カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1503 『映画 騎兵隊3部作 と 正義と悪の堂々巡り』

2015年10月30日 | 日記







 『アパッチ砦』  2015年10月30日







過去から現在に封切られた映画ってのは、数え切れない膨大な量だろうね。こちらも負けずに沢山観たつもりだけど、とてもじゃないけど追っ着かない。

其の場の感動や興奮を覚えたものはわりと有るんだけど、脳裡に焼きつくような、心に沁み入るようなのは、そう無いんだね。

心に沁み入るのを何度か観たんだけど、オレって、どれも、何故か映画の題名を覚えてないんだよ。「馬鹿じゃないか?」 馬鹿だよ。





「ふつう忘れへんで」 観ようと思って観た映画じゃないんだね、何気に映した映画ばかりだよ。まだビデオの時代だったかなあ? 

TVの洋画劇場でも、そうだったね。涙腺刺激するようなのもあった。なんだったんだろうかね? 「そんなの人に聞くなっ」

その頃の自分の心境に琴線触れるようなもんなんかね? ああ~ええ映画やったなあ~って、なかなか余韻冷め遣らぬのを何度か観たのを覚えてる。





そんなのを何故忘れてしまうのかねえ? 「馬鹿だからだろ?」 ふつう馬鹿でも覚えてるで。「それは、こっちの台詞じゃっ」

そん時は、その映画で救われていたんだろうね。自分だけじゃないと思えたのかも知れないし、こんなの苦労の内にも入らんって鼓舞できたのかねえ?

たかが映画、されど映画ってとこがあるからね、その内容が全てで、その内容に価値があったから題名に意識がいかなかったのかも知れん。





日々、戦っていた最中(さなか)、感動は、明日の力に代わる価値があった。オレは、映画に大きく影響されていることを自覚しておるよ。













『アパッチ砦』(原題 Fort Apache) ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ主演 監督ジョン・フォード 1948年度製作 1953年日本公開








『アパッチ砦』(1948年製作) 遙か遠き昔の映画とは思えないんだね。ジョン・フォード監督騎兵隊3部作の一本だね。此れに続いて

『黄色いリボン』(1949年製作) 『リオ・グランデの砦』(1950年製作)と撮り続けたんだね。いずれも素晴らしい西部劇映画だよ。

アメリカ大西部の荒野を背景に開拓者を凶暴なインディアンから守るために砦を築いて、その使命に命を懸けて全うするアメリカ陸軍騎兵隊。












『リオ・グランデの砦』 ジョン・ウエィン モーリン・オハラ







此れに想いを馳せてジョン・フォードが再びジョン・ウェインと組んで製作したのが『騎兵隊』(1959年製作公開)なんだね。

趣を変えて、時は、南北戦争(市民戦争)の最中(さなか)、敵中横断して南軍の後方攪乱を目的とする北軍騎兵隊の活躍をフォードタッチで描いてた。

青い制服に黄色いライン、長い脚はあくまで長く格好いい。「なんやねん」 戦い無くして平和は勝ち得ない、歴史が証明しているよ。












『黄色いリボン』 ジョウ・ウエィン







偏見だ、ええとこ盗りだ、親方アメリカだ、なんて真っ当面(づら)した屁理屈なんか無かった時代だよ。野蛮人は野蛮人なんだよ。

其の中にも善い人も居る、これが事実だよ。悪い奴ばかりなんて有り得ない、善い人ばかりも有り得ない。善い人は時代の犠牲者だね。

真っ当面して正義振りかざす奴のアホなとこは、今の杓子定規が通る時代じゃなかろうが? 当時のインディアンので云って来い。





頭の皮剥がされて逆さ吊りされて焚き火で焼かれるわ。こんな野蛮人どもは、叩きのめさなあかんの。昔にも、そういう真っ当面したのがおった。

この手合を助けるために、どれだけの人が迷惑被ったか知ってるか? 宣教師どもだよ、こいつらは、ホンマに迷惑至極なド馬鹿どもだよ。

行っちゃあいかんって止めても止まらない。訊かずに野蛮人とこへ行くんだね。勇気と云うより狂信的な人たちだね。












『宣教師らの居る寺院に救助に駆けつけた砲艦の海兵隊』








『砲艦サンパブロ』でもあったね、中国の野蛮人どもを教育する宣教師が排他主義の暴徒が巣食う奥地に行ったがために砲艦から救助隊を編成し徒歩で向う。

山奥の寺院で彼らをみつけ保護しようとすると抵抗する。艦長(リチャード・クレンナ)が「彼らは、あんたを大通りで素っ裸にして輪姦して殺すぞっ」

宣教師に付き従うキャンデス・バーゲンに云うんだね。時間がない、理解をさせねばならない、艦長は、躊躇いつつもあからさまに事態を諭すんだね。













『敵が寺院の屋根から射撃してくる、包囲されるまでに脱出せねばならない』








そこへ暴徒側の軍隊が現れ射撃してくる。宣教師のおっさんは「わたしは、君たちの~」 ババーンッ撃たれて死んでやんの、ざまあみろ。

脱出の時を逸した、艦長は、キャンデス・バーゲンを部下に連れ出すよう命じて自分は残り時間を稼がねばならない。闇夜に乗じて

さも複数の兵士が迎撃するかのように見せかけるため、名を呼び合う大声を張り上げて機銃を掃射しては走り名を呼応する。しかし、やがて敵弾が彼を撃ち抜く。













『生粋の軍人、艦長のリチャード・クレンナ』








倒れた艦長を見たスティーブ・マックィーンは、愛するキャンデス・バーゲンを引き離し部下に託す。軍を除隊して平和に生きようと決めた矢先だね。

艦長が手にする機銃を拾い暗闇の寺院の石柱に身を隠し、艦長と同じように仲間の兵の名を呼び多数を模す。時間を稼がねばならない。

広い寺院の広間を石柱に身を隠し、晒しては撃ち、走り、名を呼び、それに応える。屋根に居る敵兵の何人かを撃ち落す。





名を叫ぶ、応えようとして虚しさに気付いて声が落ちる。石柱から石柱、近いのに遠い、走り抜けようとする彼の腹に敵弾が命中する。













『銃弾を受けて、自分の有りように疑いの絶叫を残してスティーブ・マックィーンは死ぬ』








ぶっ倒れて床に置かれた荷物にもたれかかる。虚しい最後だね。 「どうなってんだあー?」 ババーンッ銃声が轟いてマックィーンは死ぬ。

艦長とスティーブ・マックィーンの犠牲でキャンデス・バーゲンらは砲艦に収容される。みんな、宣教師が悪い。キャンディス・バーゲンもちょっと悪い。

「中国やろ?」 そうだよ。「野蛮人ではないだろ?」 当時はね、生きてる人の皮を剥ぐよな暴徒がおったのよ。艦長が云ったのはホントだよ。





中国ではね、生きた人の全身の生皮剥ぐ行為が昔から続いてたの。此れを野蛮人と云わずして何と云う? 「猟奇殺人か?」 群集の中で公然とやるんだよ。

「アメリカ合衆国陸軍騎兵隊の話しに、なんで中国の生皮剥がしが出てくんねん?」 昔はね、今じゃないの。其れを解らすために云ってんの。

歴史では、遠い昔、中国(清国だったかなあ?)に捕らわれた我が日本の武将が生皮剥ぎの刑に処されたって残ってるよ。





以前に書いたね、網カゴに詰め込まれて運び込まれた犬たちが生きたまま全身生皮剥がされてるんだよ。剥がされてとどめもくれずに放ったらかしなんだよ。

その数、数え切れない残虐が続いてる。それは今の時代の中国だよ。もし、戦争に巻き込まれて混沌とした時代が来たなら西側(西洋)へ逃げろ。

間違っても韓国、朝鮮、中国、ロシアには行くな。死んでもアメリカへ逃げろ。何処にでも恐ろしい奴等は居る、日本にも居る、けどもアメリカへ逃げろ。





韓国、朝鮮、中国、ロシアにも善い人は沢山居る。ほとんどが善い人たちだよ。ただ怖いのは、流されれば全ての人が同色に塗(まみ)れるところだろうね。













『アパッチ砦』 砦の司令官役のヘンリー・フォンダ、第7騎兵隊のジョージ・アームストロング・カスター将軍がモデルになってる。









ちょっと、寄り道にこけすぎた。アメリカの原住民に戻るわ。野蛮人相手に戦った人々に対して、偉そうなこと云える奴なんかおらん。

いつまで経ってもフンドシ姿のインディアンなんか野蛮人、凶暴、土人という認識に従って、それに敢然と立ち向かって堂々と謳いあげた騎兵隊賛歌。素晴らしい。

「ヒヨ~ロヒヨ~ロ、ヒョロロヒョロロ」なんて奇声を上げて襲い来る凶暴なインディアンなんか容赦は要らんっ、殲滅(せんめつ)しろっ。




















「おまえ、また、ズール戦争のときと一緒やね」 ざんばら髪の頭に羽飾り差して顔に絵の具塗りたくってフンドシ揺らして何の進展もない。「聞いとらんわ」

こいつらはこいつらで種族同士がいがみ合って殺しあって太鼓叩いて焚き火の周りを奇声あげて踊ってるだけではないか。決して平和主義者じゃないよ。

もともとは、アメリカはインディアンが原住民だ、なんて宣教師みたいな正論かざして出張ってきた奴等のためにアメリカ西部劇は廃れてしまった。





軽い正義面なんかすんなっ。正義は重いんだよ、正義は苦痛なんだよ、正義は悲惨なんだよ。綺麗ごとで正義を行えるか? 

正義は、矛盾と欺瞞めいた割の合わないことを含まずには成り立たんもんなんだよ。悪に敢然として戦い続けることが正義なんだよ。

理屈じゃないんだよ、守るために命を懸ける行為だよ。「ジハードのイスラムかよ?」 彼らにとっては正義なんだろうね。




 
正義と悪は対極してなるもんだけど円を描くようにして回り回って同じ道を歩くものなのかも知れない。だから、永遠に尽きずに終らないのかも知れない。














Horse Soldiers (Misi�・n de Audaces)








I Left My Love  (US-Cavalry Song) 『騎兵隊マーチ』




I left my love, my love I left her
彼女に私の愛を残して来たよ

sleepin' in her bed
おまえは彼女のベッドで眠っておくれ

I turned my back on my true love
わたしの愛に背を向けて

Went fightin' Johnny Reb
ジョニー・レッドは戦さに行った




I left my love a letter in the holler of a tree
私に愛の手紙を木に結んで残しておくれ

I told her she would find me in the U.S. Calvary
騎兵隊の中に私を見つけた彼女が云った

Heigh-O, down they go there's no such word as can't
Heigh-O(はい、おー) そのような言葉などありません

We'll ride clean down to Hell! And! Back!
地獄に行っても必ず戻る

For Ulysses Simpson Grant
ユリシーズ ・ シンプソン・グラント




Heigh-O, down they go there's no such word as can't
Heigh-O(はい、おー) そのような言葉などありません

We'll ride clean down to Hell! And! Back!
地獄に行っても必ず戻る

For Ulysses Simpson Grant
ユリシーズ ・ シンプソン・グラント




I left my love, my love I left her
彼女に私の愛を残して来たよ

sleepin' in her bed
おまえは彼女のベッドで眠っておくれ

I turned my back on my true love
わたしの愛に背を向けて

Went fightin' Johnny Reb
ジョニー・レッドは戦さに行った




I left my love a letter in the holler of a tree
私に愛の手紙を木に結んで残しておくれ

I told her she would find me in the U.S. Calvary
騎兵隊の中に私を見つけた彼女が云った

In the U.S. Calvary
騎兵隊の中の私に

Heigh-O, down they go there's no such word as can't
Heigh-O(はい、おー) そのような言葉などありません

We'll ride clean down to New Orleans!
騎馬で綺麗なニユー ・ オーリンズまで行こう

For Ulysses Simpson Grant
ユリシーズ ・ シンプソン・グラント












『ユリシーズ・シンプソン・グラント、アメリカ合衆国の軍人、政治家、南北戦争北軍の将軍および第18代アメリカ合衆国大統領』










『ユリシーズ・シンプソン・グラント( Ulysses S. Grant、1822年4月27日 - 1885年7月23日)』






























カメレオンの独り言-1502 『とりとめもない駄文で夜も更けて』

2015年10月28日 | 日記







 2015年10月28日







朝8時に目覚めたよ。深夜1時半頃に就寝して6時間半か、休みは目覚めがいいね、グッスリ寝込んで体調いいいわ。

オレの睡眠は、自分では死んだみたいな状態じゃないのかなと思うの。なんにも解らないよ、寝たら朝だよ。

パソコンの前に腰掛けて吸い込まれそうに居眠りしたら1~2時間ぐらい寝込んで解らない。引っくり返るほど傾いてハッと跳ね起きる。





あの睡眠も堪らなく気持ちがいいね。今日もスカッと晴れているよ。開け放った窓から心地よい空気が部屋に循環してる。

朝の日差しが窓の外を照らしてる。いいねえ。熱いコーヒーを呑みながらパソコンを起動させて今日も一日を気侭に過ごそうか。

見知らぬ多くの人々に自分の思いを語りかけて聞いて貰えるってことは、厚かましく結構なことだろうね。





何処の馬の骨や解らんおっさんの戯言を普通なら誰も聞かんもんやで。そんな時間はないってのが相場だと思うよ。

これが、若い女の子が発信してるブログだったりすると、アホどもが妄想よろしく猫なで声で挨拶のコメントまめに打って

僅かな可能性に群がるってのは有り得るだろうけどね。浅ましい奴等だよ。オスの本能だろうね。





発信する女の子も、其れを知ってか知らずか可愛い子ぶって絵文字の乱発甚だしい。メスの本能だろうね。「おっさん、人のことは放っとけ」

オレも絵文字は嫌いじゃないよ。よく考えてあるよ。画面が綺麗になる。一時、メールを打たされた頃は、絵文字入れるのが面白かったよ。

でも、行の間に入れすぎると見苦しいね。行の最後だけでいいと思うよ。あんなのをパッパッパッとみだれ打つ手際の良さは素晴らしいね。























オレなんか、一生懸命打つんだけど2行ぐらいの短文で7回は失敗するね、打ち直し、打ち直し、迷いまくって絵文字を入れて発信したかと

思えば押しのけるようにして返事が来てる。ええっ、またかよ。ハアハア云って打ってる間に次の文句が来るよ。拷問だよ。付き合ってられないよ。

「鈍臭いおっさんやの」 ちっこいボタンだから隣のボタンも押しちゃうんだよ。あ行押してんのにか行が出るんだよ。





携帯をヤスモンからヤスモンに買い代えた時点で、そういうのから開放されたよ。「メルアド交換しないのか?」 

オレが入れた訳じゃなから遣り方解らん。女の子や男の子が勝手に入れてんだよ。「★★ちゃん、携帯代えたあ?」って皆から聞かれたよ。

で、いつも、こうして顔合わせて喋るのにメールもクソもないやろって云ってやんの。





携帯メール命って人は、常に自分の存在を人に依って確認せんことにはおれんのだろうかねえ? 定まるものがないんかね? 

こういうタイプの人たちは、一昔前はどうしてたんだろうかね? 手紙をコツコツ書いてたのかなあ? 毎日、寄りたくってたんだろうかね?

多くの人に囲まれて賑やかそうで愉しそうだけれど、実は、とっても寂しい人ってのは、こういう人たちなのかも知れないね。





人間は、複雑怪奇な生きものだから、それぞれに迷える物語を抱えてる。通り一遍の喜びごとは、その場限りで本当に求めるもので満たされることがない。

次を求めて彷徨うんだろうね。こころの底に穴が空いてるんじゃないか? 水を足しても足しても一杯にならない。

そんなのを感じてしまうね。「おまえは?」 素通りよ、心の底が無いんだよ。正体不明、実体が無いって云われてるよ。「いいことか?」 知らん。























後から貰った自転車にCRC吹き付けてサドルを伸ばして位置決めして、焼きたてのパンを買いに出たけど凄い突風真正面から吹かれて変速もクソもないよ。

前へ進まんがな、このっ野郎っ、そ、そのっ野郎っ、あのっ野郎、どのっ野郎やっなんてペダル踏むんだけど、ハアハア、フーフーで時速5Kmやね。

人力の哀しさ、歩く方が疲れずに済むよ。前を爺がのんびり歩いてるよ。な、なっかなか追いっ越せないっ、もどかしいっ、苦しい、アホらしい。





登りの坂道、カチッカチッとギアチェンジ、スカ、スカ、スカと軽いんだけども、全然、進まない。変速でスカ踏んでいつも腹立つんだね。

漕ぐのは楽だけど焦る気持ちで疲れるよ。カチッ変速、くっくっくそおお~。突風がビュウウ~ほとんど止まってる。風の日は自転車は駄目だね。

焼きたてのパンを買うのに凄い労働したよ。車と一緒で慣らし運転が必要だね、全速力で走りまくるとタイヤの回転が良くなるんだよ。





いつか慣らしの走りをして軽くしてやろ。こんな日は、うろつかずにパソコンの前が一番だよ。

ブログの解析を見てんだけど映画紹介が人気なんだね。毎日、過去から引っ張り出して総なめだよ。でも、あまり喜ばしくないんだよ。「なんでや?」 

コバンザメ商法だよ。映画に乗っかってるから読んで貰えるんだろ? 下手な粗筋で繋いでるだけで、大方、写真だよ。オレは、どこに居るんだよ? 























「読む人は、おまえなんかどうでもいいんだよ、提供してればいいんだよ」 それはないだろ? 「充分にあるよ」 そうか、やっぱりね。

おれの駄文を好んで見てる人も居るよ。「ついでだろ」 云うね。駄文のついでに映画紹介へ流れているかも知れない。「有り得ない」 云うね。

まあ、検索用語から引き寄せられるんだから、皆さん、周知の映画題名の効果は大きい、で、其れを見て、他の映画のも見るってのが流れだね。





でも、オレの映画案内は、お世辞にも上手いものじゃないし底も浅い。透け透けだよ。でも、オレは、もうちと味を加味すれば上出来と思ってる。

映画評論家がメスで映画を解剖したような解説してるけど果たしてホンマかあ~と思う時がある。自分自身に酔っているような節がある。

じゃあ、オレのは何処が良いかと聞かれたら一般人が映画を観て感じる程度とどっこいどっこいの線をキープしてるとこだよ。





言葉じゃないんだね、観て感じた範囲に絞ってんだよ。物語の奥底を読むのは人それぞれだよ。押し付けるなと云いたい。

自分の納得する描写ではない場合、読み取ろうとする意欲を減退させて創った奴の思いに届かない。

知識教養を振り撒いて文学風に解説してくれても、実際の映像が意に副わねば駄作としか思えん。観るものは気侭なんだよ。また、それでいいんだよ。





糞難しい言葉を並べて尤もらしく解説してる映画紹介を観て促されるってのは、あまりない。まず、疑ってしまうんだね。ホンマかいなってね。

創った奴の思いよりも遙か彼方へ飛び越えてるよう解説があるよ。知力の勇み足だね。

其処へいくと感性に訴えてる短文を見て素直に観たいってそそられる場合のほうが多い。感想にしてもそうだよ、単純な表現に的を射るものがあるよ。





「能力不足で難しく書けないから云ってるのか?」 そうだよ。 「くそっ、無礼者とか、馬鹿にすんなとか云えよ」 云わないよ、残念でした。















『この猫、クスッと笑ってるの?』









何か一つに絞り込んで徹底的に調べ上げて書き上げるなんてことは無理だろうかね? 「おまえがか?」 オレの話をしてんだよ。「やめとけ」

そろそろ、無理な壁を乗り越えてレベルを上げることに挑まなくてはならない。「云うことだけ立派」 そう思うか? その通りだよ。

毎日来る新聞配達のおじさんがオモロイんだよ。滅多なことでは褒めないんだね。「あんなもん、何処がどう上手いねん」ってこき下ろすんだね。





オレは、なんでも上手い、大したもんだって子供たちを褒めてあげるんだけどね、それが気に入らないらしくて「★★ちゃんは、なんにも解ってない」

そう云って、オレもこき下ろすんだよ。何ごとも賞を取らなければクソって考え方が徹底されてんだね。

おじさんは、若い時は、野球も県大会に出場するほどの腕前で 大人に成ってからは車もGT乗り回し、ヘラ釣り師でも大会に出場して入賞組の常連、





「なんでも、腕やっ」って拳を突き出し片手で叩いてみせる。弛まぬ努力の結果に答えがあるねんっと尤もな意見を云う。

云うだけあって、なんでも詳しい。「★★ちゃんは、なあんも知らんと口だけやっ」って馬鹿にする。

「ここらのガキの野球やサッカーなんか子供の遊びや」 ムキになってこき下ろす。みんな最初は、そうだろ? 「そらそうや、せやけど成る奴は光っとるわ」





「★★ちゃん、知らんやろ、成る奴はな、こんなちっちゃい時から凄いもんやで」 手の平で大きさ示して鼻高々だよ。 























たしかに才能を有した子は、ちっちゃい時からずば抜けたものを覗かせるね、それはそれで尤もだよ。じゃあ、それ以外はハナから駄目ってのが間違ってるよ。

夢を追いかける、意欲を駆り立てる、発心で動く、そんなのの根を絶ってはいかんよ。努力の意味を身体で覚えるんだよ。

オレが褒めるのは、子達が明日を夢見て頑張る姿勢を褒めてやるんだよ。上手い下手なんてのは、どうでもいいんだよ。なんでもピンからキリがある。





大人の目線で価値を測ってはいかんのだよ。そんなのは自ら解っていくもんだよ。其れも含めて人生を学んでいくんだよ。

要は、真っ直ぐ伸ばしてやるってことが大事なんだよ。このおっさんのいかんのは、成ったら金に成るが直結しておるよ、馬鹿者が。

子供の世界は純でなくてはいかんのだ。心を真っ直ぐに成長することが何よりも大事なんだよ。其れが長い人生の支えになるんだよ。





そんなのを話しても聞かないんだね、もうガチガチに固まっておるよ。「★★ちゃんは、全てに甘いっ」 このおっさん、おまえは人生の審判か?

まあ、オレに対して甘いの辛いのは構わない、現に、この歳なっても甘~い部分を保有しておるよ。

オレは根が甘~い男だからね、女性の母性本能をくすぐるんだよ。放っとけないわ、なんてね。マイナスをプラスに変える極意だよ。





此のおじさんは、鼻高々云うだけあって競技の世界では、一応の腕に達する努力はされたみたいだね。兎に角、負けず嫌いってのが突出してるよ。























小物釣では、どちらかと云うと先調子が好みかなあ、なんて云うと、「な、なにがあ~、小物釣には胴調子やがな」 

掛けて手元に引き寄せる間を愉しむんなら胴調子だろうけど、ハエなんか手返しが早く行えるしトラブルも少ないで。「違うがなあ~大物釣りに先調子や」

そうかあ~? 掛けるのは俊敏でいいかも知れんけど、ハリス道糸のホローが利かんやろ? 「それはあ~腕や、なんでも腕やでっ★★ちゃんっ」 





磯の竿釣りは詳しくないから解らんなあ~? リールのドラグでホローするんかな? 「解ったようにい~」 そんなぐらいは知っとおるわ。

此れでも釣り師やど 「ダム湖で釣ったか?」 ダム湖は知らんなあ。「山越えて行くんやで、ボートでもやったで、魚探持って行くんやで」

本格的やねえ。「そらあそうやっ」 「★★ちゃん、野鯉がどうたらこうたら云うてるけど、そんなもん、なんぼでも釣っとおるわな」





野鯉やで? 大和鯉とちゃうで? 丸太ん棒やで? 「メーター級釣ったか?」 それは釣ってないわ。「せやろお~せやから口だけやっちゅうねん」

関係ないやろ。大和鯉は最初のひと伸しや、あとはくっそ重いだけやで。野鯉はちゃうで、すっごい馬力見せよるで。

「平たい魚は力があんねん」 ちゃうがな、丸太ん棒やがな。このおっさん、野鯉知らんなあ~。「そんなもん、走りよるだけや」 其れが肝やないか。





認めよらんなあ。「★★ちゃんは解ってないっ」プイッとして云い残して行っちゃった。スポーツのしごきに耐えた人の一本調子だね。

気分だよ、持ち上げてやれば勢いが出るんだよ。褒められて萎える奴は居ない。認めて貰って気分を悪くする奴も居ない。

よしっ、やろうって気になるんだよ。最初から駄目って云われて喜び元気になる奴がおるか? 





よしんば貶(けな)されて成った奴は、心に歪みを残すんだよ。ここらの子達の前途は、まだ、如何様になるやも解らない。しごきの対象じゃないよ。

勝負の世界は厳しい、勝つか負けるか二つに一つ、勝たねば意味が無い世界だね。根性がものを云い腕が答えを出す。

そんな世界を目指すものにとっては、おじさんの云う通り、甘さは通用しないだろうね。その道を選んで歩き出せば、おのずと知ることだよ。























外のフェンスにもたれて煙草を吹かせつつ配達終えたおじさんと話してると、背後から煙草を持つオレの手をポンとはたいて彼女が帰って来たよ。































カメレオンの独り言-1501 『ホントかウソかは、本人だけが知っている』

2015年10月26日 | 日記







 2015年10月26日







何も書くことが浮かばないのでネットをウロウロしてたら怖い話しばかり並べたサイトに入った。気が進まないので次へとクリックしかけて

新御堂筋の話に目が止まった。新御堂筋は、昔、数え切れないくらいに車で通行したもんだから近しく感じて話を読んでみた。

新御堂筋なんかでコワイ話しってピンとこないんだね。新御堂筋は、大阪府の北部を南北に貫く幹線道路(国道423号)で西日本一の通行量を誇ってる。






夜間になると交通量も緩和されて高速なみに車が走るんだね。上下線に挟まれた中央を大阪地下鉄と北大阪急行電鉄が併走してる。道路環境はいい。

長いことご無沙汰してるから、今も当時と変わらずままに在るのか定かではないけどね。

高架がアップダウンしたりして江坂を抜けて新大阪駅を頭の上に通り過ぎ淀川の橋を手前にすると視界が広まって梅田のビル群が迫るんだね。






当時は、北から南に向って音楽流して走ると絵になる道路ではあったね。馴染み深い道路だね。そんな処で怖い話しってなんだろ?

交通事故なら有るだろうけどね。あまり好きな話ではないので流し読み、記憶にも留まらない程度なんだけど、鉄橋って称されてるけど淀川に架かる

新淀川大橋のことだろうかな? もしくは、神崎川だろうかね。「都会の中だから明るいだろうと思っていたけど」ってくだりが有ったから淀川だろうかね?















『大阪新御堂筋 423号線 新淀川大橋南行き』









新御堂筋の高架の下らしい。深夜に目的地の非常階段に到着したけど橋脚の辺りは風が強く、時折吹く横風にギィ、ギィと軋む階段を見てるだけで

足がすくむ思いだったそうな。これを書かれた人は、姉さんから聞いた話を述べられてるね。姉と友達3人が肝試しに出向いて遭遇したらしい。

人一人がやっと通れるほどの幅の非常階段で赤錆色の鉄製手すりと タラップが地上に向かって伸びてるだけの粗末なもの。






高架の橋脚に非常階段が設置されてるのはよく見かけたね。そのことだろうね。「ちょっとみんなで上ってみーひん?」 と友人が言ったけど、

姉は何かを感じたらしく首を横に振って拒んだ。 姉は霊感が少しある方だったけど、一緒にいた友人の内の一人が凄く霊感が強かったらしいんだね。

「ホンマにあかん、ここはヤバイッ」 なんて云い出すんだけど、残る二人は階段をそろりそろりと上って行く。






地上で見守る姉と霊感の強い女性。突然、鼻に痛みを感じた姉が「イタッ」って鼻を押えると同時に霊感の強い女性が「あかんっ、みんな、降りて来てえっ」

「早くっ早くっ」 狂気じみた絶叫に、階段に居る二人は、何ごとか? 只事でないことを感じ転げ落ちそうになりながら一気に駆け下りて走る。

土手を無我夢中で逃げ走りながら霊感の強い女性の 「女っ女っあったまっバリでかいっ頭超でかい女っ」 絶叫が止まない。






「上からっ頭っバリでかいっ女が急に出たっ、急に降りてきたっ足の動きバリ早いっ」 絶叫が止まらない。

頭部だけが以上に大きい女が、上の方から降りて来てたらしい。 息も切れ切れ、なんとか車に戻った一行は、一目散に逃げ帰ったという体験談。

どこやねん? 昼に出直して 「此の階段は怪談」なんて張り紙しとけよ。神崎川か? 神崎川だったら超暗いから起こりそうな感じだけど。






オレも、淀川に限らず、大概、真っ暗な川や海を前に独り釣りしてたけど、こんなのは経験ないねえ。しかし、何度かは背後におったかも知れんね。

グーグル・マップで淀川と神崎川の両岸辺りを見てみたけど、それらしい階段は見当たらないね。

神崎川の両岸には、クルクル巻いた螺旋階段が設けられてる。淀川の南側も螺旋階段、北側は階段がはないね? 河川敷に入ったほうの橋脚かなあ?






ちょっと、おかしいんじゃないのって思ってしまうのは、怖い話が多すぎるんだね。それが事実なら、世の中、怖いことだらけだよ。創作してんか?

























情報が乱れ飛ぶ時代だから本当のことを書かなきゃ駄目だよ。嘘の情報などゴミに等しいんだから、どうしても書きたいなら創作って断りしなきゃいかんわ。

事実がゴミ溜めに埋もれてしまっては文明の機器も生きないよ。オレなんか、なんでも怖がりだからみんな信じちゃうよ。

淀川に纏(まつ)わる怖い話は、ホント以外はやめてね。母なる淀川のイメージが損なわれてしまうがな。綺麗で心地よい話しの嘘は許す。






「おまえのブログはどうなんや?」 駄文でもホントのことしか書かないよ。間違ってることは多々あるかも知れないけど本人は、ホントだと思って書いてるよ。

「おまえ、これは間違ってるぞ」って指摘があったら、調べて、あら、まあ、ごめんなさいって謝って書き直すよ。

ど素人でも、自分の誇りと責任をもって世に公表すべきだよ。名無しの権兵衛だから無責任なこと平気で書くような卑怯なことはせん。






隠してることは沢山あるけどね。「何を隠してるねん?」 アホか? そんなもん問われて云うたら隠してんのとちゃうやないか。

「ちょっとだけ云うてみい」 仕方がない、実は、もう、既にジャンボは当っているんだよ。「げっ」 バラ買いで1等2億円。 「げげっ」 

皆が一生懸命働いて嫌なことも我慢して、ようよう貯め込んだ金より遙かに大きな金を一朝一夕で手中にしたよ。 「おまえを殺したい」 だろ?






だから隠しているのさ。 「ホ、ホンマなんかっ?」 嘘だよ。 「しょうもないっ」 こうして嘘は嘘と正直に表明しろと云う話だよ。

























怖い、怖いって云うけどね、自分が死んだら近しい奴等だよ。みんな、この世で生きてて死んだ奴等なんだから、

あちらの世界で話を聞いてやれば泣いて喜ぶかもしれない。誰からも見向きもされない寂しい魂たちなのかも知れないよ。

なかには救えないのも居るだろうけど、救いようの無い性悪な奴は、生きてても怖い。触らず近寄らずが祟りなしだね。
































カメレオンの独り言-1500 『映画の銃と一緒だね、弾が出ない駄文だよ』

2015年10月24日 | 日記







 2015年10月24日







また自転車を貰ったよ。ご主人が買って暫く乗ってたけど、あと全然乗ることなくに駐輪場に放置したままだから廃棄するって奥さんから聞いた。

じゃあ、オレが乗りますよって云ったら 「どうぞ、良かったら差し上げます」って鍵を手渡された。鍵がピカピカ光ってるよ。

前に置いておきますって云われたので、後で見に行ったら27インチのしっかりした自転車じゃないの。





アラヤ製の自転車で、シマノの5段変速付ではないかいな。タイヤも全然減ってないよ。あらまあ、また儲けたよ。 

サドルの軸棒とハンドルの回転部、それにペダルの脚が錆びてるのとチェーンがまっ茶色に錆びてるけど、それは仕方が無いね。

変速器のワイヤのカバーも所々破れた部分が錆びてるけど操作に支障はい。ブレーキも効きがいい。ハンドルのスタイルもオレ好み。





前後のタイヤに空気を入れて走ってみたけど動きはいい。暫くして、見に行くと後部タイヤのチューブがパンクしてるのかして空気が抜けてるよ。

よし、明日、自転車屋さんに持って行って直して貰おう。この前に頂いた自転車もシマノの日本製だけど変速なしのモロ漕ぎだからスピードが出ない。

こうして変速付を貰うと、やっぱし早く走れるほうがいい。それにデカイ身体のオレには27インチのほうがエエね。





また、お馴染みのツタヤと宝くじ、これに乗って行かねばならんね、雨ざらしの場所に停めておくので新品は勿体無い、結構、結構。

























タイヤに空気を入れようと外に出ると 「★★ちゃ~ん」彼女がニコニコして学校から帰って来たよ。うん、元気そうだね。

タイヤの空気入れはあとにしよう。事務所に戻って空気入れ仕舞い、彼女が見てるカレンダーに書き込まれた落書きの意味を説明してあげる。

sa〇s・dayとかyu〇s・dayなんて書き込まれてる。彼氏ができて一年目だってよ。「へえ~そうなん?」 笑ってるよ。





みんな、ちっちゃかったのに大きくなったよ。「わたしもな」 あっははは、そうだね。オレが歳を喰うのは当たり前だわな。

「お爺ちゃんになっていくわ」 あっははは。 おまえからすれば確かに爺だね。

僅かな道のり、他愛ない話を交わしてコンビニで買い物済ませたら、頑張れよ。頬を膨らませて 「頑張ってるよ」って笑ってバイバイしたよ。





其処へ 「★★ちゃ~ん」 学校帰りの小学校低学年の女の子二人が呼んでる。おう、お帰り。「★★ちゃん、なに買ったあ?」 煙草だよ。

「今のお姉ちゃん、コンビニで働いてる人や」 そうだよ。「★★ちゃんのどういう人や?」 このマセガキが。実は恋人だよ。「ウソやんっ」

「あっ、飴も買ってるやんっ」 「うわっ、頂戴っ」 おまえら、お母さんに見つかったら𠮟られるぞ。「お母さんお仕事で居ないもん」 くそ。





先生に見つかったらコワイぞ。「ここらへ来えへんもん」 口の減らん奴等め。「ハイチュウがええわ」 ようナイロン袋透かして見とおるなあ。

もう、めんどい奴等やなあ、道路で飴袋破って、あいよ。「ありがとー、★★ちゃん、また遊びに行くわ」 来んな。手を振って帰って行くよ。

此の子達が彼女の年頃になる頃には、オレは、もう、くたばってるだろうね。筆は先から経(へ)たっていくよ。

























旭化成の下請け業者が施行した杭打ちが硬い地層に届いてなくてマンションが傾いてるってニュース、住人さんや工事に関係する会社の人、大変だね。

意図的に杜撰(ずさん)な工事やってたら安心して生活できないと思うけどねえ。いつ何時発覚するや解らんのだから寝れんだろうけどね?

こういう工事で監督が気付かないミスって有り得るのかね? 意図的も怖いけど気付かぬミスも怖い。重大な瑕疵(かし)には変わらんからね。





補償だ、建て替えだ、調査だ、なんだかんだと物ごっつい金がかかるじゃやないの? ボーナスも暮れも正月も飛んで行くね。

杭が届いてない建物の端っこに当たる階の住人さんは、どうすんのかなあ? 落ち着かんでえ。

中国の杜撰な工事で建物が崩壊してるけど人のこと云うてられへんがな。杭なんて見えない処だから信用しかない。





信用失うと全てが疑われる、信用というものが如何に大事かだね。人間の質も同じだね。見えない基礎が自分を支えてる。

「おまえは?」 う~ん、更地の上にブロック並べて其の上に在る。「すぐ、いがむね」 軽く為らざるを得ないよ。

コンクリートの部屋を積み重ねて載っている。其の重量たるや空恐ろしい。杭が届いてない分沈み往くだろうね。バランス崩れたら崩壊だよ。





「買い取ってくれ、すぐに出て行く」 尤もだね。危ない住まいに何年も付き合ってられないわ。大事な家族が気がかりで勤めに行けないよ。

























昔、西部劇で愛馬が脚を折ると断腸の思いで殺して楽にしてやるシーンをよく観たよ。

どでかい身体を支えて、尚且つ、人を背中に乗せてクソ馬力で走る。そんな馬も一本の脚を折ると立つこと叶わず地に横たわり為す術がない。

支えってのは、命に代えて成り立つもんなんだね。人は、心の支えを失っても立てなくなるんだよ。





そういう理屈を解って杭を打ってるのかね? 基礎が軟弱な建物は建物の用を足さない、脚を折った馬と同じなんだよ。











































カメレオンの独り言-1499 『年月繰り返して秋の夕陽が沈むよ』

2015年10月23日 | 日記







 2015年10月23日







ツタヤの新作情報を検索したけど、なんにも面白そうなのが出てないね。なんか中弛みって感じかね? 面白い映画を観てスカッとしたいね。

風呂に浸かってサッパリして、ビール呑んでホッとして居眠ってんのに 「あんた、このソファ捨てるから放り出して」 ええ~っ? やめてえなあ~。

なんか新品を買ったらしくて明日配達されてくるらしい。転居してから買えよ、なんで、今、買い換えるの? 「あんたには解らんっ」






「何が皮革製やのん、よう云うわ、ボロボロ剥げてきて見苦しいわ」 おまえが買ったんだろ? 「騙された」 皮革製に安いのなんかあるはずないがな。

「表面だけ皮革や云うてて、其の表面が剥げてきてるがな」 この粉か? 「そうや、見てみえ」 被せていた布を取り除いたら見るも無残だね。

今度のは大丈夫かいな? 「あんたには解らん」 解ってるおまえが買ってこれかいな? 






もう、スカッとしてんのに埃だらけやがな、嫌やなあ~もおお~糞重たいボロソファめっ、動け、この野郎っ。間髪入れずに放り出してしまう。

嫌なことは気合入れて突撃する。僅かな時間で終る。よし、とパソコンをスリープから目覚めさせると、なんじゃ? 訳の解らん表示が出てる。

何がパスワードを打ち込んでくださいや、そんなん知らん。訳の解らんものは、応答しないでペケ印クリックして消すに限る。消えよった。






あれえ? インターネットが表示できませんって、どういうことなの? 奥さん、ソファの横っちょにあるモデム機器をいらいよったなあ?

「邪魔やから横手にどけたで」 抜け取るやないかえ、ほんまあ~ど素人が。「おまえは?」 ど素人だよ。

戻って来てクリック、おおっ、復旧しとるよ。あいつよりは玄人やで。あらっ、時間がないがな、11時回っておるがな。























何、書こうかいな? 「おまえ、そんなこと云うてて時間がないで」 何にも浮かばないよ。今日は飛ばそうかな、と思うんだけど、

毎度、読んで頂く枚数がハチャメチャ多いから気がきじゃないよ。すぐに底ついてしまうよ。

更新すると題名から入られる方とトップページって表示で入られる方がドバツと増えるよ。待ってるんだねえ。 「なんでやろ?」






なんでやろって楽しみにして頂いてるんじゃないか? 「そうかあ?」 そうだろ、面白くもないもの読み続ける人おるかあ? 「面白い?」

そうだよ、アホらしいけど面白い、これだよ。オレの云ってることが通じてる人たちだよ。だから、書き続けねばならんのだよ。

しかし、今日は、困ったね。風呂をシャワーで済ませたときは、何とか目が持つんだけど、湯に浸かると覿面(てきめん)に睡魔が襲って来るんだよ。






夕飯頂いたあと、ずっと居眠ってたからね。ケッサクだよ、火の点いてない煙草を咥えたまま寝てたんだね、

はっと気付いたら、涎(よだれ)が煙草を伝ってんでよ。ビチョビチョだよ。「汚ねえなあ」 乾かして吸ったけどね。「きったねえなあ」

有ったことで逃げておこうか。新聞配達のおじさんと喋ってたら 「★★ちゃ~ん」って某私立大学付属の高3の女の子が学校から帰って来たよ。






最近、部活が無いから早いね。「うん」 自由な時間が長くてゆっくりするだろ? 「退屈や、帰っても、何もすることないねん」

大学も決まって気が抜けたかなあ? 「ええっ?大学決まったんかいなあ、何処や?何処や? ええとこかあ?」 また、おっさん、声変えとるわ。

狭いとこすり抜けて中へ逃げ込んで来てるではないか。オレの横っちょへ避難してるよ。おまえもオレを盾にすんなよ。























オレを挟んで独りしゃべっておじさん 「ほな、いくわ」って、笑って行っちゃったよ。気にしない良い性格だね。

「★★ちゃん、なんかあるう?」 ああ、そうだ、近所の健脚のおじさんが天神橋筋のお菓子の問屋さんで買ったチョコをくださったよ。

「ええっ、ホンマア」 引き出し開けて出してやると「あっ、わたしの好きなやつやわ」 じゃあ、一袋持って行け。「嬉しいっ」






ポリポリ食べながらスマホ弄って遊んでる。もう、云ってる間にクリスマスだよ、今年は彼と行く約束したか? 「今年は行かへんねん」

なんでや? ニッチャニッチャラ笑って「今年は・・・・」 何とか云ったなあ? カボチャなんかの仮面被って・・・忘れた。

そういえば、彼女も云ってたな、なんだったかな? 「もう、おっさん、無理すんな」 カボチャにしておこうか。






USJなんかでクリスマス愉しいんじゃないの? 「うん」 彼氏が行けないのか? 「うん」 なるほど。

あんなとこ独りで行ってもしゃあないしね。「格好悪いやんか」 そうか。じゃあ、カボチャで愉しんでおけ。「うん」 

「やったあ~っ」 なんや? ゲームか? 「うん、勝ったあ~」 ニッチャラニッチャラ笑って「ほなあ、★★ちゃん、帰るわ~ありがと」





















外に出ると、夕陽か、真ん丸い太陽が西の空に沈んでいく。小さかった子達が、皆、大きくなった。 毎年の秋の夕陽、そんな数ほども見たかなあ? 





























カメレオンの独り言-1498 『終わり良ければ全て善し /  Windows10』

2015年10月21日 | 日記







 『「Windows10』  2015年10月21日







「Windows10」のアップ・グレードの表示が予約じゃなしに 「今すぐアップ・グレード」に変わってるね。どうしょうかなあ? 

アップ・グレードしちゃおか? 息子に聞いたら「俺はマックに変えてるから10の内容は解らんわ」なんて裏切り者ではないか。

Windows10は、Windows7と8.1のいいとこ取りって解説されてるね。8.1はタッチ・パネル式に重点置かれてたので不人気だったらしい。






着目すべきところはだね、Windows10からは、数ヶ月おきに無料で更新が行われて、0Sの買換えは必要なくなる見込みってのが大きいね。

パソコンが動作する限りは、更新ファイルが提供されるので、サポート終了という事態は起きないんだね。

パソコンがご臨終になるまではOSの入れ替えを気にしなくていい訳だね。だからWindows10は最後のWindowsって云われてる。






心配なのは、アップ・グレードして、今インストールしてるソフトに支障とならないかだね。動かないなんてなったら解決するまで疲れ果てるからね。

オレのは、フリーのソフトが多いんだよ。「貧乏ソフトか?」 そうだよ。長~く使ってるのがあって、更新を乗り越えてきてるツワモノだけど心配なんだね。

無料アップ・グレードは、来年の7月26日まで期間があるから慌てることもないかねえ? 「諸々の情報仕入れとけ」 そうだね。
 













『Windows10 無料アップ・グレードの通知』









自動アップグレードの表示が出るまで待ってだね、その時そのときの気分で決めようか? 「おまえらしいね」 何ごとも気分だよ。

IODATAの27型グレアモニター(LCD-MF272CGBR)人気が高いのかして値が落ちないねえ。相当頑張ってるよ。

オレが良いって目っこ入れた奴は確かだね。そろそろ購入したいんだけどパソコンのブラクホーク(手製)が故障したままだから止まってんだね。






故障原因は、マザーボードかCPUのいずれかだね。オレの勘ではCPUが臭い、これだったら高いんだね。マザーボードで1万5~7千円程、

CPUだったら倍以上になる。原因突き止めるのに知識詰め込んでハアハア云って解明できるかどうかも当てにならない。

DELLのi7級を買ったほうが早いね。「ブラックホークはどないすんねん?」 部品をオークションで売ればいい。






でも、故障の原因を解明しないと全部品をジャンク(瑕疵不明品)扱いで処分しなければならないから大損だよ。まあ、欲しいって人にあげてもいいけどね。

使わないもの置いてて古ぼけてからでは余計に勿体無いからね。オレから云わすと最強だったよ。

それぞれの部品の箱や説明書は、パソコンの元箱に放り込んで箪笥の上に仕舞ってるはずなんだけど出すのが面倒臭い。勢いが出んよ。






此れしか使えないって状況なら必死のパッチで原因究明して復旧するまで戦うだろうね。少しのゆとりでさえも人間を知らぬ間に贅沢にするもんなんだね。

























お日さんの照りがきついね。ベランダに出て煙草吹かせてたらジリジリおでこが焦げそうだよ。

太陽を仰げば眩しい限り、視線を下げて辺りを見れば、暫く、焼けたような幻の黒い玉が視界のなかを泳いでる。

少し太陽に焦点合わせたら目ん玉焦げるんかね? 昔、武庫川の川原で、もっと大きな幻の黒い玉が視界を遮ったことがある。「アホやで」






独りで釣りしてるとね、独りでアホなことする時もあるんだよ。どうでもいいよなことが面白い。何も考えずに釣りに狂って生きるのも悪くないね。

ふっと、そんな思いに捉われる。そんな日々を生きても罰の当たらぬ歳になってる。「その選択が正しいんじゃないか?」 気楽だろうね。

「若い時に夢にまで描いてた時が来てるじゃないか、朝から晩まで竿の穂先を凝視して馬鹿のような時間を独り愉しめるぞ」






「もう、人には、精一杯の想いを尽くして遣り終えたんではないか?」  誰一人、どうたらこうたら文句や嫌味など云う人など居なかったね。

「釣りに明け暮れるなら大仰な金など要らん。何もかもから手を引いて老兵は、ただ消え去るのみでいいのではないか?」

「目の先の視界に入る町並みや人々は、おまえの居る居ないなど、なんの関係もないものばかりではないか」 そういえばそうだね。

























「まして視界の外などに至れば、全て知るよしもないものばかりではないか」 知りたいって欲望も至って可愛いもんだしね。

知ったところで詰まるところ、いずこも人を介在してなる物語、全ては同じなんだね。

何が変わる訳でもない。手を広げれば広げた分、喜怒哀楽に振り回されるだけだからね。「自分のぶんで足らない奴に任せておけば済むことだよ」






現役も残すところあと僅か、尽きぬ夢に狂って死ぬか、もしくは、孤老の釣り師で年月刻んで独り愉悦に酔いつつ昇天するか、二つに一つだね。

此処まで人として許せる範囲を守り通して生きて来た。もう、オレの能力では此処までかも知れん。「自信がないのか?」

自信なんて、はなからないよ。長く求めて止まぬは自信だね。でも、それも現役生きてりゃこその渇望だったけど、ヘボ釣り師には用はない。






「現役退いても自信は支えになるぞ」 其の程度の自信なら知恵で補い困らない。最近、いろいろと考えてしまうんだね。揺らいでおるよ。「地震か?」

オレが揺れておるんだよ。果たせるものなら果たしたい。なんとか自分なりに満足できる最後を飾りたい欲求があるんだね。

どんなに無様な人生でも最期が良ければ全て善しって、昔から、自分に云い訊かせてきた言葉だよ。オレ自身の約束みたいなもんだね。






気がついたら、そうでなくてはならない時期に達してた。歳月、人を待たずだね。オレには、無様な過去を意義在るものにする努めが残ってるんだよ。

























「今のおまえじゃない過去のおまえ達にゴメンねって謝るか?」 それはどう云う意味や? 「おまえが常に云ってるだろ?」

「過去の奴など知らん、今のオレの知ったことではない、なんて訳の解らんことを云うとるではないか」 そんなこと云った覚えはない。

「毎度、云うとおるやないかっ」 過去の駄文は過去の奴が書いたもんだってか? 「そうだよっ」 それは、その通りだよ。「なんやぁ?」






遠い過去の奴の話をしてんだよ。最近のは馬鹿だよ。放っとけばいいんだよ。 「それは、おまえやで」 過去の奴だよ。「おまえやっ云うてるやろっ」

知らん。 世間知らずの癖して男気だして背負うだけ背負って自分に負けてアホらしい人生を生きてた過去の奴を云ってるんだよ。

そいつの取り得は、ただひとつ、逃げなかったことだよ。来る事、来る事に向って行って逃げなかった。根性だけはあったね。それだけだよ。






最後に笑えば其れで善しって、逃げなかったね。運命に挑戦する意気地があったよ。大した世間知らずだよ。 「今は?」 馬鹿な世間知らずだよ。

「おまえって、だいぶん変わってるね?」 うん、並じゃないけど梅でもないね。「松竹梅のか?」 そうだよ、当然、鶴でもなければ亀でもない。

手製のトロッコだからレールを外れる、それでも、必死にレールに載せて走り来たって感じだね。「レールは世間か?」 そうだよ。






自然の中では生きれないから世間の中を彷徨って来たけれど、オレは、ただただ、人間そのものを一生懸命に生きて来たような気がするよ。































カメレオンの独り言-1497 『もう一度、死ぬ気で恥かく覚悟』

2015年10月19日 | 日記







 2015年10月19日







秋らしい真っ青な空だね。雲ひとつないよ。爆音轟かせてヘリコプターが北西から南西の空に向って飛んでいく。自衛隊機だね?

UH-1H、米軍機がベトナムの空を飛び狂ってたのと同タイプのヘリコプターだよ。喧しい音だねって空を仰いで見送ってる。

機銃掃射がある訳でもないしロケット砲が飛び来る訳でもない。喧しい音をばら撒いて真っ青な空を独り占めして飛んでいくだけだね。






平和で爽やかな秋の空に感謝だね。視界の端で揺らいでる落葉樹の葉っぱが赤茶に枯れだしてるね。

足元に目をやると茶色に変色した早死にの枯葉が沢山落ちてる。

誰も見向きもしない。乾燥して踏まれて粉々に潰れて土くれになる。戦場で転がる死体も似たようなもんなんだろうね。






平和の中で見るから惨たらしい、惨たらしいばかりの中では、見むきさえしなくなる。当たり前の光景なんだろうね。

優雅な生活に在る者が、下々の世知辛い生活に心致さないのは、其の人たちが冷たいんではなくて環境がそうさせる向きがあるんだろうね。

上見て文句ばかり云う時は、そんな作用のありようを差し引いて考えるべきかも知れん。






この真っ青な空も、南国の青い空と比べたら月とスッポンほどに違うらしい。それぞれの空の下、何ごとも捉え方の尺度が異なるんだろうね。























自分の在りようの中で自分を見ているぶんには、これでいいと思ってるんだろうね。そういう自分の在りようを疑わなければそのままだね。

果たしてこれでいいのか、なんて考えると納得し難いところが顔を出す。

こう在るべきと道筋に忠実決め込んで此処まで来た。こう在るべきために我(が)を殺して生きて来た。






我のないオレが居るわけだね。オレは、何処へ行ったのかね? 「其処に居るやないか」 嘘っぱちのオレではないか?

ホントのオレは、昔ながらに認めてもらえない夢を追ってばかりいる。夢絵空の中で熱を噴いて現(うつつ)のオレに勢いを与えて支えてる。

現のオレは、自分を支えてくれる絵空のオレを殺してる。なんという奴だ。絵空のオレが可哀想。 「気付いたか?」と絵空のオレの声。






それでも絵空のオレは萎えることなく頑張って懲りずに支えてる。オレは、殺してはいけない奴を殺して生きてきたのかも知れないね。

とてつもないエネルギーの絵空のオレを殺し続けて来た現(うつつ)のオレもオソロシイ。「どういうこっちゃ?」 忠実一筋男だよ。

しかし、現のオレは、最近、疲れてきたようだ。なのに、絵空のオレは疲れ知らずで留まり知らず、現のオレを押しのける勢いで歳知らず。「ふむふむ」






そのうち、現のオレを殺して絵空で生きるオレが出張るのと違うか? なんてことを真面目に考えてるパソコンの前のおっさん。






















「そうや、〇〇〇〇さんが若くて勢いがあるのは、夢を諦めずに追い続けるその姿勢やで、わたしは、そんなん好きやわあ」

「こじんまりと収まってる夫婦なんか見ると、それはそれでええねんけど、なんかしょぼいねん」 実際は、そんなのが幸せでっせ。

「せやけど、それで終わりやんか」 早目に終わりで気楽でんがあ。「よおう見てみい、墓場やでえ」 価値観の違いやろね。






「〇〇〇〇さん、見てたら、まだまだちゅう感じやろ、それがええねん」 ゴールが見えない過酷な人生、当人は、疲れ切ってますけど。

「〇〇〇〇さん見てたら元気が出るんよ。わたしも負けてられへんって」 そんなもんですかねえ? 

でも、そう云って貰えると、こちらも勢い出ますよ、成るならぬは時の運、諦めずに夢を追いかけて道を拓こうか。「そやん、その活きやで」






引越しを考えていることを話すと「なんでやのんっ?」 社宅もそろそろ期限が来るし辞めた時点で嵩高い引越も鬱陶しいので

先発隊で奥さんと息子を先に行かそうと思ってんですよ。そのほうがオレも気が楽になる。「なるほどなあ、けど、〇〇〇〇さん居てないと寂しいなあ~」 

まあ、期限が来るまで、気が続く限りは残って頑張りますわ。「わたし応援するわ」 奥さんは、ご主人を応援してあげなさい。「あんなん放っといたらええねん」






女の人も勝気な人は勢いがあんねえ。「おまえ、引越の話しをしたの?」 つい云っちゃった。内緒にしてても、実際になったら解ることだよ。

それも、スムーズに行ってくれたらの話しだからね。奥さんは、「そういう時期やけどな」って妥協ぎみの姿勢ではあるよ。

「別居かいな?」 望むとこやろ。「ああ、清々するわ、せやけど、こっちへも来るわ」 来んでもええ。「なんでやねんな?」 独りがいい。





















生きる為の無我夢中も一区切り、独りになって自分を考えてみたい。人生一回こっきり、妥協で許せるか許せぬか、そこんところを考えてみたい。

誇り高き男が恥かきまくって生きて来た。誇り高き男が立つ瀬のない川を流されてきた。

もう一度、恥かきまくって道を拓く覚悟があるか、それを考えてみたいんだよ。しんどいねえ~。「考える前から答えが出ておるではないか?」 






オレは、いつでもこれさ。背中が熱で湯気上げそうな思いに落ちても冗談飛ばして笑ってんだよ。心は羞恥の熱で湯でダコさ。





























カメレオンの独り言-1496 『鏡の向こうのカメレオン』

2015年10月17日 | 日記







 2015年10月17日







決断つけ難いことがある。解らないことの真っ只中に在って右に往くべきか左に進むべきか決断つけ難い自分がいるんだね。

そんなのを背負って今を生きてるよ。機を逸しないかと焦燥が胸を駆け巡ることがある。

逸して 「しまったと」悔やむなら、其れはそれで運命だと自分に言い聞かせてる。見えぬものは見えぬ。よって、動くことが叶わない。






「動いてこそ見えるものもあるぞ」 確かにそうだね、今までは、待って、待って、薄ら見えた思いの方角に進んできた。

「それが正解だったと云えるか? 無駄に時間の浪費だったってことはないか?」 トラウマがある。

見えぬままに決断して路頭に迷う一歩手前を長い年月彷徨ったからね。「建設的な計画のもとだったか?」 違うね。






「どういう状況だった?」 ヤケクソの逃避に近かった。「今のおまえもそうか?」 後が無いから後を作るためだよ。「時期は?」

今からでも遅くない時期に来てるよ。「其れで居て、まだ、待つってのは賭けか?」 賭けではない、動きの弾みになる気配なりとも欲しいんだね。

と、云って待つ態勢も、そう長くも許してくれない時期を迎えてる。運を天に任すか。「外れたら?」 ふりだしの人生かな?






「ふりだしって、今、そんなの喰らったら、もうアウトだね」 大笑いだね、それでも寿命があるなら生きねばならん。「余計に辛いね」

「八甲田山」の青森歩兵第五連隊の神田大尉(北大路欣也)が云った台詞じゃないけど「天は我を見捨てたかっ」 劣悪の道に迷えば、そうなるんだよ。

まあ、仮に、そうなればオレの台詞は違うね、「天は我をおちょくりよったかっ」 この台詞を残すよ。でも、実際、アホらしくて屁も出んわ。

























此の休みに、ちょっと出かけて当てにするところを再確認してきたよ。悪くないね、オレの眼っこの入れどこは狂ってはいないね。

後は縁があるかないか、これを試して納得いけば進める、縁がなければ眼っこが外れたと思えばいい。「なんの話をしてんや?」 

動こうとしてるんだよ。動かそうとしてんだよ。ケツに火がついて慌てるのも煙に気付いていち早く動くのも、今となっては、然程の変わりはない。






昨晩は、こんなことを考えてばかりでパソコンの前に居ながらにしてキーを打つのも忘れてた。9時過ぎだったかね? 

少し寝るよって布団に寝転んで気付いたら朝の5時だった。あらまあ、どうしましょ。よく寝たねえ。まだ暗いね、湯を沸かしてコーヒーを入れる。

熱いコーヒー吹かしつつ呑みながら、前々日に仕上げてたブログを更新して、またボ~としてたよ。時は来たれりかね? 問うて応える相手は居ない。






椅子を回して横っちょの窓のカーテン開けかけたら薄っすら明るくなってる。未明と朝の境目だったんだね、陽が登るね? 時は善しだね?

「偶然だろうが」 映画のようだよ、このタイミング。そうか、そういうことなのか。「待てよ、おっさん、単なる偶然だよ」

こんな偶然見たこと無いっ。みるみる明るくなっていく。おお、神よっ、お導きに従いまするううっ。 「原始人か?」  






はああ~はっ、「なんや?」 溜息だよ。「おまえの溜息の表現、変わってるね」 もう、ちょっと寝よか。「朝だろ、寝るなっ」

























草木も眠る丑三つ時(今の午前2時から2時半頃)ってのは、一番、睡眠が深いらしいね。道理で身体が軽いよ。

オレは、いつも、この丑三つ時過ぎた頃に眠るってのが多いね。「幽霊どもが活発な時間帯だろ?」 見えなきゃ居ないのも同じだよ。

尤も、丑三つ時は、3時から3時半頃という説もあるらしいけどね。オレは、この後者の時間帯のお陰で、なんとか寝が足ってるのかも知れない。






薄い夏蒲団にタオルケットで寝てたけど、昨日、奥さんに冬布団に代えて貰って寝たのが幸いだったね、

羽毛だから、まだ暑いかなって思ったけど調度だったよ。日中は、まだ暑いのに、夜中、朝夕は冷える。2日ほど前、北海道で雪降ったからね。

北国では、早くも冬の気配だね、切替えの鍛錬を身体が覚えてメリハリの利いた生活をされてんだろうねえ? 「見習え」 此処は生温(なまぬる)い大阪だよ。






さあ、今日も屠所に引かれる牛の如く職場に向うか。「身体も軽く早起きした日ぐらい勇んで行けよ」 おまえが行け。「おまえの仕事だろ」

くっだらん、さあ、頑張るぞなんて出勤する奴なんか銃殺にしろ。「なんちゅうことを云う」 信じられん生き物だよ。「おまえが銃殺されろ」

これがおもろいんだよ。そうして引きずられる思いで玄関を出るだろ、瞬間、躍動的な人に変わっておるんだよ。「なんやねん、カメレオンか?」 カメレオンだよ。






「やあ、お早うさん」「いやあ、いい天気ですねえ」 嘘っぱちさ、と思うだろ? 本気なんだよ、本気で元気で陽気なオレが居るんだよ。信じられんわ。

「充分にメリハリ利いておるではないか」 身は生温い大阪に在っても気構えは北国の人なんだよ。「せいぜい底上げの宣伝しとけ」

侍が侍らしく死ねるのは、この切り替えが覚悟の中にあるんだろうね、で、なきゃあ、人も斬れぬし我が腹も切れるもんじゃないよ。「えらいとこへ飛ぶね」






大政奉還から、たかだか150年だよ。オレが此の世に生を受けた頃からすれば100年にも満たないちょい昔だよ。

新撰組がめでに血刀かざして奮闘していた時代だよ。隣りの爺さんが日本刀で人を二つに割った経験があってもおかしくない年月だよ。

日本人がカメレオンなんだよ。コロッと色変わって現代人。だから遠い昔に思うだけだよ。切り替え名人は元に還るのも早い。






だから、お隣の国は日本人を怖がって信用しないんだよ。「マサニ其の通りのチョン」 「何処の国の言葉やねん?」 お隣の国風に云ってんの。

























我が本社は、災いを振り撒くために存在しておるのかね? 「エラそうに云うね」 どうなと云えばいいのさ。本社が動いてロクなことないね。

「いやあ、そうですか、参ったなあ」 この件の報告は、間に合わずで先に延ばして時間を作るほうがいいですよ。「そうですねえ」

だから、オレが云ったんだよ、現場と机上論ではズレが生じるからって。言い出しっぺが片付けるんなら、別段、構わんけどね。「そうですねえ」






オレもどちみち長くはないから〇〇〇さんに、この件、任せておさらばするわ。「そんな、そんなこと云わないでくださいよ」 大笑いだよ。

受話器を置いて振り向くと彼女が窓越し覗いてるよ。おう、お帰り。なんかコワイ顔して睨んでるね? 其れは地顔なの? どうしたの?

人身事故で電車が停まって5キロも歩いて帰って来たらしい。「ほんまに、やめて欲しいわあ」 ああそう、そらあ大変だったね。






この娘(こ)の生態は不明だけど、オレの思うに女版カメレオンだね。オレと似てるよ、なんか、そう感じるんだね。切り替えが実に巧みだね。

或る時は、武家娘、或る時は、町の娘っこ、或る時は、妖しい女を演じて忙しいようだね。「おまえには?」 憮然とした娘だね。

なんで憮然とするのか、そのヘンがヘンなんだよ。地顔なんかね? 「憮然が地顔なのか?」 それは、随分失礼だろうね。






別れ際には、可愛い町の娘っこになるね。「ホッとすんじゃないか?」 なんだよ、其れは随分と失礼じゃないか? 

























思い起すと、オレと顔を合わせた瞬間に憮然となる彼女を何度も見たね。ムカつくのかねえ? 同類を感じさせる奴に対する敵意かも知らん。

自分を見るような不快感ってあるような無いようなもんじゃなかろうかね? 「なんやねん、それは」 よう解らんのだね。

「おまえが嫌いなんじゃないか?」 オレも思わないこともないんだけど、嫌いなおっさんの顔をわざわざ見に来るか? そんなの病気じゃないか。






奇奇怪怪なる女カメレオンだよ。 「おまえは?」 奥深そうで実に底浅い得体の知れないカメレオンだよ。オレ自身が、その正体を掴み切れない奴だよ。

ただね、どんな顔を持つ女カメレオンであっても、9年も変わらずに顔を見せに来てくれる彼女がね、オレは、ほんとうに愛おしいんだね。

もう充分だよって尻を叩いて、おまえの世界へ行けって、云ってやろうと何度も思ったけど、あいつは、はぐらかすから機会を失うんだよ。






実に難しいんだよ。 「おまえが死ねば終るね」 死んだら、なんでも終るんじゃっアホんだらっ。生きてりゃこその苦しみだよ。

前回紹介した映画「シン・シティ」の少女が、命を助けてくれた刑事に恋をして、娘になっても、その想いは一途なんだね。そんな娘も居るんだね?

其れを観て、ふっと彼女の顔がダブったよ。でも、オレは、何もしてやれてない癖して都合がいいねって笑って掻き消した。

























解らないままに長い年月が過ぎ去ったよ。おまえじゃないけど、オレも歳を喰った、解らないままにくたばるってのもあるのかも知れないね。

こういうのを悲恋って云うのかね? 「相思相愛であってこそだろ」 あっ、なるほどね、一方的ではどう云うの? 「片思いの失恋かな?」

そうか、じゃあ、オレの最初で最後の片思いの失恋だね。粋(いき)な男ってのは最後まで粋だねえ。「自分でエエように云うとるわ」 






「動いてこそ見えるものもあるぞ」 確かにそうだね。だけど、見たくとも動くに動けぬこともあるさ。

見たくもないことばかりを見せ付けられて、我れを忘れて哀しいやら苦しいやら情けないやら恥ずかしいやら此の上ないこともあるさ。

檻の中では如何ともし難い。身の届かぬことばかりに振り回されて遊ばれて可哀想。 「誰のことや?」 今、オレを主役に云ってんだよ。






「其れは、あくまで、おまえを主体に述べてるんだね?」 そうだよ。「一人苦しみ苛まれて在るとは限らんね?」 当然だよ。

相手在る問題は、双方に降りかかる雨だから、男なら傘を差しだしてしかるべきだよ。「よく解ってるね」 届かぬ想いの涙雨だよ。

しかし、何ごとも年貢の納め時ってのがあるからね、ここらで分別ある男らしく、その一つは納めよう。「潔いね」 身の程知らぬ若造ではないよ。

























残るは、最後の夢が叶うか叶わぬか夢絵空の世界で燃え尽きようか。映画のようなシーンを連想できてるか? 「出きるかっ馬鹿らしい」
































カメレオンの独り言-1495 『映画 シン・シティ 2  復讐の女神』

2015年10月15日 | 日記







 『シン・シティ 復讐の女神』 2015年10月15日







なんか休みが多いね、とても善いことだけど、あまり休み慣れすると、ずっと、休みが日曜だけなんて週が続くと仕事辞めようって真剣に考えてしまう。

「何を柔なこと云うてんねん」 働くことを美徳と信じる奴が働きづめたらいいんだよ。止めないよ。素晴らしいことだよ。

「ホンマに、そう思ってるのか?」 思ってるよ、人が汗して働くのを感じながら休む、なんとも云えん快感だね。「不心得もんがっ」





働くことが快感なんだから其れでいいではないか。互いに快感なんだよ。「そう云えばそうだね」 

休んで何を愉しもうって当てはないんだけど自由ってのが何よりも嬉しいんだね。拘束するものがない、思うが侭だよ。

好きなことに没頭して仕事よりも厳しいかも知れないことに現(うつつ)を抜かす。疲れ果てても、其処には、遣りがいと満足がある。





そのことに集中して、時間もあるから勉強も出来る。自分は自分が管理する。自分は自分で成長する。自分は自分で生きるんだよ。

オレは、そういうのが大好きだね。「生きる能も術も無いのに想いは一人前だね」 かも知れん。でも、好きなのは構わんだろ? 

「生きて往くには金が要る、好きだけでは生きては行けぬ、それが人生だよ」 方程式だね、変えようの無い方程式に倣って生きて死ぬか。





オレの人生は、くだらん奴隷のようなもんだった。しかし、嘆くまい、世の大方の人々も考えようによっては奴隷と然程の違いもないね。














『シン・シティ 復讐の女神』 エヴァ・グリーン








明日が休みの夜は映画に限る。前作が思いのほか面白かったので安心して2作目の 『シン・シティ 復讐の女神』を観たよ。

ブルース・ウィルス、ミッキー・ローク、ハーデイガン刑事のブルース・ウィルスに助けられ彼を愛してしまった娘ナンシー( ジェシカ・アルバ)

悪のボス ロアーク上院議員、マフィアも警察も介入出来ない娼婦街のお姉ちゃんたち、なかでも際立つ女用心棒。二刀流と手裏剣と弓矢の使い手ミホ、





登場人物が1作目と繋がってるね。これに賭博師のジョニーにジョゼフ・ゴードン=レヴィット、ジョシュ・ブローリンが出演してる。

1作目と変わらず残酷だねえ。劇画調白黒映像でなかったら血しぶき血みどろだらけの惨憺たる映画だろうね。

フランス女優のエヴァ・グリーンが裸体を惜しげなくさらして男たちを手玉にとる極悪非道な妖婦を演じてる、そんなに綺麗とは思わんけどねえ?














『シン・シティ 復讐の女神』 エヴァ・グリーン








エピローグ1(ミッキー・ローク)

エピローグ2(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)(パワーズ・ブース)

エピローグ3(ジョシュ・ブローリン)1作目ではクライヴ・オーウェン (エヴァ・グリーン)

エピローグ4(ジェシカ・アルバ)(ブルース・ウィルス)(ミッキー・ローク)(パワーズ・ブース)













『シン・シティ 復讐の女神』 ジョゼフ・ゴードン=レヴィット








エピローグ3 二刀流と手裏剣と弓矢の使い手ミホ役の女優も代わってるね。(ジェイミー・チャン)1作目では、デヴォン青木。

此の娘は、役柄とコスチュームで、あれ?役者が違うねって感じるんだけど、ジョシュ・ブローリンなんか新登場って感じで前作の引き続きなんて解らない。

クライヴ・オーウェンの役を引き継いでるんだね。でも「どうでもいいや」で通る映画だね。





エピローグ4 刑事に助けて貰って恋心、でも刑事は、ボスの息子を殺したことで自分が居る限り娘にも危害が永遠に及ぶことを憂慮して自殺(前作)

刑事の死は、酒場でストリッパーして生きてる娘の心に大打撃。酒びたりの毎日、射撃の訓練、ボスに復讐を誓ってる。

そんな娘を慮(おもんばか)って刑事の幽霊(ブルース・ウィルス)は、心を痛めて見守るばかりで何もしてやれないの。仕方ないね。





歳喰って恋をしたら、こんなもんだろうね。娘(ジェシカ・アルバ)は、少女から娘に成長しても彼への想いは一途なんだね。

怪力の不死身化物男(ミッキー・ローク)が、酒場の用心棒を兼ねて娘の身も守ってくれてるのが救いだね。この男は最強だからね。

娘の恨みの相手がロアーク上院議員 (パワーズ・ブース)こいつは、ホンマにどうしようもない悪党なんだね。














『シン・シティ 復讐の女神』 パワーズ・ブース  ジェシカ・アルバ








エピローグ2 賭博師(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)が博打場でロアーク上院議員をコテンパンに負かしたのはいいんだけど

恨みをかって右手の指をペンチでボキボキ折られて散々のボロボロ。おまけに知り合った女を同伴してたもんだから、その女もバラバラにされる。

「なんちゅう映画や?」 ドヤ街の医者に荒療治で治して貰って、再び、博打場へ。





「利き腕がそれじゃできんだろ?」って笑われるんだけど、左手のカード捌きも右手に劣らない。知って負け続けて最後の大博打で勝つ。

呆然とするロアークに 「おまえは、俺が居る限り負け続けるんだよ」なんて台詞が命取り、おでこに一発、鉛弾丸(なまりだま)喰らって死んじゃうの。

映画が映画だから、こんなので(ジョゼフ・ゴードン=レヴィット)終らんだろうと思ってたけど終ってしまったよ。呆気ないね。













『シン・シティ 復讐の女神』 ジョゼフ・ゴードン=レヴィット 出演シーン、大方、痛いのばっかし。








不可能を可能にして可能を不可能にするような映画だね。

エピローグ3で、妖婦(エヴァ・グリーン)の邸宅にジョシュ・ブローリンが侵入するシーンで援護するミホ(ジェイミー・チャン)が

日本刀振り回して派手に立ち回りするシーン、見張りの男たちの首が何個飛んだかね? 白黒映画で血は白く描写されて生臭ささはないけど血しぶきが凄い。





次から次へと矢を放ち相手をバッタバタ倒してゆく。身体や頭を貫通されても咄嗟には解らない描写がアホらしいけど面白い。遊んどおるね。













『シン・シティ 復讐の女神』 ジェイミー・チャン







エピローグ3の妖婦(エヴァ・グリーン)が、夫で億万長者のダミアンの拷問癖から逃れて来たと元恋人の(ジョシュ・ブローリン)のもとに助けを求めに来る。

作り話で男を利用して夫の財産を手に入れる魂胆なんだね。妻の行状の悪さは知ってはいるものの、あまり感知しない夫は何が何やら解らんままに殺されてる。

男を狂わせる魔性の女に設定してあるんだね。捜査に駆けつけた刑事も誘惑して思いどおりに使いこなそうとする。最悪だね。





人生は、己の描いたようには往かんもんだってことを知らんのだね。結局、何も手に入らず命まで失う。善い奥さんしてりゃ良かったんだよ。馬鹿だね。

欲から生まれたものは、欲を呼び寄せて欲に取り巻かれて、其処から得るには、尚、欲どおしくなって欲に足を掬われる。類は類(友)を呼ぶ。

「類(るい)は友を呼ぶが正しいんではないか?」 らしいけど、類は類を呼ぶってのも通るらしいよ。同じ類(たぐい)の奴が寄る、因果だね。














『シン・シティ 復讐の女神』 エヴァ・グリーン








自分を知りたければ自分の取り巻き連中を見れば解るんだろうね。芯を腐らさぬことだよ。「おまえは?」 誰も居ないよ。貧乏な一匹狼だからね。








































































此の女優(エヴァ・グリーン) どこかで観たなあって思ってたけど、『300』の2作目『帝国の進撃』でペルシャ軍の女提督してた人だね。

敵のギリシャの指揮官を色仕掛けで恭順させようと船室で大胆してたね。この人、色気があるのかね? 自信があるんだろうね?

思うようにいかないと凶暴になる、そうそう誰にでも通じるもんじゃないだろ? 「そうか?」 解らん。みんな、いい気持ちにはなるだろうけどね。













『300 帝国の進撃』 エヴァ・グリーン








007/カジノ・ロワイヤルで ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ )の相手役だったらしいけど覚えてないなあ。































カメレオンの独り言-1494 『真夜中のしじまの向こうに自分が居る』

2015年10月13日 | 日記







 『ピカソの絵 215億円』 2015年10月13日







深夜、ふっと目覚めて寝返りうって、そのまま眠ろうとしたけど眠れない。ときたま、こういう夜があるね。暫く、空ろなんだけど段々と冴えてくる。

何故か、このまま家ん中に篭ってパソコンばかりに現(うつつ)を抜かせて居てもいいのかって問いかける声がする。

ただ、闇雲に夢を追う真似事で夢中になっていていいのか? 道の無い道を歩いて何処に着くと思ってる? 他に時間を使うことはないのか?





おまえの我慢力と集中力を正しく使ってるか? 一つ処に置かれたら抗することなく其処に馴染んで同化する器用さに嵌まってしまったんじゃないか?

疑ったことがあるか? 次から次から問いかけの声が途切れない。それらにきっぱりと答えることが出来ないんだね。

そう云えばそうかなって迷うところがあるんだね。遣るって云って始めたブログ以外に手を広げることもなしに4年が過ぎた。





いいではないか、夢を追う真似事に集中して何が悪い? 「悪くは無い、しかし、そのために他に大事なことを見失ってないか?」 

現実には枠が在る。現実に目を見開いて向っても越せぬ枠が阻んでる。如何ともし難いんだね。其処へ来て歳が足を引っ張って身動きできないんだよ。

頑強な砦を壊すのは、外からではなく内から崩せば脆いってのが頭にある。トロイの木馬だね。





オレは、もう、どうしようもない現実を目の当たりにして動きを停止されたんだよ。残る手は、自分を変えるしかないと思ってんの。

変えようのない現実に打つ手など期待しない。今のオレでは駄目でも、オレ自身を変えれば頑強な砦に風穴が開くかも知れない。

かも知れない、かも知れないに懸けてんだよ。「かも知れないに4年を懸けて何かあったか?」 過ぎ去った時間は水だよ。流れ落ちる水だね。





川は無情に流れ往くものさ、逆らわずに流されていけば好むと好まざるに拘らず否が応でも答えを見れるものさ。それが自分の人生と悟(し)ればいい。























一生懸命にしたことに無駄はないってのがオレの人生観だよ。活かされることが初心とは外れても、必ず、遣っておいて良かったって基になる。

無駄ではない、其れが、そう思わせてくれるんだよ。歳をとったことを悲観的に云うけれど、歳をとったればこそってのもあるはずだよ。

若くても年老いても前に向かって歩むに変わりはない。前に向かって歩いているって実感だよ。これが 「オレは生きて往く」に繋がってるんだよ。





問いかけに答えらしき言葉を跳ね返してホッとするんだけど、一つ処に置かれたら抗することなく其処に馴染んで同化する器用さに嵌まってるってのが

やけに引っ掛かってどかないんだね。的を射られたように堪えてる。オレには、そういう処が確かにある。

好き嫌いを別にして何処でも自分の居場所を作り上げる器用さがある。馴染めば動かない。それなりのサイクルの中で立場を確保する。





意図的ではないと云いたいけど無意識に作り上げてるんだろうかね? 労した意識が働くから収まってしまうと動かないのかも知れない。

「なんでや?」 折角、築いた立場を放棄して新たに築くのが、めんどいんじゃないか? 其れを逆算したら労した意識があるんだよ。

克服せねばならん悪癖かも知れん。満足でもない処に、めんどいからが理由で居座る、発展性がある訳がない。なんか身体が熱く感じて起き上がる。























なんでも、最低、ゆっくりできればそれでいいという願望を優先して、其の為に捨て往く犠牲に目を閉じていたのかも知れん。

自分を生きれなかった人生の後遺症かね? 何の音もしない暗闇のしじまの中に身を起こして、口の周りに指を這わせて考えている。

自分を生きるということを忘れていたのかも知れない。周りの調整の役割ばかりに専念して自分を忘れていたのかも知れないね。





人を優先すれば自分を脇に置く。それで、ことが丸くゆくなら脇に置いて和を保つ。慣れれば、それなりに自分も愉しむことも出来る。

それも意識してするんじゃないんだね、自然と、そういう風になっている。常に傍観する視点から観察力や洞察力が長けてくるんだろうかね?

自分を殺すと直感力も冴えてくるんだね。場を持たせて隙がなくなる。良く言えば個性、悪く云えば自分がない。





皆が愉しければ、それでいい、そんな思いから自分の姿勢が出来上がってしまったかね? そういう生き方で、律して揺るがぬ自分なら仕方がない。

相対性でことはなっているから表の裏側、裏側の表に過ぎないことかも知れない。今となっては、表も裏もひっくるめて自分なんだろうね。

其れが癖になり習慣になり本質になって、久しく夜中のしじまの中で疑う自分が存在してることに気付くってこともあるのかねえ?





「眠っていた欲求が目覚めたんじゃないか?」 かも知れん。「自分を疑うのか?」 それでは、今まで生きて来た自分に失礼だろ。

欲求に目覚めても迷わない。それを、叶える自分に変わればいい。「今からか?」 死ぬまで自分だよ。そう、死ぬまでは自分の連続物語だよ。

そう思うと心地よい睡魔が来たりて身を横たえて、朝が来た。












































カメレオンの独り言-1493 『映画 シン・シティ すこぶる調子悪いけど、なんとかもたそ』

2015年10月11日 | 日記







 『シン・シティ』 2015年10月11日








カメラ持って電車乗り継ぎ乗り継ぎ行けるトコまで行ったろか、なんて考えてる。「お金は?」 だから行けるトコまでだよ。

当然、帰る電車賃も計算してだよ。「何処へ行く?」 何処って、何処でしょう? 「おまえが行くんやろ?」 そんなもん電車に聞いてくれ。

大阪駅からJRか阪神、もしくは阪急の神戸線に乗って神戸で山陽電車に乗り換えたら西へ行けるだろ? 「高いぞ」 持ち金の限界まで行くんだよ。





そうだね、向こうで産地の弁当でも喰って、コーヒー呑んで、写真撮りまくって夕方になったら帰りの電車に乗って帰って来るんだよ。

で、くっだらねえ、なんて思いつつ電車に揺られて眠るんだよ。家で寝てたほうが身体も楽だし金も要らんわ。何処へ行っても車だらけ人だらけ。

持ってる奴は、精々、世のため人のため笑顔で金バラ撒いて悦って頂戴。こちとら貧乏の我が家へ帰って「ホッ」とするのが見えてるね。





で、落ち着いたら撮ってきた写真をパソコンに移して27型のモニターで見る、沢山撮ってるねって、感心するんだけどロクなのないね。

「当地は地震だったのか?」と思うようなブレた写真のオンパレード。ブログに貼りたいけど良いのが無いのでググールで検索して人のを盗ってる。

岡山の錦帯橋、震度3で揺れている。人の写真の方が上手い、尾道の喫茶店、真っ暗け、他所の喫茶店の写真を貼ろうか、そうしよう。





おっ、このヤマト宅急便のトラックは、ばっちしブレなく写ってるっ。「なんで遠く行ってまでヤマト宅急便の配達車を撮るの?」 なんとはなしに。
















『シン・シテェ』 2005年アメリカ映画









いかに困ってるかお解かりだろう? この前から車がガス欠で停まってしまったような状態なの。「どうした?」 頭が働かないの。

話が、全然、浮いて来ないんだよ。片田舎の道路でガス欠だからどうしょうもない。仕方ない、おにぎりでも喰うか。

「今時、弁当、おにぎりかよ?」 今時も昔時もあるかっ、おにぎりでええんじゃ。日本の伝統ある弁当の何処がおかしい? 最高傑作だよ。





此れもね、外で食うから、ひと際、美味いんだよ。家でズボラかまして「はいよ、おにぎり食べとき」なんて、毎度、出されたら文句も出るだろうね。

「贅沢云いなっ」 そういう問題ではないだろっ。茶漬けにしてくれ。「めんどいなあ、あんたしいな」 

ええわい、オレがやる。おにぎり潰して茶漬けでは酷いな、よし、お粥さんでも作るか。グラグラグラ、焚いとけば勝手に出来る。パソコンしとこ。





「あんた、噴いてるでっ」 この糞ババア、ちょっと立って火を弱めて湯を足せよ。テレビ観て笑ってる。しゃもじで出来具合を見てる。もう、暫くだね。

しかし、具を挟んでないから手間省けたけど飯だけのおにぎりって芸の無いババアやで。トロトロしてきたね。

まあ、お粥さんでも添え物がいるね、醤油塩昆布に梅干ひとつ、小皿に盛り付けた一品をお膳に茶碗と箸と並べて置く。「なんか綺麗なあ」ババアが感心してる。





そして、同時に沸かしていた湯を土瓶に注ぐ。う~ん、茶の香りが鼻腔に届いてる。瞬間の配置の妙だね、土瓶と湯飲みを並べる。

茶碗に注いだお粥さんから湯気が舞い食卓に生気を漂わせて心地いい。湯飲みに茶を注ぐ、湯気が上がる。この趣は贅沢だね。

「なんか、あんたのは美味しそうに感じるなあ」 いつも云ってるだろ、腹八分目を目安として茶碗に注ぐのも、添え物の盛り付けも七~八分目に留め置けって。





品を心掛ければ自ずと質素ながらにも馬鹿には出来ぬ雰囲気に収まるんだよ。「なるほど」 おまえって理解するのは、ホンマに聞いてるときだけやね。














『シン・シティ』 2005年アメリカ映画









昨日は、何にも浮かんで来ないから駄文の書きようもないので一日飛ばして映画を観たよ。借りたけど大失敗だと思ってた『シン・シティ』って映画。

変わった映画だね。モノクロで劇画調だね。グリーンの瞳や血、唇などがカラーになって強調されたりして斬新で強烈に刺激するよ。

気を入れずに流すように観てたんだけど、訳解らんままに進むうち気を入れて観てしまったよ。おもろいね。





未だかつて見たことのないクールでスタイリッシュなビジュアル(映像)だ、なんて売り文句だよ。たしかに、それに近いね。

アメリカン・コミックを映画化してんだね。あまり弄らないで原案を映像化してストレートに出来上がってるみたいだね。

ただ、物語が三つに分かれてるのか繋がってるのかが解らないんだね。 「おまえの頭が悪いんだろ?」 そうかねえ?














『シン・シティ』 エピソード2









エピソード1、その屈強な肉体と醜い容姿から誰も近づこうとしない仮出所中のマーヴ。彼は、一夜の愛をくれた高級娼婦ゴールディを何者かに殺され、復讐に立ち上がる…。

エピソード2、罪から逃れるため過去を捨てシン・シティに身を潜めるドワイト。ある時、昔の恋人ゲイルが仕切る娼婦街で警察官が殺されるトラブルが起こる。

発覚すれば警察との協定は破棄され、娼婦たちは窮地に陥る。彼女たちを救おうと一肌脱ぐドワイトだが…。

エピソード3、街の実力者の息子を相手に正義を貫くハーティガン刑事。しかし、相棒の裏切りに遭い無実の罪で投獄される。

8年後、出所した彼はかつて救い出した少女ナンシーに再び危機が迫っていることを知り、最後の戦いへと向かう…。





粗筋は、面倒だからそこらの解説をコピペで間に合わせたんだけど 「ズボラすんな」 やっぱり、三つに分かれてるだろ。

でも、ちょろちょろと、他のエピソードの連中が顔を出すから解らんようになるんだよ。まあ、そんなの、あまり拘らなくても済むような映画ではあるね。

ズタズタのバラバラで残酷もええとこなんだけどマンガチックに描かれてるから顔を背けるような描写はない。でも、内容は残酷なんだね。














『シン・シティ』 エピソード1









オレの感性からすると納得できる映画だよ。アメリカン・コミックのイメージがバリバリだよ。そういう向きで観ると次のも愉しみだね。

『シン・シティ復讐の女神』って続編も借りて、しまったなって後悔してたんだけど愉しみに変わって良かったよ。

『ナイト・ミュージアム』ってのも2作を借りて連続で観ようと思ってたけど1作目をパラパラと観てゴミ箱へ2作とも捨てた。なんだよ、これ。





役者が悪いっ、誰だ、こいつ? 親しめない顔だよ。「おまえがだろ?」 そらあ 「いいわあ」って人も居るだろうけどオレは駄目だね。

第一に物語が、なんだよ、これは、夜になると博物館の展示品が本物なって動き出して暴れる? 警備員してる主人公が慌てふためいて騒動になる。

お子様用の映画だね? 付き合いきれんわ。オレは、夢喰い男だけど、この手の夢は食わない。アホらしい味が口に合わない。戯作(げさく)だね。





「おもろくなければ書くなよ」 金払った分、字数なりと助てもらわな勿体無いよ。これで『ナイト・ミュージアム』も生きるよ。

「どう生きんねん?」 役に立ったってことだよ。

『シン・シティ』に戻るけど、エピソード1の「屈強な肉体と醜い容姿の仮出所中のマーヴ」って、役者が誰だか解らないままだったよ。














『シン・シティ』 エピソード1 ミッキーローク









ミッキー・ロークなんだね。この人は、1985年の「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」で観てから印象に残った役者だけど、ちょっと、キモイ男だね。

なんか、異常なモノを兼ね備えた男だよ。「どんな奴やねん?」 素直な奴ではない。陰に篭ったものを臭わす奴だよ。

メイクが出来すぎてんのかしてミッキーロークって断り無かったら永遠に解らんわ。云われて、そういえば「目の表情」に彼が現れてたかねって程度だよ。















『シン・シティ』 エピソード1 人肉喰いの異常男









人肉喰いの若者相手に戦うシーンがある。手強いんだね、若い女性を食べるんだよ、こいつ。「女性を甚振る奴は許さんっ」 怒ったマーブは、遂に若者に勝つ。

「楽には殺さない」なんて云って、若者の手足をバラバラにして止血して生き長らえさせて狼の餌食にするんだね。若者は無表情。眼鏡のレンズが白く光ってる。

残った首だけ持ち去るマーブ。血生臭いこと、この上ないけど淡々と観れるから面白い。「おまえも、おかしいんとちゃうか?」 





許せん奴をとことんぶっ壊すって感じかね? エピソード3の「正義を貫くハーティガン刑事」を演じるブルース・ウィルスも首吊りなって万事休す。

身をとして命を救った少女に惚れられて大きく成長した娘が異様な男に連れ去られる。「死ぬなっ」 もう駄目って状態で気付いて縄から開放される。

愛する娘を助けねばならん。変態の怪物男の餌食になろうかとする寸前に車をすっ飛ばして追いつく。





変態の怪物男は、昔、少女をさらい毒牙にかけよとしてブルース・ウィルスにチンポを撃たれて散々。悪のボスの親父が大枚払って蘇生手術で生き返るけど

身体を流れる血は黄色くて臭いんだね、チンポも再生して貰ったんだけど女性の悲鳴で勃起する構造。誰が考えよったんかねえ?

だから、女性を拷問して悲鳴をあげさせることに専念する。娘は、ブルース・ウィルスに忠告された通り声をあげずに耐えるんだね。





怒り心頭のブルース・ウィルスは、この変態の怪物男をどつきまわして顔面潰してしまうの、もう、グチャグチャ。まあ、そんな映画でした。しんど~。












































以上、綺麗なお姉ちゃんのオンパレードでした。














『シン・シティ』 エピソード3のブルース・ウィルス

































カメレオンの独り言-1492 『出涸らしのお茶からウィンドウズ10』

2015年10月08日 | 日記







 『Windows 10』  2015年10月9日







朝夕が涼しくなったというか寒くなったというか季節は正直なもんでめっきり秋めいたね。

周期的に頭ん中が真っ白になって、なんにも浮いて来ないときがある。こんな時は、口から出任せしか話せない。「いつもやろ?」 

いつもなんだけど、其処には、何かしらフニャフニャと舞ってるものがあるんだよ。話してる間に其れが形になるんだね。





しかし、今日は空っぽなんだよ。口から出任せで最後まで話さねばならないんだよ。「何を話すのだ?」 聞くなっ、出任せも消えるではないか。

今日は、午前中から細かい数字と睨めっこして仕事したんだけど、すぐに目が疲れてしまうんだね。

パソコンのフォントも小さいんだけど、何故か、こちらは全然疲れないのに仕事では疲れる。「数字が苦手で頭が着いてゆかんのだろ?」 それもある。





「其れもあると云うより其れだろ?」 随分だね。此れでも仕事は正直、真面目だぞ。「真面目だけど頭が悪いから疲れるんだよ」 随分だね。

まあ、間違いだらけの書類を本社に送っても、ニコニコと声美人の担当の女性が 「〇〇〇です、3箇所ほど確認よろしいですか?」 あ、また出ましたか?

笑ってるよ。優しいひとなんだよ。間違いがあったら、かかってくるんだよ。何処其処と何処其処、照会して解決する些細なもんだけどね。























「〇〇〇〇さんは、いつも早く送ってくださるから助かります」 文句云う口で感謝の言葉が先に出るんだよ。いやいや、目が悪くてね、申し訳ないです。

「一度、本社の方にお貌を見せてください、みんな、待ってるんです」 聞いたか? 本社の女性社員たちがオレを待ってるんだよ。「愛想だろ?」

そう思うだろ? それがだね、いつか本社の部長が来た時に、「〇〇〇〇さん、たまには、顔を出してやってください。みんな待ってるみたいですよ」





聞いたか? 「愛想だろ?」 なんで部長がオレに愛想すんだよ? 巷の噂が広がって期待してんだよ。「何を期待すんねん?」 なんだろうかねえ?

オレはね、ちょっと変わった人間押し通してるからね、本社の召集なんかに出た例(ためし)がないんだよ。「そんなの通らんだろ?」

常務や検査室の偉いさんが来るとね、仕事の姿勢について少し話す、「いやあ、〇〇〇〇さん、結構、結構、気が向いたらでいいですよ」 お墨付きだよ。





誰にも何も云わさん。「なんちゅう奴や」 実際は、本社のミスのほうが大きいんだよ。其れをオレは、慌てることなく、

いいですよ、此方で処理しますからって笑って問題なしに片付けてしまう。「流石あ~っ」って、担当の女性社員が感動してる。

そんなので助け合ってるから、毎度のちょいミスなんか怒らないの。しかし、いつまでも甘えておったんでは無礼になる。





そこで間違いゼロで通してやるって意気込むから非常に疲れる訳だよ。「細(こま)い数字が疲れるからで、ここまで延ばすか?」 技だよ。

オレも、そう長くは此処に居ない、辞めるまでに、或る日、突然、顔を見せに行こうかな。「何しにいくねん?」

本社の女性社員たちにだね、はっはははなんて愛想振りにだよ。声美人さんにも、一度、顔合わせて挨拶しても罰は当たらんよ。





「浅ましいんじゃないか?」 なんで浅ましいの? 「人気伺いかよ?」 おまえも曲がった捉えようをするね、お世話になったお礼の挨拶だよ。























人はね、物事が滞りなく無事に済ませて居れる環境ってのはね、直接的な支援を貰わなくても、そのときの周囲の存在のお陰ってのがあるんだよ。

独りの才でいけてるなんて傲慢な取りようはせぬことだよ。まわりの人の思いの恩恵ってのが働いて難を逃れて在るもんなんだよ。

オレは、一匹狼もどきで生きてるけど其ういうのは忘れないよ。一人の力なんてのは、所詮、大したもんじゃないんだよ。それがチームワークの根本だよ。





このブログだってそうだよ。毎日欠かさず書き続けた3年間は、書くのはオレだけど、毎日書く勢い搾れたのは読んでくれる人が居たからだよ。

何処の馬の骨か解らんおっさんの落書き程度の駄文を誰が読む。それでもクリックしたら何ページかは目を通してくださる。

オレはね、このブログで教わったことが多いよ。人は一人では生きてはいけんってことを改めて知ったよ。見えない恩恵に後押しされて生きているんだなってね。





落書き我慢して付き合って頂いた人に、オレは、まともな駄文を完成させねば恩返しができないと思ってる。

ただ、想いとは裏腹に成長が甚だとろいんだねえ。発想も途絶えてドツボだよ。しかしながら見ていてくれ給え。「態度がデカイんだよ、見ててねって云えんか?」 

覚悟の程を表してんだよ。見ててね、なんて台詞に覚悟がうかがえるか? 見ていてくれ給え、これだよ。「口先だでは終れんな」 そうだろ、不安だけど。





前にも書いたけど、オレは、何が嬉しいってね、毎日読んで頂く枚数の多さなんだよ。此のところ3000~4000字ぐらいの駄文が多いんだけど

ずっと7~10倍の嵩で読んで頂いてるよ。こんなに読めるもんじゃないよ。1000字ぐらいで収めようとは思ってんだけど膨らむんだね。

オレは、通常、寡黙なほうなんだけど、喋りだして油が乗ると止め処なく喋るからね。その勢いなんだろうね。「男の喋りは見っともない」 





あまり寡黙も鬱陶しいよ。その人の持ち味っていうか雰囲気で合うのと合わぬがあるよ。 「皆を寡黙に引きずる奴か?」 お通夜だよ。














『Windows 10 Home - Windows 10 Pro』









油に乗っても話す題材がないと途切れるね。う~ん、そうだ、今、マイクロソフトから「Windows10へのアップグレード」の無料予約の通知が

毎度、入るんだけど、これはアップグレードした方がいいのかね? 検索してみると「良くなった」と云う人も居れば「最悪」って嘆く人も居る。

どっちかにしろよ。迷うだけじゃないか。なんか1年間って期限もあるようなことも書いてあったね? 





よく解らんけど、オレからすると「XP」と「Windows7」が一番安定してたように感じるけどね。「じゃあ、Windows7でいっとけ」 

「右も左も解らんのに、其の上、洞穴へ入るようなことすんな」 云えてるね。今、「7」で何の不自由もないからね。

皆が使いこなれた頃が代え時かも知れん。「それが無難だよ」 話が終ってしまうではないか。





今日は、これで終っておこうか。もう、お茶も出涸らしで味も香りも出まへんわ。






























カメレオンの独り言-1491 『映画 ラン・オールナイト』 

2015年10月07日 | 日記







 『ラン・オールナイト』  2015年10月7日







『ラン・オールナイト』 Run All Night 2015年アメリカ映画を観たよ。長年、殺し屋稼業で多くの人を殺してきた男をリーアム・ニーソンが演じてる。

過去に犯した悪行に対する罪悪感からアルコールに溺れる毎日を送ってんだね。早々から、こらあ、ニーソンは最後は死ぬねって感じてる。

ニーソンの無二の親友のエド・ハリス、街を裏で仕切ってるマフィアのボスなんだね。そのエドの息子は出来が悪くて問題を起こす。





独自にアルバニア・マフィアとの麻薬取引を計画するが、父親の協力が得られなかったことで失敗、アルバニア・マフィアとの金銭トラブルから彼らを殺害する。

其の様子をリムジンの運転手で生計を立てるニーソンの息子に見られてしまうんだね。

エドの息子は、口封じのために殺害しようと家に侵入するんだけど、あわやの瞬間、逆にニーソンに射殺される。





無二の親友の息子を殺した事から始まる報復の追撃が始まるんだね。街を牛耳るマフィアの配下、買収された警官たちがニーソン親子を追い詰める。

物語の役どころが好きではないけどハラハラ、ドキドキさせられて見入ってしまう。

でも、主役がラストで死ぬ映画ってのは、其れが必然であっても好きになれないんだね。戦争映画で壮烈に死ぬのと、ちょっと趣が違う。














『ラン・オールナイト』 Run All Night 2015年アメリカ映画 リーアム・ニーソン









なんか、わざわざ見も知らぬ他人さんの葬式に参列するような感じがして気分が栄(は)えないよ。もう、後の無い終わりだからね。

『96時間』のお父さんのほうがいいよ。つまらん妻は死んで喜ばしいし 「なんちゅうこと云うねん」 今度は娘役の女優を代えてほしいよ。

しかし、リーアム・ニーソンは、いいねえ。こういう安定感のある役者は大事にせなあかん。映画界では大きな存在だよ。





エド・ハリスもいい役者だよ、でも、歳喰ったねえ。ニーソンに撃たれて無理なく死んだよ。「どういうことや?」 年並みにだよ。

馬鹿な息子や娘をもつと親は可哀想なもんだよ。若さゆえの理解が及ばん悲しさだね。人生の先が見通せるが故の親の老婆心が解らない。

子を憎む親は居ない、おまえを思えばこその厳しさだよ。あかの他人に遣られるよりはと敢えて厳しく鍛えて巣立ちをさせたいんだよ。





しかし、最近は、当たり前であったことが、新しく断りを入れねばならない世相にもなってるね。我が子を虐待で殺す親が居る。世も末だね。

かと思えば、親を殺す子も増え過ぎだね。もう、滅茶苦茶だね。世は地獄だよ。

背伸びしたがる年頃が、処理できぬほどの情報漬けで世間の通になったような錯覚に陥る。抵抗無く吸収したい向きの情報ばかりで風船膨らませる。





「なんで風船や?」 身となり骨となる重みがないから軽いんだよ。だから、社会でチクリと刺されただけで、破裂したり、すぼんだりするんだよ。















『ラン・オールナイト』 エド・ハリス 出来の悪い子ほど可愛いものって云うからね、マフィアのボスも人の子だね。









「おまえも、よく破裂したんじゃないのか?」 そうだね、オレの場合も世間知らずが災いしたね。オレは正義の爆発だと思ってしたことなんだけど

今、考えると爆発するほどのことではなかったね。それは、強さの裏にある弱さの限界だったんだろうと反省するよ。つまり、幅がないんだよ。

大方の人は、じっと黙って堪えて済ます。この繰り返しで強くもなれば幅もできる。だが、正義は気短かなんだよ。「ええことか?」 正義なんだよ。





「だから、ええことなんか?」 正義は、気長でなくては正義ではないね。正義ほど苦痛をもたらすものはないよ。「悪いことやってんね」 うるさいわっ。

怒りは最後の最後だね、出さなくてもいい解決策に救われる場合があるもんなんだよ。なにごとも変わらぬものはないんだよ。

それを知って、収まるまでは、耐えねばならん試練かも知れん。考えたら気短かな爆発は、神さんが書いたストーリーを破壊したのかも知れないね。





つまり、辞めるって去るのは、潔(いさぎよ)いかも知れないけど、それは負けてんだね。揚句、路頭に迷って天罰喰らう割の合わぬ行為だね。

そんなのを考えるとね、筋の通らぬことでも耐えねばならんのが人生なのかって思うけど、違うんだね、

戦いなんだよ、矢でも鉄砲でも持って来んかいって踏ん張らねばならん戦いなのかも知れんよ。勝つことを覚える試練だよ。





「気の進まん安月給の職場でもか?」 そこだよっ、オレは、それを見越して爆発したんだよ。「放ったんかえ?」 まあ、海千山千、タイミングの問題だよ。

云わば消化労働ゆえの気安さってのかねえ、末端職業の強みだね。「反省は帳消しか?」 いや、骨を埋めると決めた職場なら破裂してはいかんよ。

破裂はご破算だよ。積み上げたものが失われる。遠回りの道を歩くことになるね。それはそれで習い知ることも少なくはないけどね。時間を失うね。














『ラン・オールナイト』 リーアム・ニーソン、この映画では、機敏に動いて歳を感じさせなかったよ。









「ラン・オールナイトはどうなってん?」 追われる立場から反撃に出たニーソンが格好良かったね。エド・ハリスのもとへ単身乗り込んで

無造作に子分どもを撃ち殺して行くんだね。其の世界で怖れられた殺し屋だから、その気になったら造作も無い。

いつも思うんだけど街の裏社会を牛耳るほどのマフィアのボスって、其の君臨するさまと崩れ往くさまのギャップが激しいんだね。





5~6人の子分がバタバタ殺されてボスだけが逃げ出すんだけど、もう、子分は居ないの? ボスも一人になったら、そこらのおっさんになっちゃうんだね。

この崩壊のさまは、あまりにちゃちじゃないのかね? 組織の威容さなんてのが全くないんだね。なんか、こじんまりしたマフィアだね。

ニーソンと同格の殺し屋が最後まで付き纏ってマフィアの怖さを持続させるんだけど、この殺し屋は、個人的にニーソンに恨みがあるような設定なんだね。














『ラン・オールナイト』 殺し屋 「役者の名は?」 知らん、感情を殺しすぎてロボットみたいになっちゃった。









ボスのエド・ハリスから声がかかると、ニーソンなら「タダでもやるぜ」って、云うだけあってしつこいんだね。ロボットみたいな殺し屋だよ。

観てる間は面白かったけど、いつか、もう一度観ようと思うほどの映画ではなかったかね。「そんなの最後に云うなよ」 オレはだよ。

皆さんはどうか解んないよ。人の幸せを平然と破壊しに来る奴を、最後の力を振り絞って最後の弾丸一発、脳天ぶち抜いたのは良かったね。














『ラン・オールナイト』 息子を救うために瀕死の状態で最後の一発に懸ける。









ニーソンが怪我をして兄貴の家に匿ってもらって手当てを受けるシーンがあるの。兄貴は、ガウンを羽織って髭ボウボウのサンタクロース風。

息子を交えて過去の話の展開から「出て行けっ」ってニーソンらを放り出す。僅かな挿入場面なんだけど、この兄貴、どこかで観たなって思ったら

かのニック・ノルティじゃやないの。なんで、ニック・ノルティが、こんなのやってるの? 「友情出演じゃないの?」 汚いおっさん役やで。










 『48時間』 1982年(昭和57年)アメリカ映画










街の素人の隠居爺さんに頼んでやってもらえば充分な役どころだよ。「もう、ニック・ノルティが、そんな爺さんになってんだろ?」 ああ、そうか。

「48時間」でバリバリだったからね。「いつの映画や?」 1982年だから33年前になるね。そんなに経ってたの? 

検索したら。ホントだ、74歳になってるよ。怖いねえ、今度、思い出した頃には死んでるね。「おまえも、そんな部類に居るではないか」 そうだね。





人の一生なんて、ああ、無情だね。 「レ・ミゼラブルか?」 言葉の響きがね。 哀れな人々って、オレのことかよ?  「ピッタシだね」

「レ・ミゼラブル」ってのは、ヴィクトル・ユーゴーが1862年に執筆したフランス文学の大河小説で、悲惨な人々、哀れな人々を意味するらしいね。

「レ・ミゼラブル」って、なんか、つい最近の映画にあったね。普通に喋ればいいのに声張り上げて歌って喋るの。死ぬまで好きになれんわ。














『レ・ミゼラブル』 アン・ハサウェイ この女優さんは器用だね、なんでもこなしてオールマイティだね。








「他所(よそ)へ飛んでまで憎まれ口たたくな」 人の好みって千差万別、たたかれた人は、人殺しまくって何が面白いねんって云ってるだろうね。





























カメレオンの独り言-1490 『抗(あがら)えば抗うほどに艶かしく妖しい女体(にょたい)の哀しさ』

2015年10月05日 | 日記







 2015年10月5日







この土曜日は休みで午後からちょっとカメラを持って出かけたんだけど、何を撮ると云うんだよ、馬鹿らしいって、毎度の癖が出て撮る気もしない。

撮らずにおれん被写体って、どんなのを云うんかね? すっかり初歩に戻ってるよ。「だから、懲りずに出ろって云ってんだよ」

オレを突き動かすようなモノ出て来い。毎度走ってる電車を撮ってどうするの? 変わらぬ町並み撮っても明日も其処に在る。






「5年後、10年後、そのまま在るとは限らんだろ?」 肝心のオレが生きてるかどうかも解らんのに、そんなの残してどうなるの?

「根がシラケてるね」 そうだね。「遠くへ行け」 日頃、目にしない景色や町並みだったら撮ろうと思うだろうね。「そうだよ」

じゃあ、今度の休みには電車乗ってフラッと出てみようか。「遠くへだぞ、行ったことのあるとこは駄目だぞ」 オレの場合、大方が未知に満ちてるよ。






「兎に角、大阪から出ろっ」 他府県だね 「そうだよ」 兵庫県は? 「隣りじゃないか」 京都も奈良も和歌山もそうだね。

流石に隣りの県には、よく出向いてるね。その向こうだね。そうなると電車賃が高くなるし時間的制約も厳しくなる、諸々の事情で中止だね。

「行く前から、あれやこれやと難癖つけるから行けなくなるんだよ」 不快なる事実だよ。金と時間は無視できないからね。

























仕事辞めたら時間の制約から開放されるけど、オレのお小遣いが減って慢性金欠病になるから行きたくても行けなくなるよ、ふっふふふ、ざまあみろ。

「おまえが行けなくなるのに、なんで、ざまあみろなんだ?」 思うようにならない人生にざまあみろだよ。「変わってんね」

こんなので悲観して欝になったり、ひねくれたり、自棄(やけ)起こしたり、人を妬んだり、世間を憎む奴の気が知れんわ。






どうにもならん人生を愉しまんかえ。「そんなの、おまえだけじゃ」 走り続けることが人生の愉しさとしたら、おまえは走り続けるか? 「しんどいね」

ゆっくり歩けて休んでおにぎり喰って寝転んで自由がいい、まあ、こんなのを妄想しつつ帰って来たよ。頬が緩むね。「変態の域に達してんじゃないか?」 

すべからく明日は解らんのだよ、解らんという可能性に溢れておるんだよ。さあ、パソコンしよ。「どうしようもないおっさんやね」






人間が無くしてはいけないのは、明日を信じる力だよ。自分を信じて、兎に角、今日を大事に生きることだよ。「尤もらしく聞こえるよ」 だろ?

























今ね、オレの最も欠けている部分を補う方法について考えてんだよ。「お金か?」 アホか、そんなもん考えても増えんわ。知識だよ。「へえええ~」 

平たく云えば語彙だよ。使いこなしようは知恵で補える。文の要の語彙(ごい)の貧困から脱出するのが急務だよ。どうして覚えて増やす?

「一日一語だろ?」 急務って云ってるだろ。「じゃあ、一日十語ではどうか?」 う~ん、出来なくもないけど、何から覚えればいい?






「おまえ流で出任せ放題ではどうか?」 日頃使わない語彙を溜め込んでも用途がないだろ? 「本を読め」 う~ん、とろいんだねえ。

面白くもない本を読む時間がないよ。「昔のようにエロがかった本はどうか?」 う~ん、癖になって、そっちへこけてしまわないか? 「制御しろ」

あれはねえ~脳味噌がピンク色に染まって抜け出せなくなるからね。人間の品も堕ちるよ。

























「じゃあ、時代物は?」 拙者は我慢なり申さんっ、なんて使わないからね。「ピンク色の脳味噌が云わしてんか?」 拒む帯を解いてるのか?

オレは思うんだけど、あんなの書いてる時の作家は正常なのかね? オレが駄文で馬鹿らしいこと書いてる時は、ホンマに馬鹿らしい男になってるよ。

「聞いてこいや」 あっああ~なりませぬっ。ゴンザエモンの動きは荒々しい。「ゴンザエモン?」 着物の裾が割れてむっちりとした白い太腿が露わになる。






「こ、これは、突然、なんや?」 胸も露わに襟ぐりはだけた武家の娘が縄目をかけられ青畳の上に転がされてる。シュルシュルと帯が解かれて着物がはだける。

「絶対絶命やね?」 武家の娘は姦計に嵌まってかどわかされたんだね。「こ、声をっ」 「出せばよい、ここは、そういう館でござるよ、誰も気にはせぬ」 

脇で片膝立ててニヤニヤと薄気味悪く笑う商人風の男が 「飽きるほどに可愛がって貰いなせえ」 「ぶ、無礼者っ」 「流石、気が強えぇや」






「ああっ、む、無体なっ」 縄目が食い込む身体を捻って志乃はゴンザエモンを睨みつける。「志乃殿、このわしが嫌いか?」 「無礼であろうっ」 

ゴンザエモンは志乃の身体を引きずるように我が身に寄せて 「無礼は承知」 はだけた着物を容赦なく毟り取る。ふくよかな裸身が曝されて志乃は貌を逸らす。

脂汗が噴き出るゴンザエモンの貌に卑猥な笑みが浮く。「志乃殿、拙者の子を産め」 「ああ~っ、長七郎さまあ~」 涙が溢れて止め処なく青畳の上で濡れ光る。






ゴンザエモンの強力(ごうりき)に閉じる脚も叶わずひらいて為す術もない。「長七郎めっの何処が良いっ?」 ぐっふっふふふ「ここがかっ?」 

「なっなりなませぬっ」 ゴンザエモンは腰先で志乃を弄びつつ 「銭屋殿、志乃がわしので狂い悶えるさまを見届けてくだされ」 長キセルを吹かせながら

二人のあられもない姿を眺めていた銭屋新蔵が薄笑い浮かべて 「じっくり拝見、生き証人でがざいまするな」 後手に縛られた身体で必死に抗い  

























もがく志乃の裸身を見下ろし 「長七郎めっ」 灯篭の明かりは陰影をもたらせて、なお、妖しく白い肌を卑猥に浮かび上らせるから悩ましい限り。

抗えば抗うほどに艶かしく妖しく男を誘う女体の哀しさ、ゴンザエモンの毛深い手がむっちりとした志乃の両太腿を鷲掴んで押し広げる。

腰先で弄ばれて 「〇〇ておるではないかっ」 「おなごの嫌、嫌はなんとやらでござんしょ」 なんて妄想の世界で痴漢を働いておるんではないか? 






それで〇〇〇賞なんて笑ってしまうよ。感心するのは、その光景を読者の脳裡に浮かび上がらせる手法だね、思わず、イッてまえって応援してる。

「危ない奴やねえ」 もう、止まらないんだよ。読者も、もう、止まらないのを知ってるから吐く息も荒い。考えたらコワイね。 「おまえが怖いわ」

「例え話のわりに凝ってたね、続きは、どうなるの?」 若き時に読み漁った時代劇小説の残骸を寄せ集めただけだよ。志乃って、よく出て来る名だよ。






実際は、こんな切羽詰まった中に、双方の心理の奥底、姿態の様子、背景の描写を組み込むことで、よりリアルになるみたいだね。

綺麗に描こうが汚く遊ぼうが、この題材は人類が滅び去るまで永遠だろうね。 しかし、長く忘れてたね。「おまえって淡白なんだね」 かも知れん。

でも、これ書いてる間に、ゴンザエモンがゴンザブロウになってんだよ。二箇所も間違ってたよ。「興奮してたな?」 うん、官能が惑わすんだよ。























面白いもんだね、何か凄く盛り上がって急に萎えたような虚脱感が漂ってるよ。創作するってのは、上辺じゃならないものがあるね。

話に熱を込めないと生きないんだよ。その熱は、創るものの想いだろうね。一流の作家だったら、此れを情熱って表現するんだろうかね?

駄文は駄文の域で留まっていても、別段、構わない。駄文なりゃこそ書けるって領域があるはずだよ。目を細めて遠くを見ても見えないけどね。






人は、想いの何かを探す時、何故か遠くを眺め見るんだね。オレの思うには、探す当てに気づいた時点では、意外と、其れは足元に在るんじゃないかと

考えるんだよ。求める思いに引き寄せられて足元ウロウロしてんじゃないかいなって、そんな気がするんだよ。

だからと云って足元見ても見えるもんじゃないけどね。「気付きが近いってことか?」 解らん。人は独りじゃ進まんもんだね。






人から人へ伝わる力は大きいもんがあるよ。伝えた人の意になくとも伝え聞いた人にとっては、衝撃的な発想に繋がる場合があるからね。

そういう偶然を生かすのは、常に求める姿勢だね。接点し易い状況で在ることだろうね。

言葉の語彙にしても求め知りたい意欲が拾い集めることを貪欲にさせる。伸びたければ向って行く自分でなければならないってのはこのことだろうね。















『「題名がエロチックじゃないか?」 当ブログ始まって以来の客寄せの釣り文句だよ 「スケベ文句で釣るのか?」』










表層の乾いた砂を払い除ければ硬い地層が顔を出す。密に詰まって這い入る隙間などは無い。砂遊びだからできる今まで無かったものを創りたい。

































カメレオンの独り言-1489 『未確認飛行物体 宇宙のタコ と 地球のゴミ』

2015年10月04日 | 日記







 『未確認飛行物体』 2015年10月4日







神戸でUFOを多くの人が目撃したってニュースが伝えてる。其れも20数機に及ぶらしい。動画にも捉えられてる。

「ドローンでしょう」 なんて素直じゃない奴が云ってる。おるんだよ。見てないおまえが遅れておるんだよ。「エラそうに」

オレは、夜、ベランダでタバコ吹かしてる間は、必ず、空を見上げてる。また、見ないとも限らないからね。あいつらは、或る日、突然だからね。





自分では、つい最近のように思えるんだけど、40数年前に大阪南区(現、中央区)日本橋筋一丁目の夜空を3度ほど直角に曲がって飛ぶ星を追った。

北方面に路地を走って追いかけ堺筋に出て道頓堀上空で見失った。当時、見知らぬ年配のサラリーマン風のおじさんと二人で走ったよ。

また、出て来たかって感じだね。今度は、オレンジ色した光だと云う。ひとつは、ボケてるけどUFOらしき姿で動画に映ってるよ。





ここでも2回ほど書いたんだけど記憶通りには言い表せず腹が立つのが「幻の隕石」の目撃だね。

思い込みが強いと、表現に誇張を呼ぶようによく言われるけど、オレの感性は普通じゃない。「余計に危ないんか?」 ダアホッ、正確無比だよ。

あれはね、何をどお云われようと、其の後が全く不明だから言い返しができないの。あの頃の当家は 「当家?」 聞こえがいいだろ?





あの頃の、当家は貧乏のどん底だった。「どん底の当家だったのか?」 そうだよ。肉体労働のみが毎日だったからニュースとか新聞見るとかないんだよ。

だから、「幻の隕石」を目撃した瞬間だけが現実で、その後のことなんか気にもしなかったんだよ。目覚めたら仕事、終ったら深夜の毎日だった。

当時、一緒に目撃した幼かった息子の記憶もやや危なっかしいんだね。直角に飛ぶ星の時と一緒で、見知らぬタクシーの運転手さんだけが確かな記憶だろうね。













『イギリスのテレビニュースで報道された大阪の空にUFO現る』








覚えてるまま正確に伝えれば、時は元禄十四年、違った、「そういう馬鹿らしいことを云うから信憑性が全く感じられないのではないか?」 そうだね。

もとえ、時は、今から21年前の1994年の早春だったか晩秋だったか寒く感じる夜だったけど定かじゃないんだね。年数も翌年の1995年だったかなあ?

深夜1時前後だったかなあ? 「臭い記憶やの」 夜空は晴れて真ッ紺色で雲ひとつ無い、これは正確。





西淀川区千船の大和田交差点手前、左には阪神高速道路が走ってる。前方20メートル程の大和田通りの交差点にタクシーが一台信号待ちしてる。

「〇〇〇〇、今日は何処を走ろうか?」 仕事から帰って風呂を出ると、幼い息子が急かすんだね。

毎晩、オレが帰る頃になると起き出して自転車の散歩を楽しみにしてる。





もう、クタクタなんだけれど顔を見ると「よし、行こうか」って元気になるよ。自転車の前椅子にちょこんと座って行き先を考えてんだろうね?

道路の真ん中で行き先迷ってる。何気に見上げた夜空を背後に振り向いたら、とんでもないのが、ゴオオオ~、バチッバチッバチッバチッって火花を散らして

真ッ紺の夜空を切り裂いて北の空から飛んで来るっ。ゲッ、南へ向って巨大な隕石が炎に包まれ猛煙噴いて飛んで来たんだね。














『空に向って金物の灰皿や鍋のフタを放って、上手く撮れれば此のようにも写るらしいけどね』








「隕石」 なんだろうね? 「〇〇〇〇っ、なんや、あれはっ」 でかい声を発してたよ。横手の阪神高速に沿ってゴオオ~バチッバチッバチッ。

振り向いた首を左から右にまわして3~4秒かなあ? 前に書いたときはドッチボールって表現したけど、ちょっと、オレの感性にマッチしないんだね。

距離はって訊かれたら、目の前っ、もう、其処って云うしかないね。だから、ドッチボールじゃないんだね、ちょっと大き目の満月級だよ。





砂色の猛煙をモウモウと噴いて赤、柿、黄、紫の混合色の炎に包まれ火花散らした其れは、常識外れの大きさなんだね。兎に角、デッカイんだよ。

「おまえの記憶と感性が納得してるか?」 う~ん、う~ん、もう、まるで映画なんだよ。そう、これだよっ、その瞬間は映画だった。

オレに云わせると 「そおおらああっ、これを見ろおおっ」と云う感じだね。 その迫力に圧倒されてビックリ仰天だよ。














『ちょうど、いいのがあったよ、これをもっとリアルにした感じ』









視界が南に転じて航跡を追う。モウモウと猛煙を引いて南の空へ飛び去った。この間、「あっ」と云う間だよ。

信号待ちしていたタクシーの運転手さんは窓から身を乗り出して飛び去った方向を暫く目で追ってたよ。その姿勢から度肝抜かれた様子が窺がえたね。

その運転手さんも、そのときの様子を話せば、ああでもない、こうでもないと迷われて「まるで映画のようだった」って云うと思うよ。





写真に撮っても疑われる。動くビデオで捉えても疑いよる。人に伝えようと思うから難しくなる。我が目で見て感じたままが真実だね。

以上が我が目で見て感じたままだよ。一生に何度も巡り会えるもんじゃない。実際に、そんなのを見た者だけが不明なものに対して、其の存在を

確信できる機会を得たんだろうね。選ばれた人だよ。そう捉えれば、汗して必死に伝えるのも馬鹿らしいとも思えるね。 「惜しいんか?」 














『偽物の写真を投稿する奴が絶えないから、どれが本物か解らんようになるんだね』








考えたら、この翌年、「幻の隕石」が飛び去った南の方角へ転居して今が在るね。神さんの導きかね? オレの人生では縁の薄い方角だったからね。

肉体労働から足洗って、生活もなんとか立て直しできて楽になったよ。 「普通の当家になったのか?」 普通の下の下の当家だね。「まだかよ?」 

階段を一歩、一歩上がるんだって云うね、実際は段々と疲れて足取りも怪しくなるよ。「スピードが落ちてくるんだね?」 寄る年波さ。






まあ、外国なんかでは、昔からUFOの目撃は盛んで納得せずにおれない写真や動画が沢山溢れてる。

空軍なんかは、領空侵犯の未確認飛行物体に対して何度もスクランブル(緊急発進)してるし、ドッグファイトさながらに進展した事例も多い。

だから、アメリカ、イギリス、フランスなどは、航空軍事用語としてのUFOの存在を認め記録している。つまり存在を疑ってないんだね。






ただ、何処其処の所有物なのか、住所不定だから未だに未確認飛行物体って称されるんだね。オレが云ってる宇宙のタコどもも多く目撃されている。

こいつ等もそうだね、何処の奴やら訳解らん。だから、未確認生物なんだね。こいつ等の科学力は地球の比じゃないから、

米中露などが打ち上げる衛星ロケットは、初っ端から地球発の人間どもの所有物として認識されてることになる。未確認じゃないんだね。






此方からすれば未確認だけど、向こうでは二足歩行の地球生物って確認済みなんだね。彼らは、宇宙の果ても、とうの昔に知ってんだろうねえ。

大阪のどん底の当家も住所録に記録されてるやも知れない。「するか」 分別して 「ゴミ」なんて判子押してんじゃないか? 「処分品か?」

何も知らぬは地球の人間ばかりかな、だね。そう遠くない未来に地球の文明開化が遣ってくるかも知れん。其の前に、やっぱり、黒舟が来るんだろうね。






こんなややこしいのが来よって恐怖のどん底味わって、揚句、光線銃で溶かされる前に早目にくたばっておこ。





























カメレオンの独り言