カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1221 『懐かしの映画、駅馬車 (前編)』

2014年08月31日 | 日記






 8月31日






この映画は、たしか映画館では観てないね。リバイバルで公開されてたんだろうけど記憶にない。

此の作品は、うんと古くて1939年度の製作なんだね。日本で封切られたのは其の翌年の1940年6月だったらしい。第二次世界大戦前になる。

日本は、1941年(昭和16年)12月8日、真珠湾攻撃で大東亜戦争に突入したんだね。





此の映画を観て、敵国になったアメリカの文明、文化の進化の程を洞察して畏怖した人々は少なくなかったんじゃないかね。

連合艦隊長官の山本五十六は、この『駅馬車』を観たのかなあ? この人は、アメリカという国を舐めてかからなかったらしい。

短期決戦でしか日本が勝利することは叶わないと読んでいたという。





真珠湾攻撃は、最初で最後とすべし作戦だったけれど見込みは外れて、戦局は、初戦は駆け上がったものの、転がり落ちてからは止め処なく原爆投下に至ったね。







 『駅馬車』(Stagecoach)1939年度作品 アメリカ映画







監督は西部劇の巨匠と呼ばれるジョン・フォード。主演は、当時は、まだ、B級活劇映画に出演していた三流俳優だったジョン・ウェイン。

この演技を機にフォード作品の看板俳優として主演を務めていくようになり、一躍大スターになった。

物語は、駅馬車に乗り合わせた人々の人間模様が中心で、終盤にアパッチ襲撃と決闘という2つのクライマックスが描かれている。





アパッチ襲撃のシーンは大胆なクローズアップによる撮影や、ヤキマ・カヌート(スタントを芸術の域に高めた功労者)による見事なスタントで、

スピーディーかつダイナミックなアクションシーンとなり、アクション映画史上不朽の名場面となった。

アメリカの西部劇映画を語る上で欠かせない名作であり、映画史を代表する傑作として高く評価されている。アメリカ国立フィルム登録簿に登録されたらしい。















物語は、アリゾナのトントからニューメキシコのローズバーグ行きの駅馬車に乗り込んだ人々が、其の行程で体験する事件を軸にそれぞれの人間模様を描いてる。





御車席には、御者(馬車を操る)のバック(アンディ・ディバイン)、護衛の保安官カーリー(ジョージ・バンクロフト)が乗り、

馬車には、銀行家ヘンリー(バートン・チャーチル)、酔っ払いの医者ブーン(トーマス・ミッチェル)、ウイスキーの行商人ピーコック(ドナルド・ミーク)、

賭博師ハットフィールド(ジョン・キャラダイン)、大尉の妻ルーシー(ルイーズ・プラット)、町の婦人会から追放された女性ダラス(クレア・トレバー)といった面々だった。



























トントの次の駅までは騎兵隊が護衛でついていたが、それ以後は原野を馬車だけが走り抜けていくんだね。










































途中、リンゴ・キッド(ジョン・ウェイン)が現れ、ライフルを片手で回転させて馬車を止める。扱い慣れて鮮やかだね。































彼は刑務所を脱獄して、父と兄を殺した相手に復讐するためにローズバーグに行きたいという。馬は、行き倒れで失って鞍(くら)を担いでいる。





保安官カーリーはリンゴを馬車に乗せる。旅の途中、大尉の妻ルーシーの出産、ダラスと恋仲になり求婚するリンゴと、なんだらかんだらと人間は忙しい。

賭博師ハットフィールド(ジョン・キャラダイン)は、貴婦人のルーシーに礼儀を払うんだけど、ダラスには冷たいんだね。

夜の街へ行けば華やかな酒場の女に群がるスケベーどもも、素面の(しらふ)の時間では、見下して敬遠するんだね。臭い奴等だね。

























そうこうしているうち、駅馬車は、アパッチ族の目にとまる。













モニュメント・バレーは、アメリカ合衆国西南部のユタ州南部からアリゾナ州北部にかけて広がる地域一帯の名称。

メサといわれるテーブル形の台地や、さらに浸食が進んだビュートといわれる岩山が点在し、

あたかも記念碑(モニュメント)が並んでいるような景観を示していることからこの名がついたらしい。





ロッキー山脈からの鉄分を大量に含んだ川の流れは、下流地域一帯に沈泥となって堆積し、

当時の酸素濃度は、現在よりも高かったため鉄分の酸化が急速に進み茶褐色の地表となった。ジョン・フォード監督お気に入りの舞台だね。



















大写しのシーンでは、純なインディアンを使ってる。此の映画では、白人が、インディアンに化けてるのを見破りにくいね。

車内で皆とくつろぎ話して居ると、突然、ウイスキーの行商人ピーコック(ドナルド・ミーク)の胸板に矢が突き刺さるんだね。

この映画最大の見せ場となるアパッチ族の襲撃シーンは、ここから始まるんだね。













丘の上にインディアンが現れる。御車席の保安官カーリー(ジョージ・バンクロフト)が、ショットガンで撃ち倒す。



























丘の上から、平原から、インディアンが馬を飛ばして群がり出てくる。































此の爆走襲撃シーンは、他の映画の其れとは違い猛烈なんだね。何かで知ったんだけどジョン・フォードは、このフィルムを僅かながらにカットして

コマ送りを早めたらしいんだね。だから、怖いぐらいに早く感じる絵になってる。

これも、もともとが全力疾走でないと映りに矛盾がでてくるから映像的な効果の話であって、実際も相当の速さで走ってることに変わりないね。


































































こうして画像にしてみると、流石に御者席の二人はスタントがやってるね。すると御者(馬車を操る)のバック(アンディ・ディバイン)の名演が光ってるよ。

動画を観てる限り違和感がない。実際に馬を操ってるとしか思えない。みごとな演技と編集だね。

保安官カーリー(ジョージ・バンクロフト)がリンゴ(ジョン・ウェイン)に「荷台に上がれっ」って絶叫する。









































6頭だての馬が狂うように走って馬車を疾走させる。インディアンの馬も「待たんかえーっ」って勢いよく無邪気に突っ走る。「なんでやねん?」

馬は、解らんで、おもくそ走ることに有頂天になってんだよ。馬鹿にスイッチ入ったようなもんだよ。「おまえが夢中で画像貼るのと似てるね」 
















































当時のジョン・ウェインは若いねえ、バリバリだよ。このときから、こいつが居ったら大丈夫って雰囲気醸してたね。大者の素養だね。

映画紹介もどきは、考えなくてもいいから楽なんだけど画像を貼り付ける作業が大変だよ。

尤もらしい解説なんて出来ないから観たままをストレートにお伝えする方法だね。暇に飽かして貼りまくる。荷台に上がったジョン・ウェインが撃ちまくるのと一緒だよ。






















































此の襲撃シーンの功労者は、断然、スタントマンだね。爆走する馬から飛び降りろと云われて、誰が飛び降りる? 全身複雑骨折だよ。

其れを馬ごとぶっ倒れて飛んで行けなんて、死ねと云うのと同じだよ。でも、ホントにやってるね、凄いことだよ。

格好良く撃つほうはいいけど、撃たれて引っくり返るほうは命懸けだよ。「もう、おまえは撃たれて死んでるんだよっ」 生きてるよ。「死んでるんだよっ」





その気でやらなきゃ飯が食えない、何仕事も大変だね。同じやるなら見事なさまで死んでやるっ、意地が湧くんだろうね。




































しかし、流石にインディアンだね、馬上での弾丸の装填もさまになってるよ。「見たかっ、インディアンの格好良さをっ」 どうでもええ。「あのなあ~」




















































































「久ぶりに、また、悪い癖がでてきたね」 いいじゃないかあ、消すなら消せ、知ったことか。「動画流したほうが早いで」 知ったことかあ。

動画は流れて臨場感、画像はとまってインパクト、しんどい人は観なけりゃいい。いっくでえ~クライマックス~ッ。















































































滝つぼに流れ狂う激流だね。画面は止め処なく疾走して砂埃と硝煙が後方に置き去りになっては、また、炸裂繰り返して突っ走る。

此の時代に、此れだけの想像を映像に仕上げる。素晴らしい監督とスタッフたちだね。

後年の「西部開拓史」で幌馬車隊をインディアンが襲撃するシーンがあるけど、これも凄まじいものがあった。3人の監督の中にジョン・フォードが居たね。





脳裡に浮かぶ想像のままを絵にする、妥協のない徹底ぶりを感じるね。これでなくては傑作は生まれない。





あれえ~なんだよっ、「写真アップロードが100枚を越えています」う~? 中途半端じゃないかあ。どうしてくれるんだよ、困ったね。

仕方がない、前編ってことにするか。「アラモ」を貼りまくった時と一緒だね。「計算しとけよ」 行き当たりバッタリだよ。想いの赴くままだよ。

ちょっと、余計にファイルに拾い過ぎたかも知れん。数が多すぎてチェックがめんどいので今日はここまでにしとこ。





お付き合い頂けました皆さん、本日の画像貼り付けは制限を超えたようです。後編でお会いしましょう。さようなら。






















カメレオンの独り言-1220 『懐かしの映画、最后の砦』

2014年08月30日 | 日記







 8月30日







オレが、騎兵隊、騎兵隊って夢中になったのは、ジョン・ウェインの、其の名も『騎兵隊』を、1959年(昭和34年)封切りで観てからだね。

オレにとっては、実に素晴らしい映画だったね。長い年月、感動冷めやらぬ衝撃の格好良さだったよ。

このとき、格好いいってのは、こういうのを云うんだなって、小学生のオレの脳味噌に印刷されたね。






それまでは、邦画オンリーで東映の時代劇を主に格好いいって観てたの。中村錦之助、東千代之介、大川橋蔵、大友柳太郎、市川歌右衛門、里見浩太郎なんてのが、

顔にドーラン塗ってお化粧してまで男前造って活躍するんだけど、対比するものがないから「格好いい」と思って夢中だった。実際格好よかったんだよ。

主役は、斬って斬って斬りまくりの大暴れ、ついでに見えも切りまくりの大演技。大映の長谷川和夫も、よく観たね。






両親に連れられて行くんだけど、親父もおふくろも洋画好きだったのに子供と行く時は、大方、邦画ばかりだった。子供は字幕が読めないからだったんだね。

両親は、対比する洋画を観ていて邦画の遅れを知っていたことになる。親父の映画好きはすこぶるだったからね。

「騎兵隊」から数年後に我が家もテレビジョンを購入した。東芝の14インチの白黒だったけど画面の両横にスピーカーの面積が大きかった。















今思うと、親父は、映像が音響に支えられてることを知ってたね。洋画劇場を毎週、親子で追いかけて観てた。

「遠い太鼓」 「縛り首の木」 「真昼の決闘」などが印象深く残ってる。でも、いつも、吹替えが気に入らなかった。なんで西洋人が日本語なんだよ。

それでも、いろんなのを観すぎて、オレの頭ん中はごちゃ混ぜになってしまったよ。そんな記憶の中でも消えずに残る場面ってのがある。






題名も忘れてしまったけど、インディアンの大群に襲われた北軍の「砦」、南北戦争が背景なんだね。兄弟が、南軍、北軍に分かれてんの。

北軍の兄貴の守る砦が危ない。弟が率いる南軍騎兵隊が、其れを発見、救援に向うんだね。

インディアンは砦の中に侵攻、肉弾戦の中、弟の部隊が突入して北軍に加勢する。実に壮烈に思えたね。戦う兄貴が敵を倒してサーベルを失う。






此れを見た弟が「にいさんっ」って叫んで馬上から自分のサーベルを放る。此れを受け取った兄貴が勇気百倍、勇猛果敢に戦うんだね。

自分の妄想が添加されて実に格好いいシーンになって残ってるんだね。「勝手に添加すんな」 どれが本当だったか解らない。しかし、良かったねえ~。

もう、50年数年も昔の話だよ。「おまえ、幾つやねん?」 歳なんて忘れて生きてるよ。「生きる化石云われても仕方ない歳か?」 ちょっと早いんじゃないの?































1951年度作品 『最后の砦』 The Last Outpost ロナルド・レーガン、ロンダ・フレミング出演  題名が解ったよ。






ユーチューブをウロウロしていたら、うん?って感じるものがあって映してみたら、あれえ? なんか、観たような、観んようなシーンが流れてる。

ロナルド・レーガンって云ったらアメリカ第40代大統領のレーガンやないの。「にいさんっ」ってサーベル放って格好いい弟は、レーガンだったんだねえ。

『The Last Outpost』って題名が表示されてる。The Last 終わり?最後? Outpost? なんや、郵便入れがどうした? 「なにを云うてんねん」






Outpostってのは、[部隊]の前哨地、最前線みたいなもんだね。調べたら邦題は『最后の砦』だったよ。そうかあ、そうだったのかあ。

観終わって、やっぱり、そうだったよ。この映画だよ。50数年ぶりに見直したよ。かなり、オレの添加物が効いてるね。妄想で色付けが激しいよ。

題名の通り、俺の記憶では砦だったんだけどね。でも、違ったね、西部の町なんだよ、町の入り口に門を添えただけの軍の駐屯地みたいな趣だね。






字幕なしの映像だから、何を云ってんだか解んないだけど、こいつ等の気持ちぐらいは読めるね。

この映画、カラーだったんだね。モノクロテレビで観たから白黒だと思ってたよ。しかし、モノクロのほうが壮烈感は上だね。

今、この映画を観て、新たな感動を覚えたよ。「なんや?」 南軍騎兵隊が行進するときや、突撃するときに、あの「ディキシーランド」のマーチが流れるんだよ。







1951 THE LAST OUTPOST TRAILER RONALD REAGAN RHONDA FLEMING








南軍のレーガンが、北軍の軍服を着ているのは、北軍に成りすまして金塊強奪だったかなあ? 作戦行動をとっているからだよ。

上の動画の女性は、ロンダ・フレミングだね、あの『OK牧場の決闘』で女賭博師を演じていたね。この映画から6年後だね。






 『OK牧場の決闘』







南北戦争の頃、レーガンは北部出身だったが南軍に入隊して騎兵隊大尉になって、サンタ・フェ街道に沿って北軍に武器弾薬が入るのを防いでいたが、

皮肉なことに彼の部隊に対抗する北軍の指揮官は彼の兄(ブルース・ベネット)大佐だった。

武器密売人の手引きでインディアンもこの戦いにまきこまれて三つ巴。ロンダ・フレミングは、この武器密売人の妻で、それ以前にレーガンと婚約していたんだね。





間もなく武器密売人は、インディアンに襲われて殺されてロンダ・フレミングはフリーになるの。映画は、どうにでもできるからいいね。

アパッチ族の若酋長ジェロニモが犯人として投獄される。アパッチ族は怒り狂う。狂え、狂え、おまえ達が狂わないと面白くない。

しかし、レーガンの努力でインディアンと北軍大佐(兄)の間で会談が行われた。水差すような余計なことをすんなよ。狂っわしとけばいいんだよ。





だが、しかし、アパッチ族をひきいる白人のならず者が何者かに殺されたことから、インディアンは、また、怒り狂う。そいでええ、持ち直したね。

北軍大佐(兄)の本営地、ポイント砦の保安官事務所に殺人罪で投獄されている若酋長ジェロニモを奪い返すため怒り狂うインディアンの大軍が襲い来る。

砦と云っても名ばかりで、在りきたりの西部の町に駐屯しているようなもの。馬車や家具、穀物詰めた袋などで簡易なバリケードを組んで応戦するんだね。





町の住人たちも北軍と一緒に戦うんだけど、撃っても撃ってもインディアンは減らない。此れがいいっ。どんどん来い。













この様子をレーガンの南軍騎兵隊が気づき、敵ではあるけれども兄の危急を救うべく駆けつけるんだね。南部魂の見せどころだね。














南北戦争の歌/8.ディキシー (インスト)



























サボテンが立ち並ぶ荒野に南軍騎兵隊が、号令とともに横一列に広がり突撃態勢に入る。いいねええ~。ディキシー・ランドのマーチにのって突撃だよ。









































おおっ、14インチの魔法の白黒ブラウン管を見詰めて手の平握り締めて見入ったあの頃のオレが居る。行けえっ、格好エエ人たちよ。













一斉射撃のあとは、抜刀っ、サーベルかざして突撃っ。デキーシー・ランドのマーチが高らかよ。
















































背後から押し寄せる南軍騎兵隊に気付いたインディアンも戦闘意欲モリモリ、負けずに立ち向かって突撃だよ。血沸き肉踊るね。行けええっ野蛮人ども。

戦いは、こうでなくてはいけない。南軍がインディアンと戦う映画って珍しいね。グレィの軍服に黄色いライン、南部のサーベルの斬れ味見たかっ。

紺も鼠も嘘つき白人っ、アメリカ原住民のトマホークの痛さを思い知れっ。ゴンッ、ゴンッ。わりとインディアンも強いね。



























激しい馬上の白兵戦、斬ったり、突いたり、どつかれたりの揚句、インディアンが劣勢、生き延びたものが敗退する。「突撃態勢っ」 

逃げ往くものには構(かま)わない、陣形立て直して、再び、突撃態勢、窮地の砦を救わねばならない。













馬が馬らしく全力疾走だよ。東映の時代劇の馬は、馬上の役者の演技とは大きく裏腹、ピョコンピョコン飛んでんの。なんで走らんの? 「怖いがなあ~」

死ぬ気でやれっ、この野郎っ。日本人の面汚しめ。観客が、シラケ止めに、走ってるって自分に言い聞かせておったよ。

あんなのに比べたら、白人の彼らは曲芸師だよ。撃たれて落ちる奴なんか本当なら死ぬで。計算し尽されてんのかねえ? 













砦内は、もはや敵味方入り乱れて崩壊寸前。若酋長ジェロニモも仲間に救い出されて止めようもない。


































其処へ砦内に乱入してインディアンを蹴散らす南軍騎兵隊。




















此処だね、インディアンを刺し貫いて倒した兄がサーベルを失う。此れに気づいた馬上のレーガンが、「兄さんっ」って叫んで自分のサーベルを放る。













此れを受けて戦う兄、長い年月、オレの記憶から消えなかったシーンだね。でも、今観ると、相当、オレの勝手な妄想追加して塗り変えられてたね。



























戦闘シーンが終わると、ふう~って溜息ついて、緊張緩和、一緒に観てる両親、兄弟の顔を見回して共感相容れる満足感に浸ってたよ。

1951年度作品、インディアンは、「死んだインディアンは善いインディアン」が罷り通ってて誰も文句を云わなかった時代だね。

当時は、偏見なんてインテリ言葉で、色眼鏡で見てはいかん、なんてのが通ってたね。ホンマかよ? ホンマだよ。





でも、インディアンを色眼鏡で見てはいかん、なんて聞いたこともなかったよ。当時は、まぎれもなく野蛮人だったんだよ。

でも、面白いんだよ、大昔、アジアとアラスカが地続きの頃、黄色人種がアメリカ大陸に渡って居ついたのがインディアンって云う説を聞いて愕然としたよ。

オレもインディアンかよって、泣きたくなったよ。そういうと、ホントのインディアンと、四国から、よく遊びに来てた親戚のお婆さんがそっくりだったよ。





「どんな顔のお婆さんやってん?」 岩みたいな顔。親父の弟の奥さんだよ。血は争えないね。それから、彼らも人間なんだなあ、なんて思うようにはなったね。




















南北両軍、住民等が力を合せてアパッチ族を撃退、レーガンが、フリーになったロンダ・フレミングと晴れて恋人同士、大佐(兄)等に見送られ、ともに砦を去る。









































此処で、また、ディキシー・ランドのマーチが流れるんだね。
















































昔、よき時代の西部劇だね。モノクロで残る記憶の映像が天然色で甦ったよ。ロナルド・レーガンも、後年、自分がアメリカ大統領になるなんて  

思いもしなかっただろうね。この人の俳優人生は意外と長かったんだね。面白い人生だね。







第40代大統領(1981年1月20日 - 1989年1月20日)







監督 ルイス・R・フォスター  キャスト ロナルド・レーガン ロンダ・フレミング ブルース・ベネット ビル・ウィリアムス等出演 パラマウント映画






















カメレオンの独り言-1219 『懐かしの映画、バファロー大隊』

2014年08月28日 | 日記






 8月28日







今年は空(から)梅雨の分が、夏にまわったのかして雨や曇りの日が多いね。雨が暴れているときは遠慮するのかして台風が発生しない。云い合わせてんか?

寝たろか? 「なんやねん、それは?」 また、眠気が襲って来たよ。ふわあ~と闇が広がって、其れが、反転するんかね? 今度は、包み込んで来るんだよ。

戦う意識を粉粉に駆逐していくんだよ。こうなって来ると、もう、抗しようがないね。カックッンと首が跳ね返るんだよ。吃驚するよ。






そういうことで、ちょっと寝転ぶわ。

















ず~っと寝続けて、次の日になってしまったよ。馬鹿寝もいいとこだね。

ちょと、話しの矛先(ほこさき)を変えねばならんなあと、思ったりしてるの。「どう矛先をかえる?」 それがず~っと解らんのよ。

気が引っ掛かってる用事が片付けば落ち着くから、其れからでもいいかとは思ってるけど、落ち着いたからってパッと浮かぶもんでもないだろうしね。






なにか輪郭程度でも浮かべば時が形にしてくれる。下地でも見つけておきたいんだけど皆目解らん、暗闇でサングラスだね。「丸型か?」 なんでもええがなあ。

お盆始めから、ずっと無理して続けたので、暫く、肩の力を抜いて日を潰すか。ちょっとの間、休憩がてらにだね、懐かしい映画の紹介でもして回を埋めよう。

「紹介じゃないだろ? おまえのは紹介になってないよ、観たら解る、ばかりじゃないか」 では、紹介もどきで我慢して貰おう。














『バファロー大隊』 1960年(昭和35年)8月公開  ジョン・フォード監督  ジェフリー・ハンター、コンスタンス・タワーズ出演






時は1880年、第九黒人騎兵隊の砦内で起きた将校令嬢の暴行殺人事件。現場から逃走した黒人軍曹が容疑者として逮捕される。

カントレル中尉(ジェフリー・ハンター)が、強姦・殺人の容疑で軍法会議にかけられた黒人兵のラトレッジ軍曹を弁護する。

軍法会議を中心に回想形式で事件の真相に迫る造りで、アパッチの襲撃シーンも織り込みながらのアクション西部劇。 真犯人が誰だったか忘れたよ。






黒人軍曹役のウッディ・ストロードって人は、今とは違い、当時の黒人俳優で唯一の存在だったんじゃなかろうか? 「スパルタカス」にも出てたね。

オレの記憶だから当てにならないけど、物語に黒人の配役が必要なときは、この人が引っ張りだこだったように思うんだね? 

1960年頃ってのは、アメリカの人種差別が峠を越した辺りではないかね? あっ、そうだ、他にシドニー・ポワチエが居たね。出だし頃かね?










『ウッディ・ストロード』






当時、もう、騎兵隊が出てたら、なんでも格好いいなんて思ってたから、ストーリーなんかどうでもいい、騎兵隊、騎兵隊、騎兵隊、それだけで良かったあ~。

それでも、この映画「ジョン・フォード監督のかあ?」って、出来具合からして納得できないのを感じてたよ。「おもろないんか?」 

なんか野営のシーンの描写にわざとらしさを感じるとこもあった。「どんなとこや?」 観たら解る。「おまえなあ」 黒人(差別)に気を使ってたのかねえ? 






主題歌も騎兵隊だから格好いい、素晴らしいなんて思いつつ、ラジオで流れるのを待っては真剣に聴いてたよ。「キャプテンバッファロー、キャプテンバッファロー」

 





Sgt. rutledge trailer








  「バファロー大隊」 主題歌「キャプテンバッファロー CAPTAIN BUFFALO」





Have you heard about a soldier in the U.S. Cavalry
Who is built like Lookout Mountain taller than a redwood tree?
With his iron fist he'll drop an ox with just one mighty blow
John Henry was a weakling next to Captain Buffalo.


He'll march all night and he'll march all day
And he'll wear out a twenty mule team along the way.
With a hoot and holler and a ring-a-dang-do.
Hup-two-three-fo' � Captain Buffalo! Captain Buffalo!


(Hold that drum, hold that drum. Let the mule just blow.)


Said the Private to the Sergeant 'Tell me sergeant if you can
Did you ever see a mountain Come a-walking like a man?'
Said the sergeant to the private, 'You're a rookie ain't you though
Or else you'd be a-recognizing Captain Buffalo.'







今、聴いたら、喧(やかま)しいだけだね。 でも、当時は、格好いい主題歌だったんだよ。




























カメレオンの独り言-1218 『大地踏まえて頂点在り』

2014年08月26日 | 日記







 8月26日








世に贅沢は無尽蔵って時代に、こんな時代錯誤のようなブログ書き続けてる自分が、化石のようなそうでもないような不思議な気持ち。

「恥ずかしいだろ?」 どう恥ずかしいのだ? 「世の大方の人々は明るく愉しく生きているんだぞ」 無理して背伸びして金持ちの真似事か? 脚が攣(つ)るぞ。

どんなに頑張っても金持ちの遊びには着いていけないよ。奈落を彷徨うような貧乏人ばかりでは金持ちは面白くないんだよ。






背伸びして届こうとする輩がいてこそ、自分たちの居場所の高さを改めて思い知る歓びだね。届きそうで届かない、残念でした、ご苦労さんって愉悦だね。

『太陽がいっぱい』のアラン・ドロンが、金持ち殺して、そいつに成り済ますね。そのぐらいせんことには、上がれない高台だよ。

でも、金持ちの執念は、死体になっても滅びない。殺されて海へ放り込まれても、ヨットのスクリューにロープを絡ませて陸に上がって来るんだよ。






成り金、成り上がりが、この世の春を謳歌するね。実に快感だろうね。夢にまで見た富裕族、夢にまで見た贅沢三昧、その寿命が短いのが哀しくも痛ましいね。

不思議と、この手合は底まで落ちるね。落差の大きさを身をもって知る。備えのイロハを知らないから脆(もろ)いんだろうね。

其処へいくと歴史を誇る金持ちってのは揺るがない。歴史の重さなんだろうね。攻守備えて磐石だね。






傘の柄から成る形をしたピラミッドなんて存在しない。ピラミッドは大地に末広がりに聳(そび)えて鋭角に頂点する。末広がり無くして頂点は存在しない。

箱を置いたような高層ビルも存在しない。大地に基礎を固めて空を突くビルディングが在る。人も足の裏があるから立っている。

要(かなめ)は、大地に最も近い人々こそが、それらを形成していると思えなくもない。這うようにして必死に生きる人々も、なんの媚びることはない。胸を張れ。












 






大手の会社の会長さんから電話を頂いた。「一線から退いた今は大方宅に居りますよ」って云われるが、お声は矍鑠(かくしゃく)として衰えを感じない。

「いやあ、わたしも、今年で93歳になりました」って仰ってる。でも、まだ、バリバリの勢いが迫ってくるよ。

「〇〇〇〇さんも、お声から察するに元気そうでなによりです」 お相手も同じこと感じてるね。うわっはははは、其れだけが取得ですって馬鹿笑いで返してる。






「おまえなあ、相手を考えて応対せいよ」 してるよ。お相手もそれなりの奴に電話してんだから、ちゃんと心得ておられるよ。

「わたしは、お蔭さまで身は達者におりますが、家内がねえ」 奥様がどうかされましたか? 「元気におりますが、記憶のほうがねえ、痴呆症ですな」

そうですか、この場合、どう応えればいいのかな? 〇〇〇〇〇さま、病気は、介護をなさるほうが大変ですからね、その辺を心得て見守って上げてください。






「いやあ、ありがとう、今はね、テレビばかり観て一日過ごしていますよ。また、機会があれば其方にお伺いします」 はい、お待ちしております。 

この程度の会話で、どっと疲れ果てるんだね。精魂尽き果てるね。「馬鹿笑いの応対で、それか?」 

そうだよ。徳川家康に声かけられた百姓の趣だよ。畏れっ多いことだっぺ、口の呂律(ろれつ)が回らんでオタオタするだっべ。疲労困憊だよ。






もう、この方とお付き合い頂いて18年かねえ? しかし、変わらぬ人間性と威厳と健康。実りて垂れる稲穂かな、人格者だね。

金だけの金持ちでは寂しいね。上に立つからは、人として尊敬される人格を身に着けてこそだね。オレは、其処からして不可能だわ。「己を知っとるね」

身は百姓にあろうとも人間の誇りは忘れない。身分を取り払えば人対人で通じる自分で在りたい。「最後の砦だね」 人間が人として在らねばならん本身だよ。



















大地を踏みしめる。其の上に自分が在る。上の者は足元の大事さを知っている。下々の者は、足元忘れて上ばかりを見る。上と下は、此の差だね。
























カメレオンの独り言-1217 『人の噂も初七日』

2014年08月24日 | 日記







 8月24日







久ぶりに話のネタが浮かんで来ないよ。これは困ったねって、机を離れて畳みに横になって、ネタを考えていたらネタ。「それが云いたかったのか?」

気がついたら、また、2時間ほど爆睡してたよ。オレって、なんでこんなに寝るのかねえ? 

考えていたらって云ってるけど、ホントは、考える前に寝てるよ。「深夜、寝たくても眠れない人からしたら、ネタましい話だよ」






人間って、そうかも知れない。持病を抱えた人、病院と友達みたいな人、悩みに追われる人、異性に縁の無い人、脚の短い人、胴の長い人、「一緒やないかえっ」

頭の悪い人、要領の悪い人、顔の悪い人、腋臭の人、ものの取りの悪い人、自分が解らない人、「どんな奴やねん?」 金に縁の無い人、「おまえやな」 そうっ。

いろんな悩み事、苦しみ事がある。それらを抱えた人々が居る。些細なことと片付けられては叶わない。大きな問題だよ。でも、どうしようもない。






そのどうしようもない事柄を引きずって生きている人々の心の叫びを聞け。『そんなんっ、ホンマにっズルいわあ~』 「なんやねん、この叫びは?」

巷には、こんな叫び声が渦巻いているんだよ。しかし、声にならないだけさ。まともに生まれた奴等が塀になって声にして出せないんだよ。

畜生っ、一番悪い奴は、このまともに生まれてきた奴等だよ。しかし、それでは大人気ない、我慢しようと大人は悟るけど、若者は、若気の至りで悟れない。






悩みは苦しみに変わり、苦しみは怒りに変わり、怒りは、心を歪ませる。処さねばならん宿題を背負って生まれて来たんだろうね。

















「おまえは?」 処してるよ、捨て鉢さ。「それが処してるって云うか?」 ふふふ、今に見てろだよ。「おっ、負けてないね」 負けてるよ。「どっちやねん?」

ジャンボ宝くじ当てて一足飛びよ。「それ自体が、悟れない貧乏根性なんだよ」 ふふふ、当ったらどうする? 「当るかっ」

夢を持てない奴ってのも寂しいね。「夢で腹は満てぬ」 心は満てる。「裏切りの連続ではないか」 裏切りに慣れて強くなる。人を鍛えてるんだよ。






強い心に成る。信じて裏切られてを繰り返せば、心は強くなるんだよ。信じることの尊さと、裏切られてもへこたれぬ強さを習うんだよ。

自己責任ってのが身につくよ。そして、知らぬ間に、自分の持って産まれた宿命に気付くんだよ。オレって、運の無い奴だったんだねえって。

「もう、気付いたろ?」 気付いたよ。これでやめる奴は素人だよ。その裏が在るはずだっ、夢は広がるねえ。玄人の世界だよ。「アホやで、こいつ」






諦める、諦めない、微妙な見切りがあるね、それだよ。「博打で全財産失う奴の口だよ」 ここで知らねばならんのは、その教えの出どころさ。

なんの苦もない生まれの奴が、さも解ったように諭した言葉か、苦しみ背負って跳ね返して知って諭した言葉か、其れが問題だよ。

オレなら、何ごとも終わりは、死が教えてくれるって云うよ。死ぬまで終わりはないのさ。終わり善ければ全て善しだよ。「このおっさんは治らんね」






そう簡単に治って堪るかっ。オレはオレを生き切るんだよ。生き切ったときに答えを知ればいい。裏切りがないよ。遙かなる道を旅する一匹狼だよ。

「ワン公かも知れないって云ってたじゃないか。牛にもなってたように記憶するぞ」

馬鹿か? 雰囲気だよ、遙かなる道を旅するワン公では絵にならんだろう? ウオルト・デイズニーかよ? 牛? 論外だよ。

















話のネタが浮かばないから、なんかハチャメチャだね。しかし、この世は、生きて居ればこそだね。大きな流れは止めようがない。

土石流で流されようが、クビをチョン切られようが、明日来る流れが止ることはない。この世の中自体が土石流だよ。

めくったページを戻して読むことも憚るスピードだね。考えたら、長く生きて疲れてくるのも無理はないよ。






テレビも新聞もネットも集中的に、発生したニュースでてんこ盛り、次に大きな事件が起こると一斉にそちらへ移行しててんこ盛り。

てんこ盛りが続いたら消えちゃったてんこ盛りも出てくるけど、思い出したら添えものに変わってる。

人の噂も四十九日って云うけど、最近は、初七日(しょなぬか)って感じだね。






この四十九日(しじゅうくにち)ってのは、聞き違いから広く使われてるけど間違いなんだね。本当は、人の噂も七十五日(ひちじゅうごにち)が正しいらしい。

「七十五日」には特に根拠はないらしい。説としては野菜など種をまいてから収穫するまでが75日位らしく、一区切りすれば古い事など忘れるって意味らしい。

一時、話題になっても三ヶ月もしないうちに誰も口にしなくなる 噂話のいい加減さを揶揄したものとあるね。



















仏教において、亡くなってから49日間を「中陰」と呼ぶ。7日ごとに、初七日、ニ七日(ふたなぬか)、三七日(みなぬか)〜中略〜

七七日(なななぬか=四十九日法要のこと)といった名前がつけられている。

この間、七日ごとに閻魔大王による裁きが行なわれ、極楽浄土に行けるかどうかの判定が下されるのが四十九日目で、この日が忌明けとされる。






遺族は、七日ごとの裁きの日に合わせて故人が成仏できるように祈るんだね。

少しでも閻魔大王に良い判定を頂くために、遺族が祈ることによって故人の善行を足していくという意味で、追善法要と呼ばれる。「ズルいね」

これでいくと、人の噂も四十九日を、忙しい世に倣い人の噂も初七日って、云い改める関連性を失うね。「どうすんねん?」 もう、ええやろ。






なにごとも拘れば疲れる、拘らなければ疲れない。そうして生きて往こうと思う。「どういうことやねん?」 そいで、ええねん、拘るな、終わり。























カメレオンの独り言-1216 『貧乏人の発想』

2014年08月23日 | 日記







 8月23日







「アイオデータ U2713HM 27型WQHD解像度IPS液晶ディスプレイ」 今、愛用しているモニターなんだけど、ホントにいいね。

グレアは、今時、どうたらこうたらと好みも分かれるけど映りこみなんて、然程、気にならないよ。其れ以上の鮮明さのほうでノン・グレアより際立って勝ってるよ。

輝度を極端に落として使用してる。それでも明るい。休日なんか一日、17時間ほど連続使用してるけど目が疲れたなんてない。






なんで、「U2713HM 27型WQHD」の話になるかと云うと、この後継機って云うのかな? マイナーチェンジされた『LCD-MF272CGBR』の値が、少し落ちたからなの。

これは由々しき問題だよ。「どう由々しいねん?」 『LCD-MF272CGBR』のデザインが超お気に入りなんだよ。其れが少し安くなったんだよ。

¥57,870になってるよ。6万割ったよ。こうなってくると購入を考えざるを得ない。「今のが経(へ)たってからにせい」 一般的な意見だね。






「なにが一般的や?」 また、新型になった場合、機能は心配しないけどデザインが変更になったら大泣きじゃないか。今のは、凄く斬新なんだよ。

もう1台、机に並んでる三菱の27型は、クソだよ。1年も経たないうちに画面の四方の隅からカビ状の影が湧いてきて今じゃ画面を取り囲んでるよ。

今、頻繁に使ってる前身のアイ・オ・データのU2713HM 27型WQHDには、それらしきものは、全然、見当たらない。綺麗なもんだよ。











『I・ODATA LCD-MF272CGBR』







大型モニターの購入を考えてる方は、この『LCD-MF272CGBR』は一考に値しますよ。

「なんだよっ、お前の云ったこと信じて買ったらクソじゃないかって、文句が出たらどうする?」 一考に値するだよ、買えとは云ってないよ。

まあ、使用して1年と5ヶ月の経緯での評価だけどね。皆さんが心配して云う、ギラツキとかフォントが割れるとかなんてのはないよ。






竿を買わなくて済んだし、これで煙草を徐々に減らしてだね、「やめるんじゃないのか?」 無理を云っちゃあいけないよ。じわじわだよ。

「衣服は?」 う~ん、それはだね、奥さんに買って貰うとかしてだね・・・ああ~っ嫌だっ。「どうしたっ?」 貧乏は嫌だ。ほとほと嫌だ。

「防湿庫の中で、ず~っと寝てる高級レンズを売れよ」 あっ、そうだね、其の手が残ってるね。「20万はいけるだろ?」 これも貧乏人の発想ではないか?






泣くねえ。しかし、手放したら、もう買うなんて出来ないよ。「ボケた写真しか撮れんのに価値を活かせんだろ? コンデジで充分だよ」 屈辱だね。



















ふっと浮かんだことを活字にする。後先、なにも考えてないのに拡がり行く話しが出来るのが救いだね。

最近、過去の自分のブログを読むときがある。書いた後は忘れてる。読み進めていくうちに笑ってる。笑いが、また、活字を拾っていくんだね。

これ、オレが、書いたのかって、思ってる。意外と面白いのが多いね。「自分で悦ってるのか?」 悦るってんじゃないね。不思議な思いになるんだよ。






そうだ、そうだと頷いてるんだね。このおっさん、おもろいわって自分で思ってんだよ。これは、由々しき問題だよ。「またや」 

何か、新しいものに気付きを得たかったら振り返ることもひとつの手だね。

そのときの閃きの中で書いてる駄文の中に、そいつは眠ってんじゃないかって思うんだね。「どんなんや?」 まだ、解らん。 「なんやねん」






単なる経過報告だよ。「その由々しき問題ってのは、なにを指して云ってんだよ?」  解らん。 「おまえの頭が由々しき問題だろうが」

そうして、人をこき下ろすことが嬉しいか? 「嬉しいんじゃなくて悲しいよ」 探り当てることは楽じゃないよ。理屈じゃなくて感性に響くことだからね。

「まるっきりのアホかと思えば、其れらしき真っ当なことも云うね」 素人には解らない世界だよ。「いつから玄人になった?」 うっふふふふ。






あのね、素人と玄人の境目が、ぼんやりながらも見えてきたように思うのさ。駄文も山と積むうちに登れば向こうが見渡せるだろ? その程度の視界の話しさ。



















人は、あれもこれもしたい、あれもこれも欲しい、あれもこれも食べたい、欲求に押されて無理が利くんだろうね。

どれもこれも、手にしてしまえば、自分にとっては、求めていたほどのものじゃないのが大方なんだけどね。それでも手にせんことには収まらない。

欲望は果てしなく我を駆り立てるってヤツだね。凄いねって思う気持ちと、気の毒だねって哀れむ気持ちが半々だね。






僅かな欲望の炎をうちわで扇いで勢いつけて我も突き進もうかどうしょうか。面倒臭いから水かけて消したろか。「おまえは、それがいかんのだ、油を注げ」 



















就業間際、クリームパンがあったので摘まみ食いしながら外へ出ると某私立大学付属の高2の女子が向こうから歩いてくる。

赤いGパンにヒールの高いサンダル履いてニッタラニッタラしながら「★★ちゃ~ん」 おう、何処かお出かけか? 食うか? 「お腹一杯、パンケーキ食べて来た」

デートか? 「違うっ」 力入れてるね。「★★ちゃん、髪の毛伸びてきたやろ?」 そういえば肩よりも下に垂れ下がってる。






あ、ホントだね、う~ん、もう、可愛いって云うより美しいと云うべきだろうね。コンクリーの台に腰掛けて嬉しそうに笑ってる。

このクリームパン美味いね。じ~とあらぬ方向見つめて動かないから、なに、考えてる? 「なんにもお」 焦るなよ、そのうちいいのが現れるよ。

「せやろか?」 そうだよ、おまえが綺麗な女性になるのを何処かで待ってる奴が居るんだよ。愉しみだねえ~って笑うと、同じように笑ってる。






ふと、まだ見ぬ相手を想うんだろうかね? この娘(こ)は、昔ながらの女高生って感じの初(うぶ)さを醸して清らかだね。























カメレオンの独り言-1215 『ジャーナリストの死』

2014年08月22日 | 日記






 8月22日







昨日、一昨日っと、早々にブログを仕上げて早寝したよ。10時頃だったかな? 朝まで爆睡で「あっ」と云う間だったね。

よく寝るね、気持ちいいわ。やっぱり、よく睡眠とると体調が軽くていいね。自分を大切にするってのはこういうことかねえ。

日頃は、深夜遅くまで起きてパソコン睨んで、あれやこれやと考えてはいるけど、そんなに答えが出るもんじゃない。身体苛めて安心をとるのかねえ。






ぐっすり寝て起きた後のほうが、ひらめきも生きてるよ。意識を閉ざすことが怖いのかも知れない、起きて頑張ることで空納得だけを得てんだろうね。

暫くすると夏バテの時期が来る。早めに寝まくってバテた身体を立て直そうと思ってる。

今日も仕事から帰って来て落ち着いたら、なんか眠いんだね。パソコン起動したけど、すぐに消して寝転んで、そのまま爆睡してしまったよ。






目覚めたら朝やら夜やら解らない。ええっ?ええっ?って考えてんの。2時間ほどが一晩寝たような感じだったね。「大丈夫かよ?」 大丈夫だよ。

夕食を頂きながらニュースを見てたんだけど、広島の土砂崩れの行方不明者数が増えてる。一箇所じゃないからね。

この惨状に追い討ちかけるように、また、大雨の予報で避難勧告が出てる。山を削って出来た新興住宅地らしく山の裾野に広がる地域だね。






地盤の土が砂状で宅地造成には不向きらしいんだけど、市内に通じる地域に居を構えたければ山を削った土地しか無いらしい。

土砂崩れが発生するやも知れない向きを了解の上で購入したらしいんだね。建ち並ぶ家は、皆、新築で、整備も行き届いて閑静な佇まい、

そうそう起こるとも思えない雰囲気だったんだろうね。住んで一年で家は消えたって肩を落とす被災者。






命があっただけ幸いだよと人は云う。こと済めば明日が待つ、そんな慰め耳には止らない心境だろうね。

















米メディアの報道によると、イスラム教スンニ派過激派組織「イスラム国」(ISIS)は、19日、2012年に行方不明となった

米国人ジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー氏の首を切断して殺害する映像をYouTube上に公開したなんて云ってるよ。

後ろ手に縛られ両膝ついた姿勢のジャーナリスト、其の横に黒装束のイスラム兵士が、ナイフ片手に立っている姿が映ってる。






殺害する直前の映像だね。ニュースでは、当然、そのあとは映さない。「人間のすることではない」と、世界が怒ってる。

映像のインパクトだろうね。戦場では、当たり前のように人間のすることなんだけどね。映像をYouTube上に公開する手段は現代ならではだね。

彼らの意図する目的とは裏腹にイスラム国の野蛮性を広く公開したようなもんだね。






見たくはないけど見なけりゃ話しのしようもない。グーグルで検索して観たよ。強制的に自国アメリカを非難させられるジャーナリスト。

アメリカに対し、此れから起こることはアメリカの所業だなんて云って、ジャーナリストの背後に回り片手で顔を押さえつけ、ナイフを首に宛がうや、

ザクッザクッザクッと、鋸(のこぎり)引くように切り込んでいる。腹這いに横たわるジャーナリストの死体の背に切り落とした首が載せられてる。






人間のすることではないよ。こんな映像を世界に配信して、なにを理解しろと云うのかねえ? 未開の野蛮人としか思えないよ。










( http://virates.com/news/2944639 =映像)







持たねば意味がない、持てば失う、全ては、命と共通して、あるが故に笑い愉しむ。あるが故に怒り哀しむ。 もともと無ければ、何も無い。 


















カメレオンの独り言-1214 『今日も、また』

2014年08月21日 | 日記







 8月21日








昨日も書いたけど、『京都福知山』に続いて、広島の大雨で『安佐南区』の住宅街に土砂崩れが襲い沢山の犠牲者が出たね。

未明のことだから、猛烈な土砂降りの最中だから、避難を考えるけれども躊躇(ちゅうちょ)するだろうね。午前3時半過ぎ、

堪り兼ねた隣人から「避難しなくても大丈夫だろうかっ?」って電話が入った。






其の連絡を受けたと同時に裏山からドドドッ、メキメキッって不気味な轟音が鳴ったという。家をぶち割って飛び込んでくる大岩は室内を一瞬で破壊する。

ささくれ立った木々とともに濁流が飛び込んでくる。「2階へ上がれッ」 の絶叫も闇の中で暴れ狂う濁流音にかき消されるんだろうね。

記事を呼んでいると、そのような光景が浮かぶね。「あっ」と云う間だから妻や子らやお爺さんお婆さんの所在など掴みようがない。






木々生い茂れる山や丘を背に建つ家などごまんと在る。安佐の被災地も、そんな条件下の全部が全部流された訳ではない。

地盤が緩んだ部分が崩落する。平常は緑の木々に埋もれて見当のつけようもない。

日本の大方の人々は、昨日と変わらぬ朝を迎えて活動する。泥だらけで立ちすくんで、昨日まで在った、今日も在るべき家々が無い。






昨日まで笑い暮らした家族の姿が無い。悪夢から目覚めて悪夢としか言いようの無い現実だろうね。総毛立って戦慄(わなな)く身をどう処せばいいのだ。



















台風は、進路予報を注視して到来の予測も立て易い。それなりの準備や気構えで待つ。危険と感じれば早めの避難も出来る。

しかし、大雨の場合は、情報行き届いた世で在っても、此処でまさかという隙は生じやすい。天気図を追って見ていても台風ほどには捉えにくい。

レーダーに映る流れる雲のまばらな様子では、来ても暫く降れば去るだろうと思ってしまうだろうね。






ゲリラ的集中豪雨ってのは、今、最も怖いんじゃないかね。意外性が秘められてるから実際に直面してから正体を知ることになる。

深夜のバケツを引っくり返すような猛烈な豪雨の中、避難は、勇気と決断を要す。

都会じゃないから真っ暗だよ。側溝などの水も逆巻き溢れて道を流れに隠して脅かす。そんな中を家族を引き連れ避難地に向うこと自体が危険に満ちている。






常日頃の安心安全の我が家、幼い子達の顔を見れば、其処にとどまり無事に過ぎ去ってくれと願うのが人情だろうね。

























今日も夏日が強烈だね。じっとしていても汗が噴き出るよ。空を見上げると、なんだろうかね? 真っ青な空の一部分で虹色の雲が輝いていたよ。

カメラを取って戻るまでに時間がかかって写真に撮った頃には、だいぶ薄らいでたね。「とろい奴やなあ」 ええがな。実際は、もっと鮮明な色合いだった。

この虹色の雲は、エチオピアでは、神の降臨、目出度い前触だって云うらしいんだよ。この大阪でも、そう云うんだよ。「ウソつけ」





















カメレオンの独り言-1213 『失うもの』

2014年08月20日 | 日記







 8月20日







福知山が大雨で由良川氾濫して町の大方が水に浸かって大変だったね。オレは、いつも思うんだけど、こういう状況なると人は諦めがいいねえ。

傷を付けられた、凹んだ、タイヤに小便かけられた、車上荒らしにやられたなんて大事件のように、みんな、血相かえるのに総なめに水に浸かると騒がない。

「アホ、騒いどおるわっ」 いろんな災害のニュース見てるけど、あまり、痛切な文句は聞かないよ。煮えくり返る怒りを堪えてんのかねえ? 「そうだよ」






あちらも此方も水に浸かった車が静かに並んでる。 静かなる怒りなのかね? 「押し殺してんだよ」 下手にインタビューできないのかな? 「きっと、そうだよ」

洗ったら、また、動くのかね? 泥だらけでシートなんか駄目だろうね? こういう場合は、保険が利くのかな? それなら我慢はできるけどね。

そうだったら、保険会社が腹立てておるだろうね。何台浸けたら気が済むんじゃっアホンダラッなんてね。






福島の津波の動画を観ていて、ああ、やっぱり、辛いんだなあ~って伝わってきたのがあったね。あとにも先にもあれだけだよ。

所有者は高いビルの屋上から撮影してるんだけど、押し寄せて来た津波に地上の駐車場に並ぶ車が流されだす。自分の車が視認できるんだね。

「ああ~ああ~、お、おれのクリュマがあ~ああ~だんめだあ~流されてるう~ああ~ローン払い切ってえねえんだども~お~」 リアルだったね。

















今在る土地を嵩上げするとか、周辺を一括でスーパー堤防にするとか簡単には出来ないしね、昔ながらに耐え忍ぶしかないのかねえ。















中近東の世情不安定な地域には、大国だけじゃなしに、個人的にも武器商人とか傭兵志願とか、利になる話に群がり寄る人たちが居るらしいね。

映画にもなってるから漠然とは知ってたけど、我が日本からも、そんな手合の人がシリアくんだりまで行ってるんだね。で、早々に捕まってる。

なにしに行ってんだよ。格好の悪い奴だね。写真家だ、医者でもあるとか言い逃れが通じないみたいだね。「なんで武器を持っていたっ?」






雰囲気に溶け込んで撃ってみたかったって、正直に云えばいいのに。単なるガン・マニアじゃないか? オレも、其の気が、僅かにあるから解るよ。

銃砲刀剣類所持等取締法なんて煩い日本を出てAKライフル撃ちまくる。周辺は、危険に満ちているけど戦う勇気などは無い。其の意味もない。

ただ、雰囲気の中で酔いたい、アホだね。「日本人、子供」って馬鹿にされるがな。現実は、映画じゃないよ。怖いぞおお~、首ちょん切られるぞおお~。










『シリア内戦の犠牲者』 人間ってのは、愚かな生きものだね。







軽薄な思いで行くところじゃないよ。みんなが、生きるか死ぬかの境界線で恐怖に慄き、慟哭する国だよ。今を生きる日本人には理解出来ない世界だよ。


























カメレオンの独り言-1212 『人生の油田を掘り当てろ』

2014年08月19日 | 日記








 8月19日








オレは、のめり込むと周りが見えないほどに、それに集中するきらいがある。このブログを始めてから、そんなオレが居る。

奥さんは、其れが気に入らんらしい。オレは、奥さんを縛った覚えはない、行きたい処が在れば何処でも出かけなよって云ってる。それも気に入らんらしい。

話題が無さ過ぎるって怒るんだね。何十年間も共に居る爺と婆が、今更、顔つき合わせて何を語り合う? 茶飲み友達でも探して来いと思うんだね。






オレは、夢に生きている。カビの生えた現実なんかに興味はない。「おまえもいかんでえ」 だろうね、だけど知ったことか。

老後の夫婦の過ごし方あ~? なんやねん、これはあ、教えてもらわな生きれんのか? 教科書人生の表れだね。ランドセル背負って、もっぺん学校へ行って来い。

教科書に習って生きても、我流で生きても、終わりは望みではない。しかし、どう生きようと、或る日、突然、其れは目の前に来る。






其れが来た時に自分が納得した人生であったと、少しでも思える生き方に重きをおけ。今が其れだよ。自分のことに使える時間だよ。

世の常識に倣って生きて来ざるを得ない人生の大半を終えて、今こそ、自分に立ち返って納得の生き方に挑戦するんだよ。年期の入った老骨の強さを発揮しろ。

右に倣えも大概、厭きろ。勇気をもって左に首を曲げろ。なんで、自分というものに固執しないんだろうかね? 不思議だね。






「相手も云ってるよ、往生際の悪い奴だねって、戦い終えてゆっくりするんだよって云ってるよ」 それは~それでいいんだよ。なんか、気が抜けるね。



















このお盆の間、意外も意外、当ブログを開いてくださった方が多かったねえ。お蔭で、俺の夢が現実味を帯びて、明日の希望の糧になったよ。

時間を持て余されて偶然に訪問頂いたんだろうけど、最近、いつも云ってるように全体的に引き潮気味の状態の中で、うなぎ上りの数値には感動するね。

オレも、奥さんと戦いながら、釣られて毎日更新してたよ。「結局、休まなかったな」 そうだよ。自分の僅かな取得(とりえ)を生かして返すのが礼儀だよ。






また、長い連休が来るまで平常の数値に戻ってこつこつと頑張るんだよ。とんでもない処まで行ける可能性を見せて貰ったのは嬉しかったね。






何も浮いて出て来ないので、棚の上にあるサマージャンボ宝くじを取り出しサイトの抽選結果と照合してみる。

思うに、こんな紙くずを当たり前のように売り続ける詐欺が罷(まか)り通ってることが不思議だね。取り締まれよ。オレオレ詐欺より悪いで。

庶民の浅ましさを逆手にとって悪辣(あくらつ)だよ。しかし、オレオレの事件で思うに、騙されても振り込む金があるんだねえ~、優雅な人々だねえ。






オレだったら、騙されても、そんなことに切羽詰る息子に説教をするよ。諦めて切りかけるのを、待てっ、最後まで聞けっなんてね。「嫌なおっさんやねえ」

こんなの書きながらビール呑んでるんだけど、ザ・プレミアム・モルツ、サントリーの生って表示されてるけど、いまいちグッとこないね。

不味くはないけど発泡酒のようなキレがないんだよ。なかでも、発泡酒のキリン淡麗は、今までの、どのメーカーの純ビールをも淘汰する切れ味を浸透させたね。






キリンも、我が首絞めるほどキリン淡麗には戸惑っておるであろうね。新境地のビールと云わしめて憚(はばか)りないよ。「ビールが解ってんのか?」

オレのビールの歴史は長いよ。アサヒビール、キリンビール、札幌ビールと呑み続けてアサヒドライで固まって、そしてキリン淡麗で、ビールの味を知ったよ。

つまり、安くても美味いものは美味いんだね。舌は味に正直だよ。俺は、やっぱり、純ビールだよ、なんて云う奴は、段落ちするのが許せない奴だよ。



















大福餅って美味いね。「おまえなあ、辛党の話して、急に甘党になるなよ」 いや、ちょっと腹が減って駕籠の中の買い溜めのを食ったからね。

白粉にまぶしてふにゃふにゃと柔らかい。あんこと餅のバランスが絶妙だね。何ものも、何ごとも、この微妙なバランスが肝だね。

茶瓶がカタカタ「沸いとるでえ~」って知らせてる。甘いものには、日本茶だね。煎茶摘まんで土瓶で煎(せん)じて湯飲みに注ぐ。美味いっ。






しかし、オレは、あまり食べないね。休みの朝は、チーズトーストとコーヒーとミルク、昼は、面倒なので食べない。

いつも、夕食の前に口が寂しくなってきて、菓子パンか、饅頭か、ビールを頂くから、夕食も茶碗一杯のご飯でおかずも平らげるのが苦しいくらい。

美味いものが欲しいって欲求が滅多に起きない。あれば食すけど無ければ無いで忘れてる。死なぬ程度が身体にいいんだろうね。






じゃあ、痩せてるかっていうと痩せてない。安くつく身体なんだろうかね? 肉が欲しいからってダンボールみたいな肉なんか食わないほうがいい。

喰うときは、贅沢に最高のを喰う。厚さ数センチのステーキを口の中で溶かす。食とは、そういうもんだよ。それも忘れた頃合でいいよ。

スポーツ選手じゃないのに、毎度、そんなの食ってると早死にするよ。贅沢は身を滅ぼすって云うけど、食える奴は、毎度、喰ってやらんとお店が潰れる。






「おまえって、しょうもない心配するね、金持ってる奴はごまんと居るから交互に通うの頻繁だよ」 ああ、そう、道理で野蛮人が増えていく訳だよ。

















この前出て来た磯竿を片手に持って釣る仕草をしながら考えてる。人間って、なにが幸せなんだろうかってね。オレは、好きなことに夢中になってるときかねえ? 

そうだね、我を忘れて夢中になってる時って幸せだね。 時間の経つのも忘れてるからね。

それで云えば、此の世で、好きな仕事に恵まれた人が、一番幸せなのかも知れないね。人は、人生の大方を仕事の時間に生きてるからね。






その仕事が好きってことは、人生の大半を喜びの時間で埋められる訳だから贅沢だね。好きから出てくるエネルギーってのは無限に感じる。

自発のエネルギーだね、油田を掘り当るとどす黒い原油が地中から天に向かって噴き上がる。あれと似てるね。生きてるって思いと通じるね。

恥ずかしながら、力量の程を無視して云うなら、オレは、この程度のブログでも夢中に書いてるときが幸せだね。






そいで、もうひとつ、幸せ増やそうか、ユラユラ踊る水面(みなも)に垂らしたラインに思いを馳せて、水辺の草と同化したよな時間に酔うんだよ。
























カメレオンの独り言-1211 『男と女の間には、深くて暗い河が在るらしい』

2014年08月17日 | 日記







 8月17日







今日は、久ぶりにヤフオクに入って釣具の竿を物色しておったよ。新品が善いのは決まってるけど釣り慣れてるからね、期待が大きくなるの。

調子の好みも微妙でハズレが当ると値が張るからショックも大きい。

其処へいくと中古は妥協し易いのね。扱いは、もともと丁寧だけど新品ほど気を張らずに済む。つまり、気楽なんだね。





メーカーのロッドの値段は馬鹿に為らないから、使い古した高級品を手頃な値段で購入して、その味わいを愉しむ。これだね。

「エエのが有ったか?」 掘り出し物はないね。数点、ピックアップして成り行き次第だね。ライン中通しのタイプがいいんだよ。夜釣りが楽だからね。

で、此処まで書いて、あれえ?って思ったの。インナーのライン通しのワイヤーを、別途、購入したような覚えがあるねえ?





そいで、なんで、そんなのを購入したのかなって、考えてたら、あれえ? たしか、磯竿買ったなあって思い出したんだね。

半信半疑で押入れと箪笥の隙間を覗いて見たら、竿ケースの前に青い竿袋が立て掛けてあるの。「あっ」 あるやないのっ。

消えてた記憶のゴミがパラパラパラと寄り集まってシルバーのロッドが甦ったよ。いつだったかなあ? オークションでいいのを手に入れてたよ。

















馬鹿だねえ、完全に忘れてたねえ。オークションの目は利くから新品同様の奴を安く落札したんだったねえ。大儲けしたヤツだよ。

袋から出してみたら、こんなのが欲しいなあって思ってたロッドが出て来た。無傷に等しいまっさらけ、そうかあ、そうだったのかあ~。

これは、ちょっと嬉しかったねえ。SZ IL トーナメントISO 1-53 ダイワのインナーロッドだね。デザインが、オレ好みなんだよ。此れは、棚からぼた餅だよ。





たしか、ダイワのクラス表示だと「SZ」は12、3クラス中、上位4番目位じゃなかったかな? 定価は4万前後だったんじゃないかね? ダッハハハだね。

















リールは、シマノのSuperSHIP「STELLA1000」ダブルハンドルが新品のままに残ってる。たしか5万程したよ。

仕掛けなどは全部揃ってる。釣具の引き出しから、ライン中通し用のダイワTOP-INワイヤーが他社のと二つ出てきたよ。(上の上の写真の前の袋)

なんか、嬉しくなってきたね。昔、釣行繰り返してた頃が髣髴(ほうふつ)とするよ。う~ん、過去のオレは、人生の先読みをしていたんだねえ~。





淀川のチヌやハネたちよ、待ってろよお~。必ず、通えるようになってやる。「生きてるかあ~?」 気分の悪いこと云うな、アホっ。突然の停電ではないか。

















夫婦ってのは、拗(こじ)れたら、こなくそ、みそくそ、ババ糞になっていくんだね。今日も、ある事柄から火が点いて大火事だよ。

男は、感情的になると、声を荒げて、自分の言い分を連発してしまう。女は、その言葉に尾ひれを着けて拡大解釈して猛反撃をするんだけど、

そこには、とんでもない傍若無人なオレが出来上がって登場してる。それ、誰なの? 男は、いちいち訂正するのが面倒臭い。





感謝の思いと苛立ちとは別のところにあるんだけど、それらもひっくるめてオレの人間性が瓦解していくね。

聞いてると、そんな解釈しかできないのかと呆れることも、腹立ち任せにポンポンと云ってしまった後だから仕方ないかと諦める。

バズカー砲を一発発射したために、弾切れなるまで機関銃で蜂の巣にされるんだね。容赦が無いね、むかつくんだねえ。





ことは分離してなっていると思うんだけど、女はそう取らない。

Eの件を苛立って怒ったら、AからZまでが問題になる。AからZまでが持ち出されて総なめに破壊されていく。

実にくだらん時間だよ。まばらに口の返せぬ言い分も混ざってるから、余計にだるくなる。どうなと思えって捨て鉢になる。





なんで、あんなこと云ったのかなあって思うんだけど、吐いた唾は呑めない意地がある。人間は、弱い自分に負けてボロを出すのかね。

















拡がる誤解を訂正する努力をしないから、誤解に誤解が被さって、それは真実の様相に固まっていく。

奥さんが怒る気持ちも解らなくはない。冷静になって考えれば、現実的には奥さんのほうが正しいかも知れない。

そう思うと、自分は人間性を疑われるような男と認めることになる。ふざけるな。





生きる術の違いなのかも知れない。知らぬ間に大きな溝ができているね。

奥さんから見るオレが正しいのか、オレから見るオレが正しいのか、人は、自分だけでは解らない部分を多く抱えているからね。

それから判じれば、奥さんの見るオレが当ってるのかも知れない。「人間性が瓦解したおまえか?」 う~ん、納得いかんけどね。





オレは、口が災いして誤解を生産する向きがある。考えたら、ベルト・コンベアーで吐き出される駄菓子みたいなもんだよ。

















目に在る事象ばかりが優先する、目に在る事象ばかりが答えであるかのように優先される。世の中は、そうだね。





オレは、人から創り上げられた自分なんて興味がない。それはオレじゃないんだね。オレはオレなんだよ。

独りじゃ何も解らない、何も出来ない、何もかもが不安で何もかもが悲しい。其れが、ホントの自分だよ。

「ブログで意見を云ってるじゃないか」 それは、生きていく上の自分だよ。其れを成す自分は、至って頼りないもんさ。ひな鳥さ。「どこがやねん?」





男は、泣けないからね、へんに突っ張って生きてる顔をするんだよ。実は、わなわな震えているんだよ。「情けないねえ」 ホントだよ。

女は立場に固執して、その立場から自分を主張する。歴史が全てだね。だから、その足跡をよく覚えてる。へえ~って思うよ。

忘れてる自分が出て来て、それ誰? 「あんたやがなっ」って怒ってる。苛立つだろうねえ。オレは、ほくそ笑んでる。





世の夫婦、男と女、共に助け合って生きていくね、現実的には助け合ってるんだろうけど、互いの心を助け合うことができる

相手ってのは、そうそうないだろうね。オレは、其れが相性だろうと思うんだね。言葉が介在せぬとも解りあえる人だよ。

現実的な幸せを手中にしても壊れるってのは、つまるところ、人間は、心のウェイトが甚だ大きいってことだろうね。





オレが、独りで生きていくって強がるのは、期待を捨てて、依存を捨てて、悲しい思いと対峙して勝てる男になりたいからだよ。

















ああ~っ、もう、なにもかも捨てて魚を相手に死ぬまで釣りして生きていきたいよ。ホンマに、その方向に転換したろかなあ。ほっとするだろうね。






















カメレオンの独り言-1210 『川面に漂う遠い思い出』

2014年08月16日 | 日記







    「ネコ」 8月16日








やっぱり、早くに目覚めてしまうね。夜明けのコーヒーは美味いよ。窓の外は薄ら明るくて静かだねえ。音といえばスズメの鳴き声ぐらいかね。

ああ、もう、電車が走ってるね。ぼ~としてる時間ってのは、経つのが早い。意識して一分経過は長いんだけどね。

パソコンの前の椅子に腰掛け停止して一時間、その間、動いてる人は、かなりの距離を移動してんだろうね。窓の外は明るくなってきた。





一昨日(13日)、バスの窓から流れる風景に目をやってると、信号で止った向かい側の道路沿いの工場の片隅に、屋根の無い骨組みだけの建物が視界に入った。

其の屋根をかたどる鉄パイプの上にスズメがとまってる。じ~としてんだね。いち、にい、さんって何気に数えてる。

そろそろ日が沈むのに何してんかね? ご、ろく、なな、はっ、少し離れてカラスが一羽とまってる。なるほど、こいつの存在が邪魔なんだろうね。





それぞれ寝床に帰るに帰れない、こいつに巣の在り場所バレてしまう。巣の在り場所知りたいから、カラスも帰るに帰れない。だから、じっとしてんだね?

バスが走り出したら忘れてる。動かないときって、意味のないこと考えてるんだね。「おまえだけじゃ」

流れ去る風景の中で沢山の人たちが生活してる。一生に会うか会わぬかの人々が多くの物語の人生を生きているんだね。車が右に曲がります。「なんやねん?」















思うに、オレの、こんなブログを読んで頂いてる皆さんは、果たして、どんなタイプの人たちなんだろうかねえ? 

「こいつ、馬鹿やで」 なんて思いながらも読み続けてる方も居るだろうし、「こんなんも生きとるんだね」なんて人も居るだろうね。

生きると云うことは、それが万分の一にせよ、可能性に繋がってるんですよ。探すという行為は、其の確率を上げるということですよ。





走り去る車窓の風景の中の人々と知り合うことは、まず、ないでしょう。でも、こうして何かしらを発信すれば、意外な人々との脈絡が繋がって行くのが面白いね。

人生の大通りを闊歩する人たちに話しかける術は知らない。人生の脇道を無駄を繰り返しつつも生きる人々に笑いと夢で語り掛けたい。そんな思いが地にあるね。

人間は、己れの立つ大地の影響を受けるんだろうね。荒れ果てた荒野に育つものもなければ寄り来るものもない。





肥えた大地に撒いた種は容易に育つから多くの人々が押し寄せる。肥たる土壌の人間性も同じくだね、人から人へと物ごとは広がりを創り往く。

栄えるってことは、そういうことだね。広がりの原点だね。

親しき仲にも礼儀あり、隣りに居を構えても垣根在り。此れを忘れなければ問題は起きない。

















休みの期間は、ずっと曇りのマークで埋まってたはずなのに昨日は晴れてたね。気象庁の奴等め、それで飯食えれば結構だね。寝たような仕事すんな。

と、まあ、世間一般的な文句から入ったら、あと、なんか浮かぶかなと思ったけど浮かばない。

暗い川面に梅田のビル群の照明がゆらゆらと浮いてるよ。赤やら黄やら緑やら綺麗だね。その明かりが届かぬ岸沿いを赤い明かりを灯してウキが流れてる。





おっ、電子ウキがボヤ~と波間に沈んでいく。満潮から下げに入って釣れるマズメ時、緊張が走るっ。頃合はよしっ、竿をしならせ手首をかえす。





ビッ、道糸張って竿が湾曲して振るえるけど、ビクともしない。なんやねんっ?、根掛かりかよお~気を持たすんじゃないよ、まったくっ。

竿を寝かせて道糸と直線にして引く。このお~っ、地球は重い。こなくそっ、遊んでられないんだよっ、マズメ時が去ってしまうがなあ。

ビッ、プッスン、ハリスが切れたね。「おまえ、何を云うてんねん?」 いやいや、浮かぶ浮かばないの台詞から淀川の夜釣りを思い出したよ。





西淀川区に住んでいた頃、貧乏そこのけだったけど自由だけは満喫できたね。「浮浪者か?」 アホンダラアッ、働いとおるわっ。花の肉体労働者じゃないかっ。

どんな貧乏喰らっても行政の福祉なんかこれっぽっちも受けたことは無いわっ。病気もしないのに高い健康保険を払うばかりで糞喰らえじゃっ。

武士は喰わねど高楊枝の精神だよっ。安うみんなっ。「すまん」 解ったらええ。怒りで字数を稼ぐズルはするけどね。「もうちょっと怒らせたろか?」











「淀川右岸 阪神姫島側の鉄橋下から下流の護岸、ここでチヌやハネを釣りまくったね。もう、20数年前の昔になるかなあ、当時と変わってないねえ」







サイトを見てまわったけど、今も変わらずチヌ(キビレ)やスズキ(ハネ)などが釣れてるようだね。懐かしいねえ。

1、5号程度のチヌ竿か磯竿を1本買っておこうかなあ? 5m程度の長さでカーボンだね。リールは、シマノの高級品が新品のまま残ってる。

夕陽の川面に、一度ウキを垂らしたら、また、ドップリ嵌まるだろうね。人生の道を右に行くか、左に行くか、其れが問題だね。





こうして、思い出すとオレの一番好きなことは、やっぱり、釣りだね。全てを忘れて没頭できるんだね。ほかに何も要らない。

独りで夜釣りに行っても、朝まで退屈なんて思ったこともない。それに話し相手に困ったこともない。

何処へ行っても、何処に居ても、すぐに仲間が出来る。同好の士だね。帰りは、また遇いましょうが挨拶言葉だよ。





死ぬまでに、誰に気遣うこともなく、なんの心置きもなく、子供の頃からご無沙汰してるホントの気侭に酔いしれたいね。
























カメレオンの独り言-1209 『オーバーハングの真下まで』

2014年08月15日 | 日記







 『オーバーハング』 8月15日







何かを抱えていると動きが悪くなる。それと同じで、気がかりな用事を挟んでいると駄文の内容も浮かぶままにこなして広がりを考える気がしない。

「浮かぶだけマシだろ?」 そうだね、浮かばなかったら掘り起こしてまで探す気力が出んだろうね。

この用事を済ませたら、秋から、ちょっと行動を起こすよ。「どんな行動や?」 見聞を増やす行動だよ。感性に刺激を与えて駄文に反映させるんだよ。





いろんな想いが、ネットのように広がって夢を膨らませる世界で遊んでいたけど、そろそろ、オモチャを片付けて、行く道を絞り込もうかと思ってる。

2000位台なんて不可能と思ってた。書き続けてたら可能になってる。嘘みたいだね。ロック・クライミングの挑戦に絞ろうか?

オーバーハングの真下まで登り詰めようか。「オーバーハング制覇は無理か?」 無理だね、其の道のプロの領域だよ。





「頂上のオーバーハングの真下は、数字にしたらどの位かな?」 百の単位だろうかね? 「標高2.048.128m」 有り得ない数字の岩山を登ってる。

滑落して数千メートル、いや、数万メートル落ちる場合もあるだろうね。こつこつと登って来たなればこそ知る大きなマイナスになるね。「克服できるか?」

せねばならんだろ? 頂上から2000m台で滑落の繰り返しで、千、二千を落ちては、また、上がってきてる。諦めない。「ふつう、死ぬで」





当たり前やないか、ロープで胴体ちぎれて二つになっとおるわ。オレ独特の空想、妄想の世界だよ。岩に手足をかけたら、もう、登るしかないんだよ。







 「ありがとうございます」







「あっ、おまえっ、もう来とおるがなっ」 前と同じぐらいだね。これは、まだ、夢だよ。でも、可能であることを教えてくれてるね。

気負わず力まず、思いのままに仕上げて、ハイ、一丁上がりの按配だね。話のネタが浮いて来ないときは、しんどいけどね。

話は、出汁(だし)だろうね。出汁が効いてると料理は美味い。この場合、出汁は自分自身だろうかね? 





アクが強すぎると泥(なず)むし、上辺(うわべ)体裁気取ると水臭くて不味いんだね。加減が解らないから正直を絞って出すしかない、臭いか? 「臭い」

















電車が空(す)いてるね、お盆で人が減ったんだね。仕事を終えて帰るなり用事で出かける。電車に乗り、バスに乗り 「何処へ行く?」 用事。

帰って来て一息入れたらパソコンの前、あれえ? 更新チェックの入ってないのが下にあるよ。中途半端に書いたのが残ってる。なんで忘れたんだろ? 

まあ、いいや、継ぎ足し書いて更新する。あっ、しまった。飛び飛びのゆとりを失ってしまったよ。「馬鹿やで、なにを慌ててんだよ」 馬鹿だね。





まあ、いいか、内容が、少しズレてるから遅くすると書き換えの部分が増えて余計に面倒になるよ。兎に角、更新するとほっとするよ。

さて、14日から週明けまでお盆休暇だよ。いつも、休み前は、さあ、気の済むまで寝まくるぞって思うんだね。

でも、なんでかね? 休みの朝に限って目覚めがいいんだよ。平日のような、布団に接着剤で貼り付いたような状態が理想なんだけどね。





「それは、おまえ、疲れてんじゃなしに仕事が鬱陶しいからだろ?」 そうだよ。「あれ? 格好つけないね」 そうだよ。 

「休みの解放感が目覚めをよくしてんだよ、つまり、平日は、強迫観念で布団にしがみついてんだろ?」 そうだよ。「違うと云えっ」 なんで?

「ふつう、男なら意地でも違うって云うぞ」 そうかあ? 「情けないだろ?」 嘘で繕うほうが情けないよ。仕事みたいなものは糞だよ。「なんて奴だっ」





糞食ってるようなもんだよ。「勤勉な人を愚弄したなあっ」 好きなら、それはそれでいいんだよ。嫌いなものは嫌いが本当だ。それ以外にない。「なんちゅう奴やっ」

















それでも働く、此れが正しいんだよ。それでも一生懸命に働く、生きるために糞と戦ってんだよ。男じゃないか。「なんかおかしいねえ?」

働きたいから働く、勝手にすればいい。どんどん、頑張って頂戴。働くことを美徳と信じる人は、笑って働けばいい。「なんか素直に聞けないね」

働くことに疑問を感じて気がだるい、寝てるほうがいい、馬鹿らしい、こんな荷物を背負って堵殺場(職場)に向う牛たちの悲痛が解るか? 





そういう人たちは、笑って働ける奴等より、毎日毎日、数倍の戦いを強いられるんだよ。情けない奴ってレッテル貼られてドツボだよ。

そういう人たちは、負けてはいけない。それでも自分の生きる価値観の主張を曲げずに通すなら意地でも負けてはいけない。

毎日毎日、自分と格闘しろ、格闘して、其の都度、必ず、克って一日の労を果たせ。





いつの日か、その格闘で鍛えた強い自分を知るときが来る。笑って働ける奴等より、はるかに耐性強靭な人間になっている自分を知る時が来るよ。

世の有り様に文句を云うエネルギーは自分と戦う燃料に換えろ。うだうだと嘆き節は自分を知る分には悪くない。こいつを、果たして、どうしたものかってね。

誇り高き自分は、精神と肉体からなる其の物体から遊離しろ。その、どうしようもない物体を自分が操るんだよ。





第三者の目になれ。「俺みたいな客観氏(視)か?」 そうだよ。どうしようもない物体と同居してると誇り高き自分までが腐る。

自分が自分をとことん苛める側に立て。誇り高き自分は、常に堅持されて健全だから品をも保つ。此れは、魂(たましい)の問題だよ。

「そんなん出来るかあ?」 やってから云え。神さんにポンコツあてがわれた名ドライバーだよ。「もしかして、これ、おまえかあ?」 なんとなしに近いよ。







 「ありがとうございます」







生きる価値観がそぐわず回り道を余儀なくされても意地を持って登れば、いつの日か、人生のかなり上のオーバーハングの真下までは行けるよ。






















カメレオンの独り言-1208 『隙間風』

2014年08月14日 | 日記








 『8日頃に書いた中途半端な駄文が残ってた。継ぎ足して今日の分です』 8月14日
 







爪か、よく伸びるね。オレは、爪をあまり伸ばさない。気になったら綺麗に切ってしまう。いつだったかな? 

彼女が「爪を長く伸ばしている指は綺麗」なんて云うから、切るのを遅めて長めに伸ばしてる。「えらい素直やね」 うん。

爪を伸ばすと爪の生際から全体が長くなるらしい。たしかにそうみたいだね。なんか少し長めになったよ。見栄えがいいね。優男(やさおとこ)の指みたい。






オレは、仕事のときは綺麗汚いなんて考えないから、伸びた爪の裏側に汚れが溜まって見苦しいんだね。だから、いつも切っちゃってた。

伸ばしたら伸ばしたで気を払う。其れが癖になると汚さないようになるもんだね。

どうでもいいやの野放図が、細々と構うことを知って大人になるのかねえ? うっふふふ、至る所に気を配る、気のつく人になれるのかも知れないね。






毎日のように顔を覗かせていた中1のおませな女の子と其の連れの子が 「★★ちゃ~ん」って、汚れた体操着で帰って来たよ。久しぶりだね。

おまえ達は、暢気な小学生から、あれやこれやと忙しい中学に馴染んで、日々、頑張っているねえ。「せやろ~、部活で夏休みも無いのと同じや」

早出と遅出が交互なんだね? 「せやねん、★★ちゃんに遇われへんねん」 おっさんなんか放っとけ。「あかん」 なんでや?





「★★ちゃん、今から映画へ行くねん」 おう、いいね。アニメか?「違う」 生きた人間のか? 「そう」 こんなんで通じてんだね。

















日本の映画は、今、どんなのやってるのか、どんな役者が人気なのか、さっぱり解らんわ。隣りの、兄ちゃん、姉ちゃんと変わらんもんね。

夏休みは長いから子供たちで溢れるように思うけど、意外と8月回る頃には。逆に影を潜めるから面白い。

みんな、田舎の爺ちゃん婆ちゃん処へ行くんだね。しかし、糞暑い夏だね。蝉も暑さに参ったのかして、あまり鳴かないね。






「★★ちゃん、行ってくるわあ」 着替えて出かけるね。〇〇〇、おまえ、大きくなったね。ヒールのサンダル履いて「お母さんより高くなった」 そうか。

カンカン照りの中を連れの子と仲良く出かけて行ったよ。周りの風景は、然程変わらないのに、子供たちは、どんどん成長して姿を変えていくね。

昨日今日と忙しい。よ~し、仕事をおもくその勢いで片付けてしまお。残せば、明日も忙しい、気がついたら終業時間だよ。少し、残ったね。






帰ったら、ドイターのデイバッッグが届いてたよ。ほう、小振りだね、軽く背負って行くにはちょうどのサイズだよ。落ち着いた赤色、気に入った。

















「おまえ、なにを写すときにも安もんの丸型サングラスが一緒なんだけど意味あるの?」 雰囲気だよ。コマーシャルなんかでも添えもんが写ってるだろ?

真似しいだよ。「肝心のデイバッグがボケてるよ」 其れがオレの写真だよ、意図してボカしてるんだよ。 「嘘つけ」 写ってりゃいいんだよ。

ホント云うとね、こんなのでも緊張するのかね? ブルブル震えるの。「脇絞めて固定しろっ」 余計に震えるよ。「あかんわ、こいつ」






なにか、駄文の大作を書いてやろうかなんて馬鹿なことを考えている。「どんな大作や?」 解らん。「解ってから云え」 解ったら、もう書いてるよ。

名の通った作家の書いたものを読んで解ったような顔をする。テレビの番組観てるのと変わらんよ。宛がい口だよ。

駄文でも、自分の思いで書いている。自分が感じるままを書く、テレビとパソコンの違いだね。人も十人十色だよ。一つじゃないんだね。






制作費をとことん注ぎこんで、監督も役者も有名どころを贅沢に配して出来上がった映画が、必ず、当るとは限らない。

巷で有名な作家が書いた小説は、必ず、誰も彼もが読んでるとは限らない。

つまり、どんな世界にでも隙間ってのが在るんだね。其の隙間ってのは、風を通すんだね。篭って決まって変わらない空気を新鮮にする作用をもってるんだよ。





そんな駄文が書けたら、やったあって思えるだろうね。まあ、彼の世で書くわ。「誰が読むねん?」 三途の川原で子供を苛める鬼の馬鹿どもに読ませるんだよ。

















ちょっと、生き方変えてやろうかって、最近、そんなことを思ってんの。「おまえは思うだけで実践せんだろ?」 

それも含めてだね、変わろうかって思ってる訳なんだよ。なんか、そんな欲求が疼いておるんだね。早い話が昔のオレに戻るんだよ。

何を見ても新鮮な感動を覚えた頃のオレだよ。昔も、見るだけだったけどね、今度は、触れてみようかって思ってるんよ。





「その歳で触れて痴漢で捕まって大恥かくのか?」 アホんだらっ、誰が痴漢になるって云った? オレは、意外と品行方正に育っておるんだよ、無礼者っ。

例えればだね、土産物店なんか覗いても、オレって触ることもなしに見るだけで去るタイプなんだよ。

「これ、どうなってんの?」なんて弄り回した揚句、買わずに出て行く奴等がいるだろ? オレは、あんなのが嫌いなの。遊んだら、なんか買えって思うの。





知らぬ間に土産物屋さんの立場で見てんだね。頼まれもしないのに。そんな窮屈な自分は、もう捨てて、気楽に思うまま愉しみたいなあと思ってるの。

見えない縛りを解きたいんだろうね。楽しみの時を素直に愉しませて貰おうって、そんな気になってるんだよ。

いつも、事務所を覗きに来る子達と付き合っていると、知らず知らず、そんなことを教えて貰ってんだろうなあって思うの。





自由が大好きなのに、ホントの自由を生きてないのかも知れない。いびつな自由なんだろうかね? そう、自分に正直になろうと思うんだよ。





















カメレオンの独り言-1207 『蔦(つた)』

2014年08月13日 | 日記








 8月13日








なんか、今年はお盆休みって感覚が薄いね。「なんでや?」 例年、お盆や正月前になったら休みのお知らせ書くんだけど忘れてる。

「おまえ、お知らせしても休んだことないがな」 そうなんだけど、一応、お断りしておくもんだろ?

今年のお盆は、なるとこ任せだね。今、飛び飛びの更新中だから、そんなもんでちょうどだろうね。どうにも休まねばならん時にお断りを入れようか。






「★★ちゃ~ん」 おう、なんや? 誰それ見たかと小6の女子が聞いている。見ないよ。ぞろぞろ見慣れない連れがあとを行く。

「あんた、馴れ馴れしいなあ」 「優しい人やなあ」って声が残ってる。戻って来る。「★★ちゃん」 なんや? 「ええねん」 人をおちょくっとんかいな?

二言三言話して、「解らんわ」 何云ってる、隣りの女の子は頬づえつきながら、うんって頷いてるよ。「あんた、解ったあ?」 「うん」 みろ。






みんな笑って手をふりふり行ったよ。「★★ちゃん、あの子ら知ってんの?」 中1のおませな女の子が見送りながら聞いてる。知らんよ。

「★★ちゃん、知ってるみたいやん」 そうか? 最初に声かけした子は、おまえたちも知ってるやん。「うん、〇〇〇やろ」 そんな名前だったかな?

「★★ちゃんが話したら、みんな、前から知ってる感じやなあ」 そうかあ? 「向こうがやんか」 ああ、そう。






「このおっさんは、誰にでも馴れ馴れしいねん」 連れの子が云ってる。相変わらず、おまえは口が悪いねえ。笑って「ごめんなさい」なんて顔してる。



















暫くすると、さっきの女の子たちが戻って来る。窓の前で、なにやらワイワイやってる。一人の女の子が「入ってもいいのかなあ?」って、云いながら

もう、入って傍らに立っている。あれ? この子、彼女に似てるね。背が高くて顔立ちも雰囲気も似てるよ。さっき頬づえついて笑ってた子だね。

「沢山、貼ってあるわ」 子供たちの書いた絵を見てる。ああ、みんながね、思い思いに貼って行くんだよ。「へえ~」って見入ってるよ。






何気に外へ目をやると、おませな女の子が睨んでる。なんでやねん? 何かしら慌てて傍らの女の子を見上げると目と目が合った。えっ、こっち見てたの?

「〇〇、なんで、あんた一人中へ入ってんのん?」 友達が呼んでるよ。「うん、また、来るわ」 おう、気をつけてね。

手を振るから振り返してる。「★★ちゃん、あの子、知ってんのん?」 おませな女の子が入れ代わり入るなり尋問口調だね。知らないよ。






おまえたちのほうが知ってるだろ? 「知らんわ、今の6年は嫌いやねん」 なんで? 「下の子、苛めるねん」 ほおう、いかんね。

連れの女の子が 「あの子、図々しいなあ」 なんで? 「ふつう、初めてのとこへ入るかあ?」 みんなが居るからだろ? 「外やん」 ええがなあ。 

女は、微妙なとこで煩(うるさ)いね。でも、なんか、似てる雰囲気だったなあ。彼女の、あの頃を思い出すよ。



















今日は、部活が休みだから、おませな女の子と連れの女の子が居付きだね。「★★ちゃん、今日は暇か?」 うん、もう、盆休みに入ってるからね。

「もうすぐ新聞配達のおっちゃん来るで」 二人で云ってる。「ウザイねん」 「臭いし」 おまえら、云いたいこと云ってるね。

噂をすればなんとやらだね。「おう、あんたら、今日は居ててんなあ~」 「取っときな」って千円札を机にポイ。二人は知らん顔してる。






「出したもんは取らなあ」 おっちゃん、やめとき。「ええがなあ」 仕方ないね。なんだら、かんだら喋ってるんだけど二人の反応は悪いね。

「もう、これで3回もやってるっ」って、千円札の恩を売ってるの? やるのは自分だろ? 自分の思いだろ? 大人気ないことを云うなよ。

何を期待してるの? このおっちゃんのいかんところだね。惜しいと思うなら、変な男気は出さぬ方がいいよ。う~ん、おっちゃん、寂しいのかねえ?






おっちゃん、空回りだよ。人はね、鈍感な奴でも、こういうのは敏感だよ。金やお菓子に載ってる物を感じ取るんだよ。そう取られたら思いも金もお菓子もゴミだよ。



















オレが、腹で思ったことを、おっちゃん、敏感に感じ取りよったかな? 急に話題を変えて聞きたくもないことを云い出したよ。

「そや、さっき、あの娘(こ)、出かけるねんって云って行きよったらサングラスのチビが待っとんねん」 これやでって、親指立ててオレを見て笑ってる。

「ああ~、〇〇〇姉ちゃんや、昨日、私も見たわ。二人で歩いてた」 おませな女の子が云ってる。三人ともオレを見てる。オレの反応が欲しいのかよ? 






あいつは、よおけ男がおるよ。其のチビさんとも長い付き合いだよ。 おっちゃん、みんな、成長して、それぞれに大人になって行くんだよ。

この子達も、云ってる間だよ。「そうやなあ、どんなん摑まえよるんかいな?」 「要らんわ」 「エエのんおらん」 「えっへへ、云うとるわ、ほなあ、行くわ」

ゴミ話し撒き散らかして行っちゃった。おっちゃん、人が愉しくなるような話しをしろよ。






何も悪いことしてる訳じゃないからって、長い年月、彼女との付き合いを売りすぎたね。自ら撒いた種は刈らずばなるまいね。とげ突き刺さる草でも仕方がない。



















頬づえをついて笑って頷いていた女の子が、彼女の昔を思い起させた。当時は、精神的に参っていたね。数年後、元気になった頃を境に断つべきだった。

蔦が伸びるに任せて年月経過して、苦しみ覆い隠して絡まる中で何が残ったのかねえ? 我ながら愚かだね。思い起せば腹立つことばかりじゃないか。

御せぬことは自分の器の限界なんだろうね。人生に遅過ぎることはないらしい。彼女の人生から抜け出て自分の人生に立ち返ろ。「やっと、目覚めたか?」






早くから目覚めてるよ。なにか運命的な力が働いてるように思えてならないから目を閉じていただけさ。でも、もう、いいよ。変態ごっこも厭いてきた。





















カメレオンの独り言