渦に吸い込まれるようにして奈落に落ちていくね。どうにでもなりやがれっ。





一晩寝たら昨日のことはケロッと忘れてる自分が居るよ。これって、果たして、いいことなんかね? 繰り返して解決がないんじゃないの?

また、疲れて思い出して底まで落ちて、朝になったらニコニコ笑って忘れてるって、ただの馬鹿じゃないの? 「其れが、おまえだよ」 

夢の中で夢を追うようなことに現(うつつ)を抜かしておると現実の焦点が狂ってくるね。













『プロポーズして振られても「生徒は兄弟」の思いを守り、ヒュパティアを最後まで守ろうとする見た目は悪そうな男オレステス』









いろんな思いが心ん中に散乱してても、日々の起こり来ることや夢ごとに追われて気付いているけど気付かぬふりして一日を終える。

忘れているときもある、いや、忘れたいのかも知れないね。日々に追われて救われてる場合があるよ。

一息入れてほっとした時に心の中を見てしまう、無視できぬ事柄が散乱して手のつけようもない。





捨てられるものなら捨ててしまいたい。捨てるに捨てられない脈絡のしこりだね。しこりが癌になっとるがなあ、なんてこともある。

金は、いっこうに貯まらんのに、こんなのは幾らでも溜まる。ええいっ、放っておけっが、そのうち転移する。お手上げだね、全てが嫌になる。

人は、そんなのを多かれ少なかれ引きずって生きてんじゃないのかねえ? そんなのは無いっ、幸せな人生だね。生きてる時から天国だよ。





昔は、蒸発って現象が流行ったね、或る日、婿さんが消えてなくなる。何処かへ消えちまいたくなるんだね。日常こなしつつ解決や整理が不能になると

あとは野となれ山となれで責任からの脱出だろうね。最近は聞かないね? みんなが、それぞれ、ゆっくりと生活ができるようになったのかね?

会社で重圧受けてへたるなんて無くなったのかね? それなら、結構なことだけど、その代わり、精神いかれる人が増えてるらしい。





街歩いてても不幸だって顔してる奴なんて居ないに等しい。みんな、苦も無く幸せそうに見えるのが不思議に思えるよ。













『レイチェル・ワイズ』







取って代わって癌と痴呆症が流行ってるね。なにも無いまま、あの世には逝けんのかね? なにかで苛めんことには収まらんのかねえ?

何もなく幸せにこれた人は、感謝を忘れず、他を思い遣って余生を過ごすべきだね。結構さを気付かされる業(ごう)を背負わずに済む。

昔から、幸せなんてのは、みんなが追い求めるものが似たようなもんだけど、悲しみや苦しみってのは光の影に100万通り有るようにいうね。





なのに、人々は、日差しの中を笑って苦のない顔で生きている。でも、よく見ると皆がそれぞれに影を引きずり歩いてる。苦とは、そういうもんだろうかねえ。

辺りが明るくなればなるほどに影も色濃くなるのは皮肉かね? 消えろっ、この野郎っ。「影が薄くなると早死にするぞ」

影は、そのものの存在を明確にするね、存在感を表す、人は、苦と戦いながら強くなり逞しくなり生きる意味を知って行くのかも知れないね。













『アレクサンドリア』 2009年公開スペイン映画  レイチェル・ワイズ








『アレクサンドリア』原題: Ágora 2009年公開スペイン映画を観たよ。女性天文学者、のレイチェル・ワイズ がいいね。

エジプトのアレクサンドリアは、ギリシアのマケドニア王であったアレクサンドロス大王によって、紀元前332年に建設されたとあるね。

各地から詩人や学者たちが集まってきた学術研究所ムーセイオン、文学・歴史・地理学・数学・天文学・医学など世界中のあらゆる分野の書物を集め、





70万冊の蔵書を誇りながらも歴史の闇に忽然と消えたアレクサンドリア図書館ってのが在ったらしいけど、この映画では、キリスト教信仰者らの暴徒が

乱入して、尽く焼き払ってるね。女性天文学者ヒュパティアは、このとき、既に、地球と太陽が楕円の軌道にのって在ることを解明してんだね。

人間に与えられた知性ってのは、時代など関係ないんだね。優れてる奴は、いつの時代でも道の先頭を行くもんなんだね。









映画『アレクサンドリア』予告編











西暦4世紀、キリスト教が定着し異教の排斥が行なわれ始めた時代の、女性天文学者ヒュパティアの学問に殉じた半生をアレクサンドリアを舞台に描いてる。

天動説に疑問を感じ、何らかの地動説を肯定できる理由を模索し続けた彼女は、弟子のオレステスや奴隷のダオスに愛慕を受けるが、それを拒み研究に没頭してゆく。

その中で改宗を拒み、青年たちに学問を教え続けるヒュパティアは、キリスト教信仰者から魔女とみなされる





















昔は、怖いね、今の猟奇殺人者なんか脇役だよ。「裸に剥け」 寄って集って素っ裸にして「生皮剥いだら声を挙げるだろ」 刃物がない。

くそっ仕方ない「石をぶつけて殺そう」 皆が大きな石を集めにかかる。見張りを任された奴隷のダオスが、愛するヒュパティアの鼻と口を手で塞いで殺すんだね。

横たわるヒュパティアを「気を失った」って言い残して去る。男たちが大きな石をぶつけだすんだね。ヒュパティアの死体は切り刻まれて公衆に晒される。






















多くの生徒に慕われて、今は重職に就いた者が最後まで救おうとするけどヒュパティアの意思は固い。やっぱり、この手の時代物の映画は、今でも弱いよ。










ヘコヘコの自転車の後輪がパンクしてる。修理に持って行くのも面倒臭い。「あれ?〇〇〇さん、自転車買い換えたの?」

近所のおじさんが、新品の真っ赤な自転車乗ってる。「そう、チェーンがよう外れてあかんから」 「〇〇〇さん、あれはええ自転車やで」 

修理に持って行ったら、もう、こらぁ駄目やねって云われたらしい。嘘つけえ、チェーン替えたら元通りやないかえ。「娘が買ってくれたよ」





「前のはどうする?」 「捨てる」 じゃあ、オレが貰うわ。「ああ、いいよ」 新品買わすつもりでエエ加減なこと云いよるね。

暑いけど、もらった自転車押して近くの自転車屋さんへ持って行く。日本製のシッカリした自転車だって云ってるよ。シマノだよ。車体が軽いんだね。

錆の来ないチェーンに交換してくれた。バッチシやね。2100円。ああ、これでキ~コロ、キ~コロおかしな音を聞きながら漕がなくて済むよ。





変速機がついてないから諸漕ぎだけど、昨今、自転車の事故も大層なことになってるからスピード上げずにのんびり走ろうかい。いい調子だよ。





















のんびり走ってツタヤへ足を延ばして棚を見て歩いたけど、観たいよな映画がないね、何も借りずに土曜の昼の街を走って帰って来たよ。





























カメレオンの独り言-1466 『昭和の千日前筋を歩く』

2015年08月21日 | 日記







 2015年8月21日







なんにも浮かんで来ないので、ボ~としつつネットを散歩してたよ。そしたら千日前の昔話で立ち止まって読んでるうちにふっと思い出した。

千日前を南に歩いて千日前通り(車道)を渡って、右にビッグカメラ(旧千日デパート)を素通りして真っ直ぐ南へ進む。

左に旧大劇、前を素通りして進んで南海通りを右に見て、尚、南へ進むと吉本興業の区画になる。これを通り越して進めば道具屋筋に入る。





ここなんだね、今は吉本の大阪府立演芸資料館ってビルが右側に建ってる。なんか、金かけたような建物だけど冴えないね。

そんなのはどうでもいいんだけど、道具屋筋の商店街出入口脇に当たる位置なんだけど、此処にお寺が在ったはずなんだよ。

Googleで思いつく検索用語を駆使して探したけど出て来ない。ガキの頃、よく遊んだお寺だよ、此処のお寺を何処へやった? 





「寺の名は?」 そんなのは、どうでもいいんだよ。オレが記憶してる訳がない。お寺でいいんだよ。神社じゃなかったはずだよ。

「何故解る?」 雰囲気だよ。でも、お寺のような神社もなくはないね。神社だったかあ? 兎に角、よく遊んだところだよ。

此のお寺の脇(千日前筋)にオモチャ屋さんがあったよ。其処で、プラのピストル買って貰ったのを覚えてるよ。ずっと狙ってたヤツだよ。












『エンフィールドNo.2 MK1、此れは警察が使用してるタイプ』 この中折れ式がいいね。








これがだね、小さなカップに火薬を詰めた弾が魅力だったね。銃はね、中央で割るように開くとリボルバーに弾が詰め易い仕組みなんだよ。

ガキのピストルにしては凝ってるよ。イギリス軍将校が携帯するエンフィールド・リボルバーみたいに中折れ式を取り入れてんだよ。痺れたねえ。

リボルバーの弾倉に小さな鉄棒が備えられていて、前述のカップの弾の火薬側を其れに差し込んで装填する。8連発だったと思うよ。





で、銃をカシャッって元に戻して、トリガー引くと「バアーンッ」って、鼓膜をつんざくような発砲音が轟く。当時としては、素晴らしかったっ。

「お寺の話だろうが?」 ちょっと待て。当時、主流の100連発の紙巻き火薬みたいなチャチな音なんか比べ物にならないよ。宝物扱いだったよ。

「昭和の何年ぐらいの話や?」 ええっとね、32~36年辺りかね。お寺は、それから10年程は在ったのを何度か見てたと思うよ。





で、今は、無いんだよ。なんでも邪魔になったら消しよんね。バチ当たるぞ。其れでなくても、怖いところ、怖いところって有名なのに。













『此の写真は昭和7年のものだけど、地図代わりに見易い 向って左側の縦の通りが千日前筋 中ほどに、消えた「お寺」って明示してる』








今の吉本の大阪府立演芸資料館の向かいには、吉本なんばグランド花月があるね、当時、此処には、サーカス小屋が在ったんだよ。

ピストル買ってもらった当時よりも3~4年昔だったかね? 今から58年程前かな? ピストルを買って貰った頃には、もう、なかったかなあ?

大きなボール型の丸い金網の輪の中をオートバイが全速で走り回ってんの。遠心力を利用して逆さもへっちゃらなんだよ。





デカイ象も入り口に繋がれて愛想ふりまいてたよ。「どうふりまいてんねん?」 前足を交互に上げ下げして鼻を巻いたり伸ばしたりして笑ってんの。

「怒ってんのかも知れんだろ?」 様子で解るよ、幼い子が嬉しそうにステップ踏んでるような感じだよ。

ただね、やっぱり、小屋の周辺が臭かったね。それに、このオートバイの騒音がかなりのもんだったよ。近所迷惑だったろうね。





此の頃は、千日前筋も今ほどの明るさじゃなかったね。この辺りまで来ると裸電球に照らされた小屋周辺だけが明るかったからね。

昔はね、気侭な云うこと訊かない子には、親が「そんな訳解らんこと云うてたら、サーカスの子獲りに連れて行かれるでっ」 決まり文句だったよ。

だから、その暗闇の中、裸電球で灯されたサーカス小屋が、なんか不気味に想えて怖かったよ。





「おまえ、獲られてたほうが人生良かったかも知れんぞ」 サーカスの花形スター目指して調教されんかよ? 女座長のオモチャかよ? 「どういうこと?」

タイツ履いてモッコリかよ? 女性のサーカス団員にモテモテかよ? 「凄い話が飛躍するね」 そんなのは御免だよ。「向こうが要らん云いよるわ」            












『(1972年(昭和47年)9月 千日デパート』 写真左側に塀が見えてるね、此処が三津寺墓地だよ。








千日前の昔話と千日デパートの火事のあとを読んでると、夜の繁華街は亡霊と一緒に散策してるようなもんだよ。「腹減ったね、食事しようか?」

「ハーイッ、いらっしゃーい、4人さんご案内っ」 へ? 俺たち3人だけど~なんてね。「多めに云って景気つけてんだよ」「なるほど、大阪だね」

仕切った座敷の広いテーブルに案内されて、お冷と手拭きを並べながら「ご注文決まりましたらお呼びください」 「ニコニコ愛想がいいね」 「おい~」





「なんだよ?」 「おまえの隣りを見ろよ」 向かいに座る連れ二人がケツ半分上げて震えてる。隣りを見ると、お冷と手拭きが並んでる。





此れは、下手な創作だけどね、此の界隈では、実際、こんなのと似たような話が溢れてるらしいよ。

見える人と見えない人が居るみたいなんだね。気配もそうだね。霊感の強い人は、しょっちゅう見たり感じたりしてるらしいよ。

「おまえは見たことないのか?」  目の前に居ても解らんのじゃないか? 非常に助かってるよ。若い頃は、深夜映画でよくうろついてたからね。












『1969年(昭和44年)千日前筋北側 竹林寺の隣りに初代のスバル座が見えてるね』








また、何かの写真で、偶然に見つかるかも知れんね。もう、南には長く行ってないからコロッと変わっているだろうね。

今頃、なんなんだけど、大劇は、1991年(平成3年) に取り壊されてたんだね、知らんかったなあ~。

以前の面影もなく1階にゴチャゴチャと、いろんな店が入ってたのは知ってたけど、此の様子を見たのは、いつ頃だったかなあ? 12~3年前かな?





と、云うことは大劇は、そんときには、もう、なかったのかあ? 「何処見て歩いてんねん?」 アーケードがあるから気付かないんだよ。

今は、なんばオリエンタルホテルってビルに建替えられてんだね。なんで、大劇を取り壊したの? 「今頃、ズレまくりやないか」 

外観だけでも置いとけよ。歴史を軽んじる奴等やね。云っちゃ悪いけど、ホテルの一階てなもんじゃないよ、品も何もないごちゃ混ぜの1階だよ。












『かの大劇は、今は、こんなのになってんだねえ。オリエンタルホテルのエントランスがお店に囲まれて雑だね』








かつて存在した旧南区繁華街の主な映画館って紹介を見て、ああ~オレの昔は消えたって思ったよ。みんな消えちゃったよ。

花月シネマ(1988年閉館、なんば花月地下)この映画館は、知らんね。後年、開館したのかな?

大劇名画座・大劇シネマ(1991年閉館)大劇とともに取り壊されたんだね。無情な奴等だよ。「そんなん云うてられへんねん、銭儲け、銭儲け」





ナンバキネマ(1992年閉館)この映画館も記憶にないよ。何処に在ったのかなあ?

難波ジョイシネマ(ナンバ新東宝から改称、1993年閉館)おまえも消えたか。なにがジョイシネマだよ。新東宝でいいんだよっ。

松竹座(1994年5月8日に映画館としての役割を終える)早まったことをしたね、意地でも洋画劇場を続けろよ。封切り映画を一番多く観たよ。





南街劇場(2004年2月1日閉館)おまえが、消えるのは寂しかったよ。ジョン・ウエィンの「騎兵隊」から、ずっと、愛着のある映画館だった。

南街シネマ 、南街スカラ座、南街文化劇場を露払いにして、ともどもに消えちゃったね。

千日前弥生座(2004年5月28日閉館)南海通りのA&Pスーパーの2階の映画館だったね、お世話になったよ。











『1992年(平成4年)道頓堀松竹座』





千日会館(2004年5月28日閉館)ちっこいのに長く在ったなあ。(後にテアトルA&Pが、此処へ移転したとあるね)

千日前セントラル(2006年9月15日閉館)セントラル、おまえもか? 「シーザーのつもりか?」

千日前OSスバル座(2006年9月24日閉館)ビル建替えて2階だったかな? 移動したけど終ったんだね。「リオ・ブラボー」から馴染み深かったよ。





千日前国際劇場、千日前国際地下、千日前国際シネマ(2008年3月31日閉館)全館討ち死にか? 

戎橋劇場・道頓堀キリン会館(2008年9月閉館)幼い頃から洋画を観た映画館だった。「王様とわたし」なんか、ここで観たよ。

テアトルA&P(2013年4月23日閉館)それから千日会館へ移転したらしいね。





なんば高島屋1階に在った「なんばロキシー」 其の二階に在った、かの豪華な「なんば大劇場」が閉館になった年月日が解らん。

高島屋も冷たいね、我がとこの歴史は詳細に載せてんのに、この2館のことに触れた記事が全くない。

お世話になった店子(たなこ)さんだろうが、ちょっとは、書き加えてもええやろ。当時の写真も紹介しろ。薄情な奴だよ。だから、金持ちは嫌いなんだよ。












『1935年(昭和10年)戦前だね、歌舞伎座(千日デパート)前から、向かい、アシベ劇場、常盤座、現千日会館、大劇が見えてるよ』







千日デパートの写真も千日前通り(車道)側から撮った姿ばかりだね。南側の国際劇場側から撮った写真が無いね。

南側の一階の東側だったかなあ? 油と蜜をそれぞれ一杯に沸かしたでかい鍋を並べて、イモを揚げては、隣の蜜の鍋に放り込んで、

出来立ての蜂蜜ポテトを売ってたね。これが美味いの。白衣のおばさんニコニコと毎日作って売ってくれてたよ。50数年前かね?





揚げた皮が浮いて、其の中に蜜が溜まった端っこのコゲ辺りが美味いっ。おばちゃん、オレの舟には、そんなとこばっかし入れて。「云うたんかえ?」

こころの叫びだよ、もどかしい願いだよ。後ろで「さああ~兄ちゃんも姉ちゃんも、おじちゃんもおばちゃんも、見ていってやってやあ~」 「なんや?」

バッタ屋のおじさんがマイク持って客寄せしてんだよ。国際劇場の東側に国際地下劇場が在って、その横手の路地を挟んでバッタ屋さんが在った。





まだ、あんのかなあ? いろんな商品山積みだよ。その中央で、ちょっと、やっちゃん風の人が喋くりながら取り出した商品を紹介して売るんだよ。

「今なら、仕方ないっ、これも付けちゃおう」 なんて商品に商品付録して売り捌くんだよ。「買ったあっ」って、取り囲む客も勢いあんの。

売り手の講釈が上手いんだね、聞き惚れて、ずうっと立ち見の客が絶えないんだよ。「今日の客は、金持ってないんかねえ~?」 どっと湧いてるよ。





千日デパートの斜め向かいの角引き回しに東映映画の常盤座が在ったね、その北向かいが大映映画のアシベ劇場、40年程前かね? 

両館ともパチンコ屋に変わってたと思う。此の頃も、変わらずバッタ屋のおじさんの声が聞こえてたね。

当時は、財布がはち切れそうに金が詰まってた。「おまえにない豪勢な話やな」 パチプロ顔負けの終了の鬼だったよ。勝って勝って勝ちまくりよ。












『明治維新まで千日前辺りは、刑場で、お墓、焼場、お寺なんか在ったところなのは有名だね』







しかし、あちら此方のお寺を移転させたり縮小させたり、商人(あきんど)は儲けの為なら何でもやるぜ。お化けも出るなら銭持って出て来い。

大阪商人は、何でも商売にして銭を生むんだぜ。でも、一等地なんだけども、何故か、旧アシベ劇場の裏手に在る三津寺墓地には、誰も手をつけないね。

オレが、この南に移り変わってきた頃は、この三津寺墓地周辺は、遠い昔の千日を彷彿とさせる雰囲気を漂わせていたよ。





「我等が恨み深しこの地に手を触れし者は、呪いの刃(やいば)で首ハネルッ」 なんてのが居座っておるんではないか? 「なんで刎ねると書かん?」

リアルな表現は怖いがな、ハネルッて、書くと、なんか明るい雰囲気だよ。「首が飛ぶのは一緒やないかえ」

流石の大阪商人も、命と金を秤にかけて、触らぬ神に祟りなしがよろしいようで。「なんや?」 噺家が最後に云うだろ? よろしいようでって、それだよ。












『もう、なんでもいいやって写真を探してたら、「あれっ?」この古い地図(下左側)で見ると、消えたお寺は金刀比羅宮って書いてあるよ』







今頃、出てきて貰うと、しんどいがなあ。金刀比羅宮(ことひらぐう)って読むんだね。コンピラグウって読んだよ。刀が邪魔だったけど。

ということは、お寺じゃないな、神社だよ。千日前法善寺の金刀比羅様と同類なんだね。「同類なんて云うか?」 もう、しんどいよ。

安産、児童守護、交通安全、水関係職種の守護をされるんだね。水関係職種か、だから千日前法善寺さんは水掛け地蔵なんだよ。





児童守護ね、知らぬ間に守って貰っていたのかねえ? くたばる頃に差し掛かって、ようよう、お礼を云っておこう。ありがとうございました。










もう、見直しすんのもしんどい。おかしなところは、今度、修正します。おやすみなさい。





























カメレオンの独り言-1465 『人は、何故か、答えを欲しがるもんでぇございます  鶴田浩二か?』 

2015年08月19日 | 日記







 2015年8月19日







「おまえ、今回のお盆は休ませて貰いますってお断りを入れなかったね」 そうなんだよ、忘れてたよ。「お断り入れても休んだ例(ためし)ないね」

そうなんだよ、一応、お断りするんだけど休まないからあまり意味ないんだね。「なんで休まない?」 ホントは、休み狂いたいんだけどね。

何故か、書かねばならんって強迫観念がさせるんだよ。「何に脅迫されてんねん?」 貧乏の悪習慣かね。 「気の毒やね」 ありがとう。






オレは、ビール以外、ジュースもんは、ほとんど呑まないんだけど、今ね、「バナナ・オレ」ってジュースが癖になってるの。これ、美味いね。

今も、呑んでるんだけど口当たりがいいね。エルビーって会社だね? 果汁10%未満って入ってないのと同じじゃないの。

じゃあ、薬品でバナナの味を出してるの? 薬品と水かよ? オレは、舞台裏に興味がないから無頓着なんだけど、知ってしまうと興醒めだね。






「先に貶して、後で褒めろよ、後で貶したらイメージ悪いだろ」 何処のジュースも似たようなもんさ。其の中で美味いんだよ。

「続けるのか?」 気分次第だよ。こういうのを呑んで考えるに、身体にいいはずないのに美味けりゃ呑む、欲求にひとつ答えれば商品になる。

良かろうはずないのに妥協して認めて喉潤わすね。なんでも、そうだろうなって思えるところに可能性が見えるんだね。 「なんの話や?」






欲求に、ひとつ応えてあき盲目(めくら)にさせる、くだらないことや物でも同じだよ。魅力で負かして妥協させる。一発屋商法かね。





















商売は信用だね、これに尽きるね。人も信用だね、これに尽きる。守り通して信用を積む。産み出すものも、創り出すものもそうだね。

人の安心を裏切ってはいけない。信頼は裏切れない。何にも縛られない自由の中にも、それは生きてる。環境を問わぬ絶対的なもんだろうね。

オレはね、臆病から来てるんだろうと思うんだけど、失敗を異常に怖れるところがある。






これは克服せねばならんと思ってる。「失敗せぬよう慎重ならいいだろ?」 いや、怖れることがいかんのだよ。体裁を怖れてんだよ。

失敗を失敗と認めて謝る勇気だよ。これが大事だよ。怖れは、パニックを生む、言い訳を生む、隠蔽(いんぺい)を謀ろうとする嘘を生む。

幸い、社会に出て、今まで大きな失敗を経験してないから綺麗ごとで生きてるけどね、だから、余計に危ない。






真正面向いて、オレが失敗しましたと云える男にならねばならん。仕事の信頼を裏切っても人間の信用まで失ってはいかんと云うことだよ。

臆病を克服するのは云うほど易くない。オレは、元々、ホンマに怖がりだからね。なんでも怖いの。「なんやねん、しっかりせいっ」

臆病者ではナンバーワンだよ。「そんなので胸張るなっ、日頃の勇ましい台詞は張子の虎か?」 アホンダラッ、正しいと思うことには勇敢だよ。






「どういうタイプなんや?」 オレも、よう解らん。「イメージにそぐわぬ自分に弱いのか?」 いいところを突いてるね。「そうだろ?」

そうだね、隙なく格好つけた男が屁を漏らすのと似てるかね? 「役者じゃなかろうが」 じゃあ、ウンコ漏らすと云おうか。

「おまえは体裁ばかりに気をおきすぎだよ」 そんなに重きに置いてないよ。「いや、無意識に比重がかかっておるよ、嘘に重点置かずにアホのまま行け」






アホのまま、随分だね。「おまえの場合は、底抜けのアホではないから救われてるよ」 アホほど強いものはないからね、う~ん、一考に値するね。





















素(す)のままか、そうだね、そう在らねばいかんね。虚飾に塗(まみ)れて自分を見失う、よくある話だね。事実に砂を被せるような生き方だね。

人は、遙か水平線を眺めて潮騒の中に身をおけば洗い清められるような癒しを感じるね。「被せた砂を流してくれるんだよ」

押しては引いての波が素の自分に戻してくれるのかねえ? 自分は自分であって、砂は砂なんだね。






海へ行きたいね。海を眺めに行きたいね。「すぐに行けるだろうが」 一般の人はね。「おまえは一般じゃないのか?」 人生の奴隷だよ。 「 ? 」





















「時折、訳の解らんことを云うね」 訳の解らん中で生きているんだよ。オレが、どしつこく明日を追うのはね、オレの人生の訳を知りたいからだよ。

親父の仕事の配達で24インチの自転車乗って大阪中を走り回っていた頃の自分に戻って、今の自分の在りように納得が欲しいんだよ。

薄っすらとは解っている。オレの性格のなせる業だと解してる。載られ易いんだろうね。載せられて受けて立つって変なところもあるね。





オレは物語を自ら創って生きてるタイプじゃないね、創られた物語に振り回されてるタイプだね。「誰が創ってる?」

其れを見極めたい欲求があるんだよ。誰や? 「周りの人たちじゃないのか?」 たしかに其れもあるだろうね、しかし、その向こうで操る奴がいる。

活かさず殺さず、オレを引きずり回している奴がいる。「悪霊か?」 怖いこと云うなっ。それなら、とおうの昔に狂ってるよ。





待ってくれてるんだよ。俺みたいに気の長~い奴だよ。「短いんじゃないのか?」 短い時もある。長短、相容(あいい)れてオレだよ。

この謎を探る思考に耽ってると、魂(たましい)に行き当たるんだね。オレが、訳解らずまま、彼の世で引き継いだ魂だよ。

どうも、こいつの作用がオレに影響してんじゃないかと思えるんだね。こいつは、オレの成長を待ってるように思えるんだよ。





「可哀想に」 なんでや? 「長過ぎるで、干からびておるんではないか?」 ともに苦しんでいるんだよ。オレに載ったのが運の尽きよ。

「じゃあ、もう、駄目だね」 運の尽きってのは言葉の綾だよ、彼は嘆いていると思うよ。「彼って誰や?」 魂君だよ。「馴れ馴れしいね」

オレの中に居るんだよ、生まれた時からの仲だぜ。魂君、諦めるなよ、おまえの想いは、このオレが、必ず、形にしてみせたる。





















「完結したね」 何処が完結したんや? 「操る奴の正体を見たじゃないか」 知っただけじゃ駄目だよ。叶えてやらねばならんだろ?

オレの想いと魂君の想いが一体になったとき、そう、今こそ、時は来たれりだよ。「妄想劇場かよ?」 

なんなとぬかせっ。そうか、そうだったのか、活かさず殺さずの一生の大方は、何のために在ったか? 意味のないものは無い。





成長だよ。オレを成長させるために在ったんだよっ。「俺、おまえの客観視やめるわ」 なんでや? 「付き合いきれんわ」 おまえも一般人向けやの。

「こんなの云ってる奴が、何処に居る?」 居ないところがいいんじゃないか。人生の奴隷を生きて来た。まともじゃ解らんものが見えるんだよ。

「ひとつ、うがれるところがある」 おおっ、「おまえだよ、人生の奴隷を生きているのに笑ってる、屈託なく、いつも笑って生きてるね」





「なんで、魂がおまえみたいなのを選んだか、其処に答えが在るように思えるよ」 嬉しいことを云ってくれるじゃないか、なるほどねえ。





















いみじくも思いを得た感があるね。確実とは云えんけども、なにかしら正体の解らぬ第三者的な操りを感じ取れる人生だったからね。

オレは、臆病だったから逃げることもできなかったのかも知れないし、逃げるのが面倒だったのかも知れないし、受けて立ったる心意気だったかも知れん。

「操り易い奴ってのもあるだろうね、少々、甚振(いたぶ)りの度が過ぎても消えない男だからね」 其の存在は、山の如しと云えよ。





「面白いのは、おまえ、あまり文句を云わないね」 云ってどうなる? どうにもなりゃしないよ。オレは、業(ごう)を消化することに専念したのさ。

消化せずに逃げれば、また、必ず、形変えて載ってくるもんだよ。そんなのは、考えただけでも鬱陶しい。

抱えたゴミは、綺麗さっぱり掃除して片付けてやるってね。「おまえの思い違いってのもあるだろ?」 そんなのは、諸に受けてない奴の寝言だよ。





気付かぬ人が多いだろうね、そんな割の合わぬとりようなどハナから否定する人が多いだろうと思うよ。理解の外って人もいるだろうね。

この世は、人の世界、他界の作用などお伽噺(とぎばなし)に過ぎないって一笑に伏せる、その血の脈絡が羨ましく思える人たちだよ。

訴えるってのはね、その類(たぐい)に属さぬ人の声でなければ通じないんだね。哀しい作用だね。だから、文句を云わないんだよ。





語るに語れぬ苦しみは、笑って話して、こきおろして、やっと、なんとはなしに通じるところが悲喜劇だね。その程度のもんさ。





















どこぞのパスカルが云ってるよ。「どこぞのパスカルって、何処のパスカルや?」 人間だよ。外国の人だよ。

「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で運命に抵抗し不屈の意志で思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」

まさしく、その通りだと認めよう。「エラそうに」 オレの姿勢だよ。パスカルが、オレの代わりに云ってくれてるよ。





人間は考える葦だよ。ヨナヨナ弱くても折れそうで折れない、嵐が去れば元に戻ってそよいでる。其の都度、考えて肥えるんだよ。

綺麗ごとばかりに偏らない、汚れた水も吸い込んで綺麗な水に変えてあげるんだよ。

戦犯の容疑で処刑される人が 「わたしは貝になりたい」って云い残した物語があったけど、オレは、生きてる時から葦になってるよ。





「ええように云うな」 葦ごときになって、なんでええねん? ただの草じゃねえか。 「そう云う意味じゃないだろ?」



























カメレオンの独り言-1464 『好きこそ、ものの上手なれ ・ こころのスナイパー』

2015年08月17日 | 日記







 2015年8月17日







気分的に八方塞り(はっぽうふさがり)って感じだね。オレの展望を妨げる壁は、オレの周りを囲って穴の中だね。「視界ゼロか?」 そう。

オレの最大の弱点が、オレの脚を引っ張って放さないよ。「蹴り飛ばせ」 そんなの出来るなら弱点じゃないよ。

オレに云わせれば、これは死んだも同然だね。オレの粘りも此処までかね? 「諦め易い歳ではあるけどね」 これで終わりと思うと諦めがたい。





棺桶埋める穴でも掘るか。「燃やしてしまうんじゃないのか?」 そうだね、無駄な穴だけ残るね。どうなとさらせっ。「捨て鉢だね」

オレの理想はね、放ったらかしの立場だね。「どういうことや?」 自由に在らねば脳味噌が働かないんだよ。

管理下に置かれたら糞人間だろうね、なんの役にも立たない男だろうと思うよ。管理も責任も一人の判断で背負う、誠一筋だね。





「そんな都合のええ道はないで」 気侭なようだけど実際は厳しいんだよ。指図を受けて処していく、そういうタイプじゃないんだね。

だから、一匹狼が性に合ってるんだよ。自分を試す、この繰り返しで鍛えていくんだよ。こういえば格好いいなあと思うんだけど、

でも、オレの場合は、少しニュアンスが違って、なんか、お助けマンが現れて渡れぬ川に橋を架けてくれる展開ではあったね。「格好悪いね」





運命だよ、ケチ臭い人生でも、「それ、ええやん」と思って貰えることもある。しかし、運とは当てにならぬもんだからね、やがては尽きる。





















「今か?」 かも知れん。尽きたら尽きたで結構、竿でも磨いておこうか。「なんやねん」 淀川の呼ぶ声も聞こえるよ。「待ってろよ」

一度は、開かずの箱に長く放り込んでいたもんを、再び、出して真似事始めただけのことだよ。欲かくな、かいた分だけ後悔のツケ返る。

為せば成る、為さねば成らぬ何事も、為しても成らぬこともあるわいな、其れが人生だよ。「余計なのを足したな」 プラス志向だよ。「破滅じゃないか」





全てを諦めて死んだと思ってごらん。まだ、可能性は残ってるって気付くよ。「気付いたか?」 まだ死んでないよ。「早よ死ねよ」 

おまえは、オレを殺したいのか? 「いや、気付いて欲しいんだよ」 云うね、白々しい。「おまえが死んだら、俺も死ぬんだぞ、巻き添えではないか」

死のうなんて決断できるのは、本当に、二進も三進(にっちもさっち)も往かぬところに追い詰められたときだよ。死を安らぎと思えるんだろうね。





「おまえは?」 まだ、此の世で安らいでおるよ。「気合が足らんのだよっ」 気合は力を搾り出す、でも、頭には効き目がない。

そんなのは、馬鹿ほど遣って来たから、よおう解っとおるわ、あほんだら。「こいつは、まだ、死なんなあ」 

頭はね、自分本意だよ。好きなことで動かせば、アホでも、其れ以上に働くもんなんだよ。好きってのが原動力だよ。オレを見ろ。「そうだね」





好きだから仕事で疲れきっても駄文を書けるんだよ。どうでもいいよなことを、普通、これだけは書けんよ。恥も糞も忘れちゃうんだよ。

考えてみろ、役者の馬鹿らしさを。映画は、フィルム繋ぎ合わせで出来てるんだよ。嘘八百の世界だよ。

カメラや写してる者を睨んで、さも対面してる顔して感情込めて台詞を云って涙する。白けたら出来ることじゃないよ。好きなことに集中してんだよ。





芸を磨いて一心不乱に集中すれば、そこから芸術が生まれるんだよ。いつかオレも駄文の芸術を創り出したる。「云うねえ」 云うよ。





















オレの駄文で、少しでも明日への活力にして貰えれば、これほど嬉しいことはない。「活力になるか?」 知らん。確認すんな。

言葉はね、ほんの数行の文句で読む人のこころの琴線に触れることがあるんだよ。これだよ、活字の活力だよ。

オレはね、もともとは絵を書くのが好きだった。絵というもののイロハも解らぬままに好きだった。でも、壁にぶち当たって気絶した。「走ってたのか?」





上手く書こうと必死だったよ、たしかに上手かった。「自分で云うかあ?」 上手くなけりゃいけないって思ってた。実際、上手かった。「念押しやな」

写実画を目指してたよ。敵なしだよ。そのぐらい悦に入ってた。

でも、上手い奴は幾らでも居るんだね。周りには居ないんだけど出るとこ出たらワンサカだよ。こいつら、何処に隠れておったの? 「世間知らずやね」





コンクールに出したら、ゴミみたいな絵がオレのを素通りして選ばれる。いうなれば下手上手(へたうま)みたいな絵だね。

能無しの馬鹿審査員どもめ、なんて屁をかましておったよ。こんな奴等が関所に居っては、いつまで経っても通れそうにもないって絵筆を捨てた。

残るは、体力のみ、生きて往くにはこれしかないって腹に決めた。「単純だね」 其の程度の頭さ、よく似合ってるだろ。





汗の風呂に浸かるような日々を生きて、ふっと思ったよ。想いなんだろうね、絵も文も言葉も姿勢も、その人の想いがものを云うんだろうねって。





















貧乏に時間を奪われて歳を削って爺になった。「若いんだろ?」 可愛い娘たちが声を揃えて、そう云うよ。「なんか素直に訊けない台詞だね」

事実だよ。オレにとっては心地いい、正直だろ? しかし、それも時間の問題だよ、世に枯れぬ花はない。「おまえが、花かよ?」

でも、オレの戦いは終っていない。「もう、僅かな年金でつつましく生きる歳だろ?」 人は人だよ。優雅にゆっくり暮らせばいい。戦士の休息だよ。





オレは、銃を持って戦うんだよ。ここが味噌だからよく聞けよ。オレの銃の弾倉には、心の弾丸が詰まってる。狙い撃ちよ。心のスナイパーだよ。

「アメリカン・スナイパーじゃないのか?」 あいつは殺してなんぼだよ。オレは、活かしてなんぼのスナイパーだよ。

姿を辺りにカモフラージュして名もなき孤独のスナイパーだよ。 「おまえ、病気か?」 一歩手前だよ。





「壁で周りが見えんのだろ?」 そうだよ。「どうして撃てる?」 このブログがあるよ。ここから人の心を射抜いて活かしてあげるんだよ。



























カメレオンの独り言-1463 『中国 天津の大規模爆発』

2015年08月16日 | 日記







 『中国天津の大爆発』 2015年8月16日








13日未明、中国・天津で大規模な爆発事故が起こったね。爆発の規模からすると犠牲者数十人じゃ収まらんと思うよ。

事故現場の写真を見ると。ボロボロになったビルが数棟映ってるけど会社かね? 会社なら時間が時間だから不幸中の幸いだけど、

これは、ひょっとしてマンションじゃないのかね? 吹っ飛ばされて内装部分は皆目無いよ。






未明だから、大方の住人は就寝中だったんじゃなかろうか? 映像に映ってるけど手前の高層のビルを遙かに越えて炸裂してるね。

数キロかな? はるか遠くからビデオ撮ってるから、炸裂して数秒経って爆発音と爆風が襲ってきてるね。凄まじいね。

また、中国の公安が、被害の程を必死に隠して事実を歪めるのかね? 困った国だね。「まだ解らんやないかえ」 おまえは小沢さんか? 






ブルドーザーで埋めちゃうじゃないか? 「何をや?」 高速列車の事故の折、高架から落ちた列車諸共生きてる人も埋めよった国やで。









2015天津大爆炸Massive explosion in China's Tianjin(整合版)










考えたら、ほんまにっコワイ国やで。 「考えんでもコワイわ」 終り。「なんや? もう、終りかいな」 今日は、ニュースだよ。

「これがニュースか?」 そうだよ。お盆休みだからね、更新の間の穴埋めに書いておくよ。それにニュースは早めが肝だよ。

二日も経ったら内容が変わっちゃうよ。ヤフーのニュース見たら「中国・天津大規模爆発 当局、爆発原因明らかにせず会見打ち切り」なんて出てるよ。






次は、外国人記者を現場から排除なんて出るよ。




























カメレオンの独り言-1462 『愚かな頭でご苦労さん ・ さらば南街劇場 Part.2』

2015年08月14日 | 日記







 『007/ゴールド・フィンガー』 2015年8月15日







もう、大方の人がお盆休みに入ってるって思える程に、あちこちのご主人が普段着でウロウロしてるよ。

まあ、しかし、閑散としたもんだね。電話もピタリと鳴らなくなった。置き去りって感じだね。「島流しか?」 遠島の刑だね。

先祖を大切にする、墓参りに帰る、一年一回のご奉公だね。汗かいて大変だけども感謝を伝える意味ではいいことだね。





オレも他人(ひと)さんのこと云ってられないわ、墓参りに行かねばいかん。生きてるよって伝えてこようか。「そんなん、解っとおるわ」

解っていても、ありがとうの気持ちだよ。でも、涼しくなってからにしようかな。

「不心得者っ」 山の上だよ、歩きだよ。無理して熱中症で死んだらどうすんだよ。先祖が泣くで、泣かせたくないよ。





「ものは云いようやのお~」 涼しくなってから、おいでって云ってるよ。「誰がや?」 おふくろだよ。広い心の人だよ。

人の思いを大事にする人だったからね、以心伝心だよ。おふくろ、ありがとう。「それって、都合がいいんじゃないのか?」ものは、とりようだよ。

オレがくたばっても、息子に必ず来いよ、なんて云わないよ。忘れて生きてもそれでいい。彼の世から、なんとかできるものなら守ってやる。





心の何処かで覚えていてくれればいいよ。墓参りに来ないからって、子孫を苦しませるようなクサイ根性など持ち合わせてはおらんわ。

親は、子供が元気に笑って生きて往ってくれれば、万々歳だよ。それ以上は望まん。

最近ね、とみに、人はそれぞれに、自分を生きているもんだと思うんだね。端(はた)が守って守り切れるものではない間が存在してるよ。














『なんの映画だろうかね? アメリカ南北戦争を背景にしたストーリーなんだろうね』








関係性を重視して、人の間(あいだ)という名称があてられたとされてるけど、人と人の間、支えあって人でも、その人と人の間ってのが存在する。

人間って名称は、其の埋め難い間に対して、どう向き合うか、どう捉えるかの問題提議を被せてるように思えるね。 

オレは、人間は、寄り添わねば生きにくい生き物って思ってる。でも、個々の魂で云えば、果たして、そうだろうかと疑問するところがあるよ。





昔、妹が、主人の留守中に幼い息子を風呂で溺れさせる失敗をしたらしい。幸い、気付くのが早く難なく済んだけど大変なショックを受けて、

帰って来た主人に「この子に、もしものことがあったら、わたしも死んでたっ」って、云ったら、

「此の世に出(い)でたら、そのときから〇〇は自分の運命を生きてる、〇〇ちゃんが死んでも還らないことだよ」って、云ったって訊いた。





その言葉が、妙にずっと残って消えないんだね。妹の婿さんは、寡黙で朴訥(ぼくとつ)で実直で優しい男らしい男なんだねえ。

ものごとをごちゃ混ぜに考えない人だなって、そのときは、そう思ったよ。「今は、どう思ってる?」 

大学出て大手の会社ん中を生きて来ても環境に影響されずに、個の自分を生きてる人だなって感じてるよ。あいつは根性あるからね。














『ショーン・コネリーの007/ジェームズ・ボンドのモテモテの絵だねえ』









掘り下げて問い詰めるほどの頭もないから単純に云えば、社会に於ける人間としての約束事を重きに置いて間を埋める人と、

個の価値観を尊重して間を置く人の違いかね? オレは、後者のほうで生きてるつもりだね。「だから、時折、常識外れを平気で云うのだな?」 かもね。

オレはね、自分の魂に忠実に生きてんじゃないかなあって思う時があるんだよ。だから、自分を汚せない。頼りなくとも己れを通して生きるんだよ。





こんなのを解りやすく云え、なんて云われてもよう云わんわ。「哀しい頭やのお~」 

愚かな頭を嘆くなよ、愚かな頭で、己を律して人として此の世を生き切れば何の恥ることがある? 文句ある奴は出て来んなっ。「なんやねん、それは」

いや、いや、出て来られては困る。「余計なこと云うな」 世の中には、いろんな人が居る、想像を絶するような人も居るからね。「どんな奴や?」  





ユーチューブで観たよ、人を困らせて喜ぶ人が居る。罵倒して喚き散らして愉悦に浸ってるんだね。とても理解出来んわ。





















カメレオンの独り言ー1032 『さらば、南街劇場』 に関連した写真が見つかったので追加です。

この1032回で、1964年(昭和39年)夜の南街劇場の写真を2枚貼ってますが、この写真では、当の南街劇場の公開作品が解らんのですね。

どうでもいいよなことなんだけど少し気になってたんだね。なんか、中途半端だったからね。





ところが偶然に、この時期の写真を見つけたよ。同じ1964年(昭和39年)5月12日撮影の昼の写真なんだね。(下3枚目)













『黒いチューリップ』 アラン・ドロン 1964年フランス映画








この時に南街劇場で公開されていたのは、アラン・ドロンの 『黒いチューリップ』なんだね。なんで、わざわざ追加するかというと、

オレ、此の映画を、当時、封切りの南街劇場に観に行ってるんだわ。パンフレットも買って持ってるよ。当時は、こんなんだったんだねえ。

富士フィルムの看板の横手、劇場の壁にアラン・ドロンの顔写真をアップに広告を垂らしてるね。





劇場に向かって右手の邦画看板 『君も出世ができる』東宝1964年(昭和39年)5月30日公開 夜の写真と一緒でしょ。














カメレオンの独り言ー1032 『さらば、南街劇場』で貼った夜の南街劇場の一枚』











『1964年(昭和39年)5月12日 南街劇場』 ああ~スッキリしたあ。








それと、遡って 1957年(昭和32年)の南街劇場も貼ってるけど、当時は、当館前でなんば地下街の掘削工事が進められてるね。

その工事中の写真も見つけたので貼っておきます。

このときの南街劇場公開映画は、『黒い牙』 出演、ロック・ハドソンとダナ・ウィンター シドニー・ポワチエ等。





まあ、一年の間には封切りは何度も変わるけどね、下3枚目の写真の公開映画は、『黒い牙』だね。この映画は、全然、記憶にないけどね。

ロック・ハドソンって、もう、古~い役者になってんだねえ。アラン・ドロンにしても同じことかなあ。そうは思えないんだけどね。

今の映画に昔のまま出てきても違和感ないと思うよ。













『黒い牙』 1957年アメリカ映画 ダナ・ウィンター(向って左)、ロック・ハドソン 










『1957年(昭和32年)5月の南街劇場 なんば地下街の建設工事』











『1957年(昭和32年)5月の南街劇場 なんば地下街の建設工事』 向かいに看板、地獄花(1957年)大映映画 京マチ子だね。











『同上頃の南街劇場横手戎橋筋、南海通り前 高島屋前のなんば地下街の建設工事』








なんで、南街劇場に拘(こだわ)るか? そんなん知らん。 「自分で云うとるわ」 幼いときから若者になるまで、其処に在ったからだろうね。

其の頃の、自分がオーバーラップすんだろうね。人ごみの中の自分が浮き上がって見えるような気がするんだろと思うよ。

現に、其処に昔のオレが居るよ。小さな世界で必死に生きてるオレが見えるんだよ。 「今は?」 そうだね、相変わらず・・・訊くな、云わすな、アホッ。





僅かなことが大きな感動だった。未だに知らぬ外国だけど、オレの並外れた想像力が実際に見たような思いにさせてくれたよ。「大きな台詞だね」 そうか?






























カメレオンの独り言-1461 『苦しいことに愉しいことをふり掛けてお茶漬けサラサラの人生』

2015年08月13日 | 日記







  2015年8月13日







暑い、暑いで日は通り過ぎていくね。お盆を越したら夏は背中を向けて歩き出す。早よ行け。

長く顔を見なかった大学生の娘さんと顔が合った。あれ、何処かへ行ってたの? 「留学」 何処? 「イギリス」 ホント? 「9ヶ月」

そうだね、そのぐらいかねえ。どうだった? 有意義だったか? 「うん、まあ」 おまえ英語ペラペラか? 笑ってゆとりだね。





ただ、暑い、暑いで日を転がす者も居れば、こんなのも居るんだね。しかし、お金の援護射撃があってこそだね。

人は、人を造るのか、はたまた、造られるのか、生まれた境遇のなせるところが大きいね。

この子は、細すぎだったんだけど外国暮らしで少し太ったね。ふつう、緊張して痩せるんじゃないの? 外国の水が合ってんかね?





















大阪の淀川大堰は、淀川水系工事実施基本計画に基づいて建設されたものなんだけど、この工事に関する写真が一切ないね?

国土交通省、大阪河川事務所なんてホームページまで入って探したけど、なんで、無いの?

出来上がった大堰の写真は、もういいよってぐらいに有るんだけど、1983年(昭和58年)11月に完成するまでの写真を見たいんだけどねえ。





何故かというと、当時、阪急電車千里(新京都)線を利用して通勤していたから肉眼では毎日のように見ていたんだけど年月が経つと薄らボケてくるんだね。

今の大堰の上流側は、川原がせり出して川自体は守口側に寄っていたように思う。そのせり出した川原に巨大な穴を掘っていたね。

穴の中のユンボが小さく見えて深さは20メートル以上はあったように思えるんだね。確かじゃないけど。





穴の大きさは、今の大堰の半分ほどの横幅だったかね? 縦がその倍ほどかなあ? 毎日見ててこれだよ。兎に角、デカかったんだよ。

大掘削工事だよ。そんなのが一枚も写真が無いっておかしいね? 近所の奴は、何をしてたんだ? 「放っとけっ」 

暫くしたら、其処へ川から水を流し込んで大きな池状になってたね。つまり大堰の上流側は20メートル以上の水深があることになるね。





嵌まったら溺れるじゃないか。「おまえは2メートルでも溺れるだろ?」 そうだね、泳げないからね。「余計な心配だよ」













『淀川大堰』







船に乗らん限りは、鮫に食われる心配は皆無だね。「しょうもない」 溺れて死ぬ奴って泳げる奴が圧倒的に多いんだよ、馬鹿だよ。

生きる世界が違うのに侵略するような無礼を働くからエラい目に合うんだよ。陸を歩いてろ。走ってもいいよ。

「それは、負け惜しみで云うとるんか?」 それもあるけどね、鮫が陸を歩くか? 陸を徘徊して人を食うなら悪ものだけど、そうじゃないだろ?





淀川大堰の可動部分の堰の長さは、55mと最も長い部類だって。全長が668m。「穴凹の縦の長さは330mもあったか?」 3分の1ぐらいかね?

「はっきりせんね?」 だから、当時の工事中の写真を見たいんだよ。

橋の工事とかだったら工事の行程が解るような写真が沢山でてるのにね、当時は携帯なんか無かったからチョイ撮りも出来なかったよ。





あの堰ってのは、意外と怖いらしいね、カヌーとかボートで近づき過ぎて引き寄せられて一年で6人もの人が死んでるらしい。





泳げる奴なら平気なように思うけどね。「落ち込みで渦巻いてんじゃないかね?」 吸い込まれるのかねえ? 川は、水流の加減が怖いらしいね。

前にも何処かで書いたけど、淀川の上流の八幡ってとこだったかね? 白砂の綺麗な浅瀬で立ち込みのバス・フィッシングしてて、

其の目の前を親の手から離れた小3~4ぐらいの男の子が、スウ~と深みへ吸い寄せられるように流されて行くんだね。





モスグリーンから深みのあるグリーンの世界に吸い込まれるのを呆然と見送ったって云ってたね。兄貴は、馬鹿長(長靴が胸まである)を身に着けてたから

どうにも、咄嗟の反応ができなかったんだね。下手に慌てて飛びついたら馬鹿長の中の空気の加減で逆さになるからね。

泳ぎの練習をさせていたお母さんが半狂乱になって、あとを追おうとしたけど兄貴や、その場に居た人たちが制止したんだね。





翌日だったかね、下流の岸辺で溺死体が上がったらしい。両手を必死に伸ばして脚から引き込まれるように沈んでいく姿が消えないって云ってたね。













『淀川から梅田のビル群』








オレは淀川が大好きだけど舐めてかかったことはないよ。自然ってのは人間が抗することの出来ない力を孕んでるからね。

少しの油断が大変なことに豹変する。だから、オレは釣りで気に入った場所でも、ガキどもが近くで大胆しよったら、さっと場所替えするの。

「それはずるいんとちゃうんか?」 注意はするよ、訊かない場合だよ。そんなのが多いんだよ。助ける力を持たんもんは知らぬが仏よ。





そうかと思えば、滔滔と流れる川ん中へ飛び込む馬鹿も居るよ。信じられない光景だね。ほたえまくって風呂なみだよ。でかい石放ったろか。

鮫に食われんと解らん奴等やね。目の先で、ドバッドバッやったら魚が居なくなるじゃないかっ。

こっちは、全然、釣れないわ、暑いわで辟易してんのに、実に気持ち良さそうに泳いで潜って奇声を上げて、こいつら、人間か?





「大堰の話は何処へ行った?」 そうだね、大堰の働きってのは、横手の土手を挟んで在る柴島浄水場や阪神水道取水口に塩水が入らないよう

塩水遡上の防止の役割を担ってるんだね。それと、大川など市内河川の浄化などのため維持用水を流入させるに必要な水位の確保とか、

渇水時の都市用水に必要な調整池の確保を目的にあるらしいね。このためだね、深い穴を掘ったのは、なるほど。





しかし、あれだけの大掘削工事なのに、当時の写真が一枚も無いって解せんねえ。探しようが足らんのかねえ?













『柴島(くにじま)浄水場前の淀川流域今昔写真』







上の写真は、少し角度は違うけど同じ箇所を捉えた航空写真の今昔対比なんだけど、右手カラー(現在)の淀川に架かる橋は、向って右から

大堰、水道管橋、阪急千里(新京都)線鉄橋、、長柄橋、JR東海道本線鉄橋、新淀川大橋(新御堂筋、地下鉄線)と並んでる。

モノクロ写真のほうは、左側の新淀川大橋が橋桁のみ完成してる状態からして、1967年(昭和42年)頃前後かと思われる。





淀川大堰は、1982年(昭和57年)より着手し、翌1983年に完成させたとあるね、速いねえ、間違ってんじゃないの? 

この航空写真で解るように大堰が完成する前後では、川の蛇行と川幅は、オレの記憶通りで大きく変わったね。「おまえの記憶通りって珍しいねえ」う~んっ。

モノクロ写真の頃は、まだ、旧長柄橋南詰めの可動堰のある部分だけが川幅だったからね。オレは、この辺は詳しいんだよ、馬鹿め。母なる淀川だぞ。





しかし、ホンマに無いっ。この大堰建設当時の写真が一枚もネットに出てないね。これこそ珍しいよ。検索用語駆使して探したけど無い。

ああ、そうだ、この阪急千里(新京都)線鉄橋も、当時、架け替え工事をやってたね。大堰とは逆の下流側の真横で橋桁の建設が進んでいたよ。

写真で見ると、ほんの少し左へ寄ってるね。定かじゃないけど、オレの記憶が正しければの話だね。「自信ないんか?」 ないよな有るよなところだね。





こころなしか、モノクロの阪急千里(新京都)線鉄橋は、少しグネっておるで。カラー写真では、真っ直ぐになってるよ。「グネった鉄橋なんかあるかっ」

こうして時代とともに物は進化して、どんどん変わっていくね。淀川など、そんなのもこんなのも知らぬ顔だよ。

靴の裏で蟻など踏み潰しても知らぬ顔で笑ってる。それと一緒だね、何食わぬ顔して流れたいように流れているよ。止まらないもんね。













『昭和10年 長柄橋可動堰の工事 長柄橋架け替え工事で併用、昭和50数年まで可動した長柄橋可動堰』








オレにとっては、旧長柄橋の南詰に設備された堰のほうが懐かしく思えるけどね。たしか、昭和11年から可動していたらしい。

昭和10年に長柄橋の架け替え工事に併せて建造されて、淀川大堰に変わるまで、その役を果たしていたんだね。堰は2門だったね。

親父の仕事の配達で旧長柄橋を何度も渡ったけど、其の都度、堰の流れを見下ろしていたよ。魚影が見えぬかと、必死に川面を透かして見るんだね。














『長柄橋可動堰』 東側(上流)から撮ってるね








「見えたんかえ?」 見えないよ、だから、必死になって見るんだよ。この川面の乱反射なんとかならんかっ。

「サングラスせいよ」 アホッ、ガキやないかえ。当時は、サングラスなんて云わない、色眼鏡って云ってたよ。

南(天六方面)に橋を渡り切ると左手に釣具店がある。たしか、お店の名前は大西釣具店だったかなあ?













『長柄橋可動堰』 西側(下流)から撮ってるね








釣りに凄い興味があったけど、何故かやりだしたのは、それから十数年先だったね。訳解らんままに店先を眺めるばかりだったよ。

ところどころヒビのような筋が走り剥げたりして傷んだセピアに染まった写真のような思い出だね。こうして生きてるのが不思議だよ。

「なんでや?」 24インチの自転車でガキが、大阪中の車道を走くりまわしてたんだぜ。「歩道は?」 今みたいに行き届いてないよ。





愉しいことも嬉しいことも、たしかにあった。でも、本筋は苦しいことばかり、それに愉しいことをふり掛けてまぶしてごちゃ混ぜにして笑ってたよ。





























カメレオンの独り言-1460 『線香花火  ・ 1960年(昭和35年)代前後の難波界隈』

2015年08月10日 | 日記







 『昭和30年代の御堂筋』 2015年8月10日







今日(8日)からお盆休みに入ってる会社があるんだね? で、16日の日曜までだって。10日間かよ、どこぞの御曹司どもだね?

上手くできてるね、小遣いが有ってこそだよ、金が無かったら穴篭りしとかなきゃ仕方ないよ。

このブログ始めてから5回目のお盆だね。毎度、同じようなこと云ってると思うよ。遊べ、遊べ、人生は愉しまなきゃ意味が無い。





「おまえは?」 仕事と穴篭りだよ。こんな糞暑い外へ出たがる奴の気が知れんよ。

昨日、同業の会社の社長さんが来られて話し相手になって2時間かね、もう、どっしり腰を据えられて動く気配がないよ。

顔を真っ赤にされて笑いながら話が尽きないよ。天王寺駅で「まだあ、若い人ですなあ、サラリーマン風の方ですわ、倒れてましたよ」





疲れが溜まっておったら、この暑さは、若い人でも危ないですなあ。東京だけで70人の方が亡くなられたって聞きましたよ。

窓際で人の気配がする。何人か、ウロウロ行ったり来たりしておるね? 顔を何気に向けるとおませな中2の女の子の連れが中を窺がってる。

社長さんの目にもとまったのかして「なんか、お客さんが待っとるみたいですから、そろそろ退散しますわ」 なんて気を使われてる。





いやいや、放っておきなさい、あんなのは毎度のことですから。行きたい処へ風のように自由ですわな。嬉しそうに笑って頷いておられる。













『1966年(昭和41年)阿倍野 天王寺駅』







ご機嫌で帰られた。「★★ちゃん、遅そ過ぎっ」 「ああ~長かったあ~」 「も~お~長いわあ~」 口々に文句云って三人娘が入って来たよ。

アホ、仕事やないか。ここは事務所だよ、集会室ではないんだよ。「あのおっちゃん、よお来んなあ」 社長さんやないか。

「★★ちゃん、知ってる社長さん、多いなあ」 そういえばそうだね。「エラそうに喋ってるやん」 そんなことないわなあ、しんどいで。





「椅子に、こんなんしてもたれて大きな態度やわ」 嘘つけ。「ホンマや」 でも、嬉しそうにしてはるやろ? 「うん、顔真っ赤にして笑ったはるわ」

おまえら、また、お洒落して、何処か行ってきたん? 「行けへん、行けへん」 おませな中2の女の子が寄ってきて「★★ちゃん、飴」

引き出し開けたら「ヨッシャ、ヨッシャ」って、机に出して皆で分けてる。ちょっとは遠慮しろよ。





「★★ちゃん、ここ見て」 指を差し出してる。おまえ、突き指治ってんか? 「〇〇リは、左でも上手いねん」 「★★ちゃん、こうやでえ~」って、

シュートの手つきを見せてる。「〇〇エ、そこに包帯有るやろ」 「ああ、これか」 ロッカーの戸棚から出してる。おまえらなあ、それは会社のやぞ。

「エエから、エエから」 三人が寄ってきて包帯巻いてる。なんでもええけど、なんで広いとこでせんの? ホンマ暑苦しいねえ。





「★★ちゃん、ライター貸して」 何すんの? 「花火するねん」 ああ、いいよ。「チャッカマンないのん?」 ああ、待てよお~有ったんちゃうかな?

重たい道具箱を引っ張り出して、おお、有ったよ。「壊れてんのとちゃうか?」 カチャッ、おお、点いたよ。「なんか、コワイ」 何が、どうコワイねん?

「汚いやん」 どう汚いねん? 「★★ちゃんのライターでエエわ」 人に余計なことさせんな。道具箱戻して、つくぶんのがしんどいんだからあ~。





花火って、明るい時にやっても見えへんで。「これ湿気てるか試すねん」 あれ、それ事務所にあったやつじゃないの? 「エエのん、エエのん」













『なにわ淀川花火大会』








今日(8日)は休みだからのんびりするよ。たしか、今日の夜は、淀川十三花火大会だったはずだね。今は「なにわ淀川花火大会」って云うんだね。

昔とは違って規模が大きくなり訪れる人の数も比べ物にならないほど盛況らしい。当時の呼び名は「十三花火祭り」だったかなあ? 

平成元年(1989年)辺りから始まって、その数年後、淀川の土手伝いに歩いて十三の辺りの川原で観たね。偶然、頭の真上で炸裂する位置だった。





凄かったね。落ちてくる火の粉を被るんじゃないかと思えたよ。当時は、阪神本線千船駅の近くに住んでいたから淀川の土手伝いだった。

線香花火のような人生を生きていたね。当時のオレからしたら、大金持ちのドンチャン騒ぎを仰向いて見てたようなもんだね。

「じゃあ、今だったら?」 暑いのに出かけて行って人に揉まれて汗だくなってしんどい目して、大金持ちのドンチャン騒ぎを仰向いて見るようなもんだろうね。





「一緒やないかえ」 そうだね、線香花火が、オレには似合ってるよ。最近の線香花火って燃え尽きて落ちるのが早いね、昔のは粘りがあったよ。

最後に火玉になってからが長い、チリチリとかぼそい華で手元を灯す。不思議だね、みんなが注目して寄り添うよ。そんな人生も悪くはないね。

最後に火玉になって、チリチリチリチリチリチリッとしつこく華を舞い散らせて終わりたいもんだね。





















昼下がり、晴天の空を雲が覆って雷が轟きだしたね。頭の回転が悪いので、ちょっと浮気して懐かしい大阪の写真を探していたよ。

これが意外と疲れるんだね。夢中になってると時間を忘れるよ。一息ついて、外に目をやると、もう真っ暗になってる。

雷も知らぬ間にやんで雨も降らずに収まったらしい。何処か近くで大雨になってたんだろうかね?





煙草を一本取り出しベランダに出る、公園で花火をやってるね。ふう~と吹かしてホッとする。最近、ぐっと、本数が減ってるね。













1960年(昭和35年)『大阪の長堀通り、長堀川が、まだ流れているね。四ツ橋から西へ向うトロリーバス、玉船橋行きかね?』







親父の仕事の配達で、このトロリーバスを自転車でおもくそ追いかけて走りまくっておったね。待たんかえっなんて気合だけは一人前であった。

停留所で追い越すんだけど、また、すぐに追い越して行きよる。大人気のない運転手ばかりだったよ。

「当たり前やないか、ガキがウロウロ走るからイライラしとおるわ」 こちとらも仕事よ、遊びじゃねえんだよ。













『1959年(昭和34年)2月 難波歌舞伎座前の御堂筋』










『1959年(昭和34年)2月 難波歌舞伎座前の御堂筋』










『1959年(昭和34年)2月 難波高島屋前ロータリー 南街劇場の西角が見えてるね』











『1966年(昭和41年)12月 難波高島屋前の南街劇場 道路Y字型の左が御堂筋 右へ行くと堺筋の日本橋筋三丁目に出る』







Y字型の中央角に南街劇場、写真に向ってその右隣に戎橋筋を挟んで精華小学校、その斜め上の白っぽい建物は千日デパート。

この6年後の1972年(昭和47年)5月13日に火災が発生して多くの人が亡くなられたんだね。












『上の写真の逆向きで写してるね 年月日が不明だけど同時期のもんだろうと思うね』












『1960年代の戎橋筋』 正面の建物は高島屋







ちっこい頃から、毎日のように行き来していたんだけど、この写真で覚えてるのは、左側の大寅のかまぼこ屋さんのココっていう看板と

「人生は40から ユーボン」の看板の下に映ってる紅白のテントのお店、少し通りに出張って「福寿司」だったかなあ? お寿司屋さんを覚えてるね。

此の寿司屋さんの手前が精華小学校の正門なんだね。繁華街のど真ん中だったね。






この小学校のガキどもは、校区が校区だけに、この南界隈で商売されてるしっかりしたお家の子供が多かった。大方じゃないの? 

住まいが校区のスレスレで入ってしまったことが、オレの運命の始まりだったね。こちとら、へそ曲がりの職人の息子よ、着いていけんわ。

遊びに行くお家は何処もかしこもデカイんだね。生活の規模が違うんだね。嫌でも貧富の差を感じたよ。だから、早くから人生を考えさせてくれたよ。






「そんな早くから人生を考えてどうなった?」 こうなったのさ。「活かされておらんではいか」 人の生き往く道は、神のみぞ知るだよ。






















学校の3階か4階だったかなあ? 教室から覗くと、福寿司の店員さんが、窓越しに上半身、裸で寝てるのが見えるんだね、寮生活されてたんだね。

此処のお店のカウンターに、いつも居たおばさんも覚えてるよ。その向かい側の少し向こうの「南街会館入口」って看板も覚えてる。

リーガルみたいな靴の看板掲げた福屋っていう靴屋さん、記憶を搾っても出て来ないね。常日頃、目にするものって、見てるようで見てないんだね。





小学校の正門前にある 「北極」 の看板が見えないね、ここのアイスクリーム、キャンデーが美味かった。

おっ、よーく見るとリーガルの靴の下の向こうに「甘党 北極」の看板の左側端っこだけが見えてるよ。(戎橋筋の写真)




























カメレオンの独り言-1459 『映画 ジョーズ を思い出すね』

2015年08月08日 | 日記







 『ジョーズ』  2015年8月8日







茨城沖に鮫が出現したらしね。茨城県鉾田市沖でサメが見つかり、同市と周辺の鹿嶋市、神栖市、大洗町の4市町は5日、

計7つある海水浴場を遊泳禁止にしたらしいね。海の家なんかは、かきいれどきにショックだろうね。

海岸線から5~20メートル沖で、体長約4メートルのサメ2頭が悠々と泳いでる映像が映ってるよ。メジロザメの仲間らしい。





ホオジロザメなら映画『ジョーズ』だね。5~20メートル沖って云ったらほん近くだね、脚だけ浸けて遊ぶのもかなり危険と思うよ。

鮫が陸に上がってきて泳ぐんなら大変だけど海ん中泳いでるぶんには至極当たり前の話ではあるけど、

怖いってイメージがきついから三角背びれを海面に出して泳ぎよる姿は不気味に見える。こいつは、川でも上がって来るらしいね。





日本でも、過去、ホオジロザメに襲われて何人かの人が亡くなってるんだね。

1982年8月、熊本県大矢野町沖でヨット遊びで子供を3人引っ張っていて女子13歳が突然悲鳴をあげ海中に引きずり込まれた。

サメに腹部、内臓を食いちぎられ即死だったらしいね。これは歯の痕跡からシュモクザメらしい。



















1992年3月、愛媛県松山沖  タイラギ漁をしていたヘルメットダイバー41歳の男性が、突然、鮫に襲われ、慌てて引き上げたところ、

胴体部が引きちぎられ、空のヘルメットとドレスのみが引き上げられた。ドレスの損傷の分析から体長4mを超えるホオジロザメと判断された。

1995年4月、愛知県伊良湖沖でミル貝漁をしていた47歳の男性が鮫に襲われ、必死に引き上げたところ体長6mほどのサメが食いついていたんだね。





右肩から腹部にかけて噛まれ右腕は食いちぎられて、ほぼ即死だったらしい。ウエットスーツにボンベを背負い水深25mでのミル貝漁の最中の出来事。

1996年7月、沖縄県宮古島 ホテルアトールエメラルド沖1500m付近でサンゴの生育調査をしていた52歳の男性は鮫に襲われ、

ダイバー船に助けを求め、救助したものの右胸から下腹部にかけて縦35センチ、横30センチが楕円形に食いちぎられ、胃と腸も食いちぎられていて死亡した。





いずれも、襲ったのは、ホオジロザメと云われてる。翌年にも、同地で55歳の男性が、タコ漁していて鮫に両足を食われて死亡しているんだね。

『ジョーズ』は、外国の話だと思ってたけど日本も例外じゃないんだね。

今じゃ、USJ(ユニバース・スタジオ・ジャパン)でオモチャの鮫ってイメージになってしまったけど、かのホオジロザメは怖かった。









映画『ジョーズ』オリジナル予告編










前半は、其れが存在する怖さ、垣間見える実体の怖さってのかね? そいつが現れるだろう予感に合わせてテーマ音楽に恐怖を煽られて戦慄するんだね。

極めて人間の恐怖の心裡を心得た描写が冴えてたね。もったいぶらずに早く出せよとは思わせずに、ここまで描くのは難しいだろうと思うよ。

ロイ・シャイダー、ロバート・ショウ、リチャード・ドレイファスが、それぞれに芸達者で、この人たちがオモチャをオモチャとして観れなくしたね。





スティーヴン・スピルバーグも凄い監督だね。 造りもののジョーズが生きてんだね。全長9メートルのホオジロザメそのものに思わせる。

後半は、追うものが追われる立場になって、オンボロ漁船に付き纏う巨大な人食い鮫の姿が露わになって、

息つく間もない鮫と人間の戦いが繰り広げられるんだね。





日頃とは勝手の違う船の上での自分の立場に戸惑う田舎町の警察署長ロイ・シャイダー、鮫殺しのベテラン漁師の船長ロバート・ショウに

素人扱いされながらも専門の知識を活用しつつ船を操り存在感をみせる海洋学者のリチャード・ドレイファス。

臭い魚のぶつ切りを海に撒く役割に文句を云ってるロイ・シャイダーの前に、突然、巨大な鮫が海面から躍り出てくるんだね。茫然自失。
























『ジョーズ』 ロイ・シャイダー








探し求めていた巨大な人食い鮫がとっか現れる。テーマ音楽が鳴り騒いで晴れ渡った海洋が一瞬にして恐怖と緊張感に染まるんだね。

鮫は、悠々とオンボロ漁船の周りを回遊、その巨体を晒して、果たして追うものが、どちらなのかを問いかけているような行動を見せる。

薄っすらと水を透かしてグレーに見える巨体が船の下を潜り抜ける、巨大魚特有の遊泳シーンが不気味なんだね。





射られた銛(もり)にロープで結わえられた強力な浮力のタル2個を全速力で海面を走らせたり引きずり潜ったり、とんでもないタフさを見せつける。

衰えることなく執拗にまとわりついて離れない巨大人食い鮫は、遂には、漁船の船底に体当たりしてくるんだね。

鮫を仕留めるのは無理と悟った船長は、「エンジンが焼けるっ」と制止する海洋学者のリチャード・ドレイファスの言葉も聞き入れず





港に向ってフルスロットルで船を走らせる。強力な浮力の2個のタルを引っ張って巨大鮫が追いかけてくるんだね。

やがてエンジン室から煙が噴出し漁船は航行不可能となる。

海洋学者のリチャード・ドレイファスは、檻を海中に沈ませ、其の中に自分が入って近づく鮫に毒物を仕込んだ銛を打ち込む作戦に賭けるんだね。





もう、映画の内容は、皆さんもご存知だろうから、このぐらいにしておこう。兎に角、この『ジョーズ』と2作目の『ジョーズ2』が面白かったね。














『ジョーズ2』ラスト、ロイ・シャイダーが捨て身で発する単調な音に導かれて盛り上げるような波を立てて迫り来る巨大鮫を正面に捉えたシーンが凄かったね。








オレは、この映画を観たのは封切り館ではなかったね。たしか、おふくろと妹と3人で大阪末吉橋の下駄履きの映画館中央シネマで観たと思う。

テレビの予告編で観ていたので、おふくろに観せてやろうと思って誘ったんだね。封切りから2年後ぐらいだったかなあ?

親子3人で同じ場面で吃驚してガタッて身を震わせて跳ねてたね。「ビックリしたなあ~」って小声で云っては笑ってたよ。





「人がビックリしたり怖がったりする肝を押えた映画やったなあ」って、おふくろが云ってたね。

未明の道を3人で話しながら通い馴れた長堀通りから南綿屋町筋へ折れて歩いて帰ったよ。

「今時、気楽な映画館やな、また行こなあ」って、おふくろが随分と喜んでいたね。













1975年(昭和50年)12月 『ジョーズ』の封切り館 道頓堀の松竹座 








茨城県鉾田市沖で、今日(7日)は、4メートル級が海岸から50メートル以内で16尾発見されたらしいね。小魚の群れを追って接岸しているらしい。








今ちょっと、頭の回転が悪いのかして話しのネタが浮いて来ないよ。



























カメレオンの独り言-1458 『愉しかったことだけが詰まった宝箱』

2015年08月07日 | 日記







 2015年8月7日







この数日、帰ってパソコンの前に着くと決まったように強烈な睡魔が襲って来るよ。今までは、なんとか、船漕ぎながら頑張ってたけど

幸い、ブログも毎日欠かさず書いてた頃とは違い単発に切替えてるから助かるよ。「前回も同じようなこと云ってたぞ」 なんどでも云うよ。

疲れた身体が欲求してんなら素直に布団に転がって寝ることにしてる。ホントに、転んだ瞬簡に意識は飛んで爆睡してるね。ブラインドの開閉と一緒だね。





4時間ほど寝て起きたら深夜だよ。古い写真に載ってる映画の看板で当時を思い出しユーチューブで映画音楽を聴く。いいねえ、懐かしい昔が背景に在るよ。

音楽は心を穏やかにしてくれるね、優しくなれるよ。不思議な効果だね。そして夢を育むんだね。

書くことに行き詰って、どうにもならないと、いつも、知らぬ間にヘッドホーンを着けてるね。





懐かしい音楽の背景に流れるフィルムには、今は、とうに此の世に居ない人たちが、未だに夢を撒き散らせている。素晴らしいことだね。

暫く、聴いていたけど、予定が詰まって明日は一日忙しい、今日はこのぐらいで収めて明日に繋げようか。

起きてきて2時間ほど経ったかね、パソコン終了して布団に転ぶと、また爆睡してそんままま朝がきたよ。「よく寝れるねえ?」 疲れてんだよ。





















今日は、忙しかったよ、日頃の暇へ分散してくれよって思うよ。其れに、なんなの、この暑さ。これで太陽が、ちょっと気侭しよったら人間丸焼きだよ。

「太陽が気侭をする?」 そうさ、毎度決まった処で燃えてるからこれで済んでる。気侭に周辺散歩しよったら地球なんかメラメラだよ。

煙草吸うのも大変だよ、外へ出て一服してる間に汗だくだよ。しかし、汗をかくのは老廃物を排出して身体の中が綺麗になるんじゃなかったかな?





一日、細かい字と睨めっこせんといかんので眼帯を外したよ。オレは奥目なほうだから痣が薄くなったら目立たなくて幸いだよ。

ちょうど、こんな暑い日だったね、まだ、妹夫婦が大阪で暮らしてる頃、3~4歳の姪を預かってた頃があった。次の子の出産が真近だったんだね。

可愛いくておしゃまな姪は、オレが淀川に釣りに行くって用意してると自分も慌ててる。ええ? 〇〇子も行くの? 「〇〇子も行くっ」





「こんな暑いのに大丈夫かいな?」 おふくろが心配してる。待ってろと云っても訊かないだろうね。いいよ、きつそうだったら早く帰ってくるわ。

淀川は近くだったから、姪と一緒に歩いて行ったね。どん深な川べりを避けて砂地が浅く続く釣れそうにもない処で竿を出す。

この子は、幼いのに知恵が発達してんかして世話がかからない。オレの横っちょにつくぶって、なんやらかんやらとお話しをする。





川べりに日陰はないからオレが日差しを遮るほうに座って少しでも影をつくってやる。あの日もじりじりするほど暑かったね。





















〇〇子、しんどくないか? 「うんっ」 おまえは我慢強いからね。竿を上げ、餌を付け替えて何度か放り返してんだけど、毎度の如くピクリともしない。

そうだ、〇〇子、いい方法を思いついたよ。たしか、リュックの底に折りたたみの傘を常に入れてるはず、引っ張り出して、〇〇子、これを見ろ。

笑ってる。今からな、〇〇子のお家を造ってあげよう。勾配と盛り上がった地形を利用して広げた傘を屋根代わりに固定してやる。





リュックからシートやバスタオルなどを引っ張り出して即席の家を拵えて、〇〇子、どや、ええやろ? 「ええなあ~」って、瞳を輝かせておるよ。

早速、入り込んで満足気、「ええわあ~」 幸い、風が少しあるから熱が篭らん。水筒もおやつも脇に置いてリラックスして、

話しかける声に勢いが出てるよ。「プリンプリンちゃん、早よ釣ってね」 オレは、その頃、兄貴の姪や甥、そして、この〇〇子に、そう呼ばれていたよ。





「なんで、プリンプリンちゃんやねん?」 オレは昔からアホだから「いや~ん」って云ってケツをプリンプリン振る仕草をよくするの、それからだよ。

「そのまま爺になった訳か?」 そういうことになるかねえ。考えたら、そこらの小さな子達は、今も変わらず着いて離れないね。

何投目かして振り返ると、〇〇子は、傘の影に守られてすやすやと眠っていたよ。アイスノンで冷やした濡れタオルでおでこや首筋拭いてやるの。





オレは、もうインド人も吃驚、真っ黒けだよ。クッソ暑かったねえ。遮るものなしの太陽光線集中攻撃だよ。でも、〇〇子は、すやすやと眠ってんだね。

そんな寝顔を見てると、安寧を提供して力なき弱き者を守り通す、そのためなら苦痛など感じないって、成程、人は思えるもんだね。

結局、其の日はボウズだったよ。寝とぼけ〇〇子を負ぶって土手を歩いて、今度は釣ったるさかいにな。「面白かったなあ~」って合わせてくれてるよ。





赤川鉄橋の踏み切りを渡りトコトコ歩いたね。見下ろすと川面はモスグリーンかね、日差しを跳ねてゆらゆらとサイケな柄を踊らせながら流れているよ。





















昼過ぎ、手を繋いで帰って来ると、心配だったかしておふくろがベランダから覗いてるのが見える。〇〇子、おばあちゃんが心配して見てるよ。

「おばあちゃ~ん」 元気に手を振ってたね。身体苛めてクタクタなって帰って来る家ほど結構なものはないね。

風呂で汗を流したあと、お袋に着替えさせて貰いながら〇〇子の川原のお家の話を聞きつつ、風の通る畳の上でごろりと横になって寝ちまったよ。





後に、〇〇子と釣行して念願の鯉を3尾釣った。嬉しくて川原で手を繋いで踊ったね。もう、三十路半ばになったかね? 東京のパン屋の職人さんで頑張ってるよ。

遠い昔の話だね、淀川か、暑い日も寒い日も愉しい思い出が詰まった川だね。

ぶつけた顔面の傷は跡形もなく治りそうだね。でも、淀川で汗を滴らした上に太陽で焼かれた肌は、今も染みになって汚れたように黒く残ってるよ。





もし、許されるなら、オレがくたばったら骨を淀川に流して欲しいって思ってる。其れほどまでに、オレにとって懐かしく愛おしい川だね。

ユーチューブで、懐かしい映画音楽を聴きながら映画のシーンを思い浮かべて嬉しくなるように、

オレは、淀川を見たり語ったりすると一点の染みも無い愉しい光景ばかりが脳裡を駆け巡って、頬を緩めて遠いところを見てる自分がいるよ。












『阪神電車本線の鉄橋より少し下流の右岸 大阪梅田のビル群が一望できる キビレやスズキ(ハネ)がよく釣れた』
















なんばの南街劇場の写真を見っけたよ。劇場は写ってないんだけど当時の雰囲気を感じれる一枚だね。











『かげろう絵図』1959年大映映画 市川雷蔵 山本富士子







職人の親父は、仕事場に入るとラジオをつける。覚えているのは、『かげろう絵図』 松本清張の長編時代小説だね。

話を聞いているだけで、其の情景が浮かぶんだね。家事の合間の手を休め、おふくろが仕事場の脇のカウンターに片肘ついて親父と一緒に聞き入ってる。

想像力の世界だね。語られる言葉の情報と声の出演者の台詞の展開で、その場の状況が脳裡には映像となって映し出されて不自由はない。






島田新之助を「市川雷蔵がやるらしい」 「山本富士子が相手役の登美やなあ、ええなあ~」 なんて番組終ったら思い思いに語り合ってたね。









Theme From Giant



『これはアレンジ曲だけど、この曲が終ったら出る曲目画面の左下(タイトル画面)が当時流れていたサントラ盤だね』








此の時分だったかは、定かでないけど親父もおふくろも映画が好きだったから洋画の映画音楽がいつも流れていたね。

此の『ジャイアンツ』の主題曲(サントラ盤)も毎度のように流れていたよ。

当時のオレには、映画の内容までは解らなかったけど勇壮で雄大な感じがして好きだったね。











『1956~1957(昭和32年)冬 大阪難波、南街劇場前』







ジェームズ・ディーン エリザベス・テイラー ロック・ハドソン共演の『ジャイアンツ』アメリカ映画を公開中の南街劇場前だね。

1956年12月22日に正月映画で公開されたんだね。当時の若い人たちは、ジェームズ・ディーンに痺れていたんだろうねえ。












『ジャイアンツ』 1956年度作品 アメリカ映画




























カメレオンの独り言-1457 『瞼の裏に残る愚かな自分』

2015年08月05日 | 日記







 2015年8月5日







この2~3日、顔面の筋肉が傷んでんのかして表情を作れなかった。瞼を締めるように閉じたり、おでこを伸縮したりすると突っ張るように痛んでた。

今日は、無理やり大きな表情を作ってみたけど左こめかみ辺り以外は痛まないね。瞼(まぶた)の痣(あざ)も腫れが引いて少しましかな?

職場では、みんなが医者へ行け行けと云うんだけど医者なんか行かない、自然治癒力で治す。孤島で怪我したら薬も無ければ医者もおらんよ。





仕事から帰ってパソコンやりだしたら、もう、抵抗不可能なぐらいの睡魔が襲って来る。眼帯つけてるから疲れてんかなって思ったりするんだけど

暑さもあるんだろうかね? 身体をやられたらマズイので布団の上に転んで寝ることにしてる。ドタン、キューで3~4時間、爆睡してるね。

考えたら、昔から、オレは、寝ることに関しては何の苦痛もないね。気持ちの箍(たが)を緩めたら、苦もなくほとんど死んでるだろうね。「子供か?」





最近、どうでもいいようなこと書きながら、何か視点を変えた内容のものが書けんかと考えてる。独り相撲で見えて見えない一番困難な欲求だろうね。

客観的に見ておまえはどう思う? 「そんなの解らんわ」 何のための客観視だよ。「おまえを見るのが忙しい」 全体を見ろっ馬鹿が。

こうして書くこともオレなんだよ、オレの心裡の奥まで見透かす洞察力を養え。「おまえの能力と比例してんだよ」 大したことないね。





「無理を云ってはいかんよ」 存在の意義ってのを考えろ。存在している重要性や価値ってのを意識したことがあるか? 「あるよ」 ホンマかよ?





















悪い奴が善くなっていく、愚かな奴が正しい道に気付いて真っ当な人に成長する。初めからまともな奴なんて居ない。

初めからまともな奴は、早死にするか、後々、狂って人間性も人生も台無しにする。

煙草吸わない人はエライ、酒呑まない人はエライ、何処がどうエライ? 煙草嫌いで吸わない、酒が嫌いで呑まない、極、当たり前だわね。





煙草吸えないのに付き合い大事で無理してでも吸う、酒呑めないのに祝い事だから目をつぶって呑む、こんなのは少しエライ。

好きで堪らぬけれど思うところあって酒を断つ、煙草を断つ、意志力の問題で克った人だね、こういうのがエライんだよ。

悪いことを知らずに善い人を生きる、無防備な人生だね。悪いことを知って善い方向に転換する、双方を判じて自身で道を選ぶ。狂わないね。





些細なことに激して感情の赴くままに暴言暴力を奮う。相手があってことを発する。押え難い苛立ちの結果かも知れない。

抑制の効かない自分の弱さに苦しみもがき、染みたる痕跡が我が身を責める。改めねばならない、努力を重ねて穏やかな人になる。

我が身大事で卑怯な自分に目をつぶる。つぶって見えないはずの自分の姿は心に鮮かに残る。恥ずべき姿が勇気を教えるね。知るということだね。





何ごとも度を越さぬうちが救いとなる。恥を怖れてはいけない。正視する勇気だね、恥から人は学んで成長する。成長とは、そういうもんだろうね。





















愚かに気づかぬほど愚かはない。知って悪いことをする奴と、知らずに悪いことをする奴とでは、後者の奴は救われると思ってた。

でも違うらしいね、知らずに悪いことをした奴は、怠慢なんだね、知ろうとする努力がない結果なんだね。

だとすると、オレなんかホントの悪だったね。「情け無いねえ、愚かだねえ」 今更、善い人面(ひとづら)して生きようなんて思ってないさ。





こうして瞼を閉じて過去の自分を顧みれば、恥ずかしくて全身が熱くなるよ。愚かな自分ってのは不思議と鮮明に残って消えないね。ろくでもないよ。

「どんな奴だった?」 そうだね、幾つになっても子供だね、オレは、子供の自分に現(うつつ)を抜かしておったね。

「今もじゃないのか?」 見た目は大人、中身は子供って感じかねえ? 「恥を知れっ」 オレの人生だよ、ゴタゴタぬかすなっ。「成長がないねえ」





















昼下がり、ちょっと、気晴らしに散歩に出るかって町内をウロウロしに出たんだけど、なんなの、この暑さはっ。

Tシャツが、瞬く間にビッショリ濡れちゃったよ。ちょっとの積もりだったからサンダル履いて来たのが間違いだったよ。

堪らんから、早く帰ろうと急(せ)くんだけど歩き辛いサンダルだねえ、進まないよ。ほんの5~600メートルで脱水症状になるよ。





くっそ暑いねえ。川原の雑草がユラユラと日差しを跳ね返して、陽炎(かげろう)みたいに燃えてるように揺らいでるよ。





こんな日に出かける奴の気が知れんね。其処等のプールや海水浴場は芋の子洗うような盛況だろうね。浸かってるときは、たしかに気持ちいいけど

塩水浴びると遊び疲れが甚だしいからね。想像しただけでぞっとするよ。

もう、オレは、爺らしく家ん中でおとなしくしてるよ。そうだ、帰って水風呂に入ろかなあ。





そうだね、水風呂って、昔、銭湯に通ってた頃は、毎度のように入ってたね。冷えてきたら湯船に移って暖めて、また、水風呂に飛び込むんだよ。

根性の臭そうなおっさんが睨んでおったね。こんなおっさんに限って流し湯もかけずに湯船に入り股ぐらタオルでこすりよるんだよ。

ただ、生きてるだけの馬鹿だね。チンポとケツの穴洗ってから入れっこの野郎って、子供心に思ったもんだよ。ホントに不衛生だよ。





オレたち子供が入った水風呂は、水が半分以上無くなってる。「なんでや?」 ビッグ・ウェーブだよ。

暴れまくるんだよ。ドヴァア、ドヴァアと水が溢れ出て、すぐに足らなくなっちゃうんだよ。水風呂、もっと大きくしろよ。「プールかよ?」

湯気で霞んでんだけどガラス越に番台のおっさんも睨んでおるよ。「おまえらも馬鹿だね」





しかし、この番台のおじさんは怒らなかったね。湯でダコなって出て来たオレに「元気やのお」って笑ってたよ。いいおじさんだね。





















「何でもいいけど、話してる内容と貼ってる写真の共通性ってのは考えないの?」 考えないよ。お決まりは面白くない。

くっだらない内容に目を通してもらうんだよ、癒しだよ、目の保養だよ、お疲れさんってね。 「女性にはどうする?」 ええ? 女性が居るかなあ?

そういえば、男の妖しい姿って絵は少ないね。ちょっと探してみようか。「別にそんなのに拘れって云ってないぞ」 いや、そう聞こえた。





外国コミックってのは、日本の劇画調ではなくて物語を絵で説明するってのかね? 雰囲気を醸しだしてホローする役割だね。

化け物女みたいに瞳ばかりのキャラじゃなくてりアルだね。漫画の域を越えてるよ。オレは、断然、こちらのほうが好きだね。





しかし、無いねえ、男は女の裸を探し出すのは上手いけど、男なんてオレ一人で充分だよ、なんて思ってしまうからリキが入らないよ。

「厚っかましい奴やねえ」 いや、男って、悪気なしに、みんな、そう思うんじゃないの? 気分は独り占めさ。「くっさいのお~」

オレの貼る写真は、気のむくままだからね、関連性のあるのは、映画と事件、事故を扱った駄文だけじゃないのかなあ?





開いてくだざる方が増える一方だから、やっぱり、其の中には、女性の方も居るかも知れんね? こんにちわ。「声変えて誰に挨拶してんねん?」













『 007 ジェームズ・ボンドが云ってるよ 「カメレオンの独り言って馬鹿らしいね」だって 』 女性用に貼って貰って、なんやねん、こいつ。









この『カメレオンの独り言』を書いてるオレが、おっさんだからね、女の人は読まないって思ってしまうから意識してないんだねえ。

勝手な思い込みなんかねえ? まあ、何人かの女性が見てくださってるってのは、コメント頂いて解って嬉しかったです。でも続かんだろね。

女にゃオレの面白味が理解できんだろうって思うんだね。「何処で、そう思うねん?」 なんとはなしに。「そんなんじゃ解らんだろ」 う~ん、爺臭い。





ホントは、誰でも読める駄文を書きたいんだけどね、老若拘らず男も女もこころで生きてる。心に話して伝わらないものはないと、そう思うんだけどねえ。





























カメレオンの独り言