カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1110 『大阪天六ガス爆発事故』

2014年04月16日 | 日記







 明日(4/16)の分です。







大阪の古い写真が、全般向けではないなんて云うから、今日の予定が狂ったよ。

「おまえには悪いけど、東京の今昔写真だったら、まだ、見る人も多いんじゃないかなあ?」 まあ、都民は1千万だからね。

大阪の人口は何人なの? 「総人口 850万人(男 4,268,848人 女 4,581,703人)になってるね」 東京と変わらんじゃないか。

      



「東京は、1323万人になってるよ」 はーん、500万の違いか、大きいね。しかし、この数から判断するに、大阪の人も相当居るんじゃないの?

「解析」見てたら、過去に古い写真を貼った駄文の題名を検索されてる方が、ちらほら居られるよ。そういう方々の期待に沿わねばならない。

「そんな今昔写真なんか、他に、なんぼでもあるだろ?」 馬鹿か、そんなこと云ったら、なんでも、そこらにあるやないの。アホの出る隙間が無くなるがな。





まあ、しかし『付録』 にしておこ。これは、ブログの裾野が広がるいいアイデアだよ。











『昭和35年 天六阪急駅ビル』 ガス爆発事故は、写真向って右へ行ったほうだね。手前左手に天神橋筋六丁目の(堺筋と都島筋?)交差点。







しかし、最近、いい天気だね。暖かいし空は真っ青だよ。オレは、こんな平和って感じのする天気が大好きだよ。

懐かしい古い写真を探していて目に着いて思い出したんだけど、大変な事故だったわりに、あまり話題に上らない「天六ガス爆発事故」があったね。

「おまえなあ、今、平和って感じのする天気が大好きだよ、なんて云って、ガス爆発事故の話題に繋がるか?」 ちょっと、おかしいね、






「ふつう、明るい話題に流れるもんだよ」 天六ガス爆発事故は、1970年(昭和45年)4月8日夕刻、大阪市北区(旧大淀区)国分寺付近の

市営地下鉄谷町線天神橋筋六丁目駅工事現場で起こったんだね。「強引に行くんだね」 そうだよ。死者79名、重軽傷者420名の大惨事となったんだね。

家屋の被害は全半焼が26戸、爆風を受けての損壊336戸、やはり爆風でドアや窓ガラスが壊れた近隣の家屋は1,000戸以上とある。

















当時は、高度経済成長期で何処もかしこも工事、工事だったね。

1967年(昭和42年)に開業した市営地下鉄谷町線を、さらに、東梅田から都島まで延長する工事が1970年に行われていた。

東梅田~都島間3.2キロの延長工事。万博を前にした地下鉄網緊急整備計画によるものだった。






でも、このとき既に日本万国博覧会は、大阪府吹田市の千里丘陵で開催(1970年3月14日から9月13日までの183日間)されていたね。






大阪市北区の天神橋六丁目駅の近く都島通では、地下鉄谷町線の延伸工事のため、地下鉄のトンネル掘削工法の1つである地面の土を掘り返し、

路線を建設した後に埋めなおすというオープンカット工法で作業が行われていたらしい。路面交通に支障をきたさぬよう掘り込みの両側に沿って鉄くいを打ち込み、

その上にH鋼の桁をかけて約1枚400㎏の覆工板(メトロデッキ)というコンクリートの板を敷き詰め、その上を車や歩行者が通過していた。






そして、その覆工板の下の掘られた穴の空間で地下鉄建設の作業が行われていたの。昔は、大方、この方法だったよ。

今は、シールドマシンでトンネルを掘り進めるシールド法がもっぱらだね。工事が、見えないんだね。モグラと一緒だよ。

1970年4月8日、午前中の掘削の土砂を取り除いたため、総延長200m余りの中圧ガス管全体が宙吊りの状態になったんだね。















地中に埋められていることで安定している鉄のガス管が、支えを失った上、自重が乗る状態になったんだね。

夕刻の17時15分、地下に露出したガス管を懸け吊るための作業をしていたところ、突如、都市ガスが噴き出したんだね。

負荷が掛かって管がひび割れたか、繋ぎ目が緩んだかだろうね。そのため、地下で作業していた作業員27人が地上へ緊急脱出した。






原因は、地下に露出した都市ガス用中圧管と低圧管の水取器の継手部分が抜け、都市ガスが噴出したとある。






17時20分、偶然、現場を通りかかった帰社途中の大阪ガスのパトロールカーもガス漏れに気づき、緊急車輌と工作車の出動を無線で要請した。

また、近隣商店からの通報で消防車も現地に到着した。覆工板の隙間からガスが噴出していたため、周辺住民に対しては避難と火気厳禁を要請した。

其処へ、大阪ガスの緊急車輌がやって来たが、覆工板上で、エンストを起こしてしまうんだね。なんか、この展開は映画のようだよ。















エンジン再始動にセルモーターを回すが、その火花にオープンカット方式の履工板の隙間から漏れたガスが引火して車両は一瞬にして炎上した。

この時には、騒ぎを聞きつけた野次馬や大阪ガスの職員、消防士、警察官など多数が現場に集まっていた。

そして、17時45分頃、緊急車輌の火が履工板直下の地下部分に充満していた都市ガスに引火して大爆発を起こしたんだね。















「子供も含めた野次馬がどっと現場に膨れ上がった」 この人たちが吹っ飛ばされたんだろうね。






1回目の爆発は、近所の家々を地震の如く揺り動かして轟音が響いたらしい。この爆発で、子供も含めた野次馬がどっと現場に膨れ上がったらしいね。

そして2回目の爆発で吹き飛ばされて工事の穴へ落ちた人が多かったという。気づいたら手や足、それに肉片らしきものが散らばっていたというんだね。

電信柱の上にひっかかてる死体?もあって、辺りは阿鼻叫喚の地獄だったって体験談がある。















工事現場の道路上には、長さ約200m×幅約10mにわたって約1.000枚の履工板がビッシリと敷設されていたんだね。1枚400キロの重さだよ。

鉄の型にセメントを流し込んだもので、サイズは1枚あたり約180cm×約90cm。其の履工板のほとんどが、上に乗っていた人間もろとも吹き飛ばされた。

爆発の衝撃だけでも、とんでもないのに、こんなのと一緒に飛ばされて、一緒に地面に叩きつけられる。ぞっとするね。


























折りしも、勤め帰りの会社員らが多く通行してる時間帯と重なったことが犠牲者の数を増やしたんだね。

このときの爆発音は、4~5キロ先まで轟いたらしい。当時のオレも、この道は、配達で何度も通っていたから他人事とは思えんかったね。

当時は、南(旧)区船場の清水町筋に住んでいた。テレビを点けっぱなしで見てたよ。

















事故発生後、怪我人の多くは同区内の北野病院をはじめ大阪市内の25箇所の病院に搬送された。犠牲者の遺体は同区内の太融寺、難波別院、鶴満寺等に安置された。

まあ、遭遇するかしないか運不運の差だね。こんなのは避けて避けようのない事故だね。

天神橋筋六丁目(天六)交叉点から少し大川方面(東)へ行った辺り、工事現場とはいえ、履工板を整然と敷き詰められて舗装代替の道路が200m。






其処が、常の生活圏なら慣れ親しんだ安心の街並みだし、常に通って歩く道なら慣れが生じて、別段、身構えることもない。

毎日変わらぬ光景に道路を面した家々の人も、通勤で通う人々も、いつもと変わらぬ今日だったろうね。

そんなことを考えると、日常は日常の連続が永遠なんて約束はないね。と、云って、常々、ビクついて生活なんてできない。






すべからく運命なんだろうね。ただ、興味本位で危ないであろう方へ自ら近づくことは、なるべく控えるに越したことはないね。













『付録』







『大阪 阿倍野 天王寺ステーション建設中』 1962年(昭和37年)














現在の天王寺ステーション建造中、施工は奥村組だね。












近鉄デパートから撮影、天王寺ステーションは外装工事に入ってるね。











ホームが先に完成したらしい。「天王寺民衆駅」だって、中国かよ? 



















ステーション工事現場から西側、天王寺公園前、市電が走ってるね。よく利用してたなあ。右向こうに通天閣が見えてる。




























阿倍野橋下の線路を機関車が走って行くよ。走ってたかなあ? 記憶にないよ。この頃は、あまり、此方には来なかったかな? 四天王寺どまりだったね。

この年、1962年(昭和37年)に封切られた主な映画(下の写真)なんだけど、この「史上最大の作戦」を道頓堀松竹座で観た頃って、街は、こんなに古く感じたかなあ?

ヤコペッティの「世界残酷物語」は、数年後に、この天王寺ステーションの地下の映画館で観たんだね。サイの母子が可哀想だったなあ~、脳足りんの土人どもがっ。











『現在の天王寺ステーションビルと其の周辺』







ジョン・ウエィンの「ハタリ」は、千日前のスバル座で観たね。現代のアフリカが舞台だったね。

「キングコングとゴジラ」も観に行ったね。千日前の大劇通り、大劇前の東宝敷島で観たよ。今、観たらお笑いだろうけど、おもろかったね。















千日前の大劇だね。この前に東宝敷島の映画館が在った。宝塚の春のおどり公演中だね。大劇名画座って看板がある、何階だったかなあ? よく行ったね。

その向こう隣りが千日会館っていう映画館、邦画3本立てだったかなあ? ちっちゃな映画館なんだけど、いつも混んでたね。

その向こうが、東映封切館で、通り挟んでアシベ劇場、大映映画封切館だったね。その向かいが千日デパートなんだね。






街並みは、そんなに古い感じじゃなかったよ。「民衆駅」なんて云ってたかあ? チャンワン、チョンヤンの世界じゃないか。「天王寺駅」って云ってたでえ。

























この年だったんだね、007が初めて封切られたのは。そうかあ、じゃあ、梅田経由で神埼川までバスで親父の仕事の配達に行ったのは、この年かあ。

梅田辺りの大看板にショーン・コネリーが格好良くキマってたね。バスが通り過ぎて行くから振り返って見てたよ。

記憶に残るあの日は、この昭和37年だったんだねえ。うん、西淀川区の神崎川の辺りは、ハチャメチャ寂しくて真っ暗闇だったね。






あそこに限っては、古~い時代だったね。うん、ホンマに川を挟んで、なんにもっ見えなかったもんね。怖かったよ。満州みたいだったよ。「知ってんか?」 知らん。







1月1日 - アメリカ合衆国海軍、ベトナム戦争におけるベトコン対策の一環として、特殊部隊Navy SEALsを結成。

1月10日 - ペルー・ワスカラン山で大規模雪崩発生、4000人以上死亡。

2月3日 - 米ケネディ大統領、キューバへの全面禁輸を指令。

3月1日 - 大正製薬、ドリンク剤「リポビタンD」を発売。

5月5日 - 東ドイツ市民12人が、ベルリンの壁の下を刳り抜いたトンネルを通り、西ベルリンへの脱出に成功。

6月1日 - イスラエル・ラムラ刑務所で、元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンが絞首刑に処される。

7月1日 - 巨人・王貞治選手の一本足打法がスタート。

7月7日 - 明治アーモンドチョコ発売。

8月5日 - 米女優マリリン・モンローが怪死

8月12日 - 堀江謙一、小型ヨットで太平洋単独横断に成功。サンフランシスコに到着。

9月8日 - 国鉄の金田正一投手が対巨人戦で通算3509奪三振の世界新記録。

10月14日 - アメリカ合衆国U-2偵察機が、キューバにソビエト連邦製核兵器が設置されたことを確認。

10月22日 - 米ケネディ大統領、キューバ海上封鎖を表明(キューバ危機)第3次世界大戦の危惧。「こらあ、危ないぞ」って親父が云ってたなあ。





この年の洋楽ヒット曲


1 好きにならずにいられない(エルビス・プレスリー)
2 愛さずにはいられない(レイ・チャールズ)
3 ボビーに首ったけ(マーシー・ブレイン)
4 すてきな16才(ニール・セダカ)
5 シェリー(フォーシーズンズ)
6 ザ・ツイスト(チャビー・チェッカー)
7 サーフィン・サファリ(ビーチ・ボーイズ)
8 ロコモーション(リトル・エヴァ)
9 聞くのはいや(ブレンダ・リー)
10 どん底からのパラダイス(ロガ・バートン)
11 ランラランラン(スイート・ホンプキン)
12 ヴァケイション(コニー・フランシス)
13 恋に落ちた時(レターメン)
14 泣かせないでね(コニー・フランシス)




この年の歌謡曲


1962.01. 霧の中のジョニー 克美しげる
1962.01. 五万節 ハナ肇・谷啓・植木等
1962.01. ルイジアナ・ママ 飯田久彦
1962.02. 江梨子 橋幸夫
1962.03. 琵琶湖周航の歌 ペギー葉山
1962.03. メチャチャ娘 富永ユキ
1962.03. 山男の歌 ダーク・ダックス
1962.03. ロッカ・フラ・ベイビー 佐々木功
1962.04. ころがり人生 石橋イサオ
1962.04. 寒い朝 吉永小百合とマヒナスターズ
1962.04. ツイストU.S.A. 清原タケシ
1962.04. ひばりのツイスト/ブルー・ツイスト 美空ひばり
1962.05. 星屑の町 三橋美智也
1962.05. 若いふたり 北原謙二
1962.06. あの娘はティーン・クイーン フランツ・フリーデル
1962.06. 可愛いベビー 中尾ミエ
1962.06. ドドンパ No.5 万代陽子
1962.07. ハンガリアン・ロック 麻生京子
1962.08. おもちゃのちゃちゃちゃ
1962.08. 草を刈る娘 吉永小百合
1962.08. 恋は神代の昔から 畠山みどり
1962.08. ハイそれまでよ 植木等
1962.08. ブンチャカ節 北島三郎 サブちゃんのデビュー曲。
1962.08. 若いふたり 北原謙二
1962.09. 愛さずにはいられない フランク赤木
1962.09. いつでも夢を 橋幸夫・吉永小百合
1962.09. 遠くへ行きたい ジェリー藤尾 旅番組「遠くへ行きたい」
1962.09. なみだ船 北島三郎
1962.10. 大学数え唄 守屋浩
1962.10. 二人で歩いた幾春秋 若山彰
1962.11. 一週間に十日来い 五月みどり
1962.11. 拳銃無宿のテーマ ジミー時田
1962.11. 高原の山荘 フランク永井
1962.11. 下町の太陽 倍賞千恵子
1962.11. 島育ち 田端義夫
1962.11. 南風吹きゃ 二宮のり子







なんか、今日は、無茶苦茶長かったね。「付録のせいだろ?」 う~ん、欲張ったらあかんね。「付録」は、もう、ちょい、あっさりにしよか? 疲れたよ。
























最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2014-06-10 00:27:06
貴重な体験、そして映像ありがとうございました。それにしても天六の事件、千日前の火事なみにもっと記憶されても良いですね。
Unknown (通りがかり)
2021-04-27 15:20:43
初めて天六爆発事故の詳細を知りました。
私は当時2歳で。
私の足の手術が上手くいかなかった事で、病院帰り、両親が
ご飯でも食べて帰ろうかとしていた所、私がぐずったらしく
なら、もう帰ろうかとその場を後にして、少ししてから大爆発が
あったそうです。

あの場所に居たら確実今は居らんな〜とよく父が言ってました。
野次馬の人が沢山犠牲になったとこちらの記事を読んで、運命ってわからないんだなぁって思いました。

貴重なお話、ありがとうございました。

コメントを投稿