カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

独り言-341 『大阪南区界隈』

2012年02月29日 | 日記








いつだったかな?昔住んでいた辺りが、懐かしくなってふらっと出かけたことがあったね。カメラを持って出たので「パチ、パチ」撮っておきました。

昔の面影はほとんど残っていませんでしたね。昭和30年から40年辺りの頃ですから当たり前ですかね。

考えたら、私の思い出は、みんなセピアの色に染まっていますね。「自分自身は、そんなに古いって思ってないんだけど」事実は古いんですね。







大阪市の北区西天満から大阪市の南区(今は中央区)堺筋、日本橋筋一丁目交叉点付近に移り住んだのが昭和30年頃でしたね。







「古いわな」目の先に「大阪の台所」って云われた黒門市場がありましたね。

交叉点から東へ行けば松屋町筋の下寺町を経て谷町筋から上本町六丁目。逆の西へは千日前から御堂筋。南に向えば日本橋筋の電気屋街を経て通天閣。

北へ上がれば道頓堀から長堀橋、本町、北浜の中之島に至ります。大阪市のど真ん中でしたね。


















交叉点南東側、住友銀行が後ろ側(写ってない)にある。この銀行は当時のまま残っていましたね。

向かいの南西側(ガラス張りのビルのところ)には、当時は鎌田特許のレンガ造りのビルが建ち学生服専門店の「みちせき」ってお店が並びにありましたね。

















上の写真と同じ位置で少し出張って右側を撮ってます。北へ向う堺筋(インターネットって赤い字の看板の通り)で道頓堀がすぐ近くです。

全体の雰囲気が「なんか品が落ちたんじゃないの?」って感じがします。

頭の上の高速が出来るまでの日本橋筋一丁目は「こんなんじゃなかったよ」何か一部が崩れだすと連鎖するんだね。私に云わせれば「全滅」だね。



















記憶に残ってる風景で変わっていなかったのは「薮下鉄砲店」だね。家は改造されたんだろうけど残ってるね。

交叉点から東へ黒門市場北口を通り過ぎてちょっとのところ。当時の思い出が甦ったね。

マルって犬連れて兄弟で生玉や高津神社に遊びに行く道すがら陳列された鉄砲を毎度のように眺めてたね。






当時と比較するのは脳裏に残るセピアに染まったような記憶写真。

薄らボケて定かじゃないけど、中に匂いをも伴うような鮮明なシーンってのが部分的に焼きついてある。

そういうのが現実に残る形に触発されて甦るね。光の屈折ではないけれど「思い出の蜃気楼みたいだね」






自分が生きて消えていった時間のように、その時代を生きたまわりの風景も、その痕跡を消し去るように変わっていく。



















堺筋と交差して東西に走る千日前通りを挟んで向こう側、ビルとビルの間辺りかな?其の辺りに我が家はあった。

今の道路は万国博開催のため土地整備で幅が当時の倍に拡張されている。つまり立ち退きで拡げられた。

だから千日前通りの北側(道路半分)は延々と昔を留めるものは一切ない。

















上の写真は日本橋筋交叉点を東へ上六方面に進み堺筋(南北)と併行して走る松屋町筋を越えた辺りで上町台地の坂を上がる市バス。

高速を挟んで逆往きが見える。この市バスが走ってる道路の分が立ち退きで広げられた。記憶が削られたような感じだね。

其れでなくても危なっかしい記憶力なのに。






此処から育ち往くものにとっては、今の此の姿が自分とともに生きた風景になるんだね。

「時代は回る」って歌の文句にあったように思うけど、たしかに時代は回って止まることがないね。

人も、其の中でコロコロ生き死に繰り返して、同じように回って着いていくんだね。





















独り言-340 『昔の話し』

2012年02月29日 | 日記







もうこの歳になってくると誕生日ってのは「おめでたくもないよ」歳忘れて生きて居るのに、わざわざ改めて思い知らされるようで「もういいよ」って思うよ。

ちっちゃな人生だったから思い出も大したものもない。病気知らずで、此処まで生きて来れたことだけが大変結構でしたと感謝している。

歳を忘れて、まだ生きて往こうと思う気力と体力を有難いと思う。







若い時から他人(ひと)さんに疎まれることを知らず、あちら此方の職場でも大事にされて他人(ひと)さん相手に悩んだ覚えがない。







ちっちゃな子達から少年少女、若者たちから年配の方々まで誰彼なしに笑顔の声かけを頂ける。此れもまた結構なことだと感謝している。

環境が変われば、必ずと云っていいほど相性の悪いとんでもない御仁が何人かは居るのが世の習いなんだけど、

其の人達とも仲良くそつなく付き合いがかなったね。苦手なタイプには、あくまで礼儀を守り、されど媚びることなく、構えないことである。







そして何処でも共通するのは「我慢」やね。其れも出切る我慢じゃなく出来ない我慢を自分に強いることだね。

ひとつを逃げてはいけない。ふたつも同じになる。なんとしてもひとつめに克つことだね。

こういうのはね、自分の克己心を試されているんですよ。「自分を鍛えてくれている」って思えば恨みにはならない。







当然、己の遣るべきことは手を抜かず懸命が前提となる。この手の人たちは、相手を見る目が秤になっている。

其れを心得れば御し易い。そして、総じて自分に甘いね。何年経っても変わらず理不尽な場合は、モロの自分を出せばいい。

其の頃には、もう自分の立ち居地もできている。溜めた我慢は伊達じゃない。遠慮は要らない。







雇われ者は仕事にしがみつくから弱いけど「辞める」権利は持っている。「不思議と気合で勝ったね」そんなの繰り返して生きてきた。

笑えるのは、それからと云うもの、その人達が交互で「帰るよ」って、毎度、愛車で自宅まで送ってくれたね。

こちらも恨んでないから、もとの礼儀を重んじて変わらない。敵を味方に変えれば強いね。





















長くお世話になった会社の話だけど、ボコボコに見下されていた他の下請け社員の待遇までコロリと変わったね。

「全ての人が仲良くなったね」親会社の上から下までが、此方の下請け社員に混じって昼の休みに野球に興じてひとつになった。

今思えばテレビドラマの世界みたいだったね。何ごとも「一生懸命」に勝るものはないみたいですね。







親会社は大手のメーカーで世界的に有名で知らない人は居ないでしょうね。

下請け会社は、会社のような会社みたいな規模ですから「オレ流」が通ったんでしょうかね。

毎日、遅刻の常習犯で壁乗り越えたり、窓から忍び入ったりで首になっても仕方ないのに、

或る日、見つかったら「何処から入っとおるんや。タイムカード打ってあるぞ」って、親会社の所長が笑ってる。

「この人もとんでもない曲者だったけどねぇ」







慰安旅行に誘って貰って船の甲板で「お主は一匹狼やな。いつか、なにか、必ず興すだろうね」ってギョロ目で睨んで仰ったのを覚えてる。

「お世話になったね」まだ元気で居られるだろうかな?

人に疎まれずに可愛がって貰ったって思いが強いね。オレからすると「ただ働きまくって、よく笑うロボット」ってだけの男だけどね。







何はともあれ仲良きことが一番ですよ」丸くなれば事はスムーズに転がりゆくものですから。

ウイスキーをチョビチョビやりながら書いてると、酔いが回って内容が解らんようなってきたね。

「なんか、ちゃう方向に話が行ってるみたいな感じかな?」酔いがまわって、よお解らんわぁ。







「誕生日か」しんどいだけで何も変わらぬ誕生日を何度見送ったことやら。「やったねっ」って、乾杯できる「誕生日」を迎えることが出来るかねぇ?













今日の写真です。選ぶのがしんどいのでとりあえず。  















堺市の大泉公園です。

































休憩-81 『いつも傍らに立つひと』

2012年02月27日 | 日記







生きていると不思議なことって何度か経験する。

解き明かせぬままに時が記憶を薄れさせ「そういうこともあったなぁ」なんて過去のことになってしまうね。

若い頃に、初めて行った処なのに「あれ、此処は知ってるわ」って思ったことがある。






其処が何処だったかもう定かではないが「過去に来たことがある」って思いは打ち消せなかったのを覚えてる。

実際には、過去に行ったこともないのに「来たことがある」って記憶が譲らない。

現世と過去世って云うね。肉体が滅び魂が彼の世に往き、新しい命に宿って再び此の世にいでるらしい。






過去世など覚えてはいない。しかし、瞬間的に甦ることがあるのかも知れない。記憶の断片が漏れ出るのかも知れない。






人と人の出逢いにも、そう云うことがあるのかも知れない。

出逢った時、言葉で表現できない瞬間的な「懐かしさ」かな?「初めてじゃない」って思いかな?脳裏を掠(かす)る感覚と云うのかな?

他人じゃない親しみを感じることがある。過去世の縁なのかも知れないね。其れも忘れえぬ人だったんだろうね。






逢ったその時から親しみを覚え、会えば会うほど親しみが輪をかけて膨らむのは、現世で再び廻り会った喜びの証じゃないのかな。

そうとしか思えない人が居る。そうとしか思えない不思議な縁を感じる人が居る。

理性で感情を説き伏せても、見えぬ力が作用するのか繋がり離れない。切っても切れない仲って云うのは、そういうものなのかも知れない。






もっとも、物云わず、ただ在るだけの記憶の彼の地と違い、人は互いが思いを持っている。

片側だけで語れるものではない。片側だけの錯覚に過ぎないかも知れないからね。

君は、何故、今日もわたしの傍らに立つ? 君は、何故、なんでも正直にわたしに話す? 君は、何故、怒ってるの?















今日の写真です。     












































独り言-339 『コロンブス』

2012年02月26日 | 日記








このブログを始めてから「オレってちょっと変わったかな?」って思うんですよ。

遣る前に「ああでもない、こうでもない」って考えあぐねて、結局、答えが出ぬまま終わってしまうことが多かった。

良く見せようとか、格好悪いとか、体裁ばかりが先走って何も出来なくなってしまう。






「有りの侭」ってのが本当なんだから「有りの侭」を出せばいい訳なんでしょうね。其れが不思議と出来てるみたい。「其処が変わったなぁ」って思うんですよ。






有りの侭を出せるから、若い子達はブログやツィッターなんかに想いを率直に書くんでしょうね。おっさんになると素直さが出なくて色づけが多くなる。

それもないね。浮かんだことを、そのまま活字に変えてるね。自分が遣ってみると若い子達の気持ちが解るような気がするね。

限られた自分の居場所では理解を得られない事柄をネットに載せて発信する。






自分の生活圏外から「馬鹿だね」「恥知らずだね」って誹謗もあれば「そうだ、その通りだ」って共感や賛同を得れる場合もある。

「独りぼっち」から解放されるんだろうね。人間って腐るほど居るから。狭い枠からの反応では納得できない事柄を広く曝して声を求めるんだろうね。

活字の付き合いが生の付き合いに発展する段階で「危険」が同居するマイナスはあるけどね。付き合って自分を曝すには勇気も要れば時間も要す。






そんなのはもう曝した後だから、初対面で馴染みの感覚までに出来上がってる。手間要らずの関係でスタートってなるからね。「結果は運命だろうね」

おっさんになると「反応」は要らない。一方通行が心地よい。「前から来る奴は居ないから突き進むだけ」気侭に想うまま曝して捌け口にする。

自己確認、自分を客観的に観れるのが面白い。






傍の人が「アホやで」「バカやで」って思うだろうことは自分もやっぱり思ってる。「これがオモロイ」自虐行為か?

其れともうひとつ「国語をもっと真剣に勉強しておけばよかったっ」って思うね。

私の人生に「後悔」なんてないんだけれど、此れだけは「後悔先に立たず」やったね。言葉で困る。







語彙が不足してるから賄いがつかないのね。たまにチンプンカンプンな言葉を使ってることがある。

口語調で書くから、口頭よろしく出任せ用語で誤魔化している。でも活字は誤りのまま残っちゃうもんね。

「其の恥を怖れず書き続ける」ところが、オレって変わったねって思うのね。






素人が公然と云いたいことを載せて発信する。何処の誰もに思いが届く。20年前の夢は現実となって、その進化は止まることがない。

単車に乗るには単車の、車に乗るには車の運転技術、交通法規、心得などを習得せねばならない。

人も肉体に魂乗せて生きる上の常識に、知恵と知識を加えて習練を積まねばならない。






社会に生きると云うことは、進む道々に条件クリアを測る関所が立ちはだかっている。

そんな規制管理の行き届いた道ばかりでは息が詰まる。ネットは新しい道なんだろうね。

今は未だ、未開拓の自由の道なのかも知れないね。「アメリカの西部開拓時代と一緒やね」




















コロンブスが発見した未開の大地にヨーロッパの国々の人々が夢を馳せてこの地に渡り、原住民(インディアン)や盗賊、

ならず者らの脅威をものともせず東部から西部へと幌馬車隊を組織して開拓の歩を進めた。

ゴールド・ラッシュに湧きかえったり、油田採掘に成功したり、畜産、農業などで財を築いたりとアメリカン・ドリームたけなわの時代だったね。






ネットもまさしく同じだね。何も持たぬ者が、何の用意もない者が、川原の石ころ拾って「金だっ」って叫んで大富豪ってことも無くはない。

ウインドゥズやアップルの創始者は、もうひとつの世界を発見した今世紀のコロンブスなんだろうね。

もっともコロンブスってのは、実際は人種偏見に凝り固まった非道な奴で、アメリカ原住民からすればナチスのヒットラーに相当する虐殺者だったらしいけどね。






船乗ってあちこち航海やってりゃ、いつかはかち当る大陸だっただけのことで名を残すほどの偉業でもなんでもないよ。

歴史に名の残ってる奴って、意外ととんでもないのが混じってるね。









今日の写真です。   











大和川上空を飛ぶカモちゃん。






















休憩-80 『消せない想い』

2012年02月26日 | 日記






風邪なんて全くと云っていいくらいにひかない男だったのに鼻がグズグズ、咳がゴホゴホとしつこいね。

深夜、寝る際に市販の薬呑んで掛け布団に毛布を追加して温く温くで寝たら「治ったかな?」咳が出ないね。

健康の秘訣はね「忘れること」忘れることが出来たら身体は丈夫になりますよ。痴呆症じゃないよ。






意識して「どうにもならぬこと」を忘却するんですよ。

つまりパソコンで云えば「消去」ですね。自分の意思で無駄な記憶を消し去る作業がこなせるようになればいいんですよ。

記憶は生きた証のようなものですから簡単には消し去れないですが、それを意図的に「消すんですよ」部分的削除ですよ。






精神を病んではいけない。次は身体が蝕まれる。気を元気に保てば自ずと身体も元気になるんですよ。

「アホは風邪ひかん」って云うでしょ。「アホ」になればいいんですよ。「アホ」になれる賢い人ってのは器が大きい。

そういう私も消し難い思いを長く抱えてはいますけどね。功罪併せ持つと云うか、善悪併せ持つと云うか、未練な思いに「消去」を躊躇うんですね。






「だから風邪ひいたのかなぁ?」













今日の写真です。  






もうすぐ春が来ますね。オレは春はあまり好きじゃないけど、彼女は「春が好き」って云ってたね。また、あちら此方で花が咲きますね。






















































独り言-338 『なにやら寂しい想い』

2012年02月25日 | 日記








答えの見出せぬことが心に滞っている。考えてどうなるものではないけど考えてしまう。

答えが出ないのに溜息は出るね。「重たいね」

思考の向こうに「寂しさ」がある。






寂しいってのは、なにか心を絞られるような思いだね。





















外は、朝からしとしと小雨が降って地面に染み入るように濡らして光ってる。枯れ木の枝に水玉の滴が列をなして並んでる。「落ちそうで落ちないね」

遠くの建物が靄(もや)って霞んで見える。「静かだね」土曜日って人は何処へ消えちゃうの?ほとんど人通りがない。

時折、建物の廊下を歩く足音が「此処にいるよ」って響いてる。






風が吹き荒れるよりは雨のほうがいい。風情があるよ。風には其れがない。ただただ、忙しなくて粗雑で落ち着かないから「嫌い」

「でも、本当に静かな土曜日だね」

寂しさに任せていると絞られるような心が落ちていきそうになる。






椅子から立ち上がり、四肢に力をこめて気合で吹き飛ばす。「落ちる訳にはいかんからね」

「生きてりゃいろんな時があるものさ」 しかし、こんな時って、時計の針は小刻みにしか動かんもんなんやねぇ。













大和川のオオセグロカモメ  














同じくセグロセキレイです。






































独り言-337 『真面目』

2012年02月25日 | 日記









徐々に、真冬って感じが薄らいできたかなって思えますね。前の公園はいつも閑散としていたのに今日は沢山の子供たちが遊んでいる。お日さんが暖かい。

「この春からオレは変わるよ」と新聞配達のおじさんに云うと「あかんわぁ、口だけやがな」って馬鹿にしたよに信用ない。

「本気だよ」「何云うてんねんなあ。煙草もやまらんがな」「其れはそれ。この春から休みと云わず仕事終わってからでもカメラ持って、






そこ等を徘徊するんよ」横目で見て鼻で笑いよる。「あんたは変わらんわ」見透かしたような台詞。

「カメラ持って女の子を撮るの?」って横から中学の野球小僧が口を出す。「アホ、其れは変態やろ。捕まったら大恥やないか」

「何を撮るの?」「なんでもあるがな。感性に響くもん撮ったらええの」






たしかに禁煙は失敗したけどね。この前の日曜日に写真の整理していて思うところがあった。写真も一日一日の積み重ねやね。

撮り続けていれば、何かが閃くかも知れない。腕立て伏せと同じで遣り続ける中から身につくことがある。

「わしなんか、先月は家に居てへんかったでぇ」「おっちゃんはあっちの彼女こっちの彼女に忙しいもんな」「そうや」






昔は大阪の南でブイブイいわせてたらしい。贅沢もんにも詳しい。「★★ちゃんはマジメッ」って勝手に決めてる。

遊び人した人からすると、オレなんか可愛いもんなんだろうね。おじさんは顔も広い。裏の世界の人たちとも馴染みが多いらしい。

この人の話を聞いていると私なんか中途半端な人間やなぁと思う。表と裏、どちらの世界にも疎いからね。






此処まで書いて「もう辛抱堪らん」寝てしまったね。目覚めたら日にちが変わってた。続きが消えちゃった。「まっいいか」中途半端でごめんなさい。

ベランダに出て煙草の火を点ける。ひとつ処で停滞し過ぎたかな。生活は其のお陰で保たれた。常識で云えば方向転換考える歳じゃない。

「でも、オレは考えるんだね」」「もうやめとけよ」って声も頭の中から聞こえてはいるけどね。














今日は、こういうボタンを思いついたね。  


























大和川下流域は底が見えるほど浅い。晴れ間が続いている間は砂地を透かして「水綺麗ね?」って感じで流れている。

ひとたび上流で降雨があると真っ黒けの濁流に変わる。化粧お化けの川ですね。でも、鳥たちにとっては憩いの場所なんでしょうね。































独り言-336 『アメリカ人みたいな今時の娘』

2012年02月23日 | 日記








小さな身体に大きなランドセル背負って通学していた子達が、今じゃ大学、高校生になって「飴やカード」から

「男女関係」に興味は移行して毎日毎日忙しい。午前中の暇な時間帯に高校の女の子が「★★ちゃん、ちょっと休憩させて」って遣って来て携帯いじってる。

「今日は学校は?」「11時5分から」時計を見上げると11時回ってる。「おまえ、もうその時間やで」







「ああ~もう学校嫌やぁ」「気がのらん時あるわな」「ちゃうねん、ホンマに嫌やねん」学校行く衣装じゃないね。

夜のお勤めに出るホステスさんみたいやね。「昨日は彼と楽しかったんか?」「うん」「そらぁ良かった」

男の子の中に混じって野球やってた女の子が、もうこんなになってる。「★★ちゃん、A子知ってるやろ?」「ああ、知ってるよ」







「妊娠してん」「ゲッ」吃驚した。「17歳やな?」「わたしと一緒」相手は同い年の専門学校生だと云う。

「あんたらの付き合いってのは、もう行くとこまで行くような付き合いなの?」「うん」「ゲッ」吃驚した。

「そいで嫌になったらバイバイなの?」「そうやで」「ゲッ」吃驚した。「ほいで、またすぐに他の男の子と付き合うの?」「そうやで」「ゲッ」






そんなもんなんだろうとは思っていても、この軽いタッチの応答に、改めて驚愕するがな。リンゴを平気で落としよるな。






















男は働く意思はなく専門校へ通い続けたいと云ってるらしい。A子はストレス溜めて参ってるらしい。3カ月、産む気でいると云う。

「どうすんのん?」「解らん」遊びの積もりだったんだわな。責任とれる奴は少ないんじゃないの?男も女も一緒やなんて云ってもね、

女の子は子供が出来るでしょ。「わたしやったらおばあちゃんに頼むわ」そういう問題か?






「A子は別れるつもりやねん」「ええっ~?」「働いて面倒みる気ない男なんかあかんやろ?」

しかし、此処までなって別れるって、その男とは愛情がないの?「解らん」「こっちも解らんわ」

「子供は預けて働けるやん」「施設があるね」新聞の三面記事に載ってる虐待事件の予備軍なんかね。






どちみち男ができて連れ子で暮らす。「前の男の種って子供は見られるんやぞ」もっと人生を考えろよ。

子供の人生を考えてやらなあかんよ。生まれたら子供の人生が始まるんだよ。

「おまえもまめに男を次から次へと漁ってるみたいやけど、行くとこまで行く前に相手の本質を見極めてからやないとあかんぞ」






「そんなん解らへんわ」「解らん間は大人の真似すんな」何考えてんやろね?バーゲンセールやないぞ。自分を安売りすんな。

「おまえがオレの娘やったら、こんなの聞かされたら悶絶死しとるわ」今になったら男の子で良かったよ。

肉食男の青春時代は春爛漫やね。アホな女の子転がし放題やね。コロコロ転がされても「恥」を知らんって可哀想だね。






「恥を知らん奴は恥かかん」って言うけど、今の女の子は、そんなのばっかしなの?「守る」ってのが、そんなにしんどいものかね?

云っちゃ悪いけど「ボロボロ」やんか。「清く生きようって思えないのかねぇ」

相手が居ないと我慢できない人って「止めてとまるもんじゃないんだろうね」






相手が居ると息が詰まるなんて云って家ん中篭って出て来ない人も居るし「困ったもんだね」






そんな話をしていたら彼女が帰って来た。今日からテスト期間で早い。送る道すがら「妊娠の話」をしたら

「そらぁ、えらいこちゃあ。今の時代、出るとこ出とかんと将来がないやん」「働かずにどうして生活するの?」「・・・・」

セックスの用意がずさんなんて云ってる。「誰彼なしに遣るもんじゃないやろ。自制心で押えな」アメリカ人と話してるみたい。






「わたしは起こり得る先の先まで考えて考えて行動するねん。簡単にはやらん」てなこと云ってる。

「オレの娘なら、やっぱりおまえがいいよ。安心だわ」「なにがいな?」こいつには負けるわ。






大和川の土手で「カシャ」去年の春だったかな?






































休憩-79 『価値』

2012年02月22日 | 日記







昼下がりのお日さんを背中に受けて、コンクリートの堤防の上に腰掛けカワセミの現れるのを待っている。

カワセミは水面擦れ擦れに低空飛行するね。だから視点を低めに置いて注意をはらうと見つけ易い。

でも、この日は姿を見せなかった。足もとの浅場に何やら動く影に気づき注視すると大きな魚影。ゆっくりと泳いでいる。







日差しが水面をキラキラ光らせてる。







鯉にしては長細い、ボラか?「大和川にも居るんやね」40センチほどのキツネ鯉でした。口もとに髭が見えてる。

昔、淀川で鯉釣りに夢中になってた頃、本命の鯉は皆目釣れなかったけど、竿をしならせて吃驚させられたのは、みんな、このキツネ鯉だったね。

「懐かしいね」






















淀川では野鯉62センチを筆頭に40センチ級のヤマト鯉5~6尾程度しか釣れなかったけど、この大和川では嘘みたいに簡単に釣れたね。

ルアーロッドに横軸リールの投擲練習の合間に、飛ばし浮き仕掛けでパン切れを流すとパクッと吸い込むように喰らいつく。

底が浅いので堤防の上から見下ろすと鯉の姿が見えるので、其処へパン切れが流れるように操作すれば必ず反応しよる。








針に掛かると浅いから横走りするしかない。最初の遁走が凄いね。ロッドがおもくそひん曲がる。ずん胴型の魚は最初の勢いが持続しない。

走るだけ走ると、あとは然程の抵抗もなく釣り上がる。60センチ級を二桁釣るのに何日も要さなかった。

あまりに簡単に釣れると面白みが失せるね。淀川で長い間、鯉釣りに狂ったのは、なかなか釣れなかったからだね。








何でもそうだね。沢山有ると粗末にする。簡単に手に入るものには興味も失せるし価値感も伴わない。

「大きな夢を持て」なんてのも、手中にするには困難で労苦を要す。なかなか掴み取れないから価値は高まり追い求める意欲を失わないし諦めない。

苦労なしでは手にできない。価値とはそういうもんなんだろうね。








今日の写真は大和川のキツネ鯉と同じくセグロセキレイです。































独り言-335 『映画 悪魔を見た』

2012年02月21日 | 日記









 『悪魔を見た』









韓国製の映画なんて観たことないけど怖かったね~。 韓流ドラマなんて騒がれたTV恋愛ドラマ「冬のなんとか?」を奥さんが追いかけていたけど

「何処がおもろいねん?」って文句云ったら「うるさいなっ」って怒られたね。

薄っぺらな男が人気だったね。そんな程度かな?と思いつつ『悪魔を見た』 のDVDを借りたんだけど







とんでもない内容だったね。怖がりの私なので見終わるまでに4回消したね。


  





日本の映画負けてるんとちゃうの?描写が凄いね。イ・ビョンホンが演じる国家情報院捜査官のスヒョン。

重犯罪課のベテラン刑事を父に持つ美人娘ジュヨンと婚約したばかり。

しかしジョユンが血も涙もない快楽殺人犯の毒牙に掛かってしまったことから平和な日常は一変。







最愛の人をバラバラに切断され無残な姿にされてしまったスヒョンは、犯人に絶対的な苦痛を与えるべく復讐の鬼と化してしまうと云うお話なんだけど、

この快楽殺人鬼が凄いね。実際に残虐なシーンが次から次へと出るわけじゃないんだけど、そうなるであろう描写がリアルで怖い。

韓国で上映禁止なんてあったみたいだけど、たしかに馬鹿が真似することを危惧する内容だね。怖いもの観たさで借りたけど感想は後味悪い。





















洋画の残酷映画なんか予告編どまりで本編を観たことないので、此れが一番怖いとは云えないけど、私にとっては、一番怖かったね。

婚約者をバラバラにされてアッタマにきたスヒョンが単独で殺人鬼を追いつめ半殺しの目にあわせては逃がす。

ナビで居所が解るGPSカプセルを殺人鬼の体内に飲ませているから見逃さない。「恨みは苦痛で返す」で、殺人鬼を何度もボコボコの半殺しに遣ってしまう。







スヒョンは兎に角強いのがこの際救われる。これで、コイツが並程度だったら心細くてよー観てんわ。







この快楽殺人鬼はドスケベで次から次へと若い女性を餌食にして厭きることがない。一端捕えられ病院で治療後ベッドで薬で眠らされている。

隣のベッドでスヒョンも傷の手当を受けている。部下の「ヤツに飲ませたGPSの反応はどうですか? 」の問いかけに

隣のカーテンを剝ぐようにして殺人鬼の様子を窺がう。口を開けて眠っている。「薬で眠ってますよ」このシーンから殺人鬼の逆襲が始まる。







何処に居てもスヒョンが、必ず現れることを不審に思っていた殺人鬼は、寝たふりして二人の話を聞いていたんだね。





















殺人鬼は解放された後、薬局店に入ると下剤を鷲掴み店主の首を切り裂いて公衆便所で排泄。便器の排泄物の中に手を入れGPSカプセルを摘まみ取る。

ウンチ丸映しで便器に撥ねた汚れも超リアル。臭ってきそう。此のあとタクシーの運転手をどつき殺して車を奪い走り去る。

何処へ行ったっ? スヒョンは殺人鬼を見失ってしまう。死ぬ手前ぐらいに痛めつけては解放するの繰り返しが裏目に出る。







「今から自首する。其の前に遣ることがある」って警察に予告電話。

殺人鬼はスヒョンの婚約者の家族を血祭りにあげるつもり。単独行動のスヒョンは万事休す。

部下からの連絡で、自首の話を聞いて殺人気が家族のもとへ向かったことを悟る。家族を殺して憂さを晴らし自首すればスヒョンは手出しできない。























殺人鬼は勝ち誇っている。烈火のごとく車を飛ばすスヒョン。携帯で家族に連絡、其の電話を取ろうと義理の父がテラスの階段を上がりかけると

「宅配でーす」門扉に人の影。携帯に出ない。猛スピードで車を走らせる。

義理の父が血だらけで倒れてる。其の顔を鉄アレィでボコッボコッと何度も殴ってる。婚約者の妹が居ない。







「帰ってくんなよ」ってしんどくなってくる。ピンポーン、門扉の開く音。ドアが開いて「ただいま」「お父さん?」椅子が倒れてる。

「お父さん?」半開きの奥の部屋の椅子も倒れてる。様子がおかしいと思ったら入ってくんなよって腹が立つ。

こういう時は一旦表に出て遠い外から「お父さーん」って呼びなさい。殺人鬼の横顔が陰に浮かぶ。「こらぁ、もうアカンわ」







この殺人鬼がなんともタフな奴で全身創痍の状態なのに潰れない。そしてスケベで異常。こんなのと遭遇したらアウトやね。

表情変えずに女性の頭を鉄パイプでどつきまわす。鮮血が飛び散る。もう人間じゃないよ。

復讐は我が手でって、殺人鬼が怖れるほどに何度も痛めつけたけど、此れが裏目になって愛する人々を失ってしまう。後味いいはずないよ。




















こういう映画に馴れた人が観れば「こんなもんよ」って云うかも知らんけどR18禁指定、頷けるね。

日本にも、実際、他所さんの娘さんを自宅に連れ込み殺して死体をバラバラに切って、寸刻みにして下水に流したり、

ゴミ出ししたりして処分した奴が居る。こいつらの世界って一体なんなんだろうね? 「コワバラ、コワバラ、クワバラ、クワバラ」








気分治しに写真を一枚載せておきます。



























独り言-334 『仮面』

2012年02月21日 | 日記








なんとはなしに漠然とスタイルってのが頭にある。いつか思いのままに限られたブログの枠の中で、

自分なりのデザインを決めてやろうかって思っている。大したことではないんだけれど遊びを取り入れたい気がある。

思いつくまま活字を並べたり、写真を貼ったりだけじゃなく、なんでも、てんこ盛りにしたろかなんて思ったりしている。







それが良いのか悪いのか知らないけれどね。ただ、時間が無いのが辛い。思いは有っても、疲れて眠くなるのが困る。

まあ、ボチボチ行っても田は濁るですかね。思ってりゃいつかは成るでしょう。







学校から彼女が帰って来た。なんかコワイ顔してるよ。彼女も疲れているみたい。「ああ~眠い」 提出物に追われて」睡眠時間を取られているらしい。

「ドラマも観たいし、ゲームもしたいし」 遣りたいことが詰まっているのに「 バイトは行かなあかんし提出物は仕上げなあかんし」

寝る時間が無くなるわなぁ。若いってのは凄いエネルギーなんだね。思い起せば、オレもそうだったねえ。若いときって回復力がキモだね。







無理や無茶しても寝たら復活しとるもんな。







コンビニの店の前にゴミがこぼれ出たビニール袋が落ちている。話しながら、さも当たり前のように拾ってゴミ箱に捨てている。

公徳心が生きているね。君は、オレと同じで、口では、出任せ云って仮面を被る部分があるね。

それも、危なっかしい台詞が多いみたい。なんでも正直なのに、自分に関わることには仮面を被って出任せを云ってるみたい。







本質はね、その人のなんでもない行為で見てとれるもんだよ。そういえば、最近、仮面を被った君をあまり見なくなったね。

取るに足らぬ話を交わして僅かな道のりで気分が変わるのかね? 機嫌が良くなってる。「寝てるときが一番気持ちいいっ」って笑ってる。

其のとおりだね。その笑顔が君の本質を物語ってるよ。







この日曜日に、撮り溜めた写真を整理しました。大和川のカモです。



























独り言-333 『下手な写真も数撮りゃ当る』

2012年02月19日 | 日記








「ああ~疲れたぁ」写真を撮り溜めたままにしておくと整理が大変ですね。

今日は朝から、此れに没頭しておったね。鳥を追いかけて取り捲ったのが凄い数やね。

後から見るほうが、上手いこと撮れてるやんって思えるのが混じってるね。







撮って帰ってきてパソコンに取り込んで等倍にして見て満足したことない。下手糞の癖してどこかで期待してんだろうね。

昨日かな? フォトアルバムチャンネルにハードに残ってる写真を載せてみたけど、やっぱり冴えないね。

画面がちっちゃくてアカンわ。ブログの画面に横幅1000ピクセル(35,278cm)に縮小したものを載せるほうが迫力あるね。







最も説明書きをきっちり読まないから操作を理解してないかもね。邪魔臭いの。

他人(ひと)さんの写真を勝手にお借りして貼るのは、ええ加減にせんといかん。しまいに怒られる。

サイバーショット(DSC-HX5V)で撮った写真と一眼レフ(canonEOS50D-EF70-200mm2.8L USM)で撮った写真では、やっぱり全然違うね。







コンデジも進化したと云っても、まだまだ精細さはほど遠いですね。面倒がりですから望遠が性に合ってます。

遠くからでもシャッターチャンス狙えますから楽なんですね。だから高級なEF24-70mmF2.8L USMのレンズを使う機会がないんです。

カメラ関係の記事読んでると、かなり、いい写真が撮れるらしいですけどね。でも、腕がいい場合の話でしょうね。







何処かの道で出会った犬や猫なんか撮るときは望遠はいいですよ。逃げないから。





















この猫ちゃんは、大和川へ出かけた際に川原に出る階段辺りで休憩中の処を「カシャッ」飼い猫かね?近づいても動かんかったね。







冬場の大和川の川原では、カモ、サギ、カワウ、ハクセキレイにセグロセキレイ、モズ、カモメ、ゴイサギ、コチドリなどが見られる。

変わったところでは、単体だけれどカワセミが居る。コイツの巣を見つけた時は、行動の基点を押えたから、

よく姿を捉えたけど用心深くて「近づけない」動きも俊敏で、シャタースピード上げて撮ってもボケるのね。








コンクリートの堤防に生えた雑草の塊の中に巣がある。其の前は枯れ草や雑草の枝などが目隠しの役目を果たしてる。

脇からだとそれらが邪魔して上手く撮れない。或る日、必ず、もうすぐ帰って来て「巣の前の枝にとまる」って読んで、

堤防の下で姿を隠して待つことにした。ここからだったら、いつも止まる枝を遮る障害物はない。帰ってくるコースは解ってる。








「長いね」「来ないね」「ダレるね」三十分ほどして読みに自信なくなってきたなぁって余所見したら、頭の上を飛んだっ。

枝の天辺にとまった。カシャカシャカシャカシャカシャと連射で「撮ったあ~あれぇ?」撮り終えたら飛び去った。

「違うやんかぁ」なんや知らん鳥やん?モニターで観ると、黄色ぽい色した鳥が映ってる。



















パソコンで調べたら「モズ」って云う鳥でした。レギュラーな鳥らしいけど「初めて見たね」可愛いね。



















ネットに鳥の写真を投稿されてる人のを見ると、皆さん「とんでもなく大きく鮮明」に撮られている。

こんなの見るとアホらしくなる。カワセミなんかでも芸術的なのがあるよ。

オレなんか、この程度が精一杯。(上の写真)こいつ、全然じっとしとらんもんね。







私は「カワセミ」で鳥写真をやめました。


























独り言-322 『映画 小川の辺』

2012年02月18日 | 日記






日常を考えずに一度空っぽになって何処かをふらつきたいね。カメラを肩に掛け当てどなく彷徨うの。

今は寒いから、そんなのしてたら凍るだろうね。鳥たちはいいね。着の身着のまま自由に飛び回って上から下から斜めから好きな角度で物を見れる。

人間は、例えば、ひとつの建物を方向変えて見るだけでも大変だよ。ヒョコヒョコ歩いて回らねばならないもんね。


















駅のホームの先端にカメラを持った連中が背中丸めてたむろしてる。

興味のない者からしたら「寒いのに何遣ってんの?」って、半分馬鹿にしたよな思いで見てしまう。電車が来ると、其々がカメラ構えて撮っている。

「いつも変わらず走ってるやないの」ビュービュー風吹く川原で、鳥を追いかけジッっと丸まって待ってる奴にも同じ思いの視線を感じるね。





狙いの鳥が飛んだのかね? カメラ構えて撮っている。「いつでも変わらず居るやないの」





















お洒落して車や電車でお出かけする人たちもご苦労さん。日頃の自分を衣装で隠して誤魔化して余所行き言葉で架空の自分に精を出す。

相手も負けずに余所行き姿勢で待っている。嘘で固めた同士が騙しあって隠れた中身を探り合う。

「あっステキ」 「おっいいね」 なんてのは、哀しいけれどいつまでも続かない。幻滅のない夢なんてないもんね。






不明なベールの向こうに想像たくましく嘘の時間に酔いたいんだろうね。

其の日、其の時の姿を留めたい。其の日、其の時の想いを留めたい。追うものは違っても追い求める想いはおんなじなのかもね。





















「小川の辺」(藤沢周平原作)って時代劇をDVDで観た。親友であり妹の夫でもある男を討てと藩命を受けた武士の旅を綴った義と情の物語で、

主人公の朔太郎を東山紀之が演じている。東山紀之って上手いのか下手なのか解らん役者やね。そこそここなしてるって感じかね。

この映画は安上がりに出来てる。役者に大したのが出てないね。雰囲気で、なんとかもっている。






親友役の役者は大部屋の人かいな?って思っていたら片岡愛之助とあるから歌舞伎の役者かね。

「ど下手糞の大根っ」主演に芸不足な人を配役したら脇はしっかりした役者で受けてやらんともたんよ。

「妹役のブスは誰なの?」子供時代の女の子もブスってのがリアルやね。






大根とブスを捜し求めて旅立つ東山紀之と付き人の若者。

映画の7割がたが、この四人で占められているから質感が軽い。テレビドラマほどの制作費で創ったね?

東山紀之さん、あんたの使う日本刀は竹に銀紙貼ったペラペラに軽い奴ってバレバレやね。もう少し重量感をもたせる芸を身につけんとあかんよ。






触れたら切れるって恐さを感じさせないと折角の殺陣が台無しになるよ。まあ、相手が大根だから竹でもスコスコ斬れるでしょうけどね。



















休憩-78 『足蹴り』

2012年02月18日 | 日記






なんか、今日は彼女の顔見たの久しぶりって感じがしたね。

事務所入るなり 「臭いっ」 煙草吸ったあとだったね。うちわで煙を扇ぎ出してると バンッと足蹴りかまして怖い目で睨んでおる。

こいつ、かなり暴力的女じゃなかろうか?って思う。これで、たしか三発目と記憶する。「みんな彼女が悪い」 本当だから仕方ない。







煙もはけた頃、陸上の中学小僧とテニスの中学女子らが居る中へ例のアホ高校男子が押し入ってくる。

呼びもしなけりゃ用も無いのに何しに来るの? いろんなの来るけどコイツ、なんか浮くね?

席を外して用事済ませて戻ると、狭い処へ椅子出して駄弁り始めてるので「お開きや。出ろ出ろ」って追い出す。







玄関口で「★★ちゃん、★★ちゃん、あいつ声かけてもフンッって、なんやねん、老けババがっ」って身振り手振りでアホ高生。

おまえ頭も悪そうやけど口も悪いね。「あの娘(こ)はね、変わってるの」

おまえは老けババに見えるかも知らんけど、オレから見れば、ちょっと大人っぽいけれど、随分と可愛く見えるけどね。







事務所に残ってる彼女は「吾れ関せずの風情」が似合ってるね。「★★ちゃん、行こ」 「おう」送りに出る。

おまえは平常心が身についたね。常に明るさを維持できる娘(こ)になったね。もう安心だわ。

「もの凄っ寒むっ」 「明日は4度って云ってるよ」 「★★ちゃんっ寒いわっ」って風に煽られて笑ってる。




















コンビニで彼女に隠れて「煙草、ラーク1ミリ」って小声で買ってるのに、向こうで睨んでるやないの。聡い奴やね。

「★★ちゃん、貸しっ、捨てたげる」もう何度云われてるかねえ。「なんでラークに変えたの?」 「日本の煙草は葉っぱが福島産で放射能が一杯」

「煙草自体が悪いのに放射能もくそもないやろ」 一理あるけど、なお悪いもの吸うほど馬鹿ではないのだよ。なんて呟きながら外に出る。


 



風がめっぽう強いね。ビユーって吹いて、彼女の長い黒髪を煽って宙に舞わしてる。「うわー髪の毛があー」って騒いでる。「ウ~ム、色っぽいねぇ」






















独り言-331 『表裏』

2012年02月17日 | 日記







いつだったか、北海道から本州に向って津軽海峡を渡るヒヨドリの群れを追う番組をテレビで観たことがある。

ああ~これがヒヨドリかいなって思いつつ夕飯頂いてたね。ハヤブサだったかな?

待伏せたり、追ったりしてヒヨドリを海面に追い詰めて襲うんだね。「ヒヨ~ヒヨ~」って逃げまくり飛びまくりひたすら本州を目指す。







飛び方が少しユニークだね。羽根をバタつかせたかと思うと畳んでスーイスーイと飛ぶから直線的じゃなしに軌道は波型になるの。

身体が柔らかそうで「ちょっとキモイ」って感じがしたけど、そう感じたのは、オレだけかもね?







或る日、前の公園で 「ヒヨ~ヒヨ~」って鳥の鳴き声に「あれ?」って気になり窓越しに眺めてると、

スーイスーイと、何処かで見たような飛び方をする鳥が木から木へと渡ってる。濃いグレーがかった色で胸毛に斑点模様がある。

「ヒヨドリやんか」 よく見てるとスズメと行動を共にしてる。スズメが飛ぶと、同じように飛ぶ。地面に降りると、こいつも降りてる。







仲間は居ないみたい。独りぼっちかな? 迷子かな? 孤独が好きなタイプかな? 仲間外れかな? なんて考えながら見てる。


























カメラを取り出して「窓の近くに来るかもね」って構えて待つ。「来たね」 カシャッ、カシャッと撮ってやる。

「おまえ、北海道から来たの?」 「・・・」  人見知りする無口なヒヨドリやね。

「オレも人見知りするんだよ」 「・・・・」  無口だねぇ。「オレも無口だよ」 嘘つけ。







表向きは、誰とでもよく喋るかね?でもその実体は、人見知りで無口なんだよ。「ホンマかよ?」 常日頃の姿なんて作り物ってのが相場だよ。

いい人は実は悪い人。愛想の良い人は難しい人。優しい人は実は冷たい人。明るい人は暗い人。いつもニコニコの人は裏ではジメジメと湿っぽい人。

ものわかりいい人は実は片意地な人。鷹揚そうな人は器のちっちゃな人。許容の有りそうな人は心が狭い人。







強そうな人は弱い人。賢そうな人はホントはアホ。 「ホンマかいな?」

本当です。私なんかおおかた当ってますね。ハズレは「賢そうな人」と「強そうな人」ぐらいです。もともと弱そうでアホそうですね。

でもね、其れでいいんじゃないんですかねぇ。根を変えよう、こう有りたい、このようになろうって思いが、そうさせるんですよ。






努力ですよ。悪い部分を知らない人は清くて美しいでしょうが人の弱さが解らない。

だから、究極の冷たさと隣り合わせって面がありますよ。コワイよぉ~。

弱さやズルさや冷たさの情けなさや見苦しさを知っているから嘘を作る。そんな嘘が習慣になれば、いずれは本質となるもんなんですよ。






そうして人は作られていくもんじゃなかろうかねぇ?「おまえ、都合がいいね」

水清ければ魚棲まずってね、 清廉潔白もあまり度がすぎると、他人のあらを見つけては咎(とが)めだてするようになり、

終いには友人を失い孤立してしまうようになる恐れがあると云う。自分と戦うことを繰り返し生きて往くのが人間なんですよ。






人見知りで無口なヒヨドリが、そんなことを教えてくれました。「口から出任せもエエとこやね」



























カメレオンの独り言