カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1121 『咲いたら散るまで生きるは同じ』

2014年04月30日 | 日記






 ノーマン・ロックウェル 4月30日







気を張って疲れたのかな? よく寝たね。今日(29日)は、一日、雨だって云ってたから、その気で就寝したらホンマに馬鹿みたいに寝たよ。11時かよ。

息子も、よく寝てる。奥さんも、ほっとしたのかして口開いて爆睡してるよ。

夢遊病者みたいな状態になって、訳の解らんこと云い出して吃驚させよったから無理はないね。






寝るまえ、「おかん、心配させてごめんな」って云ってた。〇〇〇〇、お母さんが、えらい喜んでるだろ? 「うん」 オレの話しは通じてるみたいだね。

人間は、何かを柱にして自分を支えねばならない。オレの柱はか細いから、突飛ようしもないことが起きたら藁をも掴む思いで慌てるよ。

オレが、常に独りがいいって云う腹は、支える柱に自信がないんだろうね。狼って自負する裏は、やっぱり、ただの痩せ犬かも知れんね。狼と犬は似てるもんね。






昔と違って精神科に通うってことが、恥ずかしいことではない時代なようだから、その気にさせて、暫くは通わせようか。随分とアメリカ的だね。「何処がやねん?」

















毎年、毎年、春になれば芽が出て辺りは花盛りになる。愛でるところに咲く花もあれば、解らぬままに咲いて散る花もある。人生だね。


















カメレオンの独り言-1120 『人生は、七転び八起き』

2014年04月29日 | 日記






 4月29日







或る日、突然なんて出来事は、交通事故みたいなもんだろうね。退屈なぐらいに変わらぬ日々を過ごしてると、なんか変化が欲しくなる。

出来事なんてのは、変化だから、たまには喜ばしいはずなのに日々の退屈が、いかに結構かを思い知ることになる。

知らぬ間の有難さなんだろうね。なんにも無いほうがいい。退屈に思える気侭な時間ほど結構なことはない。






「おとん、俺は臆病やから自分を守ることに疲れるねん」 臆病か、それはな、お父さんの血がさせるんやなあ。「おとんは、ちゃうやろ?」

いや、誤魔化す術を身につけたに過ぎんよ。お父さんは、ホンマの怖がりだよ。「そいでも勝ってるやん」 其れは、単なる火事場の馬鹿力だよ。

窮鼠(きゅうそ)猫を噛むってやつだよ。「俺は、それも、ようせん」 お父さんより、おまえの方が大人なんだよ。つまり、自分に正直なんだよ。






武道を身につけようとする動機は、強くなりたいってのが多いんじゃないか? 弱い自分を強くしたいってね。

でも、強くなると弱くなることを知るんだよ。そして、其れを実践できるんだね。たとえどつかれても、ごめんなさいと頭を下げることを知るんだね。

ないものを、辛い修行して身につけて習い知るんだね。心を、感情を、制するんだよ。ゆとりから出てくるもんでもあるやろうね。

















つまり、自分に克つことを覚えるんだよ。おまえも習いに行くか? 「あかん、俺は、それすら怖い」 じゃあ、どうしたら弱い自分を立たせることが出来る?

「・・・・・・」 自分にかまけるな。自分ばかりに捉われるな。人に対して自分が何をしてあげられるか、考えたことはあるか?

人を思い遣るということは、自分を忘れる時間を貰うということだよ。自分が、救われたかったら人を助けてあげろ。






人を喜ばせてあげろ。人を心地よくしてあげろ。その思いが、自分自身に捉われるおまえを救ってくれるんだよ。喜びが返ってくるんだよ。

戦うだけが人生じゃない。癒してあげることも人生だよ。弱さを、誰よりも知っているんだろ? だから出来るんだよ。

自分の弱さに捉われて二進(にっち)も三進(さっち)も行かぬほど悩み出したら、人のことを考えてやり。其の時間でさえ、おまえは救われることになるんだよ。






自分は、人のために何ができるかだよ。そこから、おまえが目の前に在る壁を乗り越える答えがあると思うよ。

息子は、黙って聞いていたよ。こころなしか顔色が良くなってるよ。おまえも、人生の戦いが始まったね。

泣いて戦うか、笑い飛ばして戦うか、人は、心の持ちよう一つだよ。

















怒鳴ったり喚(わめ)いたりしない子だね。そのぶん、みんな溜め込む子だね。オレとは違うね。独り、悶々と考え込んで穴倉に篭ってしまう。

最近、部屋から出てくる時間が減ってるなあとは、思ってた。独り、思い悩んで壁を見詰て苦しんでたんだろう。前途を悲観するんかねえ。

今の自分の在り様に恐怖を覚えるんだろうかね。オレが、生きてる間は、食い扶持は守ってやる。あとは、人智の及ばぬ運命だよ。






どういう状況に置かれても、自分をしっかり維持して生きる人間に育て。もって生まれた出来のいい脳味噌を生かす術に気付け。

お父さんは、カビの生えた脳味噌では、どうにもならんから身体で持たせた。

習って生きるは容易い、掘って探して見つけて生きる道を選んだら覚悟を決めて探り出せ。時間は、まだ、たんまりと有る。人生は、短いようで長いよ。






親父も息子も自由人。因果な血を分けてしまったよ。息子よ、生きる術を教えよう。無様にこけても立ち上がればいい。そして、歩き続けるんだよ。

















黙ってオレの話を聞いて、ニッコリ笑って「おとん、寝るわ」 おう、そうしい。「〇〇〇〇、明日のことは誰も解らん、一緒だろ?」 うん。

吃驚させよってからに。正気には戻ってるかな? 「おまえは?」 正気だとは思うけどね? 自分の錯覚かも知らん。

あいつも寝たことだし、じゃあ、今日のことを書いておくか。「やめろ」 なんで? 「う~ん」 あいつの人生の、ほんの出だしのお話だよ。






「明日のことは解らない」 書ける気分的ゆとりと時間があれば書く。駄文のいいとこだよ。






















カメレオンの独り言-1119 『予想外の出来事に困惑』

2014年04月28日 | 日記















書き終わった駄文を公開してから、もう一度、読み返して間違いを訂正することが多い。「訂正してから公開するべきだろ?」 一般的にはね。

自分の書いた文ってのは、自分で間違いを見つけにくいんだよ。自分の思いのままに読み飛ばしてしまうんだね。

でも、オレは、書き上げたら、ほっとするのかしてポンポンと公開しちゃう。前回のなんか、ハチャメチャに間違いが多かったよ。






なんじゃ、これって、自分で怒って直してたよ。キー打ちが、遅くて下手な上に不正確だね。「ええとこ有れへんがな」 でも、打ててるよ。

生きていく上でも、そういう間違いに気付かずまま、或る日、自ら思い当たることもあれば、或る日、突然、顔を出すってこともある。

活字の訂正は、容易だけど日々の油断から生じた過ちを是正することは削除キーの操作のように簡単にはいかん。






悩みとは尽きないもんだね。色変わって入れ替わり立ち代り訪れる。流石に年の功で慣れてはきたけれど鬱陶しいのは変わらない。






とは、云うものの、今度のは、経験のないことだから本当に困ったね。

















此の休みには、出掛ける予定だったけど、なんでだろうね? 出て行けそうもないことが起きてしまって、結局、何処へも行けなくなった。

想定外のとり込みごとだよ。なら、ブログでも書けばいいんだけど、それも遣ってられない。

此れは、ちょっと、片付くまで時間が掛かりそうです。なんなんだろうかね? なんでも、思うようにはいかんもんだね。






非常に残念ですが、勝手ながら、暫く、休ませて頂きます。






















カメレオンの独り言-1118 『どうでもいい話し』

2014年04月26日 | 日記






 『赤胴鈴之助』







記憶に残る街並みは闇に溶け込んで、所々にボ~と明かりが浮かんでる。何処だろかね? 道は舗装されてなかったような感じなんだけどはっきりしない。

親父が、切符を買って「入るぞ」って、呼んでいる。映画館なんだけど、気が進まないオレが居る。

洋画の「蝋人形なんとか?」って、怖そうなやつなんだね。座る席がないから館内の横手の壁にもたれて観る。






オレは、親父の脇に立ち、親父を影にして画面から身を隠すように覗き観てるの。ドワア~ンなんて怖い効果音からは身を隠せないよ。

大きな地下室かいな? 大きな釜の中の白い液体が、グラグラ煮立って湯気上げてる。

その釜の横に石段だったかなあ? 階段が在ってマントをつけた悪そうな奴が、嫌がる女の人を引っ張って登ってる、






こいつは、これからロクなことせんやろなあ~なんて、親父のコートの影から覗いてる。この映画の題名が思い出せない。

なにもかもがハッキリせん記憶って消えてしまうほうがいい。思い出そうとしたら疲れる。

昔の映画は、あっちもこっちもグラグラと、なにやら液体がぐらつくデカイ釜がよく出てくるんだよ。






「赤胴鈴之助」って、漫画が映画化になったヤツだった。記憶では、温泉の露天風呂みたいな釜がグラついてて、そこへ、悪が、はまって溶けていくんだね。

幼稚な特撮なんだろうけど、子供のオレには、溶けてるって感じはするんだね。怖かったよ。

こんなのに手に汗握って緊張してた自分を思い出すと、今の小さな子が、ポケモンやらなんやらアホ臭く感じる映画観て真剣になってる気持ちがよく解る。















昔になるけど、まだちっちゃな甥や姪が遊びに来た時、ちょうどビデオで洋画の「コブラ」を観てたの。シルベスター・スタローンが刑事やってたね。

妹夫婦に、なにやらかにやら相手になってるうちにラストシーンになってる。悪漢とスタローンが激しい格闘してる。

二人が格闘してる脇の方には、メラメラと燃え盛る炉が口を開けてるんだね。クライマックスだね。甥っ子が、一緒に観てる。






格闘の揚句、スタローンが悪漢持ち上げて、周り来る大きなフックに悪漢の背中を貫いて引っ掛けるんだね。

「ギャア~」って悲鳴を上げる悪漢をぶら下げて、そのフックは真っ赤な炉の中へ周って行くの。横っちょの甥っ子が身体振って観てる。

悪漢は、炉の中へ運ばれて燃えてる。甥っ子が、振ってると思ってたけど痙攣してる。吃驚したよ。「ああっ、大丈夫、大丈夫、これは創ってあるんだよ」






甥っ子の顔見たら緊張で固まってる。あっはははは、これはね、嘘なんやで、ホンマみたいに創ってあるの。慌てて説明してる。

「死んでないの?」 そう、ホンマみたいに創ってあるの。「熱くないの?」 そう、痛くも熱くもないねんで。

向こうで喋りまくってた妹が気付いて「そんなん見せたらあかん」って、怒ってる。もう、遅いわ。大人の目線じゃないのを忘れてた。
















オレが、観てた時代の映画は、幼稚な撮影だったけど、今は、比べものにならないほどリアルだから、ちっちゃな子たちには衝撃だろうね。

たしかに見せるべきではないなあ~と、遅まきながらに気付いたよ。身体を振りながら見てると思ったよ。痙攣(けいれん)してたのね。

お姉ちゃんの姪っ子が、一生懸命、トリックの種明かしをしてくれてる。甥っ子は、何とか理解したようで「コワかったあ~ホンマみたいっ」






すまん、迂闊(うかつ)だったね。オレも、今でも、昔の映画のシーンが忘れられないほど衝撃的に残ってる。怖い思いもそのままだわ。

甥っ子も、記憶の片隅に染みて残るだろうね。悪いことをしてしまった。小さなときは、綺麗なものや、心温まる感動の物語を見なきゃあいかんね。

















今日は、いい天気だね。奥さんが「服を誂えるんやったら行っときや」って云ってる。そうだね、そうしようか。

服よりスラックスが欲しい。誂え寸法預けておいて、其の都度、拵えて貰えれば幸いだね。面倒だけど行っておこうか。

スラックスだけでも作ってくれるお店を探そうか、カチャカチャ打ったら、うわあ~よおけあるなあ~。気重たくなるね。






最近のスラックスの既製品は、股上が浅いんだね、それが嫌なの。胴が長い癖して、そんなの履くから余計に胴長に見えるんだよ。

まあ、歩ければいいって人は、そいでも構わないけどね。全体的にバランスをとりたい人は、股上の浅いやつはやめたほうがいいよ。

街行く人を見てると気の毒な奴がいるよ。バランス感覚が狂ってるんだろうね? オレも、こんなの履いたら一緒だよ。オレの場合、よう歩かんわ。






日本人は、総体にして目の錯覚でバランスをとらんとあかん。巻尺で計ったら、大方、奇形だよ。「そんなんで、よう、高級な服買うねえ?」 だろ?

















最近のオーダーって採寸したらほとんど中国で仕上げるらしんだね。貧乏人なんだから、それでもいいけど、なんか、危なかしく感じるね。

いろんな人の意見を読んでると、高級な生地で国産のスーツを作っても、ようは、其れを身に付ける体型で良さが決まるらしい。云えてるね。

胴長、短足、デカい顔の日本人には、もったいないなんて云ってるよ。云えてるね。そうではない体型の人は、安物でも良く見えるって。云えてるね。






オレが、常日頃、云ってることより、此方の記事のほうが酷いね。そうか、それならば、何処でも一緒ということだね。では、近くに越したことはない。

目ぼしい処を選んでメモる。ブレザーは、ひとつ拵えておこうかな、ブレザーは英国屋ってとこで張り込むか。

「なんでや?」 お店の雰囲気がいいのと、紹介されてる色ガラが好みだね。スラックスは、何処でもいいや。






云っとくけど、オレが、お洒落して出たら、そこらの奥さん方が、見とれて「ステキ」って、声洩らすんだぜ。「ホンマかいな?」 残念だけどホンマなんだよ。

しかし、その実体は、外見も中身も安もんなんだよ。傑作だね。そのアンバランスが、また、いいんだよ。「何処がええねん」

「もっと、いいのを買ってあげたいっ」って思わせるのさ。「おまえって、幸せな男だね」 オレってね、ヒモ的な男の要素が漂っているんだよ。






しかし、オレは、この衣服を買いに行くってのが、何よりも苦痛だね。こんな嫌なもんはないわ。本当は、衣服なんか、どうでもええんじゃっ。





















カメレオンの独り言-1117 『固定観念よ、さらば』

2014年04月24日 | 日記














暫く顔を見せなかった中学3年の女子たちが、事務所の前に群れている。おう、久しぶりやね。「★★ちゃん、ハイ」って何か差し出してる。

ああ、そうか、修学旅行へ行ってたんやね。小さなナイロン袋に貝殻が入ってるよ。おお、ありがと、ありがと。

「可愛いやろ?」 可愛いね。「★★ちゃん、これも」 手作りの御菓子。おう、いいねえ、ありがと、ありがと。






よし、この貝殻の袋は、みんなの名前を書いて事務所の壁に飾っておこうって、テープで貼り付けるとみんな満足してる。

向こうは、今日みたいに天気は良かったか? 「いい天気やったあ」 ついてるね。なによりも、無事に帰って来てよかった。 

こうして、きゃっきゃっと帰って喜べたものを、韓国の子達は、可哀想なことになってしまった。






韓国の船が、常に沈む訳じゃない。人生は、善くも悪くも巡り会わせだね。悪しき惰性に警鐘をもたらす巡り合わせなのかも知れない。

















毎日書かなくてはいかんと続けてきて、書かなくてもいいとなると楽だけどダレて緊張感を失うね。一日、二日おきの書き始めが余計にしんどいみたい。

ものごとに徹するって姿勢は、他を排除して没頭するから、案外、楽なのかも知れないね。戦う量が多そうで少ないんじゃないの? 「そんなもんかね?」

戦地で戦う兵士は、家族や日常の諸々一切、同伴しないから自分に徹して戦える。それと似てるよ。






奥さん業の大変なのは、常に諸々同伴の中で日々を生きねばならん。奥さん等が、口を大にして訴えたいところかも知れんね。

なんでも経験せんことには、解らんことがあるもんだよ。性格にもよるだろうけど自由を渇望するのは、意外と男より女のほうが多いんじゃないかねえ?

気楽そうに見えて気楽じゃないのかも知れない。理解の得れないほど腹立たしいことはないから、思い遣りで角を丸めてあげるべきだろうね。






そんなことを考えれば今の社会は、女性にとって生き易くはなってるね。でも、此れしきのことが、なにかの折でなければ気付かないってことがコワイね。

奥深く探ろうとする思考力が、同じように皆にある訳じゃない。ええっ?って思うような考えの人も意外と多い。そういう人ほど固まってる。

夫婦なんてのは、そういう欠けた部分や理解の有る無しなんてのが、互いに影響しあっていくんだろうね。ストレスの要因だね。






男と女って捉える意識が悲しみの発端だろうね。本来は、人間対人間と云う意識こそが平等なんだろうと思うよ。

















其の方が、男もやんわり生きれるよ。「なんやねん、都合よくとってんか?」 そうだよ。

なんで、男が男らしくなんて考えが罷り通って、女は女らしくが差別だなんて云われねばならん? 女も男らしく、男も女らしくても構わない。

女々(めめ)しいなんて言葉は死語にしろ。永き世のルールは不完全なんだよ。いいなあ~、出来るならオレは、女々しく在りたいよ。






逞しい女性に助けて貰ってだね、可愛く生きたいね。其の方が、人間の力で生きて往けるよ。「恥ずかしくないのか?」 その固定観念がいかんのだよ。

人間の力を持って可愛く生きていく、害にならない人になれるよ。性は、個々のものであって公なものではない。

922回「マララ・デイ」で、中近東の固着した因習を打ち破るのは女性かも知れないってのは、まんざら当ての外れた思いつきではないかも知らん。






互いが不備なるを補い合って生きる、観念を排除した理想的な連携を構築できるんじゃないかね。「そうかあ?」 知らん、自信はないけどね。






















『付録』






あちら此方と探しまくってるけど無いね。「なにがや?」 旧長柄橋の写真。昔、堺筋を市電で淀川の長柄橋まで行った時、イナゴの大群を見たの。

長堀橋周辺イナゴだらけで吃驚したよ。当時は、長柄橋の下に堰が在って汽水域の境目だった。

川原に下りて堰の流れをまじかで見たんだけど、増水していて怖いぐらいの流れようだったね。親父と長い時間、眺めてたよ。昭和30年代前半だったかね。









『旧長柄橋を走る市電』昭和41年(1966)の写真。






諦めた頃になってフィルムに写ってるのを見つけたの。「おおっ、これやっ」 嬉しかったねえ。









『淀川に架かる旧長柄橋』







『淀川左岸側(天神橋筋六丁目方面)だね。





親父と二人で堰を眺めて立ったところが写ってるんだよ。この写真の左側のコンクリート護岸の上に居たの。旧長柄橋だよ。懐かしいなあ~。















『当時の長柄橋から毛馬の閘門周辺の淀川』一番上の橋が長柄橋、其の手前が、阪急電車鉄橋(当時は天六終点)そして毛馬の閘門。

当時は、淀川の横手(左)を長柄運河が流れていたんだね。今も、この運河の跡に、当時、架かっていた橋が、昔の面影を残しているよ。

こんなのを、今度の休みに撮りにいこうかなあ、なんて考えてるよ。相手が動かないから撮り易いし楽だよ。






「コンデジで行けよ」 なんでやねん? 一眼レフだよ。「オートか?」 そうだよ、レンズに頼るんだよ。「格好悪い奴やねえ」 放っとけ。










『旧長柄橋左岸橋詰から北方面を撮る』 下流側が写ってる。またあったね。







『旧長柄橋、上流左岸堤防から撮ってるね』 また、あったよ。よっしゃ、よっしゃ。













今のアーチ型長柄橋は、着工が1973年(昭和48年)12月~1983年(昭和58年)3月に完成したもの。





















カメレオンの独り言-1116 『映画 カスター将軍のような映画』

2014年04月22日 | 日記
 






 『カスター将軍』 







客室の増設、積載能力を超える積荷の重さ、甲板上に積まれたコンテナ、意味不明の急旋回、非常事態発生時の対応の教育を受けてない船員、

優柔不断で自己愛の強い船長、悪いことを積み重ねて船は沈んで犠牲者数が膨れ上がってる。

事故から5日を経過して、日、米、中に応援を頼んでる。船長は自己愛の故に乗客を棄て、韓国大統領は面子(めんつ)故に国民を見殺しにした。






何人かは、奇跡的に助かるかも知れないけど、不明者の大方は絶望的だろうね。

操舵室近辺に寄り固まっていた乗組員は、乗客のことなどお構いなしに我が身を守ることに専念して見事に脱出に成功した。

誰一人「乗客はっ?」と、己れの職務の使命に気づく者は居なかった。なんという奴等なんだろうかね? 






「動かないでください」ってアナウンスしたから、客は、その指示に従っているんだよ。「動いてください」って、たとえ声なりかけろよ。

客は、プロの判断を信じて従ってるのに、これは、大きな裏切りもいいところだよ。死への誘導じゃないか。

モタモタ優柔不断が時間を削り、船体は30~50~60度と傾いて出ようにも出れない状況になってしまった。






これらが判明する頃には、岸壁で待つ家族たちは焦燥しきって怒り、泣く元気も無い。酷い展開だけど、奇跡がなくもない、諦めてはいかん。







 「おいっ、カメラ回ってるぞっ」「げっ」







テレビで旅客船沈没を現地で報道中、カメラが回ってる事を知らずに爆笑する韓国メディアのリポーターが話題になってるらしい。うかつだね。

宋監査局長って、エライさんが行方不明者家族が集まる港を訪問。現地にある家族支援室の前で記念撮影をしようとした。

これに激高した家族らは「われわれは毎日身の細る思いなのに、記念するようなことなのかっ」と猛反発。安全行政省はすぐに宋氏の更迭を決めた。馬鹿だね。






「船内に残された人の生存時間を伸ばすため、船内に酸素を注入している」との海洋警察の説明がうそだった。行方不明となった乗客の家族らが激怒の爆発。

一般人って詐称して、救護所のベッドでのんびりついでに濡れた紙幣を並べて乾かしてる船長に行方不明となった乗客の家族らが激怒の爆発。

何でもかんでも拾い集めての記事なんだろうけど、韓国は、全般において、ちょっとズサンだね。































1967年(昭和42年)度作品 『カスター将軍』 ロバート・ショウがカスターを演じてたね。

この人は、1963年の『007 ロシアより愛をこめて』で、スペクターの殺し屋を演じて一気に有名になったね。

第7騎兵隊をシネラマでやるなんて、凄いって興奮したのを覚えてる。勇んで封切り映画館のなんば大劇場へ観に行ったよ。





のっけから南北戦争での騎兵隊の突撃シーンが展開する。一生懸命に贔屓目(ひいきめ)で観る。不満と、何か違和感を感じるんだけど押さえ込む。

大砲がバンバン火を噴いて迎え撃つんだけど、なんで南軍の人間が居ないねん。沢山大砲並べて撃ってんだけど射手が一人も映らん。

大画面と音響で、なんとか自分を騙して興奮してる。自分の期待感が後押ししてるのが解るから辛い。

突撃を繰り返して年月が経過する描写なんだけど、突撃する場所は一緒やないの? 騎兵の数も少ないじゃないかっ。





敵陣に雪崩れ込む騎兵隊に抵抗して撃ち返す南軍は、たしか一人じゃなかったの? なんなんだよっ? 凄い期待してる奴を、のっけから裏切るのかよ?















たしか、ロバート・ショウはドイツ系イギリス人じゃなかったかなあ? 監督もドイツ人なんだね。なんか違和感を感じたオレは鋭いよ。

何処のドイツじゃっ、西部劇にドイツの監督を起用したんはっ? アッタマにくるなあ~ホンマア~。

オレの目を舐めたらあかんでえ、脇に出てる奴等もちょっと怪しい。騎兵隊員のさまがアメリカ人じゃないんとちゃうかあ?





カスターの副官のベンティーン中尉のジェフリー・ハンターと、リノ少佐のタイ・ハーディン、なんか似たような雰囲気の二人だね。

この二人と、兵隊役のロバート・ライアンとタフな軍曹役はアメリカ人だけど、エキストラが怪しい。一体感が感じられないんだね。

なんか、その他大勢の意識が漂ってよそよそしく感じるよ。制服の着こなしもリアル感が乏しい。




















忘れていた主題曲が流れるなか、砂漠を行進する一シーンはいいね。






「誇り高き男」なんかで有名なロバート・ライアンが、金鉱に目が眩んで脱走して銃殺される兵隊役してんだけど、なんで、こんな役で出てるんかね? 解せんね?

この人は、主役も張る役者なんだけどねえ、ちょっと、鬱陶しい雰囲気がせんでもない人だけど。「じゃあ、ちょうどいいじゃないか」 そうかもね。








 『誇り高き男』








ジョージ・アームストロング・カスター(George Armstrong Custer)(1839年12月5日 ~1876年6月25日)は、アメリカ陸軍の軍人。

南北戦争では、北軍騎兵に属し、勇猛果敢な働きを積み重ねで異例の昇進を果たした。

砲撃、銃撃の十字砲火をものともせず、幾度とない突撃でもカスターは負傷すらしなかった。この突撃をカスター・ダッシュと呼ばれた。





ゲティスバーグの激戦では、1863年7月3日、南軍スチュアート将軍の騎兵攻撃を迎え撃ったカスター騎兵旅団は、

激しい白兵戦の末に南軍騎兵を追い払って撃退した。南軍の攻撃の中で、もっとも厄介だった騎兵攻撃を跳ね除けたカスターの功績は高く称賛された。

階級変動の激しい内戦期の軍隊とはいえ、20代前半で将軍職に就くことは異例中の異例だったんだね。





カスター自身も何度も死の危険に晒されたが、常に掻い潜り、戦争中一度として怪我を負わなかったために強運の男としても知られていた。(以上は実話)

















この映画は、戦後の平和な社会に馴染めないカスターが、西部に赴任してインディアン討伐の任務に就くところから本題に入ってる。

西部に赴任してから、いろいろとお話があるんだけど、有っても無くてもいいようなのばっかし。

西部開拓、西部発展には、インディアンの存在は目の上のコブだったアメリカ政府は、開拓民と衝突を繰り返すインディアンの討伐に力を入れる。





和平条約も反故にしてインディアンを追い詰めていた。その先鋒をカスターが努めた。カスターは、インディアンに悪名を売ったんだね。

1876年6月25日、カスターは、自ら700名の部隊を率いてリトルビッグホーン川を遡る。、

ダコタ族とラコタ族のスー族、シャイアン族、アラパホ族のインディアン同盟部族からなる総勢1500名のインディアンが集合する情報を得ていた。














カスターは騎兵隊を三個分隊に分けて攻撃する事を計画、リノ少佐隊、ベンティーン中尉隊、そしてカスターの本隊に分割した。

これは、討伐の大隊が到着するのを待たずに、カスターが功績を焦って行動を起こしたのが事実らしい。

映画では、相当、脚色されてるね。本隊を待たせてカスターは、斥候と共にインディアンの本隊の酋長に話し合いに行く。





















カスターは、「これからは、時代が激しく変わり武器も近代化されて、もう、我々の戦いは通用しなくなる」と、説くが、インディアンは聞き入れない。

血気に燃えるインディアンたちが、空に向って発砲する。この銃声を聞いた本隊は、カスターの身を案じて行動する。















説得を諦めたカスターが戻って来たときには、本隊は、リトルビッグホーンの広大な平地に突入していた。




























「じっと待っとけ云うたやろっ」 「せやけど、銃声が」 「おんどりゃあ~アホかっ」 「そんなん云うても~」 なんで大阪弁やねん?

見渡す限り防衛に為り得る遮蔽物はない。兎に角、不利な地から脱出せねばならない。

駆け出す隊列の中ほどへ、とっかとしてインディアンの騎馬集団が左右から襲い掛かり隊を分断する。





「そら見たことかっ」 見渡せば、四方は、インディアンの大群が取り囲んでいる。「円陣を作れっ」 馬を棄て100人ほどが円陣を敷く。






























「分断された後続隊はどうした?」 知らん、消えちゃったよ。全然、映らない。「おかしいね?」 おかしいよ。

円陣作ってる隊員も100人も居ないみたい。「出し惜しみか?」 この映画、タイトルのときから、そうなんだよ。人をケチるんだよ。

まあ、期待しすぎて観に行ったからね、なんとか自分を誤魔化して贔屓目(ひいきめ)剥いて納得したい思いが強かったよ。















酋長の攻撃の合図でインディアンの大群が動き出す。思うにね、この監督は、シネラマ効果に専念しすぎて、ほかを忘れたんだね。早い話しが馬鹿だよ。

















































多勢に無勢、身を隠す遮蔽物も無い、武器にしても騎兵隊は、命中率が高いけどスプリングフィールドの単発式、一発ごとに装填しなくてはならない。

かたやインディアンは、ウイチェスターの連発銃、全てが不利な状況だったんだね。「でも、この映画では、騎兵隊もウインチェスター使ってる」 どうでもええねんやろ?

リノ少佐とベンティーン中尉の別働隊は、リトルビッグホーン川の辺りで攻撃を受け防戦に追われて身動きができない。





川原でインディアンが、撃ってんだけど貧相な描写だね。こんなもん、蹴散らせっ。一人、二人、やられたからって逃げるなっ。もう、間に合わせもいいとこ。







































































戦いは激しく、味方は、次から次から倒れていく。音響が凄かったのは覚えてる。矢が飛び来る音、突き刺さる音なんかは恐怖を感じさせたね。

円陣を取り巻いて駆け周るから凄い砂埃、円陣内に突入してくる者を撃ち倒す、銃の弾が切れたカスターが、愛馬の背に掛けたサーベル抜いて立ち向かう。

しかし、気付けば部下たちの躯(むくろ)が散乱して、立って居るのはカスターとインディアンの斥候だけ。万事休すだね。



























この映画で、衝撃に感じたのは、この静寂のなかカスターと斥候が呆然と立ち尽くして一言、二言、話した瞬間、













凄い音を発して飛来した矢が斥候の首を貫くシーンだね。迫力あったよ。










































第7騎兵隊なんだけども、そうじゃない。そう思いたいんだけども、やっぱり、そうじゃない。「そんなら、なんやねん?」 う~ん、第7騎兵隊もどきやね。

映画も沢山観てるけど、「うん、満足」ってのは少ないね。なかなか、傑作なんてのは出て来ない。

その道のプロが、寄ってたかって創って、これかよ。こんなの観たあとは、なんか勇気が出てくるよ。






素人が独りで創るブログの出来具合なんか、そんなに気を使うことないねえ。馬鹿らしくて当たり前じゃないか。






















カメレオンの独り言-1115 『3年経過・明日から週3~4日に更新です』

2014年04月21日 | 日記







 明日(4/21)の分です。







皆様のおかげをもちまして、当、駄文の『カメレオンの独り言』は、3年にして、わたしが、目標としておりました数に達することができました。

閑古鳥が喧しいくらいに暇なお店も、毎日、必ず、開店して、一生懸命、拙い努力を怠ることなく努めれば、

やがて、大入りの日々が来ると、おふくろが申しておった通りに成らせて頂きました。皆様には、大変、有難うございます。謹んで、御礼申し上げます。






当編集の欄には、毎日gooから其の日、其の日の閲覧数(PV)・訪問者数(IP)の結果が、下記の通り報告されます。


過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2014.04.19(土) 569 PV 245 IP 3174 位 / 2010675ブログ 「こんなのを引き潮状態と解してます」 
2014.04.18(金) 597 PV 239 IP 4195 位 / 2010339ブログ       〃
2014.04.17(木) 692 PV 257 IP 4348 位 / 2010005ブログ       〃
2014.04.16(水) 757 PV 320 IP 3479 位 / 2009697ブログ 「こんなのを上げ潮状態と解してます」
2014.04.15(火) 716 PV 319 IP 3638 位 / 2009322ブログ       〃
2014.04.14(月) 673 PV 269 IP 4878 位 / 2008938ブログ
2014.04.13(日) 818 PV 338 IP 2956 位 / 2008588ブログ 「こんなのを津波現象と解してます」


過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2014.04.13 ~ 2014.04.19 4822 PV 1987 IP 3753 位 / 2010675ブログ
2014.04.06 ~ 2014.04.12 3903 PV 1802 IP 4522 位 / 2008273ブログ
2014.03.30 ~ 2014.04.05 3545 PV 1453 IP 4785 位 / 2005885ブログ







 ノーマン・ロックウェル調が好きだね。







「厳密に云えば、まだ、一週間平均で2100に成らねば、毎日の300には、達しておらんではないか?」 いいんだよ、欲をかくなっ。

もう、ここまで上げて貰えば充分だよ。「猫ちゃん、犬ちゃん可愛いブログ」じゃないんだよ。文だよ。それも駄文だよ。

オレのお店は、狭いから、欲をかいても満杯で入れないよ。大入り満員御礼だよ。昔、やってた商売の光景を思い出すよ。






お客さんが、重ねたビールケースを脚にして、そこらの板を跨がせて即席テーブル造って「これで充分、充分」って、ご機嫌になられてた。

そういうのが、オレは好きなんだよ。その即席テーブルを囲んで、酒の肴(さかな)に上司にアッパーカットを喰らわせて笑って呑む酒が美味い。

オレは、まともな会社など行った経験がないけれど、この裏側の笑いの中から表側の彼らの仕事の有り様を学んだよ。つまるところは、人間なんだよ。






人を、如何に御すか、如何に制するか、いろんなタイプの人を、どのように応対すれば円滑にことが進むか? 

この人は、善いけど、あの人は、どうもなあって尻込みする。あの人が、問題じゃないんだね。あの人を敬遠する自分に問題があるんだよ。

多くを話す言葉の貯金が無いから端的に云えば、自分を御すことだよ。自分を御すことができれば、この人もあの人もがなくなるよ。







 誰が描いてんかねえ?







話が横道逸れちゃった。これからは、お客さんに出す料理の腕を上げるため、生活パターンを変えよと思ってます。「料理の腕?」 駄文の侘び寂びだよ。

「侘び寂び(わびさび)?」 簡素、粗末、貧乏なんて意味だけど、一つの美意識に繋がる味だね。なんでも捉え方で活かしようが有るってこと。「へえ~?」

これから外界の空気に触れてだね、「刑務所にでも入っとたんか?」 ちゃうわ、アホッ。






そげえ~なあこと云うとって、長生きした奴はおらんけんねえ~。「ああ、また出たな」 おんどりやあ~腹あくくってこいやっ。「もう、菅原さん、出てこんといて」

ちょっとだね、外の空気を吸って、新しい息吹きを吸収することによって、思考の潤滑にできれば、また、斬新なアイデアも浮かぶんではないかと思う訳。

「なるはど」 なるはどって、なるほどだろ? 最近ね、マズイんだよ。キー打ちのミスだらけだよ。全然、ハチャメチャだよ。「おまえが悪いんじゃないか」







 かなりの腕だねえ。 







それとね、耳は全滅だね。耳は昔からいいほうじゃないんだけど、最近、特に全滅だよ。どいつもこいつも蚊の泣くような喋りは、やめろよと苛立つんだよ。

でも、オレより遠くに居る奴が、はっきり聞こえてるよって云うんだよ。なんだよっ。「なにを云うてんねん、おまえが難聴なだけじゃないか」そうだよ。

会議のときなんか困るんだよ、なんにも聞こえないんだよ。でも、調子合わせて笑ってる。「会議にならんだろ?」 難聴なぶん頭をフル回転して補ってる。






また、話が脇道に逸れちゃった。そういうことで、「どういうことや?」 切り替えだよ、今までの踏襲に変化を加えてだね、目覚めるんだよ。

「春の目覚めか?」 いいねえ~、色気があっていいねえ~。そうだよ、時も良し、まさしく春の目覚めだよ。

今日のオレは、昨日のオレではない、これだよ。そういうことで、明日4年目からは、勝手ながら、週3~4日の更新に改めさせて頂きます。







 描いて描けないことないねえ。







「ホントに週3~4日の更新に変更できるのか?」 しなくてはいけない。「おまえは、過去、休むと大層なお断りを入れて休んだことがない処に信用がない」 

へんな信用だね。「云ったことに責任を持たない意味じゃ一緒だよ」 今度は持つよ。まあ、古い写真なんかを穴埋め程度に公開するぐらいならいいだろ?

「もう、危ないじゃないか、スコーンと休めっ、メリハリ利かせろっ」 しんどくても、好きなことを休むってのは辛く感じるもんだね。






「好きなことを喜んでもらって、長く持たせるためなら大事なことだよ」 そうだね。よし、新風を起こすために充電しょう。「云うことが大層なんだよ」

雰囲気だよ、雰囲気ってのは大事だよ。自分をその気にさせて躍らせるんだよ。「もう、充分に躍ってるよ、おまえは」 そうかね?

昔、深夜の淀川の川原で、独り、ああでもない、こうでもないと彼是考えながら釣りに夢中だった。今になって思い出すと、オレって、ちょっと変わってるね?







 アメリカの女性って感じだねえ。







「変わってるところを生かそうとする姿勢は、大したもんだよ」 おまえも、やっぱり身内だね、自分を善いようにとってくれてありがとう。

「自分が自分を拾わずして誰が拾う、背負った自分を棄ててはならん」 それが、此の世に産まれた人間の仕事か? 「そうだよ」 そういうことか。

活かしようを悟(し)って、この世に生まれたことを、ありがとうと云って死にたいね。「そう、あらねばならん」 






貰った時間を有意義に生かそう、そういう気持ちになってきたね。気の進まぬことを遣るにおいては、いい年周りだよ。遠い昔のオレに戻ろう。






















カメレオンの独り言-1114 『映画 鮫と小魚恐怖症』

2014年04月20日 | 日記







 明日(4/20)の分です。







いつもご覧頂き有難うございます。ブログを始めてから、この21日をもちまして3年を経過します。

石の上にも3年、毎日欠かさず書いてきましたが、思うところがあり、4年目からは、週3~4日の更新に切替えて続けて参ります。

厭きて鼻につくまで、ご愛顧のほど頂けますよう宜しくお願い申し上げます。










「挨拶に、鼻につくまでなんて云うか?」 云うよ、鼻につく、つまり、鬱陶しくなるってことだよ。

どんなもんでもね、いつか、そういう思いになるもんなんだよ。だから、変えねばならんのだよ。「変わるか?」 そんなもん、解らんわ。

だから、生活パターンを変えてだね、新しい風を呼ぶんだよ。「どんなふうに?」 そんなもん、解らんわ。






想像と実際は、違うだろ? やってみなきゃあ解らんよ。まあ、兎に角だね、外に出て街や田舎を歩くんだよ。

また、新しい出会いがあるやも知れない。「あるか」 その決め言葉はいけないよ。出会いとはね、予期せぬものが本物なんだよ。

「老けたおばさんならどうする?」 素知らぬ顔して歩み去る。「ど厚かましい奴やで」 云ってるけどね、オレって、其れができないんだね。






ニコニコ相手になってあげるよ。訂正するよ、元気をあげて歩み去るんだよ。「どう、元気を与える?」 オレとお話した人は、不思議と元気になるんだよ。

「そんなもん、解らんやないか?」 気で生きてりゃ解るよ。「気で生きる?」 人には、心で当るんだよ、そうすると伝わるんだよ。

人間はね、動物ほど敏感じゃないけど相手の心を感じないほど鈍感でもないよ。誰一人粗末にしないことだね。気は養われて活きる。










『花見月(ハナミヅキ) 原産はアメリカ 今年は、いつになく綺麗に咲いた』







今日は、土曜なのに残業なんてやめろよ~。文句は文句、仕事は仕事、きっちり頑張って帰って来たよ。疲れたよ。

ちょっと寒いねえ。風呂入って、夕食済ませて、明日は休みかあ~と喜ばしい。

今、この時間も真っ暗な空間に閉じ込められた子達が、海に沈んだ船の中に居る。なのに、何一つ、してやれることもなく忘れてる時間もある。






生きるか死ぬかも遠く離れれば他人ごとなんだね。物語は、その場の出来事でしかなく関わる人たちのみの出来事でしかないんかねえ。

生きている自分の存在なんて、なんと狭くて小さなもんなんだろうかね。

それなのに、人間は、自分を中心に、とてつもない大きな存在と感じて生きているんだね。とてつもなく大きな錯覚のようだね。






片方の量り皿に世界を載せて、もう片方の皿に自分が載って、秤は均等なんだね。自分が存在するから、この世が在ることの事実だよ。

そうなのに、其れが錯覚だったと思い知るときも、遅かれ速かれ、必ず、来ることも事実なんだね。自分が死んでも、此の世は在り続ける事実だよ。

「この世が在るから自分が在るとは解釈せんか?」 せんなあ~、この世が消えたら自分も消える、自分が消えたら此の世も消える。






自分が在る限り、此の世も在る。「おまえが消えても、この世は在り続けるだろ?」 そんなことは、消えたオレには、知りようがないがな。

 

















訳の解らんことを考えてたら、沈んだ船に鎖を巻いて、クレーンで引き上げて起こす作業に取り掛かってるようだね。

それしか手の打ちようがないなら仕方が無いけど、閉じ込められた人々が、此の世の存在を意識できるうちに間に合うのかなあ?なんとも歯がゆい展開だね。

オレは、狭いとこは絶対に弱い。だから、余計に、この人たちの苦痛が身に染みて感じられるよ。






狭い空間でオレ独りなら、あれやこれやと考えまくってネガティブ爆発して完全に気が狂うだろうね。「なんやねん、しっかりせいっ」 アカンッアカンのじゃっ。






オレが、なんで、こんなんになったかと云うと、昔、子供の時に潜水艦の映画を観てからだよ。想像逞しく考えまくって恐怖が染みてしまったのかね?

あれは、たしか『鮫と小魚』だったかな? Uボート(ドイツ潜水艦)が海底に沈んだまま浮上できず、海水は艦内に浸水して水嵩が増す一方。

もう、天井スレスレまで浸水する。生き残った者が、順に、天井の隙間の空気を一杯に吸い込み潜ってハッチから脱出するんだね。











『鮫と小魚』 1957年度(昭和32年)作品 ドイツ映画







艦長だったかなあ? ハッチの何処かに引ッ掛かかって立ち往生する。先に行った部下を助けた後だったと思う。

部下たちは、なんとか海面まで届いて、次々上がって来る者と腕を組合い輪を作って最後の艦長を待つ。でも、艦長は上がってこなかったんだね。

この映画でも、やっぱり、艦長は最後まで残ったよ。艦内に浸水して水嵩が増し、呼吸する空間が狭まるシーンが、なんか凄~く怖かったんだよ。















ネットで調べたけど写真も情報も少ないね。この映画は、千日前のオリオン座で観たんだね。























カメレオンの独り言-1113 『青函連絡船 洞爺(とうや)丸の悲劇』

2014年04月19日 | 日記






 青函連絡船 洞爺丸 明日(4/19)の分です。






船長も人間だから怖かったんかねえ、一番最初の救助で逃げてる。格好悪いじゃないか、どうすんだよ。「そんな問題じゃないだろ?」

船乗りの常識を逸脱して船長やってたんだろうね。舵取ってたのは、この船長じゃなくて三等航海士の女性だったって云ってるよ、入社4ヶ月の子だよ。

事故が起きるってのは、こういうもんなのかねえ? 「時間に急かれて岸寄りに航路短縮を図ったのも事故の要因だろうかね?」






助かった学校の教師が首吊って死んだって報道してるよ。申し訳ないってことだろうかね。船長、これは、あんたにとって致命傷な出来事だよ。

切羽詰った状況に突然置かれたら、落ち着いた判断の上で行動できるかなあ? 自信ないなあ。人のことは、軽々しくは云えんねえ。






転覆して逆さになっても座礁の形跡がないのが素人目でもおかしいねっと思ってたら、なにやら急旋回したらしいんだね。

荷崩れを誰でも想像するね。でも、そう簡単には荷崩れはしない処置も施されてるはずだけど、それが起こったのかも知れない。

バランスを一挙に崩して傾いたのかも知れないね。なんで急旋回の必要があったのかなあ? 






そんなもん、後からでええから、閉じ込められてる人々を早く助けてやれ。オレだったら気ぃ狂ってるよ。浮くから沈む、飛ぶから落ちる、走るから転ぶだよ、

船や飛行機に乗るな。「アホか、乗らな修学旅行行かれへんがな」 困ったもんだね。「生きてる」って、船の中からメールがきてる、気が急くね。

意外と多くの人たちが元気に助かったって結果になればいいんだけどね。






若い子達が、暗闇の水に浸かって閉じ込められて助けが来るのを信じて待っている、一刻も早く救い出してやれ。映画なら大変なシーンだよ。

自ら脱出不可能なら救いを待つしか手立てが無い。短い時間が、永遠のように感じられる。信じるしか術がない。

船首が沈んで見えなくなった。今、この子達は海の中に居る。日本の支援申し出の回答を逡巡してる場合じゃないよ。

















フィリッピンの旅客機が消えたって騒いでたけど、結局、どうなったの? なんかパタッと情報が途絶えたね。消えた旅客機と同じだよ。

意図的にスイッチ切ったなあ? これ以上、踏み込めない事情でもあんのかね? 日本に関係ないから、もう、いいやって取材をやめたのか?

次から次から事件、事故が相次ぐから置き去りになる。なんでも、溢れるほどに有ると扱いも雑になるんだろうかね。





動くということは、それだけ事件、事故に遭遇する確率は上がる。と、云って動かない訳にはいかない。其の中で起こる。致し方ないことなんだろうかね。

















日本では、「洞爺丸事故」ってのがあったね。1954年(昭和29年)9月26日に青函(せいかん)航路にて台風15号の影響で青函連絡船洞爺丸が沈没した。

死者・行方不明者あわせて1155人に及ぶ、日本海難史上最大の惨事となった。台風通過の判断に誤りがあったために起こった事故らしい。

台風接近に備えて、当時の函館港内には8隻の船舶が在港していて、無乗員の大型外国船が走錨を起こして迷走、此れをかわして入港は難しい状態だった。


(注、走錨(そうびょう)とは、船が錨(いかり)を投じたまま流されること。強風・強潮や,海底の底質が錨に適さないときなどに起こる)






やむなく港外近海に錨を下ろし避難した船9隻のうち、2隻が座礁、5隻が沈没した。その5隻は、洞爺丸を含めて、すべて青函連絡船だった。






1954年9月26日未明に九州南部に上陸していた台風第15号は、函館海洋気象台によると、15時時点で青森県西方約100キロメートルにあって、

中心気圧968ヘクトパスカル、時速110kmで北東に進んでおり、その後17時ころ渡島半島を通過して津軽海峡にもっとも接近すると予想されていた。

17時頃、函館の土砂降りも風も弱まり晴れ間も出る。風速も20メートルから14メートルに弱まった。






自身の気象判断に絶対の自信を持っていた近藤平市船長は、台風通過も時間の問題と捉えて出航時刻を18時30分と発表した。

しかし、出航して間もなく、台風15号の南南西からの風が著しく強くなる。洞爺丸乗員乗客あわせて1337人。

航行は危険と判断した近藤平市船長は、函館港防波堤灯台付近の海上に投錨(とうびょう)し仮泊、天候の収まるのを待つこととした。















予想を裏切り台風15号の勢力は、平均して40メートル、瞬間風速は50メートルを超える南西方向からの暴風と猛烈な波浪に狂い暴れた。

船尾車両搭載口より進入した海水が車輌甲板に滞留し、水密が不完全な構造だった車輌甲板からボイラー室、機関室への浸水がおこり、

蒸気ボイラーへの石炭投入が困難になった。20時30分頃、車両甲板上への浸水で海水量の増加と船体の動揺により甲板作業は不可能にる。





海は荒れ狂い開口部から機関室などへの浸水は激しく、発電機は次々に運転不能、左舷主機、右舷主機も運転不能、

両舷主機の停止で操船の自由を失った洞爺丸は、沈没を避けるため、遠浅の砂浜である七重浜への座礁を決め、

22時過ぎ、「機関故障により航行不能となったため七重浜に座礁する」と乗客に報じた。しかし操船不能の状態では成功する可能性は乏しかった。





同時に、近藤平市船長は旅客に救命胴衣を着用するよう事務長に対して指示を出した。

函館港第三防波堤灯柱付近の地点において、後部船尾が3回ばかり軽く海底と接触し、船体は右舷に45度傾斜する。

乗組員は座礁によって転覆の危険は回避されたと考え、乗客にも、その旨アナウンスしたが、実際は船体が安定せず波浪によってさらに右傾斜を増していった。





座礁の報告を受けて青函局は救難本部の設置を決定。補助汽船4隻(いずれも150トン程度)を現場に向わせるが波浪激しく断念。

22時39分SOSを発信する。しかし陸上の関係者は、このSOSは座礁したことによって発信されたものであると理解し、

この後、沈没にまで至ることを予想することはできなかった。





22時43分頃、乗組員の奮闘の甲斐なく海岸まであと数百メートルの地点で、唯一の生命線であった左舷の錨の鎖が切断した。

この時点で洞爺丸は復原力を失い、折からの大波を受けて横倒しとなり、満載した客貨車の倒れる轟音とともに横転した。

機関停止後もボイラーは最後まで焚火(ふんか)を続け、船内は沈没5分前まで点燈していた。





22時45分頃、函館港防波堤灯台付近の地点に右舷側に約135度傾斜し沈没。最後には船体がほぼ裏返しで海底に煙突が刺さった状態になった。















これが、死者・行方不明者あわせて1155人の犠牲者を出した日本海難史上最大の惨事「洞爺丸事故」の経緯なんだね。





この洞爺丸と同じく函館港近海に投錨避難して沈没した青函連絡船は次の通りとなってる。


第十一青函丸、19時57分「停電に付き、後で交信を受ける」との通信を最後に途絶。後に波浪による船体破断のため沈没。乗員90名全滅。

北見丸、22時35分、葛登支灯台沖にて転覆沈没。沈没地点が8キロも沖合だった事から乗員70名殉職。

日高丸、23時32分SOSを打電中、23時40分、防波堤灯台西方近海にて転覆沈没。乗員56名殉職、

十勝丸、23時43分、葛登支灯台沖にて転覆沈没。乗員59名殉職。





一夜にして遭難した5隻をあわせた犠牲者は、最終的に1430人にも上り、戦争による沈没を除けば、

発生時点では1912年のタイタニック号沈没、1865年のサルタナ号火災に次ぐ世界第3の規模の海難事故だったんだね。

航路開設以来、まさに未曾有の大惨事となったんだね。このときの台風15号は、後、「洞爺丸台風」と命名された。









『手前、洞爺丸の船底、七重浜は、目と鼻の先に在る』






激しい風雨や情報の混乱などで救助活動が遅れ、七重浜に打ち上げられた時点では生存していたものの、そこで力尽きて亡くなった者が相当数いたという話もある。

「娘一家が乗船し遭難」との一報を受けた父親がショック死した所へ娘の夫から乗船せず無事という旨の電報が届いたという悲話も残る。

多くの犠牲者が一度に発生したことから既存の火葬場では処理が追いつかず、七重浜に仮設の火葬場が設けられた。(以上はウイキペディアより)





更に身元照会の混乱から遺族になりすまし補償金を詐取しようとする事件まで発生した。いつの時代にも、さもしく浅ましい奴が居るんだねえ。









『沖に浮かぶ洞爺丸の船底を目の前に、七重浜で救助活動をする人々』






洞爺丸が沈没したのは、七重浜から700メートル程沖で、5隻の沈没船の中では、一番、陸地に近かったんだね。

深夜で風雨荒れまくり波浪は甚だ怖ろしい中だから、陸地が近いからと云っても700メートルは遙か遠いんだろうけどね。泳げる人なら火事場の馬鹿力もある。

乗客は、明かりのある方へ飛び込み泳ごうとする。其れは、遙か彼方の函館の灯だったんだね。背後に在る七重浜は、明かりらしいもが、ほとんど無いんだね。





多くの人が逆へ逆へと泳ぎだし、果てしない戦いの末に、ついには波にのまれて沈んだ。泳げぬから波に身を任せていた人々が、七重浜に辿り着くんだね。

陸に上がっても身体は激しく揺れ動き「止めてくれっ、止めてくれっ」って、なんでもいいからしがみついてたっていう。

気は動転して、身体は暴れ狂う大波に弄ばれて、陸地に上がっても、振り回される感覚に踊らされたんだろね。















溺死体も、やがては七重浜に流れ着き、浜は累々の死体で埋まった。

北海道新聞では、「台風15号で本道に大惨事」「洞爺丸 座礁して沈没 九百余名の生命絶望 既に死体二百余が漂着」「凄惨、強風荒ぶ七重浜 闇に消える救いの叫び」

「逃げ遅れた女子供 激浪にのまれ大半は死亡」などの見出しで報道され、七重浜に打ち上げられた遺体の写真も掲載されたらしいね。





犠牲者の中には、著名人も多く、任期を終えて羽田空港から本国に帰るために乗船していた千歳駐屯の60人の米国軍人とその家族も含まれていた。

事故責任で、近藤平市船長の誤った判断が事故の原因と糾弾の声があがった。夫の代わりに妻が遺体収容所の遺族達に詫びてまわった。

近藤平市船長は最後まで、乗客の避難誘導に尽力し、遺体が揚がったときは、双眼鏡を胸の前に両手で持つ姿であったという。















どこぞの船長とエライ違いやねえ。みんな哀しい、誰も彼もが涙する。しかし、テレビで観てて感じるんだけど韓国の人って、悲しみが露骨だね。

悪いとか善いとかじゃなく、哀しみに着せるものはないって姿だね。此れが、ホントなんだろうけど、日本人と、ちょっと違うね。

岸壁で、海に向って叫んでる。思いは解るけど、おじさんもおばさんも、かなり劇画調なんだね。で、なんで、それぞれマイクを持ってるの?





説明する人に、かなり激して喰ってかかる、額の血管切れそうな形相で怒って喰ってかかる。感情露骨に傍目も糞もない。凄いと思うよ。

こんなの見てると、同族の北朝鮮の「将軍さまあ~っ、私たちは、これからっどうすればっいいのでしょうくわあ~っ」って、

泣いてたおっさん、やらせの芸じゃないんだねえ?





まあ、そんなのは、どうでもいい。肉親を思う心に変わりは無い。なるべく、一人でも多くの子達が助け出されることを祈る。


















カメレオンの独り言-1112 『珍・忠犬ハチ公』

2014年04月18日 | 日記






 今日(4/18)の分です。







情緒を感じるような駄文を書きたいなあと思ってんだけど、最近、そういうのが、全然、湧いてこないよ。

此れをもって涸れてきてるなあって思うんだね。情緒感覚を大事にしたいのに、殺したり殺されたり、死んだり生きたり、殺伐としたことしか書けん。

此れを低俗とオレは思うんだけど嘘を書いてる訳じゃないから、まあいいか。「なんやねん、あっさり妥協するんだね」 あっさりがいいんだよ。






そんな、悩み事をしつこく云っても解決の答えが出んことにはどうにもならん。今は、兎に角、21日までは話しで埋めねばならん。

不思議だよ、古い写真を眺めていると、そういう情緒的な感覚が刺激されるね。話しまでにはいかないんだけど優しい気持ちになれるよ。

街並みや、市電やバスや車、それらが醸しだす当時の匂いかね?空気感かね? そんなのが、オレを包(くる)んでくれるんだよ。






昔のオレが、其処に居るんだね。なにも解らぬ頃の少年のオレが居るんだよ。「気をつけて行きや」 おふくろに声かけられて 「うん」 

24インチの自転車に乗って走って行くんだよ。千日前から御堂筋、御堂筋から26号線、行って渡して帰る、仕事をしてるつもりだったね。

パンクしたら自転車押して家まで歩いて帰る、子供のオレにしたら遠いんだね。行って渡して帰る、使命感に忠実だったね、ワンッ。「忠犬ハチ公か?」

















大阪の街並みを走り回したから、あちら此方が懐かしい。至るところを走ったね。ゼエゼエ息切らして走ったよ。

「〇〇〇、解ったか?」 と、親父が仕事場から覗いて笑ってる。うん、地図の通りやった。「池田まで行きよるかあ」 ニコニコ頷いてたね。

おふくろが「どないゆうたはった?」 お父さんは、いい仕事しはるなあって云うてた。「そうかあ」 






それからは、阪急沿線の池田や石橋なんかは、なんども走ったけど、この日は、親父の26インチのサイクリング車で行ったのが祟った。

なんか、24インチとは感覚が違って緊張の連続だったよ。「おおきに」って、配達済ませて漕ぎ出したらコテンとこけたよ。「大丈夫か?」 はい。

脚がフラフラしてんだけど堪えて乗ったからフラフラバタンッだったね。「ボク、気をつけて帰りや」って、お小遣いをくださったよ。こけてトクしたよ。










『昭和30年代の淀川、十三大橋』







夕陽の淀川の橋を渡ったね。西の空も流れ往く大きな川面も真っ柿色に染まってキラキラ光ってんだね。欄干から落ちるんじゃないかとハラハラしたよ。

オレは、この経験からかサイクリング車とは相性が悪い。サドルは高いのにハンドルは低い。

前傾姿勢ってのは、見た目は、それらしくていいんだろうけど、実際は、しんどいよ。なんやねん、この自転車はって家に着くまで怒ってたよ。










『国道176号線、三国、1980年(昭和55年)』







当時の道路事情なんて、今の比じゃないよ。ガタガタの山なりのゴロ石転がる最悪の道路だったよ。オレをかすめて行くダンプなんか徐行もクソもないんだよ。

轢かれたらお前が悪いなんて感じだよ。無知で気侭でオレ一番なんてのが多かった。「どけっ、どけっ、邪魔やないけえっ」なんて走りだったよ。

「こちとら、酒が入ってるから、おまえなんか見えないよ」って奴が多かったんだよ。当時の港区なんか寿命で生き残ったようなもんだよ。






ダンプの需要が凄かった時代だからね。高度経済成長のためならばと、おまわりさんも甘かった。「ホンマかよ?」 

ホンマだよ、酒、呑まんと本当の運転はできないなんて云う奴が沢山居たよ。そうだ、そうだとお巡りさんも呑んでから車で帰るんだよ。

当時、オレは、日本橋筋一丁目に住んでたんだけど隣の深夜食堂なんかタクシーの運転手さんの溜まり場になって、みんな顔、真っ赤にして呑んでるんだよ。






「無法地帯だったのか?」 酒酔い運転が法令で禁止になったのは、もっと後だったんじゃないかね? 空恐ろしい時代だったんだよ。

で、親父が、遠いところは危ないから市電やバス、電車で行けって方針を転換したんだよ。「よかったね」 オレの寿命のなせる技だったのかねえ?

オレが千日デパートのことをよく口にするのは、配達って云ったら、決まって、この前の千日前通りを行き帰り走ったからだよ。










『当時の千日デパート前の千日前通り』







或る日、走り通して、この前の道路まで帰って来たら前を行く車が走行車線で急に止るんだよ。「ワッ」って云ってブレーキ握ったけど

ドンッってバンパーに追突したの。若い男がやおら下りてきて、当ったバンパーに目をやり顔いがめてんの。なんもなってないよとは、よう云わん。

ふんって顔いがめたまま車に乗って走り去ってくれてありがとう。






なんや、感じの悪い奴やなあと思いつつ後追っかけて次の日本橋筋の信号で止ってるそいつの車の真後ろに着いて知らん顔してたよ。

なんや、バックミラーで見とったよな感じやったけど、こっちは子供だよ。大人げないことすんなよお~なんて念じてたよ。「怖いんなら後ろに着くな」

オレなりにチャリの速さを思い知らせてやりたかったんだよ。彼は、きっと、速いなあって思ってたはずだよ。「思うか」










『1960年の御堂筋、歌舞伎座、其の向こうに、なんば高島屋が見える』








当時の日本橋筋一丁目の交叉点には、四方のコーナーに芝生の植え込みが設けられてたよ。よく遊んだね。

北東のコーナーには、交通お巡りさんの簡易詰め所みたいなのが在ったように思う。

いつだったかねえ、朝、兄貴の通学に、其の頃、飼っていた柴犬の雑種のハチ公が送りがてら着いて往き、車に跳ねられて芝生の上までヨロヨロ行って死んだ。






オレたち兄弟と自分も一緒だと思い込んで生きてたワン公だった。先に学校に居たオレに妹が泣いて知らせてくれた。目の前の体育館がボ~と見えて霞んだね。














 『付録』







『大阪市 長堀川』 現在の長堀通りに在った運河。






昭和24年、空撮で捉えた長堀川(左)西の空から東方面を捉えてる。前のビルは右が大丸、左(中央)が、そごう。

裏手が心斎橋筋になる。そごうの向こう側に見える白いビルは丸善ビルだね。前を堺筋が通ってる。(下写真)













昭和30年代の長堀川、西から捉えてる。御堂筋新橋、心斎橋、山休橋と続く。(下写真)













昭和30年代の長堀川、東から捉えてる。心斎橋、御堂筋新橋と続く。(下写真)













昭和37年(1962年)、埋め立て開始。心斎橋の下。仮の橋に変わってるね。













西から東を捉えてる。橋は三休橋。(下写真)













堺筋の長堀橋。後ろのガラス張りの建物は、日産プリンスディラー。(下写真)













埋め立て完了後の末吉橋筋。東から西を望む。遠くに白い橋が見える、陸橋になった心斎橋だね。(下写真)













なんでもかんでも埋める。なんで埋めるのかねえ? 川が流れる街並みって風情があっていいと思うんだけどね。

西から東を望む。二つ目の橋を市電が渡ってる。長堀橋が架かる堺筋だね。(下写真)













綺麗な川を汚すだけ汚して見苦しいから埋める。哀しい発想だね。

































カメレオンの独り言-1111 『ネタは浮かばないし船沈む』

2014年04月17日 | 日記






 明日(4/17)の分です。







なんにも浮かばないからネットをうろついて、目にとまった記事をじ~と読んでた。細かい字で行を詰めて一杯に書かれてる。

この人も勿体無いって意識で、紙に書いてるつもりで詰めてるんじゃないかねえ? 昔のオレのより凄いよ。

行を読み下ると、次の行が解らんようになるよ。前も後ろもビッシリだね。読み終えたら疲れたよ。皆さん、いろんなことに興味を持たれたりしてんだね。






自分の処へ帰って来たけど、なんにも浮かばないね。時間は無情だね。ちょっと、止まったれやあ、ホンマに忙しないわ。

お隣、韓国で旅客船が転覆したってニュースでやってるよ。ええっ、290人が安否不明だって云ってる。逆さになって、今は、船首部分だけが見えてる。

大方が、修学旅行の高校生たちなんだね? うわあ、こらあ、エライことが起こったね。救助隊が、船底を金槌で叩いて生存者の反応を窺ってるね。



















旅客船は、仁川と済州島を結ぶ6825トン級の定期便で、全長145メートル、幅22メートルで、国内で運航中の旅客船では最大規模となるらしい。

もっと船体が浮かんでる間に船底溶接器で開口して導いてやれんかったんかいな? 底部は鉄板が厚いんかなあ? 

映画「ポセイドン・アドベンチャー」と同じやがな。真っ暗になった無案内の船内を映画のようには、いかんわなあ。






船が傾いて海水が入り込んでくるのに「じっとしていてください」って、云うアナウンスばかりが流れて、皆が躊躇してるうちに引っくり返ったらしい。



















話題が浮かんで来ないからニュースでいくか? ウクライナの世情が危ういね。親ロシア側の輩が暴れまわってる。

プーチンの目つきもコワイ。こいつらを怒らせたら怖いよ。暴れてる奴等がニュースに写ってるけど強暴そのものだね。獣を思わせるよ。

こいつ等の体内に流れてる血は、云っちゃあ悪いけど冷血だよ。風土が創り上げたのかねえ? 昔のスターリン当時の赤軍と変わってないよ。






欲しいってんなら、ロシア側に近い一部を提供して、穏便に欧州側に落ち着くほうが得策だと思うけどねえ。争ったら負けてロシアの思う壺になる。

長いものには巻かれろって云うけど、この場合、其の方がいいよ。ロシア系を国外へ放り出す策に被せて片付けるんだよ。

こけても、ただ、起きんちゅう策だよ。「そんなんで済むか?」 知らん。「そんなのしたら、今度は、ウクライナのケチどもが騒ぐで」 困ったね。






国民の安全がなによりだよ。昨日だったかなあ、ウクライナの偉いさんだと思うんだけど、議事堂でなにやら演説してる様子が、何と云うかキモかったね。

微動だせずに一点を睨んで抑揚無く口先だけで、なにやら演説してるの。感情が伺えないんだね。こいつらもコワイ種族かなあ?

「ウクライナって、もとは、ロシアだったんじゃないの?」 独立したんか? 






「17世紀から18世紀の間には、ウクライナ・コサックの国家が興亡し、その後ロシア帝国の支配下に入ったんだね。第一次世界大戦後に独立を宣言してるよ。

でも、ロシア内戦で皇帝側の白軍を赤軍が制したことで、ソビエト連邦内の構成国となった。1991年ソ連崩壊に伴い、再び独立したんだね」

ああ、あの有名なコザックかあ。こいつらも、似たようなもんやね。「冷血で凶暴か?」 言い方が悪いよ、獣のような性格かねえ。「おまえのほうが悪いわ」






オレはね、このロシア内戦での赤軍の行状、世界大戦での赤軍の行状を知ってからは、油断ならざる輩だという印象が強烈だよ。

何が怖いかってね、こいつ等には、残虐の極みを働いたことに対して、反省の歴史がないんだよ。こんなのも珍しいよ。まさしく野生の王国だよ。















『付録』  『千日デパート』
























千日デパートの写真は、有りそうで無いんだね。この写真は、珍しく南西角引き回しで写ってるよ。

千日デパートは1958年(昭和33年)12月1日に開業したから、この写真はそれ以降のものだね。

市電は、1969年(昭和44年)3月31日 - この日限りで全線廃止になったから、昭和33年から10年以内の写真だわ。































当時、毎日のように目にした風景だよ。懐かしいねえ。 




























カメレオンの独り言-1110 『大阪天六ガス爆発事故』

2014年04月16日 | 日記







 明日(4/16)の分です。







大阪の古い写真が、全般向けではないなんて云うから、今日の予定が狂ったよ。

「おまえには悪いけど、東京の今昔写真だったら、まだ、見る人も多いんじゃないかなあ?」 まあ、都民は1千万だからね。

大阪の人口は何人なの? 「総人口 850万人(男 4,268,848人 女 4,581,703人)になってるね」 東京と変わらんじゃないか。

      



「東京は、1323万人になってるよ」 はーん、500万の違いか、大きいね。しかし、この数から判断するに、大阪の人も相当居るんじゃないの?

「解析」見てたら、過去に古い写真を貼った駄文の題名を検索されてる方が、ちらほら居られるよ。そういう方々の期待に沿わねばならない。

「そんな今昔写真なんか、他に、なんぼでもあるだろ?」 馬鹿か、そんなこと云ったら、なんでも、そこらにあるやないの。アホの出る隙間が無くなるがな。





まあ、しかし『付録』 にしておこ。これは、ブログの裾野が広がるいいアイデアだよ。











『昭和35年 天六阪急駅ビル』 ガス爆発事故は、写真向って右へ行ったほうだね。手前左手に天神橋筋六丁目の(堺筋と都島筋?)交差点。







しかし、最近、いい天気だね。暖かいし空は真っ青だよ。オレは、こんな平和って感じのする天気が大好きだよ。

懐かしい古い写真を探していて目に着いて思い出したんだけど、大変な事故だったわりに、あまり話題に上らない「天六ガス爆発事故」があったね。

「おまえなあ、今、平和って感じのする天気が大好きだよ、なんて云って、ガス爆発事故の話題に繋がるか?」 ちょっと、おかしいね、






「ふつう、明るい話題に流れるもんだよ」 天六ガス爆発事故は、1970年(昭和45年)4月8日夕刻、大阪市北区(旧大淀区)国分寺付近の

市営地下鉄谷町線天神橋筋六丁目駅工事現場で起こったんだね。「強引に行くんだね」 そうだよ。死者79名、重軽傷者420名の大惨事となったんだね。

家屋の被害は全半焼が26戸、爆風を受けての損壊336戸、やはり爆風でドアや窓ガラスが壊れた近隣の家屋は1,000戸以上とある。

















当時は、高度経済成長期で何処もかしこも工事、工事だったね。

1967年(昭和42年)に開業した市営地下鉄谷町線を、さらに、東梅田から都島まで延長する工事が1970年に行われていた。

東梅田~都島間3.2キロの延長工事。万博を前にした地下鉄網緊急整備計画によるものだった。






でも、このとき既に日本万国博覧会は、大阪府吹田市の千里丘陵で開催(1970年3月14日から9月13日までの183日間)されていたね。






大阪市北区の天神橋六丁目駅の近く都島通では、地下鉄谷町線の延伸工事のため、地下鉄のトンネル掘削工法の1つである地面の土を掘り返し、

路線を建設した後に埋めなおすというオープンカット工法で作業が行われていたらしい。路面交通に支障をきたさぬよう掘り込みの両側に沿って鉄くいを打ち込み、

その上にH鋼の桁をかけて約1枚400㎏の覆工板(メトロデッキ)というコンクリートの板を敷き詰め、その上を車や歩行者が通過していた。






そして、その覆工板の下の掘られた穴の空間で地下鉄建設の作業が行われていたの。昔は、大方、この方法だったよ。

今は、シールドマシンでトンネルを掘り進めるシールド法がもっぱらだね。工事が、見えないんだね。モグラと一緒だよ。

1970年4月8日、午前中の掘削の土砂を取り除いたため、総延長200m余りの中圧ガス管全体が宙吊りの状態になったんだね。















地中に埋められていることで安定している鉄のガス管が、支えを失った上、自重が乗る状態になったんだね。

夕刻の17時15分、地下に露出したガス管を懸け吊るための作業をしていたところ、突如、都市ガスが噴き出したんだね。

負荷が掛かって管がひび割れたか、繋ぎ目が緩んだかだろうね。そのため、地下で作業していた作業員27人が地上へ緊急脱出した。






原因は、地下に露出した都市ガス用中圧管と低圧管の水取器の継手部分が抜け、都市ガスが噴出したとある。






17時20分、偶然、現場を通りかかった帰社途中の大阪ガスのパトロールカーもガス漏れに気づき、緊急車輌と工作車の出動を無線で要請した。

また、近隣商店からの通報で消防車も現地に到着した。覆工板の隙間からガスが噴出していたため、周辺住民に対しては避難と火気厳禁を要請した。

其処へ、大阪ガスの緊急車輌がやって来たが、覆工板上で、エンストを起こしてしまうんだね。なんか、この展開は映画のようだよ。















エンジン再始動にセルモーターを回すが、その火花にオープンカット方式の履工板の隙間から漏れたガスが引火して車両は一瞬にして炎上した。

この時には、騒ぎを聞きつけた野次馬や大阪ガスの職員、消防士、警察官など多数が現場に集まっていた。

そして、17時45分頃、緊急車輌の火が履工板直下の地下部分に充満していた都市ガスに引火して大爆発を起こしたんだね。















「子供も含めた野次馬がどっと現場に膨れ上がった」 この人たちが吹っ飛ばされたんだろうね。






1回目の爆発は、近所の家々を地震の如く揺り動かして轟音が響いたらしい。この爆発で、子供も含めた野次馬がどっと現場に膨れ上がったらしいね。

そして2回目の爆発で吹き飛ばされて工事の穴へ落ちた人が多かったという。気づいたら手や足、それに肉片らしきものが散らばっていたというんだね。

電信柱の上にひっかかてる死体?もあって、辺りは阿鼻叫喚の地獄だったって体験談がある。















工事現場の道路上には、長さ約200m×幅約10mにわたって約1.000枚の履工板がビッシリと敷設されていたんだね。1枚400キロの重さだよ。

鉄の型にセメントを流し込んだもので、サイズは1枚あたり約180cm×約90cm。其の履工板のほとんどが、上に乗っていた人間もろとも吹き飛ばされた。

爆発の衝撃だけでも、とんでもないのに、こんなのと一緒に飛ばされて、一緒に地面に叩きつけられる。ぞっとするね。


























折りしも、勤め帰りの会社員らが多く通行してる時間帯と重なったことが犠牲者の数を増やしたんだね。

このときの爆発音は、4~5キロ先まで轟いたらしい。当時のオレも、この道は、配達で何度も通っていたから他人事とは思えんかったね。

当時は、南(旧)区船場の清水町筋に住んでいた。テレビを点けっぱなしで見てたよ。

















事故発生後、怪我人の多くは同区内の北野病院をはじめ大阪市内の25箇所の病院に搬送された。犠牲者の遺体は同区内の太融寺、難波別院、鶴満寺等に安置された。

まあ、遭遇するかしないか運不運の差だね。こんなのは避けて避けようのない事故だね。

天神橋筋六丁目(天六)交叉点から少し大川方面(東)へ行った辺り、工事現場とはいえ、履工板を整然と敷き詰められて舗装代替の道路が200m。






其処が、常の生活圏なら慣れ親しんだ安心の街並みだし、常に通って歩く道なら慣れが生じて、別段、身構えることもない。

毎日変わらぬ光景に道路を面した家々の人も、通勤で通う人々も、いつもと変わらぬ今日だったろうね。

そんなことを考えると、日常は日常の連続が永遠なんて約束はないね。と、云って、常々、ビクついて生活なんてできない。






すべからく運命なんだろうね。ただ、興味本位で危ないであろう方へ自ら近づくことは、なるべく控えるに越したことはないね。













『付録』







『大阪 阿倍野 天王寺ステーション建設中』 1962年(昭和37年)














現在の天王寺ステーション建造中、施工は奥村組だね。












近鉄デパートから撮影、天王寺ステーションは外装工事に入ってるね。











ホームが先に完成したらしい。「天王寺民衆駅」だって、中国かよ? 



















ステーション工事現場から西側、天王寺公園前、市電が走ってるね。よく利用してたなあ。右向こうに通天閣が見えてる。




























阿倍野橋下の線路を機関車が走って行くよ。走ってたかなあ? 記憶にないよ。この頃は、あまり、此方には来なかったかな? 四天王寺どまりだったね。

この年、1962年(昭和37年)に封切られた主な映画(下の写真)なんだけど、この「史上最大の作戦」を道頓堀松竹座で観た頃って、街は、こんなに古く感じたかなあ?

ヤコペッティの「世界残酷物語」は、数年後に、この天王寺ステーションの地下の映画館で観たんだね。サイの母子が可哀想だったなあ~、脳足りんの土人どもがっ。











『現在の天王寺ステーションビルと其の周辺』







ジョン・ウエィンの「ハタリ」は、千日前のスバル座で観たね。現代のアフリカが舞台だったね。

「キングコングとゴジラ」も観に行ったね。千日前の大劇通り、大劇前の東宝敷島で観たよ。今、観たらお笑いだろうけど、おもろかったね。















千日前の大劇だね。この前に東宝敷島の映画館が在った。宝塚の春のおどり公演中だね。大劇名画座って看板がある、何階だったかなあ? よく行ったね。

その向こう隣りが千日会館っていう映画館、邦画3本立てだったかなあ? ちっちゃな映画館なんだけど、いつも混んでたね。

その向こうが、東映封切館で、通り挟んでアシベ劇場、大映映画封切館だったね。その向かいが千日デパートなんだね。






街並みは、そんなに古い感じじゃなかったよ。「民衆駅」なんて云ってたかあ? チャンワン、チョンヤンの世界じゃないか。「天王寺駅」って云ってたでえ。

























この年だったんだね、007が初めて封切られたのは。そうかあ、じゃあ、梅田経由で神埼川までバスで親父の仕事の配達に行ったのは、この年かあ。

梅田辺りの大看板にショーン・コネリーが格好良くキマってたね。バスが通り過ぎて行くから振り返って見てたよ。

記憶に残るあの日は、この昭和37年だったんだねえ。うん、西淀川区の神崎川の辺りは、ハチャメチャ寂しくて真っ暗闇だったね。






あそこに限っては、古~い時代だったね。うん、ホンマに川を挟んで、なんにもっ見えなかったもんね。怖かったよ。満州みたいだったよ。「知ってんか?」 知らん。







1月1日 - アメリカ合衆国海軍、ベトナム戦争におけるベトコン対策の一環として、特殊部隊Navy SEALsを結成。

1月10日 - ペルー・ワスカラン山で大規模雪崩発生、4000人以上死亡。

2月3日 - 米ケネディ大統領、キューバへの全面禁輸を指令。

3月1日 - 大正製薬、ドリンク剤「リポビタンD」を発売。

5月5日 - 東ドイツ市民12人が、ベルリンの壁の下を刳り抜いたトンネルを通り、西ベルリンへの脱出に成功。

6月1日 - イスラエル・ラムラ刑務所で、元ナチス親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンが絞首刑に処される。

7月1日 - 巨人・王貞治選手の一本足打法がスタート。

7月7日 - 明治アーモンドチョコ発売。

8月5日 - 米女優マリリン・モンローが怪死

8月12日 - 堀江謙一、小型ヨットで太平洋単独横断に成功。サンフランシスコに到着。

9月8日 - 国鉄の金田正一投手が対巨人戦で通算3509奪三振の世界新記録。

10月14日 - アメリカ合衆国U-2偵察機が、キューバにソビエト連邦製核兵器が設置されたことを確認。

10月22日 - 米ケネディ大統領、キューバ海上封鎖を表明(キューバ危機)第3次世界大戦の危惧。「こらあ、危ないぞ」って親父が云ってたなあ。





この年の洋楽ヒット曲


1 好きにならずにいられない(エルビス・プレスリー)
2 愛さずにはいられない(レイ・チャールズ)
3 ボビーに首ったけ(マーシー・ブレイン)
4 すてきな16才(ニール・セダカ)
5 シェリー(フォーシーズンズ)
6 ザ・ツイスト(チャビー・チェッカー)
7 サーフィン・サファリ(ビーチ・ボーイズ)
8 ロコモーション(リトル・エヴァ)
9 聞くのはいや(ブレンダ・リー)
10 どん底からのパラダイス(ロガ・バートン)
11 ランラランラン(スイート・ホンプキン)
12 ヴァケイション(コニー・フランシス)
13 恋に落ちた時(レターメン)
14 泣かせないでね(コニー・フランシス)




この年の歌謡曲


1962.01. 霧の中のジョニー 克美しげる
1962.01. 五万節 ハナ肇・谷啓・植木等
1962.01. ルイジアナ・ママ 飯田久彦
1962.02. 江梨子 橋幸夫
1962.03. 琵琶湖周航の歌 ペギー葉山
1962.03. メチャチャ娘 富永ユキ
1962.03. 山男の歌 ダーク・ダックス
1962.03. ロッカ・フラ・ベイビー 佐々木功
1962.04. ころがり人生 石橋イサオ
1962.04. 寒い朝 吉永小百合とマヒナスターズ
1962.04. ツイストU.S.A. 清原タケシ
1962.04. ひばりのツイスト/ブルー・ツイスト 美空ひばり
1962.05. 星屑の町 三橋美智也
1962.05. 若いふたり 北原謙二
1962.06. あの娘はティーン・クイーン フランツ・フリーデル
1962.06. 可愛いベビー 中尾ミエ
1962.06. ドドンパ No.5 万代陽子
1962.07. ハンガリアン・ロック 麻生京子
1962.08. おもちゃのちゃちゃちゃ
1962.08. 草を刈る娘 吉永小百合
1962.08. 恋は神代の昔から 畠山みどり
1962.08. ハイそれまでよ 植木等
1962.08. ブンチャカ節 北島三郎 サブちゃんのデビュー曲。
1962.08. 若いふたり 北原謙二
1962.09. 愛さずにはいられない フランク赤木
1962.09. いつでも夢を 橋幸夫・吉永小百合
1962.09. 遠くへ行きたい ジェリー藤尾 旅番組「遠くへ行きたい」
1962.09. なみだ船 北島三郎
1962.10. 大学数え唄 守屋浩
1962.10. 二人で歩いた幾春秋 若山彰
1962.11. 一週間に十日来い 五月みどり
1962.11. 拳銃無宿のテーマ ジミー時田
1962.11. 高原の山荘 フランク永井
1962.11. 下町の太陽 倍賞千恵子
1962.11. 島育ち 田端義夫
1962.11. 南風吹きゃ 二宮のり子







なんか、今日は、無茶苦茶長かったね。「付録のせいだろ?」 う~ん、欲張ったらあかんね。「付録」は、もう、ちょい、あっさりにしよか? 疲れたよ。























カメレオンの独り言-1109 『今日の戯言(たわごと)』

2014年04月15日 | 日記






 明日(4/15)の分です。







やっぱり、映画を観たり、音楽を聴いたりするだけでも感性は目覚めるね。日々の仕事に追われて帰って、僅かの時間に搾り出すってのは無理があるみたい。

感動を誘う映画、心が揺さぶられるような音楽は、想像力を刺激するんだろうね。質は別として、口から出任せで言葉が溢れてくるよ。

1106の「ヤケクソの連発」で、八甲田山の主題歌を貼ってるんだけど、2曲目に入ってる編曲のテンポがいいねえ。心が躍るよ。






ぼ~としだしたら、そこんとこだけを聴くの。なんか、ノッテ来るんだね。こんなのがバックで鳴るんならエベレストでも行ってやるよ。

「おまえなあ、エベレストって、どんなとこか知ってんの?」 登山者の死体が、ゴロゴロ転がってる山だよ。

「何処まで行ける自信があるねん?」 裾野の登山口辺りで凍って転がるだろうかね? 「死んでも笑いを取るか?」 有名人なれるよ。

















ユーチューブでね、「八甲田山」の第5連隊の行程を、同じく雪の積もる冬場に車で辿って行く動画を掲載してる人が居る。

1~8回に分けて紹介されてんだけど、此れが、なかなか臨場感を伴って説得力があるんだね。雪の道路を車で行くんだけど、映画のシーンを挿入して、

そのシーンの行程を走ってみるんだね。僅か1キロの行程を走って止まる。第5連隊は、この僅かな行程を1日かかったなんて説明されている。






ええっ?って感じなんだね。撮影されている現場も積雪が相当な状態。猛吹雪などで紆余曲折した揚句、1キロを進むのに一日かかったんだね。

もう、それだけで、当時の状況が想像されるね。映画のシーンの進行に合わせて車は八甲田を走り、当時を辿って行く。

最終になってくると車をおいて徒歩で行程を辿るんだね。これが当時の兵隊達の大変さを嫌でも感じさせてしまうんだね。






積雪は2メーター程なんだけど天候はいい、でも車とは違って遅々として進まない。ザクッザクッと雪を踏みしめる音、はあはあと息を切らす音。

映画のシーンと交互して当時を彷彿とさせる。何気に見ていたんだけど、誰一人居ない山奥を独りで行かれる勇気に脱帽だわ。

世の中には、いろんな人が居るんだねえ。積雪を歩く感触は、金沢で一度僅かに経験したけど、無いに等しいオレにとっては貴重な映像の解説書だよ。






1~8、全部観ちゃったよ。おかげで、映画「八甲田山」を、奥深く感じ取れる思いだね。しかし、この「八甲田山」の映画には、しつこく捉われるね。

















ブログの「解析」を開いて見てみると大津波の影響か、それとも上げ潮になったのか、凄い数になってるね。「気にしてるね」 

目標に到達して定着してくれれば、気にしなくてもいいんだけどね。上げ潮、引き潮の変わり目のときが気になるね。

ブログ開設から今日で1090日目なんだよ。表示回数は1109回、(実際は1242回目)これで云うと既に3年を突破してるよ。






この4月22日で、3年目なんだけど、オレが嬉しいのは、掲げた目標が成ったという感触だね。この3~4日は目標も突破し続けてるよ。

順位も1000~2000UPしてる。あと一週間で定着は無理だけど目標の頂点は見えたね。

為せば成る、為さねば成らぬ何ごとも、成らぬは人の為さぬなりけりって云うだろ? 成るように成るんだよ。「なんやねん、意味、解っとんかいな?」






米沢藩主・上杉鷹山の言葉として伝えられてるけどね、ホントは、武田さんなんだよ、云ったのは。「何処の武田さんや?」 信玄さんだよ。「馴れ馴れしいね」






最初から見て頂いてる方が、必ず、居られると信じてる。オレの遅々として進まぬ成長の程をサジ投げることなく見守って頂いた方が、必ず、居られると信じてる。

だから、抜けないんだよ。オレなりに一生懸命なんだね。駄文であろうとも、少しでも、真っ当な文になるよう努力するんだね。

毎日欠かさず書くって云ったら、その方を裏切ることはできない。何がなんでも約束は守る。あと一週間だね。なにごとも、最後がしんどいし気を抜いてはいかん。

















そろそろ、これからの2年の予定をばお知らせしよう。「誰も知らせて要らんわ」 そう云うな。石の上に3年、5年、7年、そして10年目って云うの。

ものごとを磐石にしていく行程の節目だね。来る2年間は、週3~4回の更新を目処とし、外界に身をおく時間を優先する。

感性を高めることに主軸を置く目的だね。「外で何すんねん?」 足の向くまま気の向くままよ。なるべく自分の撮った写真を貼るために動く。






「犯罪から足を洗うのか?」 そうだね、あまりいい気になってたら、しまいに怒って来よるかも知れん。まあ、消しゃあいいことだと思うんだけどね。

「そんなもんとちゃうやろ? 弁償問題なんて起こるんじゃないのか?」 そうかなあ? 弱いねえ。金が絡むと弱いんだよ。

ご自由にお使いくださいって方も居られるんだね。人間のできた鷹揚さを感じるね。制約なしの無料の写真集ってのもある。其れを利用させて貰ってる。






何も断り書きの無いのが、いいような悪いような誘惑なんだね。いいんだろうなって解釈して使ってるのも多い。「それがいかんのだろ?」

きっちり意思表示して欲しいね。迷って疲れるんだよ。泥棒の身になって欲しいよ。「泥棒に気ぃ使うかあ?」 犯罪抑止だよ。

車の初心者マークみたいな共通のマークを作れよ。其れを貼ってある場合は、盗ってはいかんってすれば、一目瞭然だよ。泥棒は迷わずに済むよ。






世の回転がスムーズに行くのは、親切な思いから成っていると思うよ。一を説いて十を悟(し)る人、十を説いて一がようよう理解できる人も居る。

全てに行き届かすには、後者の人を重きにおかねば完全は望めない。今の世は、其れが行き届いてるように思えるけどねえ。

ネットの世界もそう有るべきだよ。なにしろ、まだまだ、新しい世界だからね、迷う人は多々居るよ。そこんとこ宜しく頼みます。「誰に頼んでんねん?」






どの世界にも、人々を引導する賢い人がいるもんだよ。どんな人か知らんけど、その人に頼んでるの。それには、オレのブログに気づいてくれんと伝わらんね。

















実はね、休みの間、ネットを徘徊してだね、問題にならない古い写真を発見したんだよ。懐かしいんだねえ。

それをだね、明日あたりご紹介しようと目論んでいるんだよ。「おまえは、大阪だから大阪の写真は懐かしいだろうけど皆さんは、どうか解らんよ」

ああ、そうかあ、近所の人とは限らないんだねえ。「アホか、おまえは」 そういえば、この前も云ってたねえ。「忘れんな、アホ、ネットやぞ」






なんか、近くの人たちって錯覚するね。「北海道の人が、大阪の古い写真見て、何がオモロイねん?」 そうだね、今の写真のほうが、まだ、許せるかね? 

「仮に、おまえが東京の下町の古い写真を見て感動するか?」 はっははは、そうだね、東京のなんかポイポイしてるよ。「だろ?」 

じゃあ、今までの古い写真貼って喜んでいたのは、オレだけか? 「中には、偶然、喜ぶ方も居られるかも知れんけどね」 う~ん、難しいね。






じゃあ、『今日は大阪の人だけ見てね』って題名にしよか? 「ゼロになるかも知れんぞ」 寂しいねえ。何処の方々なんだろうかね? 「解らんねえ」

「見つけたヤツを見せびらかしたいんだろ?」 表現が悪いね。「折角、見つけたんだから、付録にすりゃあいいんだよ」 ああ、そうかあ。

「おまえみたいな懐古趣味な大阪の人なら付録も見てくれるよ」 なるほど、そういうことだね。そうしよう。 それはそうと、なんでもええけどなあ~






見せびらかしたいってねえ、ガキじゃあるまいし、言葉、気ぃ付けろっアホがっ。「すまん、紹介したいんだね?」 そうだよ、そう云えっ。







『付録』 







「なんや?」 ええ? 付録だよ。「早速かよ?」 そうだよ。他府県の方には申し訳ありません。大阪の皆さんは、これから、付録で見てください。

しかし、そんなら、大阪弁もマズイね。まあ、オレの大阪弁は中途半端やけどね。「こいつの言葉は、よう解らんなあ~」って敬遠されてるかも知れんぞ。

「感覚で理解できてるんじゃないかね?」 そうだろうね、でないと映画「仁義無き戦い」なんか広島弁だから全国で通じないことになるよ。






「そげえな、くだらんこと云うとらんと、早よお~付録なあ~、やんないやあ~」 出て来たね、菅原文太。















大阪市北区の 『扇町公園の大阪プール』 1959年(昭和34年) この公園でよく遊んだんだけど、あまり記憶にないんだね。

大阪プールの建物は覚えてるね。



















上2枚は、大阪市北区の『淀屋橋』 1959年(昭和34年)1月16日 自信ないけど、此れは四ツ橋線じゃないんかねえ?

世界フライ級タイトルマッチ 矢尾板貞夫VSパスカルペレスの試合が、扇町大阪プール特設会場で行なわれた日だね。


















プールの水を抜き特設リングを設けて試合をしたらしいね。











大阪プールは、なみはや国体の折に、朝潮橋へ移転して、今は、建物は無くなってこんなふうになってるんだね。




















カメレオンの独り言-1108 『歴史に生きる人々とその他大勢の人々』

2014年04月14日 | 日記







 会津藩主 松平容保 明日(4/14)の分です。







武器と云うのは、其の殺傷能力に依って犠牲者の数を引き上げもすれば引き下げもする。銃の発明は、戦争犠牲者の数を圧倒的に増加させたね。

幕末から明治維新の頃、海外のあちら此方、戦火に覆われた国々では、当時の近代銃の影響で犠牲者の数はうなぎ上りに増えた。

日本でも弓矢は銃に取って代わり、より確かに相手を倒す効率が高くなりつつあった。






戦場の武器の主力であった刀を象徴する武家社会が、近代銃を圧倒的に装備した官軍に圧されて崩壊するのは自明の理なる結果だったね。

鳥羽伏見の戦いで刃(やいば)に命を託して、果敢に斬り込む新撰組が官軍の銃火を浴びてコロコロと倒れ往くをもって時代の転換を思い知らされるんだね。

土方歳三、永倉新八、斉藤一の天然理心流も、島田魁の心形刀流も、宝蔵院流の原田左之助も、飛び来る鉛弾には太刀打ちできなかった。






京都守護職だった会津藩士が戦さの習わしで討ち取った相手の生首を腰にぶら下げて戦って居るを見て、永倉新八が「捨てろっ」と恫喝したという。

それは、相手を脅迫する響きがあった。畏怖させねば聞く耳持たぬの武士の意地が邪魔をするんだろうね。

近代銃が相手の戦さに戦国の習わしで相手になれるはずがない。人間の生首を二つも三つもぶら下げれば敏捷な動きなど望めない。












『新撰組血風録』より








早々に武器の近代化を図った長州、薩摩からなる官軍の武力は、各地で幕軍を蹴散らし江戸に向って快進撃を続け江戸城明け渡しで幕府は倒壊。

旗本の彰義隊の上野の奮戦も虚しく破れて江戸は官軍の占領するところとなり新政府が誕生する。

幕府残党は、東北の地に退き会津藩をはじめとする奥羽越(おううえつ)列藩同盟に合流し新政府と対峙した。






新撰組と袂を別った永倉新八、原田左之助は、この上野の彰義隊に参加して奮戦した。原田左之助は、この戦で戦死とあるが一説では負傷したものの、

上野を脱出して新潟・下関・釜山を経て大陸へ渡り馬賊の頭目になったという伝説がある。

後の日清・日露戦争のときに松山で昔語りをする老軍人がいて「私は原田左之助だ」と名乗ったと伝わっている。明治40年に再び満州に渡ったとある。






180センチの巨漢で男前だったらしいね。オレと一緒やね。「どこがやねんっ?」 いや、背丈がだよ。「最初から、そう云えっ紛らわしいっ」 

永倉新八は、東北に落ち延び戦い続けた。土方歳三、斉藤一、島田魁も同じく最後まで戦場の人だった。

命というのは解らぬものだね、弾丸、砲弾飛び交う中、刃を交えて戦い続けても死なぬものは死なぬものらしい。






函館、五稜郭の最後の戦場で土方歳三は戦死したが、永倉新八、斉藤一、島田魁らは、明治を生き抜いたんだね。

島田魁は、明治33年73歳で亡くなったが、永倉新八、斉藤一は、ともに大正4年まで生きた。オレの親父が14歳のときだよ。

斉藤一は、明治には、政府軍の抜刀隊に入隊、西南の役でも戦っている。凄い生命力だね。












『明治、西南の役に出動した抜刀隊(?) 向って中列右端が斉藤一らしい』









新政府軍(官軍)が、許せぬ相手は、新撰組であり会津藩であったんだね。「京都の恨み晴らさいでかっ」の思いが根深かったんだろうね。

京都守護職の会津藩の下、新撰組が多くの倒幕勤皇の志を捕縛、惨殺した遺恨は深い。

東北諸藩は、会津藩に同情的で会津藩赦免の嘆願を目的として奥羽越(おううえつ)列藩同盟を結成し結束を強めたものだったんだね。






会津藩赦免の嘆願を新政府に幾度と無く働きかけるが、「会津は実々死謝を以てのほかにこれなく」という基本方針は既に決定していた。

会津藩が、明治新政府の通達に対して罪を認めず謝罪を拒否する回答書を示した事と、

明治新政府の鎮撫使(ちんぶし)である世良修蔵が仙台藩士によって殺害された事件から戦争に傾くことになる。






慶応4年4月20日 / 明治元年6月10日(1868年6月10日)かくして会津戦争は勃発した。

会津藩主・松平容保(かたもり)は、徴兵に乗り出すが、哀しいかな会津藩は、他の諸藩も同様であるが、武士階級のためだけの藩であり、

領民に苛酷な税金を課して苦しめて藩を維持してきた経緯が祟り、徴兵が為らぬばかりか領民たちは、新政府軍を両手を挙げて歓迎したんだね。






松平容保(かたもり)は、日頃の行いの大事さを痛感したんじゃなかろうかねえ、もう、遅いけど。

「こんなさ時だけ竹槍持って誰が兵隊になるん? 一般民を馬鹿にしとんね」 「うんだ、うんだ」 なんて領民は憤ったんだろうね。

「おらたちをなんだと思ってんださ?」 「百姓めらが、おまえ達は考えなくてもいいのだっ」 「馬鹿こけ、百姓も考えるだっ」 「生意気なっ」












『会津婦女子隊と新政府軍との戦い』









白河口の戦い、二本松の戦いを勝利して、新政府軍は、大村益次郎は仙台・米沢の攻撃を主張し板垣退助と伊地知正治は、会津藩の攻撃を主張した。

板垣・伊地知の意見が通り会津藩を攻撃することとなった新政府軍は、脇街道で手薄な母成峠を急襲した。

慶応4年8月21日(1868年10月6日)、新政府軍は、母成峠の戦いで徳川旧幕府軍を破り40キロ余りを急進して同年8月23日(10月8日)朝に若松城下に突入した。






新政府軍の電撃的な侵攻の前に各方面に守備隊を送っていた会津藩は虚を衝かれ、予備兵力であった白虎隊までも投入するがあえなく敗れた。

このとき、国家老 西郷頼母邸では篭城戦の足手まといとなるのを苦にした母や妻子など一族21人が自刃し、

城下町で発生した火災を若松城の落城と誤認した白虎隊の二番隊の隊士の一部は飯盛山で自刃した。












『白虎隊の二番隊の隊士の一部は飯盛山で自刃した』








会津藩は若松城に篭城して抵抗し、佐川官兵衛、山口二郎(斎藤一)らも城外での遊撃戦で奮戦した。山口二郎こと新撰組の斉藤一だね。

しかし、9月に入ると頼みとしていた米沢藩をはじめとする同盟諸藩の降伏が相次いだ。孤立した会津藩は明治元年9月22日(11月6日)、新政府軍に降伏した。

同盟諸藩で最後まで抵抗した庄内藩が降伏したのは、その2日後とある。






土方歳三も参戦していたが詳しい記録がないらしい。旧幕府軍の残存兵力は会津を離れ仙台で榎本武揚と合流し蝦夷地(北海道)へ向かった。












『新撰組血風録』より








会津の戦いは悲惨を極めたらしいね。侍はもとより女子供、老若男女総じての悲劇となったらしい。官軍の長州、薩摩にとっては、恨み骨髄の敵だったんだね。

新政府軍は、会津戦争の戦死者・犠牲者の一切に対して埋葬を禁止したため、長期間に渡って放置された老少男女の死体は風雨に晒され、

鳥獣に食い散らかされる悲惨な状況となったんだね。見かねた庄屋の吉田伊惣冶が放置された戦死者を埋葬したため明治政府民政局によって投獄された。






数日後、「今回だけは許す、今後このようなことがあれば直ちに首を刎ねる、村人に知らしめよ。」と釈放された。

半年程経ち、遺体取り片付けの誓願書が多く寄せられ疫病の要因になる等の理由から、ようやく埋葬を許された。

死体の処理には藩士や村人を許さず、被差別民を使い、墓ではなく罪人塚という形で認められた。






彼らは大きな穴を掘り遺体を風呂桶(おけ)、莚(むしろ)などにぎゅうぎゅうに詰めてごみ同然に投げいれたという。

戦後処理のため残された会津藩士二十人は、皆、涙ながらに立ちすくんでいた。

この中には、ごみ同然に捨てられている遺体を丁重に葬るため身分を捨て民になる者もいたという。












『清国、北京にて55日の篭城戦を戦い抜き、各国の救援隊を迎える混成篭城部隊』 明治33年(1900年)









後の西南戦争では、多くの会津人が薩摩の巨魁(きょかい)である西郷隆盛への恨みを晴らす為に政府軍に志願したといわれる。恨み深しだね。

また、会津藩出身の軍人・柴五郎などは、西郷や大久保利通など薩摩藩出身政治家の非業の死に対して「当然の帰結であり、断じて喜べり」と語っている。

この柴五郎は、明治33年(1900年)5月の義和団事件を映画化した 「北京の55日」 の柴陸軍中佐(伊丹十三)だね。






歴史が好きなのは此れだね。「どれやねん?」 点と線が繋がるんだね。思わぬ経緯や人が絡んでいたりするね、其処が発見で面白いんだね。












『義和団と連合軍の戦い』 明治33年(1900年)








この人は、会津戦争で祖母・母・兄嫁・姉妹が自刃した悲劇の生き残り。

昭和20年(1945年)の敗戦後、身辺を整理し9月15日に自決を図る。老齢のため果たせなかったが、同年12月13日、その怪我がもとで病死する。

生粋の軍人人生を生きた人で、清国(中国)義和団事件の折の功績は、日本人として初めて世界に其の名を知らしめた人だね。













『紫禁城に攻め込む義和団と連合軍の戦い』 『柴五郎陸軍中佐』 明治33年(1900年)









長州(現、山口県)薩摩(現、九州鹿児島県)と会津(現、福島県)との禍根は、現代でも脈々と引き継がれている。

2007年(平成19年)山口県の選挙区選出の安倍晋三内閣総理大臣は、会津若松市を訪問したときに

「先輩が、ご迷惑をかけたことをお詫びしなければならない」と語ったと云うから、其の根は、今も、尚、深々と息衝いているようだね。






歴史とは脈絡、脈絡には思いが付随する。生まれ合わせば背負わねばならず、相互理解で氷解するには、長い時を要するもんなんだね。






「なんだかんだと云うても、口ば入るもん作るもんがおっての話じゃ」 なんか云うとるで。「田吾作のおっさんやな」

「綺麗ごとで米や野菜はできんのじゃ。ウンコにまみれてなんぼのもんじゃ、アホラシイッ」 えらい、イキッとおるでえ。

「与作も与平も権兵衛爺も、朝の早くから働いて真っ黒焦げんになって作った米を、持って行きよるわ、蹴りよるわ、刀で脅しよるわ、なんやねんっ」






「斬られよが、突かれよが、首飛ぼおが、知ったこっちゃないわ。また、ババ撒こかあ~」  歴史に於いての彼らは、どういう位置にあるのかねえ?

































カメレオンの独り言-1107 『悠久なる宇宙に繋がる心』

2014年04月13日 | 日記






 明日(4/13)の分です。







自分が書いた駄文を見ず知らずの方々が読んでいる。オレと同じ感覚で捉えて読まれているのかなあ?

ふと思うときがある。同じ波長で捉えて、笑ってもらったり、同意してもらったり、反論されたりして頂いているんだろうかなあ?

「こいつ、何が云いたいねんっ?」なんて腹立たしく感じている人も居るだろうね。悪かったねえ。日本語のような日本語だからねえ。






正しくなくてはならないなんて人は、身体に悪いから読まないほうがいい。これでも、思いよ、伝われと一生懸命だよ。

オレのを読む人は、校正能力を備えた人でないと我慢ならんよ。真っ赤かだよ。鷹揚なる人でなければならない。寛容でなければならない。

受け入れの度量を試されている。そんな駄文なの。7割がた、相手任せの仕上がりだから奥を探って読んでね。「厚かましいおっさんやでっ」






貴方の感性が試されている。貴方の思いやりが試されている。貴方の包容力が試されているんだよ。

「おまえなあ、己れの拙い能力棚に上げて都合のいいこと云うなっ」 なに、云ってんだよ、提供品を疑う、探る、鵜呑みにしない。自論との対極だよ。

それが、駄文たる価値だよ。俺なら、ここは、こう表現するけどなあ、とか、言葉足らずは、人生が寂しいなあ、とか、これは、ないんじゅあないの、とかね。



















疑問を提議しておるんだよ。完成された文面には、人は後ずさりして文句も控えて受け入れざるを得ない。下手なことは云えんからね。恥かく確率が高い。

しかし、オレの文には、そんな危うさはない。胸を張って貶(けな)して正しく修正してください。「なんか、おかしいで」 なにがおかしい?

安心して読める文だよ。コキオロシつつ、読み進むうちには、情けないなあと、同情心も湧いてくる。そんな不思議な駄文だよ。






「そんなおんぶに抱っこ的ないい訳が通るかあ?」 優れた能力はね、相手を誹謗するだけにあるんじゃないよ。探ってやるんだよ。

こいつは、何を云いたいのか?、なにを訴えたいのか? 生きとし生けるものの一つの声なんだねえって、読み取る力でもあるんだよ。

まあ、今日は、当駄文について語らせてもらって肩の荷がおりたよ。「なんやねん、勝手なこと云うとおるだけやないか」 そうかなあ?






此れは、決して都合のいい解釈を押し付けているんではないんだよ。待って頂きたいんだよ。お願いしているんだよ。「そのわりに態度がでかいね」 そうかなあ?



















ツタヤから会員登録更新の通知が来てるよ。この前、更新したとこだよ。気にもおかない事柄の巡り来るのは、なんで、こんなに早いのかねえ。

そろそろ、覗こうかなって思っていたところだから、ちょうどいいかね。感性を目覚めさせるには映画は手っ取り早い。音楽もいいね。

外界の空気も大きな影響をくれるんだろうね。そして、人だろうね。それも女性がいい。「なにを云うとんねん」 彼女のことさ。「まだ云うとるわ」






持ちなれた一眼レフに高級レンズ、見る人が、「うわっ、凄いのを持ってますね」って、驚かれる。今となれば 「そうかなあ?」程度なんだね。

昨日、久ぶりにカシャッ、カシャッと花見月の花を撮ってみた。相変わらず下手だね。「オークションで売ってまえ」

オレも、思わぬことはない、しかし、手放したら、もう、所有することは叶わないだろうなあって、思うと手放し難いね。「また、買えばいいじゃないか」






もう、無理だね。こんな高級品を簡単には買えないよ。ビンボー男の哀しさだねえ。うっふふふ、「嬉しそうだね?」 うん。「おまえ、おかしいでえ~」

価値と云うのはね、簡単に手に入るものなぞ、すぐに厭きて、ホントの価値じゃないんだよ。

高級品に埋もれてる奴に聞いてみな、「ゴミだよ」って、口を揃えて云うよ。苦労なくして手にするものなぞに、ホントの価値など付随しないんだよ。






人間のホントの価値ってのは、自分を高めることに尽きるんじゃないかねえ? この歳になってきて、そうじゃないんかなあと思えるんだね。




















メラメラ燃え続けて永遠に宇宙を照らして在り続ける太陽も、其の光を受けて姿を変化させて浮かぶお月さんも、テカテカ、キラキラ輝く星さんも、

何一つ飾りもつけずに在り続ける。それなのに、人を仰向かせて上に居る。宇宙は、人の心と繋がって無限の広さのあることを教えてる。

人は、その偉大なる価値に気づくべきだね。





それに気づいてる人は、オレの駄文を鷹揚に許して笑って読んでくれる。「おまえって、なんか、ズルいね」 感じたあ?





















カメレオンの独り言