カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-495 『こんなのも生きてます』

2012年08月31日 | 日記





気温自体は差ほどでもないんだろうけど、なんなの、この暑さ、尋常じゃないよ。

じっとしていても汗が噴き出てくるよ。ちょっとおかしいんじゃないの? 「兎に角、滅茶苦茶暑かった」ね。




仕事終えて風呂入って呑むビールの美味さは格別だね。ビールは、まず暑い中、汗かきヘタヘタになった後が「最高に美味い」

しかし、わたしは、アルコールに弱いのかして350ミリリットルの小缶1本空けたら「眠くなる」のが「最高にマズイ」んだね。




そんな状態で、ブログを仕上げねばならないなんて最悪だね。フラフラなの。船の漕ぎっ放しで「ハッ」と、飛び起きては

意識に闇の幕が被ってスィ~と消えるように無くなって「ハッ」と、ビックリして跳ね起きては、また同じような状態を繰り返すの。

で、机の前の棚にあるデジタル時計を見て「ええ~っ?」って、ビックリする。時は人を待たずだね。















一日24時間、過ごし方をじっくり考えることって、無いこともないけど、答えを得ずまま積み重ねていってるなあ。

仕事で半日消えるし、それなりに疲れてるし、仕方ないかねえ。「別段、大した仕事じゃないのに疲れるのは一人前だね」 ほっとけっ。

歳も手伝ってるのかなあ? 「歳忘れて馬鹿なこと真剣に考えたり悩んだり、恥を知らないね」 右脳で生きる者の、自由志向を理解してないね。

右脳活発な人間ってのは、あまり常識に捉われないの。オレの場合は、左脳が腐ってるから極端なんだよ。




もっとも、この言い分は、オレの勝手な思い込みによる診断だけどね。感覚ってのかね、勘どころを優先して生きてきたからなんだろうね。

絵に描いたように、また、この勘がよく当るんだわ、善いことも、悪いことも。先に笑って、先に泣いてるよ。

自分が心を置かない人なら大方見抜く。心を置いてしまうと、なんにも見えなくなるよ。だから、「馬鹿を書いてしまうんだね」




恥を笑うのは一向に構わないけど、恥をかくのは恥を知らぬから、恥を知って、恥をかくのは誠だよ。
















ブログに、きれいごとばかり書く奴なんて「もう、こんなとこまで表面するの、やめとけよ」って、云いたいよ。

何処の誰だか解らないから「なんでも書けとは云わない」けれど、思いは、正直に書かんとあかんよ。

正直と云えば、ブログなんか書いてる奴って「こいつら、なんやねん?」って、馬鹿にしてた。気持ち悪い奴等やなあ~と、思ってた。

で、結局、自分も気持ち悪い奴の仲間になった。遣ってる奴の気持ちが解らんなら、自分が遣ったら解るだろうって、思いもあった。




動機自体は「どこまで遣れるかな?」だったけど、書き出すと「嘘」が書けないねって気づいた。

嘘を書くと嘘が尾びれになって嘘で埋まってしまうがな。そんなの書いても、なんの意味もないからね。

では、「こんなのも生きてます」ってのがいいねって思ったの。実際、生きてるもんね。「お邪魔してます」って、気持ちかねえ~。




遣りだすと「気持ち悪い奴の上位」に、いくんではなかろうか?なんてぐらいに、臭くなってしまった。「なんやねん、おまえ?」

「流れ去る一日一日のけじめになってるかな?」って思いがある。そう思うと、皆さんも、それぞれに思うところがあって、

遣られているんだろうなあと、納得するものを感じるね。




想いを馳せぬ者はいない。馳せる想いの答えを問いかけたい。誰にも云えない。柱に向って問うよりは、生きてる無縁の人に

聞いて貰いたい。答えが無くても、聞いてくれた人が居る。人は、それだけでも救いになる場合があるだろうね。


















カメレオンの独り言-494 『贅沢日本を象徴するよなガキ』

2012年08月29日 | 日記






ぽてっと肥えた子供が近づいて来て、手持ち無沙汰な様子でオレの顔見てる。「どうした?」

「仕方がないよ」 「なんで?」 「することないよ」 じゃあ、家でテレビでも観て来いよって云ったら「何もしてないよ」

そうか、「夏休みは、何処か連れて貰ったか?」 「千葉のお婆ちゃんっち」 ほう、「じゃあ、デイズニィーランドへ行ったか?」





「なぜ、デイズニィーランドなの? もう、50回は行ってるのに」 「へええ~、シーもか?」 「行ったけどね、シーは、大人向けだよ」

なんやねん、こいつ。関東弁ってのは、可愛げがないね。何処の御曹司や?

オレなんか、長く生きてるけど、USJ1回、伊勢のスペイン村が1回だけやで。このガキ、小3程度で遙かに抜き去っとおるがな。





「贅沢日本を象徴するよなガキやね」 しかし、おまえの目つきが気にいらんわ。下から見上げてるのに上から目線やの。「おまえのヒガミやろ?」

することないんやったら寝とけ。「眠くないよ」 「じゃあ、草っぱかきわけ虫でも獲っとけ」 「くだらないよ」 おまえ「コナン」の出来損ないか? 















ベランダで煙草一服しながら空を見上げると雲が覆ってる。上弦に向う半円の月が周辺の雲に光を与えて浮いている。

傘を被ってるって云うやつでもないね。光が、雲を斑(まだら)模様に染めてるんだね。

200ミリのレンズで撮ったろかと、カメラ持ち出し中腰で構える。ブルブルブル震えてる。





腰を落として手摺にレンズ添えて構える。ブルブルブル震えてる。

腰を床に落として、同じように手摺にレンズを添えて構える。ブルブルブル震えてる。「なんやねん」

腰を落とすと手摺が遠くなる。不安定な姿勢は、意外と疲れるもんなんだね。「身体もガタガタガタ震えてきたがな」





ファインダーの被写体が、地震で揺れる備え付けのテレビ撮影みたいやね。震度5ぐらいに揺れておるがな。

レンズとカメラを持つ腕の脇を絞めて、シャッター押す指は軽く添える程度に置き、揺れを抑える、けど「余計に揺れとおるがな」

第一、ハアハア呼吸が荒くなってるよ。「あかん」 疲れただけで中止、汗かいてるよ。三脚出しゃあいいのに、それが面倒臭い。















今日は、仕事が遅くまであって、帰宅して風呂入って夕飯時にビール頂いたら「気持ちよくなって眠たいよ」10時を回ってる。

今日を予想して、昨日に、ちょっと今日の分を書いておいたけど、仕上げておくべきだった。なんにも浮かばないよ。こういう時間の無い日は辛いね。





















カメレオンの独り言-493 『映画 北京の55日』 

2012年08月28日 | 日記






 『北京の55日 エヴァ・ガードナー』







いつも変わらず流れる河を暫し眺めてる。昨日となんら変わらない。

でも、流れ往く水は昨日のものじゃない。今、目の前を流れ往く水は明日の水じゃない。

なんら変わらぬ、ことの繰り返しも、その日その日を積み重ねて、見えぬ何かが変わっているんだろうかね?


















背中のテレビから聞こえる台詞が小耳に入る。AKBってのかな?みんな、おんなじ顔した女の子が群れて歌うグループ。

その中の誰かがやめるみたいだね。残る仲間が、一人ずつお別れの言葉を送ってる。「こそばゆいねえ~、ジンマシン出そうぅ~」 

観客のオトコ連中が、我がことのように神妙になったり、喜んだりしてる。「こいつら、ちょっとオカシイでえ~」 

オレ、こういうの、昔から大の苦手、「発狂しそう」 なぐらい弱い。個人的に内々でしろよ。「それなら構わないよ」









身体に悪いから、ヘッドホーン着けて「ユーチューブ」をクリック、映画音楽を検索してたら「北京の55日」が出て来たよ。

ブラザース・フォーの「ボンボンボンボン、ボンボンボンボン」って、「懐かしいね」


















1900年、中国(当時は清王朝の末期)では、宗教団体である義和団が勢力を拡大、阿片戦争以来欧米列強(日本も含む)の半植民地支配に対し、

外国勢力排斥の行動を起こす。北京の外国人居留区は、彼らに包囲され一触即発の状況にあった。

アメリカ海兵隊のルイス少佐や各国の軍人、民間人からなる600名の兵力をもって女性や子供を守りながら、

欧米や日本の軍からなる救援部隊が到着するまでの55日間の籠城戦を戦った史実を映画化している。



















ロシア男爵未亡人のナタリーを演じるエヴァ・ガードナーって女優さんに凄い迫力を感じたね。艶やかだったね。

ちょっと、コワイ顔なんだけど美人なんだろうね。この女優さんの映画は、これしか観てない。だから、余計に印象に残るね。


















向って左から、チャールトン・ヘストン、エヴァー・ガードナー、デビッド・ニブン  あっちの人は、こういう写真がきまるね。








1900年の初夏、山東省に蜂起した義和団は清国に進出した西欧勢力とキリスト教徒を本土から追放しようと勢力を増大し

北京の居留区の外国人たちにとって脅威となっていた。

映画は、米海兵隊のルイス少佐(チャールトン・ヘストン)率いる部隊が北京に到着するところから始まる。


























『 北京の55日 』 1963年度作品  監督ニコラス・レイ 音楽ディミトリ・ティオムキン 

















紫禁城の奥では、清朝の西太后(フローラ・ロブソン)が、側近の端郡王(ロバート・ヘルプマン)と寵臣栄緑将軍(レオ・ゲン)らと密議。

義和団の力を利用して外国勢力を一挙に国外へ追放することを決め、義和団を蔭で後援することにした。







ルイス少佐は、ホテルで部屋を取る際に、ロシア男爵未亡人ナタリー(エヴァ・ガードナー)に会う。一目で2人は互いに強くひかれた。



























ロシアに帰らねばならないナタリーが旅支度をしている時情勢が急変する。ドイツ公使が路上で義和団たちに襲われ殺される事件が起こる。

この現場を偶然ホテルから見た少佐は、その指揮官端郡王を西太后に報告し抗議したが、逆に彼女は各国外交団の北京城退去を警告する。



































この日、義和団の外国人居住地に対する攻撃が開始され、ナタリーも篭城を余儀なくされた。










































11ヵ国の外国人たちは一体となって防衛した。ナタリーも野戦病院の看護婦として働くことを惜しまなかった。

















少佐は、天津の救援軍へ連絡のため北京城を抜け出る前に、看護に忙しいナタリーに面会、愛していることを告げに行くのだが、

負傷者の看護が時間を与えず意を果たせずまま出発する。ナタリーには、いろいろと面倒が絡んでいるんだね。

清朝の寵臣栄緑将軍(レオ・ゲン)と恋仲になり、其れを知った夫が自殺したんだったっけ? 其れを夫の兄貴が責めるんだけど

その兄貴もナタリーに気があって相手にされないから根性の臭いことするんだね。 「なんやねん、こいつら」


















ナタリーは、薬が不足して治療が出来ない窮状に、寵臣栄緑将軍の縁故を頼りに街で薬を仕入れて城に変える途中、義和団の銃撃を受けて

重傷を負う。脱出はできたものの、天津への連絡に失敗、敵中を潜行して帰って来たルイス少佐を待っていたのは、ナタリーの死だった。

ルイス少佐は、ゲッソリ虚脱状態。天津には連絡取れず失敗するは、愛しているナタリーは死んじゃうは「もう、何する気もしないよ」な気持ち。






しかし、そんなの知ったことではない義和団が猛攻撃してくる。



































この戦いでルイス少佐の同僚が中国女性との間に生まれた女の子を残して戦死する。父の死を娘に報告するのは辛い。


















55 Days in Peking - The Musical









“55 DAYS AT PEKING”

The Brothers Four - 1963




Bom-bom-bom-bom-bom-bom

Bom-bom-bom-bom-bom-bom

Bom-bom, bom-bom-bom

Bom-bom-bom-bom-bom-bom-bom



The year was Nineteen-Hundred
時は1900年

T'is worth remembering
それは記憶に留めるべきこと

The men who lived through
北京で55日間にわたり

Fifty-five days at Peking
生き延びた男たち



T'was called the Boxer Insurrection
それは「義和団の乱」と云われ

A bloody, Oriental war
血に染められた東洋の戦争

Against all nations
列強の国々に対して

Of the Diplomatic Corps
行われた















The flags of France and Britain
フランス、イギリズ軍の旗が

How they fluttered in the breeze
風になびいていた

The Italian and the Russian
イタリア、ロシアの旗も

And the flag of the Japanese
日本の旗もなびいていた



Then came the sound of bugles
高らかにラッパが鳴り

The rolling drums of fury
太鼓が打ち鳴らされる

And the streets of Peking
北京の通りは

Were as empty as a tomb
虚しさにつつまれた



Bom-bom-bom-bom-bom-bom

Bom-bom-bom-bom-bom-bom

Bom-bom, bom-bom-bom

Bom-bom-bom-bom-bom-bom-bom















The Empress of all China
「清」の女帝 西太后は

Gave the signal to begin
さあ始めようと合図を送った

Let the foreign devils
そして外国の悪魔をば

Be driven from Peking
北京から追い払うのだと



They stormed the French Ligation
彼らは、フランス軍に突撃し

They attacked with shot and shell
発砲、砲弾の波の中で

And they came in blood red blouses
彼らの衣服は赤く血に染まり

Screaming "Sha Shou" as they fell
「殺人者め」と叫びながら倒れた














The drums have long been muffled
太鼓が長くそれをかき消して

The bugles cease to ring
ラッパは鳴り止んだ

But through the ages
時がたてば

You can hear them echoing
彼らは、語り草になるだろう



Bom-bom-bom-bom-bom-bom

Bom-bom-bom-bom-bom-bom

Bom-bom, bom-bom-bom

Fifty-five days at Peking















Bom-bom-bom-bom-bom-bom

Bom-bom-bom-bom-bom-bom

Bom-bom, bom-bom-bom

Fifty-five days at Peking



Bom-bom-bom-bom-bom-bom

Bom-bom-bom.........FADE

























そして篭城から55日目、襲い来る義和団が反転して遠のいて行く。砲煙の間から救援軍が姿を現し城内の外国人たちは狂喜した。















イギリス大使(デビッド・ニブン)と別れを告げるルイス少佐。
















戦死した上官の娘だと知る軍曹は、此の娘の将来を思うと気がかりなんだね。

















































父が亡くなったことを告げた折り、外国へ移り住むことの大変さを云って聞かせてはいるが、孤児のまま見捨てることは出来ない。

ルイス少佐も途方に暮れて答えを見出せないでいたんだね。北京が平穏を取り戻し、新しい任地へ赴くときが来て、一人佇む娘の姿を

目にしたルイス少佐は、隊列から馬を戻して娘の前に立つ。







































「一緒においで」





































































  














写真向って左端に、日本軍の柴五郎中佐がいる。伊丹十三が演じていたね。

この篭城戦は、実際では、この柴中佐と日本軍の働きが群を抜いてめざましく、他の11カ国の友軍は、口を揃えて、その武勇を賞賛したと云う。

暴徒が各国の大使館を取り囲み、日本公使館の杉山彬書記生やドイツ公使のケットレルが殺害される。





柴中佐は、西徳二郎公使の下居留民保護にあたり、また他国軍と協力して60日(実際には)に及ぶ篭城戦を戦い、その功を称えられる。

実は当時日本のほかに11カ国が公使館を持っており、内日本を含む8カ国が多少の護衛兵を持っていたが、

事前に柴が北京城及びその周辺の地理を調べ尽くし更には間者を駆使した情報網を持っていた事から各国篭城部隊の実質的大将であった。





この事変後に柴五郎は英ビクトリア女王をはじめ各国政府から勲章を授与された。

ロンドンタイムスはその社説で「籠城中の外国人の中で、日本人ほど男らしく奮闘し、その任務を全うした国民はいない。

日本兵の輝かしい武勇と戦術が、北京籠城を持ちこたえさせたのだ」と記したと、ある。





義和団の乱の防衛戦で賞賛を受け、欧米各国からも勲章授与が相継ぎ、

アメリカ『タイムズ』誌の記者ジョージ・アーネスト・モリソンの報道もあいまって、リュウトナンコロネル・シバ(柴中佐の意)は

欧米で広く知られる最初の日本人となったんだね。





北京篭城戦は、1900年、明治33年にあたる。





柴五郎は、会津藩士(280石)柴佐多蔵の五男として生まれるが、会津(戊辰戦争)戦争によって

祖母・母・兄嫁・姉妹が自刃して果てている。五郎、10歳の時。悲劇の会津藩出身なんだね。

青森に移住したのち、陸軍幼年、陸軍士官学校を経て、日本帝国陸軍大将にまで昇りつめ、昭和20年に病死。





この映画で、柴中佐(伊丹十三)が、ほんの添えもん程度じゃなかったのは、事実の重み故だろうね。「アメリカいいとこ盗りだね」











北京の55日 予告編


































カメレオンの独り言-492 『人生ほどほどが無難』

2012年08月27日 | 日記







麻薬中毒、アルコール中毒なんてのがあるけど、ゲーム中毒ってのが、水面下で問題になってるらしいね。

中国で2000万人のネット中毒者なんてテレビでやってるね。請求が何十、何百万なんてくるらしい。「ビックリもんだね」

息子に「やめろっ」って怒ったら、包丁振り回して威嚇する。ゲームに使用するアイテムが欲しいからって、家の家財道具を売り払う。





最期に残った玄関ドアを「これも売るからなっ」 だって。家ん中見ても、もう盗られる物が何もないから、今更、止めるのもアホらしい。

「なんなの、これ?」 ホンマかよ? ネット依存症の子供を矯正する学校もあるんだって。

包丁振り回してた少年も、訪れた教官に羽交い絞めで連行されてる。





恵まれる境遇の弊害だろうね。急成長の中国なんて感染者は瞬く間だろうね。見るもの触るものが真新しいから飛びついて感染する。























なにも中国だけの話じゃないだろうと思うよ。我が日本でも似たような事例は多々あるんだろうね。現代病だね。

貧困は、辛くて悲しい戦いの連続。富裕は、心地よく楽しいけれど、堕ちる穴がやたらと多くなるみたい。どちらもよろしくないね。

富裕に慣れてない人がなると覿面(てきめん)だね。人生は、ほどほどがいいようだね。





己を律することを身に着けてからでないと遣らせてはいかんね。ピコピコパコパコ指運動だけで精神が腐っていく。

ゲームに関連して、ろくでもないことも拡がっている。「煙草やめろ」と同じで、売ってて「やめろ」はないやろと、同じで、

広めておいて、まとも面して嘆くのもどうかと思うしね。経済との因果関係、文明社会が産み出す伝染病なんだろうね。





新聞、テレビのニュースで、交通事故の報道が無いときなどない。

追い越しざまの正面衝突、追突、歩道への突進、急カーブでの激突、車内に取り残されて焼死、歩行者を次から次へと跳ね飛ばす、

引きずって殺して「知らんかった」なんて、何人死んで、何人が負傷って、毎日飽きずに報道も忙しい。
























麻薬の禁断症状の恐ろしさ、アルコール依存症が家庭を崩壊、ゲーム依存症の実態、副流煙の影響なんぞは、頼みもしないのに

特集組んで、後遺症がもたらす影響を載せたり映したりして世の害毒を訴えてる。

でも、害毒とは云わないけど、交通事故に限っては、犠牲者が花盛りにも関わらず何も語らない。





警察が、年間死者の増減を発表して遊んでる程度。被害歩行者側が、必死に訴えてはいるけれども、その背景はボケたままで突っ込みが弱い。

数量で云えば、交通事故ほど、加害者、被害者、それに関わる者たちの人生を灰色に変えてしまうものはないよ。

仕事で乗らざるを得ない方々には大変申し訳ないけれど、その人たちの運行の妨げになるようなド下手なおばはんまでが乗り回す。





死んだほうがマシなほどの後遺症に泣く当事者なんて凄い数に上るよ。それに介在する人々の苦痛なんて「なんでやのんっ」って悲痛の極みだよ。

車の売れ行きは経済の軸、社会に多大に寄与するが故の「当らず触らず」なんだろうね。

無理からぬことは理解はできるけれど、報道までに制限かましてるんじゃないの?と、疑わしく思えるときがある。





歩けぬようになってから、我が足で歩ける人の、なんと羨ましい姿かな。

「歩いときゃあ良かったなあ」って、脚が無くなってから思っても「もう、遅い」 歩いて済む程度の利便なら乗らないほうが賢いよ。





























カメレオンの独り言-491 『とりとめのない話し』

2012年08月26日 | 日記






大阪高槻周辺で帰宅途中の女性が襲われる事件が相次いでるらしい。でも、暴漢でもなければ、痴漢でもない。

何故か、靴を盗って逃げ去るらしい。「窃盗になるのかね?」 なんやのん、こいつ? 世の中には、いろんなのが居るね。

若い女性のでないと駄目なんだろうね? 代わりのサンダルか何か履物置いていけよ。盗られた女性は、家まで足の裏、痛いがな。















昨日の昼、ベランダで一服していて空を見上げると晴れた蒼い空にお月さんが出てる。それだけなら、別に、珍しくもないんだけど

航空機が、そのお月さんの脇を飛んでくるの。高度が無いから機体が大きく見えてる。「シャッターチャンスやね~」なんて眺めてる。

「あっ」 オレの場合、ワンテンポ、ツーテンポ遅いね。慌ててカメラを取りに入ってバッテリー装填しながら飛び出したら「居らんっ」




入道雲の中へ入っちゃったな。「なんだよお~」って怒ってる。「スピード落とせよ」「待っとけよ」 落ちるがな。 

仕方ないからお月さんをパチリ、パチリ。「おっ」 飛行機雲引きながらジェット機が飛んでくる。角度的にお月さんと外れるね。

高度も高いから機体は豆粒みたい。しょげたオレに気慰めかよ。200ミリでフラフラ。シャッタースピード上げて、カシャッ、カシャッ。















「遠いがなあ~」 よお~見んと解らんがな。画角一杯やからトリミングもでけんがな。「まっ、ええか」

何ごとも熟練だろうね。妥協しない人ってのは、見えない根気と努力の上に「どうやって撮ったの?」なんて写真が出来るんだろうね。

肉眼で愉しんだ後で撮っても「いいのが撮れるはずがないわ」




入道雲も撮ったんだけど、なんで空の色が違うのん? 「そんなん知らんがな」 不思議やねえ~。















一眼に高級なレンズ填めて、その程度のことも解らんのん? 自慢じゃないけど「何も解らん」 カメラに聞いてくれ。




今日は、久ぶりにゆっくり寝たね。目覚めたら11時半になってる。「生き返った感じ」やね。休日の価値やね。

でも、就寝したのが深夜の3時だったからね。深夜ってのは、空気も眠ってるような静寂感ってのかな、やけに落ち着く魅力があるからね。

寝るのが惜しいんだね。独りぼっちの心地よさが堪らんわ。マイワールドやね。




パソコンを前に作業しつつ、いろんなこと考えたりするの。殻から抜け出て晴れ晴れしたり、不明なことに想いを巡らしたり、

こころがキュウッと絞られるような思いに捉われたり、伸びた爪を切ろうかなと迷ったり、此の場で、煙草を内緒で一服したろかなと、

煩い奥さんの寝息を窺がったり「いびきかいとるわ」 吸うたれ。プカプカ「ああ~美味い」 それなりに、なんなりと忙しい。







ネットうろついていたら「うん?」 スティブン・スピルバーグが「リンカーン」って、映画を撮り上げたらしいね。

此の人の作った映画なら期待ができる。南北戦争を映画で観れるね。「楽しみだなあ~」 絵になるヤツを見せてね。







  

アメリカ16代大統領 エイブラハム・リンカーン






それから、アメリカ禁酒法時代を舞台にした「ローレス」って、映画も期待できそうだね。予告編を貼っていたので観たけど

面白そうやないの。前に、ジョニー・デップのデリンジャーは、ちょっと「がっかり」だったね。予告編のほうが良かったよ。












それと年末に公開される「007/スカイ・フォール」 映画館で観たいね。「何故か、007観て外に出たときって、決まって気分がいいんだね」













愉しみってのは、人それぞれなんだろうけど、わたしは、好きな映画観て、夜の街を帰る道中が好きだったね。身体中に満足感が漂ってるんだね。

役者の所作が気に入ると「どうして、あんなふうに出来るんだろう?」なんて考えたりしながら歩くんだね。

センスを感じるセリフの言い回しや、画面の切り替えの絶妙さとか、工夫された描写とか、架空をリアリティにする魔法の裏を想像するんだね。





「夢」なんだろうね。「夢」を持つ者が集結して創り上げる世界なんだろうね。意味は違うけど、寝て見る夢も凄いのがあるもんね。

能が、無責任に演出して出来上がるんだろうね。映画じゃ無理だろうなって思ってたけど、今なら、CGや3D技術が可能にするだろうな。





とりとめのないお話で、繋いでおきます。



















カメレオンの独り言-490 『映画 ディア・ハンター』

2012年08月25日 | 日記








「いかんなあ~、写真を撮りに出掛けんと、ホンマに載せられるのが無くなって来たよ」

出不精ってのは治らんなあ。めんどいって思ったら止ってしまう。こうなってくると、また、映画紹介もどきで逃げる算段が働くね。

この手も長くは続かないね。でも、他のブログを見て歩くと映画紹介をメインに続けられてる方々が意外と多い。「皆さん、上手いね」







著作権の侵害が法に触れるのは解っているけど、「まあ、このぐらいなら」っていう緩衝範囲ってのがある。

それら一切が違法扱いになったら写真は大方アウトだね。わたしは、映画の粗筋を書くのが苦手だから、他所さんのを借りてきて

貼って誤魔化してることもある。大罪やね。

映画音楽も好きだから、映画の挿入歌の歌詞なんかも、お借りして使ってる。大犯罪やね。どこぞの国と一緒やね。







「じゃあ、写真を絵にして貼れば、法に触れないのかな?」 でも、時間を喰うからね、毎日なんて無理だわね。

「じゃあ、活字だけでイコか?」息が詰まるね。読み辛い文章に一服ないと見れるもんじゃないよ。「そうだろうね、じゃあ、空間を広げるか」

そのほうが、まだ、許せるかなあ。「でも芸がないね、まあ、そのうち、なんか閃くでしょう」 ホンマか? 「解らん」












『 ディア・ハンター 』 1978年度作品 出演 ロバート・デニーロ、クリストファ・ウオーケン、メリル・ストリーブ 他










このブログを始めた頃から、ずっと開いてくださる方が居るやも知れない。

少しは成長しましたかね? 「変わらんねえ」 じゃあ、なんで開くの? 「解らんねえ」 なんてご意見もあるだろうね。

それがいいんですよ。なにごとにも意味があるなんて限らない。「なんとはなしに」ってのもある。

「そんなのが長く続くかよ」 という反論も有るかも知れない。でも、意外と「なんとはなしに」ってのは、息が長いもんなのよ。








気負いや期待が殊更ないとね、知らぬ間に、馴染みの日課になって「あっ、また見ちゃったあ」なんてね。







それと、周りのことは「それなりに意見を持ってるみたいだけれど、自分のことが、まるきし見えん奴だね」なんて、聞こえてきそうだね。

それでいいんですよ。自分のことなんて自分で解るもんじゃないですよ。自分は人さんが見るもんですよ。

でも、見られて判じられるだけの自分じゃないところが、また面白い。



















わたしが、映画紹介もどきを書くときは、その映画を観られた方が、隣の座席のおっさんの「良かったねえ~」の感想を洩らした言葉の影響を

意識しているんですよ。感動を共有する喜びですかね、感想が、上手く表現できなくても、隣の席のおっさんが「えらい感動しとったわあ~」

という趣ですな。映画館ならではの連帯感って云うのかね? それですわ。







其れを書き表したいんだけど、表しているかなあ~? 粗筋なんか、どうでもいいんですわ。観た人は知ってますから。

「観てない人は?」 ググれば、すぐに解ります。時代が変わっていますからね、味気ないくらいに便利ですよ。

解説なんか玄人はだしの方がいますよ。映画評論家もケツ煽られて落ち着かんやろね。







これはDVDで観たんだけど、見応えのある映画だったね。

アメリカのピッツバーグ郊外にあるロシア系移民の町クレアトンの製鉄所で働くマイケル(ロバート・デニーロ)ニック(クリストファー・ウオーケン)

スティーブン、スタン、アクセル、ジョンは、休日になれば全員で鹿狩りに赴く、ごく平凡で仲の良いグループ。

そのアイドル的な存在にリンダ(メリル・ストリーブ)がいる。


















1960年代末期におけるアメリカの若者のベトナム戦争体験を通じ、男の友情と死を絡ませて描いている。

























真の友情ってのは、こういうのを云うんだろうね。マイケルの勇気と愛情の深さには脱帽するね。

リンダと結婚の約束を交わして出兵したニックは、マイケルとスティーブンとともに捕虜になって地獄を味わう。









































ベトコンが捕虜を使ってロシアン・ルーレットで賭博に興じるんだね。リヴォルバー、回転式の6発弾装に1発装填して、此れを頭に向けて

引き金を引く。6分の1の確率で弾丸が頭を貫通するゲームなんだね。マイケルが強靭な精神力で、相手のステーブン、ニックを勇気付け

励ましつつ「2発装填しろ」って促す。確率が上がって3分の1の発射率になる。



















ニックは発狂寸前にまで追い込まれている。マイケルの運の強さに、銃を構えて取り囲むベトコンが熱狂して隙が生じる。

マイケルの銃がベトコンに向けられて発射、2発で二人を倒し機銃を奪って皆殺しにする。マイケルの最期の賭けだったんだね。


















浮遊する大木にしがみつき河を下り脱出するんだけど、落伍者の捜索ヘリコプターに乗り移る際にスティブンが河に落ちる。


















マイケルは、後を追うようにヘリコプターの脚から手を離し自ら落ちてスティーブンを助ける。男の中の男だね。

両足を河底の岩に砕かれてスティーブンは歩けない。味方の最前線まで担いでマイケルは歩き通す。

ニックはヘリコプターで、スティーブンは、通りかかった政府軍ジープに任せ、3人は離散する。







映画は、明、暗、憂の三色跨いで物語が進む。ごく平和な田舎の町に生きる若者たちが、ベトナム戦争の徴兵を受け、

究極の恐怖状態に突き落とされ、その傷を引きずり運命に翻弄される姿を描いている。







帰国したマイケルが、仲間達が賑やかに用意した歓迎会を逸らして、一人になったリンダに逢いに行く。平和に馴染めないんだろうね。

この映画のメリル・ストリーブが綺麗だね。此の人は、芸の奥行きの深い女優さんだね。


















ニックもスティーブンも行方が解らずまま、物語は、まだまだ続きます。

































































『God Bless America  ゴッド・ブレス・アメリカ』



While the storm clouds gather far across the sea
海の向こうで嵐の暗雲が立ち込める中

Let us swear allegiance to a land that's free
自由なる地に忠誠を捧げん

Let us all be grateful for a land so fair,
美しい大地に感謝を捧げん

As we raise our voices in a solemn prayer
厳粛なる祈りの中 我らは高らかに声を上げる

















God Bless America, Land that I love.
アメリカに主の祝福あれ 我が愛する国よ

Stand beside her, And guide her,
アメリカを守り 導きたもう

Thru the night with a light from above.
夜通し降り注ぎし 天上の御光










「ニックに乾杯・・・」








From the mountains, To the prairies, to the oceans,
山々を越え 平野を渡り 泡立つ海原へと

White with foam God bless America,
アメリカに主の祝福あれ

My home sweet home.
我が愛しの祖国よ

































































3時間程の映画の中に、様々な人たちの人間像や人生を凝縮して描くんだね。いいものは、いつまで経っても「いいもんだね」











God Bless America Lyrics




















カメレオンの独り言-489 『溜まるゴミ』

2012年08月25日 | 日記







独りってのに、別段、こだわって考えたことがなかったね。

沢山の人々の中に埋もれても、独りって意識が強いって感じて生きている。

煩わしいんだね。自分じゃない自分を演出して、さも自分のように生きる時間ってのは、自分の時間じゃないんだね。





でも、最近、どっちが自分なのか解んなくなってきたよ。

自分の存在を意識する人々に触れるとき、反応する自分は自分じゃないなんて思えないね。

独りの意識で生きてるときよりも、体内に流れる血が暖(あった)かく感じられる。















自分が介在することを拒んでいるんじゃなかろうか? なんて思ったりするよ。

自分の正体って「どんななの?」 自分の世界だけで生きていたい自分が居るね。

他人(ひと)さんの世界に、あんまり興味を示さないと言うより、どうでもいいなんて思ってる節がある。





でも、幸せならそれでいいってのが前提なんだね。幸せに生きている他人(ひと)さんのことは、言葉は悪いけど、どうでもいいんだね。

だから、昔から、自分と比べたりして、僻(ひが)んだり妬んだりがないね。

人は人、自分は自分の線引きが当たり前なんて思ってたみたい。





だから、映画や本などで他人(ひと)さんの世界を観ると「新鮮」なんだね。こんな人も居るのかあ~なんてね。

上辺なぞりでしか他人(ひと)さんの世界は覗けないもんですからね。だから「赤裸々」もんが売れるのかね。

少し見えたとしても、それぞれの解釈の仕方で色も変わりますからね。





本人さんは「オレは黄色」って思ってるのに、垣間見た奴が「赤だ」なんて断じる場合もある。「こいつに何が解る?」

それほどに人と云うのは奥深いもんですよ。答えに近いのは、その人の出発点に絡んだ事柄が「根」なんてのが多いんでしょうかね?















モロ出しで生きている人も居るんでしょうかね。まっ、沢山居ますから居るんでしょうね。でも、そんな人には興味がないね。

大掃除とか、引越しでの整理とか、何度繰り返してもゴミが溜まる。人生なんて、そんなもんじゃないんかねえ?





ゴミは包んで捨てる。清掃車が持ち去れば「ほっ」とする。誰のゴミやら解らない。

自分の中に溜まったゴミは、溜まる一方で、時折、プ~ンと臭って存在を知らしめる。自分にしか解らぬゴミを人は抱えているんだろうね。

煩悩に薄汚れた身を、洗い清めて「スカッ」としたような気分になってもゴミは歴然と残ってるね。





幸せの中に、隠して隠れたゴミってのに、人は苦を背負ってるのかも知れないね。





自分なりの処世術で生きて往くのが精一杯。他人(ひと)さんの世話焼くほどゆとりは無い。

でも、触れ合う中に「憩い」や「和み」や「安らぎ」を感じて、救われるってのはあるね。

では、自分も、そんな思いを他人(ひと)さんに与えられるものなら、与えてあげたいね。また、そうありたいね。





本当に洗い清めるってのは、ひょっとしたら、その些細な思い遣りが、実は相殺してくれて、消えないゴミの存在を薄れさせてくれるのかも知れないね。

そうなることを願うのではなく、純な童心に戻って、互いが、和ませ和めばいいんですよ。





最近、そんなときの体内の血が暖(あった)かくなってるのに改めて気づいたね。人と人の繋がりってのは、そんなのを云うのかね?

独りで居ても冷えた覚えはないけれど、知らずしらず、まわりの思い遣りで暖められているんだろうね。

「随分と気侭に生きて居るのかね?オレって」 自分の世界に浸ってると、自分が全然見えてないって、あるよねえ~。コワァ。





















カメレオンの独り言-488 『死んでも本望』

2012年08月24日 | 日記







なんだかんだと云いながら、もう8月も終盤に来てる。9月に入ったら、今年も残すところ4ヶ月「早いね~」

月日の経つのが、やたらと早く感じるんだけど、わたしだけかなあ? 

正月、GW、夏休み、クリスマスって、感じで「一年なんか、あっと云う間だよ」





「なんか面白いアイデアはないかいな?」って、考えたりするんだけど、昔のように溢れて来ないね。

パソコンの前に構えて出るもんじゃないんだね。風呂とか、トイレとか、関係ないところで「ふっ」と浮かぶんだけどね。

常識的なことが邪魔するんだね。型に填まって出るもんじゃない。至って無責任なところから零れ落ちるもんだわ。





無責任なところから零れ落ちたものでも、責任かまして当れば常識になるからね。





焦って出るもんでもないんだね。自分を解放してやらんとあかんね。何処かへ出かけて時間を潰す「潰して壊してポロッってね」

「あああ~お金が欲しいよ」 貧すりゃ鈍すだね。 アレが必要、此れが必要なんて揃えなきゃ出来ない奴は、もともと出来ないんだけどね。

「自分の首絞めてどうするのよ?」 不快な事実から目を逸らさない。「息の詰まるようなのが好きなんだね?」でもないけどね。





何かを追い求めるってのは、楽しいからね。其れが、大したことでなくとも夢中になれると云うことは、生きている喜びに繋がるよ。

生きていればこそだよ。そんなのに夢中になれるのは。



















シリアで銃弾喰らって亡くなったジャーナリストの女性も、レベルは違っても似たようなもんだよ。

女だてらに戦場をカメラ持って駆け巡る。弾丸飛び交い爆弾炸裂する戦場を、ものともせずに撮りまくる。

正義感が動機でも正義感だけなら止まっちゃう。彼女を突き動かせるのは「夢中」なんだよ。「ほんまもんだね」





テレビのニュースで彼女のことが連日報道されているが、「起こり得るべくして起こった事件」なんだから、あっさりでいいよ。

シリアの弾丸も砲弾も日本までは飛んでこない。射程内に、彼女の意思で出かけて行って撃たれて死んだ。

危険を顧みないほどに、追わずに居れない「夢中」が、あったんだよ。彼女の人生の物語だよ。

シリアの誰が遣ったとか、どういう意図とか、内戦混乱中のシリアにとっては「そんなんシリアんわ」の範疇だよ。

今のシリアでは、悲劇がわんさか有り過ぎて、他国からノコノコ来て撃たれて死んだ女性だけを、殊更、クローズアップなんかしてられないの。






疲れて眠気に襲われ船漕ぎつつでも、ブログ一日更新に夢中になってるオレなんか「アホちゃうか?」なんだけど、好きなことを追い続けるって

のに文句はでないよ。自分の意思で動くということは、そういうことなんだね。仮に、オレも、この無理が死に繋がっても文句は云わないよ。

彼女も、残念とは嘆いても、文句は云ってないと思うよ。





息子が、お母さんと話ししているうち、なにやら互いが声荒げて言い合いになってる。其れを小耳に挟みながら書いてると、なんかバラバラに

なってきたよ。「なにを、云うてんのんっ?」 互いが、自分の言い分説明しながら怒ってる。深夜やでえ~。「あかん、まとまらんわ」



















カメレオンの独り言-487 『恥を知る』

2012年08月22日 | 日記







周期的にどうしようもない睡魔に襲われるね。パソコンの前で「ホッ」として腰掛けたら「もう、あかん」 船漕いでは吃驚して跳ね起きを

繰り返してる。諦めて横になった、瞬間、爆睡。

総天然色の夢を見た。色鮮やかなエメラルドグリーンの宝石を、悪者や美女や刑事などが入り乱れて

その宝石を血眼で追う中で、ストーリーから外れてる自分がひょんなことから手にするの。






ハラハラ、ドキドキの展開の末、とんでもない価値ある宝石は、もともと無かったこととして事件が解決するんだね。

そのハラハラ、ドキドキも、オレには関係ないんだね。映画を観てる感じなんだね。

事件に全然関係ないオレも、ハッピーエンドふうに解決して 「良かったね」 なんて喜んでるんだけど 「あれ?」 

宝石は、ポケットに入れたままだったのを思い出して「今更、出せないのね」






幼児だった頃の息子の手をひき、中央区の長堀通りから一つ南の通りを歩いてるの。「なんで其処なの?」 「わかんない」






オレは宝石ってのに興味がない。夢でも同じで、とんでもない価値の宝石を子供の玩具みたいに扱ってるんだね。

遠い外国での事件だったみたいなんだけど、オレが外国に居たなんて有り得ないのに、夢では、不思議と其の場に馴染んでたね。

目覚めて「夢か・・・」 そいで、お金に換えてもええのんかな?なんて考えてる。 あの展開なら尾は引かないね、なんてまで考えてる。






しかし、誰も困らず恨みも買わず、すんなり手に入れて儲けた夢なんて初めて見たよ。目覚めた現実との落差がデカすぎるね。

お茶呑みながら息子に話すと 「おとん、宝くじ当ってんのとちゃうか?」 折角、優雅な気分になってんのにドツボに嵌まるようなこと云うなよ。



















しかし、若い時ってのは、やっぱり強いんだね。日頃は、あんまり差を感じずに生きてるけど、この暑い夏場は歳食うと堪えるね。

若いと云っても中年だったけれど、真夏の猛暑、その上、40度超える室(むろ)の中で肉体労働遣り続けても「屁とも思わん」馬力があった。

「気ではまだまだ」とは、思ってるんだけど身体が追いかけて着いてこんね。






「駿馬(しゅんめ)も老いれば駄馬にも劣る」って、云うけど賢い奴は上手いこと云い表すね。

もっとも、オレの場合は、駿馬なんて格好のいいもんじゃないけどね。「オレは、牛だね、吐いたものを呑んででも身をもたすからね」

中高の男子連中がクラブから帰ってくる。こいつら、揃って真っ黒け。若いときに身体を苛めておけ。鍛錬は、身につく財産だよ。






「もう、嫌だっ」って、思いに打ち勝って明日に繋げる。この繰り返しが強い人間にしていくんだろうね。



















高3の女子が、咳をしながら「休憩させて」って入って来る。咳しながらプールに行って、カラオケして、呑みに行って夜景を見てきたって、

云ってる。「おまえね、生き急いでるのん?」 「なにそれ?」 「知らずながら自分の寿命を悟るのかしてね、愉しみごとなどに

現(うつつ)を抜かすってのかね? 貪欲が過ぎるんだろうね」 「うん、2回ほど死ぬんとちゃうやろかと、思ったことあんねん」






遊びが過ぎて吐いてダウンして「このまま死ぬんかな」と、思ったことがあるって笑ってる。

明日への目標が見つからないのかね? もって生まれた運任せってな感じだね。人間は、面白いもので理想的な生き方をしたから幸せの約束を

得れるものでもない。おまえのようにハチャメチャな日々を送っていたから不幸になるとも決められない。






努力で人生を切り開くのも為るとこ任せで生きるのも、それぞれに運命の為せる業と云えないこともない。

ただ、生きているだけなら動物や虫や木や草花らと、なんら変わらない。「人としての誇り」に、そろそろ目覚めろよ。

自身を律することを知らねばいかんと思うよ。






脇に控えるように生きる動物や虫や木や草花らに申し訳ないよ。「恥を知る」ってのは、そういうことだよ。



















カメレオンの独り言-486 『手品師』

2012年08月22日 | 日記







オリンピックで、金、銀、銅メダルをとった選手を見ようと、50万人もの人々が沿道を埋めたって「なんなの、この人たち?」

尖閣諸島問題で中国の各地で大規模な反日デモが起こったらしい。日本車を引っくり返したりして暴れてる。嬉しいことや、腹立つことを行動で表す

人って、もしかして、おんなじタイプなのかね? 別に、意味などないけどね「ふっ」と感じたよ。

















ここまで書いてたら、フリーのウイルスソフトのアップデートのお知らせが出て、チョン、チョンとクリックしたらインストールが始まって

終了すると「再起動が必要」って出たので「はいよ」 ここまでは、良かったんだけど「なんたらかんたらが非アクティブになっている」ので

一部インストールが出来ないなんて出てる。あちこち探すけど「何処にあんのん?」





「この状態では安全じゃないよ」なんていうから、ヘルプ読むんだけど「余計に解らんわ」

息子に「ヘルプ」して見て貰う。「ああ~そういうこと」なんて云って、パッパラ、パッパラ開いてクリックして「おとん、最近、このフリーソフトも

ちょっと怪しいねん」 余計なものを付随するから干渉しあってスムーズに動かんらしい。





「インストールの際に、要らない項目のチェック外さないで放り込んだからや」 「うん、そのままやったね」

これで「OKや」 あら、不思議、「おまえは手品師か?」 「おまえの存在は大きいね」なんて煽(おだ)てたら、他のソフトの状態も

一通りチェックしてくれた。「余計なソフトも入ってないし、おとんのは快調やで」 「おお、そうか」 頼もしいね。





その後、なんやらかんやらと話が止まらない。話したいときは聞いてあげよう。 答えられる事は答えてあげよう。

「う~ん、今日は、なんか答えを見たな」なんて、おおきく頷いて部屋へ引き上げて行ったよ。

「しかし、おまえも喋りだしたら止まらんね」 3時間経ってるよ。





「ほいで、オレの時間が無くなったよ」


















カメレオンの独り言-485 『映画 アラモ』

2012年08月20日 | 日記





「独り言ー483」 の続きです。
















Marty Robbins - Ballad Of The Alamo










『 Ballad of the Alamo 』


In the southern part of Texas
In the town of San Antone
There's a fortress all in ruins that the weeds have overgrown
You may look in vain for crosses and you'll never see a-one
But sometimes between the setting and the rising of the sun
You can hear a ghostly bugle
As the men go marching by
You can hear them as they answer
To that roll call in the sky



Colonel Travis, Davy Crockett, and a hundred eighty more
Captain Dickinson, Jim Bowie
Present and accounted for



Back in 1836, Houston said to Travis"
Get some volunteers and go
Fortify the Alamo."
Well the men came from Texas
And from old Tennessee
And they joined up with Travis
Just to fight for the right to be free











「諸君、戦闘配置につけ、武運を祈る」




包囲開始から13日目の1836年3月6日の早朝、メキシコ軍の一斉攻撃が開始された。
















































































『 この時代の銃器は、米国製のスプリングフィールド銃、仏製のマスケット銃あたりではないかと思われるね。

火縄銃よりは進歩して雷管を使用して発火するまでにはなっていたようだけど、一発ごとに弾丸を銃口から詰め込む作業を要すので、

近代戦のように雨あられの如く撃ちまくるなんてのは出来ない 』



























『 撃つものと、弾丸を詰めるものが、コンビになれば1発の発射時間を短縮は出来るが人員を要す。

2列、3列に横隊を組んで、前列、後列が順次入れ替わりして撃てば効率はいい。しかし、これも人員を要す。

怒涛の如く押し寄せる敵兵に、気も焦れば、手元も狂う。撃っても外れれば意味はなく焦りも半端じゃなくなる 』




『 無ければ無いで、人は其れなりにコツを掴んで要領も良くなるんだろうけど、この時代の戦士たちは、大変だったろうね 』




























メキシコ軍は隊を、4つの部隊と捕獲、追跡、保安部隊に構成、マルティン・ペルフェクト・デ・コスの率いた400名程の最初の部隊は、

アラモの北西の角に向かって進んだ。フランシスコ・デュゲ大佐の指揮する400名程が2番隊。

第3部隊は、ホセ・マリア・ロメロ大佐の率いる400名程の軍人から成った。




4番目はホアン・モラレス大佐によって指揮され100人のカサドレス(軽歩兵)から成った。

アラモの壁に達する前に攻撃部隊は200~300メートル の広々とした地面をカバーする必要があった。

テキサス人の逃亡や援軍の侵入などの試みを防ぐために、サンタ・アナは、ラミレス・イ・セスマ准将配下の350騎の騎兵に

周囲の田園を警戒させるよう配置したとある。




























『 梯子を持って来られると余計に気が焦ると思うね。壁に取り付くまでに倒さないと蟻のように上がって来る。

上がって来る奴を払っていたら、走って来る奴等を撃つのが遅れる。「撃って撃って撃ちまくれえ~っ」って、号令は容易いけど、

1発撃っては、「銃口から弾丸シコシコ突っ込んでんだよっ」 「無理云うなっ」って腹も立つだろうね 』


























































トラヴィスが受け持つ北壁が破壊されコスの部隊が雪崩れ込む。


















北壁の砲座で指揮をとるトラヴィスは、砲撃で崩れた壁から襲い来る敵兵をサーベルで何人かを倒すが、敵弾を受けて戦死。




























ディッキンスン大尉も北の砲座で戦死。 






『 この役者さんは、ジョン・フォード一家って、云われる役者さんの中の一人だと思うけど、芸、云々よりも、死に方に問題があるね。

実際は、飛び交う弾丸は所構わずの状態ではあるけれども、映画ってのは、撃ったシーンが有って当るシーンに繋がるから、観る者は納得する。

兄貴分のジョン・ウェインのために張り切ったんだろうけど、この映画で「おまえほど無様な死に方した奴は居ない」





誰も撃った奴も居なければ、発射音も聞こえないのに死んでる。それも、無理して凝った死に方を自ら提案したのかして、一人勝手に当ったなりして

砲座を取り囲む杭に、逆さでぶら下がって死んでる。「オレが監督だったらチョッキン、カットだよ」 ぶらさがることに神経が行き過ぎだよ。

観てる者はね、意外と細かなところ見逃さず、「シラケさせるなっ」って、怒ってるんだよ 』


















増水する河の堤防が決壊したように、砦の中へ、次から次から敵兵が雪崩込んで、もう止めようもない。

















テネシーからの兵(つわもの)も、奮戦虚しく次々と倒れ往く。























『 ジョン・ウェインの息子さんだね、この役者さん。親の七光なんだろうけど鳴かず飛ばずだったね 』


































『 この映画は、超大作って謳って封切られたけど評論家に云わすと評判は良くなかったらしい。

でもね、ジョン・ウェインの映画への想いってのが伝わってくるよ。最高のものを創って観るものに満足を与えたいと、いう思いがね。

赤字になろうが、なるまいが、金を惜しまぬ心意気が感じれるよ。結果的には、大変な赤字だったようだね 』

























北壁が破れたことから、押し寄せる濁流のような勢いでサンタ・アナ軍が雪崩れ込んだために、守備隊の要所要所が総崩れになった。

守備隊は、白兵戦になれば数で圧倒するサンタ・アナ軍の敵ではなかった。

















































ついに最期の時が来た。簡易なバリケードは、呆気なく破られて「もう、後がない」 クロケットは松明を持って寺院に駆ける。























もう、寺院の中にも敵兵の姿が、至る所が敵兵で埋まってる。槍騎兵の槍がクロケット大佐を貫く。























「もはや、ここまで」 クロケットは、松明を武器庫の火薬に投げ込む。














脚を負傷したボウィ大佐は、建物の中に収容されていたが、其処へも敵が押し寄せる。奴隷から自由の身になったジェスロは、

自分の意思でボウィに付き従い、身をもってボウィを庇う。短銃を撃ち、ナイフをかざし相手を倒すが、冷たい銃剣に胸を貫かれてボウィ大佐は果てる。








































































ディッキンソン大尉の妻と娘、それに奴隷の男の子は保護される。




























「ありがとう」






































語り伝えよ のちの世まで           『 Ballad of the Alamo 』  サンタ・アナが帽子を斜めにかざし敬礼するに合わせてコーラス。












アラモの砦の輝ける十三日間











つづれの旗を誇らしく掲げ











永遠に名を残した砦の寺院











我等の自由を戦いとった











アラモの十三日は栄光の日々











今やラッパは沈黙し剣は錆び











兵士の群れは主の胸に眠る  











主の胸に眠る





                                           END









トラヴィスが、最期まで期待していた救援隊のジェームス・ファニン大佐の大隊は、アラモから南東に160キロ離れたゴリアドで

450人以上のテキサス軍を指揮していた。2月28日に320人の兵と大砲をアラモに送る行軍を組織的とは言えないやり方で試みたが、

不十分な輸送方法により救援を中止した。ファニンと配下の大部分は降伏後にメキシコ軍によって虐殺されたと、ある。





3月1日の午前1時頃に32人が、ゴンザレスの町からジョージ・キンベル大尉とジョン・W・スミスと共に到着し、

メキシコ軍の戦線をかいくぐってアラモの守備隊に合流した。彼らはトラヴィスの援軍要請に対する唯一の反応だったともあるね。

彼らの参戦は、守備隊にとっては、大きな弾みとなっただろうけど焼け石に水が事実だね。





サンタ・アナ将軍率いるメキシコ軍は、甚大な被害を被りながらもアラモを攻略したが、

46日後の4月21日、サン・ジャシントの戦いでは、サム・ヒューストン将軍の率いる783名の独立軍 に大撃破され、

死者630名、捕虜730名という被害を出してメキシコ軍は崩壊、 サンタ・アナ将軍は農夫に変装して逃げようとしていた所を捕らえられる。

このサン・ジャシント戦での独立軍 の死者はわずかに9名に過ぎなかった。

この二つの戦闘によりメキシコ側はテキサスの独立を承認せざるを得なくなり、ここにテキサス共和国が成立したようなんだね。





この「アラモ」の映画は、1960年度の作品なんだけど、2004年にも映画化されている。

史実自体が、あやふやな記録になってはいるけれど、こちらの映画の筋立てのほうが、其れに近しく描かれているね。

サム・ヒューストン将軍が、サンタ・アナを撃ち破るまでを描いて、史実通りデビィー・クロケットが捕えられ処刑で果てる。





クロケットと、その配下5~6人が捕えられ、サンタ・アナ自身が死刑を言い渡したとある。そのサンタ・アナは、サム・ヒューストン将軍に

テキサス独立の承認を引き換えに命乞いしたという。「もう、こうなると、ただのおっさんだね」





「アラモを忘れるな」を旗印にサム・ヒューストン将軍は勝利を得た。アラモの13日間は、まさしくテキサスを独立に導いた礎となったんだね。

どのような死に様であっても、我が身の「人生と命」を捧げて果てた人々に対しては、頭が下がるね。













ただ、引っ掛かるのは、クロケットが、トラヴィスに「自由」の思想を語るんだけど、テキサスは黒人奴隷の本場なんだね。

1861~1865年の南北戦争で奴隷制度が廃止になるまで、黒人奴隷の悲劇は続くんだね。

ボウィにも、トラヴィスにも奴隷がいたんだね。「人間の話に、奴隷を挟んではいけない」なんて云うのかな?





奴隷制度の歴史は、とんでもない昔からの世界中の習わしみたいなもので「わしゃ知らん」なんてとこ「無いのとちゃうのん?」とは、思うけどね。





人々の固定観念に泣くものは、自身から行動を起こして意識の改革を唱え広め、同調する有志を募って戦うしか改善は有り得ないのかね?

奴隷の中から、そういう人は出なかったのかな? 仮に出ても刈られてしまったんだろうね。

我が身の「自由と権利」は、義務を果たして我が身で守る。人任せで守られるもんではないようだね。


















カメレオンの独り言-484 『雷と神隠し』

2012年08月20日 | 日記






この土曜日の昼下がり、空気が震えると云うか割れると云うべきか、凄まじい雷鳴が止むことなく響き渡ったね。

黒い雲から神経質な光って感じで稲光が絶えず地上に向って走る。間髪に雷鳴が轟けば近くなっている。

ピカッと一瞬光ってバンッパンパッリーンッなんて、ブリキ板をおもくそ引っ叩いたような音響が多かった。





おませな小4の女子が、いつもの連れの女子の親子同士で、長居の競技場で催される音楽祭に行くって出かけた後だね。

其れまでは晴れて、いつものように暑い夏の空だった。

南東の空が暗くなってきて雷の音が聞こえてるなと、気づいて間がなかったね。





高3の女子が、電車の時刻に合わせ、待ち時間を喋って潰してる。「おまえ、約束ずらせるほうが無難だよ」 「やばいなあ」

辺りが暗くなってきて轟く雷鳴が大きくなってる。スコールみたいなのが来るで」

バンッパンパッリーンッ、「なんやのん、今のん」 「落ちとるで、今のは」 真っ黒の雲が真上に来てる。





「ほな、★★ちゃん、行ってくるわ」 え~~おまえ行くの? 「雷も怖いけど、おまえもコワイね」

なんやら賑やかなお洒落姿で笑って出て行く。雷鳴がヤケクソみたいに轟いてる。

「おまえ、傘はあ~?」 B型女って、みんな、あんななの? A型男からしたら「アホだね」 





ドッシャアーと降ってきた。雷も凄いけど雨もヤケクソのドシャ降り。「あいつ、まともに遣られたね」

狂ったように降るは、響き渡るは「地球の終わりみたい」 大阪人って災いから縁遠いから、こんなので脅威を感じるね。

「この雷は、落ちてまんなあ」 「いつものと違うね」 足止めくらった人と空を見上げて話してると、バッバリッーンッ 耳をつんざく雷鳴だね。

















仕事あがって帰宅後、テレビのニュースを見ると長居競技場で雷が二人の女性に落ちたらしい。「木の下に居てやられたんだね」

九州から来てた若い女性らしい。5万人ほどの人たちが競技場に来ていたらしい。屋内に居ればよかったのにね。運が悪いね。

親御さんにしてみれば、或る日、突然に、娘が「神隠し」にあったような思いだろうね。





若いときに、高槻の淀川河川敷で、今日のようなのに遭遇したことがあったね。

川筋から堤防まで距離がある、だだ広い河川敷だったから、突然で、どうしようもない。河川工事用かな?簡易の橋が支流に架かってる。

その下に潜ってやり過ごしたけど、「あれも凄かったね」 悪天が過ぎ去って、川向こうを見ると、見事な虹がかかっていたよ。





やり過ごせば、それも笑い話になる程度のことなのに、命を失う人も居るんだね。自分の蝋燭の長さを知らないから笑ってられるんだね。





















カメレオンの独り言-483 『映画 アラモ』

2012年08月19日 | 日記













ALAMO 『 アラモ 』 1960年度作品 監督ジョン・ウエィン 出演ジョン・ウエィン、リチャード・ウイドマーク、ローレンス・ハーヴェイ 他






1836年、当時メキシコ領のテキサスの原野に、各国から多くの移民が入植していた。

メキシコの独裁者サンタ・アナが土地没収と重税を課す宣言をした。

テキサス人は独立運動を起こし、サム・ヒューストン(リチャード・ブーン)が指揮者に選ばれた。





サンタ・アナは討伐軍を派遣した。義勇軍はまだ組織が完全でなく敵軍をサン・アントニオでくいとめ、時間をかせぐ必要があった。

ヒューストン将軍はジェイムズ・ボウイ(リチャード・ウィドマーク)を大佐に任じ、サン・アントニオ近郊のアラモ砦の陣地構築を命じた。

が、彼は酒びたりで仕事がはかどらず、将軍は後任に若い弁護士出身のトラヴィス大佐(ローレンス・ハーヴェイ)に指揮権を委ね、

自分は義勇軍を募るため北方に出発した。厳格で貴族的なトラヴィスと、大地主で親分肌のボウイはことごとに対立した。
















Marty Robbins - Ballad Of The Alamo









BGM   『 Ballad of the Alamo 』




In the southern part of Texas
In the town of San Antone
There's a fortress all in ruins that the weeds have overgrown
You may look in vain for crosses and you'll never see a-one
But sometimes between the setting and the rising of the sun
You can hear a ghostly bugle
As the men go marching by
You can hear them as they answer
To that roll call in the sky































Colonel Travis, Davy Crockett, and a hundred eighty more
Captain Dickinson, Jim Bowie
Present and accounted for



















Back in 1836, Houston said to Travis"
Get some volunteers and go
Fortify the Alamo."
Well the men came from Texas
And from old Tennessee
And they joined up with Travis
Just to fight for the right to be free

















テキサス独立義勇軍のヒューストン将軍がアラモに立ち寄り、義勇軍の建て直しが急務で其れが整うまで、なんとしても

砦を守り、一日でも長く日数を稼いだくれとトラヴィス大佐に命じる。アラモは、「テキサスの命運がかかっている」と説く。

「我がテキサス軍はバターミルクの中のハエ1匹にすぎん」  「友人諸氏を募って態勢を整えているが時間が必要だ」













「君たちで、その時間を稼いでくれ」  「サンタ・アナと戦えるようになるまでだ」













ヒューストンは、トラヴィスを残して人払いすると、

「ボウィのことで苦情か」  「彼は大酒飲みだ、だがコーズ将軍と戦って、この町を奪った功労者だ」











「別の件で疑念があるのか」











「大地主で、妻がメキシコ貴族の娘だからか」











「そうです」











「私は信頼しとる、家族の命も預けられる」











「テキサスもだ」











「君は好かん」











「だがテキサスを預けられる男だ」 











「そのことには礼を」  











「結構だ、今よりテキサスの命運は君の手中にある」

















「久しぶりだな、ジェスロ(奴隷)、ボウィ(酔っ払って寝込んでいる)に、よろしく云ってくれ」












Indian scouts with squirrel guns
Men with muzzle-loaders
Stood together, heel and toe
To defend the Alamo

"You may never see your loved ones,"
Travis told them that day
"Those who want to can leave now
Those who fight to the death let 'em stay."

In the sand he drew a line
With his army sabre
Out of a hundred eighty five
Not a soldier crossed the line
With his banners a-dancin'
In the dawn's golden light
Santa Anna came prancing
On a horse that was black as the night













「メキシコ軍は7000だ」  「だから」











「壊れかけた教会で、大軍を防ぐのは無理だ」











「将校会議で君は酔っていた」 











「・・・・・・・・・・・・」

酔っ払いの「戯言は聞かん」なんて態度のトラヴィス。「なんて野郎だ、このカチコチ男めっ」とは、云ってない。

トラヴィス大佐とジム・ボウイ大佐は、犬猿の仲。 意見は、尽く対立する。





遙かテネシーからデヴィー・クロケット大佐(ジョン・ウエィン)とその仲間達が、サン・アントニオに到着する。


























昔は、学問、教養のある人って少なかったんだね。あちら此方から集まる人は、荒くればかり。今は、賢い人が多すぎて、オレなんか肩身が狭い。

その逆なんだね。酒場で、旅の疲れを癒すクロケット等にトラヴィスが面会する。





この危急存亡の折に、遥々、テネシーから馳せ参じてくれたことに謝意を述べ、この戦いの意義を演説させて欲しいと申し出る。

クロケットは、「彼らは、説教じみた話は聞かんよ」 それより「肩肘張るな」って、トラヴィスに葉巻の束を投げてよこす。

酒場の馬鹿騒ぎのほんの間隙にクロケットが、トラヴィスに話しかける。












「共和国、この響きがいい、自由に暮らし話せる国だ」












「人の行き来、物の売り買いも自由」「感動的な言葉の一つだ、共和国と聞くと胸がつまる」

「自分の子が歩き出す時と同じだ。息子が初めて髭を剃る時と、胸が熱くなる言葉、それが共和国だ」と、語りかけるクロケットに

「君が解ってきたよ・・・無教養な田舎者ではない」 





クロケットとボウィが、悪党からせしめた銃や火薬を馬車に積んで砦に持ち運ぶ。











「祈りが神に通じた」











「クロケット大佐、なにか呑もう、ボウィ大佐もよければ」











「いけ好かねぇ野郎だな」 なんて顔してる。





「ファニンが義勇兵1000名を集めて週末に出発する」 「信じられない数だ」 「確かに疑わしいが、それは兵士には言わないことだ」 

「1000名以上集まったと云ってくれ」 「嘘は言えない」 ディッキンソン大尉を含めて話し合うんだね。



















「俺は嘘つきで通ってるが、だが今、大事なのは真偽より、ファニンが何人といつ来るかだ」











「どのみち我々は動きがとれん、なら町を焼き払って・・・」











「ゲリラ戦法で敵を悩ますか?」












「ひとつ忘れてるっ、指揮官の私が、それに反対だっ」  「・・・・・・・・」

トラヴィスは、応援をより誇張して士気を高める考えを唱える。 「嘘で部下を引き止めろと云うのか」 ボウィ大佐が怒る。

「本当の敵兵力を知らせたら誰も残らん」 「俺たちを臆病と?」 「けんか腰になるなっ」 「俺の部下は志願して参戦した、だがいつでも出て行くっ」











「確かに志願兵だ、だから秩序も規律もない」











「・・・・・・・・・」 ボウィ大佐は部屋を出て行く。











「その点なら、うちのは、もっとひどい」  「危急の時だ」













遥かなるアラモ  ブラザース・フォア


























BGM  『 遙かなるアラモ 』 意訳 ( 公開当時は、ブラザーズ・フォーが歌うこの主題化が大変ヒットしたね。)








A time to be reaping
刈り取りの時

A time to be sowing
種撒く時

The green leaves of summer
夏の緑の葉が

Are calling me home
私を故郷へ誘う

Was so good to be young then
若くあることはとても良かった

In the season of plenty
豊かな季節の中で

When the catfish were jumping
あの時ナマズが跳ねていた

As high as the sky
空ほどに高く




















「フラカ、私が木をしみじみ眺めたのは初めてだ」











「私は何かを求めて此処へ来た」











「世の中の役に立てそうだ」






A time just for planting
ちょうど植えるための時

And the time just for ploughing
そしてちょうど耕す時

A time to be courting
求愛する時

a girl of your own
あなたの女の子に

Was so good to be young then
若くあることはとても良かった

To be close to the earth
大地に寄り添うようにあって

And to stand by your wife
そして、あなたの妻の傍らに立った

At the moment of birth
あの誕生の瞬間














「たとえ倒されても不正と戦い、正しいことを言えるのだ」「真実は不変だ、道は正か不正の二つだ」












「正しい道を歩む者は生き不正を行なう者は死ぬ」






A time to be reaping
刈り取りの時

A time to be sowing
種撒く時

The green leaves of summer
夏の緑の葉が

Are calling me home
私を故郷へ誘う

It was so good to be young then
若くあることはとても良かった

To be close to the earth
あの松の木でフクロウがウインクしていた





A time to be reaping
刈り取りの時

A time to be sowing
種撒く時

A time just for living
ひたすら生きていくための時

A place for to die
死するための場所

It was so good to be young then
若くあることはとても良かった

To be close to the earth
大地に寄り添うようにあって

Now the green leaves of summer
今、夏の緑の葉が

Are calling me home
私を故郷へ誘う

It was so good to be young then
若くあることはとても良かった

To be close to the earth
大地に寄り添うようにあって


Now the green leaves of summer
今、夏の緑の葉が

Are calling me home
私を故郷へ誘う













「私は安全なところへ」 「フラカ、君には名がある、説得力も」











「人々に訴えて言葉で戦え、私は、ここで戦う」











「もう逢えないの?」 それが 「宿命なら」


























クロケットのテネシーの一党が砦に向ってくる。 「一騎当千の兵(つわもの)たちだ」 トラヴィスの表情が明るい。

途中で、ボウィ大佐が合流するのが見える。 トラヴィスの表情が険しくなるんだね。












「自説を吹き込んでる」 「ナイフ使いめ、盛んに説いてる」 「どうせ奇襲戦法だろう」











「奇襲戦法だ、敵が河を渡るたびに損害を与える」










サン・アントニオの町が騒然としている。サンタ・アナの先遣隊が到着した。早速、軍使が来て















「寺院を占拠する反乱軍の隊長に告ぐ。メキシコ領の1州、テキサスは総督に対し大逆N行動を起こした。とって次のことを命ず、

寺院占拠者は全員、武器弾薬を捨て退去せよ。命令に従わぬ場合は寺院を攻撃し壊滅させるものと思え」














トラヴィスは葉巻の火を大砲に点火、轟音一発「戦闘開始」の返答。






先遣隊は小銃隊が、約2000名。軽砲兵に槍騎兵、重攻撃隊、歩兵、重砲、補給車の主力本隊の到着まで4~5日はかかる。

それまで小攻撃はあっても、総攻撃は本隊が到着してからとなる。それまでに応援の 「ファニンが来る」 とトラヴィス。





闇夜に乗じてボウィ大佐とクロケット大佐の一隊が、敵の野営地に侵入し大砲の破壊をして戻ってくる。













トラヴィス大佐は 「ボウィ大佐、君の命令違反には我慢ならん」 「そうか、だったらカタをつけよう、ピストルを選べ」

「ナイフじゃないのか」 「時刻は?」 クロケットが「戦争が終わってからだ」 互いが納得する。












「君の作戦で全隊が危機に瀕した」











「二度と繰り返さぬことだ、今度は逮捕する」











「トラヴィス、命令違反だ逮捕だと騒ぐことはない、俺たちは明朝出て行く」 と、言い捨ててボウィは立ち去る。











「思い出したが・・・・」 











「よせ、君の得意な泥臭い金言にも、田舎哲学にも用はない」











「サンタ・アナは、この砦を残して補給線を伸ばせない」











「我々を攻めてる間、味方は時間を稼げる」  「軍編成の貴重な時間をだ、私がそれを稼ぐのだ」





















クロケットの策略に掛かりボウィは出て行く機会を失う。

その夜、ソンブレロに入れた手紙が砦の外から届く。











「サンタ・アナが降伏したか?」














「妻が死んだ、疫病にやられた」 「一緒に居たいと云った妻を、俺がコヒラへ行かせた」 「嫌がったのを無理に」











「うちの仲間に坊さんあがりがいる、人間は何も解ってないと、よく云う・・・・元気をだせ」











「命令に反し外部から何の情報を受け取った?」「手紙を出せ」











「今夜こそ殺す」  「奥さんは決して喜ばんぞ」


















「ボウィ大佐」











「心からお悔やみを こんな時にひどいことを云った、いずれ決闘の場で清算してくれ」











「だが今はこころの底から詫びる、心ないことをしてしまった」











「トラヴィス、君はあくまで君だ、俺も変わりはしない」


















貯蔵食料の肉が痛んで赤痢が発生し、残す食料は3日分、食料調達は敵から奪うしかない。












敵陣地に潜入して牛を奪う作戦中、歳若いスミティを伝令に走らせる。「邪魔になるから?」











「スミティ、一緒に戦う相手ならおまえを一番に選ぶ」  











若いスミティを死なせるには忍びないクロケットの気持ちを察して、ボウィは 「ヒューストン将軍の所まで数日はかかる」 「たぶんな」







ディッキンソン大尉の騎馬隊が野営地を襲撃、その混乱の中、牛の大群を走らせて砦に収容する手筈になっている。











手筈どおり、ディッキンソン大尉の騎馬隊が野営地を襲撃。











「よしっ、牛を追え」











トラヴィスは援護を指揮して、砦前方に陣を敷き、作戦部隊と奪った牛ともども、無事、砦に迎えるのだった。









































一斉射撃で撃退された敵の追撃隊の中から、銃を片手の一騎が、引き上げるトラヴィスに向って突進してくる。

























































































































































「士気よりファニンの救援隊だ」











「敵は甘く見て失敗した」とクロケット  ボウィが「次は四方から攻めてくる」 












「明日ファニンが500名で来れば1ヶ月は持つ」 「1000だろう」 「いや500だ」 この戦闘で、既に20名ほどが戦死している。

そこへ伝令が敵陣を突破して知らせを持ち帰る。











「ファニンは待ち伏せに遭って来ません」 流石のトラヴィスも動揺を隠せない。「全員集合だ」と指示して立ち去る。











「出よう・・・行くか?」 「そうだな、退いて立て直すか」





























「諸君、バーナムが悲報をもたらした」











「ファニン大佐の救援は絶望となった」











「私の隊はとどまるが、諸君は名誉ある撤退を・・・」











「アラモは落ちる」











「だが堂々と去れ、非難できる者はなんびともいない」











「ヒューストン将軍のために貴重な10日間を稼いだ」











「敵に大打撃を与えた勇気ある軍人だ」

















「門を開けろ」











「神の祝福を」











































個人的な主義主張は違えども意気に感じるってのかね、「捨てては行けぬ」 この思いだろうね。「ともに信じることに命を捧げる」

死ぬことが解っているのに、踏みとどまるってのは、人間は、死より重いものを知っているんだね。「誇りと使命」だろうかね。

ボウィ大佐は、トラヴィスの背後に並んで立ち「踏みとどまる」意思を示す。やがて、全員がボウィに倣うんだね。
































「非戦闘員の退避は一時間以内に、各人の目的地まで行けるよう手配する、メキシコ大統領アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ・・・返事は?」











「ご配慮に感謝し非戦闘員を退避させる」











「独身者は持ち場に残り、妻帯者は家族を退避させる準備を」

















「妻帯者は持ち場へ戻れ、門を開けろ」











「行って、しっかりね」











「駄目だ」 











「一人にはできん」 











「解ってくれ、目のことでも泣き言一つ言わん奴なんだ」











「此れは命令ではなく要望だが、あの二人は、お互いなくてはならない」











「ジョッコ、一緒に行け」 











「トラヴィス、余計なことを」











「奥さん、ご主人を恨む者は一人もいない」











「行け、蹴飛ばすぞ」











「お黙り、よくお聞き」  











「うちの人は男の中の男だよ」 「お金もないし教養もないけどね」 (オレと似てるね) 「持ち場に戻って、立派な男なんだから」











「私もテキサスが自慢できる女よ」











「潔く別れるわ」 「たとえ、あんたが戦死しても決して忘れないわ」 「あんたは最高の亭主だった」











「お行き」

















Hurrah! Hurrah! 万歳!万歳!











Hurrah! Hurrah! 万歳!万歳!























そして、総攻撃のときを迎えるんだね。

サン・アントニオの空に小太鼓を響き渡らせて、7000名余のサンタ・アナ軍は、今や160名余となった守備隊が立て篭もるアラモの砦を完全包囲する。










































































包囲開始から13日目の1836年3月6日の早朝、メキシコ軍の一斉攻撃が開始された。

砦の攻防は、熾烈を極めたが、午前5時の総攻撃開始から1時間半後の6時30分には砦は沈黙した。






Sent an officer to tell
Travis to surrender
Travis answered with a shell
And a rousing rebel yell
Santa Anna turned scarlet"
Play deguello!" he roared"
I will show them no quarter
Every one will be put to the sword!"















One hundred and eighty five
Holding back five thousand
Five days, six days, eight days, ten
Travis held and held again
Then he sent for replacements
For his wounded and lame
But the troops that were coming
Never came, never came, never came




Twice he charged and blew recall
On the fatal third time
Santa Anna breached the wall
And he killed 'em, one and all
Now the bugles are silent
And there's rust on each sword
And the small band of soldiers



Lie asleep in the arms of the Lord



In the southern part of Texas
Near the town of San Antone
Like a statue on his pinto rides a cowboy all alone
And he sees the cattle grazing where a century before
Santa Anna's guns were blazing and the cannons used to roar
And his eyes turn sorta misty
And his heart begins to glow
And he takes his hat off slowly
To the men of Alamo
To the thirteen days of glory
At the siege of Alamo





前編・・・・終わり








『 Ballad of the Alamo 』 のBGMの意訳が見つからない。直訳だと「何云ってんのん?」てな感じ。

http://www.youtube.com/watch?v=eL62m5umP4g&feature=related  You Tube Marty Robbins - Ballad of the Alamo





『 遙かなるアラモ 』の内容よりも、アラモ自体に関わることを主に歌われているみたいですね。

http://www.youtube.com/watch?v=H-D_su04fX8 You Tube the green leaves of summer






なんか最初の思惑と違って、写真を貼りまくっていたら許容一杯で取り込みができなくなっちゃった。意地になってんだね。「アホだね」

よって全編を紹介できなかったね。不本意ながら、此処までを「前編」として、次回は「後編」と致します。

「DVD観たほうが早いよ」なんて感じになってしまったけど、ここまで遣ったら最期までやらんと気分が悪い。























カメレオンの独り言-QK-136

2012年08月18日 | 日記







今日は、遅くまで仕事があってパソコンの前に着けたのが11時を回ってる。「困ったね」 なんにも浮かばないね。

映画で繋ぐにしても時間が無いよ。「今日は、何を書いとおるかな?」って、開いて頂いた方に申し訳ない。

昨日は、昨日で、お盆だったから、用事があって「休憩」で繋いだんだけど、今日も「休憩」で繋がなしゃあないね。「不本意だね」





そういえば、ブログでお盆休みとってないね。「逃げんな、おっさん」

















実は、今、映画の紹介の独りよがりの「大作」を製作中なんですよ。「ホンマかよ」 写真は、JPEGでないとブログに取り込めないので

前以て変換して揃えてるんですよ。もうすぐ、法に触れる行為になるので「今のうちに」って、気が急いてるんです。

流れを見てみんことには解りませんが、法が施行されたら無理でしょうね。「民主党のアホンダラがっ」 ドブへ落ちろ。





まだ、お休みの方が沢山おられるようですね。 「それがどうしたの?」 いや、お聞きしてるだけですよ。

「関係ないことで字数稼ぐな」 480までいきました。





あっ、そうだ。竹島問題を国際司法裁判所(ICJ)に提訴するらしい。政府は訴訟手続きに入るとあるね。

行動が早いね。毅然たる対応を見せんといかん。韓国も「言い分」があるなら共同付託に応じるべきだよ。過去にも事例があって、

その都度、韓国は拒否しているらしい。「問題起こしたら責任とれ、この野郎っ」 





韓国の国民も、大統領の悪あがきに、のってないで国際裁判で「白黒」つけることに賛成しなさいよ。





756文字いったね。「皆さん、今日は、これで堪忍してね」























カメレオンの独り言-QK-135

2012年08月16日 | 日記







喧嘩売られて買わずに収めるのは難しいだろうね。

「平和」「友好」を看板にして、其の姿勢を推し進めることは、口で云うほど簡単なことじゃないからね。

盗られそうになっても笑って済ますのかな? 盗られても笑って済ますんじゃないの?





そんなのしてたら、与那国、石垣、宮古島、沖縄から、トカラに屋久島、種子島も、五島列島も、壱岐も、隠岐も、

九州、四国でさえも盗られて無くなっていくよ。





海上保安庁も、海上で鬼ごっこするだけで、其れ以上の事は出来ない。

捕まえても強制的に帰国させるだけ。

運賃や手間賃考えたら放っておいて、島が飽きたら、帰りたくなって勝手に帰るのを見守ってるほうがいいんじゃないの?





島へ渡ったら命懸けなんてのがないから、これからどんどん遣って来るかもしれないよ。

毅然とした姿勢を執るときには執るってのが必要だろうね。

尖閣諸島にしても、竹島にしても、今の日本は、完全にナメられているね。





苛めに対し、苛められない姿勢とは、果たして、どのように対処すれば良いのか? 国が示して見せる番が来たよ。

で、ないと、苛めはエスカレートして止め処なくなる傾向があるみたいだよ。 「一発かましたれっ」

















この際、007に任そうか? 沢山、お金を積んだら 「引き受けてくれるんじゃなかろうか?」 情けない国やね~。 




















カメレオンの独り言