2016年5月31日
「★★ちゃん」 振り返ると赤ちゃんを抱っこした女性が笑ってる。おお、ア○やないかっ。赤ちゃん産まれたのか? 「そう」
身体の前に抱っこ紐に守られて可愛い赤ちゃんがオレを見てるよ。そうかあ、ア○もお母さんになったんだね。
昔の話を懐かしそうに話してる。4人娘が毎日のように遊びに来ては長い時間仲良く騒いで居たね。「毎日やったねえ」 そうだね。
「★★ちゃんには、大変お世話かけました」 随分落ち着いた女性になったもんだね。○○○も赤ちゃん出来て何年かなあ? 2~3年前だったかなあ?
「○○も、もうすぐ結婚するかも」 そうか、神戸で元気に生きとおるか? 「○○○ちゃんも」 みんな、いい人を見つけて良かったね。
ア○は幾つになった? 「え~と26」 おまえ変わらず人形さんみたいなままやね。真っ白で華奢(きゃしゃ)なフランス人形だよ。笑ってるよ。
小学校の一年頃から高校へ上がるまで賑やかなことだったよ。みんな、それぞれに大人になって人生を生きて往くんだね。
単身赴任で九州に行ってるお父さん喜んでるだろ? 「うん」 お母さんも赤ちゃんに夢中だろうねえ? 「うん」 めでたいことだよ。
此の赤ちゃん、ずっとオレの顔見てるよ。「ほんまや」 お日さんまぶしそうにしながら見てるね。よしよし、ア○、日陰へ連れて行ってやり。「はい」
信じられない思いだね。片や枯れ往く者あれば、此れから芽吹いて育ち往く命がある。知らぬ間に、そんな思いで赤子を見る自分になってんだねえ。
仕事一段落してボ~としてたら 「★★ちゃん」 あれ、今日は休みか? おませな中3の女の子が余所行きの格好して入って来る。
奥の椅子に腰かけ 「云うたやろ、明日、修学旅行」 ああ、そうか、おやつでも買いに行くのか? 「そう」
「★★ちゃんにお土産買ってきてあげる」 いいよ、小遣い制限されてんだろ? 其処等に落ちてる石コロか貝殻一つで充分だよ。
お母さんを待ってんのか? 「違う」 は~ん、ア○か? 「違う」 と、なると、時折、自転車で来るあの女の子か? 「そう」
いつの頃か、あまり喋らなくなったね、お姉さんになったのかねえ? 外の様子を行ったり来たり覗いてる。「あっ、来た」 そうか。
「★★ちゃん、其処の荷物とってえ」 おう、これか? 「ありがと、★★ちゃん、行ってくるわ」 あいよ、気をつけてな。
こんなのを繰り返して、みんな、大人になって行くのを随分と見送ったね。オレは、学校の用務員さんかよ。「似たようなもんだろ?」
用務員でも雑役でも構わんけどね、オレの場合は、ちょっと風変わりだよ。「どう風変わりやねん?」 群がって来る人達に聞いて。
巷では、意外と有名なんだぜ、この前も、公務員退職したご主人が 「○○○○さんは、いいねえ」 なにがいいんですか?
「小さいのから大きいのまで誰彼なしに人が寄り来るなんて結構なことやで」 そうですかねえ? 「此処ほど人が集るとこワシ知らんわ」だって。
もうないか? 「なんや、何がないかや?」 話のネタだよ、今月の分はもう超過しておるんだよ。「昔の写真で誤魔化せ」
突然ですが思い出しました。「白々しいなあ~」 仕方なかろうが、ホンマに困ってんだから。
昔、オレが親父の仕事の配達で大阪市内及び近郊の町々を自転車で走りまくってた頃、何故か、阿倍野方面へ往く機会が少なかったんだね。
「こちらの方面は、お父さんの仕事のお客さんが少なかったのか?」 でも、ないよ。う~ん、兄貴がホンダ・カブ乗って行ってたのかなあ?
此方辺りの町並みは記憶に薄いんだよ。だから天王寺がこんな変わりようしてたなんてのは知らなかったよ。
オレの記憶には、今の天王寺ステーションと近鉄デパートが阿倍野のイメージだったからね。其の頃は天王寺民衆駅って云ってたんだぜ。「中国か?」
『1959年(昭和34年)天王寺駅』
『1959年(昭和34年)天王寺駅』
当時の駅は近鉄デパート(南)側に向かって正面を構えていたようだね。
此の写真は、南側に立つあべの近鉄百貨店から撮影してる。画像の左上は天王寺公園の入口だね。だから自動車が走っている道路は谷町筋になる。
画像、右側の上のほうには四天王寺の五重塔が見えてる。
『1959年(昭和34年) 天王寺駅構内阪和線8番ホーム』
『1959年(昭和34年)天王寺駅』 正面をぐるりと回って裏側にあたる北口側だね。
『1960年(昭和35年)の起工式を経て天王寺駅新装工事着工』
『1962年(昭和37年)9月21日天王寺民衆駅竣工』 現在のステーションの姿だね。正面が西向きになった。
ステーション前の道路には、まだ三輪トラックが走ってるよ。考えたら、此の時分は、まだほん近場の配達だけを手伝ってた頃だね。
だから、此の変わりようを知らなかったんだよ。よく思い出したら寺田町、昭和町、杭全町方面をよく走ってたよ。
新駅舎になって以降の天王寺経由だね、オレの記憶も曖昧だね。「そんなことは、はなから解ってるよ」 ああ、そう。
『陸橋が出来るまでの阿倍野交差点の風景』 手前(撮影してる側)左側に近鉄デパート、右側が天王寺ステーションとなる。
『上の写真前方を少し行くと左側に大きなアポロって映画館が在る、当時は、こんなのだったんだね』 今と比べたら廃墟だね、出てきそう。
もうちょい遠くまで足を延ばしておけばよかったよ。
此のステーションビル正面向かって左側だったと思う、地下に映画館が在って花も恥じらう青年に成長してから、一時、観に通ったね。
「それは女を云う台詞だろ?」 そうか? 自分が美し過ぎて恥じらう年頃なんだろ? そんな年頃だよ。「おかしいんとちゃうかあ?」
いいではないか、オレは恥ずかしがりだったんだよ。女の子と目が合うとポッだよ。町ん中歩くと、ポッ、ポッ、ポッの連続だったよ。
「ただの自意識過剰なアホ男だったんだろ?」 男連中は僻(ねた)みでそう云うんだよ。馬鹿め、真実を見ろってんだ。 「病気やね」
そうさ、不治の病だよ。 それはそうと古風な前の駅舎を見れなかったついでに、もう一つ古い天王寺駅の写真を貼っておこう。
『1938年(昭和13年)天王寺駅』 戦前だね。爆弾命中して吹っ飛んでもいいような建物だね。「なんちゅうこと云うねん」
『1962年~(昭和37年~)天王寺周辺写真』
『1962~近年まで、阿倍野ハルカスが建つまでの天王寺周辺写真』
『2010~2014年に阿倍野ハルカスが竣工、同年(平成26年)3月7日に全面開業、ステーションも装いを新たに現在の天王寺』
昔の写真を探し出すのは大変だけど現在の写真は無い処を探すのが大変になったよ。もう、皆さん撮りまくりで撮れてない隙間がないほどだよ。
デジタル写真の脅威だね。新聞記者の特ダネ写真も、もう昔の話しじゃないのかなあ? 決定的瞬間は素人が撮る世界になったよ。
ハンドル握ってても進行方向の動画を撮り納めてるから目の先の事故を捉え易い。そんなのがネットで溢れ返ってるからね。
記憶の残像を追い求めて不自由な世界をノタノタと徘徊する喜びも消え去って往くんだろうかねえ?
オレが懐かしい映画を引っ張り出して戯言添えて紹介してるけど、今の若者たちの方がよく知ってる場合があるんだよ。
其れもつい最近観たように云うんだよ。テレビやネットで見放題みたいに映ってんだね。馬鹿みたい。情緒も糞もあったもんじゃないよ。
共有、共感、相まみれて価値は失われて刹那に生きる。個人の生きる世界が重きになる未来が見えるね。