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2018年1月
予報通りだと来週は、気温が上がって7度~8度ぐらいに持ち直すみたいだね。散歩もサボりまくりだよ。4日程行かずだね。
爺みたいなこと遣ってられないわ。防寒着上も下も身に着けてベランダで煙草吸ってたら南極探検で休憩してるみたい。
7~8度になったら普段着で普通の人になれるだろう。オレ、デカいから、そんなので目立ってるから周りの人は、なにかしら
云ってんだろうね? 「仕事もせんと、あのおっさん、することないのんかえ?」 じやかっしいわい、放っとけ、クソがっ。
此の勢いを忘れたらあかんよ。「なんでや?」 意思表示だよ、自分の思いをもった上で相手さんと疎通を図るんだよ。
で、前の会社の人と顔会わせると 「いやあ、寒いですなあ」って、ニコニコ笑って挨拶したらニコニコ会釈で返されて嬉しそう。
オレの声は、デカくて響くんだけど、相手の方の声がちいちやいから聞こえないんだね。聞こえないけど聞こえた顔して、
さも解ったような顔で頷いて笑って反応するんだよ。そしたら意思の疎通は図られてるような按配だね。其れから互いが
逸らすこともない。謂わばあうんの呼吸の付き合いが完成されるみたい。袖触れ合うも他生の縁、笑顔の会釈で通じて近所の人となる。
28日、大阪市中央区午後1時摂氏4度、オレの洋間は11度。世間の気温は少し緩んだけど、逆にオレの洋間の温度は下がってるがな。
どういうことや? なんか冷えがきついようなので暖房のリモコンスイッチを入れる。モワ~と噴き出る空気感が好きじゃないけど
冷え方が厳しいので我慢しとこ。暖かくなってきたので身体を動かし易いからタンスの中を、もう一度、点検しておこ。
買って少し着ただけで長くタンスに仕舞ってたヘンリーハンセンのブラックの旧ウィンド3ウェイコートを出して羽織ってみた。
デカいねえ、なんでこんなデカいコートを買ったのか? ハーフコートで尻を隠し切る長さだよ。防寒着のダウン効果は高いね。
羽織った瞬間、こらあ温いわと思える。一見、生地の表面はレザー調の光沢を感じる。光沢が品のなさには繋がらず見栄えはしっくりと
いい感じではある。でも、普段、着るかといえば着ないだろうね。好みってのは、どのへんで境界線を設けておるのかねえ?
人には気づかない自分だけの微妙な拘りなんかが大きく影響して個人のスタイルが出来上がっていくんだろうね?
よく聞くもんね、「其れの何処がおかしいのん?」 「よう似合うてるやんか」って、何処に重きをおいた評価なのか解らない。
いまいち満足してない場合は、全体像見た目のままの評価なんだろうけど当人は些細なことが気になってることが多い。
気になりだすと、其処だけが際立って気に入らない。どうにもこうにも気に入らない。良いと云われたら余計に反感して気に入らない。
でも、日が経つと、其の評価は的を得てることに気づくこともある。其の逆もあるけどね。いまいち似合ってないなんて云われると
其の思い込みのほうがきつい。拘りから抜けられない染みみたいな思い込みになる。拒絶が烙印されて迷いなくポイと捨てても後悔ゼロ。
目障りだから無いほうがいい。ほんの些細な色合いや風合い、拘りのデザインや模(かたど)り、選んだ自分が馬鹿らしい。
目障りだから無いほうがいい。其のぐらいに好みってのは、良いも悪いも、人の批評は影響が大きい。だから、自分だけで決める。
だから、とりわけ個人で出来上がった個性は、どうにもならないスタイルが生み出されて脚色が困難。知らん顔してるのがいい。
「それホンマかいな?」 知らん。オレの場合は、気に入らないと思ったら忘れるほど見向きもしないけど、
或る日、見向いて、ええやんかあって新発見で大満足することが意外と多いみたい。時代を無視して自己評価で決めてるね。
「脚色困難で知らん顔されるタイプやな?」 そうみたいやね。30年前の衣服が物語ってるよ。 「もう、やめろよ」 ええではないか。
トロイのブレザーね、北区の天満橋に在った松坂屋デパートで買って、もう、40年近く経ってるよ。新品みたい。「嘘つけ」
此れ、あまり着ることなかったから、まだ、現役だよ。袖を通してみて、うん、いける。 「腐っとんちゃうんか?」
買ったとき大き目だったから、下にワイシャツだけならOKだよ。今なら、Gパン履いてカジュアルにどおう?
「縫製が弱っとおたら、ビリッと恥かくぞ」 急いでアスペンパーカを羽織ればどうってことないよ。
オレは、若い頃はおおかた釣り一色だったからね、衣服に凝ってどうのこうのが無かったよ。そんなもん着て、街ん中ウロウロするなら
竿持って川辺や海辺で岩か石になってたほうが愉しかった。其れから商売コケて、とんでもない借金抱えて、頭が無いから肉体労働で
悪戦苦闘の年月潰してたからお洒落も糞もなかった。今となれば、ようよう、そんな未体験の時代に突入しておるんだろうかね。
「遅いな、遅すぎるやないかい」 そうかい、此れがね、面白いもんで神さんもおちょっくっとおるで。
歳に似合わね美体形と女性を惑わす不思議なマスクを用意してくれてんだよ。 「おまえ、ふつう、云えんことを平気で云うな」
それと恥ずかしながら心は子供のまんまだよ。どうしようもないね。つまり新鮮さを失わない男ではないかいな? 「独り云うとれ」
オレはね、学校もホンマに骨の髄まで嫌いだったからサボくり回して縁がないまま、こんなんになっちゃった。オレに謂わせれば
後年、映画 「大脱走」を観て感動して、オレのイメージにダブらせておったよ。嫌な処から脱走するのが男じゃないか、素晴らしい。
サボくり回して親父の仕事の配達をオートバイじゃなくて自転車転がして走り回っておったよ。其処がチャリチャリとヤボいけどね。
其のスティーブ・マックィーンには負けるけど、しかし、ジェムズ・コバーンは、自転車漕いでパリまで逃げ切りよったがな。
どんな人生が良い、こんな人生が良いなんてのは行くとこまで行かねば解らない。
どんな人生が悪い、こんな人生が悪いなんてのも行くとこまで行かねば解らない。解らないから、自分の意思で決めて生きるんだよ。
社会で生きるには蹴ってはいかんものがある。おふくろに云われて性根が座った。蹴ったら蹴られても起き上がって生きねばならん。
後がないってのが性根に焼き付いて常にあったね。でも、何も見えない道を歩き出したら、其れは其れで救いがあった。
人生は苦楽ともに在って運不運の石コロ転がる道だね。生き抜いて来たとは、よう云わん。なんとか生きて来れたと思える人生に過ぎん。
苦労したとも、よう云わん。ただ、苦しかったとしか云えないのが実感だね。なのに何故か愉しさに包まれて生きて来れたのも実感だね。
自分の不出来を反省するのは大事だね、馬鹿で愚かと自覚があれば是正する機会だね、人が大きく変われる機会だと思うよ。
馬鹿も愚かも薬に変えれば人を救うことも出来ると思うよ。馬鹿と愚かを知らぬ人よりは人間らしく成長しうる。
人の道を外さぬよう在れば立ち直りは効く。救える後悔ならば顧みて学びの肥やしとして活かせばいい。
群れから外れて頼りない子犬が成犬になって我を押し通して夢中で一匹狼もどきで生きて来た。想えば棄てたものは大きかったけどね。
学校での思い出なんて糞喰らえだったけど、オレが不思議に想うのがね、若い女の子らとの語らいなんて極僅かだったんだけど、
其の当時は、脱走に重点置いてたから付き合いなんて考えもしなかった。いい歳なってからね、若い女生徒たちが、毎日、毎日、
次から次から来てね、オレが知らなかった時代の抜け落ちた部分を埋め尽くしてくれたよ。オレはスケベなんだけど心が
子供かして救われて恥ずかしながら純なままだよ。オレの心の中の青春時代ってのは、当時の男子生徒や女子生徒が
今に形を変えて華やかに彩ってくれたよ。今も、ずっと心に娘さんが居る。その娘(こ)とは、今も10年来の友達だよ。
毎日、毎日、一緒に帰り道を送ってやったよ。長いおさげを背中に垂らして 「わたしは美しい」 なんて笑って云う娘だよ。