カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

休憩-38   『スカイラインー征服』

2011年10月30日 | 日記








ツタヤで借りてしまった洋画の「スカイラインー征服」の糞駄作で1時間ほど損した。






「なんやねんっ、よぉもこんな駄作を創ってんなっ」出だしから音が喧しいわりにこじんまりしとんな思ったら、案の定や。

飛ばし飛ばし観たけど腹立っただけや。新作のわりに棚の上に沢山残ってるなと首傾げたけど「まっ、ええか」って手を出してしまった。

「金返せっ」クリエーターかなんか知らんけどおまえらの頭クルエーターやないの?






しょぼい制作費でこんな大仰なもん創ろうとすんな。宇宙生命体の侵略で地球が危ないっていうのに、出てくる人間が10人程度、

ギャアーギャアー騒いでホテルの一角だけを終始行ったり来たり。

「おちょくってんのか?」我が日本の特撮スペクタクル縫いぐるみ「ゴジラ」でも人間の数は上回ってるぞ。「恥を知れっ」






新作2枚と旧作3本で千円やからええけど、こんなの映画館で観たら「泣くでぇ」今回はツイてないわ。

旧作1本観たやつやった。「コレは俺が悪い」もう1本の準新作も部分部分見た感触では「失敗」やね。「トルゥーグリッド」は許せる。

あとは「息もできない」コレがあかんかったら腹立って、こっちも息も出来んわ。






























独り言-230 『退屈』

2011年10月30日 | 日記







退屈というか、アテがなく「ぼぉ~」としている時なんかに「ふっ」と思うね。

他所のお家では「皆さん、何してんだろうね?」って。毎度、いろいろな物語が進行しているばかりじゃないから、やっぱり「ぼぉ~」としてるんかね?

凄い数のお家の中で皆が「ぼぉ~」としているとしたら、其の時間は世の中全体が「ぼぉ~」としているんでしょうね。






「いいことですね」なんでやねん?「いや、その、のんびりした一体感が日本を穏やかにするって感じがです」でも、コレが長く続くとろくでもない。

「小人閑居して不全を為す」だったかな?凡人が暇持て余すとろくなことしないって戒めがありますね。

緊張と緩和が人の生活にバランスしてるんでしょうね。「なんかオレの日本語オカシイなぁ」自覚あるだけ救われてるよ。






こんなことしてんだったら「何処かへ出かけようかな」って思ったりするけど当てがない。

こういう時に車があったら、ちょっとドライブして港の岸壁辺りで海を見ながら音楽でも聴くちゅうのがええやろね。

車持ってる人って多いみたいだから「そんなのしてんのかね?」「もう厭いた」って云って家で「ぼぉ~」としてる人も多いんだろうね。






でないと港の岸壁が車で一杯になるもんね。雰囲気も何もあったもんじゃないわな。






ほんとに車の好きな人って「実はお宅系の人」じゃないのかな? 部屋に篭るのも車に篭るのも似たようなもんだからね。

外を走繰り回すからイメージは違うようにとれるけど個人的な空間を好むってのは一緒やね。だから私も車が欲しいなって思うのです。

でも、今から乗ったら岸壁から海へはまるかも知れんなぁ。「ええ笑いもんやね」






あてがわれてこなして一日終わりのタイプの人と、あてがわれて放っておいて違うことして一日終わる人と、

集めてきてこなして明日を考えながら一日終わる人などが社会で生きているね。






あてがい口のテレビに抵抗なく喜んでいる人、あてがい口のテレビ映ってるけど観ないで違うことする人、

パソコンでネットの中へ入って行って興味のあること探索に余念のない人、

人から人へと渡り歩いて情報集積に励む人らが、思い思いの余暇を過ごしているね。人それぞれやね。






自分の特性を売って飯喰ってる訳で、それでもって自分の特性で愉しんで生きているんだわね。「其れがどうした?」単なる粗雑な分析ですわ。






「今日はちょっとヒヤッと寒いね」雨がパラパラ降ってます。昼間は、こうしてパソコンの前に居て、

どうでも良いことブログに書いてても口が寂しくならないのに、夜中だと「なんか欲しくなってくる」夜中に食すのは最も身体に良くないらしいですね。

私ぐらいの歳になって夜食なんか論外らしいです。でも、喰っちゃうね。






煙草は吸うは、夜食はするは、睡眠はとらんは、いつか天罰覿面を喰らうだろうね。「う~ん、なにか物語風に死にたいね」なんて思ってる。


























独り言-229 『映画 トゥルー・グリッド』

2011年10月30日 | 日記







キーを打ちつつ「ふっ」と机の脇が視界に入って「あぁーそうや、スキャナー使わなあかんなぁ」って改めて気がついた。

立てかけて置けるようになってるから嵩が低い。紙を買うちゅうてそのままやね。鉛筆も濃淡揃えなあかんやろね。

「B」があれば済むことだけれど「まあ、一応揃えようか」と思ってる。






私が克服せないかんのは、新しいことを始める時や切り替え時が、なかなかスムーズに進まんことだね。

凄く億劫なんだわ。gooに付属のお絵かきツールが手に馴染んでくると、紙にさらさら描きが面倒になる。

「これしかない」って云われれば必死で身に着けようと頑張るけど、代わりが有ると「これでいいや」ってなってしまう。「良くないね」






夕方近くになって、外の空気が吸いたくなったのでツタヤへ自転車を走らせる。暑くもなければ寒くもないで過ごし易い季節やね。

今度はコレ借りようって思ってた映画が思い出せない。題名を覚えようとしないから余計に忘れる。

韓国映画の、やくざと少女の物語は何時来ても借り出されてないね。






洋画コーナーをグルグル回り4枚選んで、もう一度韓国映画コーナーに戻ってみると1枚戻ってる。

「そんな感じがしたよ」題名は「息もできない」ってやつ。

長いこと映画観てるけど、私が韓国映画を「観ようかな」って思ったのは、この「息もできない」と「悪魔を見た」の2本が初めてやね。






夜の食事後、洋画の「トゥルー・グリッド」をパソコンで観る。






14歳の娘が父を殺した男を捕らえるため、老保安官を雇って追跡の旅に出るってストーリーなんですが、なんの期待もしないで観たわりには面白かったね。

老保安官役のジェフ・ブリッジスがいい男になったね。この人は老けてからのほうが味わいがあっていいね。

若いときは寝ぼけたような男で好きじゃなかった。たまに西部劇なんか観ると、なんかのんびりして「ホッ」とするね。






ジェフ・ブリッジスが悪の4人組みと対峙する。たずなを口に咥え2丁拳銃で彼らに向かって行く辺りで「あれ?」って記憶が蘇った。






昔、ジョン・ウエィンが「勇気ある追跡」だったかな?「やってたねぇ」って思い出した。

片方の目に皮の眼帯をつけた老保安官「一緒やね」リメイクなんだね。

洋画を観ていて、いつも思うのは、子役がなんでこうも揃って上手いんでしょうかね?






主役を喰うで。この14歳の少女役のヘイリー・スタインフェルドって娘も同じくやね。





















事件は落着して、25年ぶりに老保安官に会いに来る女性(娘が成長した)が汽車から降りる。老保安官は既に亡くなっている。

気概を感じさせる女性なんだけれど39歳でしょ。老けてるんとちゃうのん?もうちょと当時の娘の面影残す女性にすべきやでぇ。

髪をお下げにして愛らしい娘だったイメージが破壊されてしまったよ。「こんなとこだけ、やけに現実的になるなよ」







皆さんが写真を添付されているので試してみたら要領は「絵」と変わらない操作やってんね。

「手間要らずで楽やね」下手な絵より其れらしく見えるね。

でも文章がハチャメチャなのにバランスを考えると「下手な絵のほうが似合ってるね」絵が間に合わないときに利用しようか。





















独り言-228 『無関心な人たち』

2011年10月29日 | 日記






人が一様に注目するってのが、いまいち解らない。歌手や役者や選手やといろいろ居るけど、

其の人たちのプライベートまで気にするに至っては「全く解らない」その人の技量や魅力に目がいくのは解る。

秀でて光る素質や個性が人の目を引く。でも「好み」ってのが介在するから全ての人に対してではない。






此れも解る。なのにプライベートに関しては有名と云うだけで皆が注目する。此れが解らない。






武道で云われる心技一体を極めて、ケツ振ったり脚振ったりして歌ってる人ばかりじゃないと思う。

野球選手を一様に言っては「大変失礼」だけれど、中高大の野球部の連中ほどワルは居ないって云われる集団の中からスター選手が現れる。

格式高い家元のぼんぼん育ちが、血筋の因果で顔に柄描きまくって歌舞伎で名を上げてる。






嘘を本当のように演じて「いかに自然に騙すか」を競って、実際の自分自身も虚像に騙されたような人が俳優になる。






血の出るような修行に苦悩して人間性も磨かれるであろうことは理解できる。しかし、素は人間やからね。

身に着くお金の額が半端じゃないから、普通じゃ出来ないことも難なく出来る。何もかもが普通じゃなくなる。

ただ其れだけのことなのに世間は「豪邸」だの「趣味」だの「ファッション」だの「スキャンダル」だのと注目して騒ぐ。






騒ぐあんたらも、彼らと同じ立ち居地に立てば同じことをするだけのことなんよ。あの人等の世界では、それが普通なんだと思いますけどね。






テレビで有名人が旅先で温泉浸かったり、豪華な料理食したりして騒いでるのを「じっと観てる」って滑稽もええとこやね。

「何がおもろいねん?」豪邸の中を案内してもらって「へえええ~」「へえええ~」って感嘆して歩いてるのもあるね。「馬鹿か?」乞食根性丸出しやね。

「其の人たちの秀でた技量を堪能すればいいんじゃないの? 」誰と誰が引っ付いたとか離れたとか「しょうもないもええとこ」やと思うけどね。






そういう男女関係なんかに絞れば普通社会のあちこちで負けずに起こりまくってまんがな。つまり巷に溢れてまんがな。珍しくもなんでもないでっせ。

私も映画や音楽好きですから、ひいきの俳優や歌手が居ますけど彼らのプライベートなんか気にしたこともないですわ。

「奥さんが誰それとか、相手が出来たとか、別れたとか」なんにも知りませんわ。彼らには、いい芸といい声を提供し続けてくれれ満足なんですよ。



















なんで「傍(はた)が気になるのかね?」其れが解らない。猿は猿、豚は豚、獅子は獅子なりの生活を営んでいる。

人間も人間なりの営みの中で繊細な感情という厄介なものに振り回されながら生きて居るだけですよ。

まぁ、其れらを傍(はた)から見て「どうのこうの」云う私もある意味、同類でもあるかね。






世の「無関心な人たち」ってのが解るような気するね。




















休憩-37 『私は綺麗だから』

2011年10月28日 | 日記







「★★ちゃん、今幾つ?」「多めに云うなよ」「あと十年、十五年は大丈夫やな」「そんなもん解るかいな。コロンと逝くかもな」

「大丈夫や、私は三十五ぐらいになってるわ」「そうか、あははは」 長いね。君は此れからを生きて往く人なんだよ。

苦しんだり、悲しんだり、怒ったりを繰り返しながら、笑って幸せに往く道を造っていくのが人生なんだよ。






君や息子の人生の道が平坦であるように祈るよ。






「可愛い子供が欲しい。可愛いなかたっらあかん」「十人並みなら善しだよ。仮に不細工でも我が子は可愛いんだよ」

「解ってるけど可愛いのがええ」そういえば、今は聖徳太子みたいになった息子だけど、幼児の頃は「ホンマァ可愛いかったなぁ」

素直な綺麗な髪をお椀みたいに伸ばして、目はパッチリでポチャポチャ、世話のかからない素直な「女の子みたいな男の子やったね」






見た目に拘る彼女は、階段上がりつつ「私は綺麗だから」普通、云えんような台詞を云いよるね。

「ああ、そうだね」思ったことを、彼れ是れ脚色しないで話せば「スカッ」とするもんだわな。



















しかし、そんな台詞が、君には「似合ってるね」



















休憩-36   『ハロウィーン』

2011年10月28日 | 日記







外でタバコ吸ってたら彼女が帰ってきて「タバコッ」消せってことやね。「ハロウィーンやから、またケーキでも作らな」

「いつなの?」「来週の月曜」「そうなの」「知らんかったん?」「全然」「そらぁ問題や」そうかぁ~? 数拵えて友達に振舞うらしい。

「この娘の手作りケーキは美味しい」精出して心を込めて拵えてんだろうね。






クリスマスもすぐに来る。「忙しいねん」ウキウキするのかして明るいことはいいことだよ。





























独り言-227 『映画 影の軍隊』

2011年10月27日 | 日記








韓国映画なんて観ることないんだけれど「悪魔を見た」という映画の予告編に釣られてツタヤで借りた。

「でも、なんか気が進まない」のでハードディスクに取り込んだままにしている。

もうひとつ「これも佳さそう」と思うのが、題名を忘れたけど「中年のヤクザと少女」が織り成す人間ドラマの作品。







観たいと期待して「面白かった」って満足する確率は非常に低いけどね。「なんじゃい、これはっ」って怒ってる場合が多い。






「悪魔を見た」は猟奇殺人がテーマで、恋人を殺人鬼に殺された刑事が復讐するお話なんだけれど「なんか怖い」って感じがして観る勇気がない。

「気の弱い奴やねぇ」どうとでも云え。昔から主役に関わる人が狙われるようなストーリーの映画はハラハラして疲れるのね。

「でも観たい」ってのもある。今日はブログが早めに出来上がったら「観たろかな」






昔は「余韻」がいつまでも残る映画があったね。完全理解がいかないようなのも有るけれど、人の心の機微や多様な思いのすれ違いから

哀しいラストに終わる物語など考えさせられる内容があった。フランスやイタリア映画などにそういうのが多くあったね。

映画にもお国柄が出る。アメリカ映画は勧善懲悪スタイル、フランスは人の心の作用に焦点を絞り、






イタリアは現実をリアルに捉えるって感じかな。単純にしか表現能力がないけれど、そんなふうに思う。






第二次世界大戦時代のレジスタンスを描いてもアメリカはアクションに重点を置く。

フランスやイタリアはレジスタンスの面々の心理に重点を置いてリアルチックで重い。

「懐かしいね」フランス映画の「影の軍隊」だったかな? 






地下の射撃場を的側の壁に向かって、捕らえられたレジスタンスにゲシュタポが「走れ」って命じる。機銃が背後に構えられている。

十数名のレジスタンスが走る。機銃の乱射音が曇った空に響く。

一度目は仲間に救われたリノ・バンチュラが二度目には走らなかった。味のある役者でしたね。






人の心の底から掻き上げるような人間描写ってのは「重い」けれども見応えがある。






男と女の切ない思いも、ガラスの向側を濡らして垂れるしずくのように届かぬ涙に胸を打つような映画もあったね。

そういう映画を観たいね。「男と女に関わることは弱いお前が解るの?」「他人(ひと)さんのことは解る。ほっとけっ」

たしかに自分がタッチしなくて傍観する立場なら、よく解るもんだね。



















しかし、最近のアメリカ映画も「立ち止まって、ちょっと考えろよ」と云いたい。観ている間は確かに凄い。でも観終わったら何んにも残らない。

遊園地の乗り物と一緒やないの。勧善懲悪でもスペクタクルでも構わないから、せめて昔の西部劇で醸した叙情的な雰囲気に酔える作品を創れよ。

なんでもかんでもぶっ壊すしか芸がないのかよ?「作ってるほうも飽きるやろ?」古いかもしれないけどジョン・フォードみたいな監督は居らんのかね?























独り言-226 『地震』

2011年10月26日 | 日記







トルコで大地震があり沢山の人々が瓦礫の下敷きか生き埋めになっているらしい。

中近東の辺りの建造物って倒れ易いんかして、映像で見る限り倒壊数が半端じゃないって感じです。

倒壊とともに下敷きになって亡くなるほうが楽な気がします。






崩れ落ちた瓦礫の隙間一杯に生き埋めになって、身動きひとつ出来ない状態になったことを想像すると「気ぃ狂いそう」

狭いとこに詰められるのは絶対に嫌っ。

痒くなっても掻けないし、顔に砂埃が落ちても掃えないし、大小便用足さんし、ムカデや蛇が顔や身体の上を這ってもどうにも出来ないし「悶絶しそうっ」






一週間、十日以上過ぎてから奇蹟の生還なんてあるけど「オレの場合、発狂してるだろうね」これじゃ、助けた人も助け甲斐がないだろうね。

身動き出来ないのに水嵩が増えてくるとか、火が迫ってくるとかなんて想像したら、

ジタバタも出来ない拘束感の息詰まりで呼吸が荒くなって「苦し~いっ」って跳ね起きるね。「嫌だねぇ~」






阪神大震災に被災した方で、何日かして助け出されたお父さんが「娘はっー?」って担架の上で救急隊の隊員に問われている。

小学校低学年ほどの娘さんとともに家屋の下敷き状態になり、離れた位置で互いが身動きできない。

「お父さん、痛いよ」って叫ぶ娘に「頑張れっ」しか云えないもどかしさの中、徐々に娘の声も弱弱しくなりやがて聞こえなくなる。






この時のお父さんの心情を慮(おもんばか)ると「涙がこぼれたね」娘さんは帰らぬ人となった。今でも思い出すと目頭が熱くなって濡れる。

地獄の苦しみだね。そういう苦しみが地球のあちら此方で絶え間なく起こっている。天変地異の脅威は人ごとではないね。



















絶対に倒れない家を造っても、其処に居るときに地震に遭遇するとは限らない。

出勤中かも知れないし、軟弱な建物のなかで買い物や外食したりしているかも知れない。運命なんだろうね。

結局、個々に、どのような状況におかれても「負けない」って意志力を問われるんだろうと思う。

精神力が全てではないが、自身を見失わない要は此れにかかっているんだろうね。






「助けて」ではなく「助けよう」の思いが、自身をも救う術なのかも知れない。闘魂は、思いのほかに力を湧き立たせてくれるものだから。






火事になれば我先に人は逃げる。でも、同じ人間の消防隊は逆に火事に向かって行く。

消火の技術を会得するしないの差はあっても、向かって行く気力は恐怖を克服する効果があるものだ。

非常食や非常用飲料の常備は簡単そうで維持が難しい。備えあれば憂いなしだけど、其れよりも世の男たちの心掛けのほうが、大きな力を担ってる。






逃げて死ぬより、向かって死ぬ。男は「こうありたい」と常に自身に言い聞かせたい。

























独り言-225 『凶暴な羆(ひぐま)』

2011年10月26日 | 日記






町ん中まで野生の動物が姿を現わすってのはニュースでよく見聞きする。狸、猪、鹿、猿、熊などが現れて田畑や生ゴミを荒らすらしい。

冬を前にすると其の数が増える。生息地が狭まり、冬に備える充分な餌の確保が困難になってるんだろうね。「熊だぁ、熊が出たあっ」って人々が騒ぐ。

動物にすれば、過去、同じ場所で「人間だぁ、人間が出たあっ」って騒いだ記憶がある。






昔、未開地の原住民が文明に追い立てられ山奥に退いて、食料が困窮すると生きるために文明人を襲ってでも奪い去る。

扶養するものに食料を、という思いは原住民も文明人も同じなのに「野蛮人」のレッテルが貼られて悪者扱いになる。「一緒やね」

















最近、北海道では町にヒグマが出没するらしい。本州のツキノワグマとは違ってデカくて凶暴ってイメージがある。実際恐い。

横丁を曲がってバッタリ遭遇なんて有り得る。目の前で勢いよく立ち上がるヒグマに対し、

事情を察してお互い様「いやぁーご苦労さまですね。精が出ますなぁ」なんて笑顔で手を軽く振りつつ会釈で通り過ぎる。






ヒグマはアホやから予想外な反応に暫し立ち尽くし、胸の前に掲げた両手を、やや同じようにつられて振っている。

しかし、途切れた脳味噌の回路が接点したら牙剥いて追いかけてくるだろうね。接点するまでの僅かな時間に全速力で走って逃げるのがミソ。

「ちょっと無理があるかなぁ?」そんなの「まるで漫画やないかっ」






そうか眼を逸らさないって方法もあるな。裂ぱくの気合で眼が破裂しそうなぐらいに睨みつける。

目と目、眼力と眼力の威圧の戦い。「アホか?そんなもんなんの突っ張りにもならんわ」バリッと顔に四本筋喰らうわな。

と、云って、突然目先で死んだふりなんか通用せんやろね?






「バリバリッに噛まれて巣まで引きずられていくがな」で「やっぱり、ヒグマは悪者やな」に落ち着くんだろうね。



















「昔、大正四年十二月九、十の両日冬眠を逸した一頭のヒグマが空腹から凶暴性を発揮し十人の婦女子を殺傷した事件があったそうです。

当時の開拓農民の方々が犠牲になった三毛別羆事件と云われています。






羆は前日に襲った太田家の通夜に再び現れたあと、その足で明景宅を襲ったのです。ここには附近の女、子供達十人が避難をしていました。

激しい物音と響、窓のあたりを凄しい勢で打ち破り、イロリを飛び越え巨大な羆が崩れ込んできて、

大鍋はひっくり返り焚火はけ散らされランプは消えて逃げまどう女子達に巨羆は襲い掛かりました。






臨月の婦人は「腹破らんでくれ」!!「のど喰って殺して」と絶叫し続けついに意識を失ったのです。この巨羆は事件発生後六日目に射殺されました。

巨羆は金毛を交えた黒褐色の雄、身の丈二.七メートル。体重三四◯キロ。七、八才」(三毛別羆事件跡探訪と銘打ったサイトから)

こんなの読むと冗談言ってる場合ではないね。羆(ヒグマ)って恐いねぇ。






昔、洋画の西部劇全盛の時代、凶暴なインディアン(アメリカ原住民)はより凶暴でないと「面白くない」なんて期待して観たね。

白人開拓者を襲って暴れまくる。此れを合衆国騎兵隊がやっつける。相手が悪ければ悪いほど、敢然と戦い挑む騎兵隊がより勇ましく格好いい。

これが物わかりのいいインディアンだと「がっかり」する。勇猛果敢な騎兵隊が悪者になってくる。






太鼓叩いて裸で「アイヤーホイヤー」なんて叫びながら踊ってるインディアンに同情できなかったね。

かたや騎兵隊は紺色の上下の軍服、スラックスの両脇には黄色いラインが入り黒の長靴で脚長い。

黄色いハンカチを首に巻き紺のハットで男前が極まってる。






原住民なんか「やってまえっ」って思ってた。米国で差別問題が大きく取上げられる世情に合わせて、映画のインディアンが皆物わかりが良くなって、

文明侵略の立役者「騎兵隊」が悪者に変わっちゃった。

裸で焚き火囲んで「ハイヤーホイヤー」絶叫あげて踊ってる奴らが正しいと云われてもイメージが悪過ぎる。






其処へ行くと、町に侵入する動物たちには同情できる。彼らの生息地に足踏み入れた人間側も悪い。

撃たれて間延びして引きずられていくツキノワグマなんか「哀れに思えるね」

動物たちは「皆、可愛いもんね(羆はコワイ)」やっぱり、幾分かは見た目も大事なんかね? 「そら、おまえ、偏見やろ」


















独り言-224 『最強』

2011年10月24日 | 日記







クサムシのことをググッて調べていたら茨城では、屁くさ虫、屁っぴり虫、屁っぷり虫、屁っこき虫なんて呼び名があるらしい。

寒くなる前の一時期に群れで発生するらしい。兎に角、こいつは名の通り「臭い」体長5ミリ程度で、てんとう虫を黒っぽくしたような体型をしている。

指先で弾き飛ばせば臭いは嗅がずに済むけど叩いたりして潰すと「最悪の臭い」に襲われる。石鹸で洗っても頑固で取れない。






白っぽい服とか干している白っぽいシーツなどに寄るみたい。

最近、あちら此方でよく見かける。外で煙草を吸っていると、ほっぺに何かとまったので軽く払うと「クサムシ」やんかぁ。

「臭うとるがな」石鹸で顔をゴシゴシ洗ってなんとか臭いはとれたけど。「こいつは、ただ嫌がられるために生まれて来よるんかいな?」






市販の殺虫剤ではコロリとは死なん。寒くなると自然と姿を消すので「それまで待たんと仕方ないみたい」

早めに姿消して欲しくなるような鬱陶しい奴って人間にもいるなぁ。






「ぎゃあ~」あちらの部屋で息子が絶叫挙げてる。「おとうさんっ、なんやこれはっ?」聖徳太子みたいな息子が血相変えてコンデジ持って飛んでくる。

クサムシかいな?「正体不明のでかい虫やっ」わざわざ写真撮ってきてる。

「オーバーな奴やで」差し出す画面を見ると「アホかお前は。コオロギやないか」「へっ、此れがコオロギかいな?」






「秋の夜長に虫の声ちゅうやろ。スイッチョロ、スイッチョロって」「コオロギってリーンリーンと鳴くんやろ?」「そうか?」子も子なら親も親やねぇ。

「鳴き声知らんより、コオロギ知らんほうがおかしいでぇ」「オレは虫大嫌い。知りたくない」

「コオロギ知らんって珍しいんとちがうのん?」って向こうから奥さんの声。






「そんなもん知ってなんになんねんっ。居らんでも困らんわっ」「そう云や、そうだわな」

「此れは昆虫やから殺すことはない」掴まえたコオロギを表に逃がしてやる。「おとうさん最強やな」「どこがやねん」

コオロギ、手掴みして「最強」なんて云う奴、此の世でおまえだけやで。「髭生やした若いもんが情けないな、ほんまにっ」って奥さん。「うっさいなっ」






虫に限らず、知ってて当たり前のようなことを「知らない」ってことは意外と多いのかもしれないね。

常の生活に関連性が薄いとか、興味がない対象ってのは、そんなもんなんだろうね。

若い子等と話して居ると、彼らには「常識ごと」なのに私には全く解らないことのほうが多い。






生きて行くための知識。自分なりに不要なものは削ぎ落とし、武器になるであろうことを租借して身に着ける。足らぬものは其の折々に調達すれば済む。

前線に送り込まれて来た基本の重装備で身を包んだ新兵から、古参の軍曹が次から次へと装備を剥ぎ取りながら「遠足にでも行くのか?」って揶揄する。

洋画の戦争映画でよく出てくるシーンだね。必要最小限の軽装備が敏捷性を確保して身を守る。






「息子よ、知らぬことで困らぬ間は知らぬでも良い。知りたい欲求が生じたときに学べば良い。脳味噌が劣化した分、意欲がホローしてくれるよ」




























休憩-35   『かなり痛い一万円』

2011年10月24日 | 日記







また中国が世界中で騒がれていますね。幼児が車に引かれて路上に倒れ苦しみ悶えている。






商店が立ち並ぶ道路の中央辺り。備え付けの監視カメラが一部始終を捉えていた。通行人が幼児を「チラッ」と見ながら通り過ぎて行く。

一人、二人、三人と。じぃっと見ながら通り過ぎて行く。六人、七人と。単車の男が避けて通り過ぎ、一旦振り向いて走り去る。

親子連れが見ながら去って行く。十八人の人が見捨てて去って行ったらしい。「そらぁ、こんなの見たら騒ぐでぇ」






同じような目に会った人を助けた人が、加害者扱いされて賠償させられた事例があったらしい。だから関わりが怖かったって言い訳してる。

そんなら寄って集って皆で助けたれよっ。互いが証人じゃないか。

こいつらばかりが非情じゃなくて、そういう選択肢も取らざるを得ない背景が問題なんだろうね。幼児は苦しみながら死んじゃったよ。






まさしく見殺しやないの。

云いたくないけど「中国はコワイ」列車事故の対応も「命は金よりはるかに軽い」って国の方針あからさまやったもんねぇ。

「野良猫ちゃんが死にかけてる」って来るから、慌てて道路の車の下から抱えだし「さて、どうするの?」耳から血が出てる。






誰も居なくなったから走って医者に連れて行き「もう駄目ですよ」って言うから「兎に角、一日診てやって」って云ったら一万円「かなり痛いでぇ」

















翌日、引き取りに行ったら容態は同じ。「注射してますが駄目でしょうね」ダンボールで小屋作って寝かせてやる。

「どうせ駄目なら鰹節でも喰いな」って鼻先に置いてやったらヤッセヤッセと平らげて元気になってる「?」回復しよった。

「駄目ですよ」「駄目でしょう」云って一万円請求しよった、あの医者は「中国人かぁ?」






日本人は、何の縁もない野良猫ちゃんでも助け出して「かなり痛い一万円」を払ってでも救おうとするぞっ。「ほんまぁ~っ」アッタマにくるわっ。




















独り言-222 『携帯に泣く人生』

2011年10月23日 | 日記








今日は遅くまで仕事があってパソコンの前で「ほっ」と出来たのが午後11時を回ってる。

昼過ぎ、高校と中学の男子どもが寄ってきて「退屈~、しんど~い、お小遣い」話す内容は「煙草にコンドーム」

こいつらの頭の中は「スエベ一色」背伸びしたいんやねぇ。






「他所で群れろ」って放り出す。「嫌だねぇ」もう少し品良くしろよ「まあ、私もちょっと面白おかしく其の話にノッてしまったけどね」

空は晴れたり曇ったりを繰り返して昼過ぎから降ったりやんだりと定まらないね。






静まった事務所で少し考える。「オレは何か錯覚して生きている部分があるなぁ」 自分を忘れて生きてる時間が長いねって思う。

若い奴等と話していても歳の差意識が希薄で対等意識が強いなぁ。年配の風格なんて無いね。

「どうしたもんだろうね」随分と恥ずかしい話なんだろうな。軽薄なんかね。






だから、白髪交じりの頭の天辺が薄くなってきたことが「ちょっと嬉しくもあるんだね」中から落ち着きが出ないなら外見だけでもって、思いがあるね。

それに早く爺になれば、歳に似合わぬことで心痛めたり、哀しくなったりするよなことも起ころうこともない。






四十四歳の女性が十九歳の若者に刺されて死んだ。会うのは二回目って云ってる。出会い系で知り合いメールや電話で3年来の付き合いらしい。

頻繁に遣り取りして気心が通じたんだろうね。病弱を苦にして若者に「殺して欲しい」と頼んで刺されたらしい。

小さな窓に表示される活字から相手を窺い知り、電話に移行して親しみを感じて会う。二人の間に介在するものは何もない。






集中型の会話に酔って、会ったときには一つの世界が出来上がってる。良く言えば感性を鋭くさせるだろうね。悪く言えば互いが妄想に踊ってる。

カップラーメンのような恋なんだろうね。出来上がった世界では、どこぞのオバサンを刺してあげねばならない。

暗い処で独りになれば「なんでぇ?」って、なるだろうね。





















苦労のない処に本物は得られない。指先一つで簡単に得れたものには価値が伴わない。他に幾らでもいるのだから。

妄想が癖になったらやめれない。煙草と同じだね。「やめよう」って思っても、手が勝手に火を点けるように、指はボタンを操作してる。

誰も彼もが携帯を持っている。本来なら、泣かずにすむ子が泣いている。便利な機器が溢れて結構な世の中だけど、人間は今も昔も変わらないよ。






欲しいものを手にするには汗流してこそ価値がある。






時計を見たら深夜の1時半、煙草がない。「明日買いに行こうか」「我慢できない、苦しい、欲しいっ」コンビニへ買いに出る。

雨がポトポトこぼれてる。「おほぉ、えらい遅うに」っていつもの店員さん。

「パソコン遣ってたら時間が解らんね」こんな時間はやっぱりお客さんが居ないね。






煙草貰って「ありがとう」外へ出て辺りを見回してもひとっこ一人居ないね。「静かだね」























独り言-221 『猟奇殺人』

2011年10月21日 | 日記







帰るなり奥さんが「猟奇殺人があったって」「何処で?」「ニューヨーク」外国か、また大量の遺体でも見つかったのかな?

「何人遣られてんの?」「ひとり」「なんじゃいな」「妊婦がお腹切られて赤ちゃんが引っ張り出されててん」赤ちゃんは死んでたらしい。

犯人は黒人の女性で見ず知らずの人が犠牲になったらしい。






お医者さんなら毎度お馴染みの光景なんだろうね。慣れてしまったのかして驚きもない。

「そのほうがコワイ」日本でも負けずに残酷な殺人のオンパレードやからね。

殺したあと遺体をバラバラにしてゴミみたいに捨てるのが流行ってるね。「なんやねんやろね?こいつら」






そういえば、もう二十年は経ったかな。時たま思い出すけれど、たしか名古屋だったと思うけど、家に居た妊婦の奥さんが何者かに殺され、

腹裂かれて赤ちゃんが引き出されていたっていう同じような事件があったな。

縫いぐるみや電話機などが裂いた腹に詰め込まれていたって、とんでもない猟奇殺人だったね。たしか赤ちゃんは助かったって報道していたように思う。






犯人は捕まってないはずだよ。東京の世田谷であった親子四人殺しも犯人は捕まってない。

何処の誰やらさっぱり解らないのが、当たり前のように思えるけど警察は探し出すね。「感心するね」日本の警察は優秀らしい。

でも、どうにも手繰る糸口が掴めない相手ってのはやっぱり居るんだね。






全然関係ない話に変わりますけど、40インチの薄型液晶テレビが4万円を切ったって何日か前の新聞で見ました。

7、8年前は37インチが35万円もしたのに「そんなに落とすなよっ」って云いたい。

ヨドバシでポイントついて「安い」なんて喜んでいた奴が馬鹿みたい。家電も買い時考えんと詐欺にあったような気になるね。

そいでもって性能も上がってるから泣けてくる。






今、キャノンの一眼レフカメラを2機と高級レンズを2本持ってるけれど、これもただ重いだけの古道具に成り果てる時代が近いんじゃないの?

コンパクトカメラの性能がどんどん進化しているからね。転換期ってのがあるからな。

私の場合、防湿庫で眠らせてる間にそうなるで。「オークションで売っちゃおかなって思ったりしてます」






全然関係ない話に変わりますけど、リビアのカダフィー大佐が反カダフィー派の手に因って射殺されましたね。

独裁政治の終焉はいつもこのようなものですね。国外退去の要求を素直に受け入れるべきだったね。

そしたら両足撃たれて脳天に鉛の弾丸喰らわずに済んだのに。






「民衆の恨みの弾丸」を喰らう寸前に彼は「何を想っただろうね?」はたまた諸行無常の鐘の音を聞いたかな?













カメレオンの独り言