カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-557 『映画 ワイルド・ギース』

2012年10月31日 | 日記





久しぶりにお話が浮いてこないね。う~ん・・・・ウンコでもするか。「おまえ、そんなの初っ端から云う台詞か? 無礼者っ」 すまん。










離婚されたのかな? いつもひとりで映画に行ったり、買い物行ったり、活発なおばさんが居る。娘さんが一人居たっけ?

その人が、最近、げっそり痩せて元気がない。「どうしたの?」 「あかんわ、しんどいねん」

「しんどかったら、家でゆっくりがいいよ」 「なにもする気が起けへんねん」 「医者は?」







原因不明の症状らしい。最近、同じ症状で来院する人が増えているらしく「精密検査もしたけど解らんねん」

胃腸に影響して、食欲があるのに喉が通らないなんて殺生やね。

「ああ~、食欲の秋やのにつらいわあ」 「あっさりしたものを頂けばいいやん」 「あかんねん、あげそうになるねん」







大きなナイロン袋に荷物が一杯、「何処へ行ってきたん?」 「病院、こんな缶詰10個も持たされて重たいわ」

「流動食か?」 「そう」 「お粥さんのほうがええやろ?」 「うん、せやけど作る気がせえへんねん」 なるほどね。

五十半ばかな? 人生は、おちょくりよるからね。一人で気楽に楽しんでいるものをいじめてやるなよ、神さんも酷だね。







宝くじを買い続けても当たらない。当たってる人は必ず居るらしい。でも、当たらない。「ふざけんなよ」

逆に、悪いことなら当たらないことが幸い。「良かったあ~」 其の違いだね。



















95歳で眠るような老衰死の人も居れば、かたや同い年ぐらいの人は植物人間になって死ぬこともできない。

本人の意思による書置きがないから、残された者たちの判断に委ねられる。息子娘のうちの二人は、「楽にしてあげよう」といい、

あとの二人は「治るかも知れない」と、希望にすがって拒んでる。







「脳死状態やろ? 死なしたるべきや」って、彼女の判断にいささかの迷いもない。

わたしなんか、もし、そうなったら「死なせて」って、家族に言ってるらしい。「臓器も使えるなら使ったらええ」 らしい。

無駄の無い意見だね。彼女の持ち味だね。ダラダラと流れ滴るような意見を聞いたことがない。実にあっさりしとるわ。







響きに軽薄がないということは、何事も意味深く思考を巡らして答えを引き出すことに熟練しているね。







迷い迷いつつの意見を言うということは自信がない自身のなせる姿かね。

右か左、答えは二つに一つ、迷いながらの「左」より、毅然と「右」と指し示されるほうが、お任せで待つほうも「納得」できるね。












『 ワイルドギース 』 1978年度作品 英








昔、梅田の映画館で「ワイルドギース」って洋画を観た。他国の戦場へ、金を稼ぐために出兵する男たち(傭兵)の物語なんだけど、

アフリカのジンバブエだったかね、反政府軍の指導者を救出する作戦を容易にこなして飛行場で迎えの輸送機を待つ彼ら。

でも、迎えの輸送機は、着陸したものの、Uターンして離陸、彼らを見捨てて去って行く。




















利権を天秤にかけてる雇い主が、裏切って彼らを見捨てるんだね。

隊長のリチャード・バートンはじめ、彼に無理やり誘われて参加した戦友のリチャード・ハリス、それにロジャー・ムーア他50名ほどの兵士は

過酷な状況に置き去りにされるんだね。相手は、「殺すことで良心痛むどころか喜び狂う」ような野蛮な黒人部隊なんだよ。「怒るどっ」















黒人部隊はコワイほど映画は面白い。「おまえらは考えなくてもいいんだよ」ひたすら野蛮がいい。「ほんまあ~なんちゅう奴やっ」

それに引き換え、傭兵たちの格好いいこと、黒人部隊皆殺ししても、あんたらは死んだらあかん。 「こいつ、山刀で首飛ばすっ」















作戦立案に長けたリチャード・ハリスには、イギリスに残した一人息子の少年が居る。彼の作戦で陸地からの脱出を図る。

途中、黒人部隊と遭遇、戦いを繰り返しつつ辿り着いた村で白人宣教師と出会い、村外れにポンコツ輸送機があることを教えられる。

折りしも、黒人大部隊が彼らを包囲、絶体絶命の窮地。激しい戦いが繰り広げられる。







旧知の戦友が、次々と倒れていく。ロジャー・ムーアが輸送機を操縦して離陸スタンバイ。指導者を担架にのせて輸送機に運ぶ。

荒地の飛行場の周りから野蛮人が黒々と姿を現す。「黒人部隊だろうがっ」 この際、おまえらは野蛮人でいいんだよ。「このおっさんっ」

飛行場を駆けて搭乗する味方を援護するリチャード・ハリスら数人の兵士、「見捨てられるぞ」 「待てっ」 リチャード・ハリスは、 

ビクつく兵士を諌めて機関銃で援護の役目を果たす。



















搭乗を終えたリチャード・バートンが「来いっ」と怒鳴る。駆け出す援護の兵士、野蛮人が涌いて出る。

すさまじい銃撃音、弾丸を受けて倒れる兵士が格好いい 「どういうことや?」 野蛮人には解らん。

文明人には、倒れ方にも、こだわりの「美学」ってのがあるんだよ。「へええ~?」






輸送機は滑走を始めてる。走る。ハッチにしがみついてる兵士を押し上げつつ走る。走る。もう、野蛮人を止めるものはない。

ドワーと出てきて追いかけてくる。「格好ええなあ~」 なにぃ~、どこがや? 野蛮人の何処が格好ええねん? ただの真っ黒けやないか。






もう、ひとり、押し上げ、引っ張り上げる。最後にリチャード・ハリスがハッチに手をかける。

リチャード・バートンが手を差し出す、走る、走る脚に被弾する、ハッチから手が離れる。リチャード・バートンが叫ぶ。

リチャード・ハリスが片足引きずり走る。「機を止めろっ」 バートンが怒鳴る。

操縦するロジャー・ムーアが「止めたら、もう、飛べないっ」 バートンがうろたえる。






























ハッチから乗り出し見るとリチャード・ハリスが遅れている。「息子を頼むっ」 「息子を頼むっ」 何度も絶叫が走ってくる。

「撃ってくれっ」 「撃ってくれっ」 捕まったら拷問されて殺される。「だめだっ」 「だめだっ」バートンが怒鳴る。

悲惨なシーンだったね。距離が離れていく。黒々と野蛮人どもが追ってくる。 破顔のリチャード・バートンが機銃を発射する。


































二つにひとつの決断だね。この場合は、ひとつを実行する重さだね。

苦しみを排除するための苦しみの決断だね。当人の力では、どうにもならない状況の時、変わって行動してあげるべきかもしれんね。

「我々が、彼を捕まえて拷問して殺すとは限らないっ」 なに? 「手当てして帰国させるかも知れんじゃないか」 なんだって?





おまえが、おまえたちの常識を知らんのか? 山刀で傭兵の看護兵をズタズタにしておったではないか。

そんな台詞は、おまえたちを白いというのと同じだよ。有り得ないんだよ。「なにっ、山刀でおまえの首飛ばすっ」 正体出たではないか。

「今の世で、こんな露骨な偏見野郎居らんでっ」 うるせえっ、アフリカでサルと走ってろ。






映画案内もどきを我慢できなくなって「禁」を破っちゃった。「どうなっても知らんぞぉ~」 いやぁ~ん。




















カメレオンの独り言-556 『エリート』

2012年10月30日 | 日記







意識の中の無意識ってのがあるらしい。

呼吸したり、徒歩の際に足を左右交互に出す行為などは無意識なんだね。

抵抗感の無い思いや動作なんかは其れに当たるんだろうかね? 















この無意識のなかで建設的な事柄をこなすことが、多ければ多いほど、その人は才能を持って生まれたことになるらしい。

常に、自分に言い聞かせたり叱咤激励したりで動かせることを繰り返す人は凡人らしい。意識の行動なんだね。

意気込むことも無く、楽しんでいるような能動的な時間と、意識下で処理できる能力を併せ持ったら理想らしいよ。




無意識で対する時間は負荷が無く、能力が自然に稼動する時は、とんでもない力を発揮するんだって。

一流大学のエリートの中に、こういうタイプが多いらしい。支障をきたす緊張感や焦燥感などを感じないからリラックスしてんだろうね。

先行して物事を吸収し処理して進む者は、そんなからくりの仕業がなせるパワーをも理解してんだろうね。




何も学業だけに限らない。ありとあらゆる分野で生かせる技だもんね。そらあ、凡人置き去りに、とんとん前に進むわね。




オレなんか、無意識に眠ってしまうことはできるね。「そらあ、余計に遅れるわな」

意識ってのは、下手にもつと、確かに進行を阻害する要素がある。「眠ろう、眠ろう」って意識すると、眠れなかったりする。

好きな人の前で、思うように話せなくなったり、態度が思いの逆になったりして「なんなんだよおっ」ってなる。





無意識に行動できるってのは、作為がないしストレートだから嫌味がないし、肩張らないから気楽だね。

例えば、人の目を気にして自分を作って見せても、そんなの見てくれず、気が抜けた普段の自分を見られているもんなんだよ。

現に、自分も、そういう視点で人を見てしまうもんね。人って、構えていない時に本身がでるもんだから。















犬でもあるね。遊びの相手になってやると夢中になる。一旦、やめて、間をおいて、また相手になってやる。馬鹿ほど興奮しよる。

で、また、やめる。其れを何度か繰り返すと、制止の間隙を、横向いて舌だしてハアハアしてんだけど気配を窺ってるんだね。

だから、無理にじらして見てると、随分と意識してんだね。で、「こいつ、知らん顔してるけど構えとおるわ」なんて笑うと、

「バレタかあ~」なんて感じで、言い当てられてバツ悪いのかして、やたらジタバタした挙句、辺りを独りで走りまくるの。「馬鹿だね」




昔、パチンコでも、そうだったね、いつも終了して強かった。 で、あれこれ予定を立てて獲らぬ狸の皮算用で行くと惨敗だったね。

勝負は「無」でないと勝てない、勝ちを意識すると負ける。意識ってのは、素じゃなくなるんだね。

持ち合わせた素養を殺しているのかも知れない。素直なものを曲げてしまうんだろうね。




自分の理想像ってのがあるから、それに自分を近づけようと意識する。人が、どう思おうと構わない。

自分の納得が欲しい。だから意識してスタイルを創る。納得できると颯爽とする。

自分自身の採点がすべてなんだけれども、果たして、人さんの採点は、どうなんだろうかね? 「気になるなあ~」















無意識ってのは、捉われない、自由、解放、気侭、本来の自分に素直で作為がない。「無」になれるだろうね。

その中で、実力を試す。足を引っ張るものがない。出し切れるんだろうね。





用意してたオチで終わろうと、意識してたんだけど、何処かへ落っことしちゃったね。何処へ行っちゃったのかな?

いつもは、フィーリングで出てくるんだけど、用意してたら消えちゃった。

「じゃあ、いつもは無意識で書いてるのか?」 そうよ。 「ホンマかよ?」




















カメレオンの独り言-555 『ストリップショー』

2012年10月30日 | 日記







今日は仕事終えてから出かけねばならないお通夜があって、帰りが深夜0時前になっちゃったよ。

世話になった叔母さんが、95歳で亡くなった。大往生だね。うちの親父やおふくろよりも多くを見聞きしてあの世へ旅立った。

向こうで会ったら、いろいろと聞かせてやってね。

















暮れまであと一ヶ月か、早いね。しかし、オレって、ほんまに変わってんね。ブログ始めてから、お休みしたことないんちゃうやろか?

日数より回数の方が遥かに多いで。まあ、駄文の山だから、ゴミの山に等しいけどね。「搾り出して書いてもゴミでは哀しいね」

まあ、仕方ない。利となるところは、ないこともない。




まず、一日一日の積み上げを欠かさないことで持久力を鍛える、発想力の刺激になる、字や言葉を意識するなんてのにプラスかね。

ダラ~っと流していたものを拾い上げ、思いを足してるうちに、気づかなかった発見があるね。

心の整理もできるね。悶々の思いなんかが、幾分なりとも軽くなる。「反面、恥の垂れ流しにもなるけどね」




恥でも本当を書かんと、全部に「創った嘘」が絡んでくるからね。つじつま合わせるのが大変になる。

記憶が悪いのに覚えてられんわ、だから、もろだしのストリップショーでんがあ。「ええねえ~」 おねえちゃん、最高っ。


















毎日、毎日、欠かさず考える、ほんの少しずつでも成長すれば意味がある。

見えないほどの一歩でも、続けていれば、いつか見えるかも知れない。

今ね、う~ん、ちょい頭の回転が良くなったような気はするね。ゴミでも、それなりに文章らしくせねばと汗かくからね。




ゴミの中から「宝」なんてこともないこともない。「オレって、捉えどころが幸せもんやねえ~」 おねえちゃんっ、こっち向いてえっ・・・・うっとり。

















ごめんなさい。今日は、時間無いので粗仕上げです。


しかし、大阪梅田駅周辺はころっと変わったね。阪急電車乗り場へ行く通路を迷っちゃったよ。「何処の田舎のおっさんだよ、まったく」






















カメレオンの独り言-554 『お花畑』

2012年10月28日 | 日記







Windows8、iPhone5と「おっ」ってのが、次から次から出てくるね。「いいね」

こんな、おっさんでも興味あるんだから、若い人は、皆さん、欲しいんだろうね。

XP、Windows7と、文句ない出来だから用途には、なんの不満もない。タッチが無いだけ、でも、これが誘惑するよ。














しかし、新製品は数ヶ月経てからでないと不安が同居する。暫く様子を見てからと、いうことで我慢しとこ。









今日は、朝から雨だね。8時に目覚めたけど「もう、ちょっと寝とこ」って寝直したら10時を回ってる。

「静かだね」 コーヒー入れて、しばらく「ボ~」として「朝風呂入ろ」 休みの日の贅沢だね。

映画紹介もどきを書きたいね。写真貼りまくって好きなこと書いて自分で悦ってる。オナニーだね。




なにか、次から次から目新しいことが欲しい。その場に居合わせて感じたことを書きまくる。「面白いね」

でも、何もないよ。無さ過ぎだよ。オレの人生は、そういうのが欠けてるね。平和といえば平和だけどね。

彼女は、其の点、有り余るほどの経験を積んでるんだろうな。視野が拡がるだろうね。人ってのは、いろいろ居るからね。




干支の性質かな? 動かなくても平気、動いたら力がある。彼女は、いつも走り回ってるね。

うちの奥さんなんか執念深くて怖いしね。息子は、オレと同属でのんびりしてる。「そういうもんかも知れんね」




一眼レフばかり使っているから、防湿庫に仕舞っているコンデジのサイバーショット(DSC-HX5V)の存在を忘れていた。

「いまだにマッチャラケやね」 カシャ、カシャ撮ってみると気楽でいい。綺麗に撮れるね。

話のネタも、被写体も、一歩外へ出れば転がっているのかも知れないね。「どうだろうかね?」 考えるなよ、考えると止まるから。




オレがエンジンかかるのは、不思議と寒くなりだす頃だね。晩秋や冬の方が落ち着くのかも知れないね。

来月あたり、妹の婿さんに送ってもらったジャケット着込んで、コンデジをポケットに突っ込んでウロウロ出かけてみようか。

















机の横っちょの窓開け放ってパソコン遣ってると。首筋抜ける微風が冷たくて気持ちいいよ。





先週の金曜日、某私立大学付属の中3の女子が、付き合いだした男子と別れたって報告してる。「なんで?」 笑ってる。

周りの奴等が、「あいつはヤンキーやで」って、云ってたね。おとなし風を装ってるけど遊び慣れてる奴だってのは解るね。

強引な奴で「オレ、彼女の彼氏」なんて云って、女子の家へ日勤しとったね。オレには、考えられん行動やね。




「イモみたいな男子はどうした?」 「あかん」 あのね、イモみたいな奴にいいのが居るんだよ。心優しいんだよ。

「解ってる」 ああ、解ってるの? 「でもな~、ちょっとな~」 雰囲気が出ないの? 「そう」 笑ってしまうね。

イメージがあるんだろうね。慣れてしまえば同じなんだけどね。




おまえなあ、狭いとこ無理して入って来るなよ。「ええの、ええの」 なんで擦り付くんだよ。

こいつも、一時の彼女みたいなことするね。年頃なのかね? ふつう、おっさんなんか避けるもんなんだけどね。

「★★ちゃん、ちょっと待ちや」 背中向けて何してるの? 「ほらっ」 振り返って歯を見せて笑ってる。「おっ、もういいのか?」「うん」




「おお~綺麗になったね」 長く矯正器具を歯に嵌めていたのを、外せる時期に来たらしい。嬉しそうに笑ってる。

「モテるぞ」 「あかん、誰も居らん」 この前、メールの連中見せておったがな。「あかんねん」 訳解らんね。

「話が下ネタばっかしやねん」 なんて云ってる。そういうのに興味盛んな年頃なんでしょ。合わせておけばいいんんだよ。




話しているうちに気が合う奴も見つかるよ。「★★ちゃん、返事くれへんかったやろ?」 ああ、そういうと2回程、飛ばしたね。

おっさんに打ってないで、そこらの男子に打ったれよ。「どこの?」 ほれ、あそこで、ええ奴等が群れてるがな。「何処がええのん?」

笑ってしまうね。好みじゃないの? 「★★ちゃんは解ってないなあ~」 解らんわ。




つい前までランドセル背負ってた子が、もう、娘に成長している。光陰矢のごとしだね。

そういえば、変わらず顔を覗かせる女子たちが、皆、揃って娘になってるね。オレは、学校の用務員のおっさんかよ。

「うわっ、おっさんキモい、あっちへ行け」なんて嫌われるよりはいいけどね。オレの周りは、お花畑だね。















次々と成長して、それぞれが自分の人生を生きて往く。誰も彼も幸せになればいい。今のおまえのように笑い転げて楽しく生きれればいいね。



















カメレオンの独り言-553 『人生劇場』

2012年10月27日 | 日記







人の行いというのは怖いものがある。長く生きてくると「そんな馬鹿な」って、否定するようなことが実際にあることを知る。

因果応報って言葉があるけど、自分の人生に起こる事柄は、過去、自分の行為が、形を変えて反映して戻ってきてるように思える。

自分優先で、他人(ひと)さんへの迷惑など顧みず、おざなりな仕事で切り抜けてのうのうとしていた人が、今、困っている。





助けてあげたいけど、オレには力がない。オレみたいな処まで足を運んでくるんだから藁をも掴む思いなんだろうね。

何がどのように反映するのかは解らない。ただ、続かないってことなんだろうね。

なにごとも永続させるには、其れ相応の努力がいる。これなくして継続はない。
















人間性を問われるんじゃないのかな?って、思うんだね。

仕事がおざなりで、いい加減な存在でも許せる人もいる。同じことをして許せない人がいる。

それは、心が伴っていない人なんだろうね。自分には鈍感でも人の行為の裏側は見えてしまうからね。





人のお陰っていう感謝の思いが欠落してんだろうね。生きていれば、誰しも立場は違っても、まわり回って恩恵に預かっている。

そういう脈絡の恩恵に鈍感になってはいけない。傲慢になるんだろうね。

傲慢を押し通せる間は、快感伴っていいだろうけど、哀しいかな続かないから、やがてお釣りが来る。





見えないところで助け助けられて生きている。この意識が希薄な人は、助けて欲しいときに弾かれる。

弾いたりなどしたくはないけれど、助けてあげる力がない。「しかし、格好わるいなあ」 

オレのこの貧乏症は、いっこうに変わらんがな。前世で、相当の贅沢しまくったんかな? 「全然、記憶にないんですけど」





選りによってオレとこ来んなよ。「相変わらず貧乏だね」なんて、改めて教えにくんな。あんたの醸す不快感も変わらんよ。
















しかし、考えたら、オレって「ホントにアホやね」 何も考えてないね。「無様喰らうぞ」 喰らえばいいんですよ。

金持つだけ持っても、先々、不安で堪らん云う人がいる。

で、いい儲け話にのって騙されて「退職金が無くなった」なんて嘆いてる人もいる。おじんになって何使うのん?「あんたもオレと一緒になったね」





おじんの、先々って、死ぬだけでしょ。「植物人間になったらどうするんやっ?」 「癌になったらどないするんやっ?」

暗闇の見えない先は不安なものですよ。それに対処できる資金を持っても不安は消えませんよ。「病院が喜ぶだけですよ」

そんなアクシデントのために金があるのに、「癌かっ?」「脳腫瘍かっ?」「愈々老衰かな?」なんて、次の不安が待っていますよ。





「人のために、微力ながらも何ができるか?」 これに傾注して生きればいい。用が済んだら、どんな形にせよ死にますよ。

死というものを、殊更、怖がることもない。若い子たちは生きねばならん。年老いたものは死なねばならん。

全人類、全生物の宿命ですよ。すべての人が、肩を並べて平等、公平に逝ける最初で最後の機会じゃないですか。
















幕が開ければ、芝居をこなし、芝居が終われば幕は閉じますよ。今度は、「いい役貰おう」って、欲出して逝けばいいんですよ。

「人生劇場か」 まさしく、この世は人生劇場ですね。最後まで、いい芝居を演じて終わりたいですね。

















カメレオンの独り言-552 『癒される』

2012年10月26日 | 日記






野良猫の運命もいろいろだね。

あちらこちらを徘徊していたニャンコが、今じゃ、オレを通り越して、いいところの子になってる。

「なんなんだよぉ~」 ニャニャニャニャニャ~「笑ってんのか?」















人間も、玉の輿なんてのがあるね。

でも、越さなきゃならん家柄、格式に家風なんちゃらの関門が立ちはだかってる。ひとつの戦いが始まるね。ここで潰れちゃうのが多いみたい。

人生を賭けなきゃ納まらないお返しが待っている。「キツいんだろうね」 「私は、爺婆と結婚したんじゃないわっ」 なんてね。 




階級上がるということは、徒歩にて階段上がるが如し。

労せずしてエレベーターやエスカレーターで上がっても、落ちていくのも、それに比例する。

其処へ行くと、ニャンコの野郎は気楽なもんだね。




こいつらにしたら、至極、当たり前の仕草で「可愛い、可愛い」って、親方喜び狂ってるもんね。「わたしは猫になりたい」

ブログをあちこち開いたら猫や犬の写真を貼りまくって、花やらなにやら絵文字だらけのコメントで飾ってるもんね。

「なんなの?」って思ってしまうよ。















自分を飾らず、偽らず、隠さず、あからさまに見せて「可愛い、可愛い」と、大事に可愛がって貰っている。

嘘がないね。これは大きいよ。馬鹿らしいように見える中で、彼らは、人間に教えてくれているのかね。

ありのまま、其れが本来の自分なんだろうね。




自分が嫌う自分を隠す、繕う、善く見せる、人間は、知恵があるから嘘を使う生き物になるんだね。

「カメレオン」の人生を生きてきたオレなんか、その代表例だよ。知恵を使いすぎて、どれが本当の自分か解らないよ。

救いはね、嘘が本当になる場合もあるんだよ。知らず知らず色に染まるんだろうかね。徹すれば真だよ。




昔、藤田まことって喜劇役者が居た。TV時代劇の「必殺仕掛け人」の中村主水役って云えば、若い人も知ってるね。

この人が、若いときにラジオの持ち番で「嘘から出た誠、藤田まことです」なんて自己紹介するんだね。

彼の意図するところは違うかも知れないけれど、嘘も貫き通せば本当になるんだよ。それも、ひとつの努力だろうね。















若いあいだは、本来の自分の姿が脳裏にまざまざと存在して、漏れ出ることを必死で隠すことに気を張り詰めて疲れてしまう。

だから、想いと裏腹な自分を、真逆の姿勢を貫いて押さえ込もうとする。

これを「嘘」とは云わないよ。「戦っている」と云うんだよ。




この世の、ありとあらゆる戦いも、まずは、自分との戦いから始まるんだよ。




この戦いを真摯に受けて立つということは、この世を生きて往ける力があるという実証だよ。

御しがたしほどの本来の自分であればあるほど、これを制して仮面に徹する自分の強靭さに注目すべしだね。

疎ましくて堪らぬものが、そのお陰をもって自分を鍛えて強くしてくれていることに感謝すべしだね。




そして、本来の自分を愛おしく守ってやるべきだろうね。其れは、誰でもない自分自身なんだから。

疎ましい「負」というのはね、本当は「種」なんだよ。そこから実になるものが生まれ出でるんだよ。見誤っちゃいけないよ。















人間は、動物たちのように生きれない。単純に生きれないから苦しみ涙する。万物の長たる悩みだね。

だから、人は、単純で汚れを知らない動物たちに癒されるんだろうね。

















カメレオンの独り言-551 『今更、なにが健康に悪いだ』

2012年10月25日 | 日記







煙草を気兼ねなく吸える場所ってのが、無くなってきたね。

あちらもこちらも禁煙で締め上げてるのに売っている。馬鹿どもの賛同を得て税金かけ放題で売らせている。

で、買ってくれる人々を邪険に扱う。「なんか、おかしくないのかよ?」 害のあるもん、まず、製造させるな、アホ。















習慣になってしまったものをやめるってことは難しいね。空気吸ってるような当たり前の感覚なってるからね。

煙の中で育って煙の中で生きてきた者に「今更、健康に悪い」なんて、よく言うよ。

「煙を知らない若い子らを守ろう」って、云うほうが素直に聞けるよ。






自分で言うのもなんだけども、俺はもともと厚かましく出来てない。

気より先に身が引く性質(たち)だから、利になることで前に出張るなんてことがない。

損になることは、わざわざ前に出ることはなくても、その場から逃げない。「なんでオレなんだよ」って、引き受けることが多い。






オレが遣れば誰かが助かるからね。ただ、その上に、安く人を見切って乗ってきやがったら人間変わる。上も斜めも下もない、破壊する。

人への思い遣りも同じだね、自分の意思で損を損とも思わぬ思いがある。

この思いも、安く見切って被ってきやがったら破壊する。思いは、自分の意思と情のなせること、気安く計られるものではない。















煙草も、とことん流れに逆らう気はないけれど、害だ、害だと、ヒステリックに、ここぞとばかりに批難する奴を見ていると「胸糞悪く」なるんだね。

彼女も煙に弱い。オレがコンビニで「煙草」って云ったら「ありません」って阻止するよ。 

買ったら「捨てるからね」って、取り上げて隠してる。





煙が嫌で堪らないのに、欲しい者の気持ちも忘れないから角がない。角がなければ物事は転びやすい。

「やめようか」って、気にさせるよ。

おまえは、人と人の間に立てる娘(こ)だね。





なにがなんでも損を排して利を貪る、心貧しき奴らの奇声など聞く耳もたんわ。


















カメレオンの独り言-550 『死んだ過去から生き延びて今がある』

2012年10月25日 | 日記







ブログ書く時にウィスキー嘗めたらあかんね。

小さなコップに僅かしか注がないけど度数がキツイのをストレートだからまわっちゃうね。

憶測で書くなって戒めているのに書いてしまう、心から溢れるのかね。



















「あんたは、過去を次から次から消去して、今だけを生きている無責任な男や」なんて、奥さんが怒ってる。

オレの消去するってのは、振り返らないってことなの。人は脈絡の上に今があるんだよ、そうそう簡単には消し去れないよ。

しつこく捉われないの。過ぎ去ったことに捉われてると、今をも見誤ることになる。






過去は生きて経過して、今は、もうないのと同じだよ。つまり、死んだも同じだよ。

人は、過去から死んでいくんだよ。だから、経験から学んだことを今に生かすんだよ。

「新解釈だね」 うるせえっ、すっこんでろっ。






これからを生きるんだよ。人生に終盤なんかないんだよ。息をしている間は、常にこれからなんだよ。

「今に見てろっ」 オレの十八番(おはこ)だね。沢山、死んで往ったよ。嘯(うそぶ)き、討ち死に、やけくそ、その他いろいろ。

これが解らんようじゃ話にならん。「なりたくないわ」 うるせえっ、すっこんでろっ。



















勢いがある時って、こんなもんなんでしょうかね? 「知らんわ」

本来の自分が解らない。今のオレが、本当にオレなのかな? 「おかしいんとちゃうのん?」

創ってきたのかな? まじめに物事捉えるときと、決まりきった解釈が気に入らんときがある。






はっきりと自分が染まってる退屈な色が見える。グレーだね。「グレーでずっと生きてきたの?」

ちがうね。なにごとも顔が立たない立場を生きていたときは、青だったね。

奥さんと一緒になったときはオレンジ色だったよ。 息子が生まれてコバルトグリーンになったね。






苦しい時代でも夢を追っていたときは赤かった・・・・カメレオンの人生だね。



















ひとつ色に染まるほど、落ち着いた人生じゃなかったからね。そのときその時、器用に色を変えて生きてきた。

「今が、自分だ」という実感がない。カメレオンじゃない自分を生きてみたいね。

器用貧乏なんて言葉がある。自分を生きて来れかったのかも知れないね。






死んだ過去から生き延びて今がある。「今に見とれっ」





























カメレオンの独り言-549 『なめあう奴等』

2012年10月24日 | 日記








人は無視しない。気配だけで反応する自分がいる、逸らすのが嫌い。

逸らされても気にしないけれど、無視されて気分のいいものではない。

だから、人を無視しない。顔を見合わせて「ニコッ」と笑みを交わすだけで心が和む。






でも、人は追わない、独りがいい。人付き合いは広く浅くでいい。

寂しさ埋めるのに人に頼る奴の気が知れん。

寂しさは人では埋まらない、誤魔化しにすぎない。互いに寂しさ舐めあう奴が寄り付くだけで気味が悪い。



















寂しさは向き合うもの、人に依存して癒されるものじゃない。寂しさで人を追うと切が無い。

人が去れば、寂しさが増すだけで、また、人を追う。終わりなく舐めあい繰り返すだけだよ。






寂しさや悩みってのは、自分を強くする糧だよ。

戦うことを忘れて、嘆きを入れて人に頼る、ただ甘えたいんだよ。だから、気味が悪いんだよ。

友達、友達って、云ってる奴に限って、こういうのが揃ってる。






向き合って独りで泣けばいいんだよ、声が涸れるほど泣いてごらん。「本当に泣いたら声が出なくなるよ」 それで人は強くなれるんだよ。





















寄り合うなら、嬉しいことが有ったとき、皆と喜びを分かち合えばいいんだよ。

なぜか、今日は気分が悪いね。ウィスキーのせいかな? 聞きたくもないこと聞かされて笑ってる。

あいつのことも解らんけど、このオレ自体が解らんわ。皆さんも「何のことやら解らんでしょ?」 オレも、なんもかんも解らんわ。























カメレオンの独り言-548 『十年ひと昔』

2012年10月22日 | 日記







懐かしい人が訪ねて来られた。もう、十年ぶりになるかね。

ともに白髪の目立つ頭になって年月の経過を改めて思い知る、十年ひと昔だね。

一日一日積み重ねて3650日、別段の進歩もないまま歳だけとっちゃった。「オレの場合は元気だけが幸いですかね」なんて笑ってる。





過ぎ往く日々の遣り直しは利かない。幻のように消えていく。

濡れた砂浜に足跡残して歩み来るようなものだね。振り返れば、打ち寄せる波がきれいに消し去ってる。

一日の上に生きている時間ってのは大事なもんなんですね。





























カメレオンの独り言-547 『なんか面白いことないかね?子猫ちゃん』

2012年10月21日 | 日記






いい天気だね、空は青く清々(すがすが)しい。

ちょっと、カメラ持って散歩でもしたろかいなと、思うね。「思うだけかよ」 思わないよりは行動的に属すよ。

引きずる思いで出てしまうと、それなりに被写体になりそうなものに目がとまる。解っているのに「何を撮るねんな~?」でとまってしまう。





前もって考えて目的ないと行動に移れないから出だしが悪い。いつものパターンやね。

ここで「草や花しかないのんか?」なんて頭に浮かぶと、もう、ええわってなるんだね。

歳食うと、自分の生息範囲内の事柄は、前が読めてしまうのかして確かめようなんて馬鹿らしい。「やっぱりね」なんてことばっかしやしね。





「なんか面白いことないかね?子猫ちゃん」 ニャイニャア~。















よし、ハードディスクに保存してあるバンドル品の「フォトスタジオ5」の画像編集ソフトをDELLにインストールしたろ。

歳とると不慣れなことに対しては、これしきがコワイんだね。まず、DELLのダウンロードファイルに移動して、そこで起動させてみよう。

移動は簡単。ファイルの内容広げて「こいつやな」クリックする。パッ、「あらまあ」電撃の速さで開いてる。断りも出ないよ。





作業コーナーに写真を出してひと通りツールを試してみる。素早いったらありゃしない。パッパカ、パッパカ作業が嘘のように早いですよ。

「おお~感動やね」 プリウスでずう~っと使ってたけど一呼吸置くトロさがない。「7」でも動くし相性もいいみたい。

諦め切れずにいた手馴れたソフトを使い続けられるなんて「ありがとう」





プリウスは,ペン4のCPU3.2G、メモリが1G(どちらも増量した)だったと思う。このソフトは、意外と重いのかな? 

DELLは、コアのCPU(i5)中クラス、メモリは4Gだから、こちらの方が合ってるのかもしれないね。しかし、嬉しいね。

ショートカットをディスクトップに配置して出来上がり。今日の一日は大きかった。「そんな大層な」 そのぐらいのもんよ。





パソコンも箱の中開けて構成する部品を知ってしまうと身近に感じるもんだね。

理屈など解る筈もないけど「こいつとこいつを繋いで」なんてことが理解できたよ。しかし、これっぽっちで凄いもんだね。

他人(ひと)さんも、そうだろうね。性格とか考え方とか癖とか嗜好とか、人柄が解ってくるほどに近しく感じられるもんだからね。















パソコンで、いろいろ遊んでるうちに外が暗くなっちゃった。「カメラ持って散歩」なんて云ってたけど、知らぬ間に6時間ほど経過してる。

好きなことしてると時間なんか「あっ」と、云う間だね。嫌なこと挟まないと、すぐに死んじゃうよ。

人生を模(かたど)る構成も、実に単純にして構築されてはいるものの、奥行きの深さはパソコンなみだもんね。


















カメレオンの独り言-546 『臨機応変の自警団意識』

2012年10月20日 | 日記






こうしてブログを書いていると「枠を壊したい」って欲求が常にあるの。

そんな枠なんて見えないんだけど有るんだね。

発信地の固定観念じゃないの?って思うところまでは気づいてるような感じなんだけどね。





白鳥は白い、カラスは黒い、白いは綺麗、善い、美しい。黒いは、汚い、悪、怖いなんてイメージで思ってる。

残忍な白鳥が居る。白が怖いイメージになる。優しいカラスの黒が善いイメージになるよね。

視点を変えれば見え方も変わる。思い込みを解き放てば思いようもいろいろと散らばるよ。





底の浅い河原で透けて見えてるものを、手を浸して取って見ようとはしないのと似ているのかね。
















何処からか飛んできて顔を掠めてバッタが飛んでいく。

羽を賑やかにバタつかせて公園の砂地に着地した。其れを野良猫が目ざとく見つけたよ。

背をかがめ忍び足で接近してる。ライオンやトラやヒョウとおんなじスタイルだね。真剣な顔つきが可愛いね。





お尻を振ってる。こちらからはバッタが見えないけど野良猫は照準合わせてるね。サッと飛んで捕えたけど離れて宙にバッタが視認できた。

両手がせわしなく宙を掴むように踊ってる。「あっ、掴んだ」 掴んだ手から咥えとってる。「凄いね」

猟を終えてのしのし静かに去っていく。少し進んで咥えなおした隙にバッタが飛んだ。卵を掴むような咥えかたしてたのね。





バッタが、こちらへ飛んで逃げてきて道路の端に降り立った。なにげに足を運んで見に行くと「殿様バッタか」大きいね。

オレの気配で、また飛んだ。アホやね~ボ~としてる野良猫の前に戻って降り立ってる。野良猫が「アリャ?」なんて反応してる。

遠くで、また同じことしてる。なんなんだろうね? 最初は事故で、今度は自殺やね。















なんか、最近、暇なのに就業の時間だけが長いね。今日も仕事だったよ。暇でだるかったよ。

でも、会う人会う人、誰も彼もが、にこやかに平和だね。なんの文句を云うこともない。結構すぎてコワイぐらいだよ。

なんで世の中、こんな具合にいかんのかね。モメて怒って怒鳴って暴力から殺人なんて考えられないよ。





九州の博多駅で包丁持った男が「人を切りたかった」なんて云って、6人程の男性を次から次へと刺したり切ったりする事件があったらしい。

切りたかったら自分を切っとけよ。なんなんだろうねえ、こういう奴って果てることなく出てくるね。

前にも書いたことあるけど、一般人の心得として、突発的な事件ではスクラムを組んで対抗するということを訓練すべきだね。





博多駅では、時間も遅かったので女性が少なかったらしいけど、女子供が沢山居る処で、このようなことが起こった場合は、

男性は、集合して守り戦うことを常識化すべきだよ。手当たり次第に物を投げるだけでも相手は怯(ひる)む。

逃げてばかりだから狂人は調子にのるんだよ。全国の男性に臨機応変の自警団意識を教育すべきと思う。





日本は平和で徴兵制度がないんだから、せめて男は、非常時ぐらいは守るために戦うべき覚悟を養え。

明らかに危険行為を働こうとする者を、コテンパンに遣って殺してしまってもお咎めなしにすべきだよ。

責任と良心の呵責を知る身で、守らねばならないことが多い者は、破壊と破滅を望んで狂気で攻める者より「立場上」弱くなる。





弱い立場の人間も徒党を組めば強くなる。2、3人打(ぶ)ち殺したら、そうそうキチガイは出なくなるよ。彼らには味方が居ないから。

法を破る行為は孤立している。全てが敵の「恐怖」を思い知らせるべきだよ。





他国との情勢がおかしくなってきたら遠く離れた米国を頼りにして、キチガイが暴れたら警察ばかりに任せきりの逃げ腰の野次馬揃い。

自国の者の犠牲は出さず、他国の若者たちの血を流させても平気で、尚且つ「平和、平和」と善人面、そんな勝手な絵の中で生きている。

「こんな奴等守るために我が子を育てたんじゃないっ」って、あちらの親の気持ちになって自分を観ろよ。





キチガイ暴れたら、元気な若者や男性たちが、我先に一目散で逃げてしまう。なんちゅう国、なんちゅう奴らや。たいがい恥を知れ。

















日常に刃物持って出てきよったら非常に変わる。非常に対して日常の者が徒党を組んだら、非常を起こした奴が恐怖で日常に戻りたくなる。

でも、あくまで通り魔的キチガイのみへの対応に限るよ。何でもかんでも、こんなのやったら恐怖の世界になるよ。

徒党を組んで「正義」を行使して、勝ち誇って調子に乗らぬことが「絶対条件」ではあるけどね。





格好つけて悪ふざけしただけで、寄って集ってボコボコにされて殺されたなんて弊害が出るんだろうね。どうしょうもないアホやからね、人間は。
















カメレオンの独り言-545 『レベル』

2012年10月20日 | 日記







冗談交えて気さくに会話している相手が、実は、社会の上層な仕事に携わる人だったなんてのがよくある。

レベルを落として合わせて貰ってるんだろうとは解っているんだけれど、なんか話が弾む。

レベルの層が違うなんてのは肌で感じるんだけど、その人つかまえて云いたいこと云ってる自分がコワイ。






もうひとつ解らんのは、普通、アホを相手は疲れるはずなのに、なんか向こうさんの方から嬉しそうに話しかけて来られる。

寂しいのかね? そんなことはないわね。優雅なもんだよ。無邪気なオレに釣られて、同じように無邪気なことをされて喜んでおられる。

解放される時間なのかね?いつも、難しいことに追われて息が詰まってるのかも知れないね。





記者会見なんて、そうそう誰もがするもんじゃないもんね。「何度もやりますよ」だって。





話していると、総じて面相が笑いで壊れているね。いいことだね。生まれたときから大人じゃないもんね。昔を思い出すのかな?

「背中を見れば、その人柄が解りますよ」って仰る。なるほど、意識の届かぬ部分に、その人の人間性が醸し出るのかも知れないね。

じゃあ、オレは、そういう意味あいでは合格なのね。「良かった」って、ほっとするよ。





オレの背中には、ドンファンの相もでているらしいよ。「うふふふ」 本人知らんとこから正体が出るんだねえ。「悦にいってんのかよ?」 そうそう。















涼しくなったね。夏の名残の半袖姿もめっきり減ってきたよ。

朝夕と日中の気温差が激しいほど紅葉が冴えるらしい。今年は、秋らしい秋がないまま、寒い冬になるんじゃないのと、思っていたけど、

朝夕は冷えてはいたから綺麗な紅葉になるかも知れないね。





秋の夜長って云うけれど、なにかに追われると「そんんなことないよ」って思う。目の前のデジタルがせわしないよ。

仕事が遅くまであったので、もう、0時回ってんじゃないの。日付が変わっちゃったよ。















眠たいよ。瞼が重たいよ。頭は、もう、寝てるよ。なにも浮かんでこないはずだよ。

瞼を閉じると「すうー」と、眠りの世界へ行っちゃうよ。気持ちいい~。真っ暗だね。ふわあ~とした感じだよ。

「いじましく字数稼いでないで寝ちゃえよ」 話のきっかけが出ないかなと、粘っているんだよ。






ボンクラ民主の野田さんみたいだね。そうだね、なにを当てに粘ってんのかね? しかし、なにひとつ進まないね。

こいつら、もう、たいがいにせなあかんと思うよ・・・・・・・。

出てこんなあ~、あかん。今日は、あきまへんわ。もう、フラフラですわ。おやすみなさい。







「疲れてフラフラな状態で書くもんじゃないね。今日になって見直したら、下手な文が、もうひとつ下手になってるよ」


















カメレオンの独り言-544 『愚かから生まれるものは愚かしかない』

2012年10月18日 | 日記







尼崎の殺人事件がニュースで騒がれている。被害者や加害者の相関図がネットや新聞に貼られているけど「どないなってんの?」

じっくり見る気もしないから、よう解らんけど 「なんやねん、このおばはん」 とんでもないのがおるね。

ニュースを観てると「あれ?」って、事件のあった家の町並みの向こうの方に堤防が映ってる。






見覚えがあるね。グーグルマップでアップすると「あれまあ、やっぱり」

西淀川区に住んでいた頃、幼い息子を自転車の前椅子に乗せて何度か事件の家の前を走ったよ。あんなところでねえ。

二股に分かれた神崎川を阪神電車神戸線の鉄橋が架かってる。南に下ると千船駅、北へ上がると杭瀬駅、杭瀬駅に向かって右側の沿線沿いだね。






神崎川を渡る阪神電車神戸線の鉄橋の西側に歩道橋が併設されている。ここを渡って尼崎へ走ったから覚えてるよ。梶ヶ島ってとこだね。

杭瀬駅の横手と尼崎駅の横手のガード下に釣具屋さんがあったからね。よく通ったよ。今もあるかなあ?

昔懐かしいところのイメージ壊すなよ、ホンマア。愛着持って暮らしている人たちにとっては、もっと迷惑な話だよ。






事件の家なんか、ぶっ潰して塩撒いて神主さんにお払いして貰いなさい。長く放置なんかしたら怖いよ。

















人間は、見えない一線ってのを越えてはいけないね。すべては、この一線が生きていく道筋に影響をもたらすんだね。

なるべく清く生きるに越したことはない。どんなに苦しくとも、どんなにひもじくとも、堕ちてはいけない。魂を汚してはいけない。

一線の向こうに生きる人々と縁を繋いで、わが身も染まっていく。わが身が染まれば肉親もその影響を受けることになる。






一線の向こう側を知らぬままに生きとおさねばいかんね。若い人は、これを肝に銘じて生きていかねばいかん。

下手をすると皮に染み肉に染み骨に染む。子孫の人生にも、その影響をもたらしていく。

底辺でもいい。歯を食いしばって一線のこちら側で踏みとどまって生きるべしだね。






堕ちてしまった人は、一生を賭けてでも這い上がって、あなたの血を引く者たちのために、こちら側へ戻るべき責任がある。






天国と地獄、正義と悪、この世に現存して、その因果に泣くものが絶えない。

人として生きていく上で、守り通さねばならない道を踏み外してはいけないよ。

生と死を分かつ境界線は足元にある。これには人は敏感だ。因果を背負う境界線も足元にある。これには快楽が伴うことが多いので、

人は、鈍感装ってあきめくらになる。堕ちると云うことは、そういうことを指して云う。






おどろおどろしい事件を聞くたびに、愚かから生まれるものは愚かしかないんだねって、思ってしまう。

人は、生きている喜びと感謝を忘れてはいけない。求めるってことは、まず、生きていることから生じるんだからね。

なにごとも生きていればこその始まりなんですよ。これを超える価値はないですよ。原点を見失うから狂うんですよ。






因果を背負って生まれくる人がいる。嗚呼、なんということかね。人が立ち入り叶わぬ問答無用の天からの宿命(さだめ)なんだろうかね。

この因果の輪廻は、哀しいけれどあると思うね。解消するのはどうすりゃいいの? 「自分で考えなさい」 そんな薄情な。

思考薄弱な奴は、また、同じ過ち繰り返して魂を汚す。で、また、輪廻はクルクル回る。で、また、可哀想なのが生まれる。やめたれよ。

















別に一線越えなくても、因果もいろいろあると思う。オレなんかでも、ある意味、なんか背負ってるなって感じるところがあるよ。

なにか終止符、打たんとあかんと云う想いがある。できるなら、このオレが、しょうもない因果を払ってやるって思ってる。

「なにをして?」 受けて立つってこと。来るもの拒まず、逃げずに受けて立つという思いだね。






「払いのける」戦いに気持ちいいことあるはずないよ。オレの、前世の奴は、なまくらで逃げることばっかしやっとったと思うよ。

血が感じるの。「ほんまかよ?」 そうよ、オレも、逃げたい意識がやたらと強い。なんでも、めんどい、しんどい、邪魔臭い。

だから、逆を押し通そうと決めたの。受けて立つのよ。来世の奴が、少しでも楽に生きれるように、バトンを持って一周を懸命に走るのよ。


















カメレオンの独り言-543 『容姿』

2012年10月17日 | 日記







台風のせいかな? 朝から雨だったけど一時曇り空ながら「もう、あがったのかな?」って思わせていたんだけど、夕方になって

土砂降りの雨、雷も鳴ってるよ。雨の日は、どんな家でも、「家なら結構」って思うね。

人間は弱そうで強いけど、風雨に曝され続けるともたない。強そうで弱いもんね。



















いつか、花見月の葉っぱの繊細さを褒めたことがあるけれど、この葉っぱの柔らかさを感じさせるのは若葉の頃に限るね。

枯れてんのか?って思わせるほど、乾いてしおれ気味、綺麗に程遠いね。

秋が深まるにつれて赤味を帯びてきたよ。赤い可愛い実がついてるね。それで「精一杯の化粧なおし」なの? う~ん・・・。







葉っぱも、花も、木も、嫌だからって、途中で変わる訳にいかないね。

人間もそうだよ。もって生まれた容姿と連れもって、あの世まで長いお付き合いだもんね。

綺麗だったり、美しいだったりが持て囃されて、家で鏡みて「呪うっ」って気になる女(ひと)の「絶望感」も解るような気がする。







「どうにもならん」って、ことほど「どうにもならん」ことはない。

其れは、どうにもならんことから、他に目を転じることを忘れているからなんだと思う。どうにもならんことは捨てちゃうの。

どうにかなるほうで自分を生かす。これしかないよ。「おまえなあ、そんなこと誰でも解ってる、けど、捨てられないんだよ」







悪あがきほど見苦しいものはない。「そこまで云うか」 綺麗ごとで慰め云う奴が一番悪い。本身でもの言え。

例えば、あいつはブスだ、けど、優しいんだなあ。あいつは綺麗だ、けど、根性臭いんだな。もう、これだけで同等じゃないか。

あいつはブスだけどあったかい。あいつは綺麗だけど冷たい。こんなの歳食ったら逆転だよ。「まあ、そうだね」





















綺麗、美しいは崩壊が恐ろしい。ブスは、もともと崩壊してるから平気。人は五分五分にできてるんだよ。

ブスは、中身美人を目指すべきなんだよ。これは、予想以上にモテて息が長いんだよ。

「ブスで中身もブスの場合は?」 多くを語ることも無い、壊滅の全滅の滅亡だよ。新種で生きるしかないだろうね。「ウィルスかよ?」







オレが思うに、本当にどうしようもない女(ひと)ってのはね、中途半端な、どっちつかずの美人系。これは性質(たち)が悪い。

その人は「私は美しい」 の意識が強いんだね。本当の美人より、その意識が強いのが面白くて怖い。

このタイプの女(ひと)と比べたら、本当の美人のほうが謙虚を知ってるよ。そして、不思議とこのタイプに高慢ちきなのが揃うんだね。








これはどういう現象なのかね? 錯覚の世界だね。オレの知ってる女性で云えば、薄手の顔した女(ひと)に多いように思う。

そして、決まったように小柄だね。学歴もあってお澄ましがきつくて、俗に言う、お高くとまってるって感じがするんだね。

なにごとも、実際よりも大きく見せたいのかして見栄張る気持ちが旺盛だね。で、全般に色気が不足してるように感じるね。なんでかね?







「それは、お前の偏見だろうが」 そうかも知れん。そうじゃないかも知れん。書くこと無いから出任せかも知れん。





















知らず知らずか、意図してか、出来上がったイメージを引きずって人は生きている。願わくば「疎まれないイメージ」であって欲しいね。

いつでもどこでも着いて離れない影だけが自分を知っている。前や横手に居なけりゃ後ろに居る。「でも、こいつ、なにも言わないもんね」

人に存在の証をもたらして、影ながら影に徹して影で終わる。縁の下の力持ちみたいだね。そんな人も居るよ。




























カメレオンの独り言