![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/c8/0b664bb3ebbafdec13cb39ce2fc717a4.jpg)
『柘榴坂の仇討ち』 2017年2月12日
此の2~3日、立て続けに時代劇を見続けていたよ。同じ映画だけどね、何故か、感性に合うのかして独り感動しておったね。
為さねばならぬ自分に忠実なるところが、何故か似てるって感じてるんだね。
人生の長い道のり、辻褄の合わぬことに付き合って流れるように生きて、其の年月を無為に潰して、ただ、生き続けて年を喰う。
オレの人生は、そんな当てのない生き方しか出来なかった癖して泣き言は云わぬと明日を信じて生きている。
切り替える、思い直す、踏み越えるってことが出来なかっただけなんだろうね? 変わらぬままに生きているって感じだね。
生きる価値とはなんだろうかね? 人は、語り合って話し合って他を知って自分に気づく、縁ある人々に恵まれて在るのかも知れんね?
貝の口を結んで言葉を殺して自分を騙す。無責任な言動は我が身の隠れ蓑、根に蠢(うごめ)く己は何者なんだろうかね?
大した中身ではないけれど、もうちと、まともに頭の働く男で生きたかったなあって思ったりするんだね。
自分を知らぬままに、ただただ生き長らえただけの自分じゃなかったかねえ? 思えば、迷子の道を彷徨う自分を見るようだよ。
人生を捨てる、自分を捨てる、そんな生き様を見ていると、為さねばならぬ道は捨ててこそ生きる道へと重なりて続いて在るものらしい。
『柘榴坂の仇討ち』 中井貴一 阿部寛 広末涼子
「おまえは拾うことが出来るか?」 拾わねば捨てることになる。ここまで来たら、もう、どちらでもいい。
道は、然程を残さずして向こう先も見えてきたようだよ。腐ったような種をば路傍の土肥やしにでもなればよし、パッパラッパと撒く。
「あかんでえ」 雨が降り、風が吹き、鳥たちがついばみ、運が良ければ、それらが運び招いて土に馴染んで根を育むこともあるだろ?
まあ、そんなことを考えながらだね、以前にも、ほんの少し紹介した映画 『柘榴坂(ざくろざか)の仇討ち』を書き足しておこうか。
映画は、二度、三度、観て納得する作品があるね。でも、何度見ても箸にも棒にかからん大根が混じっておるねえ。「誰や?」
云わんでもええ。「大物か?」 大柄だよ。「大柄で小物か?」 具体的に云わんでもええ。「帽子被っとるな?」 云うな。
浅田次郎による短編集『五郎治殿御始末』(ごろうじどのおしまつ)を映画化、彦根藩の下級武士 志村金吾(中井貴一)は、
安政7年の桜田門外の襲撃騒動の際、藩主である大老井伊直弼籠周り近習役の立場から外れて直訴を装う襲撃者を追うことに気を取られたが為、
その間に手勢(てぜい)の刺客が行列を襲い井伊大老を暗殺せしめた。取って返したその時には全ては終わっていた。
家中随一の剣術の腕を認められ、藩主である大老井伊直弼の近習に取り立てられた志村金吾ではあったが大失態の結末に切腹を願い出る。
彦根藩は、此の始末、金吾の罪を背負い自害した両親に免じて打ち首を取り下げ、
その代わりとして襲撃の刺客、水戸浪士たちを討ち、「直弼様の墓前に首を供えよ」と命じるんだね。
仇を探し全国を歩き回る金吾だったが、潜伏する水戸浪士たちは見つからず金吾は切腹を願い出るが「ご下命の撤回はない」と家老に言い渡される。
失意に沈む金吾だったが、妻のセツ(広末涼子)に支えられ仇討のため水戸浪士たちを探し続ける。
この広末涼子演じる妻のセツなんだけど時代劇のスタイルを越えない控えめなのがいいね。多く語らず静に徹してる。
中井貴一は、時代劇で役者ができる数少ない人だね。台詞まわし、姿勢、所作等、抜かりのない芸達者だね。
時間を贅沢にとった台詞のやり取り、一語一語が胸に響き染み入る重みと優しさを感じさせて絶妙だね。
桜田騒動から13年が過ぎた明治6年。既に彦根藩は存在せず新政府の改革により武士も姿を消して時代は大きく変わっていたんだね。
過ぎ去る年月とともに桜田騒動に関わった水戸浪士たちも捕縛されて刑場の露と消えた者など次々と死んでいき、残るは、唯々ひとり。
或る日、志村金吾(中井貴一)は、偶然に司法省の役人となっていた金吾の親友(大柄で嵩高くて大きな顔の額の狭い男)と出会う。
「誰やねん? 特徴が増えとおるではないか」 そうか、忘れてたので追加したんだよ。「そいつは誰やねん?」
此の映画の一番馬鹿らしい演出のシーンだよ。町ん中で侍崩れが恥かかされてんだね。やくざたちが虐めて「金返せっ」なんて責め立ててる。
「義を見てせざるは勇無きなり」なんて昔の元侍どもが加勢するんだけど安もん臭くて見てられないよ。
どこから引っ張ってきた役者どもや? お笑いのタレントか? そんな中に大柄で嵩高くて大きな顔の額の狭い男も居るわけだよ。
そいつが金吾に、刺客の生き残りの一人について知っている元評定所御留役の秋元警部(藤竜也)との面会の手筈を図ってくれるんだね。
その宅に訪れた金吾は、秋元警部(藤竜也)と対面してことの経過を聞き及び、何故、この場になって其の者を庇いなされるか?
「水戸の浪士どもは、誰も彼も覚悟の上、潔し最後だった」 打ち首にせぬは何故でござりまするかっ? 「無頼の徒ではない、国士ぞ」
やおら、金吾は刀を左手(ゆんで)に持ち替えるや鯉口切り込む姿勢で秋元に片膝進みたつ。「わしを斬るかっ?」
はたと我を鎮めて身を引いて下がる。「井伊直弼も安政の大獄にて多くの者を斬った、ともに国を案じてのことではないか?」
「国を想う者に不当な処罰を与えれば、誰も国を想わなくなる」という諭し聞かせるふうなりの秋元警部。
「命懸けで国を想う者を無下にするな」という井伊直弼の言葉と重ね合わせつつ女々しくも直弼の人となりに涙する金吾に「もう、云うなっ」
庭に降り積もる雪の中、寒椿の花が凍えるように静かに咲いている。秋元警部(藤竜也)は、縁側から火鉢の前まで歩み寄り来て
実直な金吾に 「お主は、忠義者よのう」 藤竜也も歳を喰って丸くなったね。
『柘榴坂の仇討』予告編
雪舞い散る駅舎の前で仇討ち禁止令の記事が載る瓦版を読む車夫、被る編み笠を遮って闇が動く。目の前に侍が立っている。
「おっと、どちらまで?」 「雪景色と云えば、やはり、桜田御門であろうな?」 「この雪では坂は登れません、勘弁してやっておくんなさい」
「さようか、某も桜田御門の雪景色など、もう二度とは見とうはない」 片膝立てて身を屈め正して車夫が待っている。「笠を上げては貰えぬか?」
編み笠を上げて顔を見せる・・・・「お乗りくださいやし、雪見、お伴致しやしょう」 「そうか、無礼をいたす」と車に乗る。
夜の町を人力車が走り出す、此の夜の町内を走る風景がいいね。長い町内を走り写すことは無理があるから工夫がされてるね。
「名を尋ねたい」 「直吉と申しやす」 「車を引く前の名を尋ねたい」 「佐橋十兵衛と云いやす」 「世間の目をくらませたつもりか?」
暗闇に提灯の灯りが沁み入るような白く染まった坂道を一歩、一歩と登りゆく。「此の坂は?」 「柘榴坂、でござんす」
「此れを行くと久留米の有馬様のお屋敷、其の先は備前中津藩の奥平様で」 「ほおう、詳しいのう」
「此の辺りは・・死に遅れた場所なもんで・・・」 互いが発する言葉の重みが沁み出るように流れて、「参りやす」
見応えのあるシーンだね。一歩、一歩と登りゆく雪坂の上に昔のおのれの姿が浮かび出る。
槍を奪い返され深手を負って雪の中、鮮血に塗れる手は脇差を抜くもおぼつかず腹切るはかなわず切っ先は地に転び落ちる。
直吉こと佐橋十兵衛(阿部寛)の胸中や如何に、13年の年月は、鮮血に染まった雪の中に凍えるように残るんだね。
坂を上がった辺りで 「もう、良い、止めて貰おう」 こと此処に至れば致し方なし、「其処元のご心中(?)頭が下がり申す」
注ー、「其処元のご心中(?)頭が下がり申す」って、どうしても聞き取れないんだね、なんて云ったのかね?
心術(しんじゅつ)心の持ち方、精神の働き 心宿(しんじゅく)思い遣り、情趣を解する心、なんて云ったのかね?
佐橋十兵衛(阿部寛)は、雪の中に座して覚悟を決めて 「存分に本懐を叶えられよ」と金吾を見る。
振り向きなおって 「立ち会わぬのか?」 「刀は、とうに捨てました」 「そうか、此れをお使いなされい」と大刀を目の前に置く。
「其処元は、脇差で戦いなされた」 「よう、覚えておいでじゃ」 金吾は、路傍の石の上に支度を置き振り返る。
「お名前をお聞かせ願えぬか?」 身を正して正座する十兵衛に対し、
「志村金吾と申す、掃部頭(かもんのかみ)さま、ご災難の折には、御籠(おかご)周り近習を相勤めおりもうした」
間の取りようが至って素晴らしいね。互いが鞘を払って、真剣が凍てつくしじまの空気をスパッと切り裂くような緊張感だね。
剣戟(けんげき)相応に一撃、二撃と刃(やいば)を交わして鍔迫り合い、渾身の一撃躱して金吾の脇差が十兵衛の懐に入って切っ先が立つ。
「何故、斬らぬ?」 腹から首筋に入って刃が止まる。勝負はあった、「御免っ」十兵衛が身を引いておのが大刀で自刃を図る。
体当たりして互いが転び大刀が飛ぶ、「勝手は、許さんっ」 13年に及ぶ長い年月が二人の肩にのっている。
「死に場所を見つけたり、斬ってくだされっ」 金吾の躊躇に 「彦根侍は親の仇もとれぬのかっ」 ぐっと金吾が脇差振りかぶる。
降り積もる雪の中、凍えるように静かに咲く寒椿の花が、この身が尽きるまで懸命に生きよと直弼の言葉が教えるんだね。
終わりにしたい、互いが父母を犠牲にして家禄はお預けの身となって辛酸なる日々、時代は変わって廃藩置県、全国の藩は無くなり
幻の如く彦根藩も消えた。忠義とは?脈絡にしがみつく生き様に疑問も湧く。二人に残るは、人と在りて生きる道と識る。
脇差を鞘に納め置き、「佐橋殿、時代は、時代は、確かに変わった。だが、武士を捨てることはない、その心を持ったまま
此の垣根を越えてはくれまいか?」 生きるも死ぬもやんぬる思いの十兵衛に金吾は生きる筋道諭し聞かせて
「生きてはくれまいか?」 十兵衛の頬から涙が零れ落ちる。其の道筋に沿うて 「わしも、そうするゆえ」
日本の時代劇は腐ってはおらんかったね。
佐橋十兵衛役の阿部寛は悪くはないけど、中井貴一と比べたら、まだまだ、修行が足らんね。「そんなこと偉そうによく云うね」
まあ、見様見真似の域を越えないところ、この境目辺りで苦しむんだろうね、垣根を越えていい役者になって欲しいね。
時代劇を腹で演じる役者は少ない。中井貴一も1981年の 『連合艦隊』から36年か、大した役者になったね。
出発 - Joe Hisaishi 久石 譲 - 柘榴坂の仇討 オリジナル・サウンドトラック
『1526回 柘榴坂の仇討ち』でも、ほんの少しラストだけ書いてるね。
しつこい風邪で、此の2~3日鼻水祟って鬱陶しい。治ったっと思ってたんだけど、おかげで、この映画、何度、繰り返し観たかね?
なかなか、いい映画だね。鼻をグズグズ鳴らして余計に頭が回らん、抜けているところも多々あるね、また、後で書き足そう。