カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1004 『お休みだけど、大晦日』

2013年12月31日 | 日記










  明日(12/31)の分です。




 




除夜の鐘とは、なんぞいの? 除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれる。その108つの由来については、次のような説がある。

煩悩の数を表す 眼(げん)耳(に)鼻(び)舌(ぜつ)身(しん)意(い)の六根のそれぞれに好(気持ちが好い)悪(気持ちが悪い)平(どうでもよい)があって18類、

この18類それぞれに浄(きれい)染(きたない)の2類があって36類、この36類を前世、今世、来世の三世に配当して108となり、人間の煩悩の数を表す。







または、1年間を表す月の数の12、24節気の数の24、72候の数の72を足した数が、1年間を表して108となる。

もしくは、四苦八苦を表す。 四苦八苦を取り払うということで、4×9+8×9=108をかけたとも言われている。

格別にどれが正しいということはないらしいけど、一般には煩悩説が有名だね。ただ、全ての寺が108回とは限らないらしい。







冷え冷えした深夜の空気を伝って、遠くから響き聞こえる鐘の音を聞けば、ああ、年を越すなあって感慨深く思える風情ではあるね。





















正月休みを退屈しなくていいように、う~ん、オレに休みの退屈なんて有り得ないけどね、幾ら休んでも遊びで忙しいけど気分転換にだね、

映画を借りておこうとツタヤへ行ったの。最悪なの。なんにも面白そうなのがないね。

仕方ないから「オブビリオン」「GIジョー・バック2リベンジ」「アフター・アース」 SFものは好きじゃないんだけど他に無いがなあ。















「ファイアー・ウィズ・ファイアー」ってのを見つけたよ。此れはだね、予告編で面白そうと思ってたやつなの。

オレの好きな刑事もの。とんでもない悪が出てくるんだね。残忍、冷酷、目撃者の消防士を消そうと執拗に追いかけてくる。

これは、ちょっと、楽しみだね。刑事役は、ブルース・ウィルスだったかなあ?






あらあ、「GIジョー・バック2リベンジ」もブルース・ウィルスが主演だね。ややこしいね。













もう一本は「ゼロ・ダーク・サーティ」イラクのウサーマ・ビン・ラーディンの捕獲・殺害作戦に挑む特殊部隊を描いた作品だね。














もう、多くの人が帰省や、海外旅行に出かけた後だね、今日(12/30)が、今年の仕事納めだったよ。休みが飛び飛びだけど長く感じるね。

流石に仕事も一段落してバタバタしなくて済んだよ。毎年なんだけど、この日は、なぜか事務所の中が冷え冷えするんだね。

冷たさが、気温だけのせいじゃないみたい。「じゃあ、なんだよ?」 霊気かなあ? 凍りそうな冷たさになるんだよ。






掃除で、全体的に水を使うからかなあ? 世間から活気が消えるからかなあ? 「暖房つけろよ」 嫌い、頭が痛くなる。

気温は、寒くなる、寒くなるって、前宣伝のわりには寒くないね。外にいる方が、お日さんがあるぶん暖かいよ。

正月用の買出しに行き来する人が多いね。終わったら「あ」っと云う間に仕事始めだよ。毎年変わらんね。






特段、良いこと起これとは欲張らんけど、来年も、また、無事に一年過ごせますように。皆さんも、良い年をお迎えください。





















カメレオンの独り言-1003 『お休みだけど書いちゃった』

2013年12月30日 | 日記







 明日(12/30)の分です。








深夜にタバコを買いに出たけど深々と冷えておるねえ。これから暫くの間、ブログを書かなくていいと思うと気が楽だね。

パソコンで気楽に遊べるよ。「書いてるやないか?」 ああ、遊びついでだよ。

其の証拠に、昼間は、風呂の大掃除を自発的にやったよ。ピッカピカにしてやったよ。タイルの目地に着くカビをタワシで擦り取るのは大変だね。







毎年、やいやい云われて、嫌々遣るんだけど、カビキラーなんかを噴射して掃除していたの。だけど、思ったほど落ちないね。

今日は、方法を変えて、熱めのお湯をシャワーでかけながらタワシで擦り取ったの。正解だったね。

取れる、取れる、腕はだるくなるけど真っ黒なお湯が、白いタイル面を気持ちいいぐらいに流れ落ちるよ。







カビキラーなんかを使うとガスを吸い込まないようにタオルで覆面して苦しいの。吸ってるけどね。気分的なもんだね。

自然に優しいお掃除だよ。其れを終えたら、今度は、オレの書斎もどきの掃除もやっちゃたよ。綺麗になった。

腰を捻るときつい痛みがあるんだけど「よおしっ」って気合を入れたら傷みが和らぐから不思議だね。脳味噌を騙すんだよ。





















熱めの湯船に浸かって温もって、ああ~気持ちいい。休みは、好きなときに風呂に入れるのが嬉しいね。風呂の中が美しい、惚れ惚れ。

さっぱりして、書斎もどきの椅子に着く。うん、此処もすっきりとした。いいねえ~。では、ちょっと、気侭に遊ぼうか。

ああ~このゆったりした気分、急かれる思いの無い自由の時間、時よ、緩やかに流れろよ。目が覚めたら夜になってるよ。「寝とったんかえ?」 くそっ。







オレって、すぐに寝ちゃうね。なんだよお~、大事な時間を無駄にした。「身体を休めてんだろ?」 ああ、そうか。





















今日も目覚めたらカーテン越しにお日さんが差し込んでるよ。9時かあ、睡眠時間は短いけど、よく寝たって感じだね。

机の横っちょの窓を開け放ち、此の柔らかい日差しを受けながらコーヒーを呑む。いいねえ~。

深夜は、リラックスできて就寝したのが3時回っていた。「昼寝したろ」 ああ、そうだったね。







来年は、少し身体を大事にすることを重きにしよう。もう、若くはないから無茶は控えよう。

洗面の大きな鏡の前に立つと錯覚するんだね。風呂上がりなんかに映ると、まだまだって感じで映ってるよ。お肌が若いね。

これもおかしなもんで鏡の配置だろうかね、違うところの鏡に映ってる自分に気づくと歳喰ったなあって、思い知らされるときがある。







其れが本当の自分なんだろうね? まあ、仕方ないね、どうでもいいや。身体の一部に支障が出たりすると歳を考えてしまうんだね。

当たり前が当たり前じゃないことを思い知るきっかけだろうね。幸い、肉体労働からは足を洗ったから死活に関わらずには済んでる。

若い子達や子供たちが、群れ集まって友達のように接しよるから余計に歳を忘れるんだね。







オレの知能水準が低いんだろうね。若い子達のほうが面白いよ。いろんなことを教えてくれるよ。心が和むんだね。みんな、幸せになれって思うね。

根性のひねくれた奴が、いつしか真っ直ぐになってるよ。そう、なろうと自発で気づかすことを出来るのが面白いね。

これから日本を背負って行く子達に、心の和みから産み出すものが、人にとってどれ程大切かを気づかせて遣りたいね。







また、書いちゃった。「休み、休みって、あれは歌か? おまえって馬鹿だね」 そうだね。






















カメレオンの独り言-1002 『違う方向も見ろよ』

2013年12月29日 | 日記







明日(12/29)の分です。








目覚めたら、窓からお日さんが差し込んで、オレの好きな朝の雰囲気だね。机の横っちょの窓を開け放つ、うん?、寒くないね。

10時かあ、よく寝た。あれ?身体を捻ると背中の右脇腹あたりが痛いっ。またかよ。

なんか、疲れが溜まってるって感じだね。此の2年8ヶ月、仕事とブログのワンパターンの毎日を繰り返して来たからね。






今回は。身体のこと考えて、素直に正月休みを頂こう。へばって長く書けなくなるよりいいもんね。

云いたいことが云えるのも、遣りたいことが遣れるのも、此れみんな健康だからの話だよ。

あって当たり前の空気、あって当たり前の水、あって当たり前の毎日、実際は、あって当たり前なんて何も無い。






あって当たり前と思えるうちに続けて行けるための努力も大事だわなあ。ちょっと、身体を休めてやろう。





















復興のメイン、除染に力を入れてるわりに効果のほどがないなんて、昨日、テレビで放映してたね。2~3年の延長策が公表されたらしい。

やめとけって最初から云っておるではないか。隔離策をとって、其処へ瓦礫一切を集合させろって云っておったではないか。「誰があ?」 オレがっ。

ごっつい復興費を投入して、なんの効果もないのが見えておるではないか。お涙頂戴なんかで片付く問題じゃないよ。







原発がなければ復興は、この3年で目を見張るほどの速さで進捗してるだろうね。成果が見える。莫大な復興費も生きてるよ。

避難して我慢の続く人々にも明日が見える。これだったら、ホントに涙もんだよ。

破壊されたままの原発が、そのままにある近辺を除染して人が戻って住むかあ? なんでも元を絶たなきゃ終わらないだろうがっ。







よしんば、其処へ戻って経済が成り立つか? 遠巻きの応援はするけれど、我が身の危険を顧みずなんて人の数はしれてるよ。

そんなとこへ戻らせて、無駄な汗流させて、昔は良かったなんて泣かせて終わりかよ。

なんで、こんなことが解らんのかねえ? 云っとくけどね、福島の海も、その潮流に関する海も、昔の海じゃないのは事実なんだよ。







「毎度、食べなきゃ大丈夫だろう?」ってのが、網にかかってるんだよ。人は面倒になってくると忘れるから、なんとか売れるんだね。





















答えの無い除染作業で消える税金のほとんどは、そんなのどうでもいい人たちの懐を肥やして消えている図式が読めんのかあ? アホかあ?

これほど美味しい公的な仕事が何処にある? 成果を出さなくても湯水のように復興費は流れ込む。

だから、国民が同方向しか見ないで騒ぎ立てて行なうことほど愚かなことはないんだよ。「よく遣ってるよ」 そう思いたいんだよ。  







実際に除染に携わる人々の賃金なんか勘定が合わない程度だよ。元締めだよ。安全なところで豪遊しておるよ。そいつも悪いけど国民も馬鹿だよ。

「復興、復興、応援、応援、元気、元気」 もっと音頭とって、その気にさせろって、早い時から煽ってるよ。

公務員の無駄使いを、ちまちま調べ挙げて訴えてる暇な奴等は何しとんねん。「あいつ等は、怖いところには来ん」って云って笑われてるよ。







がめつく儲けるってことに疎いサラリーマン根性の国民は、美談に酔ってるのか、無関心なのか、安全なところから心配しながら応援してる。

じゃあ、もう2~3年延長して儲けるだけ儲けようってことになったんだね。人が泣く処には、必ず笑いの止まらん奴が居るんだよ。

迷惑被るのは、出汁(だし)に使われる被災者たちだよ。本当に、彼等のことを思うなら、築き上げて実と成る安全な土地に移住させるべきだったんだよ。







こんな間抜けなことしていて、健康を脅かす怖い症状が出てきたら誰のせいにして煙を掃うつもりなんだろうかね? 





















本年も、お世話になりました。来年も退屈凌ぎに覗いてやってください。変わり映えしないお話が続くかと思います。

来年は、なにか気づきが欲しいなと思っていますが、残念ながら、自分の世界では見つけらそうにないですね。

人に語ると云うことは、人から受けて租借して、自分の思いで発するものだから穴ぼこの中からほじるには限界がある。







そんなことを考えながら身体を休めます。今日は今日の風が吹き、明日は明日の風が吹く。明日にならねば解らぬこともある。

生きるということは、そういうことなんだろうね。取り越し苦労は、なるべくせぬ方が良い。明日が、教えてくれるよ。

では、皆さんも善いお年をお迎えください。







暮れの30日から新年1月5日まで、正月休みとさせて頂きます。「ホンマか?」 今度は、ホンマだよ。「そうか?」 そうだよ。


















カメレオンの独り言-1001 『お疲れさん ・ 映画 ダーティ・ハリー』

2013年12月28日 | 日記







Dirty Harry Do You ( I ) Feel Lucky Punk? ( HD )
  明日(12/28)の分です。








クリント・イーストウッドの「ダーティハリー」を映画館で観たのは、1973~4年頃だったかね? 40年程前だね。

封切り映画館じゃなかったなあ、どこだったかね? 大劇通りを南に歩くと右角に「いずもや」って名のうなぎ専門店があった。

辺りにいい匂いが漂うの。其処を右に曲がって難波駅の方へ行くと左手にスーパー?が在って、其の間口の横手に映画館に通じる階段がある。







料金の安い映画館で人気があった。其処だったと思う。イタリア映画マカロニウエスタンの「荒野の用心棒」でスターにのし上がり、

本場アメリカに返り咲きした頃の映画だったかね? 面白かったよ。格好いいんだね。

デカいマグナム44をぶっ放して悪どもを掃除する。発砲音が凄い。ひとつのスタイルを創り出したね。







映画を観た帰りに、先の「いずもや」で、うなぎの蒲焼の頭の部分、半助(はんすけ)ってのをひと盛り買って土産にするの。

犬や猫の餌みたいだけど、茶漬けにして喰うと出汁が染み出て、これが美味いんだね。

蒲焼にしたあと頭の部分を切ったものなんだけど、粗切りだから身が多くついたのが混ざる。これが儲けものなの。







角引き回しの小さなお店だったけど、店内は、いつも満員だったよ。調理するところが、窓口になって土産を売ってたよ。

家族で何度か入って食事した覚えがある。狭いんだね。親父は、こういう落ち着かないところは苦手みたいだった。

だから、はんすけを土産にすることの方が多かったね。「ダイーティハリーがハンスケか?」 混ざったね。

















今日も、ハチャメチャ忙しい上に残業だよ。なんなんだよお~。文句云う割には、真面目に仕事する方だから疲れるんだねえ。

お蔭で、あと、鋏で切ったみたいに、なんにも浮かんで来ないよ。

そのわりに、昨日みたいに眠たくならないね。昨日のタバコの焼け焦げが応えたかなあ? 







昼下がりに急に暗雲が垂れ込んで突風が吹き荒れてから、気温が落ちたのかして急激に冷え込んできたよ。寒い年の暮れになるって云ってたね。

明日は、6度って云ってるよ。明日、明後日は、休みだから気が抜けてほっとするよ。疲れたね。

書くことないなら、ここらで正月休みをお断りしておこうか。







いつも開いて頂きまして有難うございます。暮れ30日から新春1月5日まで休みます。でも、気が向いたら書きます。







明日あたり、ツタヤへ行かんとあかんね。ちょっと映画を仕入れておこうか。ええのが出とおるかなあ? 

ちょっと、疲れてるみたいなので、今日も手を抜かして貰います。今日は、早めに寝ます。






















カメレオンの独り言-1000 『寝タバコ』

2013年12月27日 | 日記







明日(12/27)の分です。









解ったような解らんようなことを書きまくって2年8ヶ月で1000回になった。実際は1133回になるんだけど表示で云えば1000回だね。

このコロッケまずいね。「なんの話しやねん?」 いやいや、ビールのつまみにコロッケ食べてるんだけど美味くないね。

いろんなところのコロッケを食べてるけど、子供の頃、おやつ代わりに買って食べてたコロッケが一番美味かった。







今も変わらず営業されてるのを数年前に見たけど、大阪日本橋筋一丁目の南西側の千日前中央通りを西へ入った初めての南西角に「関口」って

肉屋さんがある。ここのコロッケが、ホンマに美味かった。おばさんが、大きな鍋で揚げてたんだね。

今も変わらず売ってるのかな?「何年前の話や?」 ええ~とね、50数年前。「もっと、近しいのんはないんか?」 ないこともないけど。



















千日前から千日中央通りを東へ来ると堺筋に出る。此れを渡ると向いに黒門市場西口がある。この写真の処で振り向くと下の写真になる。

下の写真、左角に関口が見える。この通りを西へ進むと千日前筋に出る。例の旧千日デパート(現、ビッグカメラ)が北西右角に在るんだね。

其の千日前筋ひとつ手前の筋を右に曲がると左手に「三津寺墓地」がある。其れを越して上町筋(千日前通り)を渡れば相合橋通に通じる。



















此の三津寺墓地は、昔、此の辺りにあった刑場や火葬場の名残なんだね。明治3年に廃止になって、明治18年に難波に南海鉄道難波駅が開業後、

この辺りは、急速に発展したんだね。芝居小屋や寄席、映画館が立ち並び、今の千日前の原型になったんだね。

首洗い井戸や人骨が積みあがる灰の山もあったことから祟りや呪いやと言い伝えが多いらしい。





























今は、写真のように綺麗なお寺って感じで囲まれているけど、オレが小学校当時は、誰も覗きようもない塀で取り囲まれ隔離されていたよ。

周りは、賑やかなのに此処だけは、夜なんか、ぼおう~と暗いままだったね。でも、平気で横っちょの歩道を行き来してたけどね。

下の写真の街路樹の向こう側、黒い壁に囲まれた空間が墓地。大きなビルが何棟も建つ敷地が、一等地に関わらず手付かずのままなんだね。






前の高速が上を通る上町通り(千日前通り)の下には、虹の街の地下街が通ってる。この地下街を建設するときかな? 

此の辺りでは掘っても掘っても人骨が尽きぬほど出たって云われてるね。明治3年までは、人が立ち入ることを忌む地だったんだね。

コンクリートやアスファルトで何度も何度も塗り押さえ込まれて、もう、呪いも祟りも出辛くなったのかね?



















「なんで、コロッケの話から刑場の話になるんだよ?」 オレも解らん。そういう歴史を持つ街筋ってことに話は延長したんだね。

こうして昔を振り返ると、人は人の上に生きて、そして死んで、また、その上に人が生きて居るってことを感じるね。

そうして人生が積み重なって世は移り変わり、今を経て未来に突き進んでいくんだね。






長い歴史の中の塵が如きに過ぎない自分の命が、何故、こんなに大きく感じられるんだろうかねえ? 

存在してこそ在る、この不味いコロッケ、命の足しに文句を云わずに食べようか。「悟りを開いたのか?」 うん、でも、不味いものは不味いね。

もっと、せこ入れて作れよ、パックで売って、あと知らんなんて、底の浅い商売やめろ。「うるさい奴っちゃなあ」



















秋に戻ったかいなと思わせる快晴に恵まれた昨日とは打って変わって、今日は鬱陶しい天気だね。雨が降ってきたよ。

今日も忙しい一日だった。朝から終業間際まで追いかけられ詰めだったよ。疲れたあ~。

今日中に片付けなければいかん仕事抱えてるのに、お客さんが、次から次から来られて時間を取られるのは辛い。







何とか間に合わせて外へ出る。煙草を取り出し火を着ける。この一服が堪らん。もう、街灯が点いてる。

でも、ほんの少しだけど、日が長くなったかな? 

ああ、そうか、明日(12/27)で大方の会社は仕事納めだね。2013年も、愈々、終わりが近くなってきた。







毎年、この頃になってくると暇なんだけど、今年は、ケツのケツまで忙しいよ。さて、あがろうか。

「★★ちゃん、終わったかあ?」 おませな小6の女の子と連れの子が走って来る。ああ、終わったよ。「待っててんでえ」

オレの隣に立って、同じように街並みを眺めてる。雨だねえ。「うん」 もうすぐお正月だよ。





















ここまで書いて、発展性がないなあ~と思いつつ、衝立の陰に隠れて煙草に火をつけたんだね。

で、痛いなって思って、右手の二の腕のとこへ左手を遣ったとこで目が覚めた。「が~んっ」 お気に入りの上着が焦げて穴が開いてる。

しっしまったあ、タッタバコはっ? なっないっ、ああ~っ、お気に入りのジャージーのズボンの上でくすぶってるっ。







わっわっわあ~、煙がたってるっ。タバコを吸殻入れでもみ消してズボンを見ると、あっちゃあ~、穴が開いてる。

びっくりっしたあ~。タバコに火をつけて暫くして寝ちゃったんだね。指で挟んでたのがポロッっと腹と二の腕の隙間に落ちたんだね。

下に着てるワイシャツも焦げて穴が開いてる。熱いじゃなしに痛いんだね。寝とぼけて慌ててる間にズボンまで穴を開けちゃった。







家ん中で隠れて吸ってバチが当ったね。今日は、もう、あかん、疲れたよ。





















カメレオンの独り言-999 『珍種』

2013年12月26日 | 日記








明日(12/26)の分です。









昨日のブログは疲れたよ。簡単に済ませて終わろうと思ってたのに。「なんで?」 クリスマスだよ。ブログなんか誰も見ないよ。

流行らない西部劇を題材にするには、いい按配と思ったんだけどね。フィルムを捏ねまくる奴が居るんだね。

オレも、動画をバラバラにして繋ぎ合せてポイントになる台詞を生かしてBGMを入れる作業が好きなの。字幕も入れるんだよ。







そんなの遣ってる癖に気がつかんかったよ。もっと、注意深くならんといかんね。馴染みの無い英語だから、断り書きを、全然、見なかったよ。

著作権法で取り締まりも厳しくなってんじゃないの? あんなの、まだ投稿する人が居るんだね。つわものだね。





















今日も忙しかったよ。忙しい日は、一日終わるのが早いね。東京都知事の猪瀬さんが、今日、東京都庁を去ったね。

就任して一年目、猪瀬さんに云わせれば、あっと云う間だったんじゃないかねえ? 

精力的に頑張って輝かしい自分であったろうに、最後にドブ板割って嵌まったね。







ニュースで歴代の知事が盛大に送り出されている姿なんかを映して比較してる。60人ほどの職員に送られて寂しく去って行ったね。

「盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」 なんて云うには歴史が浅いけど、此の人の人となりには、いずれは訪れる気配を有しているね。

「脳ある鷹は爪隠す」って昔から云うけど、優れていればいるほどに謙虚な姿勢で人望を得るべきだったと思うよ。勿体無いことだよ。







祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声(こえ) 諸行無常の響きあり 

沙羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色 盛者(しょうじゃ)必衰の理をあらわす

奢れる人も久しからず ただ春の夜の夢の如し たけき者もついには滅びぬ 偏(たとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ





















オレが思うに、映画を観ていても習うべきところはごまんとある。しかるに、人は、総じて悪いほうの奴の真似をするね。

昔の高倉健の残侠伝なんか観ていても「健さん、健さん」と憧れていて、チンピラ如き行いで警察のお世話になる。何を観ているの?

健さんが、女の人や弱い者苛めたり、恐喝や脅しや引ったくりなんかをするかあ? 何処を憧れてんのかねえ?







仁侠道を守り、筋を通して我慢の上に我慢してんのに、悪(わる)が横車通してあこぎが行き過ぎる。「死んで貰うぜっ」 正義の爆発だよ。

無理難題吹き掛けて人に危害を与える奴は、毎度、健さんにズタズタに斬り殺されておるではないか。観て解らんのか?

ふつう、聞いて解らんってのはある、でも映画は、観て解るやろ? 懇切丁寧にアホを描いて、最後には、こうなるでって見せて教えてるやろ?







別に高倉健のヤクザ映画だけじゃないよ。どんなジャンルの映画でも、主役もしくは、いい者の真似をしろよ。映画は、アホでも解る人間教科書だよ。







人は、俺(私)に限って其れは無いって思うところが大きい。交通事故なんか顕著だろうね。「馬鹿やでえ」って、人の事故見て笑ってる。

ほいで、今度は「アホやでえ」って、笑われながら彼の世へ逝ってる。明日は、我が身なんだよ。

俺に限ってないのは、ジョン・ウエインみたいな役者が云う台詞だよ。絶対死なない男だよ。飛び来る弾丸が、彼を避けるんだよ。神技だよ。







それでも、「アラモ」と「11人のカウボーイ」と最後の映画「ラスト・シューティスト」では死んだ。例外はないと云うことだよ。

愚かは、いつか我が身に還る。なるべく、正しく生きろと云うのは、そんなのを嫌と云うほど見聞きしながらの今がある人の思いだよ。

歳は、伊達にはとっていないってことだよ。天に唾してごらん、己れに戻るだろ? 驕(おご)ってはいかんと云うことだよ。





















自分の中の戦いは、それがどんなに厳しくても、自分自身の問題でしかない。相手の知らぬことだね。

その苦しさを克服したからといって、同じ想いを強制したり、努力の基準を其処に置くなんてのは甚だ迷惑なことなんだね。

其のけじめのつかない人も多い。人は、なにかしら自分自身の中で戦っているものとして、其処に基準を置くべきだね。







努力も苦しみも秤にかけて量れるものじゃない。人、それぞれに引きずるものがある。そう捉えれば優しくなれるもんだよ。

猪瀬さんは、其処へもってきて頭が切れる。人が生温(なまぬる)く見える。尊大な姿勢は、その辺りから発生しておるのかも知れないね?

本来、内面から来る地獄のような苦しみは、自分だけが味わうという価値であることを知るべきなんだよ。







劣等感なんてのは、自分を取り巻く人間に対して生じるもので、自分の中で必死に戦ってる分には発生しない。

其れを克服して笑って居れる人間に成長すべき試練なんだと思うんだけどね。そうしてこそ有象無象ではない珍しいタイプが出現する。

別に珍種になるためじゃないんだけど、いちいち上から目線で怒鳴らずとも一目置かれる人間には成長できるよ。







自分を御せば、人自ずと聞く耳を持つ。敵は本能寺に在りって明智光秀が号令したけど、本当の敵は自分自身に在りだね。




















カメレオンの独り言-998 『映画 二人のワイアット・アープ?』

2013年12月25日 | 日記







 明日(12/25)の分です。









深夜に煙草が切れちゃった。これは、買いに行くしかない。外に出ると深深と冷えておるね。

コンビニの中は暖かい。お客さんが多いね。順番待ってレジーを済ませて出ると、近所のご主人が「煙草を切らしたあ~」って笑ってる。一緒やね。

うん? 道路向こうの軒を並べる家の屋根の上に誰か歩くシルエット。げっ、サンタクロースか? 「ホンマかっ?」 知らん。






アメリカなんかで、深夜、屋根の上をウロウロしてたら撃ち殺されるで。





















深夜、何も浮かんで来ないからユーチューブん中を散歩してたら「The Gunfight at the OK Corral 」ってのが、映って、画質が綺麗なんで

何気に観ていたの。「OK牧場の決闘」だね。バート・ランカスターやカーク・ダグラスのじゃなくて新しい映画みたい。

ケビン・コスナーが出てる。決闘に赴く辺りから始まってるよ。誰がワイアット・アープなんか解らん。原語でスーパーがないからね。







病気持ちみたいなのが居る。はあ~ん、こいつがドグ・ホリディかって解ってくる。この役者は知っている。「誰や」 知らん。「なんやねん」

名前なんか、オレに覚えさせよう思ったら余程じゃなきゃあ無理だよ。でも顔は覚えてる。

あいつだよ、「トップガン」でトム・クルーズのライバル役のキザな男を演じてた役者。


































「ふつう、このケビン・コスナーがワイアット・アープって思うよ」









ケビン・コスナーがワイアット・アープかなって思ってる。でも、違う。コルト・バントライン・スペシャルを手にしたのが、そうらしい。

大きな髭を蓄えた男だね。こいつも知ってる。「誰や?」 あいつだよ。「どいつや?」 よく出てる奴だよ。解ったろ? 「解るかいっ」

アープの弟だったかな? 兄貴だったかな? モーガンは、こいつかって解った。「なんでや?」 アープが「モーガン」って呼んでたよ。





















もう一人、痩せ気味の髭の奴が解らん。アープの兄弟の一人だろうね。知ってる役者だよ。アープ側は4人のはずなんだけど5人居るんだね。

昔の西部劇と違って衣装や髭面なんかイタリア(マカロニ)西部劇の影響かね? モサいんだね。実際は、こちらのほうがリアルなんだろうけどね。

決闘シーンは、相手側のクラントン一家は6人かな? 互いが真近に迫って撃ち合う実話通りなんだね。これが、凄い迫力だよ。発砲音も凄い。





















アープ、ホリディ、それとケビン・コスナーは無傷なんだけど、ケビン・コスナーは、一体、誰役やねん? 解らんなあ~?































期待せずに流して観てたから、この決闘シーンは儲けたね。合格だよ。で、おっ、シリーズか? 「TOMBSTONE」ってある。トゥーム・ストーンだね?

OK牧場の決闘の後日談、トゥーム・ストーンとは墓石だね。「墓石と決闘」 昔、ジェームズ・ガーナーがアープを演じていたよ。

観るべしってクリックする。役どころは、先と同じだね。ケビン・コスナーは出てない。じゃあ、誰役してたんかいなあ~、不明のままやね。




























































ガン・ファイトが、とてもリアルだね。こちらでもOK牧場の決闘シーンが映る。様子は、同じなんだけどケビン・コスナーの姿が無い。

馬を盾にする相手側が見えない。先のシーンでは、馬のケツに一発撃ち込んで「痛ってえっ」って走らせて、隠れてる奴を撃ち殺すんだけど、

此方等では、空にショットガンぶっ放して、驚く馬が走り出すに変わってる。なんやのん? 馬が可哀想だから改めたの? 







動物保護団体から文句が出たのか? 人間保護団体は居らんのか? バンッバンッ殺られとんで。

台詞解らず通しで観るのは辛いので、飛ばし飛ばし観たけど、TVドラマじゃないね。撃ち合いが凄まじい。

日本未公開映画だと思うよ。今の日本じゃ西部劇は受けないからね。寂しいことだよ。







たしか、実話のOK牧場の決闘では、クラントンが生き延びて「墓石と決闘」に繋がっていくと記憶してんだけど、

この映画では、ジョニィー・リンゴが生き延びてんだね。こいつは、ドク・ホリデーと因縁がある。

この二人の決闘が、いいねえ。もう、結核で死を真近にしたホリディが、アープより先回りして宿敵のリンゴと対峙する。






































手の届く接近戦で、睨みあって早撃ちに賭ける。抜くが同時にリンゴの額に風穴が開く。ヨタヨタと歩いてぶっ倒れる。







ことが終わったところへアープが現れ驚くんだね。血を吐いて死に掛かっていたホリディをベッドに寝かせて来たんだからね。

由緒ある家柄に生まれ育ち医者にまでなった男が、博打うちに身をやつして、今は結核に身体を侵されている。

連邦保安官のワイアット・アープとは、何故か気が合う親友なんだね。なにか、話し合うんだけど、解んないからどうしようもないね。









































この映画を観ながら、この雰囲気は、ケビン・コスナー主演の「ワイルド・レンジ」を撮った監督、もしくは撮影に携わった人のじゃないか?

って感じてたの。ラストの馬を駆るシーンで、そうだと確信したね。独特の趣をイメージしてる人だね。

ジョン・フォードが西部をメサにイメージして西部の叙事詩を創り上げたように、そういうのを大事にしろよって思うんだね。






























「ワイルド・レンジ」(独り言369で書いたよ) あんたの世界があるよ。「ホンマにそうかあ?」 オレの感性が生きてりゃ当ってる。

「外れてたら?」 死んでる。それより、ケビン・コスナーの存在だよ。あいつは、ワイルド・レンジの幽霊だったのか? 

台詞もなく、出張りもせず存在してる。一級の役者だよ、この設定は、なんなんだろうかねえ? 








あとで調べたけどこの映画の製作人はワイルド・レンジとの関連性がないねえ。どうも、オレの感性は死んでる臭いね。

しかし、「ワイルド・レンジ」の雰囲気に影響されよったかも知れん。「苦しいのお~」





















それと、先のほうだったかな? ラスト、バット・マスターソンみたいなのが、出て来たね。大した男じゃない扱いだったけど。

はるか昔、TVの西部劇で「バット・マスターソン」ってのが放映されてた。こいつ、きっと、それだよ。「なんで解る?」 感覚だよ。

「外れてたら?」 感覚も死んでるよ。「じゃあ、その場合、もう、アカンね?」 そういうことだね。









 『バット・マスターソン』









解ったよ、役者の名前。ワイアット・アープが、カート・ラッセルだよ、ドク・ホリデイが、ヴァル・キルマー、リンゴが、 マイケル・ビーン 。

マイケル・ビーンって、「エイリアン2」で、海兵隊役で最後まで生き延びた兵士を演じてたんじゃないかなあ? オレの記憶では、そうだよ。

「外れてたら?」 記憶は、もともと危ないからね、よくあることだよ。変わりなしだね、残念だったね。





















しかし、調べ癖つくと意外なことを知るもんだね。このワイアット・アープってのは実在したんだけど、この人と、かのジョン・フォードが知り合いだったの。

彼は、晩年、ロサンゼルスに定住し西部開拓時代の伝説的な生き証人となり、親交を持った映画監督のジョン・フォードの西部劇製作に影響を与えたんだね。

1929年1月13日、ロサンゼルスにて膀胱炎で死去。80歳とある。弾丸、雨振る中でも、生きる人は生きるんだねえ。







こういう時代を、拳銃を頼りに生き切るってのは、余程の生命力なんだろうね。ちなみに、ドク・ホリディは、36歳ぐらいで病院で亡くなってるんだね。

ジョン・フォード監督の「荒野の決闘」で、ラスト、教師のクレメンタインとの別れにアープ(ヘンリー・フォンダ)が、「実にいい名だ」って馬上で云うね。

その後、たしか、実話では、あの人と夫婦になって西海岸の街に行って暮らすんだね。







西部劇時代は、髭をぼうぼうと伸ばしてる奴が多かったってのは、当時の写真をみれば解るけど、あまりにリアルにすると役者が無様だね。

あんなので飯喰ったら髭にベタベタついて気持ち悪いんじゃないのお~? あと、ベロベロ舐めんのかよ?

昨日の映画は、何を云ってんのかさっぱり解らんかったけど、映像とガン・ファイト(銃撃戦)が印象に残る映画だったよ。





















もう一度、動画を観て解ったよ。最初に観たフィルムのは、「トゥーム・ストーン」と「ワイアット・アープ」って映画を合体させておるんだよ。

だから、ケビン・コスナーが出たり消えたりしたんだよ。ふざけとおるね。「ワイアット・アープ」はケビン・コスナー主演作なんだね。

誰やっ、惑わすなよっアホ。「おまえも、これ書く前に気づけよ」 なにしろ、英語ばっかりだから解らんがなあ。







よく見たらタイトルの後ろに(Tombstone + Wyatt Earp) って書いてあったがな。こんなん読めへんがな。「おまえがアホやねんがな」 

だから、ここに書いた映画は、「トゥーム・ストーン」の映画の内容が概ね占めてることになる。はああ~疲れたあ~。今日は、もう、滅茶苦茶だね。

何にもないから、其の場しのぎで書いたけど、やっぱり、調べ切ってから書かんとあかんね。











The Gunfight at the OK Corral (Tombstone + Wyatt Earp)   http://www.youtube.com/watch?v=_EOctfH_NA0   「ダアホっ、遊ぶなっ」


TOMBSTONE (The Full Movie) HD                http://www.youtube.com/watch?v=u0beTJBQI4g




















カメレオンの独り言-997 『メリークリスマス』

2013年12月24日 | 日記







山下達郎 クリスマスイブ
明日(12/24)の分です。








クリスマス(Christmas)とは、イエス・キリストの降誕(誕生)を祝う祭りなんだね。24日の日没から25日の日没までが期間らしい。

日本は、大方、真似事の祭りだから拘らない。いよいよ暮れも押し迫ってきた。世界中の人々が、同じ思いになる時だね。

一年に、こんなのは、なかなか無いからね、暮れから年始にかけて、63億の人類が一体化して感謝の思いを共感する時間だね。








「Merry Christmas! 」は完全な文にすると 「I wish you a merry Christmas!」「楽しいクリスマスをあなたにお祈りします」となるらしい。

「Merry Christmas!」の Merryは(楽しいとか陽気とかの意味)Merry Christmas!「楽しいクリスマスをお過ごし下さい!」って意味らしい。

「White Christmas」はその名の通り、雪が降り、辺り一面が真っ白になるクリスマスのことらしい。「知ってたか?」 考えたこともない。








クリスマスなんて、おっさんのオレには、あんまり関係ないけど雰囲気なりと醸して華やごうか。今日は、メリークリスマス。





















某私立大学付属の高1の女子が「★★ちゃん、合宿に行くねんけど、女子5人の内、わたしだけ彼氏が居てないねん。悲しいわ」

じゃあ、9人でか? 「なんでやのん、女子だけやん」 そんならいいじゃないか。余り一にならずに済むよ。「なんやのんっ」

「みんな、待ち受け(携帯)に彼氏の写真貼ってんねん」 そんなの、どうでもなるわいな、そこらの男前の写真貼っとけ。「余計に悲しいわ」







あのなあ、独りがいいんだよ。早くから窮屈になるな。自由だよ。誰憚(はばか)らず、道行く男前に視線を投げれるだろ? 「そんなん、せえへんわ」

馬鹿か? 露骨じゃなしにチラチラだよ。早くから拘束されたら夢が消えるぞ。おまえの片思いの〇〇〇〇の写真貼っておけ。

「せやなあ」 夢が湧くだろう? 夢を馳せて愉しくなるだろ? 「うん、そうしとこか?」 いずれ、ふるのに忙(いそが)しくなるよ。「なれへんわ」







自信を持て、遠くで、おまえの姿を追いかけてる奴がいるよ。「ストーカーやんか」 違うがな、照れて名乗れないんだよ。純情なんだよ。

おまえ「初恋」って歌をしってるか? 「★★ちゃん、昔の歌やろ?」 そうなるかねえ。「そんなん、知らんわ」 

じゃあ、教えてあげよう。おまえもこの子と似たようなもんだよ。ちょっと、おまえのほうが、丸こいかね? 








『初恋』 村下孝蔵



「次々に消していきよるね。堀北真希の動画も消えちゃったよ。今度はこれでどうだ」 「あっ、また消しちょる。このお~」







堀北真希という子のフィルムでいいのがあったんだけど無くなっちゃったね。音質も良かったのにねえ。これで我慢しときな。

このフィルムの堀北真希は痩せているね。無くなったフィルムのは、ぽっちゃりしてて可愛いかったよ。

しかし、女の娘(こ)って、なんでガリガリに痩せたがるのかねえ? 骸骨のどこがええねん? それが解らんわ。







「それは、おまえの好みやろ?」 そうだよ。そらね、生まれつきの体質で痩せ型の子は仕方が無いよ。それはそれでいいんだけどね。

「★★ちゃん、わたし太いやろ?」って、気にしてんだね。何処が太いねん? ちょうどじゃないの? 「太いやん、ほらあ、太腿見てみい」

あのなあ、スカートまくって見せるなっ。ちょうど、ちょうど。おまえ、よく食べるじゃないの。「そう、やめられへんねん」 そいでいいんだよ。







最近の女の子は、スカートをなんと心得ておるんかね? 昔の純情男には、ついていけんよ。彼女も友達の娘(こ)と二人で何度も吃驚させよった。






















時は流れて、皆、大人に成っていく。夢を追って夢に遊んで夢を失っていくんだね。

見てくれでも、金持ちでもないよ。隣に居るだけで心を満たしてくれる人を探しな。それが、自分のために一番いい人なんだよ。

そして、その人とふたりで夢を創るんだよ。








安奈 甲斐バンド 京都 清水寺 二年坂 先斗町 高画質



其れらしい動画は、次から次から消されちゃうね。しかたがないから、音質で、これがマシかね。「あああっ、これも消しちょるっ」







一日、早めに仕上げてるからタイミングが悪くなっちゃった。






















カメレオンの独り言-996 『棚の上』

2013年12月23日 | 日記







 明日(12/23)の分です。








ゆったりと流れ往く気侭な時間ってのは、いいねえ。リビングの端っこに設けたオレの書斎もどきの一角は創造の宝庫だよ。「大層なこと云うな」

「埃を払えよ」 何処? 「使わん前の棚の1段目と2段目」 なるほど、2台の27型のモニターの間から見えるね。

もう少し、隙間を詰めようか? 「払えばいいんだよ」 僅かなことが面倒だよ。しかし、暮れだね、大掃除でもするか。「いつや?」 気が向いたら。







「埃の被ったようなところから、いい発想は湧かんで」 云えてるね。しかし、今は、その気が起きないよ。

手製のパソコン、ブラックホークは壊れたままだし、抜いた配線が、足元にグニャグニャに這っておるし、寒いし「関係ないやろ」

「いっぺん、要らんもん整理しろ」 う~ん、前の棚に置いてるもの、みんな要らんね。「要らんもん、どけろ」







「必要としないものは、箱に詰めて机の下にでも仕舞え」 朝から忙しないね。「もう昼じゃ」 まあ、イライラする気持ちは解る。

最初、何も置かないって積りが、此れだからね。物とは不思議なもんだよ。

必要な用途があって存在するんだけど、用を済ますと不用になって意味なく有り続ける。この集大成みたいなもんだね。



















人間も、ある意味、似てるところがあるね。腐れ縁なんてのは、そんなのを云うのかも知れないね。

オレは、自分を大層に捉えないのは、そんな発想からきてるね。存在に意味が有ってこその自分だからね、無くなれば、さらばだよ。

用途も無く棚に飾られて、忘れられて、埃を被ってまで存在したくはない。物と違って自分の意思で動けるからね。







其の場を去ったら、二度と立ち入らない。もう、オレの居場所じゃないところだからね。

辞めた会社の連中とも鋏で切ったように縁を切る。別に嫌われた覚えもなければ嫌った覚えもない。大事にして貰った記憶で埋まってる。

同じ職場で築いた仲は、其処に居てこそ持続するもので抜けてからも続けようなんて気はない。思い出は一杯に残ってるけどね。







自分の存在の意識を他に頼よって計ることを善しとしない。常に自分を自分で計って許せる間は腰を据える。その基準は、至って厳しい。

「正しいか?」 解らない。正しいとか間違ってるとかじゃなしに、此れは、もって生まれた血だろうかね。

繋いだパイプを切っていく、愚かしいことだね。解っていても切っていく。







独りで決める、独りで裁く、独りで生きる、大した人間でも無いのに我を通す。でも、もう、一匹狼で通せる歳ではないかもね。






















息子と生き方の話をしていた奥さんが、いつの間にか、オレに矛先向けて怒ってる。じっと聞いている。かも知れないなと思うところもある。

遠い昔の不満を引っ張り出してまで罵ってる。一方的にオレという男は悪いらしい。なんか、そのままだと極悪非道な男やね。「そうやっ」

他所のご主人は、他所のご主人はって秤にかける。何処のご主人なの? 「そんなもん誰でもやっ」 ああ、そう。







「わたしのような女に当ってあんたは幸せやわなあ」 たしかに奥さんには救われた。大きな力になってくれた。感謝は消えないよ。

「あんたは、何かをして貰うことばかり望む男やっ」 う~ん、そうでもないよ。「いやっ、そうやっ」 もう、決定されとおるね。

してあげれなかったことは事実だろうね。でも、一生懸命に大事にしたよ。ただ、互いの、思いの矛先がズレていたってことはあるみたい。







奥さんの結婚理想像ってのがあって、尽く、オレは失格らしい。オレは結婚には向いてないようだね。「なんで、結婚なんかしたんやっ?」

成り行きで・・・「せやろっ本音が出たなっ」 キレてる。いやいや、ちょっと、おちょくったの。「大事な話しをちゃかすなっ」 はいはい。

「あんたは、子供やっ」 ああ、そう。怒り出したら止らないね。怒りの要点は、何処かへ食べに行く、行かないだけのことなんだけどね。







「わたしは可哀想な女やあ」 こればっかし。息子が「俺は行かないよ」から始まって、あいつが行かないならオレもいいよ、からだね。

何処ぞで食べたいなら好きなとこ行ってこいよ。「そんなに、わたしと行くのが嫌かっ?」 関係ないよ、めんどいだけだよ。

息子が、「おとんは共感意識が薄いな」 おまえがいかんのだろ? 「俺は外食は好かん」 オレもだよ。 「あああっ、あんたらとは合わんっ」







行ってやりたい気はある。そんなことぐらいで喜ぶんならお安いことだよ。でも、自分でも解らん重さを感じるんだね。





















して貰うことばかり考えているか、そうなるのかなあ? 自発か、頷ける部分もある。家でほっとしすぎたのかも知れないね。

安心が、細やかな思いの手を抜かしたのかも知れない。気侭も露わだったんだろうかなあ? 

揉め事に片方ばかりに問題がある訳じゃないから五分は云い当ってるんだろうね。 してあげるか・・・・心の作用の問題だね。







若い時は、熱上げて言い返した。今は、もういい。言い分を主張するから互いが見苦しくなるばかり。熱い鉄もいつかは冷める。

夫婦なんてのは、行き着くところまで行かないと解らない。変わらぬままの夫婦なんて、宝くじと同じ確率なんじゃないのかなあ。

独りがいいね。今の若者が、あえて結婚を重視しないのは、それらを見越しているのかも知れないね。







解決しない不満と云う形の物が、知らぬ間に溜まっていくんだね。埃を被って忘れていた物までが目につき出す。

整理するのも大変なほどになると、収拾できずに、改めて、怒りが生じるんだろうね。

棚の上には、何もないほうがいい。「だから片付けろって云うんだよ」 奥さんの心ん中の棚の話しさ。







一匹狼を引退するときが来たかなって思ったけど、これから、ホントの一匹狼のオレで生きていかねばならないかも知れないよ。なんでも来い。























カメレオンの独り言-995 『眠りよ、静かに誘(いざな)え』

2013年12月22日 | 日記







Last Christmas - Wham (HD)
 明日(12/21)の分です。








最近、駄文の内容が調子落ちてるから、あまり閲覧数とか訪問者数ってのを見ないようにしてんだけど、此方は、一向に落ちないね。

明日は、もう、あかんでって、思いながら解析見たら、あら、まあ、上がってんやないの。これは、しんどいでえ~。「バチ当るぞ」

見てやろうって人が増えるということは、一種の脅迫やで。オレは、小心者だから怖くなってくるよ。「根性なしがっ」 







おかしな大阪弁でええのんかいな? 「今更、何云うとんねん」 最初のうちは、丁寧に書かないかんと思ってから、わたしなんて云ってたけど笑うで。

で、本身で行かんと嘘が出るって思ってから、オレになった。オレになってから駄文の調子が良くなった。

「だったら、それでええやないか」 今、調子が悪いから、ワシに変えよか。「アホか? 余計に悪いやないかっ、悩んでる奴の台詞かっ」 せやね。







「おまえ、スリーハンドレットを目指すなんて、エラそうなこと云うてたん忘れたん?」 あと、もう、ちょいやね。「まだ、これからが大変だよ」

そうだね、踏み外して、ドシーンッと落ちるってのも充分考えられるからね。「そうだよ、波の無いものはないよ」

動画、貼りまくって遊んでる場合ではないね。皆さんの期待に添うものを書かねばならん。「そんなこと思うから怖くなるんだよ」







「第一、皆さんの期待ってのが、おまえ、解るか?」 何も解らん。「だろ、なら、おまえ流を続ければいいんだよ、作為の無い思ったままがいいんだよ」

なんで、おまえが解んねん? 「客観的に見れば解るんだよ」 そうだね、で、ないと、おまえの存在の意味が無い。「エラそうに云うなっ」

そうかっ、じっぶんっの思いだっ。「えらいリキが入ってるね」 考えたらっ、そっれっしっかっないんだっ。 「目覚めたなあ?」 おわり。「なんやねん」





















ああ~今日(12/21)は休みだよ。朝、起きたら10時だよ、よく寝たあ~。もっとも、深夜就寝したのが3時回ってたから、こんなもんかね。

昨日と同じく、予報じゃ冷え込むみたいだけど、コーヒー入れて机の横っちょの窓を全開すると、そうでもないかなあ~?

今日と云う、この空気を深呼吸で身体に取り入れて、よしっ、生きている、ありがとう。「なんやねん、そんなもん思うかあ?」 思うよ。






まあ、休みの日に限るね。平日の朝なんか、死にたいわって思うときあるからね。死なないって思ってるから、死にたいって思うんだろうね。

死にたいって思ったら、必ず、死ぬんなら、誰も思わないだろうね。わざわざ、念入れて「生きたいっ」って云うだろうね。

そして、生きてることに、改めて感謝するだろうね。生死の境を経験した人は、こういう思いに敏感になるんだろうと思うよ。






「おまえは、あったか?」 いいや、ないよ。「じゃあ、何故、真似をする?」 真似? 馬鹿だね、真似じゃないよ、想像力だよ。






今日が始まって、明日に繋ぐであろう其の日の朝に、銃弾3発撃ち込まれて、突然、人生が終わるって誰が考える? 想定外だよ。

まして、銃刀法が行き届いた此の日本でだよ。死ぬまで保障つきの余生が約束された人だよ。忘れるほど生きても大丈夫な人だよ。

何もしなくても笑って居られるご身分なんだよ。「しつこいね」 もったいない話だよ。「おまえの観点は、なんかズレてるね」 そうか?





















この社長さんが、餃子の美味さを語られていたけど「内包された具はジュウシーで皮はパリッっとした歯ざわり、これですよ」 うん、その通り、食感は正常だね。

「エラそうに」 今の王将は、此れに統一されてんだろうね。長く王将には行ってないから解らんけど、売り上げが倍増したってのは、その証だろうね。

昔、南紀方面に釣りに行った帰りは、車だから、道路沿いの王将によく寄って餃子を喰った。その都度、ドテエ~とした餃子が出される。






焼くときに水を入れ過ぎとんなあって思いながら食してた。徹夜の釣りで疲れ果て腹減らしてるから喰えたけど満足からほど遠おかったよ。

調理する従業員の人々に、食のこだわり、食感、味、雰囲気、そして裏切らぬことの大切さを、人柄を通して理解行き届かせたようだね。

裏切ってはいけない。人の口は味に正直だから僅かな隙も見落とさない。日銭商売は強い。笑いが止まらない儲けを生む。






それには、一日、一日の裏切らぬ味のこだわりと誠意が問われて維持なるものだからね、

食は、材料もさることながら、此れに携わる人の姿勢も、常に新鮮でなくてはならない。味ってのは、其れを調理する人を通じて出来上がるもんだよ。

辛いものでなくてはならんもんなら、怒りを含んで仕上げれば尚更辛くなる。捌けた味は、捌けた性格の人が作れば、その味が出る。






料理は、其れを創る人の味なんだね。社長さんは、そういう含蓄(がんちく)を心得た人だろうね。食を引導出来る人を失ったね。



















やっぱり、寒いねえ~。窓を開け放ってたら冷え込んできたよ。「当たり前やろ、冬場に窓を全開にしたままの奴が居るか」 此処に居るよ。

閉めよ。「奥さんや息子さんは、何も云わないの?」 寝てるよ。こいつら、休みは、死んだみたいに寝てるよ。静かでいいよ。

人が寝ていて自分は起きている。寝ている時間ってのは、こういうものなのかって思うんだね。






自分が寝ていて人が起きている。どこか安心なんだね。消え失せる時間の有りようを誰かが確認してくれている。依存心かね。

彼の世で眠り、此の世で誰かが生きている。眠りってのは、そんなのを教えてくれてるのかねえ。






出来得るならば芝居の幕は、静かに閉じられて終わりたいね。留め金外れてドサッと閉じられるようなのは、余韻も糞もないからね。




















カメレオンの独り言-994 『妙味』

2013年12月21日 | 日記







  明日(12/21)の分です。








音楽を聴いていると心が浮遊して、泳げない癖して波間に浮いてるような感覚になるよ。

オレが音楽に酔う要素は、外道なんだろうけど、映像が加味されるところが大きいね。それぞれの美味しいところが相乗効果を発揮するとこだね。

だから、映画音楽なんか大好きだね。映像と音楽の波長が一致するシーンなんか興奮して鼻血垂らして倒れそうになるよ。







もっと続けろって欲求不満が伴うんだけど、あちらの映画は、そのへんが、実にあっさりしてんだね。瞬間に等しい時間に興奮が詰まってる。

結果的には、インパクトなんだろうね、鮮烈に残るから不思議だよ。編集の技なんだろうね。

例えれば「大脱走」のラスト、スティーブ・マックィーンが収容所に連行されて戻って来る。収容所の門が開きドイツ兵に警備されながら独房に向うシーン。







音楽をバックに、出迎える仲間たちの前をあたかも凱旋するように歩く彼に仲間がグローブを放る。

これを受け取りニンマリ笑って歩き続ける、此のグローブを受け取るタイミングから胸を張って歩くシーンとが音楽の山の波長と同期するんだね。

1963年封切りから数年後、2流館で観てから47年間、この僅かなシーンを思い出しては興奮冷めやらぬままにあるんだね。芸術だよ。








KaThump - The Great Escape.wmv










暗闇に浮かび上がる大画面の銀幕たるところに価値が高まり圧倒するね。周りを憚らない大音響、引きずり込まれて夢の世界だね。

当然、其れまでに展開された物語が押し上げているのは語るまでもない。この映画は、ホンマに面白かったね。

50年程も前の映画なんて思えないね。あちらの人の感性ってのは、時代を飛び越えているよ。








Motorcycle scene- The Great Escape, 1963, Steve McQueen









そして、スティーブ・マックィーンの魅力が炸裂しておるよ。こうなったら、動画も貼りまくりだよ。「怒られへんのか?」 知らん。

習って覚えたての小学生みたいに、今ね、貼るのが愉しいの。「知らんどお~」 オレも知らん。「先生に言うど~」 合わせてんか?

ところで、音楽の話をしていたんだね? 「波間に浮いてたんだろ?」 ああ、そうだったね。







音楽ってのは、跳ねたり飛んだり流れたり、沈んで泣いて怒って笑ったり、生きとし生けるものの情感細やかに、実に幅広い表現力だね。

こんなのを、おたまじゃくし並べて創る人って天才だね。

塞ぎこむ心の鎖をも断ち切って舞い上がって踊りだすよ。「随分と単純な塞ぎこみだね」 







オレはね、どんなに悲しくて苦しくても一晩寝たら忘れるまでは行かないけど、捉われて尾を引く状態からは回復してるの。

だから、音楽で気分転換も容易なの。別世界へ飛んでいくんだよ。

オレが、商売失敗してどん底に落ちて肉体労働に汗流して凹んでたとき、救ってくれた音楽が「西部開拓史」だよ。「変ってんねえ」 そうか?







僅かな家財道具と夢と希望を幌馬車に詰め込んで、厳しい自然やインディアンの脅威にもめげずに、ひたすら未開の西部へ向う心意気だよ。

そんなのと比較して現状を考えたらだね、矢が飛んでくる訳じゃなし、頭の皮剝がれる心配もない、水道も電気もガスもなんとか使えて生活してる。

極めて生ぬるい状況であることを知るよ。一緒なのは、臆せず前に進まねばならんということだよ。







「西部開拓史」を聴きながら、そんなのを考えつつ、明日も頑張ろうって勢いが出てくるんだよ。ええねえ~。







How the West Was Won (1962) --- the grand finale



『西部開拓史』 478回でも書いたけどね、しつこいね。(歌詞は、478回参照) 







映像と音楽が波長を同じくするとき、視覚と聴覚に及ぼす興奮は倍増する。協力なんだろうね。互いが補い合って互いが引き立つ。だから映画が好きなの。












ちょっと、最近、話のネタの浮き上がりが悪いので、復活するまで、お茶を濁して明日へと繋ぐの。「じゃあ、休め」 休む訳にはいかん。

出涸らしのお茶でも絞れば、まだ味がある。お白湯(さゆ)よりは、お茶の気分だけでも味わえる。

お白湯になったら休んで回復を待とうか。幸い、お正月の休みが近い。仕事から解放されたら疲れもとれて、また、勝手な想像ごとも湧いてくるだろうよ。







それと、駄文は駄文でも、もう少しまともな駄文を書くには、もっと、勉強せんとあかんねえ。語彙(ごい)が侘しい。

勉強がてらに本も読みたいけれど時間がない。くたばる頃になって時間の大切さってのを思い知るよ。賢い奴は、其れを早く覚り知るんだろうね。

一度乗れた自転車は、忘れた頃に乗っても倒れない。今は無意味でも、頭に入れたことは、必ず、役に立つときが来る。







「じゃあ、今からでも無駄じゃない」 そうだけど若さの吸収力ってのは、乾いたスポンジだよ。吸い取りが凄いんだね。足元にも及ばんわ。






















カメレオンの独り言-993 『映画 追想』

2013年12月20日 | 日記





 

Merry Christmas 恋人たちのクリスマス
   明日(12/20)の分です。







街の雰囲気はどうです? 暮れの雰囲気醸してますか? 「いやあ、そうでもないですわ、ただ、忘年会やOB会に参加したら、その気配はあります」

昔ほどの暮れの雰囲気ってのは漂わないのかなあ? 「そうですなあ、なんか寂しいですなあ」 昔は良かったのくちかねえ。

満てたもの、満てぬものが拮抗した世の中でこそ漂うのかも知れない。必死に真似事に精を出すなんて意気込みの熱、その一体感かね?







オレは、そんな暮れのあわただしさってのが好きだったね。無事に過ごして暮れを迎える安堵感と新しい年に望みを懸ける思いが熱を発するんだろうね。

どうでもいいやじゃ冷める一方だね。幸せに鈍感になったのかも知れないね。幸せは苦しみが教えてくれるもんだから。

今の人々は、当たり前のような結構さに幸せ感が希薄になってんだろうかね。それは、寂しさの始まりだね。



















最近、食事時に映ってるニュースは、毎度、北朝鮮の粛清と猪瀬東京都知事の5千万円の件ばかりだね。

遠く離れた処で何方さんも大変だね。もうすぐクリスマスにお正月だよ。歳の暮れから新年にかけてぐらい、まともなことがニュースになれよ。

信頼を裏切って成るものはないよ。人に厳しくするよりも、自分に、もっと厳しくあらねばならん。人の上に立つものの心得だよ。







それが出来ないんなら上を望むな。それだけの器じゃないんだよ。頭だけの奴の弱点だね。

どこぞのハトポッポも相当の秀才らしいけど、中身の空っぽを売って恥かいただけだったもんね。

こんなのを見てると、庶民が日頃かく恥なんて、たかだかしれたことだね。見習うべきは、恥を恥とも思わん毛深く鈍感な心だね。感心するわ。







とかく人の心は汚れ易い、白に黒を落とせばたちまち白ではなくなる。黒に白を落としても黒いままだもんね。

汚すと云うことは、立ち戻りが難しい。真白いだけでは綺麗過ぎて弱すぎる。真白いだけでは傍(はた)に理解が及ばん。真白いだけでは器が限られる。

黒を数滴落として淡いグレー辺りがいいのかねえ? 猪瀬さんは、醜態曝して、尚且つしがみつく姿勢は、己を鍛えておるんかね? 







どいつもこいつも日本で良かったよ。北朝鮮だったら命懸けだよ。処刑に火炎放射器も使ったって報道があったけど焼き殺しよったんか?









 『ロミー・シュナイダー』









人を人とも思わなくなったら人ほど怖い生きものは無い。

洋画にあったね、フランスの或るお城を住まいにする夫婦が被る悲劇を描いてんだけど、題名を忘れたから検索も出来ないね。

或る日、その城にドイツ軍が侵攻してきて占拠する。留守番だった奥さんは、輪姦された揚句、処刑されるんだけど火炎放射器で焼き殺されるんだね。



















レンガの壁の前に立たされて、救いのない状況に泣きながら立ち竦んでる。火炎放射器が不気味な音を発して彼女の頭上に炎を這わすんだね。試し撃ちだね。







まともに放射されて燃え上がる。崩れた壁にしなだれかかって黒焦げになる。黒焦げなんだけど綺麗な死にざまにカメラは収めてる。

なんにしても大女優だから監督も気を使う。「ホンマかよ?」 

当たり前だろうが、もがき苦しんで宙を抱えるような両腕に、股広げてO型に両足曲げた死体に誰がなる。「ホンマもん見たみたいに云うね」



















そんなもん映されたら、あとの映画で綺麗に飾って出ても見苦しい残像が邪魔するじゃないか。女優生命に関わるよ。「それはおまえの意見だろ?」

そうだよ。「その女優さんの名は?」 忘れた、いや、待てよ・・・ロミー・シュナイダーだったかなあ? 少し歳を召してたかね? 

うん、そうだよ。検索したら「追想」って映画だったよ。娘も殺されてたんだね、娘が居たかな? 忘れてた。酷いことをしよるねえ。












『追想』 1975年度作品 フランス・西ドイツの合作映画 









亭主が帰ってきた時には、既に殺されたあと。それから、亭主の報復が始まるんだよ。城内に設けた秘密路を利用して多勢の敵を倒して往くんだね。

普通じゃない時代を無事に生き抜くってのは、至難の業だね。ヨーロッパは地続きだから他国の侵略を容易にする。

敵が、すぐ其処に居るって状況になるから非戦闘員の国民が大変な目に遭い易い。日本海は、日本を守ってくれているね。







此れを書いている背中で、テレビのニュースに猪瀬さんが、辞任を決意し明日(12/19)表明するとの速報のテロップが入ってるよ。

潮時だね。百条委員会なんか設置されて責められて揚句は辞めるんなら早いほうがいい。

5000万円の名誉だったね。都知事の給与2年分、此の人たちからすれば安いね。オレからすれば、棚からボタ餅食らって死ぬほどの大金だよ。



















アメリカで675億円の宝くじに2人の人が当ったらしい。桁外れだね。桁が外れ過ぎてピンとこないね。二人で分けても怖ろしい。

イタリアで町工場の社長さんが1億3千万程当って、その3分の1を従業員の人に分け与えたってのもあったね。

カナダでも、ゴッツイ額を当てた人が居たらしい。なんなの、ゴッツイ話し聞くだけで、こっちとらは、末等の300円ばかりを換金してる。







おちょくるのも大概にしとけ。







でも、アメリカの高額当選者は、大方の人が人生台無しになったって紹介されてたのを見たことがある。気休めかよ。

埋まるほどの札束も、マッチ一本でメラメラ燃えて灰になる。綺麗な人も焼かれたら黒焦げになる。存在するという影響力だね。

理性で維持された価値なのに、理性を狂わす存在なんだね。恩を仇で返しよるね。「なんやねん」 困ったもんだね。「おまえの頭が困ったもんだよ」























カメレオンの独り言-992 『穴凹』

2013年12月19日 | 日記






 明日(12/19)の分です。







一日、ゆとりをもってこなして行こうって決めてから、なんとか、その線で繋いで来たけど、ちょっと油断したら溜めが無くなった。

なんやねん、其の日、其の日、書いてるのと何も変わらんわ。毎日ってのは、口で云うほど簡単じゃないね。

たかだか駄文如きでなんて云うなよ。遣ってみたら解るよ、ホンマあ~大変やでえ~。「誰も頼んどらんわ」 煩いっ、自分に云っとおるんだよっ。








人の生活には、仕事以外でも、いろんなことが起こるもんだから予定なんて未定に過ぎんところがある。

其の間隙を縫って駄文を書き上げ、毎日欠かさないなんて馬鹿の決めごとだよ。「おまえやろ」 そうや。

ただ、活字を並べて、はい、終わりなら容易い、しかし、なにかしら訴えたいこととか、匂わしたいとか、ああっ、適切な言葉が出て来んっ。








アホの苦しみが解らんやろなあ~? 「そんなもん解るかっ」 賢い奴はええなあ~、生まれ持ったIQのお蔭やぞ。おまえの努力じゃないぞ。

短い脚も、おまえのせいじゃない。不細工な顔も、おまえのせいじゃない。それでも笑って、堂々と生きてるってことが努力の成果だよ。

賢い奴は、人のために生きろ、人を正しい道に導け、優れたものを貰って生まれて来るってことは、そういうことだ。オレを導いてくれ。「誰がっ、知るかっ」





















「情け無いこと云うなっ、誇りを持てっ」 持ってるよ。「それでかあ?」 誰も居ない処で深い穴凹に落ちたら、自分で這い上がるしか道はない。

「云うことは立派やけど、なんか、おまえ自体はバラバラやね」 バラバラでいいんだよ。「なんでや?」 

真っ直ぐな道は走り良い、でも、調子にのって事故る。それも命に関わるんだね。眠気も誘いよる。内から隙が出て来よるんだよ。








起伏や曲折は、気が張るけれど意外と安全なんだよ。だから自分で曲げるんだよ。曲げて折れて下(くだ)るんだよ。そして、上がるんだよ。








今日は、鬱陶しい天気になったね。朝から雨だよ。冬の雨は冷たいね。濡れた指先が冷たくてピンク色になってる。綺麗だなあ~。「なんやねん」

今日は18日か、もう、クリスマスが、そこまで来てるよ。街の繁華街は、クリスマス一色だろうね。

此の歌を聴くとクリスマスだねって思うの。稲垣潤一って、地味な感じなのに、意外と若い歌が多いんだね。この人の歌はよく聴くよ。









クリスマスキャロルの頃には 稲垣潤一










暮れもブログで潰れてしまうのでは、あまりに芸がないね、去年は、どうしたかなあ? そう云えば行かんかったなあ。面倒臭くなったかなあ?

よし、今年の暮れは、ちょっとうろつくか。恒例だもんね、足を延ばしてやろう。「ホンマかよ?」 ホンマだよ。

うどん喰いに行こ。「なんやねん、おまえ去年もおんなじこと云ってたと思うで。なんで、うどんなんだよ?」 温(あった)まるよ。







それはそうと、また、お正月の休みをお断りしとかんといかんね。予定としては、暮れの29日から新年の5日までかな。

「それも、云うだけだろ? 休みますなんて云って、休んだ例(ためし)がないがな」

馬鹿だね、そう云うことによって自由を得るんだよ。書く、書かないは、気分次第ってのが堪らん解放感なんだよ。心に新しい風が吹くんだよ。





















拘束や強制や義務感じゃなくてね、好きにすればいいよって云われると、人は、ムラムラとやる気が起こってくるもんなんだよ。

好意に甘えて素直に休んじゃうのも悪くない。でも、別に予定もなければ、気楽な気分が、その気にさせるもんさ。外圧を感じないからね。

何よりも強い自発の力だよ。自由の代償とは、そういうもんだと思うよ。







来年は、何かを変えたいね。ブログの内容も、なにか新しいものを含みたい。いつも考えてんだけどね、なんにも湧いて来ない。劣化したね。


























カメレオンの独り言-991 『雑草』

2013年12月18日 | 日記






 明日(12/18)の分です。








昨日のブログは全滅だったね。知らず知らず人は、同じパターンを繰り返してんだろうかね。

何か書き出したら、引っ掛かるものが出て、其れを語りだすと枝葉の端っこまで行けるだろうなんて思ってる。

話が出ればのことで、それすら出なければ橋の無い川を挟んで向こう岸を眺めるばかりだね。







暮れになって流石に仕事が忙しいから、わざわざ脚立を持って行って背を高めてまで、眺めなおす勢いがないよ。

見えなけりゃ見えないで知ったこっちゃないよ。「なんやねん、つい最近、大きなこと云っとったんとちゃうのんか?」

誰がや? 「おまえやないか」 過去のオレか? 「またや、過去のオレは、もう居ない云うつもりか? 都合のええ台詞やの~」 







仕事に追われると人間は機械になるね。今の生活を守る、今より生活を向上させようって、仕事に必死になると夢絵空は消え入るね。

当たり前なんだろうけど寂しいことだね。夢は、人を大きくする。現実は、立場を強くする。両方取りが理想だけれど相反するところがあって難しい。

宛がい口の娯楽で癒して想像力は低下する。仕事自体を生み出すのは想像力なんだけどね。



















学校帰りの4、5人の中3の連中が窓際に群れて、なんだらかんだら話しかけてくる。「★★ちゃん、携帯は?」 

アイフォーン操作しながら聞いてる。おまえのは、アイフォーンやな?。「そうや、★★ちゃんのは?」 「聞かんといったって」

事情知ってる奴が庇っておるよ。オレも、以前、おまえらに云ったようにアイフォーンでなくてはいかんのだけど結果は最悪やね。







ポケットから折りたたみの旧式を取り出して見せてやる。「おお~っ」 オーバーな奴等やね。「なんで黄色や?」 目立ってええやろ。

最初は、アイフォーンが、目の先にあった。しかし、どういう訳か、スマホに変更された。そして、あんたは此れでいいって渡された奴は旧式であった。

「これはないでえ」 放っとけ。毎月の支払いが安いらしいよ。おまえら、そんなの使ってたら毎月6千円ほど要るだろ? 「うん」 豪勢だね。







「★★ちゃん、俺が、公立受かったら、なんか頂戴や」 遣るのはいいけど、おまえらの頭数揃えてたら、オレの小遣いは破産するではないか。

サッカーの達者な奴が、選手の移籍の話で何十億って話をしてる。「おまえも夢ではないなあ」 笑ってる。

それはそうと、本田の顔、なんであんなにブクブクなったんや? 「目の手術したから後遺症ちゃうかあ?」 「そうや、そんなん聞いたで」







空港なんかでサングラスして出て来よったら格好ええ男やからなあ。本人も気にしとおるやろ。「顔がむくんでる」 「目が飛び出してる」

「なんか、ギョロギョロしてる」 「それは元々や」 なんか出目金の話しみたいやね。 

口々に云いたいこと云って、賑やかに笑って、気が晴れたのかね、「ほんなら★★ちゃん、バイバイ」って、ぞろぞろ帰って行ったよ。





















こっちも気分転換できるけど今日は忙しいんだね。油売った分、しゃかりきに片付けなければいかん。もう、誰も覗くなよ。

こんなときに限って電話が連続するんだね。じい~と時計を睨んでると止っとおるんかって思うほど辛気臭いのに話しってのは時間を奪うね。

映画なんかで、顎と肩で受話器を格好よく挟みとめて話しながら両手を休めない仕事ぶりの奴が居るね。あんなの出来ないよ。







オレがやったら受話器を転げ落として相手さんを吃驚させるよ。オレもアタフタだよ。なんとか終業までに片付けて表に出る。

おお、夕方になったら冷えているね。ほってして煙草を吹かす。目ざとく小6のおませな女の子が「あっ、★★ちゃんっ」

友達と走って来て「★★ちゃん、子供の前で吸ったらあかんねんで」 吸ってるおっさんの前にわざわざ来るな。「肺、真っ黒けやで」







此の歳なるとね、腹ん中も真っ黒けやね。「悪いということか?」 そう、腹黒いって云うだろ? 「知ってる」 見上げて、じい~と顔を見詰めてる。

女の子ってのは、なんかお姉さんぶるんだね。なんだよ? 「★★ちゃん、今、幾つや?」 「〇〇歳か?」 おおっ、その通り。

「ほなら、このまま吸ってたら4年で死ぬな」 そうかあ、4年か、じゃあ、お前の云った歳からするともう死んで居ないよ。死んで6年ほど経ってるよ。







じゃあ、また、彼の世で逢おうぜ。「地獄か? そんなん行けへんで、バイバイ」 なんやねん、なんで地獄なんだよ。煙草吸うからか? 「そう」





















何十年経っても、ふっと思い出す人が居る。遠い昔の風景の中に其の人が居る。面影は、ぼやけて定まらず、声にならないけど笑って話してる。

懐かしい過去に誘ってくれるね。記憶に残るおじさんは、日頃、怖そうなんだけど、なにかの折りに優しく笑って、なんだろう? 何かを教えてくれたんだね。

こうして沢山の子達を相手にしていると、この子達が、オレほどになった頃に、ふっとでも思い出の中に面影を残してくれるんかねえ? こいつら期待薄やね。







枯れてしおれて土になる上に雑草は生え変わる。それでいい。





















カメレオンの独り言-990 『あかんわ』

2013年12月17日 | 日記









 明日(12/17)の分です。









動画が貼れるなんて知ったから、「こらあ、いいや」って、ユーチューブを検索して、良さそうな動画を過去のブログに貼り付けてたよ。

素人が、家ん中で、なんでも出来ちゃうんだね。オレは、こんなのが好きだから夢中だよ。独りで酔えるね。でも、疲れたよ。

この休みは、他のことで忙しく、ブログは、なんにも捗(はかど)らなかったよ。明後日の分は、明日書こうか。








今日(12/16)は、日中、あまり寒くなかったけど夕方になってきて、気温が落ちたのかして急に寒くなったよ。

12月も後半に入ったね。街では、もう、忘年会なんかで賑わってるのかなあ? 

1年の経つのが速いんだね、あっと言う間だよ。








たしか、此の前まで、暑い、暑いって云ってたはずなんだけど、スライドしたみたいに寒い、寒いに変わってるよ。

他所さんの子達の成長速度なんか目を見張るものがあるね。それだけ、こっちは老けて行くばかりだよ。坂道転げ落ちるのは速いからね。

「とりとめのない話が続くのは、ネタが浮かばないんじゃないの?」 はっはははは、其の通り、なんにも出て来んわ。





















なんで、ここでモナリザの微笑みなの? そんなん知らん。レオナルド・ダ・ヴィンチは、此の絵を1503年から4年越しで制作したらしいね。

ホンマに困ったな。「どうした?」 大変だよ、時間はどんどん過ぎるのに何にも浮かんで来ないよ。

此の原因はだね、高まっていたものが、何かでちょん切られたためだね。「それはなんや?」 動画だよ、動画が貼れるという発見だよ。







「そんなの発見っていうか? 皆さん、早くから遣ってるよ」 オレにとっては発見だったよ。オレには、そんな操作は無理って決めてたからね。

無視してたの。昨日、なんか、いっぺん試したれって気になって、恐々遣ったら簡単に出来たの。

で、なんか嬉しくなって、次から次に貼りまわしていたの。興奮冷めやらないんだね。「馬鹿やで」







昨日なんか、ユーチューブん中をウロウロして探すのに疲れ果てたよ。同じ貼るならいい奴って思うだろ? 「人情だわな」

そんなのしてたら、おっ、こんなの有ったのかなんて、懐かしい音楽なんか見つけて、嬉しくなって浮気して聴くから時間が足らなくなるんだよ。

ホンマに安いバーゲン会場に行って、用意された商品に興奮して、限られた小遣いを念頭に必死に探しまわってるような感覚やね。凄く疲れるだろ?










今は、もう無くなってしまった大阪なんばの高島屋前の南街劇場で観たんだね。 

『砦の29人』 プロローグからタイトルに流れる主題曲がお気に入りだった。

女性を助けて馬で駆け逃げるジェームズ・ガーナーに向って、インディアンがライフルを撃つ、カメラが俯瞰で捉えるシーンで曲が流れるんだね。









砦の29人(Duel at Diablo) オープニング(Opening scene)1/2 with Eng/JPN sub










で、今日も疲れてるの。「じゃあ、もう貼るな」 アホか、開拓したら活用せな意味ないだろうが。 

「どんな曲かなって気になったら、検索して聴かれるんじゃないの?」 手間を省いてあげるんだよ。

まあ、しかし、静寂の中の歌詞だけってのも、オレは、悪くないとは思ってるけどね。記憶を辿る、想像するなんてのを刺激するからね。







静と動を備えて相手任せの選択だよ。ブログを開いたら否が応でも鳴り出すんなら貼らない。音というのは気を散らすからね。







開いてくださった皆さんには申し訳ないですけど、今日は、ホンマにあかん。浮いて来ん。堪忍してださい。























カメレオンの独り言