明日(7/26)の分です。
「明日は雨降らないかな?」 「どうかな、降らないんじゃないの」 「明日は天神さんや」 「ああ、そうか、昔から天神祭りには雨がこぼれるって云うけどね」
「去年は降らんかった」 学校帰りの彼女が云ってる。「気晴らしに、また、行っておいで」
今日は、大阪天神祭りの宵宮(7/24)なんだね。祭りを前に堂島川に船を出し神事が行なわれているのがテレビのニュースで流れてる。
そういえば、今日の朝、雨だったね。学問の神様、菅原道真も九州大宰府に左遷になって、それで泣いてんのかね? 西暦845~903の昔から宮仕えは辛い。
天神さんの祭神が学問の神様ってのはすぐに浮かんだんだけど、なかなか菅原道真(みちざね)の名が出てこなかったよ。
菅原道真って、別に祭神に崇(あが)めるほどの大した男じゃないんだけどね。全然、関係ないけど楠木正成(くすのきまさしげ)が先に浮かんだよ。
道真が亡くなった後、平安京で雷などの天変が相次ぎ、清涼殿への落雷で大納言の藤原清貫が亡くなったことから、
道真は雷の神である天神(火雷天神)と同一視されるようになった。「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、
「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来という。政治的不遇を被って大宰府に落ちたからって執念深い怒りだね。
ゴルフ場で雷食らって憎き上司が死んで、顔で泣いて心で喜ぶ奴と変わらんのんではないか? 「おまえ、罰(バチ)が当るぞ」
オレは、頭が良くても人間の出来てない奴ってのは好きじゃないの。 脳味噌に依存する奴って何処か冷酷なんだね。
「俺は、頭悪い癖して、人間が出来たような錯覚でしか生きれない奴って大嫌いなの」って、そいつは言うだろうね。一理あって勝てっこないから笑っておこ。
楠木正成って名がでて、大楠公の唄を思い出したから、桜井の別れを聴きたくなったよ。ユーチューブで検索して久ぶりに聴いた。いいねえ~。
一.青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
木(こ)の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に 散るは涙かはた露か
二.正成(まさしげ)涙を打ち払い 我が子正行(まさつら)呼び寄せて
父は兵庫に赴かん 彼方(かなた)の浦にて討ち死せん
汝(いまし)はここまで来つれども とくとく帰れ故郷へ
三.父上いかにのたもうも 見捨てまつりてわれ一人
いかで帰らん帰られん この正行は年こそは
未だ若けれ諸(もろ)ともに 御供(おんとも)仕えん死出の旅
四.汝をここより帰さんは 我が私の為ならず
おのれ討死為さんには 世は尊氏の儘(まま)ならん
早く生い立ち大君(おおきみ)に 仕えまつれよ国の為
五.この一刀(ひとふり)は往(い)にし年 君の賜いしものなるぞ
この世の別れの形見にと 汝(いまし)にこれを贈りてん
行けよ正行故郷へ 老いたる母の待ちまさん
六.共に見送り見返りて 別れを惜しむ折からに
またも降りくる五月雨の 空に聞こゆる時鳥(ほととぎす)
誰か哀れと聞かざらん あわれ血に泣くその声を
「敵軍襲来」
一.遠く沖べを見渡せば 浮かべる舟のその数は
幾千万とも白波の 此方(こなた)をさして寄せて来ぬ
陸(くが)はいかにと眺むれば 味方は早くも破られて
二.須磨と明石の浦づたい 敵の旗のみ打ちなびく
吹く松風か白波か よせくる波か松風か
響き響きて聞ゆなり つづみの音に鬨(とき)の声
「湊川の奮戦」
一.いかに正季(まさすえ)われわれの 命捨つべき時は来ぬ
死す時死なでながらえば 死するに勝る恥あらん
太刀の折れなんそれまでは 敵のことごと一方(かたえ)より
二.斬りてすてなん屠(ほう)りてん 進めすすめと言い言いて
駆け入るさまの勇ましや 右より敵の寄せくるは
左の方(かた)へと薙(な)ぎ払い 左の方より寄せくるは
三.右の方へと薙ぎ払う 前よりよするその敵も
後ろよりするその敵も 見ては遁(のが)さじ遁さじと
奮いたたかう右ひだり とびくる矢数は雨あられ
四.君の御為(みため)と昨日今日 数多の敵に当たりしが
時いたらぬをいかにせん 心ばかりははやれども
刃(やいば)は折れぬ矢はつきぬ 馬もたおれぬ兵士(つわもの)も
五.かしこの家にたどりゆき 共に腹をば切りなんと
刀を杖に立ちあがる 身には数多の痛矢串(いたやぐし)
戸をおしあけて内に入り 共に鎧の紐とけば
六.緋おどしならぬくれないの 血潮したたる小手の上
心残りはあらずやと 兄のことばに弟は
これみなかねての覚悟なり 何か嘆かん今さらに
七.さはいえ悔し願わくは 七度(ななたび)この世に生まれ来て
憎き敵をば滅ぼさん さなりさなりとうなづきて
水泡(みなわ)ときえし兄弟(はらから)の 心も清き湊川
楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。 建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に活躍。
尊氏の反抗後は南朝側の軍の一翼を担い、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害した。
明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。
後醍醐天皇に忠誠を尽くした武将で河内国石川郡赤坂村(現在の大阪府南河内郡千早赤阪村)の出生なんだね。
昔、楠木正成を嵐寛十郎が演じた映画を観た覚えがある。親父が、上記の桜井の別れの歌を、よく歌ってたね。
で、下を見たら高倉健の「望郷子守唄」がある。思い出すねえ、「花と龍」もあるね。「唐獅子牡丹」も、藤純子の「緋牡丹博徒」みんな揃ってるよ。
オレは、唄を歌わない。口ん中で歌うだけだね 「口ん中で歌えるか?」 歌えるよ、頭ん中で響いてるよ。
だからか知らんけど高音が出せない、出したことがない。テンポは狂ってないと思ってる。一人の時に風呂の中で、何度か歌ったことがある。『何を歌うねん?」
日頃は、馬鹿みたいな声なんだけど、唄を歌うと低音になるの。歌ったのは、渡哲也の「くちなしの花」なんだけど、我ながら云いねって思ったの。
で、高倉健の「唐獅子牡丹」 これもいいの。風呂ん中だからエコーが利いて、良く聞こえるんだろうね。
で、「花と龍」「望郷子守唄」も歌ったよ。みんないいねえ~。「ホンマかよ?」 ホンマだよ。で、独りよがりじゃないのを、思わぬところで確認したよ。
カラオケなんか死んでも行かない。ちょっと、皆さんとは唄の好みもズレてるし余計だよ。
まだ、肉体労働で頑張ってた頃だね。親方の会社の所長さんが、人間変わったように下請けの会社の連中も一緒にって誘ってくれて慰安旅行に行ったの。
大広間にはカラオケの設備があるの。うちの所長が「★★★★、歌え」なんてけしかけるから「アホか、死んでも歌わんわっ」なんて真顔でエラそうに遮断してる。
なんか若い奴等の唄ばかりだったね。オレは、こんなの嫌なんだけど顔には出さない。笑って「上手いね」なんて合わせてる。
オレが聴いてる限りでは、みんな、100点近くいくように上手いんだね。でも、機械の採点は、意外と厳しいんだね。80点前後止まりなの。
酒も回ってほろ酔いで中座して風呂へ行ったの。俺は風呂が好きだからね。「★★★★、逃げるな」なんて、うちの所長が大声上げてる。知ったことか。
気持ちよかったねえ。ポカポカなって部屋へ戻ると、まだ、やっとおるわ。酒が回ってるから、余計にお肌がピンク色に上気してるよ。
「よっしゃあ、★★★★が歌いますっ」って、うちの所長も相当回っとおる。「アホッ、なに云うとんねん」 本気で怒ってる。品がないね。
そこへ、親方会社の所長さんが「★★★★、なんでもいいから聞かせてや」って、穏やかに笑って仰る。まずいね。此の人には、世話になってるからね。
オレは、オレが歌える唄は陰気だからって、云いかけたら、親方会社の女子事務員さんが「ステキ、わたし、この唄大好き」なんて言い出すから倒れそお~。
カラオケが伴奏始めてるがな、ちょっと、待ってええなあ~。「★★★★、ええぞお~」 あの野郎っ殺す。家の風呂で歌ってて良かったよ。もう、ヤケクソで歌ったよ。
「いまでは指輪も まわるほど やせてやつれた おまえのうわさ・・・」 歌いだすと、なんか、静かになって親方会社の所長さんなんか座布団枕にして横なって聞いてるよ。
「くちなしの花の 花のかおりが 旅路のはてまで ついてくる くちなしの白い花 おまえのような 花だった」 「えらい渋い低音やなあ~」なんて聞こえてる。
「わがままいっては 困らせた 子供みたいな あの日のおまえ くちなしの雨の 雨の別れが 今でも心を しめつける くちなしの白い花 おまえのような 花だった」
「小さな幸せ それさえも 捨ててしまった 自分の手から くちなしの花を 花を見るたび 淋しい笑顔が また浮かぶ くちなしの白い花 おまえのような 花だった」
歌い切ったよ。「おおっ~、ダントツやんかあ~98点やわっ」って、社員さんがビックリしたよな声張り上げてる。「わああ~」って歓声上がってる。
「★★★★、なかなか聞かせるねえ~」って、親方会社の所長さんが拍手して言ってるよ。ああ、そう。「凄く、よかったです」って事務員さん、ああ、そう。
うちの肥えた同僚も、満足してるみたい。「★★★★さん、いつもと、全然、違うわ、凄い低音や、格好良かったわ」 ああ、そう。
後にも先にも、此れだけだね。オレは、音感は狂ってないって、いつも自分では思ってたけど、実際に狂ってなかったみたいだね。
まだ、お話は、終わらないんだけど、なんか、長くなったから明日続きで書きます。