いつだったかな?昔住んでいた辺りが、懐かしくなってふらっと出かけたことがあったね。カメラを持って出たので「パチ、パチ」撮っておきました。
昔の面影はほとんど残っていませんでしたね。昭和30年から40年辺りの頃ですから当たり前ですかね。
考えたら、私の思い出は、みんなセピアの色に染まっていますね。「自分自身は、そんなに古いって思ってないんだけど」事実は古いんですね。
大阪市の北区西天満から大阪市の南区(今は中央区)堺筋、日本橋筋一丁目交叉点付近に移り住んだのが昭和30年頃でしたね。
「古いわな」目の先に「大阪の台所」って云われた黒門市場がありましたね。
交叉点から東へ行けば松屋町筋の下寺町を経て谷町筋から上本町六丁目。逆の西へは千日前から御堂筋。南に向えば日本橋筋の電気屋街を経て通天閣。
北へ上がれば道頓堀から長堀橋、本町、北浜の中之島に至ります。大阪市のど真ん中でしたね。
交叉点南東側、住友銀行が後ろ側(写ってない)にある。この銀行は当時のまま残っていましたね。
向かいの南西側(ガラス張りのビルのところ)には、当時は鎌田特許のレンガ造りのビルが建ち学生服専門店の「みちせき」ってお店が並びにありましたね。
上の写真と同じ位置で少し出張って右側を撮ってます。北へ向う堺筋(インターネットって赤い字の看板の通り)で道頓堀がすぐ近くです。
全体の雰囲気が「なんか品が落ちたんじゃないの?」って感じがします。
頭の上の高速が出来るまでの日本橋筋一丁目は「こんなんじゃなかったよ」何か一部が崩れだすと連鎖するんだね。私に云わせれば「全滅」だね。
記憶に残ってる風景で変わっていなかったのは「薮下鉄砲店」だね。家は改造されたんだろうけど残ってるね。
交叉点から東へ黒門市場北口を通り過ぎてちょっとのところ。当時の思い出が甦ったね。
マルって犬連れて兄弟で生玉や高津神社に遊びに行く道すがら陳列された鉄砲を毎度のように眺めてたね。
当時と比較するのは脳裏に残るセピアに染まったような記憶写真。
薄らボケて定かじゃないけど、中に匂いをも伴うような鮮明なシーンってのが部分的に焼きついてある。
そういうのが現実に残る形に触発されて甦るね。光の屈折ではないけれど「思い出の蜃気楼みたいだね」
自分が生きて消えていった時間のように、その時代を生きたまわりの風景も、その痕跡を消し去るように変わっていく。
堺筋と交差して東西に走る千日前通りを挟んで向こう側、ビルとビルの間辺りかな?其の辺りに我が家はあった。
今の道路は万国博開催のため土地整備で幅が当時の倍に拡張されている。つまり立ち退きで拡げられた。
だから千日前通りの北側(道路半分)は延々と昔を留めるものは一切ない。
上の写真は日本橋筋交叉点を東へ上六方面に進み堺筋(南北)と併行して走る松屋町筋を越えた辺りで上町台地の坂を上がる市バス。
高速を挟んで逆往きが見える。この市バスが走ってる道路の分が立ち退きで広げられた。記憶が削られたような感じだね。
其れでなくても危なっかしい記憶力なのに。
此処から育ち往くものにとっては、今の此の姿が自分とともに生きた風景になるんだね。
「時代は回る」って歌の文句にあったように思うけど、たしかに時代は回って止まることがないね。
人も、其の中でコロコロ生き死に繰り返して、同じように回って着いていくんだね。