カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1390 『お金如きに負けてたまるか』

2015年03月31日 | 日記







 2015年3月31日








世の中は、手を変え品を変え、よくもまあ、次から次へと事故事件が起きるもんだね。立て続けに起きると先の事件が霞んでしまうんだね。

「淡路島の事件どうなったんかな?」 全然記憶に無い。事故で墜落だったら外国での事故の場合、然程、インパクトはないんだけど、

仏アルプスで乗員乗客150人が死亡したドイツ格安航空会社ジャーマンウイングス9525便の墜落が人為的なんて報道されるとそっちへ意識が行く。






「いつか私は全てのシステムを変える何かをするだろう。そして、誰もが私の名前を知り覚えることになる」なんて副操縦士が云ってたらしんだね。

要塞みたいなコックピットで勝手なことされたら、傍(はた)の乗員乗客は為す術ないよ。通常、飛ばす奴が落すなんて考えられないね。

ピストルで撃ってもコックピットを閉じたドアはビクッともしない。テロ対策の施行が裏目に出た。安全と両面の装置も中から遮断されたら意味が無い。






ドアを激しくノックしても応答が無い。無駄と解っていても壊そうと焦る機長の思いはどんなものだったろうかね? 

1万m以上の高度から降下して山肌に激突するまで8分もあったらしい。その間、悲壮な戦いがあったろうことは容易に想像できる。

百数十G(標準重力加速度を1とした加速度の単位)の衝撃なんてのは、煮抜きタマゴをおもくそ地面にぶっつけたようなもんだろうから問答無用の死だね。粉々だね。






内に秘匿した一人の意思で149人の運命が決定される。滅多にないことだろうけど起こり得る確率はあるんだね。そんなので名前を残してどうすんの?














『外国で封切られたジブリアニメ映画のポスター』








最近、わりと早めに就寝できてるからパソコンの前で船を漕ぐことも少なくなってるよ。でも、今日(28日)は残業で、帰って来たらほっとして、

ビールを2缶呑んだから久ぶりに睡魔が襲って来たよ。ブログの更新に間を置くことでゆとりが生じて楽にはなったけど生かさなければ意味がない。

オレの仕事は、此の月、来月は毎年忙しいから何処かへ出かけるのも難しい。なんなんだよお~タイミング悪いねえ。






思い通りに行かない人生なんて、もう馴れっこになってるけどダラダラと元に戻ることだけは避けねばならん。遣ると云ったら遣る意志力だね。見ちょれ。

何処ぞへ出かけたからって新しい発想が浮かぶ約束はないけどね、気分を転換することは期待できると思うのね。

何かを変えたい、この欲求が、そうさせるんだよ。ど素人でも真剣に書き続けてると同じ井戸ん中を掻き混ぜてることに気付くんだね。






朝(29日)、目覚めてカーテンから外を覗くと雨がパラついてるみたいだね。なんで、休みに雨なんだよ、平日降って休みはカラッと晴れろよ。

若い時は、こんな日は寝直して昼過ぎに起きるってのが常識だったよ。一週間、みっちり働いて疲労困憊だった。

貧乏だけど歳喰って肉体労働遣らずに済んだのは幸いだったね。まだ遣れる意気はあるけど瞬発は利いても持続は無理だろうね。糞っ。























貧乏に追われてトユウに流されるゴミだったね。ドブまで行かずに跳ねて地面に残ったよ。意思以上の力の働きを後になって感じる。

強固な意思や弛まぬ努力だけではどうにもならないことがある。良いほうにも悪い方にも通じる道が在って押されるように流されるんだね。

なにごとも人間の努力を絶対視する人は、往々に否定するんだけど、背負った運命って奴は、それを清算するまで付き纏うような気がするよ。






見ず知らずの一人の男の行動に149人の人が命諸とも付き合わねばならんなんてのは、その人たちの明日ある存在を無視された証明だね。

個人の思いは149と云う数字になって粉々に吹き飛ばされる。運命ってのは風のように暴れては消えて、また、ざわめきだして姿を現すんだね。

副操縦士のせいではあるけれど運命って奴が加担してるよ。人智で測れぬ力のせいだよ。神の領域に関わる謎だよ。






抗しがたい力が背中にあるよ。オレは、背中の運命にもたれて生きる術に切り替えた。どうにでも押したいほうへ押してくれってね。

そのせいかね、気の進まぬ展開になっても、あまり文句も云わず、ジタバタもせず、一生懸命になって頑張るんだね。「忠犬ハチ公か?」 そう。

神に抗って勝てるはずもない。神さんってのは意地悪で冷酷な人かも知れないよ。生を与えた、汝は、其れを以って何を返す? なんてね。






オレは、誠意で返す。人間の誠意を返して死ぬ。こんなこと思ってるから、ろくでもないことばかりで試されてんかも知れんなあって思う時があるよ。

此の世に自分が在ることを当たり前なんて思わない。何かをさせるために生かされてると思ってる。でも、オレの場合、大したことじゃないね。

過去を思い起せば解るよ。些細な事柄の中で何かをやらねばならんことを宛がわれてると思ってる。其れが何かは解らない。






くだらんことを遣り続けて終わりが来たら、ああ、そうかいなあって気づく程度のことなんだろうね。なんでもいい受けて立つ心よ。























気持ちのいい小春日和(30日)になったもんだね。真っ青な空、真っ白な雲、爽やかな微風、これ以上、何を望むのって思ってしまうよ。

パソコンあれば充分だよ。「それはおまえだろ?」 そうだよ。「パソコンしない人は、それに代わるものが欲しいではないか」 そらあ、そうだよ。

そう目くじら立てるなよ、オレの話をしてんだよ。オレ主体で喋ってんだよ。いろんな人の思いなんて書き切れないよ。






鳥たちがピーチクパーチク囀(さえず)りながら地面の餌をついばんでるよ。何を食べてるのかね? 子供たちがボールを投げたり蹴ったり遊んでる。

常緑樹の葉っぱは日差しを受けてキラキラ光を跳ねてるよ。生きている喜びなんだろうね。こいつらは真冬でも緑で頑張ってるね。

「だから常緑樹ってんだろ」 外国の木か? そろそろ土ん中から虫どもも顔を出すだろう。「蛇もトカゲもヤモリも出て来るよるぞ」 






うざといけど人間だけの地球じゃないからね。生きとし生けるもの全ての春だよ。分けて減るものでもないよ。























お金のことを考えてる。どうもこいつとは相性が悪いみたいだね。貯めても貯めても消えていくんだね。

わりと頑張って貯める努力してんだけども居付きが悪いね。そんなに居心地悪いのかねえ? 「使うからだろ?」 そんなに使わないよ。

常に使うのは煙草だね。最近、本数減らすことに努力してるから買いに出る回数も減ったよ。






あれ欲しい、これ欲しいって思うには思うけど我慢に挟んで閉じるから忘れてしまうのかしてそうそう買わないよ、でも消えていく、不思議だね。

これは、どういうことなのかね? 「知るか」 強いて云うならば、昔から金は天下の回り物って意識が根強いね。「馬鹿やで」

欲しい人が居る、取っときな。苦しい人が居る、持っていきな。甘いものが欲しい、買ってきな。頑張ってるね、何か買いな。






これだけは守らねばならんけど、まっいいか、取っとけ。「何処の勘定なしの御曹司やねん?」 

ツタヤでDVD借りようか、あっ、金足らん。情けなさと辛さが回って来るよ。「馬鹿やで」 これは悲しいけど分けると減るね。「当たり前やないか」

あるお金で独り喜ぶより、僅かでもいい、喜ぶ顔が多いほうがいいよ。金如きにオレを牛耳らせてたまるか。オレは金の奴隷ではない。「大きく出たね」






云っとくけど、これは、オレのお小遣いでの話だよ。誰にとやかく云われる筋合いではない。「エラそうに」 苦しいのはオレだけの問題だよ。













『ありえ~? アリエッティって読むのかね? ダブってるね』








商売失敗して借金地獄で底辺這いづり回って人生を捨てたけど、オレは自分を捨ててない。まだ、この歳なっても上を見ているよ。

商売失敗したってのは、早い話が自分が、何処か抜けててなった訳だから誰を責めることもない。「みんな、おまえが悪いんだな?」 そうだよ。

誰もが敬遠して知りたくもない境遇には、それなりに知るべきところがあるもんだよ。オレは、チャッカリ盗んで来たよ。「云い方悪いね」






学び舎は、糞学校だけではない。「なんで、そんな云い方すんねん?」 大嫌いだから。ふつう、嫌いなものには、そう云うだろ? 

「そんな、コキオロシみたいな台詞、云わない人は云わないぞ」 オレは云う。学校が悪いのではない、オレと相性が悪いのだよ。

相性の悪い嫁さんや亭主を摑まえて、互いがボロクソに罵る醜態と似てるね。「よく解ってるね」 






誰も悪くないんだよ。自分が悪いってことに気付けば、大方の問題は解決するもんだよ。みんな、オレが悪いんだよ。「それホントやろ?」 うん。































カメレオンの独り言-1389 『昔のタコ焼きは美味かった 懐かしの日本橋筋一丁目界隈』

2015年03月28日 | 日記







 2015年3月29日







いつの日だったかね? よく顔出す小6女の子が「★★ちゃん、タコ焼き一つあげる」って、爪楊枝に刺して差し出すから、おう、ありがとうよ。

「美味しいやろ?」 ああ、美味いね。でも、タコらしいのが一切れ入ってるだけやね? 「うん、タコ焼きって、そうやで」 ああ、ホント。

味は、タコ焼きだけどねえ、こんなんじゃないよ。昔のタコ焼きを食わしてやりたいよ。昔のタコ焼きは、ホンマに美味かった。






今のタコ焼きって、出汁は凝ってんのか知らんけど具がなんにも入ってないんだね。メリケン粉のダンゴだね。

昔の風呂は銭湯へ通ってた。夏も冬も通うんだね。冬は、寒いんだよ。

昭和31年から10年程は、日本橋筋一丁目の高津小学校の裏手の風呂屋と黒門市場の東出入口横手の風呂屋が行き着けだった。













『1955(30)~1970年(昭和45年)の間の大阪日本橋筋一丁目界隈の地図 千日前通りの上の赤線辺りまで拡幅された』 北は上です。








高津小の裏手の風呂屋の並び角には、夏は氷、冷たい飲み物なんかを売ってる店が在った。此れが、風呂帰りの愉しみなんだね。

黒門市場のほうは、隣にタコ焼き屋さんが店を出してる。こっちは、此れが、愉しみなんだね。ここのおばちゃんのタコ焼きが美味かった。

裸電球に照らされた店先で焼いてくれるんだね。外側が緑で内側は白の20☓25センチほどの容器が其の前に並んでる






生のタコのぶつ切り、ネギの刻み、紅生姜の刻み、てんぷらカス、チクワの刻みなんてのが、それぞれの容器に盛られてる。

鉄板で反面が焼けてくると、タコを一番に入れて、次いで、それらを順に入れていく。美味そうな匂いが漂うんだねえ。

プロった動きの紅生姜(べにしょうが)に染まったおばちゃんの手が裸電球に照らされて綺麗に見えるの。焼けるタコ焼きも美味そうに見えるの。






クワックルクル、クワックルクル、クワックルクルってタコ焼き転がせて引っくり返す。遣ってみたいって思いつつ見詰てる。そして焼き上がる。





















脇の棚から船をさっと出し、手際よろしくスコスコスコッと三玉ほど刺し連ねて片手に持った船に並べていく。手際がいいから余計に美味そうやねえ。

具のケースらと並んで置かれてるソースの器から刷毛でソースを塗るね、大目がいいんだけど、黙って見詰て期待する。

鰹の削り粉、海苔の粉をパラパラパラパラと撒いて被せて出来上がり、素晴らしい。おばちゃんの一連の動きは芸術やでって思ったよ。






風呂上り、サッパリした身で、出来立ての熱いタコ焼きを、ハフ、ハフ、ハフ、熱さに開けた口から湯気出して笑うに笑えないけど笑いたい。

兄弟で分け合って食べ食べ帰るひと時の幸せ感が堪らない。ホンマに美味かったよ。オレに言わせれば、あれが、本当の大阪のタコ焼きだよ。

「今のタコ焼きは?」 タコ焼きもどき、もしくは、メリケン粉のダンゴ焼きって感じがするよ。






高くてもいい、具をケチらず入れて昔のタコ焼き食わしたるちゅうホンマもんの店はないんかえ。オレがやったろか? 「できんのかえ?」

云っとくけどな、このオレの手際の良さは、黒門市場のタコ焼き屋のおばちゃんもビックリやで。料理は気合で全てが決まる。

人を嬉しくさせる。人をほっとさせる。人を安心させる。想いで全ては決まる。そんな店ならやってやる。






オレんとこに顔を出す子たちは口を揃えて云うよ。「★★ちゃん、ここへお店を開いて欲しい、いつでも居てるわ」ってね。





















上の地図を部分切りしたよ。下のほうに銭湯が在ってタコ焼き屋が在るでしょ。黒門市場の東出入口の横手だね。

高津小学校の上の銭湯と掛け持ちで通ってたよ。小学校の裏手の角に折れた道が何故か印象深く残ってんだね。その道を表通りに出ると薮本鉄砲店が在る。

此の鉄砲店は、今も在るんだけど、全然、変わってないように思うんだね。当時と、そのまま一緒やで。目立たないリフォームで持たせてるのかねえ?






この道を逆に上がると道頓堀川に架かる下大和橋に出る。其処へ出るまでに本屋さんが在る。この本屋さんで、毎月、毎月、映画雑誌の「スクリーン」と

「映画の友」を買いに通ったんだね。ひと通り見るとナイロン袋に入れて、まっさらの状態で溜めてたの。何年分溜めたかなあ? 20年は軽いよ。

島之内に引っ越してからも自転車で買いに来てたからね。時折、出して見るんだけど、本を開くと、パリッパリッと鳴っていつも糊の匂いがするんだね。






下大和橋を渡って右手に行くとモデルガンの山本って店が在った。此処は、ずっと後で知ったんだけど何年ぐらいだったかね? 昭和40年中頃かね?

陳列にホンマものと見まがうような銃が並べられてるの。吃驚したよ。当時は、値が高くて手が届かないんだね。

でも、ここら辺りに来ると、いつも陳列を見てたね。当時は、007のワルサー、トンプソン・サブマシンガンがお気に入りだったよ。













『アンッタチャブルのエリオット・ネスやギャングが使うね、トンプソン・サブマシンガン』 デザイン抜群の機関銃だね。










『007で一躍有名になったね、ワルサーPPK』







「007は殺しの番号」が、1963年(昭和38年)公開だったから、昭和40年前半から中頃辺りかね。

涎(よだれ)垂らしたまま手にすることはなかったね。凄い欲求ってのは、満たさないといつまでも残るもんだね。今まで、ずっと眠ったまま

だったけど、この数年前、お気に入りの銃の綺麗なヤツを、オークションで次から次へと落として実際に持って、その感触を堪能したよ。






歳もあるけど、実際に持って満足すると、もういいやってなるね。次から次へと出品して何故か利益を得て一切を片付けたよ。

でも、トンプソンだけは取れなかったね、同型のトミーガンは落として感触味わったけど重くて、肌触りなんか、いかにも実銃の趣だね。

ドイツ軍のシュマイザーMP40、モーゼルM712、モーゼル98Kなんてのも凄いもんだね。シュマイザーなんか重たくてコワそうで凄いよ。













『上が、モーゼル98K、左が、シュマイザーMP40、右が、モーゼルM712、精巧な出来だね』








手に持って眺める分には至って満足の極みで映画の主役の気持ちになれるよ。でも、どうしても手にした自分を鏡で映して見るんだね。

見なきゃよかった。だいなしだよ。その気になって出来上がってる偶像が音を立てて崩壊するよ。なんじゃいなってなもんだよ。

あくまで手にして見下ろして眺めて想像の世界に浸るまでにとどめなくてはならない。「実像禁止」って、銃にレッテル貼っとけよ。






邦画のイモザルと一緒やないか。興醒めもいいとこだよ。洋画の世界は遠いねえ。あいつらは、なんであんなに格好いいんだろうか? 人類の謎だね。













『映画ブリットより スティーブ・マックィーン』









何か、真新しい発想が浮かんでくるかなって待ってんだけど駄目だね。糞、糞、糞、オレも古びたねえ。こんなんじゃなかったんだけどねえ。

無責任な発想が次から次から湧いてきて、其れを実際に試すのが忙しいぐらいだったのに自分の世界で消化し過ぎたかねえ?

今こそ、時は来たれりなのに。素人の想いを形にして誰彼なしに見て貰えるものを。生まれ合わせが悪かったね。来世に期待しよ。






「もう、諦めたのか?」 いや、諦めたふりして誘い出してんの。「芸か?」 まあ、そんなとこだね。「芸の細かい狼やね?」 そう。













『「あれ? 狼がなんでカメラを首に掛けてる?」 オレだよ 「立派な狼だね」 そうだろ、品のある狼だろ?』









諦めたふりしてトボトボと去って往くんだね。そして、突然、振り返って見る。これだね。「おまえの云わんとすることが皆さんに解るか?」

解ると思うけどね。子供の時、こんな仕草をよくしたもんだよ。遊び心の旺盛な人には、このニュアンスは理解できると思うよ。

でも、流れが途絶えてしまうとバツの悪いもんだよ。「振り返ったら誰もが背中向けて次の展開に移行してると取り残されたような寂しさを味わうね」






そんないじましい思いなどないのがオレだよ。感度の合わん奴らなど群れて居ても意味が無い。時間の損失だよ。意味あることよ、噴き上がれ。





























カメレオンの独り言-1388 『母なる淀川がオレを待ってるぜ』

2015年03月26日 | 日記







 2015年3月26日







それは、大き目の水溜りって云ってもいいような川の一部なんだね。淀川に流れ込む檜尾(ひお)川の河口なんだけど小さな流れの川なんだね。

夏ともなると、ほとんど水は涸れてチョロチョロ程度。大きな石の掘れ込みに1m強ほどの深さの淵が出来てた。

タタミ二枚分ぐらいの広さかね、夏の太陽に晒されて干しあがるんじゃないかと思えるくらいだね。チョロチョロ水が流れ込んでるから水は生きてる。






其のすぐ隣りの淀川は、滔滔と流れ往く大河だね。檜尾の川床はカラカラに乾いて歩けば砂埃が立ってる。

よくよく見ると淵を形成してる大きな石の隙間から淀川に水を送ってるよ。川と名のつく意地だろうね。水面は太陽の反射で底が見辛いんだけど

覗き込む自分の影の部分が透けて見える。綺麗に澄んだ水で砂地の底が手に取るように見えてる。あっ、魚が居るっ。興奮するんだね。






デカい鯉を狙って淀川に仕掛けを放り込んでる竿を背中に、この水溜りの中の小魚が凄い魅力なんだね。なんとか獲りたい、摑まえたい。

息弾ませて小降りの竿を取り出し糸を結び仕掛けを結び、急かれる思いで餌を沈める。

背中の竿は沈黙したまま流れに押されて軽いおじぎを繰り返してる。ビビッと手元に反応する、やったあっ、クイックイッと引いて抵抗してる。



















ブラック・バスの子供だよっ。初めて見たよ。凄い興奮してんの。「魚がか?」 オ、オ、オレがだよっ。次は、ブッブルーギルだよっ、初めて見たよっ。

もう興奮のルツボだよ。「初めての釣りか?」 バカモンッ、もう釣りのプロよ。「釣りのプロがブルーギルでどもるほど興奮するかあ?」 する。

オレはね、世間一般の釣り師と趣が異なってるんだよ。オレにとっては、釣りは、オレだけの世界なんだよ。邪魔すんなっ。






おおっ、ブ、ブ、ブッブルーギルが、ま、またっ、釣れたっ。生きてて良かったあ~。「大きいんかえ?」 そ、そそうだね、7Cmってとこかなっ

「鼻糞やないかえっ」 解らん奴だね、バスもギルもアメリカの魚やどっ。遥々、淀川に来て日本の魚と一緒に泳いでんだぞっ。

淵のへりに石で囲いを造って、釣ったブラック・バスとブルーギルを泳がしてたよ。興奮冷めやらぬ面持ちで長い時間見詰てたね。






釣り上げた瞬間の輝く魚体の彩に思わず綺麗ねえ~って声挙げてたよ。よく見ると、あっちの魚らしい風体をしておるね。

日本語は慣れたか? 「アホか」 魚たちの日本語だよ。「其れを云うなら、日本の水に慣れたかって云うだろ?」 そうとも云う。「そう云うんだよっ」

オレは、こんな自然が造った水溜りみたいなとこで釣り遊ぶのが、ホンマに好きだね。独りきりだから様子も糞も要らん、興奮丸出しだよ。



















この高揚感って、いったい何処から噴出すんだろうかね? 「アホなおまえからだよ」 もうね、背中の竿忘れてんの。お呼びじゃないの。

淀川の前島って処は大きな河川敷が広がってるんだね。広大って表現しても差し支えないと思うよ。

川向こうは、ちょうど京阪の御殿山駅辺りに位置するかね? 此処では、オレにとっては、超大物の「野鯉」を釣り上げた処だから思い出深いよ。






遠い昔だね。此の頃から、近くの須賀町に住んでた妹の婿さんと一緒によく鯉釣りに来たよ。夜釣りは、真っ暗だよ。でも愉しいんだねえ。

もう少し上流に上がると、鵜殿って、ちょっと有名なとこがある。「なんで有名や?」 なんでだろね? 「知っとけよ」

投げ釣りは、150m、ルアーのキャスティングは、プロも顔負け程に上手い。「誰がや?」 オレだよ、自分で惚れ惚れするよ。






そんな思い出ばかりが、最近、頭に過(よ)ぎるんだよ。また、夢中になりたいってね。ムーン・リヴァーで独り、夢の世界で遊びたい。



















しかし、今の夜釣りは大丈夫なのかねえ? 「なにがや?」 おかしな奴が多いからね、「誰でもいいから殺したい」 自分を殺しとけ。

こんな訳の解らん奴がウロウロしてんだろ? 気いよう釣りを愉しんでんのに、ちょうどいいなんて遣られたらかなわんで。

相手が刃物持っとったら素手では難しい。まあ、釣りには、三脚、もしくは一脚ってのを持参してるから気付いて対峙すれば戦えるけどね。






「竿でもええやないか」 アホか、カーボンなんかパキパキッに脆いやないか、それに、竿は命の次に守らねばならんもんなんだよ。釣り師の命だよ。

先に竿を折りやがったらッオレは人間変わるでっ。「どうなんねん?」 誰でもいいっ殺したいってなる。「おまえの方が危険だぞ」

オレは、悔しさに泣いて怒るでっ。「女か?」 キチガイに勝つには、キチガイにならねばならん。で、ないと負ける、狂気には狂気だよ。






「竿、折られなかったら?」 う~ん、ただただ、ビクビク、オタオタするよ。な、な、なんか、よよ用ですか? そ、そ、そんな刃物もももも持ってっ。

ホントに危ない奴は喋らないんだね、上目で睨んでじりじりと迫ってくる。人っ子一人居ない真っ暗な川原、屁をするしかないね。「なんやねん」

笑いだよ、緊迫した空気を断ち切る屁の音、漂うタクワンの臭(にお)い、これにはキチガイも笑うで。「クウ~ッフッフッフッくっさい奴やのお~」






しかし、川原を吹く風は無常だよ。笑いを誘うタクワンの臭いもサッと消し去りよる。アホッ。身体に悪寒が走って手足が震えるよ。

怒りだよ、怒りが我を忘れるんだよ。竿折られなかったら怒りが噴き上がらないよ。「だから、まず、竿で戦うんだよ」 ああ、そうかあ~。

おまえ、オレをおちょくってんな? パッキン、ポッキン、何万円もするカーボン竿のなんともろきことか、しなりには豪腕でも衝撃に対しては煎餅だね。






おんどれっ、オレの愛竿を、よくも折ってくれたなあ~っ、目が涙で潤んでる。「泣くなっ」 じぐじょう~っ、悲しみの怒りが噴き上がる。

竿受けの鉄パイプの一脚を持参してる。土に差し込んだ一脚を引き抜く。死んで貰うぜ。「急に高倉健に変わるな」 

人間なんて一対一なら臆することはない。怒りと棒一本で戦える。情けは無用、正義の怒りを受けてみろっ。と、まあ、くだらないね。





















春一番かね? 今日(25日)は、凄い突風が吹いてたよ。昨日に続いて冷え込むね。

でも、此れから気温が一気に上がるようなこと云ってる。この冷たい強風は冬の名残ってことになるね。バイバイ。

桜の開花予報も聞かれてきた、いよいよ、春本番だね。





















風が出る前の午前中、からりと晴れて、空は真っ青、白い雲が浮いてるよ。ヘリコプターの爆音が近づいてきたかと思うと、

頭の真上を飛び去り南の空へ遠ざかる。速いねえ。空が真っ青に澄んでるから機影を随分向こうまで鮮明に追えるよ。背後で笑い声が聞こえる。

笑い声が背中まで来たから振り返ると、いつもよく見る近所のお母さんと娘さんが嬉しそうな顔して「なにか思い出に浸ってらっしゃるみたいね?」






ええ? いやいや、ヘリコプターが遠ざかるのを見てたんですよ。指差したけど、もう見えないね。

「違うみたい、なにか思い出してらっしゃったんじゃない?」 娘さんもクスクス笑ってるよ。「後ろ姿に出てますよ」

オレの後ろ姿に、そんなのが漂ってんかなあ? そういえば、よく、そんなの云われるね。「たそがれてるねえ、絵になってるよ」 なんてね。






人は、後ろ姿に、其の人の人生を感じさせるって云うけど、其れらしいものが浮いて出るよな歳になったのかなあ?

「中身空っぽの男の背中に出るかあ?」 空っぽは空っぽなりに出るんだろ? 悲哀感、寂寥感なんてのがでるんじゃないか?

寂しい男の後ろ姿だよ。何故か、気になる、その姿、声をかけずにいられない。「どうしたの?」 優しい言葉を待ってるぜ。「死ぬまで待っとけ」






今日のは、ほんのお遊びだね。「いつもと一緒だろうが」 じゃあ、いつもと一緒で、今日もお遊びだね。













淀川の鵜殿ってとこは、ヨシ原で有名なんだって。古くから雅楽の篳篥(ひちりき)のリードの部分に鵜殿のヨシを使うらしい。宮内庁ご用達なんだね。

鵜殿では、昭和20年代より毎年2月頃に、ヨシ原の保全と害草・害虫の駆除、不慮の火災防止等を目的に野焼きが行なわれているんだね。

でも、近年、対岸の枚方市側住民からの降灰に関する苦情により中止され、その後、焼く規模を縮小するなりして気を使いながら細々してるみたい。













『淀川の鵜殿のヨシ原、野焼き』







昭和前半なんてのは人も少なかったから文句云っても聞こえない。数が増えると声になる。喧しいからやめるんだね。






























カメレオンの独り言-1387 『命という流れの中で残るもの 懐かしの大阪旧南区界隈』

2015年03月25日 | 日記






 2015年3月25日






退屈なので暇に飽かして遠い昔の日本橋筋一丁目界隈の街並みを思い起しつつ当時の地図を作ったんだけど、でかすぎて縮小したら字が読めないんだね。

馬鹿だねえ、読めなかったら意味がないんだね。無駄な汗をかいてしまったよ。思いついたら即行だから間が抜けるんだね。

1970年(昭和45年)から着工した千日前通りの拡幅工事で消え失せた街並みを思い出して作ったんだけどね。






仕方がない、また、いつか当時の話をした折に関連する箇所だけ切り離して載せることにしようか。











『1955(30)~1970年(昭和45年)の間の大阪日本橋筋一丁目界隈の地図』







1955年(昭和30年)当時が、こうだったとは云えないよ。早い話が、千日前の千日デパートは、まだ、歌舞伎座だったはずだからね。

オレが、当時、この辺りに住んでいて印象に濃い部分を思い起しているから、幾分か前後して存在したものもあると思うよ。

オレの場合は、記憶力が悪いから特にそうだろうと思うんだけど、50年も経つと人の記憶なんてまばらでしか残らないもんだね。






なのに、当時の街並みの雰囲気は残っているんだね。朝の日差しに照らされた交差点の風景や南の日差しの影になってる消防署の前の通りなんか

当時のままに甦るんだね。其の前の歩道は、いつも綺麗に掃かれてるの。今、思うと。毎日、消防隊員さんが早朝に掃除されていたんだろうね。

千日前の繁華街に向って歩いて行くと、なんか気だるいような空気が混ざりだすように感じるんだね。






スケベどもの戦の後って感じだよ。ガス抜きの空気だね。「ウソつけっ、ガキがそんなの解るかっ」 おませなオレの感性は見抜いていたね。

道路に打たれた水が日差しに照ってキラキラ輝いてるよ。天然色のおばはんどもが、様子するでもなく疲れた顔して家路に着くんだろうね?

通りでタクシー拾って乗り込む際に、次を待つおばはんに、なにやら大きな声で話すと、じゃあって、小さく手を振って走り去る。






夜のスケベども相手に、おばはんらも大変だねって労う気持ちが湧くようだったよ。「おまえ、幾つの時やねん?」 ランドセルが重いんだよ。












『もう何度も貼ってるけど、オレにとっては貴重な写真だよ、昭和40年前後かね? 日本橋筋一丁目交差点、向こうに千日デパートが見える』







今日の話に出た南消防署の火の見櫓(やぐら)の鉄柱も見えてるね。「おまえ、でだしに、いつか当時の話をした折にって、云っててしてるがな」

そうだね、話も通過すると忘れてしまうね。じゃあ、切り取って拡大しようか? 「話の流れでは、そうなるね」



















市電の駅は、此方側に両方面が設置されていたんだね。地図製作時では交差点を挟んで在ると思ってたよ。

写真で乗降している駅は、地図では日本一食堂の前辺りだね。この市電は、今里、上本町方面(地図では、向って右へ向う)行きだね。

千日デパートは左側になる。住友銀行前から北側を、当時、撮った写真が手元にあったんだけど何処へいっちゃったのかなあ?






あの写真には、交差点北側のお店の並びが映ってたよ。超貴重な写真だよ。北側の写真は、ネットで虱潰(しらみつぶ)しに探しても無い。

記録も削り取られて街並みは消えたね。生きた時間は記憶で量る、甦らぬ過去は記憶でしかない。

人は、その記憶が容(かたち)になったものに触れると当時の残像が一気に甦って、あたかも、その当時の自分に戻ったかのような懐かしみに酔うんだね。






何処かの人が撮って溜め置かれた貴重な古い写真を勝手ながら貼りまくってるけどええのんかいな? 「ええはずないやろっ」

まあ、怒って来られたら、其の一枚一枚に対する人の想いを伝えて、ご理解頂いて許して貰おう。

作品は、人の目に晒して価値を生む。懐かしみを共有して、多くの人の記憶を甦らせて生きた足跡に感慨させる。それでこそ作品も生きるんだよ。






「講釈垂れて罪の意識を薄めてるなあ?」 それもある。












『日本橋筋一丁目の写真を見つけたよ、どうも、上の写真と関連してるように思えるんだね、角度を変えて撮ったものかも知れん』






説明では、1959年5月ってなってる。昭和34年だね、同じ人が同じ日に撮ったのかも知れん、そんな雰囲気だよ。

上の写真と同じ場所から、少し角度を変えて右寄りに撮ってるね。これも貴重な写真だよ、ありがとう。「誰に云うてんねん?」 写真撮った人。

見つけた写真は小っこいの、でも鎌田特許事務所の看板が見える。この建物のお陰で見落とさずに気付くんだね。ええのん見つけたよ。






よくよく見ると、停留所の車止めの形と駅名表示灯の様子が違うね。下の写真は34年で、上は、もう少し新しいのかも知れんよ? うん。

下の写真当時には、千日デパートの屋上には観覧車はない。千日デパートは、1958年(昭和33年)12月1日に開業したんだけど、

屋上の観覧車は、後、1960年(昭和35年)に設置されたんだね。上の写真には、観覧車が写ってる。上の写真は、昭和35年以降だね。













『千日前通りなんだけど、どの辺りか定かでない、向って左側は拡幅工事中だね、これも映ってるのは南側なんだね、尤も、もう潰されて面影はない』










『千日前通りを東へ下寺町、松屋町筋を越えて上町台地の坂を上がると谷町九丁目交差点、向って左側、拡幅工事中だね。上六の近鉄百貨店が見える』











『千日前筋(北側)だね、竹林寺までの建物が削り取られた後だね。左手の男女三人が歩いてる処に工事用の柵が見える、奥にスバル座が映ってるよ』






スバル座の向こう側、日差しが当ってる脇道の角の建物、記憶に鮮明だね。この写真から匂う雰囲気がそのままだよ。

手前にレコード屋さんが在って角引き回しのガラス張りだから、棚のレコード探しながら、この一角の建物が視界に入るんだね。

今より、もっとアホなオレの姿も思い浮かぶよ。真面目なんだけどアホって居るだろ? オレは、そういう馬鹿者、違った、若者だったよ。






この頃には、我が家は島之内の一軒屋に移り住んでたね。此れから数年後かね? 道路が拡幅されて広々してたよ。

僅かでも生活圏が外れると何かの折でないとそうそう戻って来るもんじゃなくなるんだね。此の頃は、よく深夜映画に通ってた。

何処の映画館だったかなあ? 映画を観て、深夜の帰り道、日本橋筋一丁目の交差点手前で星に紛れるUFOを目撃して追跡したんだよ。

















「上の地図は拡幅工事前だから。実際は、酒屋の上の横線明示まで道路は広がってたから、その道路脇辺りから追跡してることになるね」






もう、何度も書いてるので内容は省くけど、何処かのおじさんとオレが走ったのは赤い点線で、黄色いラインが輝く星の航跡だね。

俯瞰的に描き入れてるよ。直角だったね、目撃したものは衝撃を受ける。話で聞くものは懐疑的で想像でしかない。此の差は埋まらんね。

見上げる空の永遠の宇宙には、人類以上に優れた生物が、必ず、居るね。でも、そいつは無様なタコってところで人類に負けてるね。






其の容姿が無様故にチョロチョロと来ては去って行くんだね。恥ずかしいんだろうね、賢いが故に己を知っているんだね。「それ本気で云うてんか?」












『これは千日前の千日デパートだね、千日前通りを走って渡るうら若き乙女らは、今じゃ婆だね 「なんやねん、当たり前やろ」 念の為に云ってる』







「気分の悪いおっさんやで」 道路も建物も、みんな様変わりする。人もそうだよ、画像の中では、時は止まってその時を生き続けるんだね。

レンズに意識がいってない自然な姿ってのは、より一層、其の時の、その瞬間の時間を生きて居るって感じるね。時よ、止まれだね。

この乙女たちは、この躍動する姿で生き続けるんだろうね。「そういうことを云ってるのか?」 実際は、婆だよ。「おまえなあ」





思うに、話ってのは転がす板さえ見つければ造作もないね。「勝手に喋ってコロコロ変えるな」 板だよ。板を探しに出よう。












『日本橋三丁目辺りを軽快に走る市電だね。真ん中の建物に覚えがあるんだけど、通りの西か東のどちら側に在ったのかが思い出せん』







「また戻ってんか?」 話は自由だよ、拘束するものなど無いんだよ。言葉は、我より先に走るもんなんだよ。それで失敗するときもあるけどね。

写真の年代を知りたいから、市電の頭に貼られた広告「万国こども博」ってのを検索したんだけど珍しく無いね。

凡その年代は、昭和40年前後ってとこじゃないかね? 市電と併走する車のスタイルからして其れ以前とは考えにくいよ。





真ん中の建物の下の看板に「店舗を新築移転しました」旨の断りが書かれているね、あれに覚えがあるんだよ。当時、オレ、たしか読んだねえ~。

検索して探してたら、ちょうど同じ辺りを走る市電を紹介されている方が写真を貼られてたよ。大変申し訳ないですがお借りします。












『1960年(昭和35年)1月撮影とある、やはり、併走する車が古いよ』







市電は、パンタグラフを見れば向こう行きに映ってる。市電の後方、レールの敷石が左へカーブを切ってるってことは難波に繋がる軌道だね。

映ってる市電は北(一丁目方面)へ走ってるね、と云うことは、上(モノクロ)の市電は南(霞町、阿倍野方面)行きになる。

三丁目から南の街並みは電気屋さんで埋まってるから、背景からして三丁目から北側だね。






下の写真には、三和銀行の向こう隣りには高いビルはないけど、モノクロ写真の方には三和銀行を越すビルが出来てる。〇〇橋ビルって見えてるね。

モノクロ写真の方が新しいことになる。市電は、たしか1969年(昭和44年)3月一杯で全廃になったから、其の間の写真だね。

隣りに建ったビル、車の型など勘案すると昭和40年前後ってとこだね。こんなのを調べるのが好きだね。「暇やのお~」











『1966年(昭和41年)日本橋筋三丁目市電南行き停留所から北方面(日本橋筋一丁目)を望む』







右隣の松坂屋(現・高島屋別館)の向こう端から少しの処で交差点になってる。左へ折れると難波へ繋がる。

其の交差点の向こうが上の2枚の写真になってんだね。堺筋を市電は難波へ行くのか、一丁目に向うのか、左側軌道を走って北方面に向ってるね。

後ろの市バスは左に曲がって難波へ行くよ。





このとき、市電を走らせていた運転手さん、バスを走らせていた運転手さん、それらの後ろに乗って運ばれていく人たちや車を走らせる人たちも、

通りの会社や商店で働いている人たちも、其れを取り巻く世間の人たちも、いろんな思いを抱きながら、みんな同じ空気を吸って生きていた。

世は移り変わっても人の営みに変わりなく義務を果たして次に引き継ぎ消えていく。何十何百億の足跡さえも残すことなく消えていく。





人ってのは、なんなんだろうかね? 言うなれば水だね、田を潤し肥やす水に似てるように思うよ。





























カメレオンの独り言-1386 『人間は考える葦であるってのは、日本で云えば柳だね』

2015年03月23日 | 日記








 2015年3月23日








仕事が一段落して、外へ出て煙草を吹かせようかなって事務所を出かけると高1の男子が自転車押してやってくる。おう、何処へ行く?

行く当てが有るのか無いのか返事に困ってる素振りだね? どうした? 「あのお~ええかなあ?」 なにがや? 「なんとはなしにい~」

なんとはなしに来てしまったってことか? では、なんとはなしに飴でも食うか? 「うん」






引き出しから飴玉取り出して、この飴は美味いぞって差し出してやる。「ありがと」 椅子に腰掛け、どうしたって笑って聞いてやる。

華奢な体つきにひ弱な雰囲気で真面目なタイプの子だね。時折、顔を見せては、なにやら話して時間を潰して行く。

「ここんとこが痛いねん」って胸に拳を当てて、はにかむように云ってる。そうか、失恋したか? 「うん」 それはキツイなあ。「うん」






心に風穴が開いたか、うわっははは、すまん、すまん、しかしな、実際、其の程度のもんやぞ。「・・・・・」

その程度のもんが心をズタズタに切り裂きよるな。「うん」 人はね、苦しい、悲しい、情けないなんてのが成長の糧なんだよ。

考えるだろ? 「うん、凄く・・・」 考える機会だよ。人生、薔薇色の時に考えるか? 喜びに酔って貪るだけの衝動でしかない。






〇〇〇君の想っていた娘(こ)はね、〇〇〇君に考える機会をあてがってくれる人だったんだよ。「・・・・」 心の痛みが思索を促すんだよ。

人間は考える葦(あし)って云ってね、考えることで気付かなかったことや見えなかったことに導かれるんだよ。

其の子のお陰で、自分以外の人ってのが解ったろ? 「うん」 独りじゃ成らぬことも知ったろ? 「うん」 大きなプレゼントを貰ったんだよ。



















人間は考える葦(あし)であるってのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳なんだけど、

葦が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているんだね。強風に抗することなく身を任せて萎え曲がって耐え忍び、

風が去れば、また、元の姿に立ち上がる。巨木は暴風にも立ち向かう強さはあっても折れる弱さも併せ持つ。






自然界の中で大変弱く簡単に風にしなるけど、柔軟性があり運命にも暴威にも屈しない。

考えることができる、すなわち、精神を持つことで自然の暴威に較べて遙かに賢明で優れた存在だと人間の比喩として語ってんだね。

つまり、弱いから考えるんだよ。考えるから強く生き残れるんだね。






日本で云えば、川の流れを見て暮らす柳だね。風に任せてユラユラと、降りかかる雪にも逆らわずにスルスルかわして雪折れしないね。



















恋の病はね、人が治せるものじゃないの。「時間が治してくれるのかなあ?」 そうだね、〇〇〇君にとって有意義な時間だよ。

そんな女なんか忘れちまえって云われて嬉しいか? 「・・・・」 〇〇〇君の心を惑わせた人を軽くあしらわれて気のいいもんじゃないだろ?

思い出の中に大事に仕舞っておけ。「うん」 恋をしたら、あの娘(こ)が全てってなって当たり前なんだよ。〇〇〇君は、至って正常だよ。






失恋の痛みにしな垂れてろ、逆らって突っ張るような無理はやめとけ。素直に悲しめばいいんだよ。

おまえが云うように時間が痛みを和らげてくれる。忘却は人のこころを救うからね。一度や二度の失恋なんか、大方の奴が経験してるよ。

と、同情台詞で痛みが和らぐもんじゃないからね。人は本能に絡むものには至って弱い。






でもね、〇〇〇君を取り巻く夜空にはだね、見たことあるだろ? 田舎の夜空を。「うん」 星屑に埋もれておるだろ? 「うん」

男も女も星の数ほど居るんだよ。其れが世の中だよ。未来に〇〇〇君に繋がる娘(こ)が邪魔してんだよ。おまえ、罪なことしてんだぞ。「えへへへ」

喰らったマイナスはプラスに変えろ。「うん」 胸の痛みを知って大人になっていくんだよ。 「うん」



















「★★ちゃん、もう一つ・・・ええかなあ?」 いいよ、なんや? 「★★ちゃんみたいに、対した人と話ができない」 なるほどね。

云っとくけどね、オレも〇〇〇君の年頃はだね、なんにも喋れなかったよ。ただただ、恥ずかしかったし、意見の組み立てが出来ないから怖かったよ。

じゃあ、どうするか? まずは、人の話を真摯に聞くって姿勢を持て。対する人との間に礼儀を置け。「うん」 






礼儀は礼儀を以って返る、聞こうとする者には、人は、相手に合わせて話してくれる。「うん」 其の場を作るのは自分だよ。「うん」

一足飛びで何ごとも成るものはないね? 順序ってのがあって初歩でまごついても崩さずに徹する。その繰り返しの中から次の段に上がれるもんさ。

そこから自分ってのが見えてくる。其れまでは徹することだよ。必死に乗り越えた壁は背中に在って次の壁に向うだろ? 「うん」 其れが人生だよ。






「★★ちゃん、ありがとう」 おう、焦るなよ、〇〇〇君の人生は此れからだよ。「また、なにかの時は来るからね」 いつでもおいで。





















心の痛みが大人に成長させるか・・・いい歳こいても、今だにそんな修行をする奴も居る。世は様々だね。「人に説く器かね?」 大人の真似事だね。

暖かで穏やかな一日だね。煙草を吹かせてると、目の先で、あっちへ行ったり、こっちへ来たり、ムクドリが番(つがい)で地面の餌をついばんでるよ。

さて、もうひと頑張りするか。静かな時間を黙々と仕事をこなしてたら時間というのは経つのが速いね。もう、3時を回ってる。






「★★ちゃん」 おう、おまえ、生きておったか。「生きてるわ」 そうか、昨日かな、ふっと、長い間、顔見ないなあって思ってたとこだよ。

元気そうで安心したよ。「ずっと家でおった」 そうか、休みだからのんびりしてろ。「今日は登校日やってん」 ああ、帰りか?「そう」

座布団頭も手入れしたら見れるようになっておるよ。あと2年か? 頑張れよ。「うん」 我慢と頑張りの向こう先は明るいぞ。笑ってるよ。






暫くしたら「★★ちゃん」 客が多いね。おう、〇〇、久しぶりだね。某私立大学付属の女子の妹なんだけど、この子は小柄なままだね。中1だったかな?

「〇〇、今、カナダへ行ってんねん」 カナダあ? 3人娘の真ん中の子だね、そういえば姉ちゃんも行ってたね? 「うん」

「今度は、わたしやわ」 おまえらは、外国をどう感じてんの? 「べつにぃ~」 べつにぃ~って感じかよ? 信じられない無感動だね。






しかし、最近の人たちってのは、外国なんて当たり前の意識なんだね。オレなんか北海道なんかへ、実際行くとなったら水盃(みずさかずき)もんだよ。

《 親のお~血を引く兄弟ぃ~よりぃ~もお~ 固いぃ~契りの義兄弟、こんなぁ小さな盃だけえ~ど、男お~命を賭けぇ~てぇぇ~呑ぉぉむ 》

「いつの時代の人間や?」 今の時代の人間さ。「骨董品やろ」 かもね。「今時、北海道行くのに水盃なんて人には云うなよ」 ブログで云ってるよ。






世間が、どう在ろうと、オレはオレだよ、知ったことか。オレが大阪を見飽きるようにトロントの人はトロントを見厭いてるよ。ただ、それだけのことさ。





















他所へ行って「うわあ~凄いっ」 瞬間の感動だよ。無責任な感動だよ。そこで住めって云われたら大阪に戻りたい奴が圧倒的だよ。くっだらない。

「そんなこと云ったら興醒めじゃないか」 知ったことか。僅かの間の触れ合いが美しい。笑かすな。上辺に過ぎんだろうが。

ずっと居てみろ、人間関係は、そんな甘くない。帰れ、帰れと追い出される奴だらけだよ。「清々したわ」って塩蒔かれてる。それが現実だよ。






なんもかんも創られてんだよ。創られてることを知って行く、創られた期間を愉しんで帰る。人の心は建前で、お金の顔が本音なんだよ。

「なんちゅう奴や」 ホンマやで。全てお金で回っておるんだよ。其れが証拠に、貧乏人のオレは大阪どまりだよ。貧乏人はお呼びじゃないの。

まあ、金を回すということは経済を成り立たすってことだから、持ってる奴は、イスラムでもチュニジアでもイラクでも何処でも行って頂戴。






「危ないとこばっかしやないか」 スリルがあっていいよお~。しょうもない映画より興奮できるで。なにせ、首ちょん切られるかも知れんからね。

それでも行きたい人って居るんだよ。だから、何処へも行かなくても平気って奴も居ても不思議じゃないわいな。其れが世の中だよ。

理想に燃えてイスラムに参加するって行った人の中には、こんな砂ばっかしのとこ耐えられんってジタバタしてる奴もおるだろうね。気の毒に。






夢を追うのはいいけれど夢に踊って酔うのはおよし。覚めたらとんでもない現実に身を絡め取られて二進も三進(にっちもさっち)もいかんことになる。



















もうないか? 「なんやねん、憎まれ口叩いてたら調子がええのお」 反対にやり込められる隙があればいいんだよ。隙だらけだよ。

完璧な憎まれ口なんてのはやめたほうがいい。自分の首絞めるようなもんだよ。「計算してんか?」 何ごとも思慮をもって為すべしだよ。

見ろ、あっと言う間にここまで仕上げたよ。記録破りだよ、僅か1時間強で4000字強喋ったよ。喉が乾いたよ。お茶でも呑むか。






湯飲みを持つ手に熱が走るよ。熱うっ、コト、我慢の一息静かに置く。湯気がパソコンの画面を揺らしてる。ふう~、グビッ、あっつうう~美味い。








































カメレオンの独り言-1385 『世に連れクルクル回る常識に捉われる非常識』

2015年03月21日 | 日記







 2015年3月21日







最近、雨が多いんじゃないの? 今日(18日)も夕方からパラパラきだして、また降ってきたよ。夜になって本降りだね。

磯竿を出してきて磨いてんの。釣りか、また始めようかと思ってる。独りの世界で遊ぶには、これ以上のものはない。没頭できるからね。

ムラムラとするものがある。昔のように会社の仲間と連れもって行きだした頃は高くついたけど独りで遊ぶぶんには金は要らない。






もともとは、ずっと独りで釣行してた。餌と煙草とお茶があれば他に何も要らない。道具は一切揃ってる。ええのんばっかし。

いろんな彼女にフラれたよ。釣りやってると付き合うのがめんどいんだね。時間が勿体無いの。そのぐらいに好きだった。

好きだ、好きだと思っていても男も女も星の数ほど居る。めんどいからパスしてたら他の異性に行く、それだけのことに熱など入らん。






誰でもいいんだろうね、アホらしい。気を使って金使って時間を使って誰でもいいのと付き合うほど馬鹿らしいものはない。「醒めてたんだね」

醒めてはいなかったけど気侭が優先してたんだろうね。慌てなくてもいいって気があった。

その気になったら困らないって思ってたよ。自惚(うぬぼ)れじゃないんだね、自然の意識だったよ。「自惚れやないか」 そうか?






そうでもないよ、オレは誰でもいいって人間じゃなかっただけだよ。見た目は選んだみたいに綺麗な女性(ひと)ばかりだったね。

「選んどんねやないか」 違うがな、向こうから接近してくるんだよ。その人たちが、皆、揃いも揃って綺麗だったってことだよ。

「今の奥さんは?」 例外だったね。「なんで例外と一緒になった?」 運命かねえ? オレは優しすぎる傾向があるんだね。





其のぶん裏返せば冷酷な部分もあるんだろうね。「自分で、どう思うねん?」 ハードボイルドな顔を持ってるね。「またや」





















奥さんで思ったよ、本心で相手を決めないと、いつか、こんなはずじゃなかったってことに気付くことになるみたいだね。オレが悪いね。

でも、奥さんも、そうみたいだよ。互いが、優しさを愛情とごちゃ混ぜしてるのに気付かなかったんだろうね。

ちょうど、店を独立で建ち上げる時期になって忙しさに追われて釣りから遠ざかってた頃だったね。






其の頃の奥さんが頻繁に店に顔を出しだした。後々、オレの人生を助けて貰ったのは事実だね。其の意味合いでは感謝は忘れないよ。

役者が売れない間は、苦労の連続で一旦売れ出すと生活は月とスッポンの如く恵まれて変貌する。昔の奥さん差し置いて浮気するね。

世間は、やっかみプラスで、その役者の人間性を疑うね。オレは疑ったことないよ。仕方のないことさ。見えない物語があって始まることさ。






釣竿磨きながら、そんなことを思い出しつつ考えてたらブログが半分埋まったよ。オレは役者ではないから、このままくたばるしかないね。

しかし、もう面倒臭いよ、どうでもいいわ。「歳だろうかね」 そうかも知れん、あとは、静かに独りの時間を愉しもうって思うんだよ。

夢を追うことは趣味みたいなもんだからやめる気などないけど、愉しまなきゃ、それさえも失ったままくたばることになる。





ホントのところは、どうでもいいけどね。人生を捨てる、ただ、それだけのことを大仰に捉えるほどのことでもない。好きに出来るオレの人生だよ。





















しかし、今日(19日)は、湿気の多い日だね。雨が降り続いてビルの屋内の床や壁の一面が濡れ光ってるよ。

天然パーマのオレの髪の毛もたちまちクルクルとセットを乱してるよ。ドライヤーで乾燥させないと直らないね。

ローマ時代の戦士の頭と一緒だよ。「ベン・ハー」のチャールトン・ヘストンだよ。「エエように云うな」






馬車がこけて放り出されて地面にしこたま頭の天辺を擦ったから薄くなってしまったよ。「ハゲとんだろうが」

この前、コンビニへ行こうって小5の女の子が訊かないから付き合って、帰り道、「★★ちゃん、今、幾つや?」って聞くから、52歳って答えると

「へええっ、そんなんに見えへんわっ」って驚いてくれるのはええけど、相当サバ読んで答えてんのに、






それでも見えへんってことは、やっぱり、オレは白痴か? 内心汗が出る思いではないか。

「うちのお爺ちゃん、60やけどヨロヨロやで」 前にも誰か、同じようなこと云ってたなあ? 皆さん、疲れておられるのかねえ?

「おまえは?」 疲れてるよ。でも、忘れるんだよ。身のためならないことなど捨てちまえばいいんだよ。






そんなの後生大事に持つようなもんか。捨てちまえ、捨てちまえ。でも、贅沢に慣れて僅かなことで疲れるってのもあるだろうね。

それなら、結構に胡坐かいてのんびり生きたぶんのお返しだね? 全て良しなんて人生は、そうそうないよ。

老け込んでも持つもの持って悠々自適、そんな奴等の人生には、なんの興味もないの。ヨタヨタのヨロヨロ引きずってもゆっくり生きれるよ。





















手相ってのは変わるって云うけどホントだね。手の平中央の生命線が60半ばそこらで消えてるから、そろそろだねって思いながら居たけど

このブログを書き始めて2年頃かなあ? 線が終ってたとこから延びてね、今じゃ手首までいってるよ。わりとハッキリした皺線だね。

「おちょくられてんのとちゃうか?」 また、パッと消えるかも知れんね? 風が吹いたら蝋燭の火なんて、すぐに消えちゃうからね。






人間の寿命なんて解らないもんだよ。1万キロも離れたアフリカのチュニジアで邦人観光客が撃ち殺されてるよ。

わざわざ危ない処を選んで行くってのも運命なのかね? 奢れるもの久しからずだね。「なんでやねん?」 落ち着かぬ世情の民が生活の場だよ。

ふらふら、安全地帯から物見胡散で行くもんじゃないよ。「もののとりが古いねえ」 そうかね? じゃあ、撃たれても文句は云うな。






子供が自転車で老人と衝突して老人は植物人間、責任能力の無い子供の代わりに親が、其の責を負う。子供の蹴ったボールが原因で人が死ぬ。

同じく、其の親に責任がいく。認知症の爺が電車のホームで事故の原因、其の妻が損害の責任を負わされる。コワイ話だね。

いつ何時発生するやも知れない身近な問題だね。認知症の人は家に閉じ込められて、子供は自転車もボールもバットも取上げられて遊べない。






寝耳に水の立場に立たされることは回避せねばならん。親が我が身を守る手段だね。介護する身も同じくだね、ボケたら牢屋入りだね。





















昔は、自転車に当って怪我して家へ帰ったら「何処見て歩いてるんやっこの子はっ」って怒られた。なんでやねんなあ~? 「しっかり前見て歩きっ」

ボールに当って死んだら、「こんなので死ぬよな子は、どちみち生きて往く力がない」 無茶苦茶やねえ。昔は、被害者が悪いみたいに云われたよ。

其の場合、今なら、こう云うんだろうかね? ボケた爺婆ははた迷惑やっ外歩くなっ、ボール如き弾き返せん軟弱な奴に育てた覚えはないっ。






非常識が常識になり、常識だったことが非常識になって排斥される。世は人が造り、人は世に振り回される。常識ってクルクル回るんかね?































カメレオンの独り言-1384 『流れ往く幸せ、留まる苦しみ』

2015年03月19日 | 日記







 2015年3月19日







今日(17日)は、いい天気に恵まれたねえ。19度って春だよ。此の20日前後でお彼岸だから、いよいよ季節の変わり目が来たね。

暑さ寒さも彼岸までって云うからね。昔の人は、自然の生業(なりわい)に敏感だね。

それはそうと、単発の更新に切替えたら訪れる皆さんの数が極端に落ちてきたね。商売と同じだね。毎日、かかってる暖簾(のれん)だよ。





お客さんは、空振り喰らわないから安心して道ができるんだね。信頼かね? そんなの解ってたけど「主(あるじ)が倒れましたので店閉めます」

なんてならないように細々(はそぼそ)計画に切替えたんだよ。細々いっても田は濁る。「なんやねん?」 違ったかね? 

「ボチボチいっても田は濁るとちゃうんかえ?」 そうだったかね? まあ、似たようなもんだろうね。





此の3日ほどは更新したやつ、つまりトップページに群がってくださるんだね。「表現が失礼だろ」 待ってるんだよ。「誰が待つかっ」

ここでハタと気が付いたよ。毎日更新してる時って「こんなもんかいね」って許せる内容がだね、単発になると、そうはいかんということだよ。

つまり、待たせておいて「なんやねんっ、この馬鹿らしい内容はっ」に変わるんではないか? 「有り得るね」 人間の心裡だよ。





「なんなと悩める問題は出るもんだね」 そうだね。しかし、其処でハタと皆さんも気付く。「もともと駄文やからねえ」って。 

「その解釈は、都合ええのんとちゃうか?」 其の程度のもんさ。

もう、数に関することはどうでもええ。自分が何処まで書けるかだね。それに徹することにするよ。着いて来る人は着いておいで。「生意気なっ」





















なににも影響されない自分の独り言だよ。「カメレオンの独り言」は此処に在りだよ。

編集欄に検索キーワードって表があるんだけど、皆さんが検索の時に打ち込む文句が並んでるんだね、直で来られるのか回りまわって来られるのか、

其れは解らないんだけど、其の中に「そんな白痴の独り言」ってあるの、ケッサクだよ。これはオレのことかあ? なんでもええわ。





白痴でも此処まで書けたら大したもんだよ。駄文を以って対抗意識になったのは此れが初めてだよ。この野郎、無礼者めってね。でもケッサクだよ。

当らずとも遠からずだね。これからは、書きたいから書く、これだね。読んでくれようが読まんでくれようが二の次だね。

もともとは、そうだったんだけどね、なんか途中から色気が出たのかね? そういえば、編集欄のアクセス解析ってのに気付いてからだね。





なにがアクセス解析だよ、ド素人が書いて生意気に客の動向探るな。「おまえも探ってんやろ」 昨日までの奴だよ。「またや」 馬鹿だよ。





















考えたら3月から5月は、毎年、オレの仕事は忙しいんだね。ホンマにタイミングが悪いよ。昨日も今日も残業で、休みも出なきゃならん日がある。

オレの足を引っ張りよるね。しかし、そんなことでは負けない。ポカポカ陽気に誘われて出掛ける用意をばしようかいな。

「服あんのか?」 そう、この季節、合服ってのは有りそうで無いから服装が困るんだね。





洋服ダンスを開けて見る、ごっそりと入ってはいるんだね。全然、袖を通してないのもあるよ。「冬もんだろうが」

薄手のウィンドブレーカーがあるよ。ナイキのやつだね。下はGパンでいいよ。服って、どうでもいいんだけど無いと困るもんだね。

いつも、同じ服で通してる人を見かけるんだけど賢いね。「誰に見せるねん?」って思ってるんだろうね? 其のとおりだよ。





見てくれてるって思いが悲しいね。いい服が歩いてるなんて見られてるかも知れない。まあ、そんなことはどうでもいい。

オレは、自分の納得した服装だったら毎日でも平気なほうだね。逆に、気に入らないと毎日着替えても憂鬱(ゆううつ)だね。

オレは、人に見せるより鏡やガラスに映った自分に拘るね。人が、どう思おうが知ったこっちゃないんだね。オレを満足させるんだよ。「ナルシストか?」





「で、そんな服があったんかえ?」 微妙だね。まあ、いい、着るものがそれなりに有るだけでも結構としておこう。「不満足やねんな?」





















今日は、残業で遅くなって、風呂入って晩ご飯頂いてパソコンを遅くから始めたんだけど、内容がくだらんからペースが速いね。

「ペラペラと口の回転がいいね」 イワシの塩焼き5匹丸かじりで油がのってて美味かったよ。焦げた頭からバリバリだよ。「猫かよ?」

油がのってるから舌の回転がいいんだよ。質素なおかずは、意外と栄養があるんだよ。口に贅沢なものは身体にツケで返ってくるからね。





それとお茶だね、緑茶と云いたいけどランクを下げて煎茶だね。此れが美味いんだよ。朝、昼、晩、欠かさずに呑んでるね。好きだよ。

このお茶はね、身体にいいと思うよ。病気にならないね、まず、風邪を引かない、腹痛にならない。知らず知らず効いていると思うんだね。

良薬口に苦しって云うけど、お茶の苦味は口に美味しだよ。オレが、ここまで無病息災で来れたのは、このお茶のお陰だろうなって思うよ。





今も呑んでるの。ふう~、グビッ、あっつう~。これだよ、美味いと喜びとともに呑むんだよ。一生、やまらんね。





















残業でつまらんねって思ってたら「★★ちゃん、今日は遅いなあ」って、某私立大学付属の高2の女子が覗いてる。おう、おまえも遅いね。

ニッチャラニッチャラ笑ってるから、学校帰りにデートかって聞いてやる。「ちゃうわ、部活で遅くなってん」 ああ、そうか。

おまえって、いつもニコニコと愉しそうだね? 「そうでもないわ」 じゃあ、何を笑ってんの? 「★★ちゃんも、独りで勝手に笑ってるやん」





そう云えばそうだね。オレは、自分で云ったことで自分が笑ってるってのが多いね。「おかしいやろ?」 そう云えばそうだね。

「★★ちゃん、紙と鉛筆貸して」 あいよ。暫く、何か描いてるね。「うっふふふ、これ、★★ちゃんやねん」 ピカソの絵かよ。

「★★ちゃん、これ持ってて」 あっ、またや、おまえ写真撮って彼氏に送ったな? 「せやねん」 やめとけよ。「ええやん」 ええことないわ。





「★★ちゃん、わたしを描いて」 注文の多い奴やねえ。鉛筆でサラサラと描いてやる。「★★ちゃん、上手いなあ」 似てんだろが。

「よく似てるって」 おまえ、それも送ったの? 早業やね。「ほな、これも描いて」って、スマホの画面見せてる。 

おうおう、この子かいな、彼氏は? 「せやねん」 真面目そうで知的な顔つきの子やね。オレとは対照的なムードだね。





1時間ほど遊んでおったね。お陰で気が付いたら帰る時間になってる。「よかったなあ、★★ちゃん、ほなあ、帰るわっ」 おう、またな。

この子は、話し相手になってても、全然、疲れないんだけど、なかには疲れる女の子も居るね。男の子と違って、女の子は扱いが難しいからね。

昼下がりに毎日のように覗いてはダラダラと居座る中2の女の子は、なんだか疲れるんだね。本人は、気に入ってんだろうかね?





そういえば、座布団頭の女の子、長い間、顔を見ないなあ。生きとんかいなあ? あいつも変わっておるからねえ。




















なんでもない日々の流れは穏やかで、退屈に思える時間の繰り返しの中に無事と幸せが存在してる。

解っちゃいるけど、なんか面白いことないか子猫ちゃん? 「ニャイ」 

苦しみは根深く記憶に留まるけれど愉しきことは、ただただ、流れ往くだけのように思えるね。玉が転がり行くようなもんだね。





振り返って、生きたという感慨深さってのは、幾多の苦しみや悲しみを乗り越えてこそ味わえるのかも知れないね。でも、鬱陶しいね。




























カメレオンの独り言-1383 『旧家に眠るホンマの味』

2015年03月16日 | 日記








 2015年3月16日








薄ら寒い休みの朝(14日)だね。雲が垂れ込んで雨も零れて地面を光らせてるよ。3月か、カレンダーを見上げると弥生(やよい)ってあるね。

1月睦月(むつき)、2月如月 (きさらぎ) 、3月弥生 (やよい)、4月卯月 (うづき)、5月皐月 (さつき)、 6月水無月 (みなづき)

7月文月 (ふづき)、 8月葉月 (はづき)、9月長月 (ながつき)、 10月神無月 (かんなづき)、11月霜月 (しもつき) 、12月師走 (しわす)






旧暦の月の読み方だね。風流なもんだね。1月睦月という名前の由来は、親族一同集って宴をする「睦び月(むつびつき)」の意で、それぞれに諸説があるね。

2月如月は、寒さ故に、衣(きぬ)を更に着る月であるから「衣更着(きさらぎ)

3月弥生は、草木がいよいよ生い茂る月、木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)が、詰まって「やよい」となったという。

4月卯月は、卯の花が咲く月「卯の花月(うのはなづき)」を略したもの。

5月皐月は、この月は田植えをする月であることから「早苗月(さなへつき)」と言っていたのが短くなったもの。

6月水無月は、梅雨が明けて水が涸れてなくなる月であると解釈されることが多いらしい。










 「なんで、此処でサイコロや?」 解らん。










7月文月は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説。ふみづきとも読むね。

8月葉月は、木の葉が紅葉して落ちる月「葉落ち月」「葉月」であるという説が有名らしいけど、早いね。

9月長月は、「夜長月(よながつき)」の略であるとする説が最も有力。

10月神無月は、神無月の無が「の」にあたる連体助詞「な」で「神の月」というものがあるらしい。

11月霜月は、文字通り霜が降る月の意味。

12月師走は、僧侶(師)が仏事で走り回る忙しさを指して云う。坊主が走るのかよ、先生じゃないんだね。






学校の先生も、今、大変だね。全国2千人の教職員に脅迫状が送りつけられたって、テレビで騒いでる。

一人3百万円、全員払ったら60億円だね。心当たりがあるよな無いよな先生は、鬱陶しいから払っておこうかなって思わせる脅迫文の内容だね。

依頼主のなさそうで有るような復讐の動機、多くの生徒を相手に年月は過ぎて、記憶は曖昧模糊として動揺なきしにも非ずだろうね。






今の世の中、何が出るやら解らんね。今月は、草木が芽吹く月か、枯れたような風景を艶やかな色に染めて春が来るね。














『写真の整理が悪いから春の花やら秋の花やら解らんわ、まあ、花に変わりはないわいな』









昼から晴れてきたね。ベランダで煙草吹かせてたけど寒くないわ。また、ツタヤへ行って、なにか面白い映画ないか見て来ようかな。

此の前行ってから、まだ、ちょっと早いかな? 『アメリカン・スナイパー』 は来年かね? 「今、封切ってる映画やないか」 

『フューリー』 だったかな? ブラッド・ピッドの戦車の戦争映画、あれも観たいね。予告編を何度観たかなあ? 10回は軽いで。














『アメリカン・スナイパー』 







イラク戦争下、狙撃で160人を倒した伝説の兵士なんて紹介されてるね。実話だから重いね。

でも、この人は、帰国後、自身が経営する射撃場で同海兵隊員に射殺されたらしいんだね。新聞でも読んだよ。因果なんだろうかね?














『フューリー』 








ブラッド・ピッドはいい役者なんだけど裏切らないかなあ? なんとはなしに疑ってしまうんだね。監督に口出しが多いんじゃないか?

「見たようなこと云ってんね」 なんか、そんな感じのする役者なんだね。オレの勝手な思い込みだけどね。役者は芸に没頭してればいいんだよ。

しかし、向こうの奴は「絵」になるねえ。着てる衣装の汚れも皺もデザインも、なにからなにまで格好良く見えるのが不思議だよ。






『ワイルド・カード』ジェイソン・ステイサムの映画は外れがないから、これも観たいね。この人の映画を観るとスカッとするよ。

此の人の強さは、強すぎても馬鹿らしさを感じないんだね。ホンマに強いねえって感心させられるんだね。

格闘技が上手いのか、描写が上手いのか、何故か納得させられる強さなんだね。最強無敵だわ。此の人は、宛がわれた仕事に忠実ってタイプだね。






こんなのが50人ほどでチームを組んだら中近東も静かになるかも知れん。「おまえ、ヘタなこと書くなよ、名指しで狙われるぞ」














『ワイルド・カード』 








とことん暴れてくれ。変に凝った人間味を出そうなんて思うなよ。君は、今まで通りでいいんだよ。「エラそうに云うてたら首折られるぞ」

こんなのが眼を剥いて向って来たら、オレは抵抗せずに瞑目して念仏唱えるよ。それほどの奴だよ。

あっちの奴と違って東洋人の首なんか細いからあっさりとポキッだよ。細い首に大きな顔、長い胴に短い脚、バランスの悪い人種やで。






「自分で云うか?」 云われる前に云う、自覚が有るか無いかの問題さ。此の世に格好いい格好悪いの概念がある限り付き纏(まと)う事実だよ。













『I-ODATA HDC-LA3.0 [USB 3.0/2.0外付ハードディスク 3.0TB 』








なんか、今日(15日)も鬱陶しい天気だね。退屈だからネットウインドウショッピングやってたら、オレの買った2TBのハードと同型の

アイオーデータ ★限定特価★ HDC-LA3.0 [USB 3.0/2.0接続 家電対応 縦・横置き両対応 外付ハードディスク 3.0TB] が1TB増量で出てる。

3TBのハードディスクが1万円を切ってるね。どんどん安くなっていくんだね。購入を慌てると損をするね。






物は、何度も見てると、もう、ええわって思うね。「なんでやねん、見れば見るほど欲しくなるやろ?」 

そうかね、然程、必要でもなければええわってなるで。次から次から新型出しよるから買った尻から旧型だよ。無理して買わせて、すぐに旧型はないで。

ものを大事にするなんてのは、此処から崩壊しておるよ。頑固に守る、守りたいってぐらいのものを造れよ。ホントは、どうでもいいけどね。「なんやねん」






そこへいくと食うものは、案外、頑固が通ってるね。頑固寿司なんてお店があるよ。饅頭なんか昔ながらに味を守ってるね、伊勢の赤福餅。「それだけか?」

喜八洲の酒饅頭、ぼた餅、みたらし団子、いちいち挙げてはおれんし、あんまり知らん。「知らんのに云うな」 兎に角、いつ買っても同じ味だよ。

醤油にしてもソースにしてもタバスコにしても味覚ってのは伝統がものを云うからね。なんでもタレが命って云うだろ? 食文化は永遠だね。

























ぬかみその漬物なんか、義理親からギャアギャア嫌味聞かされて、ドタマに漬物石を放ったろかと何度思ったことかっ、

そうして云われて受け継いで拵えてるやつのほうが、へたな市販品より遥かに美味いのが絶対に有る。根性が入ってるよ。そんなのが欲しい。

そんなのを拵え続けてる奥さん、限定品でネット販売しなさい、飛ぶように売れるよ。恨み深し憎い婆にも、おのずと感謝の気持ちも湧いてくる。






一芸に秀でるとはそのことですよ。親方に包丁のミネでドツかれながら覚えた板前の味と同じですよ。入魂の味ですよ。「一理あるね」 だろ?

そんなのを家だけで食しているのは勿体無いよ。スーパーでカスカスの漬物ばかり買って食ってる奴らに日本の味を知らしめてあげなさい。

「おまえもか?」 うちの奥さんは何でも美味いだよ、不味さを知れよ。不味さを知るから美味さに繋がるんだよ。うちは、不味さで止まったままだよ。






「わたしは正しい」一点張りで自身を疑うことを知らず味知らず、オレは、もう、こんなオバハン、ホンマに要らんわ。




























カメレオンの独り言-1382 『光陰矢のごとし』

2015年03月14日 | 日記








 2015年3月14日








この二日ほど、冬に逆戻りしたような寒さだったけど、今日(12日)は気温が少し上がって穏やかな一日だったね。

最近、毎日、毎日書かねばならんって追い込みを中断したので、いつもより早く就寝できるようになってるよ。お陰で朝の目覚めも早いね。

単発の更新に変えたら話のネタを搾り出すことなく、スムーズに書き上げることができるだろうと思ってたけどアカンね。






なんか、余計に話のネタが浮かばなくなったよ。緊張感ってのは、脳味噌を刺激するんだろうね。だから、苦しくとも書き続けられてたんだね。

なんてことだよ。どうすりゃいいんだよ? 休まず書き続けろってことかよ? 倒れて死ねということかよ?

春になって外へ出かける日を多くして果たして変わるもんだろうかね? なにか、気づきが欲しい。此れだって思える気づきが欲しいんだね。






今更、頭良くなれなんて思わない。悪い頭なりにだね、オレしか書けないような思い付きが欲しいんだね。

昼飯頂ながらテレビを観ていたらトワイライト・エクスプレスって列車の最期の姿を写真に収めようとホーム一杯の人だかりが映ってる。

JR大阪駅だね。新幹線の時代に合わなくなったのかね? 利用者が減る一方なんだろうかね?






ガタン、ガタンと普通に走る列車の趣は捨て難い旅情を生むんだけどね。「知ってんかえ?」 知らんけど、昔、天王寺から和歌山の潮岬へ

深夜列車を利用した折、いいなあって思った思い出があるよ。紀勢線は何度か利用して紀伊方面へ行ったことはあるよ。

車内の趣は違うんだろうけど列車は列車だよ。寝台列車もトワイライト・エクスプレスも、なんの関係もないままに姿を消すんだね。さいなら。

























何処から何処へ行くのやら知らないままに、さいなら。「寂しい男やのお~」 なんで寂しいの? 

「世の中、当たり前のように利用して愉しんでいるのに、何も知らないまま死んで行くなんて寂しいがな」 そんなもんかねえ?

新幹線も旧式の奴なら、何度も乗って利用したけど新しい奴なんかテレビのニュースなんかで観るだけだよ。「寂しいのお~」 なんでかね?






用もないのに乗るほうがおかしいよ。「飛行機は?」 ジェット機や旅客機なら、いつも頭の上を飛んでるよ。「そういう話ではないだろ」

金属の塊が飛ぶなんて信じられない。「古いのお~」 乗りたい奴に乗らせとけ、面倒臭い。「世の喜びごとを知らんのではないか?」

知りたい、体験したいことが叶えられて喜びだよ。「知りたい体験したいと思わないのか?」 別にい~。






雰囲気や体感的なことは感性で掴み取れる、乗ったも同じだよ。電車なんか同じだよ。「飛行機は解らんだろ?」 残念でした。

リアルこの上ない夢ん中で、向い合わせのベンチ椅子にベルトなしで乗ってドア開けっ放しの飛行機で飛んだよ。怖かったねえ~死ぬと思ったよ。

「第2次世界大戦当時の軍用機かよ?」 浮遊してるような感覚に酔いそうになったよ。






前のめりになるとベンチ椅子から滑って開放されてるドアから宙へ飛び出しそうになるんだよ。青い空に白い雲、臨場感盛り盛りだったね。

「じゃあ、船は?」 これは体験済みだね。何処だったかなあ、そう、フェリーだね。淡路島への海外旅行だったよ。「貧乏人の台詞やな」

何度も行ってるよ。自衛隊の潜水艦が、わざわざ浮上して挨拶してんだよ、商売人だね。「偶然だろうが」 

























徳島にも行ったよ、遠洋航海だったね。「云ってろ」 「旅客船は乗ったことないだろ?」 浮かんでるのは一緒だよ。オレはおのぼりさんじゃないんだよ。

そうだ、高速船ってのに乗ったね、海面に浮くんだよ。何処だったかなあ? 伊勢まで乗ったけど、此れで此の世ともお別れだなあって思ったよ。

伊勢で思い出したよ、真珠湾だったかね? 「パール・ハーバーかよ?」 伊勢だよ。乗合船で島に渡るんだけどちっちゃいの、心で十字を切ったよ。






「怖がりもええとこやね」 なにせ、オレは金槌だから脚の届かない水ん中では死ぬしかない。考えたら、命懸けてまで乗らねばならんもんじゃない。

「車は?」 昔、乗ってたけど商売失敗して大借金抱えて、これで人轢き殺したら首吊らなあかんと思って運転やめた。

錯乱男の弟の仕事を無理やり手伝わされて助手席ばかりだったね。嫌と云うほど走るの付き合わされて、何度、死んでるか解らんほど恐ろしい目にあったよ。






語るのも馬鹿らしい思い出だね。オレ以外に、こんな馬鹿付き合いできる馬鹿は、この世にはおらんよ。天然記念物だよ。

こいつとの付き合いで、オレは人間に関する諸々を悟ったね。己を殺せば、何ごとも成ることの摂理を知ったよ。神さんの為せる業ってのを感じ取ったの。

恐怖のどん底を突き破ると恐怖が消えることも知ったね。それからは、神さんにお任せなんて心境で付き合ってたよ。「なんちゅう人生やねん」






でも、今、生きているという事実、他に侵食されることなく我を生き続けているという事実、ユニークな人生、生き切って死ぬ、ええねえ~。

オレは、寝台列車もトワイライト・エクスプレスも飛行機も旅客船も乗ったことがない。

でもだね、とんでもないオレって男に乗ってしまったお陰で他に興味が湧かないの。果たして、オレってどうなんのお~?って感じだね。






その乗り心地ってのはだね、とんでもなく心細くてスリリングで馬鹿らしいの。オレしか乗らない、乗れない、ポンコツ人生だね。























また、絵に興味が戻りだしてんの。本気で描いたら、どこまで描けるか試してみたろかいななんて考えてんの。「なんで、また絵なんだよ?」

百聞は一見にしかずって効果があるだろ? 絵は、其れが可能だから毎日更新するなら大きな助けになるよ。

アメリカンコミックの絵を見ていて思ったんだよ。まあ、そんなのを含めてだね、次なる作戦を考えながら、今は、身体を休めておるのよ。






「★★ちゃ~ん」って、大きな声出して中1のおませな女の子が連れの子と帰って来た。おう、久しぶりだね。今日は卒業式前日だから部活が

ないらしく「★★ちゃん、久しぶりやな、寂しかったやろ?」 ええ? ああ、寂しかったねえ。

〇〇〇、おまえ、また背が伸びたんとちゃうか? バレーボール遣ると背が伸びるってのはホントだね。「わたしは?」連れの子が聞いてる。






おまえも伸びてるよ。でも、〇〇〇と比べると2センチほど差があるね。「なんやねん、ハゲ」 おまえこそ、なんやねん、誰がハゲじゃ。

〇〇〇は、ハゲなんて云わないぞ。人の肉体的欠陥を云う奴は自分に返るぞ。「なに云うとんねん、ハゲ」 あかんわ、こいつ。

おまえに比べたら〇〇〇は綺麗なお嬢さんだよ。「ええわなあ、〇〇〇は色は白いし可愛いから」 おまえも可愛いで。「えへへへ」






「★★ちゃん、着替えてくるから帰ったらあかんで」 あいよ。「お話しして」って来てた頃からしたら娘さんになったもんだね。早いねえ。





















世の中も、人も、慣れ親しんだ物も、知らぬ間にどんどん移り変わって往くんだね。光陰矢のごとし、止まることはないんだね。






























カメレオンの独り言-1381 『根がルーズな男』

2015年03月11日 | 日記








 『関係ないけど映画 欲望 だったかな?』 2015年3月11日








広めの机を張り込んでパソコンとキーボード、それに立派な猫の置物だけってのが理想なんだけど、そんなのを想像して猫の置物をネットで探した。

陶器やガラスや木造りやと辿って、フィギアに至ったけど、どいつもこいつも糞憎たらしいか、漫画か、猫か?ってのばっかし。

まともなのを、よう造らんのか? 置いたら高さ50センチは欲しい。でかい奴だよ。しかし、職人の腕も落ちたねえ。「おまえの好みやろ?」






置いたら呪われそうな猫を造ってる奴も居るよ。「どんなんやねん?」 キモイんだよ。心和むようなのを造れんか?

フィギアって、骨の針金に粘土で型造りした上にエキボシやらシリコンで表面造りするそうだけど、女の子の裸は凝りまくってんのに、

スケベに熱入れすぎて動物ではヤル気が起きんのかね? サイトをウロウロして、まともな猫は、こいつらだけやね。
























『この猫の材質はなんだろかね? かなりリアルだね』









座ってる奴が理想なんだけどおらん。なんぼ探してもおらんね、寝てる奴で食指の動くのはこんなの(下の写真)だね。

この下の猫は、うちに居ついた野良猫のオセロに似てんだね。8キロまで太らせて10キロ目前に居らなくなってしまったよ。

こいつも、オレと似て猫らしくない猫だったね。他所の猫とは血を見るよな喧嘩ばかりして道路に転がって喜んでるんだよ。






鼻先にいつも向こう傷つけて、それでいておとなしくて優雅な奴だったね。そいで、本来、宿敵の犬とは仲が良いんだよ。

ヒステリックなキャンキャン犬でも、こいつには吠えずに尻尾振ってんだよ。こいつも転んだまま手の先で相手になってる。

猟犬になるよな大きな犬が来ても転んだまま動かない。匂い嗅がれても知らん顔してんだね。気侭な一匹猫だったよ。






この置物見た時、あっオセロって思ったよ。この置物の猫もよく肥えておるよ。よく肥えて丸顔の猫は福福しいんだね。価値があるよ。


































右の瀬戸物の奴はええ値がついておるよ。こんな寝てる奴を眼の先に置いてたら、オレも寝てまうがな。

オレが、宝くじ当てるまでにまともなのを造ってくれよ。値はゴタゴタ云わん。「当ったつもりか?」 そうだよ。「呪われる前に狂うとるわ」

机もね、幅2メートル、奥行き1メートルの広さは欲しいね。なんなら3メートルでもいいよ。「何処へ置くねん?」 机の下で寝るよ。






社長や重役が使う書斎机なんかは大仰だし値も張るから身の丈に合わない。ミーティングテーブルみたいなのがいいよ。机の役をすればいいんだよ。

それならデカイのがあるし安いよ。そんなのをドンと置いて好きなところに座ってパソコンする。いいねえ~。「それなら下で寝れるね」

テーブル(机)は広いに越したことはないよ。パソコン2つ置いても邪魔にならない。






頭の中では、早くから完璧な「絵」は出来ておるんだけどねえ。「おまえの場合は、先立つものが何も無いではないか」 表現が露骨だね。

アホんだらっ、何も無ければ作ればいいのだ。「その歳でか?」 オレを凹ませようとしてるね? やめとけ、やめとけ、オレに終わりは無い。

「どういうことや?」 人並みの考えではないということさ。「人並みの考えではない? では、サルか?」 






オレはね、動物で一番嫌いなのがサルなんだよ。そんなのと一緒にすんなっ。オレは人間社会の方程式では生きて来なかったからね、型に填まらないの。

或る時は、牛になって忠実にコツコツと責任を果たし、或る時は、可愛い犬ッコロになり、また、或る時は、勝手気ままな一匹狼よ。噛み殺すぞっ。

「元気なうちに望みが叶えばいいね」 ううん? 思いもかけない人間らしい言葉に狼の眼にも涙だね。一匹狼の活動の終わりは死ぬ時だよ。














『一匹猫のオセロ』 優雅で福福しい猫だったね。








考えたら、あちこちで姿を現し出してから暫くして、こいつも事務所に入って来ては、オレの足元で転がって居つくようになったんだね。

同類を嗅ぎだしよんのかね? で、事務所の猫になって家に連れ帰って飼い猫になったんだよ。で、白黒だからオセロって名がついたんだね。

こいつは、根っからの自由猫でウロウロ出掛けるんだね。帰って来たら薄汚れて、あちこち怪我をしてる。ケロリとした顔つきで傷を舐めて治してたよ。






あんまり頻繁に出て、其の都度、怪我をして帰るから、エイズの野良猫も多い世相、襷(たすき)風のベルトをして繋いで飼ってたよ。

時折、縄抜けしてでも脱走するんだね。止めて止まらぬ自由猫だったよ。






毎年、大阪は3月に入ると3~4センチ程積もる雪が降るんだけど、今年は、降らないままに春かね、なんて思ってたら

今日(10日)は、ぐっと冷え込んで昼間に大粒の雪が降ったね。風が強いから、一時、吹雪みたいだったよ。空気が冷たい。

黙々と仕事してたら背中に人の気配。振り返ると某私立大学付属の高2の女子が、「★★ちゃんっ寒いっ」って、おまえ、接近し過ぎだよ。






ニッチャラニッチャラ満面笑みして、なんか、瞳キラキラさせて、抱き着きに来そうなコワサを感じるよ。「アホか、おまえは」 迫って来るんだよ。

「おう、寒いね」 机の下に両足入れなおして身を正すと太腿の辺りを膝で蹴りながら 「この野郎、逃げたなあ」 なんて顔してんの。

「おまえがエエようにとってんだろうが」 ホンマだよ、直感だよ。わりと当るよ。この娘(こ)は天真爛漫みたいなとこあるからね。






おまえなあ、なんでもいいから音立てて入って来いよ、ソロリと後ろに立たれたらコワイがな。「★★ちゃん、仕事真面目にしてるからや」

「寒いっ寒いっ」って云って、椅子を持ち出して来てへばりついて腰掛けてる。なんか、おまえ、膝がこそこそ当たるんですけど。

ちょっかい出すなよ、今、真剣に仕事してんだから。「★★ちゃんっ寒いっなあ」 うん、あのなあ、こういう日はね、真っ直ぐ家に帰って暖(あった)まれ。























「あかんねん、家も寒いねん」 櫓炬燵(やぐらごたつ)に入って勉強でもしてみろ、気持ち~いいぞお。「寝てしまうやんか、それにうちにはないねん」

じゃあ、暖房つけた暖かな部屋でのんびりしろよ。「暖房は夜だけってお母さんが怒るねん」 社長令嬢のわりに質素な生活を強いられておるね。

「今な、★★ちゃん、学校帰ってきたら、毎日40分ぐらい走ってんねんで」 へえ~なんでや? 「ダイエットやねん」






やめとけ、ポチャポチャしとったらええねん。今、おまえ、17歳やな? 「うん、★★ちゃん、やっと、わたしの歳覚えてくれたなあ~」 

おまえの学年を忘れるんだよ。娘盛りのセブンティーンやないかえ。喰いたいだけ喰ってりゃいいんだよ。「いややあ~ん」 

欲しいものを我慢するんかえ? 「苦しいわ」 おまえ、甘いものに目がないんだろ? 「せやねん、云わんといてえ~」 






引き出し開けて、ほれ、チョコレートあるぞ。「うわあ~嬉しいっ」 慌ててカバンに仕舞ってる。ダイエットの道のりは厳しいみたいだね。

「学校から帰ったら気を抜かずに走りに出るねん」 それ自体はいいことだよ。自分と戦って克つってことを繰り返す、人間向上するよ。

オレが見るに、なんにも太ってないよ。まともな姿してんのに、わざわざ骨みたいになるなよ。彼氏に太いなんて云われたんか?






「そんなん云わへんわ」 ホイなら勝手に細ってさま変えるような裏切りすんな。今のおまえがいいと思ってんだぞ。「そうかな?」 そうだよ。

気分良くしたんかね、なんか歌って携帯弄りだしてる。なんや、彼氏にメールしながら歌ってんか? 「違うわ、ほらっゲームしてんねん」 

おまえは、可愛い顔して性格もいい、そのままで充分だよ。喰ったぶんだけ走って消化すりゃいいんだよ。






暫く遊んで 「ほなあ~★★ちゃん、帰るわっ」 おう、走るのは、明るいうちにしとけよ。「うん」 手を振って行っちゃったよ。























終業後、外に出て煙草を吹かす。寒っむうう~、なんなんだよ、また、春が遠くなってしまったよ。待つのはよそう、待てば待つほど長く感じる。

今は、身体を休めてると思ってりゃいいさ。学校帰ったら走りに出るか、なにかしらを自分に課して人は戦っているんだね。

日々、億劫なことだろうけど、目的、目標を見失う空虚に比べれば、どんな些細なことでも戦うことで生きてる実感を得れるんだろうかね。






生きると云うことは、そういうもんなんだろうかね。オレは、ずっと、だらしないままでも生きてる実感ってのを感じたまま死ねると思うけどね。





























カメレオンの独り言-1380 『人生とは、暗中模索の道』

2015年03月09日 | 日記







 2015年3月9日








「最近、映画紹介がやたら多いんではないか?」 語ることが浮かんで来ないんだよ。人の創ったものを褒めたり貶(けな)したりは楽だからね。

「毎日連続で4年近く書いたら、もう、底尽いたか?」 アホんだら、そんなもんで底尽くような人生かよ。

上辺なぞりのような気楽な人生じゃないよ。心が擦り減るような情けない人生を長く生きて来るとね、尽きることない思いが積み重なって見失うんだよ。







「有り過ぎるということか?」 だろうね。オレは、忘れることについては一級だよ。思い出して、どうにもならぬことは忘れるんだよ。

知らぬ間に身についた処世術だろうね。精神を甚振る奴は総じて頭がいい。記憶力が災いするね。

身のためにならぬことに執着して解決の無い苦しみ、悲しみの渦に巻かれるんだろうね。洗濯機が最期の搾り出しで回転するだろ? 一緒だよ。







絞られた洗濯物は捻れまわしてる。一枚、一枚、解(ほぐ)して抜き取って畳むね、人間の脳味噌も、心も解きほぐすには時間がかかる。

オレは、貧乏男だけどネガティブに繋がる記憶は惜しみなく捨てる。「英語が出たね」 そうだね、自然に出たよ。ポチチブに生きなきゃ駄目だよ。

「感心させて、すぐに、こかすなっアホ」 すまん、ネガティブは云い易いんだけどポ・デ・ィ・シ・ブは云いにくいんだよ。





















ただ、忘れるだけでは成長はない、人はね、苦痛から得る体感ってのは強烈だからシミになって残るんだよ。そのシミが長々と苦しみをもたらす。

何故、残るか? 負けてんだよ。なに糞っだよ。オレは、その沁みの苦痛を自分の弱さと捉えて、それに克つことに専念したよ。戦いだね。

苦しみ、悲しみまくって、のたうつほどに甚振られても戦う意思を失わぬことだよ。何でも来んかえっ、其の程度か?って、向う意気だね。







ネガティブに落ち込む人は、自分を悲観しすぎになるんだろうね。自分を哀れむんだろうね。あかんでえ。「なんやねん、大阪弁で云うな」

これは、オレが出来たから、あんたも出来るってもんじゃないとは思うけどね、戦う気力だね、戦いを放棄したら負けるよ。

オレの持ってる要素が幸いして功を奏したともとれる。誰もが同じじゃないからね、あくまで、これは、オレの場合の話だよ。







ただ、総じて云えるのは、人生は走る車窓と同じだよ。見晴らしのいい景色が流れて気分を晴れやかにするようなところもあれば、

ちょっと長いねえって思わせるトンネルもある。でも、繰り返して移り変わるんだね。其処で止まらないんだよ。

急かして列車の中を走っても居るところは変わらない。無駄な足掻(あが)きだね。どんなときでも腰を据えて真っ向受けて立つ姿勢だよ。







次なる変化は必ず来る。よく云うね、明けぬ夜はない、春の来ぬ冬はない。その逆もしかりだね。







人間は倒れても立ち上がれるんだよ。其れを忘れてはいけない。倒れるほどの経験を忘れても捨ててはいけない。

其処に値が付いて自分の経験値を高めるんだよ。それは、これからの人生を生きて往く上で、大きな力となって自分の味方に変わるんだよ。

どんな経験にせよ、それを活かして使えば宝なんだよ。喜びは苦を生む。苦は喜びを生むんだよ。ともに相反することを育てていることを肝とすべしだね。





















考えるとだね、話ってのは「釣り」と似てるね。餌を付けて放り込む。「投げ釣りか?」 う~ん、なんでもいいんだけどね。

放り込んだけど、いつまで経っても反応がない。パソコンの前で銅像みたいになってる時だね。

其処へ、おまえみたいなのが話しかけてくる。「釣り場には、そういう人が、必ず、居るね」 ボールを放りよるから受けて放り返す。







ふいに現れた人とキャッチボールだね。話が弾むね。キーボードも忙しい。でも、本命の竿はピクリともしない。「それはおまえやな?」

そういうことになるね。しつこい人なら、その人のお陰で今日の話しは埋まる。

でも寒いから「頑張ってください」って、あっさり去られると、ピクリともしない竿だけが残る。「銅像もやな?」 そういうことだね。







今日も、そんな感じだね。また、キーボードの前で銅像になってしまったよ。早く暖かくなって欲しいね。

折角、更新を、週、単発方式に切替えたんだから活かしたいよ。「ホンマに出かけるか?」 出かけるよ。なにかしら新しいものを吸収するんだよ。

すぐさまの変化なんか期待してないけどね。目先が変わる、感じ方の幅を知るとかね。実際、何が変わるのかも知らんの。「疑ってんか?」







通り一遍の変化なんか興味ない。オレならばこそってのがオレなんだよ。綺麗な文を書く気もないし感想文なんてのも馬鹿らしい。

駄文の王道を創り上げるんだよ。「大層なことを云うな」 自分の言葉で、其の場に居辛くなるだろうってか? 「解っとるやないか」

そんなもん知ったこちゃあるかい。人生なんて鼻クソだよ。「なんで人生が鼻クソなんだよ?」 知れたことよ。「訳解らんな」







人生の訳を解ろうなんて思うなよ。なんにも解らんままにくたばるのが人生だよ。暗中模索の道を歩いて疲れて死ぬんだよ。それが人生だよ。

波の被らぬままの人生、波に揺られまくっての人生、波を被って浮かぶことのない人生、そして愚かなる人生、道は幾通りにも分かれてる。

波被らぬ人生が善いなんて解らぬ癖して云う気もない。自分の生きて来た人生だけを知っている。解るのは、それだけだよ。







オギャンと産まれて運命の道は決まってる。解らんかったら犬でも猫でも見てみろ。教えてくれてるよ。努力の外側に運命がある。





















後は、忠実に、己の運命と戦い続けて生きて死ぬ、人類の平等だね。それ以外は、なんにも解らんのが人生だよ。

























『Jack Davis ジャック・デイヴィス』








『おかしなおかしなおかしな世界』 It's a Mad, Mad, Mad, Mad World)は、1963年(昭和38年)のアメリカのコメディ映画。

難波高島屋2階のなんば大劇場で公開してたと記憶する。パンフレットだけ買いに行ったんだよ。今も手元にあるよ。

切符切りのお姉さんが、「えっ?パンフレットだけ?」なんて云うから、溜めてんのと答えたら、笑って取りに行って手渡してくれたよ。







当時で150円だったかね? 小遣い貯めて買いに行くんだよ。そのパンフレットの表紙がこれだね。「こんな絵を描きたい」って思ったよ。

今の画力だったら描けなくもない。長い間、筆を持ってないから気負いだけが先走っての思い込みかも知らんけどね。

今でも描きたいって無性に想うときがある。アメリカンコミックは、味が有っていいんだねえ。大人の絵に想えたよ。















『ノーマン・ロックウェル』







ノーマン・ロックウェルも好きだね。芸術だよ。命があって、ゆとりの時間がもてたら真似でもいいから描いてみたいね。






























カメレオンの独り言-1379 『生きるも死ぬも個人の問題』

2015年03月08日 | 日記








 『なんの関係もないけど、リスボン特急』 2015年3月8日









何かに引かれて目にすると、ああ、皆さん、綺麗な表現で書かれているなあって、自分のハチャメチャに改めて気付くね。

標準語で話されて言葉を大事にされているね。トラックバックってなんかいな?って思ってたけど、どうも紹介して頂いてるみたいだね。

皆さん、パソコン操作が達者だね。オレのが、そのお方のブログに載ってるんだよ。吃驚したよ。







自分の世界でのめってるから思いも掛けないところで現れると、うん? 素人臭い駄文が引き立つね。「ええ意味でか?」 アホか、最悪だよ。

一匹狼流の独り善がりの世界だね。でも、オレのテリトリーでは、こいで良いと思ってる。今更、丁寧言葉に変えれないよ。

オレは、オレは、云ってて、急にわたしはなんて云ったら笑ってしまうよ。わたしからオレに変えた時は抵抗なかったね。スッとしたよ。







ガメラ医師のBlogさん、ありがとうございます。退屈な時にでも、また、覗いてやってください。

























もう、震えるほどの寒い日は来ないだろうなんて、思ってたけど金曜(6日)の夜から、えらい冷え込んできたね。ちょっと甘かったね。

昨日は早めに寝たので、今日の土曜は休みなんだけど7時前に目覚めた。寝直しが出来ない歳になったんかね? パッチリ目覚めてる。

薄暗いとこ見ると曇ってるね。顔洗って夜明けのコーヒーを呑む。机の横っちょの窓のカーテン開けても薄暗い。







朝の時間の経つのは速いね? ぼお~としてたら8時半だよ。窓、全開にしてたら冷えてきたね。「当たり前やろ」

水洟(みずばな)垂れてきたよ。「馬鹿やで」 でも、閉めない。「変わってるね?」 

少し脚を擦り合わせてるんだけど振り返って閉めるのが面倒臭い。手の平も摩り合わせてるんだけど。「勝手にせいっ」






自分の手の平の温かみを感じてるんだよ。オレって体温高いのかして擦り合わせるとポワア~っと温かいんだね。

「体温高い奴は、心が冷たいって云うぞ」 ハードボイルドだね? 「なんでエエように云うねん?」 007ジェームズ・ボンドだよ。

冷酷非情だよ。悪さする奴はワルサーで撃ち殺す。害虫どもに情けは要らない。ブスッ、ブスッ、「バーンッバーンッだろ」 サイレンサーだよ。






クシャミが出たよ。くだらないこと考えてたら9時回ってるよ。この無意味なような時間が、オレを癒してくれるんだね。

























ウンコしたくなったよ。「黙って行けよっ、臭いおっさんやでっ」 ウンコしない奴なんて居ないよ。

人は、本当をドアの中に隠して生きて居るんだね。「エチケットだろ」 嘘だね。人は、その嘘で恥をかいたり、かかしたりだね。 

恥かかして喜ぶ奴は、嘘を水で流して澄まし顔の奴だよ。ドアの中の自分を知ってる癖して、当たり前のことでミスした人を甚振る奴がいる。






綺麗な手、見た目だけの話だよ。実際は細菌だらけだよ。人間なんて、いや、生きているもの全てが細菌だらけだよ。

本当に綺麗なんて無いに等しいんだよ。見た目を過剰評価してはいけないって戒めだよ。嘘を造るには、それなりの時間と労力を必要とする。

人間なんて、もともとは汚いんだよ。それを綺麗にすることを知っているから、人として最低限、身を整える術を習ってエチケットって言葉ができる。






ミスって当たり前、慎みを知って忘れなければ、それでいいんだよ。綺麗になろう、なりたいって日々の努力は相当のもんだろうね。嘘塗りたくりだね。

その努力を人間形成に回せば愚かな奴の数も減るんだろうけどね。「夢がないじゃないか」 それが夢だと認識すればいいんだよ。美は夢だよ。

人は夢を追うんだね。美しいものに心奪われる。そういう類(たぐい)のものであると認識すればいいんだよ。事実ではないんだよ。






だから、それらを以って人を貶したり甚振ったりするもんじゃないんだよ。其れを知らぬ奴は、人間の質を疑われるんだよ。























「いつも見た目優先のおまえの台詞かよ」 だからオレの人間の質を疑われてるよ。疑う者は疑え。「なんや、その物言いは」 いいじゃないか。

人間なんて奇奇怪怪なる生き物だからね、一つや二つのことで、その実体を解ろうはずも無いんだよ。解明不可能だよ。

「じゃあ、貶したり甚振ったりする奴も一様ではないだろ?」 そら、そうだよ。ドアの中の自分しか知らぬことだよ。そういう話だよ。














『DELL S2715H 』








DELL S2715H [27インチ ブラック] って27型のグレア(光沢)モニターが出たね。 強力なデュアルスピーカと強化された機能を備えて

IPSパネルに解像度フルHD(1920x1080))\33,458(価格コム)安いね。

I-ODATA LCD-MF272CGBR [27インチ ブラック]が)\60,458(価格コム)が本命だけど、買い易い値段が魅力だね。







グレア(光沢)だと「今時、グレア?」って馬鹿にして笑う奴が居るけど、今時も糞もあるかっ。自分が選ぶのに誰に合わせとんねん。

映画や画像観るならグレアだよ。女性のお尻も艶やかよ。「おまえ、なにを観てんねん?」 動画流す奴に文句云え。

輝度を落とせば眼にも優しいよ。かなり落としても綺麗なもんだよ。映り込みなんて気にならない。集中力の問題だよ。「何に集中してんねん?」







もう、あの世に近いおっさんが16時間連続で画面見てても平気だよ。ちっちゃい活字も読んでるよ。画面がガラスって感じがいいよ。

安い奴が出て来て誘惑しよるのは辛いねえ。誘惑に負けそうになるよ。

今、I-ODATA LCD-MF272CGBR [27インチ ブラック]の前身の型を使ってるんだけど文句ゼロだからね、やっぱり本命狙いだね。














『I-ODATA LCD-MF272CGBR』








デザインが最高だよ。「おまえは見た目に弱いからね」 中身も実証済みだよ。グリーンジャンボ当てて買うことにしよ。「当るかっ」

しかし、値崩れせずに頑張ってるね。もうちと落ちてもいいんだけどねえ。待ってる身には涎(よだれ)も涸れるよ。

価格推移表を見るとドンと落ちるときもあるみたいだけど読めないよ。去年の12月に51.800円になった時もある。12月だねえ。























なんで、こんなに寒いんだよって思ってたら窓開けっ放しだったね。震えっぱなしだよ。「肺炎なるぞ」 庇いまくるから病気になるんだよ。

厳しい環境に慣れることだよ。でも、ホンマに寒いよ。窓、閉めよ。「暖房入れろよ」 ヌワア~とした糞鬱陶しい空気が好みじゃない。

昔の石油ストーブは良かったよ。ストーブを跨いで下から上がる熱に温められるんだね。暫くするとズボンが熱せられて脚に触れると熱(あつ)気持ちいい。







「危ないんじゃないか?」 その限界値を測れん奴は火達磨になるんじゃなかろうか? オレは、其処から物事の加減ってものを知ったよ。

ヤスモンのポリエステルのズボンは穴が開きやすいのも解ったよ。「限界値を越えておるではないか」 失敗して賢くなるんだよ。

何を遣っても格好いい奴ってのは、そんな失敗も多く経験してんじゃないの? 何ごとも表裏を知って我が身となるもんだよ。







「生まれつき格好いい奴ってのもいるだろ?」 そんな奴は、充分に気をつけて生きねばならん。お返しがキツイ。「ホンマかいな?」

えらいもんだね、寒くなくなったよ。「当たり前やろ」 世に当たり前なんてないんだよ。そういう時はありがとうだよ。「いちいち煩いおっさんやね」

小雨が降ってるのかな? 地面が湿ってるね。煙草が心もとないよ、面倒だね、買いに出ねばならんじゃないか。







「買わなきゃいいんだよ」 死んでしまうよ。「吸うから死ぬんだろうが」 馬鹿だね、そんなの信じてるの? 

それが本当なら人類は、もっと減ってるよ。増えとるじゃないか。煙の中で育った団塊の世代も、もう要らんようなっても減らんではないか。

年金問題がどうたらこうたら困ってるわりに生かそう生かそうと躍起だね。煙草も、シートベルトも、自転車ヘルメットも放っときゃいいんだよ。







死にたい奴は死なせてやればいいんだよ。お役御免だよ。縛りまくって生かして働かせて、老後の自由ぐらい本人の好きにさせてやれ。



























カメレオンの独り言-1378 『映画 栄光のル・マン 24時間耐久レース』

2015年03月06日 | 日記







 『栄光のル・マン』1971年(昭和46年)公開アメリカ映画 2015年3月6日







『栄光のル・マン』 スティーブ・マックィーン主演のカーレースの映画なんだけど、当時は、大画面の70ミリで上映されたんだね。

シネラマと記憶してたけど違うかったね。映画自体は70ミリフィルムでも、それを上映出来るスクリーンを持つ映画館が少なかったから、

普通のシネスコ(横長)で上映してた映画館のほうが多かったんじゃないかね? 






大阪では、難波高島屋2階のなんば大劇場は、その能力を保有してた。内装、外装ともに豪華な映画館で巨大なスクリーンだったよ。

階段状の席を設けて見晴らしがいい。向かいの南街劇場、道頓堀筋の松竹座では70ミリ大作を、よく上映していたけど実際の70ミリスクリーンではなかった。

梅田シネラマOS劇場は、大画面では最大だったから70ミリフィルムをシネラマサイズで上映したんだろうかね? デカかったよ。













期せずして1971年(昭和46年)当時の『梅田シネラマOS劇場』 レッド・サンが9月公開だから、この前後に「ル・マン」を上映したんだろうね。











『梅田シネラマOS劇場の場内』 レンズの加減かな? 遠近狭まってスクリーン部が小さく見えるけど実際は、もっと広々として大きい。








オレの記憶では、此の映画は、このシネラマOS劇場で観たように思う。OS劇場も席が階段状に儲けられて、前の人の頭が視界を遮らない造りだった。

当時は、お気に入りのスティーブ・マックィーンが格好いいしレースシーンも凄いとは思ったけど、然程、強烈な印象は残らなかったね。

考えたら物語自体は希薄なんだね。物語は、有って無いに等しいセミドキュメンタリータッチな映画だったんだね。





















ツタヤで借りたDVDを観て思い出したよ。当時は、なんとはなしに満足していたけど、見直してみると製作の意図が感じられて改めて良かったよ。

映画は、一度観たあとで暫くしてから、もう一度観ると意外と良かったんだねって思うことが多いね? 「一回で、よう観切らんのか?」 

そのときの心裡状態や体調なんかが影響して流してしまうのかね? 「体調?」 オシッコしたいのを必死で我慢して観るとかあるだろ?






下半身捻り込んで悶えているのに上半身は澄ました顔して画面に集中する、そんなアンバランスが体調良かろうはずがなかろうが。「トイレへ行けよ」

独りだから席を立てば戻ってきたら無くなってるよ。アヒッアヒッだよ、うっ~んっ、堪らんなあ~。

堪らん状態の山を越すと少し持ち直すもんだよ。何度か、其れを繰り返してると最大の山場が来る。思わずチンチン握ってるっ。あっあっあかんっ。

































「隣りの人に気づかれてんとちゃうか?」 こんな苦しいのに不自然さをカバーする演出も必要になってくる。

椅子の圧迫でケツが痛くなったような素振りで姿勢を変える振りで誤魔化す。内心は、もう、限界を超えているから絶叫挙げたいくらい。

これが、悲しいことに、いつもラストのクライマックスで来よるんだねえ。観なあかんし観てる場合じゃないし混乱甚だしい。






















































オレが、エンドクレジットで早々に席を立つときは、もう顔面蒼白の緊急事態のときだね。こんなの入れ替えなんかにトイレへ行ったら、

順番待つ間に漏れてまうわ。こんなのを考えると家でDVDを観るのは気ままでいいね。何の心配もないよ。

点けたり消したり、一時停止したり、お茶呑みながら、お菓子頂ながら、どうにでも出来るよ。






また、話が脇道に逸れたね。まあ、しかし、映画鑑賞には付きものの一つの話ではあるね。



















此の手のレース自体が好きで詳しい人にとっては満足する内容じゃないんだろうかね? レースはフェラリーとポルシェのチームの戦いに終始する。

夕方の4時にレースが開始され翌日の夕方4時までの24時間耐久レース。一台のレーシングカーを二人のレーサが交代で完走するんだね。

押し寄せた観衆も時間が経つに連れ疲れてくるんだろうね、一周13キロ以上の周回コースを爆音立てて疾走するレーシングカーを他所に






三々五々、それぞれ思い思いの憩いの時間を愉しむんだね。広大なレース場には遊園地があって、其の遊戯に戯れるもの、ゲームに興じるもの、

食事するもの、野宿して寝るもの、レースは長丁場だから緊張感に包まれつつ、のどかな雰囲気にも酔うんだろうかね?

主だった役者の台詞に意味深い内容もなく緊張と緩和の配合の中、たんたんと時間が進んで行くんだね。






それにスティーブ・マックィーンをはじめとして、誰もが、あまり喋らないんだね。男も静かなら女も静か。角が立ってもめることもない。

そのぶん、レースの映像は優れてるよ。追いつ追われつの猛スピード、もう少し、音楽を躍動感のある旋律にして欲しかったね。

バックグラウンドの引き立てが弱いんだね。レース開催地がフランスかして、流れる曲もフランス調だから眠たくなったら危ないよ。













































やがて天気は崩れて雨が降り出すんだね。此の雨のなかの爆走が迫力あって、そいでもって綺麗なんだね。水しぶきを煙のように跳ね上げて

それを尾を引くように走り抜ける瞬間の絵が綺麗なんだね。

ワイパーなんか役に立ってるの?と思ってしまうようなフロントガラスの向こうは真っ白け、300キロはあるスピードで突き進むんだね。






















































此の映画でも事故のシーンが何度か有るね。其の都度、そのドライバーの妻とか恋人とかが「なんの為に走るの?」 なんて間抜けな疑問を呈する。

何のために働くの?と似たような問いかけだね。「世を渡るのは大変だ、自分の得意とする運転で飯を食う」ってマックィーンがこともなげに答える。

嫌なら、サラリーマンとか商売人とか居るだろう? 何故、レーサーを相手に選んだの? 此れを、まず、答えろよ。格好いいと夢中になったんだろうがっ。






「おまえが怒ってどないすんねん」 腹立つんだねえ、ごっつい金を稼ぐんだよ。栄誉を掴むんだよ。好きになったら心中するつもりで腹括(くく)れっ。

世の中、エエとこ取りなんてないの。表と裏は、着いて回るんだよ。それが人生だよ。

勝負師なんてのは、笑うか泣くか、二つに一つだよ。男が泣いたら一緒に泣いてやれ。それが、おまえの存在の価値であって、それがおまえの仕事だよ。






















































しかし、この映画は、そんなのが、あんまりしつこくないんだね。あっさりしてるから許せるよ。映画によったら、とんでもない女が出てくるからね。

特に、警察、刑事ものの映画に出てくる女は、犯人より先に、この女を撃ってまえと思いたくなるのが出てくるんだよ。「無茶苦茶いいよるな」

「あなたは仕事ばかりっ心配するだけの妻なんてツマらないわっ」 なんてヒス絶叫かましておいて浮気してる。散弾銃でぶち殺せっ。























































マックィーンは、前年の大会でフェラーリの1台と衝突してリタイアし、相手のドライバーが死亡するという悲劇を経験しているんだね。

今回も、サーキットから飛び出したフェラリーチームの一台が爆発炎上しドライバーが重傷を負う。

この事故現場の脇を走り抜ける際、ほんの僅かの脇見でコーナーを回った瞬間、周回遅れの車が目の前に現れてクラッシュ、派手に車は粉砕する。






幸いマックィーンは軽傷で済むが自分の車を失ってレースの出番は無くなる。レースは、いよいよ終盤、フェラリーチームとポルシェチームの一騎打ち。

互いの2台が、1位、2位で競り合ってるんだね。やがてフェラリーの1台のタイヤがバーストして離脱、ポルシェが1位を突っ走っている。

残るフェラリーの1台には名ドライバーが乗っている、1位の後ろにピタリと着いている。






最終、両チームがピットイン、双方ともに車の機器の調子がおかしく懸命の修理。ポルシェ側監督は、マックィーンを呼びに走る。

「なんとしても勝ちたいっ次の車に乗ってくれっ」 修理を終えた双方の車がレースに戻る。寸秒を争うんだね。

ポルシェの2位の車がピットイン、ドライバー交代でマックィーンが乗ると爆音立っててレースに戻る。先頭を追うんだね。



















1位のポルシェを2位のフェラリーの名ドライバーに抜かさせない作戦だね。監督は、マックィーンの腕を見込んで復帰を要請したんだね。



















1位を追って爆走するフェラリー。後方を気にするフェラリーの名ドライバー、マックィーンが来ることを悟ってるんだね。

バックミラーにマックィーンのポルシェが映る。凄い追い上げを見せるマックィーン。













































此処から最初に貼った画像13枚のシーンに繋がるんだね。




































































































































































































ポルシェ22番、フェラリー8番、ポルシェ21番のデッドヒート。



































抜きつ抜かれつの攻めぎ合い、前に出してなるかとマックィーンポルシェがフェラリーを遮り1位ポルシェを煽る。

この辺の描写は、なかなかのもんなんだけど、ホンマに危ないね。此の映画の撮影でF1レーサーが脚切断する事故を起こしたらしいね。

まあ、車好きでないオレから云わせれば、一言、馬鹿だね。何のために走るの? 「おまえも云うとるやないか」 あっ、ホントだね。






久しぶりに悪い病気が出たね。貼って、貼って、貼りまくったね。「最期は、どないなんねん?」 なるようになるんだよ。






好きなんだろうね。好きが突き動かせるんだろうね。理屈じゃないんだよ、好きなことに我を忘れて没頭する。

のめり込むんだよ。死んでもいいってエネルギーが燃え盛るんだろうね。其処には、何ごとにも変え難い快感がある。

ぶっ飛んで、ぶち当たってバラバラに粉砕されて火達磨になっても、本人は、意外と本望なのかもしれない。で、なきゃあ、走れないよ。


































『マックィーンに1位の座を阻止されたフェラリー8番の名ドライバー役 ジークフリート・ラウヒ』


































































『F1ドライバーの夫を事故で失った未亡人役の エルガ・アンデルセン』










『マックィーンは、この未亡人が好きなのか? 台詞があまりないから解らんね』








「子供のおまえには解らんだろうね」 マックィーンが気遣ってるのは解るよ、なにせ事故の相手は自分だったんだからね。

映画は、歓喜に包まれるサーキットの人ごみのなか、この二人の表情をアップで捉えて終るんだね。





























カメレオンの独り言-1377 『読者になるというボタン』

2015年03月03日 | 日記







 2015年3月3日







人は、自分自身を日々どう捉えて生きているんだろうかね? 人それぞれに異なって多彩なものなんだろうか?

そんなのを今更のように考えるときがあるよ。自分の視界に入らぬ自分は、常に対する人に集中して視認しているね。

対する人も同じく自分は視界にない。しかし、自分の様子や仕草などは脳の映像が捉えて把握している積もりなんだけど果たして正確なんだろうかね?







自分自身のあらゆる情報(人間を形成している全て)の集合体から自分の像を入力して脳裡で分析して自分なりの姿を意識してんだろうね。

時折、鏡やガラスに映る自分の顔や姿やらと確認はするね。念入りにしてるときもあるね。よし、こんなもんかってね。

脚が短いと感じて凹むと姿見斜めにして脚を伸ばすこともままあるね。「おまえだけじゃっ」 







そうして修正したスタイルを脳味噌に入力したりするから実際と思い込みにズレを生じて狂うんだね。姿見斜めで歩いてる自分がいるよ。

で、実際に脚の長い奴が眼の先に来て錯覚を思い知らせよる。姿見斜めで買って満足の衣服の価値がどん底へ落ちる。全てが馬鹿らしくなる。

「なんで外見の話に偏るんだよ、中身の話に展開しろよ」 学歴、成績優秀は金に限りなく近く親しくなるってだけのことさ。







根性が浅ましくなるのと隣り合わせの価値だよ。高慢ちきでも構わない、それらしい人間を徹底できるかどうかを問われるよ。

「知識、教養は?」 使いようだね、其れを使う術を心得た人間性を問われるよ。

それらは、人間性とバランスがとれて、その人の身となり骨と成るものだよ。知識、教養が、勝手に歩く訳じゃないからね。







賢いだけで思考力が欠如したような、人間向上を忘れたような人に限ってヘンな高ぶりを示すんだね。人を不快にさせるだけだよ。

こんなのと比べたら、アホなオレのほうが可愛いよ。「どこがやねん?」 高ぶりたいってのは困ったもんだね。

それなら、時代は変わってパソコンで間に合うよ。同じ賢いだけなら静かで格好いいパソコン相手にするほうがはるかに有益で神経にも良い。














『3月1日 日曜日 雨』










土曜日、天気は春日和、残業終えて、明日はお返しがあるだろうと思った通り、日曜日は、朝からずうっと雨だったね。

夜になっても雨ん中を傘をさして人は行ったり来たりと往来しているね。雨ん中を何処へ行くんだろうかね? 考えられんなあ。「なんでや?」

濡れるがなあ~糞鬱陶しいことやで。靴もスラックスの裾もベタベタになるがな。







春になったら出歩こうと思ってるけど、雨の降る日までは、余程じゃないと出掛けへんでえ。出かけるのは晴れた日に限る。

昔、親父の仕事の配達を手伝ってたときは、自転車で走ってると降り出してビションコに濡れて配達先のお店の中で子供なりに気を使ったよ。

「小降りになるまで、暫く、其処へ腰掛けて待っとき」って、行ってくださるんだけど店先でビションコの姿でお邪魔できないからね。







お礼を云って雨ん中、自転車ブッ飛ばして帰るんだよ。時速20キロだよ。「なんで速度が解るねん?」 そんなもんだよ。

乾いた舗装路を大人が普通自転車でおもくそ漕ぎまくって30キロだよ。子供が、顔面に雨水飛んでくる中をおもくそ漕いでもしれてるよ。

そん時のオレは、軽く40キロは飛ばしてる積もりだったけどね。当時は、水爆実験が盛んだったからね、放射能の雨を目一杯被ってたわけだよ。







最近、頭の毛が薄くなってきたのは、そのせいだよ。「歳のせいやろ?」 甘いねえ、セシウムだよ。「解ってんかえ?」 解らん。

顔に雨がぶち当たると苦しいから口を開けるんだよ。死の灰を呑んでたよ。眼にも入る、死の灰の目薬だよ。

昭和前半生まれの奴は、みんな、死の灰を被ってんだよ。禿げた頭ですぐ解るよ。「アホ、歳で禿げてんだよ、自然禿げだよ」 気休めか?





















難波の南海通りや千日前筋まで帰ってくるとアーケードの下へ逃げるんだよ。もう、全身濡れネズミだけど、家の近くってことでほっとするんだね。

南海通りのアーケードに入ると右手の映画館(名前が出て来ない)で、千日前筋のアーケードへ入った時は、スバル座の前で看板や写真を見るのが定番だった。

身体が熱いから湯気がでる時があるんだよ。子供の時はいいねえ、なんにも気にならない。ビションコで展示されてる写真に見入って夢の世界だよ。







そんなオレを、ジョン・ウェインやジュリーアンドリュースやプレスリーやシナトラやらが笑って見てんだよ。「頑張ってるな」って云ってんだよ。

古~い付き合いだよ。たしか、スバル座の向かいには居酒屋のたよしが在って、不二家も在ったように思うんだけどねえ?

毎度、見てるのに個々には記憶に残らないんだね。でも全体的な雰囲気は残ってんだね。満足すると脇道に入って堺筋に抜けて帰るんだよ。







配達の行程が厳しいほど、親父の仕事を手伝ったって意識が大きいんだね。だから、雨にやられた日は、オレの勲章だったよ。(下の写真はそれから6~7年後だね)














『1967年(昭和42年)の大阪難波 左の建物は南街劇場、右側は精華小学校、喜八洲酒饅頭店の上に掲げられた映画看板』 平野屋が在ったね。























映画の大看板には、『佐々木小次郎』東宝 尾上菊之助、司 葉子、大空真弓、星 由里子、三橋達矢、長門 勇、仲代達矢。

『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』大映 『宇宙大怪獣ギララ』松竹。いずれも1967年(昭和42年)3月以降の公開だね。

洋画のシネラマの広告があるんだけど薄くなって解らんね。












『昭和44~45年 千日前 左はアシベ大映側、右は千日デパート』北から南を撮影












『昭和44~45年 同上 アシベ大映側』 市電が廃止になる頃だね









此の下の千日前の写真は、撮影された角度が、ちょっと珍しいと思うよ。貴重だよ。「何処から盗ってきた?」 人聞きの悪い物言いすんな。

ちょっと、けつまづいてこけたら落ちてたよ。少しでも多く見て貰ったら撮影者の努力も報われるよ。「都合のええ解釈やの」

中央の通り(千日前筋、大劇通り、どちらが正しいのかね?)にアシベ劇場の看板が見えるね。角引き回しだと思ってたけど違うね。






この汚い賑やかなビルの向こう側になるんだね。此のビルの地下に「ユメノクニ」ってキャバレーが在ったんだよ。

「化粧お化けの女性たちが店先で並んでたってやつか?」 失礼な云い方だね。「いつぞや、おまえが云うとったやないか」 そうだったかね?

当時の年頃だったかね、このアシベ劇場の前辺りに焼き栗の屋台さんが居た。いい匂いが漂ってんだね。天津甘栗だよ。






オレが親父の仕事の配達帰りにね、其の前を通りかかったとき、千日デパートと国際劇場の間の通りから数人の男たちが足早に寄って来て

「おらあっ、誰に断って出しとんじゃっ」なんて怒鳴って、火を熾してる屋台を引っくり返して辺りは煙と栗だらけ。

口々に怒鳴って凄い剣幕、屋台のおじさんは呆然としてんだね。オレも呆然、周りの沢山の通行人も呆然。仁義なき戦いの世界だったね。













『1957~9年(昭和32~4年)千日前南東から北西側を撮ってるね』上の写真の逆向きだね。









オレは、気がついたら無意識に遠ざかってたね。逃げる態勢だよ。無茶しよるなあって動揺してんの。おじさん可哀想と思いながら帰ったね。

「放ったらかして帰ったんか?」 当たり前やがな、ガキに何ができるの? くわばらくわばらの世界だよ。

そういえば、当時は、ヤクザ風の人の姿が多かったんじゃないかね? あちらこちらで屯(たむろ)してんだね。






オレが自転車押して通りを歩いてたら「おう、ボウズ、何処行くんや?」笑って声かけてくるのは、そういう感じの人たちだったよ。

で、オレは「お父さんのお手伝い」なんて答えてたね。「そうか、気ぃつけて行けよ」なんて、いい人たちに思えたよ。

オレは、怖がりで臆病なのに、声かけられたら相手の顔見てハッキリ返事すんだよ。そいで「さいなら」って云って手を振るんだよ。






「さようなら、だろ?」 大阪人は、さいならって云うんだよ。「おまえだけとちゃうんかえ?」 みんなだよ。

「昔も、おまえは変わってるね」 青年になっても、〇〇ちゃん、〇〇ちゃんって、ごっついヤクザな人が、安心な顔していちびって喜んでいたね。

「なんやねん、おまえは犬コロか?」 知らんがな。子分みたいな若い人何人も引き連れてんだよ。其の人たちも、みんな笑顔なんだよ。






なんか、守られて生きて来れたのかも知れないって想う時があるんだよ。守って貰えるほどの人間じゃないんだけどね。














『1962年(昭和37年)堺筋長堀橋(手前)と長堀川』 プリンス広告後方にP自販売の建物があったけど、今は、もう無いね。









今日、gooのメールを開いたら、いつものgooからのメールじゃないのが入ってるの。「あなたの読者になります」ってお知らせなんだよ。

なんなの? どういうことなの? こんなの初めて貰ったよ。見て頂いてる方からだね? わざわざ、お知らせ頂いたんか?

訳解らんなあと思って、あちら此方を探したら、はあ~ん、解ったよ。左側にオレの男前の横顔のシルエット貼ってるプロフィールの欄がある。






「自分で云うかあ?」 自分で云わなきゃ誰が云うねん。其のシルエットの下に「読者になる」って、ボタンがあるんだよ。

此れをポチッと押すことによって数字になって表れるんだね。オレのブログの読者は「1」だよ。ケッサクだね。

じゃあ、この方が押してくれなかった今までは「0」かよ? じゃあ、オレんとこ開いてる訪問者さんは、ただの冷やかしかよ? 力が抜けるね。






人を落ち込ませるようなボタンを設けるなっ。gooのいちびりが。あちこち人寄せのボタンだらけじゃないか。






「しかし、冷やかしのわりに、凄い閲覧数ではあるね」 それが不思議だよ。コンビニの立ち読みのサクラかよ? 訳解らんわ。

「だから、云ってるだろ、書いてる奴も、その内容も古いから読んでくださる皆さんも古い方なんだよ」 ほんでえ?

「だから、ポチッなんてしないの、おまえだったらするかあ?」 なるほど。「この方もスクロールの際に迂闊にクリックしてしまったんだよ」






「ちょうど、其処がボタンの上だったんだよ、きっとマウス慣れしてない古い方だね」 おまえ、勝手に失礼な推理すんな、アホ。

この方は、女性だぞ。「なんで解る?」 メールに「あなたのブログが読者登録されました」なんて出て、其の方を紹介してあるんだよ。

その下に、その方のブログに繋がるうっう~う~ん、こんなのを何て云うのかね? 「誰に聞いてんねん?」 クリックしたら繋がるんだよ。










 『ミルキー・ナナ』










ニャンコ好きって写真紹介してニャンコの気持ちで書かれてるブログあるだろ? そんな筆者の方なんだよ。「おまえのほうが失礼だろ?」

題名が「我が道を往く」ってんだよ、気に入ったねえ。「その人がか? ニャンコがか?」 ちょっと待って、見直してくるよ。

お待たせしました。「行が変わっただけやないか」 白いペルシャ猫のナナちゃんが「我が道を往く」だね。一匹狼のオレと通じるものがあるね。






この方は、きっと綺麗な人だよ。「関係ないやろ」 いやね、写真が上手だよ、綺麗に撮れてるんだよ。丁寧な人柄がうかがえるね。

なんにしてもだよ、こんなオレの駄文の読者になるって気紛れでも嬉しいもんだよ。

瞬時でも、そんな気になって頂けた思いを裏切らない駄文を書き続けねばならん。ありがとうございます。ナナちゃんと一緒に見てやってください。






話のネタにしてしまうことが、果たして、良いことなのか悪いことなのか、藁(わら)をも掴む今日この頃だね。

「そのわりにペラペラと長々喋るね」 週、単発の更新に切替えた効用だよ。日を跨いで書き上げることができるから救われるよ。

さああ~待ってろよ~岩窟王が、いよいよ、外界にお出ましになるよ。「おまえのことか?」 そうだよ。モンテ・クリスト伯じゃないよ。






ナナちゃんの飼い主の方みたいに、丁寧な綺麗な写真を撮りに出かけるんだよ。期待しておいてくれ給え。「誰に云うてんねん?」 誰とはなしに気合だよ。






























カメレオンの独り言-1376 『映画 オールドボーイ 趣味の悪い復讐』

2015年03月01日 | 日記







 『オールドボーイ』 2015年3月1日








毎日、毎日、同じパターンで追われるようにして過ごしてたので小休止すると調子が狂うね。でも、のんびりできるから幸せだね。

駄文自体は、今のところは、毎日気を張って書き続けてた日々と同じく、二日にせよ三日にせよ間を空けても考えるのに変わりは無い。

春になって、ウロウロ外に出かけて発想の何かが変わればいいのにね。「何かって何や?」 そんなん解るかいな。






レベルの高い人からすると、大層なことを云うとるわってお思いでしょうが、低いものには低いなりに迷うもんでぇございやす。「またや」

お笑いくださいませぇ、人間、迷い迷い、生きて往くもんじゃあございやせんかぁ? 「誰のつもりで喋ってんねん?」 

何を隠しやしょう、鶴田浩二って、けちな野郎でぇございます。今の世の中ぁ、右も左も、真っ暗闇じゃあ~ございませんか。「なんのこっちゃねん?」






西は、和歌山の紀ノ川沿いで子供が刺されて殺されて世間が吃驚冷めやらぬうちに、東は川崎の多摩川沿いで子供が首を切られて突かれて殺される。

いったい何をやっとんねん? いいことを教えよう、どうしても殺したかったら、まず、自分を殺せ。欲求も晴れれば害にも及ばん。

なんなんだろうかねえ~? 改めたい気持ちがあるならば、まず、言葉を改めろ。努めてきれいな言葉を使え。人は、言葉から崩れ堕ちることを知れ。






些細なことが原因なんだよ。若い時は粋がって言葉を崩す、言葉を崩すから行為が雑になる。行為が雑になると粗くなっても気づかない。

精神が荒廃する第一歩だよ。作り言葉でもいいからきれいな言葉を使っていれば慣れる。日々の積み重ねを軽く見てはいけない。

癖にしろ。習慣になれ。そして、いつしか、それが本質になるんだよ。言葉が人を創るんだよ。自分を律することを覚えるよ。






人も生暖かいところでは腐るんだね。自分に課して寒風の川原で裸で耐えろ。人間が生きて往くための基礎を身体が覚えてくれるよ。























世の中には、もともと残忍冷酷を本質とする人が居るんだろうかねえ? 救えない人ってのは、それに負けない心を養うことだろうね。

「おまえも言葉がきれいとは云えんで」 そうでしょうか? 「急に上品になるな」 使いこなせれば、其れはそれで操作能力があるんだよ。

つまり、言葉で人間性に影響される段階を突破した完成品だよ。今のオレが精進せねばならんのは表裏の無い人だよ。「あるのか?」 ちょっと。






「善い人が悪い人にもなれるってことか?」 反対だよ。悪い人が善い人にもなれるってことさ。「完璧な悪やないか」 そうか?

オレの場合は知恵が邪魔するんだよ。使わずにおこうと律してるんだけど思いとは裏腹に知恵走りするんだよ。オレが生きる武器だったからね。

猿と一緒だよ。「お前は、自分を上げてるのか下げてるのか解らん奴やね?」 それが知恵だよ。






「その知恵の極意を云ってみろ」 う~ん、一言で云うならば、自分の置き場所を心得ることさ。「不動じゃないのか?」 浮遊してんだよ。

雲と一緒さ。白にもなれば黒にもなる、怪しく正体が解らんグレーにもなるし、スカッと晴れたら遠慮して消える。

「いつか、息子に、おとんは実体がないねんって云われた話をしていたな?」 よう見とるで、流石だよ。 「自慢できることかあ?」






基本とするところはね、人が心地良ければ、それでいい、これだよ。「おまえは?」 人が喜んで悪くいくことはないよ。













『エリザベス・オルセン』









『オールドボーイ』って映画を観たんだけどね、オレの勘は、まだ、ボケてなかったよ。

後半に入った頃から、これは韓国映画のリメイクじゃないんかなって思ったの。で、観終わって検索してみたら、やっぱり、そうだったね。

なんか、泥臭くて血なまぐさい展開だから、ふっと「悪魔を見た」って韓国映画が過(よ)ぎったよ。でも、原作は、日本の漫画なんだね?






バットやナイフを持った大勢のチンピラを相手に金槌一本で戦うシーンがある。どいつもこいつもボコボコにどつきまくって相手は全滅。

でも、主役も背中にナイフを深々刺されてる。其処へ新たに大勢が現れて、もう、あかんやろって思ってたら視界を塞ぐ扉が開いたら、こいつらも全滅。

もう、滅茶苦茶に強すぎる。自分で背中のナイフを引っこ抜く。別に格闘家でも傭兵でも特殊部隊上がりでもない普通の男なんだけどね。












『ジョシュ・ブローリン』



















風呂もトイレもベッドもテレビもある部屋に監禁されて、自分が、離婚した元妻を強姦して殺して逃走したとテレビのニュースが騒いでる。

監禁されるまでは、だらしのない酒びたりの不良サラリーマン。訳解らぬまま20年間監禁されるんだね。

20年後、気がつけば、狭い箱の中、おもくそ蹴飛ばすと大きなトランクの蓋が開く。太陽が眩しい。野原の真ん中で解放されるんだね。












『オールドボーイ』 2013年アメリカ作品








スーツ姿に着替えさせられ散髪してスッキリした男(ジョシュ・ブローリン)、時代は進んで携帯と札束が用意されてる。

箱から辺りを見回すと野原の向こうに黄色い傘を差した女性が居る。20年前に見た女、男は、箱から飛び出しざま、

見覚えのある女を追跡するんだけど見失う。多くの人が行列する中で混乱する男、其処で医療ボランティアの女性(エリザベス・オルセン)と知り合う。























自分に濡れ衣着せて元妻を殺した奴を探さねばならない。幼い一人娘は助かって養女に貰われ、今ではチェロ奏者で有名になっている。

監禁された部屋で、其の経緯を伝えるテレビ番組で成長した娘を観て歓喜するシーンがある。何でもええけど、粗筋は、ホンマに鬱陶しいね。

「粗筋程度は映画紹介には必要だよ」 オレは、もう知ってるんだよ。「当たり前やないか、読んでる人は解らんやろ」 面倒で歯がゆいんだよ。
 





終らないんだよ。粗筋は、他所のブログなどで読んでもらって理解した上で、オレのブログを覗いて欲しいよ。「なんちゅう奴や」

オレに云わせれば、この映画はだね、近親相姦が発端で近親相姦で復讐する計画の行程上、20年間の監禁が必要だった。

それは何故かというと男の娘の成長を待つためなんだね。親娘の近親相姦を目撃されて吹聴された学校経営者が散弾銃で一家無理心中する。






弾丸が急所を外れて一命をとりとめた息子(シャールト・コプリー)が、目撃した事実を吹聴した男(ジョシュ・ブローリン)に復讐するんだよ。

つまり、男にも近親相姦をさせて親父と同じ苦しみを味あわせるためなんだよ。財産家だから金は困らない。趣味の悪い計画だね。

懲り過ぎだね。馬鹿みたいな復讐だよ。映画だから20年間でも、アラヨで終るけど、実際だったら忘れてしまうよ。「執念深いんだよ」












『シャールト・コプリー』と謎の女性 この女性が強いんだね。








そもそも、親父と娘の不埒な関係がことの起こりだからね。学生時代の男の軽はずみな吹聴は、若気のいたりってとこがある。

学生時代の友人がバーを経営してんだけど、男は其の友人を頼って現れる。この友人が、舌切り取られて殺されて一番迷惑被ったよ。

この友人と医療ボランティアの女性にも協力してもらって謎解きに奔走するんだね。背中のナイフの傷も、此の女性のお陰で治癒する。










































モーテルで二人きり、風呂上りの裸身にバスタオル姿で男の傷を手当てするんだけど、ハラリと落ちかけるバスタオル、ええねえ~色っぽいねえ~。

堪らず男は女性を抱き寄せる。大きな乳房がむぎゅう、ハラリと落ちるバスタオル。ええねえ~。

男も女も衝動的に、もう、あかん、我慢できないっ。ええねえ~。もう、理性は飛んで動物の世界。ええねえ~。











『今回の写真は、特別大サービスだよ』
















































二人の激しい姿が、壁一面のモニターに映ってる。「なんや? なんでや?」 盗撮されてんだよ。

ラスト近く、娘を囚われた男は、突き止めた復讐鬼と化した息子と対峙する。地下に案内されてチェロの音色が聴こえるほうへ駆けつける。

テレビで観た娘が、眼を腫らしてチェロを弾いている。ガラス張りの向こうの娘に復讐鬼は「もういい」と指示する。





















娘は、眼の周りの腫れた痣をハンカチで拭いはじめる。男は、すぐには理解出来ない。痣を拭い取ると娘は席を立ち、さっさと姿を消す。

復讐鬼は、笑いながら、計画を成り立たすために10歳の時から雇っていた娘だと説明する。じゃあ、チェロ奏者の女性は娘じゃないのか?

呆然としている男に復讐鬼は、監禁部屋のテレビの放映は自分が創ったものを流したと説明する。





















もう、ゲームはやめろっと激昂する男に、復讐鬼は壁をモニターにして男の元妻が強姦されて殺されるシーンを見せ付ける。やめろっ。





















そして、男の愛娘が映る。成長した娘が映る。そして、それは、医療ボランティアの女性だったんだね。モーテルでの情事が映し出される。

男は、信じられない展開に茫然自失、泣き伏し、オレを殺してくれと哀願する。その苦しむ姿を見たかった。

目的を果たした復讐鬼は、勝ち誇って銃を口に咥え込むと引き金を引く。なんと、まあ、後味の悪い結末なんだろうかね。趣味の悪い映画だね。





















書くのを忘れてた。そんなに都合よく親娘がめぐり合い、謀ったように肉体関係に堕ちるかあって思うでしょ?

野原の真ん中でトランクから出て黄色い傘をさした女を追うね、これは、まず、娘に会わせようという姦計なんだね。

でも、それだけで関係が発展するかあって思うでしょ? ここからは、娘の性質、性格、志向性を利用したゲーム要素の可能性を愉しむんだろうね。






困っている人を捨て置かない慈愛の心を悪用してんだね。貧しい人たちを助けるべく医療のボランティアで活動する心優しい娘なんだね。

双方が気付かない分け合った血の引き合う力も働くんだろうかね? 

20年の空白に戸惑いながら必死に真実を探し求める男に同情するであろう思惑通りの展開を見たんだね。






それに、この男は、監禁されるまでは女好きでだらしのない奴だったから、まずは、成功率50%の確率は計算できたんだろうね。情けないね。






この韓国版を観てないから決め事云えないけど韓国映画って、こういう陰湿で残酷な映画を創るのが上手いようだね

「悪魔を見た」なんかでも残虐さが徹底してたもんね。いやでも想像せずにはおれん描写の手腕が冴えてるよ。

アメリカは、此の手の描写力ってのは、よく頑張って 「ゴッドファーザー」 レベルが精一杯ではないんかいなあ? 「怒りよるぞ」























2月も去って3月に入ったね。もう、春だよ。人生、なるべくは明るく健康的に生きたいもんだね。





























カメレオンの独り言