カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1772 『明日のことのようで昨日のような今日の一日』

2017年02月28日 | 日記





 2017年2月28日






暖かいねえ、ポカポカとお日さんがベランダの特等席を温めてくれてるよ。キャンピング・チエアに腰を沈めて頭の中は空っぽだよ。

こいで良かったのかなあ、なんてのは考えない。良くも悪くも有り様のままさ。

振り返り見れば意味のない人生、諦めてるかと問えばオレなりには諦めたことがない。此れで良かったのかなという基準は何処にある?





何処にもないから諦めない。ふっふふふ、くたばるまで諦めない。いつでも来んかえ、相手になってやる。昨日も今日もオレは真っ新で生きる。

迸(ほとばし)り滴を飛ばして流れ落ちる滝は涸れることはない。行かんかえ、それでええんじゃ。

「無理してんじゃないか?」 正直に云ってね、オレも解らんのだよ。ただ、生きて来ただけかも知らん。知った積りでホントはなにも解らん。 



















仕事辞めてから2カ月を越えたか、おかげで心身ともに被さってたものが剥がれて落ちたように思えるよ。元気が復活してきたのかね?

ブログを覗いてくださる方々は、毎度変わらぬオレの駄文で、其の場の気分なりとも我を忘れて笑ってくださってるだろうかね? 

ゴミ箱引っ繰り返してゴミ拾うような、どうでもいいこと書き続けてるけど、フッと突然ね、やめようかって思う時があるんだね。





意味ないことを続けてる自分を疑う時があるよ。もうちと、まともなことでも書けんか? 無理を云っちゃあいかんよ。

思いを心にたたんで生き切って彼の世へ逝きすがらボロボロ破いて三途の川に撒き散らしてやろうか。「ゴミを捨てちゃいかんっ」

赤いの青いのが怒っておるわ。 「鬼やろ?」 黄色はおらんのか? 「信号か?」 生きた証の落書きだよ、でも、もう要らん。





喜怒哀楽のゴミだめなんぞ流れて消えちまえ。其の分は生きて果たした。でもね、言葉にならない思いは身に染みて離れるものじゃないよ。

















オレはね、彼の世へ逝くときは、一張羅のスーツ姿で挨拶するよ。「誰にや?」 まずは、赤、黄、青の鬼どもにだよ。

鬼どもが、自分の無様を水に映して、腰をすぼめてヒョウ柄の腰巻隠して恥を知れ。

恥に硬直しつつ上ずった声で 「な、なんで、そんな恰好で三途を渡って来るのだ」 身を正して挨拶するのが礼儀だろ。





ネクタイは無地に限るけど葬式用なんか用はない。靴はリーガルのウィングチップだよ。間違っても三角頭巾なんか頭に着けるなよっ。

センスのない見苦しい姿なんかお断りだよ。まあ、そうだね、ジェームズ・ボンドみたいに胸に薔薇の一輪でも差しておいてくれ給え。

「有り得ないっ」 なんで有り得ない? 「昔から決まってるのだ」 「おまえは日本人だろ?」 「なんで日本人がスーツなんだ?」





「そんななりでは河原に立たせないっ」 そうか、くだらんことに拘る門番め。では、紋付き袴(はかま)で参ろうか? 

「そんな用意が出来てるか?」 貸衣装屋さんなら用意があるよ。「燃やしてまうねんで」 こまいこと云うな、払っときな。「誰がや?」

云っとくがな、間違っても三角頭巾はつけるなよっ、此の世の別れの人を愚弄するなっ。鉢巻きにしてくれっ、颯爽として新選組で逝くよっ。

















なんだよお、皆さん、河原に立たずむみすぼらしい其の姿は。ヨロヨロではないか、覇気をもてっ。三角頭巾なんか放ってしまえっ。

奥さんかな? 娘さんかな? 「はい」 そうですか、此れを羽織りなさい。「お侍様ですか?」 似非(えせ)侍です。

「袴(はかま)姿に鉢巻きが凛々しいですね」 そうでしょう? 見せかけ一番ですよ。ただね、刀を入れてくれなかったのが痛いっ。





渡って来てしまっては致し方ない。まあ、無ければ無いでたすき掛けして、さも活躍の姿勢に身構えて皆さんをお守り致そうか。

「ご病気で?」 いや、寝て目覚めたらこの様でござる。「まだまだ、お元気そうですね?」 そうですか、昔から元気が取り柄でござる。

「おとん」 「・・・っ?」 〇〇〇〇っ? 〇〇〇〇かっ、・・・空耳かっ。オレは、死んでも息子を探さねばならん。





闇の河原の流れの其の向こう、行って遣る。くたばっても遣らねばならんことがある。オレは、生きても、死んでも遣らねばならんことがある。

















机の下の配置が気に入らん。片付けの構想をシュミレーションしてたら椅子に腰掛け居眠ってたかね? 何処の娘さんだったかね?

想定通りに収まった、うん、スカッと片付いたよ。さあ、明日辺り、免許証の更新に警察へ行って来よう。

































カメレオンの独り言-1771 『古ぼけた自家製写真をば貼っておこっ』 オレのも貼ってるよ。「一枚やないか」

2017年02月26日 | 日記





 『ソフィア・ローレン』 2017年2月26日






ちょい調べものに夢中になってたら矢鱈と眠気が襲ってきて、もう、どうでもいいやでソファベッドにぶっ倒れてしまったよ。

パソコンで細かい字を読み耽っててもこうはならん。本は、こんなに疲れるかね?

暖房もつけずに熱気がないまま集中してたら脚の周りが冷えて爪先固まってるよ。「馬鹿やで、暖房つけろよ」 つけるの忘れてたよ。





鬱陶しい天気だね、降ってんのかね? ガラス戸開けて見ると道路は濡れてるけど雨はやんでる。

あらまあ、もう、こんな時間になってるよ。5時回ってる。鬱陶しい天気のわりには明るさがもってるね。日が伸びたか?

明日は晴れるのかな? 運転免許証の更新手続き済ませてないから、そろそろ警察へ行かんとアカンね、手続き料3千円。





もう、車に乗ることはないんだけどツタヤとか身分証明書代わりに使うからね。「それだけで3千かよ?」 なんか勘定があわんね。

それはそうとブラザーのプリンター(DCP-J940N)使わぬままに置いてたけど写真の取り込みなんかが簡単にできるんだね?

クソ古い写真が出て来たのでパソコンに取り込んだら、あらまあ、いとも簡単に縮小拡大思いのままだよ。なんで使わなかったのかね?





埃に塗れてたのをピッカピッカに磨いて真っ新にしてたんだけど使う予定も思い浮かばなかった。そして、俄然、使い道を見つけたよ。













『DCP-J940N』







先に運転免許証の写真をプリントして、そんな機能があるのに気づいた。そうか、以前、コピーして写真を撮ったことがあったなあ。

そんなの完全じゃなかったね、パソコンに取り込む方が綺麗だよ。昨日の駄文に貼った写真も簡単に出来たからね。う~ん、武器が出来た。

古い写真を見つけてパソコンに取り込み拡大して見ると、おおっ、昔の日本橋筋一丁目の交差点が映っておるではないかいな。





1963年(昭和38年)頃だね、交差点の四方に植え込みが在って、その歩道側の柵に腰掛けてる人が居るんだけど

邪魔だから消してある。写真後方、北東側の角並びに「大阪衣装」「トリス」「日本一食堂」「モモタローのパチンコ店」が映ってるよ。

消された邪魔者は、「おまえやな?」 腰掛けてる歩道前には「住友銀行」が在った。其の並びには土地売買の不動産屋さんだったかね。














『日本橋筋一丁目交差点』 1963年(昭和38年)頃 交差点北側町並みが写ってるよ。此の北側の街並みが、なかなか見つからないね。








もう、滅多に見れるもんじゃないみたい。其の周辺で生活していた人の思い出のアルバムには人知れず残ってるんだろうけどね。

以前に貼ったことがあるんだけど、日本橋筋一丁目の2枚の写真も並べておこう。時を少し前後してるけど、ほぼ、同時期のものだね。

東西を走る千日前通りの北側街並みは道路拡張工事で立ち退きになり当時の面影を残してる写真が皆目ないんだね。














『日本橋筋一丁目交差点』 千日前通りを西へ千日デパートが左手向こうに見えてる。(市電は東行き) 本では、昭和44年になってるね?











『日本橋筋一丁目交差点』 千日前通りを西へ千日デパートが左手向こうに見えてる。1959年(昭和34年)5月となってるね。










『1959年(昭和34年) 上の写真と並びの千日前、当時の北側の街並みが写ってるね。(上が日本橋筋一丁目)貴重だね。








また、思い出した頃に 「俺も、この辺りの写真を持ってるぜ」なんて人がネットに流すかも知れない。パッと獲って載せちゃうよ。

「それはいいことか?」 いいはずが無かろうが。しかし、何でも人のために活かすってことは悪いことではないと思うよ。

まあ、怒ってこられたら誠心誠意謝って堪忍して貰おう。 「まあ、使えばいいんじゃないの、お互い生きてる間が華だよ」なんてね。





こんな時代を生きてきて、ふっといつも思うことがある。あんまり恐い思いをしたことはないんだけど、時折、あぶねえって思ったことはある。

前にも書いたかね? 当時でも、やっぱりコワイ人は居るからね。でも、恐がってばかりじゃ外歩けない。

親父の仕事を手伝って配達帰りに千日前の千日デパートの前を歩いてたら 「おえっ、当たっておいて黙って行くんか? おうっ」





あれ、此の人、この辺で顔売ってるあんちゃんではないかいな? 「あっ、すいません」 横っちょに来て「おうっ」

「すいません、気が付かなかったみたい、カバンが当たったかな?」 「おう?」 掬いあげるような目つきがドウにいってる。「まあ、ええ」

「すぐに謝ったから堪忍したる、おまえ、何処へ行くねん?」 「お父さんのお仕事配達です」 「そうか、気ぃつけや」 はい。





そんなん知らんわなんて云ったら、どつかれるわ、カツアゲ喰らうわ、あとあと、血吸いまくりよるわ 「蚊か?」 素直に謝る、此れ一番。














『1967年(昭和42年)6月 千日前通りと御堂筋(手前) 千日デパート(ニチイ)(上)』

『1969年(昭和44年)に市電が廃止され、翌1970年には万博関連事業の一環として、湊町南交差点(四つ橋筋)から

上本町6丁目交差点(上町筋)の千日前通りの間が幅員約50mに拡幅されたんだね』










この程度なら経験がある。オレなりに思うに、「ほなあ」なんて笑って手を振って行き去る彼の思いはなんなの? いい人になってるんだね?

この辺りではブイブイ云わせてるあんちゃんってことは、人の噂で耳にしてた人だよ。

小学校の頃、読んだ本に、昔、剣豪と云われた武人が何人か紹介されてるのを興味深く読んだことがある。





其の中に宮本武蔵の項で、気性の激しい馬が道端に繋がれ往来を妨げてフボウ~フボウ~って鼻息激しく地団駄を踏んで落ち着きない。

道行く人々は、馬が怖くて近づけない。其処へ若武者がサッサッと近づき軽々と馬の背を飛び越えて行き去ろうとする。

其の後を来る編み笠被った武士は、わざわざ馬から遠回りして通り過ぎる。其れを見ていた若武者は武士を小馬鹿にするんだね。





武士は、「避けられることならば避ければよい」と云って立ち去る。「無用のこと」 剣豪の宮本武蔵だったんだね。 

そんな話を読んで 「君子危うきに近寄らず」を身に着けたオレを剣豪の宮本武蔵が褒めてたよ。 「何処で褒めてたんや?」

活字からしみ出る教えだよ。そんなのでアホなオレは、この歳なるまで無事に生き続けて来れた訳だよ。





人をホッとさせる思い遣りかね、人も笑顔になって自分も心地いい、人は人の中で引いてひかれて通じる思いに救われるもんだよ。

































カメレオンの独り言-1770 『映画 アパッチ砦』 騎兵隊3部作 時間がないので追加はまたね。

2017年02月24日 | 日記






 『アパッチ砦』 2017年2月24日








馬鹿だねえ~、オレ、もう、隔日でこなして1カ月分書いてるじゃないか。今月は28日で終わりだろ? 

あら、「日付先行」とか「間に合わせ」とか焦って書くことなかったんだね。

まあ、いいか、昨日は昨日に終わった出来事だからね。今日は今日の出来事書けばいいことだよ。





世の中終わりそうな顔して悩んだり苦しんだりするけどね、大方がウンコの垂れ流しだよ。「それは、どういう意味やねん?」 

まあ、人それぞれ捉え方があるからね、一概には云えないだろうけど栓をひねって流せば腹も減ってきて

美味いもの喰ったら笑いも湧いてくるよ。生きていくってことは、其の繰り返しだということの喩えだよ。生きてるってことは臭いんだよ。





昨日はね、古いアクオスで『アパッチ砦』を観てたよ。モノクロのビスタビジョンほぼ正方形の画面だから、大方、横帯で削られてる。

しかし、映ると、其れはそれで慣れて観てるもんだね。1948年のアメリカ作品で日本で公開されたのは1953年(昭和28年)だね。

いつか、駄文の写真に貼ったんだけど、難波高島屋前の南街劇場が、まだ、一階建ての三角屋根だった頃の写真だね。





公開映画の看板が、此の『アパッチ砦』だった。サーベルかざして騎馬で突撃するジョン・ウェインの雄姿が描かれてたよ。














『1953年(昭和28年)難波高島屋前 南街劇場』 公開中の 「アパッチ砦」 お正月だね。「お正月映画は南街へ」って誘ってるね。










『難波高島屋前 南街劇場の部分拡大』 右手に次回公開かね? ゲィリー・クーパーの『遠い太鼓』の看板がある。   








騎兵隊3部作って云われてる。 『アパッチ砦』 『黄色いリボン』 『リオ・グランデの砦』 オレに云わせれば 『騎兵隊』で4部作だよ。

ジョン・フォードの作品では、1947年の『荒野の決闘』に続いてヘンリー・フォンダが騎兵将校役でジョン・ウェインと共演してる。

軍規軍律に厳しい堅物のエリート将校を演じて軍服の姿も凛々しく非の打ちどころがないよ。格好いい男ってのは、こういうのを云うんだろうね。





南北戦争当時、将軍だったヘンリー・フォンダは、或る失策で中佐に階級を下げられアパッチ族との紛争が絶えない辺境の砦に左遷される。

東部で返り咲くことの野望を胸に娘の(シャーリー・テンプル)を連れて西部のアパッチ砦に赴任する。

そこには、現場の情勢を熟知している古参のジョン・ウェイン(ヨーク大尉)やコリングウッド大尉などがいた。





ヘンリー・フォンダ(サースデイ中佐)は軍規至上主義の武骨一点張りの指揮官。時を同じくして東部から士官学校を卒業した

マイケル・オローク中尉が砦に帰還、娘のフェラデルフィア(シャーリー・テンプル)と恋仲なったり、身分の違いで中佐に反対されたり、

子供ができたりで大人の世界は忙しい。「子供は、もっと後だろ?」 いずれは増えるがな。オレはな、そんなもんはどうでもええねん。





軍旗掲げて馬乗ってサーベル振り回して走っとったらええねん。 「そんなんばっかしでは映画にならんがな」  恰好ええだけで満足だよ。



























『アパッチ砦』 僅かに残った中佐をはじめオローク曹長やコリングウッド大尉らが迎え撃つがアパッチの総攻撃を受けて全滅する。








世の中には、まともな人も居れば訳の分からん奴も居る。格好いい人も居れば格好悪い無様な奴も居る。

格好いいけど根性の腐った奴も居ればド卑怯な奴も混ざってる。まともだけどぶっ細工なのが多い。「其れはどういうことや」

そんな諸々の人たちで構成されたインディアンが広大な西部を馬を駆って奇声を上げて突っ走るんだね。





見つかったらっ百年目、多勢に無勢、一目散に逃げるが勝ちだよ。広範囲に張り巡らされた電信が切断されて修理も大変だよ。

「こんなところで、奴らと鉢合わせしたらお手上げだぜ」 「速いとこ修理片付けて引き上げようぜ」 うんだ、うんだ。

で、捕まって馬車の車輪に縛られて根性焼きやらなにやら拷問されて焼かれて見るも無残な最期。運が悪いんだね。





フェラデルフィアを伴ってマイケル・オローク中尉が馬で遠出の途中、此の二名の隊員の死体を発見、急遽、砦に知らせに戻る。

フェラデルフィアの無事を確認、二度と娘に近づくなってヘンリー・フォンダは怒る。

マイケル・オローク中尉に数名の隊員を引き連れ遺体の収容、電信の修理を命じて、あわよくば娘にちょっかい出す少尉を亡き者にする魂胆。





「そんなの筋書きにないで?」 筋書きが無くてもヘンリー・フォンダの腹ん中は解らない。とっ捕まって根性焼き喰らえっなんてね。





あれ? マイケル・オロークは、中尉だったか? 少尉だったか? 「ハイ、ここでクイズ」なんて馬鹿らしい番組が多い。














『アパッチ砦』 西部の辺境の地である”アパッチ砦”の、駐留連隊指揮官に赴任したヘンリー・フォンダ(サースデイ中佐)








フォード監督のお馴染みの役者さんらが頼もしい軍曹役になってる。馬車に遺体を乗せ修理に取り掛かろうとしていると銃声が響く。

包囲されたことを知ったマイケル・オローク中尉が其の場を放棄、部下らとともに馬車を走らせて脱出する。

丘の上からインディアンが大挙襲い来る。ここからがジョン・フォード監督ならではの追撃シーン。素晴らしい。スピード感に溢れてるね。





撮影のコマを省いて爆走する速さが違う。此の躍動感溢れる描写が真骨頂だね。馬までが格好良く走ってウマいから感心するよ。




















マイケル・オローク中尉ら馬車の一行にインディアンの集団が丘を駆け下りて襲いかかる。




































奇岩のメサが立ち並ぶ広大な西部の荒野を車軸が折れんばかりの勢いでぶっ飛ばして遁走する。



















砂塵蹴りたてて爆走する幌馬車、その両横に騎馬兵が援護しつつ並走する。奇声を挙げてインディアンが襲い来る。












































車輪が濛々と土煙をあげて爆走、馬車に乗る騎兵がスプリングフィールド騎兵銃で追撃するインディアンを撃ち落とす。

『リオ・グランデの砦』では、往年の名手ベン・ジョンソンが馬を手足のように操ってインディアンを蹴散らし疾走してた。

同じく、ハリーケリー・ジュニアもローマ乗りなど鮮やかに苦もなく乗りこなす。こいつらは、兎に角、ホンマに凄いよ。



























































































いやあ、また、久し振りに貼りまくってやっちゃったね。血沸き肉躍るよ。馬車を挟んで援護して幌が捲れ飛ぶのをサーベルで切り落とすね。

凶暴なインディアンが迫りくる中、騎兵の腕の見せどころだね。もう、これでホントなら一生分の活躍だよ。

青い上下の軍服に黄色の縦縞鮮やかに長い脚は伊達じゃない。馬腹蹴って怒涛の疾走、手綱捌きなど馬に任せたように思うがままだよ。





鼻息立てて猛り狂うような馬たちの姿、全身が筋肉だよ。素晴らしいっ。こういうシーンは砂煙までが格好いい。「どんなんや?」 

馬鹿め、見てて解らんのか? 今日は、ちょっと用事でね、出掛けて駄文を書いてる時間を失ってしまったよ。

まあ、此のあとの追加は、また、時間が空いたときに埋めようか。





もう、あとは貼りまくるだけで駄文なんか書いてる間がないよ。時間に飽かして貼ったろか。「もうええ、やめとけ」

逃げすがるマイケル・オローク中尉の一行らの前方にヘンリー・フォンダ(サースデイ中佐)率いる連隊が到着、ヨーク大尉の指揮する

応援隊が突撃、もう、ジョン・ウェインの怖いものなしのめちゃくちゃの大爆走だね。恰好ええわ~。


























































見渡すかぎりの大平原、人と馬と馬車のみが移動の手段、銃が我が身を守る手段、勇気と夢が未開の地を拓いて大いなる緑なす麗しの国となる。

其のためには、発展性のない野蛮人など蹴散らしても心は痛まん。「なんちゅうことを云うのだ」 

死んだインディアンは善いインディアンだ。昔ね、傲慢な白人の将軍が云った台詞だよ。




世論とはね、あっちに着いたり、こっちに着いたりしながら正義に気づいた頃には後の祭りが多いんだよ。人は愚かから学ぶ生きものだね。













『アパッチ砦』 









『アパッチ砦』 オローク少尉の家族と食事、訪ねた中佐はフェラデルフィアを連れ戻そうとする。









『アパッチ砦』 下士官たちと衣装艶やかな婦人たちとのダンスパーティー、無骨なりに紳士然としたヘンリー・フォンダが舞踏会で舞う。









『アパッチ砦』 此の映画では、ジョン・ウェインは控えめなんだけど、此の男が居ないと纏まりがつかないね。









『アパッチ砦』









『アパッチ砦』 ヨーク大尉の進言も聞き入れず総攻撃の命令を下すヘンリー・フォンダ(サースデイ中佐)

















『アパチ砦』 ジョン・フォード監督 1948年アメリカ映画 1953年(昭和28年)日本公開
































カメレオンの独り言-1769 『間に合わせ』 

2017年02月23日 | 日記





 『COOLPIX P900』 2017年2月23日






あの時貼った写真は、何処だったかなあってのが、毎度、出てくる台詞なんだけど見つかることがないに等しい。

書いたブログの所在なんか次の日なったら薄らボケてる。数日経ったら記憶から消滅してるよ。

困るんだなあ~、探すのが大変なんだよ。「無断使用禁止」なんてお咎め頂いたら、ご丁寧に指し示して貰えるから探しようもある。





自分で思い出すなんて有り得ない。最近だよ、カタログじゃない、カテゴリーだよ、映画なら映画、旅行なら旅行って内容を分けるんだね?

そうしたら見つけ易くなるんだよ、知ったこっちゃないよ。「不親切だろうがっ」 おまえが怒ってどうすんだよ?

そんなの知らないから、カテゴリーなんか、今更、もう手遅れだよ。月別一覧表なんてのもあるんだね? 何処にあるのかね?





いつだったかなあ? ミズノのバスケットシューズの写真を貼って買えない値段だから唾だけつけて泣き言云ってたかなあ?

恰好いいシューズだったんだけどね、今、偶然に見つけたらアシックスになってるんだねえ? 忘れちゃったなあ。 

値段も¥28.000前後だよ。どっちだったかねえ? ミズノだったはずなんだけど、¥2.800にならんかね? 「なるか、アホ」





「もう、おっさんなんだから安もん履いてたらいいんだよ」 それは、オレを馬鹿にしてるのか。云っとくけど、今ならちょい買いだよ。

釣りは要らねえぜ、子供さんに、なにか買って遣っておくれってなもんだよ。 「大きく出たね」いつも、いつも貧乏人じゃないよ。

赤のラインと青ラインを揃えて着替えに買っておこうか。 「無理すんな、あと苦しいだろ?」 赤だけにしとこか。「底、見えとるがな」





そんな話ではないんだよ。いつも、書くだけ書いて、ただ、積み上げてゆくだけで世話焼かせて申し訳ありません。「反省か?」 まあね。












『アシックス バスケットシューズ ファブレ ポイントゲッター S TBF711 ¥ 28,620』






大型液晶テレビか大型モニターかなんて退屈なったら考えてんだけど、これに付随するブルーレイレコーダーとかシアターバーなんかを

揃えるといい値になるからね。ハードディスクは、テラバイトのがあるから併用できんじゃないの? 

DVDとかブルーレイとか録画は必要ないね。昔から溜め込んだのが山ほどあるけど全然と云っていいぐらい見直すことがない。





オレとしては、ブルーレイは観るだけでいい、録画して溜め込むのは、もうやめた。プレーヤーでいいね。音響はホロー程度でいいから

パナのSC-HTB175 サブウーハー内蔵の一体型シアターバー¥13.500で賄える。安いのに人気があるらしい、そいでいいんだよ。

なんてことを考えながら赤ラインのバスケットシューズのことも薄っすらと消えていく。「なんやねん、買わんのか?」 いつでもあるわいな。











『パナソニック 2.1ch シアターバー サブウーハー内蔵 Bluetooth対応 ブラック SC-HTB175-K ¥13,479』





「一時的に在庫切れ 入荷時期は未定」 価格コムのショップサイトが軒並み注文問い合わせになってる。よく売れてるんだね。 

なんでもかんでも買わせて銭とることだけ考えとるね。 「当たり前やないか、みんな、養のうていかんとあかんのじゃ」

COOLPIX P-600買ったらP-900で釣りよる。一番遠くが見えて満足してる者の鼻折るな。上が有ったのか、騙し打ちだよ。





一生懸命貯めても貯めても欲しい物が追っつかないもどかしさ、どうしてくれるっ。「そんなもん知るか」 

「常日頃、なにも要らんって云ってるだろ?」 知らん。「嘘つけ」 P-900があれば何も要らん。「P-1200が出たら?」

う~ん、欲望は切りがないね。 ああ~、文句云いまくって憂さ晴らして忘却する術を身に着けよ。 





其処らの寺で鐘叩いて煩悩を打ち払おうか、糞ボウズ。 「なんでやねん、坊さんが怒ってくるぞ」 すいません。

































カメレオンの独り言-1768 『日付が先行してるので、少し埋めておこ』 昔の写真もチョイ。

2017年02月22日 | 日記





 2017年2月22日






此の前、コメント欄から写真の無断使用のご注意を頂き、慌てて削除とお詫びの旨、お返事しておきました。「遂に来たか」

もう、潮時ではないかいな? 「もう、足を洗え」 そろそろ、自家製造に本腰入れて写真を撮らねばならん時期に来たかな?

「まあ、映画はだね、まだまだ許されるんではないか?」 懐かしい古い写真もね、此れはマズいんではないかと思えるのは省いてるつもり。





電車の写真については、ちょっといかんね、寒い中、暑い中、撮られた写真を 「ああ、手頃なのがあった」なんて無礼千万だもんね。

其れら以外の写真では、一応、駄文に合ったような景色とか草花とか建物とか写真を貼ってるつもりなんだけど思い入れはないんだね。

オレの下手な鳥の写真ばっかしでも構わないんだけど貼るオレが飽きるからね。





云いたいこと云って駄文を書いて在るんだから下手でも撮りたいように撮って貼りまくれば済む話ではあるね。

何を撮るかではなく貼ればいいということに気づけばいい訳だよ。「何を貼るねん?」 だから、写真を意識しないことだと思うよ。

つまり、駄文のような写真が合ってるってことさ。なんで、これに気づかなかったのかな? 「例えば、どんな写真だ?」 





つまり、今、思いつくままの駄文があるね、其れは、そのまま駄文であることがオレなんだよ。「そうか、ほいで?」 

まずは、シャッターを押せばいいってことさ、解るか? 「意味ありそうで? あんのんか?」 大いなる目覚めだよ。

一芸に通じる奴は多芸に通じるって云うね、「駄文がおまえの一芸か?」 未完成のままの一芸だよ、未完成だから尚いいんだよ。





春からのオレは、もう、昨日のオレではないよ。「なんか、前にも聞いたようんな覚えがある」 馬鹿だね、春から明日のオレさ。


















今日は、いい天気だね、真っ青じゃないか、素晴らしい、心地いい、こんな日に家に籠って勿体ない、外へ出ろって思うね。

まあ、ベランダで煙草吹かせてだね、キャンピング・チェアに腰掛けて青い空を見上げてお日さん仰いで日光浴も悪くない。

「何処か行けよ」 行きたい奴に行かせておけばいい。出たい奴は出ればいい、面倒な奴はベランダでたまに顔出してればいい。





「なにもせんままに彼の世往きだぞ」 何かしててもくたばる時はくたばる。急かれてバタつく奴を見てると大変だねって思うよ。

緩(ゆる)やかに流れる川の鷹揚なることよ、せかせか飛沫(しぶき)を上げて跳ねる水は落ち着きがない。

俺は違うんだって気を吐いても、所詮、人間以外の何物でもないよ。自分に正直に生きればいいんではないか?





しかし、いい天気だね。昼下がりになってくるとベランダの網戸だけでは、ちと冷ややかにはなってくるね。ではガラス戸を閉めればいい。

意識にして、今はゆっくり寝ようと思ってる。睡眠を贅沢にとって心身ともにリラックスして鋭気を養う、いい具合だね。

おかげで体調に不満はない。2日置きの腕立て伏せも苦もなく変わらず80回をこなして上体は万全だね。





「下半身は?」 如何ともし難い軟弱だね。春になったら歩かねばいかん。若い頃の強さは何処へ行っちゃったのかね?

歩くことに何の苦も無き水鳥であったのに、ただただ、趣味に明け暮れて浮くことばかりで脚を使わぬ空気の抜けた袋の如しだよ。

「野蛮人は何処へ行った?」 野蛮人は健在だよ、しかしながら、肉体的に軟弱に成り果てた。枯れ木寸前だよ。「水かけたれ」




















しかし、歳と云うものは正直なもんだね。精神でカバーしてなんとか持たせてるってとこではないか? 髪の毛も薄くなってきよった。

オールバックで誤魔化してアラン・ドロンの「ボルサリーノ」だよ。「よく云うね」 ごめん、「ボケサルーノ」だよ。「ボケ猿か?」

どうなと云ってりゃいいんだよ。暮れの引っ越しの最中に矢鱈と冷えが厳しかったのかして足腰にかなりの痛みが残ったよ。





歩くと右足から腰まで突っ張るような抜けるような痛みが続いてね、歩けないんだよ。ああ~オレも終わりかよなんて弱気になったね。

「今は?」 痛けりゃ痛いで放っとけばいいんだよ。「良くないんではないか?」 諦めればいいんだよ。 「苦痛だろ?」

苦痛と仲良しすればいいの。2か月経って、きゃつも飽きてきたかな? 「きゃつって誰や?」 足腰痛める奴だよ。どっかへ行っちゃったよ。





時折、戻って来てちょっかい出しては消え去るよ、馬鹿たれがっ。さあ、こんなの相手にしてられないんだよ、春は、其処まで来てるよ。





















『1958年(昭和33年)戎橋筋と道頓堀通りの交差点、戎橋の手前』 この時分は、まだ、この辺りを徘徊しておったね。












『上と同場所、同時期(セイコーの看板)手前消防署の向かい松竹座の前から撮影』


















1958年(昭和33年)と云えば、『十戒』 『大いなる西部』 『死刑台のエレベーター』なんてのが封切り映画だったね。

『死刑台のエレベーター』 モーリス・ロネ、 ジャンヌ・モロー、リノ・ヴァンチュラなんてのが頑張ってたんだね。

此の頃からかね、フランス映画全盛時代に入ったのは? 





ジャン・ギャバンに続いてアラン・ドロン、ジャンポール・ベルモンドなんてのが続くんだね。いろんなのを観たねえ
































カメレオンの独り言-1767 『千日前筋、時代の顔は知らずしらず変わり往くもんだね』 

2017年02月21日 | 日記







 『小川ローザ 1969年(昭和44年)「オゥッモーレツッ」の丸善石油CM』 2017年2月21日








今日は、雨が降ったりやんだりで鬱陶しい一日でした。東京では20度の春日和ってテレビで云ってたね。

長いこと朝風呂に入ってないね、休みの日は良く入ってたのに時間が自由になると、いつでもいいやに変わっちゃうのかね?

どうでもいいやって思ってるんだけど、今の風呂の照明が気に入らないんだね。なんか薄暗く感じて気分が滅入るんだよ。





奥さんは 「今ぐらいが丁度ええっ」なんて云うけど、風呂は、スカッと明るいほうが気持ちいいと思うけどね? 

新品のLEDの電球がダンボールに入ってるはずなんだけど引っ繰り返して探すのが面倒だから、ああ、そうって聞き流してる。

綺麗な風呂場なんだけどねえ、それぞれ好みがあるんだね。出てきたら、知らん顔してクルクルと交換してやろう。





トイレの電球も、いまいち明るさが怠いね。「明るさが怠い?」 照明時にパッパッって明るさ変更するような瞬きをしよる。

接触が悪いのかね? 広くて綺麗なトイレだから結構なんだけど風呂とトイレの此の2点については不満だね。

「球変えれば済む話だろ?」 そうだよ。球探すのが面倒臭いっていう話だよ。球が切れたら面倒でも探し出すんだけどね。





滞ってる引っ越し荷物の片づけを奥さんがボチボチ励んでおるから、そのうち出てきよるだろ、お誂え向きに2個あるんだよ。



















しかし、オレって何にも要らんに等しいね。パソコンあったら他のことは面倒だけで大方興味ないね。

煙草も長く買ってないよ。あちらに居る時に貰ったセブンスターのワンパックも4~5本吸って口に合わないままだね。

細くてロングの1ミリケントが、今、口に合ってる。ワンパック買ったら忘れるほど減らないよ。こうして死んでいくんかよ?





口煩く云って、お茶だけは手を抜くなよって厳しくお達ししてる。黙ってたら、必ず、出涸らしみたいな茶に替えよるからね。

オレの最後の砦だから同じこと二度とは云わんぞっなんて絶対命令だよ。おかげでお茶は美味しいのを呑めてるよ。

夕飯のおかずなんて口に入りゃいいや、遠く忘れた美味たる料理や懐かしい。栄養だけ取れて垂れたらどれも一緒だよ、しょうもない。





「充分、美味しいやん、あんたが贅沢なんや」 確かに一理あるんだろうね、でも、不味いものは、やっぱり不味いんではないか?

息子が逝ってしまってから 「もう、なにも要らんねん、なんなと食べてたらええねん」

母親だからねえ、気持ちは解るけど代わりに美味しいものを食べてやるのも供養じゃないか? 「なに作る気もせんねん」 





消え去るものではないけど時間が悲しみを薄めてくれるだろうかね。熱いお茶を湯呑に注いで湯気の向こうを見つめてたよ。















『1960年(昭和35年)日本橋筋3丁目堺筋北行きを走行する市電』 左に折れると難波方面








ネットの中から1940年代~1980年代頃の大阪にまつわる古い写真を暇に飽かして探すんだけど、もう、ないねって思ってしまう。

必ず、何処かに載ってるって執念はあるんだけど検索に引っ掛かけようもないほど探しても、もう、ないのではないか?

凄まじい量の写真がネットに溢れてるけど実はこんなもんじゃないだろうね。ほんとは家ん中に眠ったままの写真は山ほどあるんだろうね?





もうしんどいって諦めかけたらポロッと出て来るもんではあるけどね。難波や千日前、戎橋、心斎橋、御堂筋、北へ梅田周辺を軸に探してる。

広げて市内全域、阿倍野、上本町、淀川周辺、昔、馴染みのあった辺りを探してる。

こうして拾い集めた写真の量は、これまた凄い量にはなってるね。ただ、ファイルの中から探し出すのが、これまた大変なんだね。





「整理はできてないのか?」 一生懸命に記録を打ってはいるんだけどパッパパラパラと目ぼしいのを見つけたら取り込むのが忙しくなって

後回しになるから、段々、解らなくなってしまうんだよ。一時、エロ写真を集めてる時なんか、もう、止めても止まらない餓鬼亡者だったよ。

「はずかしいのお~」 これって不思議なんだよ、ウワッ、オオッ~、おったまげたなんて興奮するのは取り込む瞬間なんだね。





なんでかと云うと、もう、次が迫ってるからゆっくりしてられないんだね。ハッ、ハッ、ハッ、ハッて追われまくられて疲れてしまうんだよ。

大漁に湧く収穫の興奮で満足して疲れて、あとゆっくり見た覚えがないんだよ。そうそう広げて眺めてる時間もない。

結局、浅ましい自分の愚かに気づいてドッサリ消去して僅かお気に入りを残してたけど其れも消しちゃうんだね。疲れ損もいいとこだよ。















『1956年(昭和31年)堺筋日本橋筋3~4丁目の間を走行する市電(後方は松坂屋)』 総じて堺筋の昔の写真はないね。









そんな中にだね、此の辺りは探しようもない処があって諦めてたんだけど、堺筋の日本橋筋2丁目を西へ折れて

千日前に出るまでに道路より内側に構えて、昔、映画館が在った。「オリオン座」と「新オリオン座」だった。

通りには家具屋さんが多かったね。もう、館内の様子は記憶に残ってないんだけど家族で良く観に行った。





洋画の何本立てだったかね? どちらも洋画だったかは覚えがない。或る日、昼だったね、映画館の前を通り過ようとしてて、

奥まった映画館の前に煙が立った。館内から客がバラバラと出てきて二階の窓を見上げたら煙が噴き出してる。

僅かな時間だったね、ボンッて響いて壁にヒビが入って黒煙と炎が噴き上がったの。「いやあー火事やっ」って、前の家具屋さんの





おばさんが大声上げてる。逃げ出す客の数は知れてたね。大きな火事ではなかった、2階の映写室から火が出たようだったね。

なんかで見たけど、映画映写用のフィルムってのは燃焼力が強いらしいね。ボンッって爆発音はそれだね?

堺筋を西へ一つ目の角に「味園」って大きなネオンサインの食堂園があってキャバレー「ユニバース」とも銘打ってた。














『1960年(昭和35年)千日前筋大劇横手通り 東方面(堺筋)に向かって撮影』 前方の大きなビルの上に薄く「ユニバース」ってあるね。

「写真勝手にお借りします」








其処を西なりへ進んだところだったと思う。そのまま進むと千日前筋に出る。通りの右側に大阪劇場、「大劇」が在る。

そんな頃の写真を見つけたよ。写真は、向かって逆側から見て、千日前筋から東の堺筋方面を写してる。

写真を撮られた方は、一枚の写真から、ああでもない、こうでもないと記憶を辿って僅かな情報を見つけて探り出されたみたい。














『大阪劇場 大劇で通ってたね』 大劇の敷地内外れに在る「いかがわしい?」お店、バラックみたいな佇まいだね。ネグリジェだって。








手前、大劇の建物の南側が少し写ってる。向こうに「ユニバース」のネオン看板、其の手前のお店の看板から謎を解かれて

納得をいかれたようだね。大劇の筋隣の「木村屋の純喫茶」も写ってるよ。

その通りの向こうに「オリオン座」と「新オリオン座」の看板が写ってたよ。もう、当時を思わせるのはこれだけが名残だね。





掲げてる位置から考えるとサンドイッチマンの人が通りの中程に立って上映映画の客寄せしていたのかも知れない。

此の両館が閉館した時期については不明だね。今となっては、この看板だけが形に残る唯一だね。

映画にせよ、音楽にせよ、その時の記憶に付随して思いが被さって残ってるからね、其の時、その時が記憶の中で生きてるんだね。














『昭和45年(1970年)頃の千日前筋』 通りと筋がごちゃ混ぜになるよ、南北が「筋」だね、「通り」が東西だね。








『カメレオンの独り言-1746 『目にとまった写真で立ち止まってしまったよ』 なんやねん?』 馬鹿らしい題名だね。

此の千日前の写真で足を止めて当時の思い出を語ったように思うけど、もう、忘れてる。「ほんの此の前やろ、覚えとけ」

何を語ったかってことを忘れてる、しかし、その連続があれば思い出すだろ? 「ちょっと危ないんとちゃうか?」 昔からだよ。





ちょっと関連した写真を見つけてね、この当時の千日前筋に在ったお店が判明したので貼り足しておこうと思う。

此れより10年前後になるんだけど1979年(昭和54年)と1982年(昭和57年)だね。

記憶に残る当時の商店街に在ったお店を貼っておこう。其の頃は、もう、他所に移り住んであまり足繁くは立ち寄ることはなかったけどね。
















































こうして見ると「ああ、在ったね」って看板思い出すよ。「喫茶アメリカン」は、いまでも健在なんかね? 何度か入ったよ。
















































家族連れで、心ぶら(心斎橋筋)、戎橋筋、道頓堀通りへ出ると、帰り道で、必ず、立ち寄って天津甘栗を買って貰った。

道頓堀通りでは、平野屋のシュークリーム、フジヤのロールケーキなんてのが土産の定番であったね。

お正月なんか、此処の天津甘栗は欠かせない。住まいだった日本橋筋一丁目からは目と鼻の先だったから、毎度、お使いで買いに行てったよ。































1982年(昭和57年)「たよし」の宣伝は、長い間、放映されてたから10年前と変わらんのんじゃないかね?






























此の千日前筋に在る千日デパートが火災で118人だったかね? 多くの人が亡くなった。1972年(昭和47年)5月13日だったね。

上に貼った商店街の写真の2年後だね。そん時は、堺筋島之内で暮らしてたから野次馬よろしく走って行ったね。

此の慣れ親しんだ繁華街周辺も、最近だけでも、大劇、南街劇場、歌舞伎座、国際劇場、精華小学校なんてのが消えてしまったね。





常日頃、在って当たり前のように過ごしているのに知らぬ間に消えてるって、多かれ少なかれショックらしきものを覚えることがある。

なんの変哲もない毎日だけど世の移り変わり程忙しないものはないね。

街並みも人も知らぬ間に移り変わって往くのが事実なのに、何故か、なんの変哲もない毎日の連続の不思議さだね。




 



























カメレオンの独り言-1766 『題名が浮かばない、もがいてバタ足で蹴ってると来よるどオ~』

2017年02月18日 | 日記





 「 エリザベス・ティラー・リチャード・バートン』 2017年2月18日






3日ほど前だったかな? 深夜、P600出してベランダからお月さんを撮ってみた。でっかく写るね。60倍か、すぐそこだね。

「今宵の月は美しいのう~」なんて云ってた時代には考えられないようなのが目の先で見れる。デジタルカメラで簡単よ。

穴ぼこだらけで写ってる。なんかスイカの枝を切り落としたような芯があるみたい。迷子にならずに変わらず同じとこに浮いてるよ。














『Coolpix P600 f/6.5 1/1000 ISO400 焦点距離516 最大絞り3.5 35ミリ焦点距離1440となってるよ』








今日は、ポカポカと暖かい一日だったね。横っちょのベランダの網戸を開け放ったままパソコンの前に居たけど、いい具合だったよ。

職場で、毎度顔を会わせてた業者さんが「お久しぶりです、〇〇〇〇さん、元気ですか?」って電話をくださった。

生きてるよ。あっははははって笑ってるよ。近況をば報告されてる。「僕も、今度、行き先変わりますんで」 ああ、ほんと?





「3月に入ったら、また、連絡します」 あいよ。3月か、春だね。来月からは、オレも姿を見せることも少なくなるよ。「なんでや?」 

スケジュールが詰まっておるんだよ。「何をすんねん?」 日真名氏飛び出すんだよ。「古~いTVドラマやなあ~昭和30年だろ?」 

7年程続いてたはずだよ。「推理小説ブームを背景に人気を高め70%前後の高視聴率を記録したって、番組が無かったんだろ?」 そうだよ。










『日真名氏飛び出す』 TVドラマ  久松保夫(日真名進介)  高原駿雄(泡手大作)






他に観ようにも此れしか無かったんだろうね。当時は、芝居本番中に台詞は忘れるわ、セットは倒れるわ、なんて日常茶飯事だよ。

ブツブツとか忍び声とか陰から声が出るんだよ。忘れて台詞教えて貰ってんだよ。それでも人気絶大だったんだよ。

中村竹弥が近藤勇やってた「新選組始末記」なんか、謀殺された芹沢鴨を悔やみ隊員が嘆いてるシーンなのに塀を揺らしてドッタンバッタン凄い音。





居並ぶ隊員たちは揺れて倒れてくる土塀を支えて頑張ってんだよ。なのに、子供たちも親たちも笑いつつも我慢して物語に肩入れしてんだよ。











『新選組始末記』 TV時代劇  中村竹弥  戸浦六宏  明智十三郎  金子信雄









『新選組始末記』 TV時代劇  もう写真も此れ2枚だけだよ、こんな馬鹿らしいの誰も観ないよ。






日真名氏飛び出すんだけど話が逸れちゃったね。まあ、いい、前から云ってることを実践してだね、枠を広げると云うことだね。

このまま駄文を書き続けることは、馬鹿を塗りたくるなら可能ではあるけどもオレより先に皆さんが飽きてしまって閑古鳥だよ。

レコードも何度も回してると摺り切れる。だから、外へ出てだね、些細なことでも刺激を受ける機会を広げることだと思うんだね。





その時が、いよいよ来たってことだろうかね? まあ、気楽にだね、見て歩いて絵に撮って外の空気に触れて人を知るってことだよ。
















ニコラス・ケイジ主演!パシフィック・ウォー - 映画予告編










『パシフィック・ウォー』 此の予告編を観て、あれって思った通り、過去、『ジョーズ』の劇中で船長役のロバート・ショーが

この忌々しい悲劇を語るシーンがある。重巡洋艦インディアナポリスは、広島、長崎に投下されることになる原子爆弾の部品及び核物質を

テニアン島へ運搬する任務に従事した後、レイテ島に向かう途中、日本軍伊号潜水艦の魚雷攻撃を受け撃沈される。






1196名の乗組員の内およそ300名が攻撃によって艦上で死亡し海の藻屑となった。インディアナポリスは、その極秘任務上に在り

艦船位置表示システムから除外されていたため付近の艦船に沈没の情報が伝わらなかった。艦を失った900名近い残りの乗組員たちは、

5日後に救助が完了するまで救命艇も無いまま海面に浮かぶこととなった。これは実話なんだね。






『ジョーズ』の劇中で船長役のロバート・ショーが語るサメの恐怖は本当だったんだね。救出される順番を海の中で待つ恐怖を切実に感じるね。



































『パシフィック・ウォー』  ニコラス・ケイジ主演  此の世は愉しい、しかし、それに負けないほどの怖ろしいこともあるみたい。































カメレオンの独り言-1765 『古い写真見てて、あの頃のオレも今のオレも変わってないね?』 それは大変だろ?

2017年02月16日 | 日記






 『ダンケルク』1964年ジャンポール・ベルモンド 東京日比谷 2017年2月16日






遠い昔、其の場に居合わせた訳じゃないのに、何故か記憶とダブさって実際のように消えない風景が在るね。

其れは、ほんの少しの時間差ってのかね、見る角度かな、想像に被さってあたかも実像化されていったものかも知れない。

そんとき確かに自分で見てんだね、其の絵を確かに見たんだね。記憶に残ってる映像そのままに息づいてるように鮮明なんだね。





オレは、何処から見てたのかなあ? なんか、本当に見てたよって思う時がある。此の写真がそれだね、

部分的ではあるけど、実際、其の頃ウロウロしてたから馴染みの場所で、よく記憶に残ってるところだよ。

此の写真を見つけて、オレ、ここから見た感覚が残ってるよって思ったの。阪神デパートの屋上から見下ろしてんだよ。





左に阪急百貨店、右の富国生命ビル、其の間を天神橋筋6丁目に通じる市電の通りが走って、其の前にシネラマOS劇場が在る。

1960年代となってるね。兄貴とウロウロしてた頃だよ。兄貴は、オレと違って外へ出たがりのタイプだったから、よく付き合わされたよ。

デパートへ用もないのにウロウロしてたらご機嫌な奴で長くうろついてるとオレは頭が痛くなって来るんだよ。





当時のデパートの中ってのは、冬場は暖房が利きすぎてフラフラになって気分が悪くなるのを覚えてるよ。

なにが面白いねんって、外へ出て、暫くしないと体調が戻らないんだね。此の時分から世間の人たちは馬鹿どもが多いままなんだよ。

阪神デパートの屋上へも、毎度、付き合ったよ。ギュウギュウ詰めのエレベーターに乗って、こんなので閉じ込め喰らったら死ぬ怖さがあったよ。





屋上への階段上ったらホッとしてんだね。一息ついて生き返るんだよ。そんなころ、此の写真の風景を見た覚えがあるんだね。













『1960年代、大阪梅田 左に阪急百貨店、右の富国生命ビルの下にシネラマOS劇場、凄い描写だね』








その時々に、季節が、そう感じさせるんだろうけど、当時、日本橋筋3丁目の松坂屋は、偶然、頃合いが良かったのかね?

おふくろらと買い物に着いて行っても、ゆったりして落ち着いた雰囲気で人間らしかったよ。

「同じ、梅田の阪神や阪急ってのは人間らしくなかったのか?」 そういうことかね? 館内の空気が良かったのを覚えてる。













『1960年(昭和35年)日本橋筋3丁目の当時の松坂屋』 今は、高島屋別館になってる。








其の当時から金に縁のある奴らが、こぞって買い物に来る沿線ではなかったのかなあ? 

阪急にしても阪神にしても急行、特急を利用する山の手の連中がしゃなりしゃなりと買い物や食事に徘徊しよるんだよ。「徘徊?」

ブタに真珠どもが。「おまえも変わらんね」 喩えだよ、流れる歴史の血を堅持して純潔の伝統を守らねばならん宿命に生きてる。





だから、おかげで日本は守られているんだろうね。有象無象で在ってはいかんものがある。 「おまえは?」 有象無象だよ。

此れでもね、有象無象の中の一匹狼を生きて死ぬ矜持は捨てず此処に在るってのがオレの心意気だよ。

エレベーターに押し込まれて不安を我慢して屋上に上がって新鮮な空気を吸い込んでホッとする、まあ、人生みたいなもんさ。





我慢を覚えるね、生きるってことは我慢と忠実であることが自分だと言い聞かせてるところが狼の正体だね。「そんなんか?」 そうだよ。












『ダッコちゃん 1960年(昭和35年)発売』







人生に多くは望まん。自分を見失わずに生きる、それだけだよ。「寂しいだろ?」 人はひとだよ、オレはオレだよ。

1960年(昭和35年)世はダッコちゃんブームだったね。オレんちも兄弟がそれぞれ買って貰って腕に着けてた頃があったね。

犬のハチ公だったかな? マルだったかな? 兄弟と一緒にほたえまくって牙立てて穴あけて振りたくって、こいつ、もう止まらないんだね。












『1960年(昭和35年)ダッコちゃん発売』









『1960年(昭和35年)ダッコちゃん発売』






ダッコちゃん売り出すのに、なんで街ん中で水着でハイヒールなんだよ。ふつうならおかしいで? いつの時代も馬鹿ばっかしだよ。

「ええではないかいな」 ええではないか、ええではないかで、おかしな奴が溢れて、今の時代だよ。

「なんで、ダッコちゃんなんだよ?」 其処に写真があったからだよ。あっ、そうそう、これもそうだよ、フラフープ。










『当時の子だね、年代打たなくても全体像でうかがえるね』





2年前の1958年(昭和33年)には、フラフープってのが爆発的に売れてブームになったね。オレも腰振って回してたよ。

まあ、こんなのを思い出してたら切りがないね。また、今度だね。














映画『ダンケルク』特報2【HD】2017年9月公開








『ダンケルク』 1964年(昭和39年)のジャンポール・ベルモンド、忘れた頃に新しくなって出て来るんだねえ。
































カメレオンの独り言-1764 『なんでも切りなく現れては、追って追われて消えていく』

2017年02月14日 | 日記





 2017年2月14日






価格コムで毎日のように各メーカーの液晶大画面のテレビに目を通しているけど、何故か、いまいち食指が動かないんだね。

大型モニターにパソコンを繋いで作業してるのが性に合ってるんだけど、ホントは、至って頼りないんだけどね。 

識ってる範囲で遊んで満足してる。で、価格コムの製品情報に目を通して、ああ、タイミングがいいねえって興奮してる。





なんで、今、I-ODATAの49インチなんてのが出るの? オレに合わせてるの? お誂え向きではないか。

大方50サイズの4Kだって。値段が10万切る価格でこの2月下旬から売り出しになってる。

心強いね、選択肢が増えたよ。50インチ、机に置くにしても質量12キロって軽い。突っ張り棒なんか要らないね。





お値ごろになってから買ってもいい訳だから慌てなくてもいい。いろいろ調べて、結果、8万円台程度に落ちたら買いだね。












『I-ODATA 4K対応49型(可視領域48.5型) ワイド液晶ディスプレ LCD-M4K491XDB』







雪雲かな? 昼頃までお日さん照って寒くなかったのにどんより空を覆って、雪かな? 小雨に混じって降ってるみたい?

カメラを弄り回して手に馴染ませる癖を身に着けてんだけど、少しは解ってきたかな?

SONY Cyber-shot、滅多に使わないから何処か接触悪くなったみたい? バッテリー充電しても目盛りが上らないね?





充電器がおかしいのかなと接触部分をバッテリー入れ差し繰り返してる。コノコノコノコノコノコノって当てもないけど試してる。

接触不良だね。 「ホンマかいな?」 もう一度、充電しておこう。真っ新(さら)なままなのに壊れるなよ、ホンマあ。

今ね、一眼レフもP-600もマニュアルしか使わないでいるの。オートは素人だよ。「おまえが、よく云うね」 云うのはタダだよ。





今ね、機能なんて理屈じゃないんだよ、身体で覚えている真っ最中だよ。今までは、カメラを置くときソロ~っとだったけど

今じゃ、コトッだよ。「ガタンッじゃないのか?」 馬鹿め、キズ付く手前だよ、置き場所に擦れない範囲でコトッだよ。

「プロはガタンッだよ」 ハッ、ハッ、なんて、その都度、ドッキンすんかよ? 「レンズ転がして慣れろ」 転がした先を考えてしまう。





「なんでも一発喰らったらお初じゃなくなるだろ?」 まあ、そういえばそうかもね。「どつかれ強くなるんだよ」













『ブルブルしてるな? 面倒がらずに三脚立てろ』 カメラ、手に馴染ませている最中だから細かいこと云わんといて。







崩れかけたら持ち直して晴れてるね。冬の寒さの底が過ぎたら春の気配となるんだろうけど、もう少しの我慢だね。

なんでもかんでも撮りまくったる。パチパチパチパチパチパチパチパチパチだよ。

カシャカシャカシャカシャカシャカシャだよ。ブログに貼る写真を自家製造だよ。カシャカシャカシャカシャカシャカシャだよ。





コンパクトフラッシュのレキサーメディア LCF64GCRBJPR1066 [64GB]¥7,598 買っておこうか? 

「実際、撮り出してからでいいのではないか?」 いやいや、長い間、ちょろ、ちょろと写す程度だったからコンパクトフラッシュの

容量なんか忘れていたよ、4GBだよ、子供じゃないか。今は、32~128GBが当たり前みたいだよ。笑ってしまうよ。





「おまえの場合は、64MBでいいのではないか?」 恰好がつかんだろお~。「こいつはあかんわ」

それはそうと、ボロのアクオスを綺麗にピカピカに掃除して120センチの机に映画用として置いてんだけど、やっぱり邪魔だね。

もう、写りも良くないし、時代遅れだし、見てくれ悪いし、スカッとした長尺の机の快適さが損なわれてしまったよ。





この長い年月、液晶アクオスの37型は馬鹿番組に汚染されまくって新鮮味が全く感じられないよ。映画だけでいいんだよ。

















I-ODATAの49型。 今使ってる同じ27型のモニターも映りが良くて気に入ってる。

テレビジョンじゃなくて4Kの49型モニターを買うべきだろうね。何処がどう違ってるのか難しいことは解らんけど、しっくりくるんだね。

ブルーレイレコーダー(プレイヤーでいいけどね)、備え付けのサウンドバー(大仰なのは要らん)揃えれば出来上がりだよ。





これに、DELLのi5の本体を、もう一丁買っておけば、尚、安心だね。「そいでええのんか?」 う~ん、解らん。
















『1957年(昭和32年)大阪道頓堀 戎橋から東方面 相生橋が見える。左岸、サンスター、カルピス(ピス)など看板が見える』











『1960年代 大阪道頓堀となってるけど、上とほぼ同時期に撮った写真じゃないかね? 上の看板も変わらずに在る』










『1960年代 大阪道頓堀 同じ時期だね、御堂筋手前から道頓堀川を東方面を望む』































カメレオンの独り言-1763 『映画 柘榴(ざくろ)坂の仇討ち』 うん、日本人の映画だね。

2017年02月12日 | 日記






 『柘榴坂の仇討ち』 2017年2月12日







此の2~3日、立て続けに時代劇を見続けていたよ。同じ映画だけどね、何故か、感性に合うのかして独り感動しておったね。

為さねばならぬ自分に忠実なるところが、何故か似てるって感じてるんだね。

人生の長い道のり、辻褄の合わぬことに付き合って流れるように生きて、其の年月を無為に潰して、ただ、生き続けて年を喰う。





オレの人生は、そんな当てのない生き方しか出来なかった癖して泣き言は云わぬと明日を信じて生きている。

切り替える、思い直す、踏み越えるってことが出来なかっただけなんだろうね? 変わらぬままに生きているって感じだね。

生きる価値とはなんだろうかね? 人は、語り合って話し合って他を知って自分に気づく、縁ある人々に恵まれて在るのかも知れんね?





貝の口を結んで言葉を殺して自分を騙す。無責任な言動は我が身の隠れ蓑、根に蠢(うごめ)く己は何者なんだろうかね?

大した中身ではないけれど、もうちと、まともに頭の働く男で生きたかったなあって思ったりするんだね。

自分を知らぬままに、ただただ生き長らえただけの自分じゃなかったかねえ? 思えば、迷子の道を彷徨う自分を見るようだよ。





人生を捨てる、自分を捨てる、そんな生き様を見ていると、為さねばならぬ道は捨ててこそ生きる道へと重なりて続いて在るものらしい。













『柘榴坂の仇討ち』   中井貴一  阿部寛  広末涼子







「おまえは拾うことが出来るか?」 拾わねば捨てることになる。ここまで来たら、もう、どちらでもいい。

道は、然程を残さずして向こう先も見えてきたようだよ。腐ったような種をば路傍の土肥やしにでもなればよし、パッパラッパと撒く。

「あかんでえ」 雨が降り、風が吹き、鳥たちがついばみ、運が良ければ、それらが運び招いて土に馴染んで根を育むこともあるだろ?


















まあ、そんなことを考えながらだね、以前にも、ほんの少し紹介した映画 『柘榴坂(ざくろざか)の仇討ち』を書き足しておこうか。

映画は、二度、三度、観て納得する作品があるね。でも、何度見ても箸にも棒にかからん大根が混じっておるねえ。「誰や?」

云わんでもええ。「大物か?」 大柄だよ。「大柄で小物か?」 具体的に云わんでもええ。「帽子被っとるな?」 云うな。


















浅田次郎による短編集『五郎治殿御始末』(ごろうじどのおしまつ)を映画化、彦根藩の下級武士 志村金吾(中井貴一)は、

安政7年の桜田門外の襲撃騒動の際、藩主である大老井伊直弼籠周り近習役の立場から外れて直訴を装う襲撃者を追うことに気を取られたが為、

その間に手勢(てぜい)の刺客が行列を襲い井伊大老を暗殺せしめた。取って返したその時には全ては終わっていた。





家中随一の剣術の腕を認められ、藩主である大老井伊直弼の近習に取り立てられた志村金吾ではあったが大失態の結末に切腹を願い出る。

彦根藩は、此の始末、金吾の罪を背負い自害した両親に免じて打ち首を取り下げ、

その代わりとして襲撃の刺客、水戸浪士たちを討ち、「直弼様の墓前に首を供えよ」と命じるんだね。
















仇を探し全国を歩き回る金吾だったが、潜伏する水戸浪士たちは見つからず金吾は切腹を願い出るが「ご下命の撤回はない」と家老に言い渡される。

失意に沈む金吾だったが、妻のセツ(広末涼子)に支えられ仇討のため水戸浪士たちを探し続ける。

この広末涼子演じる妻のセツなんだけど時代劇のスタイルを越えない控えめなのがいいね。多く語らず静に徹してる。
















中井貴一は、時代劇で役者ができる数少ない人だね。台詞まわし、姿勢、所作等、抜かりのない芸達者だね。

時間を贅沢にとった台詞のやり取り、一語一語が胸に響き染み入る重みと優しさを感じさせて絶妙だね。

桜田騒動から13年が過ぎた明治6年。既に彦根藩は存在せず新政府の改革により武士も姿を消して時代は大きく変わっていたんだね。





過ぎ去る年月とともに桜田騒動に関わった水戸浪士たちも捕縛されて刑場の露と消えた者など次々と死んでいき、残るは、唯々ひとり。

或る日、志村金吾(中井貴一)は、偶然に司法省の役人となっていた金吾の親友(大柄で嵩高くて大きな顔の額の狭い男)と出会う。

「誰やねん? 特徴が増えとおるではないか」 そうか、忘れてたので追加したんだよ。「そいつは誰やねん?」





此の映画の一番馬鹿らしい演出のシーンだよ。町ん中で侍崩れが恥かかされてんだね。やくざたちが虐めて「金返せっ」なんて責め立ててる。 

「義を見てせざるは勇無きなり」なんて昔の元侍どもが加勢するんだけど安もん臭くて見てられないよ。

どこから引っ張ってきた役者どもや? お笑いのタレントか? そんな中に大柄で嵩高くて大きな顔の額の狭い男も居るわけだよ。
















そいつが金吾に、刺客の生き残りの一人について知っている元評定所御留役の秋元警部(藤竜也)との面会の手筈を図ってくれるんだね。

その宅に訪れた金吾は、秋元警部(藤竜也)と対面してことの経過を聞き及び、何故、この場になって其の者を庇いなされるか?

「水戸の浪士どもは、誰も彼も覚悟の上、潔し最後だった」 打ち首にせぬは何故でござりまするかっ? 「無頼の徒ではない、国士ぞ」


















やおら、金吾は刀を左手(ゆんで)に持ち替えるや鯉口切り込む姿勢で秋元に片膝進みたつ。「わしを斬るかっ?」

はたと我を鎮めて身を引いて下がる。「井伊直弼も安政の大獄にて多くの者を斬った、ともに国を案じてのことではないか?」

「国を想う者に不当な処罰を与えれば、誰も国を想わなくなる」という諭し聞かせるふうなりの秋元警部。





「命懸けで国を想う者を無下にするな」という井伊直弼の言葉と重ね合わせつつ女々しくも直弼の人となりに涙する金吾に「もう、云うなっ」 

庭に降り積もる雪の中、寒椿の花が凍えるように静かに咲いている。秋元警部(藤竜也)は、縁側から火鉢の前まで歩み寄り来て

実直な金吾に 「お主は、忠義者よのう」 藤竜也も歳を喰って丸くなったね。










『柘榴坂の仇討』予告編


























雪舞い散る駅舎の前で仇討ち禁止令の記事が載る瓦版を読む車夫、被る編み笠を遮って闇が動く。目の前に侍が立っている。

「おっと、どちらまで?」 「雪景色と云えば、やはり、桜田御門であろうな?」 「この雪では坂は登れません、勘弁してやっておくんなさい」

「さようか、某も桜田御門の雪景色など、もう二度とは見とうはない」 片膝立てて身を屈め正して車夫が待っている。「笠を上げては貰えぬか?」





編み笠を上げて顔を見せる・・・・「お乗りくださいやし、雪見、お伴致しやしょう」 「そうか、無礼をいたす」と車に乗る。                

夜の町を人力車が走り出す、此の夜の町内を走る風景がいいね。長い町内を走り写すことは無理があるから工夫がされてるね。

「名を尋ねたい」 「直吉と申しやす」 「車を引く前の名を尋ねたい」 「佐橋十兵衛と云いやす」 「世間の目をくらませたつもりか?」


















暗闇に提灯の灯りが沁み入るような白く染まった坂道を一歩、一歩と登りゆく。「此の坂は?」 「柘榴坂、でござんす」

「此れを行くと久留米の有馬様のお屋敷、其の先は備前中津藩の奥平様で」 「ほおう、詳しいのう」

「此の辺りは・・死に遅れた場所なもんで・・・」 互いが発する言葉の重みが沁み出るように流れて、「参りやす」


















見応えのあるシーンだね。一歩、一歩と登りゆく雪坂の上に昔のおのれの姿が浮かび出る。

槍を奪い返され深手を負って雪の中、鮮血に塗れる手は脇差を抜くもおぼつかず腹切るはかなわず切っ先は地に転び落ちる。

直吉こと佐橋十兵衛(阿部寛)の胸中や如何に、13年の年月は、鮮血に染まった雪の中に凍えるように残るんだね。





坂を上がった辺りで 「もう、良い、止めて貰おう」 こと此処に至れば致し方なし、「其処元のご心中(?)頭が下がり申す」

  注ー、「其処元のご心中(?)頭が下がり申す」って、どうしても聞き取れないんだね、なんて云ったのかね?

      心術(しんじゅつ)心の持ち方、精神の働き 心宿(しんじゅく)思い遣り、情趣を解する心、なんて云ったのかね?





佐橋十兵衛(阿部寛)は、雪の中に座して覚悟を決めて 「存分に本懐を叶えられよ」と金吾を見る。

振り向きなおって 「立ち会わぬのか?」 「刀は、とうに捨てました」 「そうか、此れをお使いなされい」と大刀を目の前に置く。





「其処元は、脇差で戦いなされた」 「よう、覚えておいでじゃ」 金吾は、路傍の石の上に支度を置き振り返る。 

「お名前をお聞かせ願えぬか?」 身を正して正座する十兵衛に対し、

「志村金吾と申す、掃部頭(かもんのかみ)さま、ご災難の折には、御籠(おかご)周り近習を相勤めおりもうした」
















間の取りようが至って素晴らしいね。互いが鞘を払って、真剣が凍てつくしじまの空気をスパッと切り裂くような緊張感だね。

剣戟(けんげき)相応に一撃、二撃と刃(やいば)を交わして鍔迫り合い、渾身の一撃躱して金吾の脇差が十兵衛の懐に入って切っ先が立つ。

「何故、斬らぬ?」 腹から首筋に入って刃が止まる。勝負はあった、「御免っ」十兵衛が身を引いておのが大刀で自刃を図る。














  



体当たりして互いが転び大刀が飛ぶ、「勝手は、許さんっ」 13年に及ぶ長い年月が二人の肩にのっている。

「死に場所を見つけたり、斬ってくだされっ」 金吾の躊躇に 「彦根侍は親の仇もとれぬのかっ」 ぐっと金吾が脇差振りかぶる。

降り積もる雪の中、凍えるように静かに咲く寒椿の花が、この身が尽きるまで懸命に生きよと直弼の言葉が教えるんだね。





終わりにしたい、互いが父母を犠牲にして家禄はお預けの身となって辛酸なる日々、時代は変わって廃藩置県、全国の藩は無くなり

幻の如く彦根藩も消えた。忠義とは?脈絡にしがみつく生き様に疑問も湧く。二人に残るは、人と在りて生きる道と識る。





脇差を鞘に納め置き、「佐橋殿、時代は、時代は、確かに変わった。だが、武士を捨てることはない、その心を持ったまま

此の垣根を越えてはくれまいか?」 生きるも死ぬもやんぬる思いの十兵衛に金吾は生きる筋道諭し聞かせて 

「生きてはくれまいか?」 十兵衛の頬から涙が零れ落ちる。其の道筋に沿うて 「わしも、そうするゆえ」
























日本の時代劇は腐ってはおらんかったね。





佐橋十兵衛役の阿部寛は悪くはないけど、中井貴一と比べたら、まだまだ、修行が足らんね。「そんなこと偉そうによく云うね」

まあ、見様見真似の域を越えないところ、この境目辺りで苦しむんだろうね、垣根を越えていい役者になって欲しいね。

時代劇を腹で演じる役者は少ない。中井貴一も1981年の 『連合艦隊』から36年か、大した役者になったね。









出発 - Joe Hisaishi 久石 譲 - 柘榴坂の仇討 オリジナル・サウンドトラック




























『1526回 柘榴坂の仇討ち』でも、ほんの少しラストだけ書いてるね。

しつこい風邪で、此の2~3日鼻水祟って鬱陶しい。治ったっと思ってたんだけど、おかげで、この映画、何度、繰り返し観たかね?

なかなか、いい映画だね。鼻をグズグズ鳴らして余計に頭が回らん、抜けているところも多々あるね、また、後で書き足そう。
































カメレオンの独り言-1762 『歩みを止めなければ前へ進むもんさ』 

2017年02月09日 | 日記





 2017年2月9日






もう、17年程経ったかね? 液晶テレビ、アクオスの37型(だと思う?)引っ越しから2か月ほど放ったらかしだったけど

広い廊下に持ち出して掃除機と雑巾でピッカピッカに掃除してやる。

見える部分は、それなりに綺麗だけど裏側のカバーを外すと埃の巣窟だよ。くすぶってよく燃えなかったもんだね? 





薄型の液晶だけど古いから厚みがある。持ち上げれば20キロはあるね? 隅々まで丁寧に掃除してスッキリしたよ。

大型液晶画面は、小遣い貯めてゆとりをもって買うことにする。それまで、このアクオスで間に合わせ。

ホンマにテレビを見なかったから、どのような映りだったなのか自信がないよ。机の上に載せアンテナ繋いで映してみる。





暗いねえ、年代ものって感じるわ。ソニーの安物プレーヤーに繋いで映してみる。ホンマに安もんやね、幻燈機映して見てるみたい。

もうちと何とかならんのかいなあ? 反応が悪いね、起きとんかえっ、リモコン、ソファに叩きつけて気づかせる。

あっ、案内が映ったよ。ソファベッドの収納庫に放り込んでるDVDが山ほど詰まってる。なんでもいいからお皿に入れてプチリ。





おお、映ったね。音量は一杯に上げても寝てるみたい。アクオスのスピーカーなんて無いのと同じだね。

ヘッドホーンを繋いで音らしくなったよ。しかし画質もなにも、こんなに悪かったかあ? もうアカンで。明るさ一杯にしても暗い。

場末の映画館のスクリーンみたいな趣やね、油絵見てるみたい。もう長くはないみたいだね。





120センチの机、意外としっかりしててビクとも動かんね。これなら50~60インチ載せても大丈夫みたいだよ。

















気に入ってる人にはいいんだろうけど必要としない機能を省いて必要最小限に凝縮して安価にできないもんかねえ?

大方遊びばかりだよ。珍しいから最初だけだろ? 理解するだけで疲れてしまうよ。

オレなんか、鼻からテレビ放送なんか要らんのだから遊びの要素を全部取っ払え、パンツ一丁でいいんだよ。





そこへ行くとチャンヤ~ワンヤの国の大型液晶画面は、テレビ機能省いて接続増やしてそこそこ映ってりゃいいんだよ。

パソコンのモニターなんだろうね? 映りは、吃驚するほど綺麗らしいけど安心感がないってとこが至って痛いんだね。

値段もだいぶ安いところが花だけど、或る日、突然真っ黒けとか、頓死とか、高くつく安もんになる確率が高いんだろうかね?





壊れたよ。「ナンチャラカンチャラ」 修理してよ。「ドウチャラコウチャラ」 聞いてんか? 「ナンキンッギャクサツアルヨ」 

こんなの相手に疲れるからね。当時、南京市民人口20万人なのに虐殺30万人、どういう勘定しておるのかね? 訳解らんわ。

さて、ならぬことを云っても仕方がないからスーパーへお買い物でも行ってくるか。外がエライ冷えておるね。

















サイマーだったかな? ネットの自転車屋さんで買ったんだけど整備が完全だね。スイスイと心地よく転ぶね、ああ、もう着いたのね。

このぐらいの時間帯ってのは帰宅時間と重なって綺麗な奥さん方が多いね。「何処のスケベなおっさんや?」 愛想だよ。

ええと、パンだろ、小豆のぜんざい袋詰めか、身も心も冷え切ってるからぜんざいで温めようかなあ、198円か、高めだね。





「食パンは、なんぼやった?」 ふっふふふ馬鹿め、一斤88円よ。グニュウッと掴んでみたいんだけどソッとカゴへ入れたよ。「なんでや?」

人が鷲掴みで握ったパン気持ち悪いだろ? 「袋に入っておるがな」 オレは、そんなの大好きじゃない。

カゴに入れた食パンを押し込むようにしつつ握って柔らかさを判断する。「固かったら?」 棚へ返すんかよ? 諦めるよ、くそっ。





菓子パン、う~ん、奥の方から手を伸ばしてチーズのフカフカ一つ、「名前があるやろ?」 形で解るよ。

レーズンパン、知らん間にカゴへ放り込んでたね。明日の朝食用だよ。今はね、カップの容器にコーヒー豆の粉を紙に受けて、

沸かした熱湯を垂らし込んで作ってるんだよ。ネスカフェではないね、喫茶店の味に近いかなあ、味わいがあるよ。


















ロッテの冬季限定ラミーとバッカス、束ねてポイポイっとカゴへ放り込む。「高いだろ?」 160円だよ、コンビニだったら200円だよ。

まあ、今んとこはだね、ホン間に合わせのお買い物もどきだよ。そのうち、おかずだの、ハムだの踏み込んだ領域を侵食しよう。「黴菌か?」

オレが自転車のカゴに買いもの袋入れて施錠の鍵をポケットから出すのにマゴマゴしてたら、横手の背の高い綺麗な女性が





自分の自転車を引き出すのを待ってニッコリ笑って見てるの。 「おまえが邪魔なんだろ?」 2台ほど離れた空いた列からだよ。

「ああ、あった」って鍵見せたら白い歯を見せて笑ってる。オレって、何故か、構ってあげたくなるタイプに見えるのかなあ? 

「自転車泥棒と間違われたんじゃないか?」 バレかかって焦ってるのか? 夢のない話をするな、サイマーの自転車だぜ。「関係あるかい」





女性は、ニッコリ軽く会釈して左側、オレはニッコリ右側へ、会社帰りの女の子だね。ニッコリ笑って袖触れ合うも他生の縁だよ。

しかし、この辺りの道路事情は至って気ままで気楽な自由感に染まっておるね。車が通らないもんね、スイスイと転ぶままだよ。

いつも日曜日って感じだね。「おまえと一緒だね」 そういえば、気楽でなるとこ任せの貧乏男に成り果てたもんだよ。





そうだね、こうして少しずつ外へ外へと自由人は足を向けつつだね、なにかしら人生に用がある限り前向きに生きていくのさ。
































カメレオンの独り言-1761 『地獄の瞬間』

2017年02月08日 | 日記







 『長崎の泣きじゃくる孤児』 2017年2月8日








1945年8月9日午前8時02分、右側に立つ3人の人物は、何が起こったのか理解できず呆然と立ちすくんでいると説明がある。

爆心地から4キロの地点で原爆の存在すら知らなかった人々の呆然自失の様子が伺えるとある。

まさに偶然の撮影なんだろうね。長崎爆心地から4キロ、其の人がシャッターを切った瞬間、辺りは様相一変地獄と化したんだろうね。














『長崎 1945年8月9日午前8時02分』








ピカッとフラッシュが光ったような、瞬間、会社で仕事中の父は咄嗟に机の下に隠れた。其の瞬間ドドーンと爆発があり爆風が会社を襲った。

勤務中だった女の子はガラスの破片を全身に受け血だるまになった。

父は無我夢中で町中を駆けずりまわったとある。父の家族は疎開させていたお陰で長崎から25キロの離れた町で難を逃れたとある。





爆風は、長崎の街を吹き飛ばし其の火焔は町々家々を焼き払って終日人を寄せ付けなかった。こんな寫眞は、初めて目にしたよ。

































カメレオンの独り言-1760 『行き当たりばったりでも話は転んで行くみたい』

2017年02月07日 | 日記





 『騎兵隊』 2017年2月7日






2月1日 価格推移グラフ 東芝REGZA 58M500X 58インチが¥19.830に急激な値下げ、こんな場合は、どうなるの?

オレ、パソコンしながら、ずっと、一日チェックしてたよ? どういうことなのよっ? 

1月31日、¥132.887辺りからドンッと落ちて、2月1日、¥19.830となり、2日、¥130.985に元に戻ってる?





オレが目の先で狙ってた変動を見落としたなんて馬鹿みたい。深夜かっ? 1日の深夜に急落した時間があったなあ~? 寝てたあ~。

「起きずにそのまま昇天しとけっダアホッ」13万の東芝58インチ液晶大画面が2万で買えとったやないかいなっ。

今日は、2日、最悪の貧乏くじ。なんやねんっ、なんで起きてる時に見れなかったのかああ~っ一瞬というのもあるかもね? 「う~ん?」





去年の夏頃かね? ニコンのCOOLPIX P900が欲しいなあって、価格コムをチェックしてて数日だったかなあ? ¥56.000が

5千円程度に急落してて見逃したもんね。オレがめっこ入れてて、これで2回目だよ、タコッ。

5~6台購入して売り捌いたら大きなお小遣いになってたのにねえ~、タコッ。 「役立たずの、バカタコッ」 激しい虚脱状態。












『価格コムの東芝REGZA 58M500X 58インチ価格推移グラフ』





さて、過ぎ去ったことをゴネゴネ嘆いてても仕方がない。まあ、スリルとサスペンスだね。

此の前、運転免許証の更新用写真を遊びながら馬鹿げた顔を撮りまくって自信喪失もええとこであったが、気を取り直して、また、撮ったよ。

ほおう~、今回は、なかなかええ顔を撮れたね、自信が回復したよ。また、えらいええ男に映ってるよ、ホンマ。いがんでないよ。





コツのようなものを習得したね。ジッツオーの三脚を用意して本格的だよ。ここに紹介出来ないのが残念だよ。「誰も見たくないわ」

おまえは世間を知らんね。テレビにでてるからええ男なんて思うなよ。創られたしょうもない奴ばっかりだよ。

「★★ちゃんは恰好ええわぁ~」って、世の女性たちには定評であった。しかし、自信がなかった、しかし、今回の写真で復活したよ。





「来給え、僕の傍へ」そんな台詞が似合ってるよ。「高慢な変態か?」 そういうんじゃなくて寄り添ってあげてるんだよ。

みんな、元気にしてるかなあ? 誰も彼も幸せなら結構だよ。ことの流れから身を引くって時があるね。

彼女とも会わずじまいだったね。まあ、枝分かれして広がりみせて幸せ見つけて春に向かって伸び往けば、これまた結構の極みだよ。





しかし、この写真写りを見る限りに於いては、まだまだ、身の危険を感じずにはおれんね。「どういう意味や?」 いやいや、女難の相だね。












『1990年代の大阪福島区環状線から見て阪神電車本線踏切』






毎日、通勤してた阪神電車の福島駅、久し振りだね。なにわ筋からあみだ池筋を通って堂島大橋、通い慣れた道だったね。

福島の踏切向こうのマクドナルド、本屋さん、沿線沿いの方に折れると養老の滝のお店、毎度、暖簾くぐったよ。

仕事上り、焼き鳥と串カツ、ジョッキのビールが美味かったあ。もう、今じゃ辺りの様子も変わってしまったかねえ?





古い写真を見つけては貼ってるけど、こんなんしててもええのんかいな? いつも心が痛む、せやけど貼ってしまう。

何か良心に背を向けてはいるけど笑ってる。「反省などしとらんではないか」 そんなの思いつつネットをウロウロして探してる。

canon Eos 50Dの取説をずう~と見てて日が暮れたよ。50Dのカメラを目の前に置いて見比べて疲れてしまった。





改めてとんでもない機能の多さに頭が炸裂しそう。40Dなんか防湿庫の奥で腐ってる。ハエが飛んでおるよ。

考えたら、いつまで経っても新品のままなんだけど型落ちだけは一人前だよ。40Dも50Dもただただ古くなるばかりだよ。

Canon Eos 24~70mm F2.8L USM の高級レンズ、素晴らしいレンズだよ。ふつう、素人には使い切れない代物だよ。





「じゃあ、なんで、そんなものを持ってる?」 今更、安もんは持てないよ、恰好がつかんだろ? 「恰好だけかよ?」 そうだよ。












『canon Eos 50D Canon Eos 24~70mm F2.8L USM』






時間が余ってるからね、この時間を無駄にせず一念発起カメラを使いこなそうと思ってるんだよ。苦痛を克服せねばならん。

デジカメでもボケてる写真しか写せないんだよ、大きな声では云うなよ。「みんな知っとるわっ」

「まともに写せない癖して大きなカメラにレンズ、今更、持って出れんだろ?」 頬被りして目立たず隠れて写すよ。





「おまえなあ、使い切って腕が上がって味を知る、そういうもんだよ。拭きまくって光らせて飾って、何も知らぬままに死ぬのか?」

其の道理は、最近、目覚めてきてるんだよ。しかしながら、ものを大事にする癖が治らんのだよ。

「大事にすることは間違いではないけどね、機能を熟知して使い切って身にして学んで、其処から何かを生み出してこそ本当の価値を知るんだよ」





仰る通りでございます。「なんや、ホンマに聞いとんか?」 一度は、レンズを転がしてやろうかっ、と思ったこともある。

「なんで転がすねん?」 いや、無傷の価値にしがみつく未練と申しましょうか。「おまえは骨董品屋か?」

「どんなに大事に大事にしていても壊れる時は壊れる、生きてるもの、生きてる時間、此れ以上に大事なものはないぞ」





仰る通りでございます。「真面目な気持ちなんか?」 真面目な気持ちです。なにか、眼から鱗が落ちたようなそんな思いでございました。













『1959年(昭和34年2月)大阪千日前』






写真向かって東方面日本橋筋一丁目へ、此方に向かって千日前、其の手前に千日デパート(此の頃は、まだ、歌舞伎座だったかね?)が在る。

左手(北)歩道側(拡張工事前)の街並みが写ってる。滅多にないんだね、此の通りの貴重な写真はね。

バスと車2台が東に向かって走ってる、その前辺りに「君が代」のぜんざい屋さんが在る。其の向こう端辺り、「食堂園」ではないか?





右手(南)交差点角のビルの窓面に、もう、此の当時に「山野愛子」の広告があるんだね。どろんこ美容じゃなかったかな?

此のビル伝いに南側、大映映画館が在る。古~い時代に写ってるけど、同年、アメリカ西部劇映画 『騎兵隊』が上映されてんだね。

千日前から大劇通り、南海通りを伝い来て、北側、戎橋筋と併せ出て難波、高島屋前の南街劇場で格好いい看板ぶち上げて上映してんだよ。












『騎兵隊』








1959年6月、ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演 『騎兵隊』






南北戦争の戦いの一つビックスバーグの包囲戦の指揮をとったベンジャミン・グリアソン将軍がモデルになってる。

子供の頃に見た「騎兵隊」 時は過ぎ去りても、なんでかねえ? 向こうの奴は、全然、格好良さが古ぼけないのは、どういうことかね?

































カメレオンの独り言-1759 『雑談』

2017年02月06日 | 日記





 2017年2月7日






ポカポカポカポカ、優しい日差しがオレを温めてくれてるよ。ベランダの端っこのキャンピング・チェアに腰掛けてまどろむよ。

静かな午後のひととき、こんな幸せな時間を独り占めだよ。ポカポカポカポカ、春のようだよ。

脇の洋間のドアを開け放って網戸を通して陽気な暖まった空気とともに奥の廊下まで太陽がお邪魔して遊んでるよ。





ああ、なんて気ままな時間だろうか。見上げれば雲ひとつない青い空だね。

晴れた深夜はね、必ず、南の空にひときわ輝く大きな星に目をやり「お父さんが見えてるか?」って語りかけてるんだよ。

お父さんの心の声は、おまえに届いているか? そうか、おまえのニッコリした笑顔で安心するんだよ。いつも傍にいるよ。





太陽が瞼を赤く染めて温もり、暫くして目を開けると、今しがたまでの僅かな時間を眠っていたような錯覚に陥るよ。

幅1.2メーターほどの細長いベランダの端っこがオレの居場所だよ。仕事を離れて定位置になっちゃった。

前が道路だけど滅多に人は通らないから平日でも静かなもんだよ。午後2~3時頃かなあ? 何度か気づいていて何気に顔を向けた。





おかあさんの自転車の後ろ座席に女の子がちょっこり乗ってニッコリ笑って手を振っていく。此の地の初めてのお馴染みさんになってるよ。













『防湿庫から出してカメラとレンズを目に馴染ませよ』 







今日も、カメラの取説を片手にカメラ弄っては構えたり、解った積りで頷いて納得して、次の項で前のを忘れてしまってる。

手に馴染ませる、これだね、まず、手に馴染ませることから慣れる。いつも手元に置く、退屈なったら弄る、構える、

なんでもいいからシャッターを押す。此れを繰り返して馴染むことから毎日実践する。開眼したよ。「ホンマかよ?」  





今日は、朝から雨が降ってるよ。昨晩は、なんか怠くて喉の調子もおかしいなあと思ったので風邪薬を飲んで早目に就寝した。

幸い、早目の服用で効き目があったかね? 体調が戻ってるよ。滅多に呑まない薬は至って効き目が速いね。

そういえば昨日は煙草を吸ってないね。身は正直だね。じゃあ、ベランダで一服するか。なんだよ、雨が降り込んで濡れるではないか。





しかし、オレは喫煙歴は相当の歴戦の強者であるにも関わらず、なんか、我慢ならんと云う禁断症状的な癖が出ないみたいだね?

体質に合ってるのかなあ? ほとんど、吸わなくても平気じゃないのかな? 「じゃあ、今から即やめろ」

馬鹿か? 楽しみがなくなるじゃないか。「それみろ、やめたら、タバコッ、タバコッて我慢できなくなるわ」 一度、試さねばいかんね。





最近、極自然に喫煙が減ってるのを実感してるよ。其れはなんでかと云うと、家ん中での禁煙を徹底してるからね、白い壁を守るためさ。


















なんか奥さんが黙々と片付けしてるよ。洋間のクローゼットの前に積み上げたダンボールの荷物が半分程減ってるよ。

相当、頑張ったみたいだね、チェストって云うのかね? 4段の引き出しが埋まってたけど姿を見せたよ。ちょっと空間が広まった。

もう、一息、死ぬ気で頑張れ。「入り切らんから残りはリビングの方で収納家具を購入して仕舞うわ」 ああ、そう。





まあ、じわじわと片付いて綺麗になっていくのも悪くはないね。山盛りの鬱陶しさが緩和されて大分嵩が低くなったよ。

オレが手出しすると 「あんたは何を捨てるか解らんからなっ」って、怖い顔して監視が厳しいんだよ。

オレが、ひとたび動いたらスッキリと後腐れなく片付けてしまうけどね。無けりゃ無いままさ、消えっちまえ、ゴミども。 


















また、東芝REGZA 58M500X 58インチが値上がりしちゃってるよ。価格コムの機種ごとにレビューを参考にすると「アクオス」は、

全体的に画質に於いては高評価だね。あまり酷い表現で貶す人が少ないよ。4Kも、まだ、本格的ではないみたいだね。

ただ、映画を観るだんには、ブルーレイで映すとその綺麗さに目を奪われるなんて感動されてる。此れは価値があるだろうね。





音質は、どこも似たようなもので、あまり期待できないらしい。BS、スカパーなんて興味ないから自ずと絞れてくるだろうね。

VAパネルは、視野角が狭くて斜めに見ると白っぽく見える欠点がある。VAじゃないパネルになると高価になるらしい。

4K有機ELなんてのがあるらしいけど、大方、VAパネルじゃないの? 別に輪になって観るわけじゃないしねえ?





4Kの効果は50インチ以上が対象で40インチでは、然程、悦べない。「ホンマかいな?」 まあ、50以上ならクリアしてるよ。

東芝REGZA 58M500X のM500Xは下位クラスでZ700X、Z20Xぐらいの上のクラスを狙いたいって云ってるよ。

そんなの云ってたら高くなるだろ? 切りのないこと云うな。こちとら安くて綺麗で大きいのが欲しいんだよ。贅沢を教えるな。





まあ、総じて判断するところ、ソニー、パナソニック、はパス。東芝かシャープか、裏の坊主に聞いたらよく解ると云うところだね。


















もう少し、小遣い貯めてからにするか? 暫くの間、壊れかけの37インチ「アクオス」で間に合わせておこうかなと考えてもいてる。

奥さん、37インチ「アクオス」アンテナも繋がず、もう、捨てる気で居るから洋間へ移動して映画専用テレビにしておこうかな。

テレビは滅多に観なかったから、時折、観ると未だに綺麗さに驚いてたからね、壊れかけでも、まだ持つだろ?





今、売り出してる最上レベルの大型液晶どもより、うちの方が高かったよ、37~8万もしたんだから。ようも、こんなん買いよったなあ。
































カメレオンの独り言-1758 『題を書くのを忘れたよ、なんでも見繕うてんか』 なんやねん?

2017年02月04日 | 日記





 『1965年 南街劇場右手側 エレキの若大将 怪獣大戦争上映看板』 2017年2月4日






オレがカゴを持ってスーパーん中を、うろついて牛乳やパンなど買うなんてのは、数十年、いまだかつて無かったに等しいね、と思うよ?

コンビニで買うのが慣れ切ってたから調子狂うね。小遣いにも無頓着だったからお金の思うがままに転がり出るに任せてたよ。

自分は、煙草以外にあまり使わないんだけど傍(はた)の子達が、其の分、大まかに無頓着だったね。 「撒いてんか?」 喜んでるよ。





今、こうして、また、貧困生活になっても、其れはそれで生き方を変えればいい訳で、見慣れない値札を真剣に見つめておるよ。

「この牛乳はあちらと比べたか?」 当然だよ、手元のは168円だよ、向こうから218円、186円だったかな? 安いだろ?

「レーズンパン、今日は高かったか?」 そんなのあるの? 「其の日その日で値段が変わるんだよ」 おまえ、よく知ってるね?





なんてことを考えながら無駄のない慎ましい生活スタイルを身に着けておるんだよ。これもね、そういうスタイルも悪くないもんだよ。

長らくご無沙汰してる新聞配達のおじさんが云ってたよ、「★★ちゃん、できるかあ?」なんて馬鹿にしておったねえ。

あのねえ、人間は無理しなくても奥の手があるんだよ。「どんなんや?」 喰わなきゃいいんだよ。死なない程度で生きてりゃいいんだよ。





今の日本人は「ひもじい~」なんて知らんだろ? クソ贅沢に慣れ切って質素ってのを忘れておるんだよ。「みじめではないか?」 












『どこでも似たようなスーパーの店内』





人間はね、好きなことに夢中になるとね、喰うことなんか忘れて忘我の境地だよ。アホな頭を駆使して一心不乱だよ。ざまあみろ。

「そのあとで腹減るだろ?」 茶漬けを喰ってりゃいいんだよ。云っとくけどね、毎度、茶漬け喰ってる訳じゃないよ。

ああ、そうねえ、ピザのLサイズ配達お願いねって喰ってるよ。しかし、このピザね、云っちゃあ悪いけどマズイね。三流だよ。





チーズが貧相だね、オレは、あんまり喰わないけど、昔、心斎橋の小大丸ってとこで喰ってたピザは美味かったね。ト~ロトロだよ。

あの頃は、若かったからペロリって喰っちゃってたけど、今は、二切れ、頑張っても三切れ程度で胸焼けするよ。

しかし、ホンマに美味いものを喰う贅沢も大事だね。生きてるって喜びに舌鼓して心も満てて感謝も覚えるからね。












『金張り込んだら美味いピザが頂ける』





今、58インチの液晶大画面をだね、狙ってる訳、「そんなの金が何処にあるんだよ?」 金なんてのはね、あるもんなんだよ。「嘘つけ」

もう、6千円程下がってるよ、落ちろ、落ちろ、転げ落ちろ。今日は13万千円を割ったよ。

自然保証が7~8千円プラスは痛いけど仕方がない。12万まで落ちたら大したもんだよ。「また、上がるわいな」 遠く離れたら捨てたらいい。





「諦めるのか?」 縁がないと思えば無いものだよ。また、他で現れるもんさ。ただね、映画だけは大画面で観たい欲求があるね。

ブルーレイなんかで観たら価値があるだろうね? オレはね、大画面で馬鹿糞番組なんかは絶対に映したくないんだね。「失礼だろ」

つまりだね、そういう手合いの番組を常日頃映すとね、映画の大画面の魅力が死んじゃうの。これが許せないんだよ。





映画館へは、なかなか行く機会がないから映画館の雰囲気を殺さないように静かに観たい訳だね。まあ、自分の世界だね。

そこらのチンドン屋連中なんか、毎度、出てきやがったら雰囲気丸潰れだよ。そんなのは普通サイズのテレビで充分だよ。

オレはね、DVDでもブルーレイでも上映の館内放送を入れ込んでおいて欲しいよ、「本日は、ご来場を頂きまして誠にありがとうございます」





照明が落とされて静かに幕が開き出すね、「最後までご鑑賞のほど頂けますようごゆっくりお愉しみくださいませ」なんてね、期待と緊張だよ。












『南街劇場、今は、もうないね』






礼儀があって慎みたしなみつつ時間を共有して悦ぶ、こういうふうに映画を愉しみたいね。「そんなのおまえだけやろ?」 

解らん馬鹿どもは、喋るわ、騒ぐわ、もの喰いまくるわ、バタバタしよるわ、節度を心得ん奴とは一緒にはよう観んわ。

「そんなの肩凝るだろ?」 映画の内容にも幾分かは影響するけどね。怠い~のお~なんて崩れまくることもあるだろうね。





オレは、大スクリーンに遠慮なしの大音響、身震いするような興奮に包まれて、それでいて、じっと本を読むような感覚が堪らんかったねえ。

今は、イヤホーンかけて17~27インチのモニター眺めて独りの世界で感動して久しいね。其れはそれで充分愉しめるんだけどね。

ゆっくりと気遣いなく自分の時間に酔えるのは、今かねえ? そう思うと58インチを買ってやろうかと本気で考えたりするわけ。












『50~60インチ、近いうちに購入の予定』 ホンマかよ?





幸い間取りの大きな綺麗な家に縁があった。独り12畳の部屋は、真っ白けのクロスにフローリングなんて贅沢なもんだよ。

大型液晶画面を備え付けるのに場所は困らんね、ただ、壁を傷つけることはできないから机の上に置くことになる。

130×80×20、薄くても大きいものだから地震なんかで、此れが引っ繰り返らないように、其れなりに工夫がいる。





暇だから、仮にだね、具体的に備えるとしたら、120センチの机に置くには、其れ相応の安定性が必須となる。

40キロの耐荷重がある机だから25キロのテレビを置くには無理ではない。しかし、補強なしで安心かとなると不安だね。

130センチを超過した部分は、隣の長尺の机に少し被せても支障はない。問題は、壁を傷めず支えになる方法をどうとるかだね。





まず、机の天板の強度を補強するには突っ張り棒を用いる。試しに洋服箪笥のを利用して70センチものの棒でバッチシだね。

そして、190~280センチの突っ張り棒を用意して天板の裏側にある70サイズの突っ張り棒と垂直に天井に伸ばして固定する。

素晴らしい発想だね。天板を挟んで互いが突っ張って固定しあう訳だよ。「不細工じゃないか?」 安く浮かす苦肉の策だよ。












『このスペースに58型を置いてだね、かぶりつきで映画を観るってのは、どう?』





これがだね、背面の壁も真っ白、突っ張り棒も真っ白、どっちも真っ白なんだよ。「なんで長い突っ張り棒が天井まで必要なんだ?」

素人の頭の働きはそこまでか? 突っ張り棒の突っ張り強度は30キロだよ。長い突っ張り棒がテレビを支えてくれる訳だよ。

床と机と天井の固着が大きな安定性をもたらして机の揺れを殺してくれる。 「しかし、突っ張り棒は気になるね」





机の高さが70、テレビの高さが80、天井まで見えてる部分は110センチだよ。大して目立つほどの棒ではないよ。

棒がテレビを固定する役目をしてくれる訳、がんじがらめに固定しなくても倒れなければ難を逃れるよ。

テレビの背面には、壁掛け用のネジ穴が4箇所設けられている。此れを利用せぬ手はないだろ? 「どうすんねん?」





あとは、どうなと工夫すれば固定は難しくないよ。安心を買うなら突っ張り棒1本1215円の出費で片が付くよ。

まあ、そういうことを考えてだね、捕らぬ狸の皮算用ならぬ58インチを如何にものにするか、あかんでもともとの遊びだね。

リビングの小型テレビで充分満足なんて奥さん云ってたくせして話が具体的になってくると 「リビングに置くっ」と突っ撥ねて怒る。





リビングでも何処でもいいけどラジオ代わりにつけっぱなしのテレビ観ても興ざめするだけだからね。「やっぱり要らんかなあ」












『まあ、そんな機会があればデカいのを備えて、かぶりつきで映画を観る予定』





もう少しお金を貯めてゆとりをもって自分用のテレビを買うことにしよか。「財布が詰まってるって大きなこと云ってたな?」

事実だよ。「おまえの事実はどれほどのもんか?」 財布が詰まって破けそうだよ。「嘘つけ」

オレはね、そんなに自分のことで金は使わないよ。ボロボロ財布が破けて捨てただろ? あん頃の小遣いの出方は底抜けてたね。





今、大事にしてる財布は糊で引っ付いたように金が着いて離れないよ。あのボロボロ財布も財布自体は悪いものじゃなかったけどね。

財布ってのは、絶対に善いものを身に着けないといかんね。惜しんで安物持ってると其れに応じた出入りしかない。

まあ、オレの場合は、神さんが程よくまわして枯れぬ程度に潤わせてくれるみたいだね、そんな神さんだね。 「どんな神さんやねん?」





まあ、謂わば世話好きな神さんだね。どうにもならん男相手に、何故か、いつも守ってくれてる神さんみたいな、そんな人です。

































カメレオンの独り言