カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-848 『悪霊』

2013年07月31日 | 日記







  明日(7/31)の分です。







夏になると「行ってはいけない心霊スポット」なんてのが、度々紹介されるね。

行ってはいけない処をマップ入りで紹介すんなよって思ってたら「【閲覧注意】夏だからこそ行きたいマジでヤバイ心霊スポット」なんて題名に変わってる。

夏だからこそ行きたいに変わってるよ。行って気い狂っても知らんと云うことやろね。







「旧吹上トンネル」 ここへ行くと一ヶ月以内に必ず病気になったり悪いことが起きるというらしいね。

「真の道」 門周辺には、有刺鉄線が張り巡らされており、簡単には進入ができないようになっています。

「道了堂跡」 過去に事件がありました。その霊が出るらしい。

「八王子旧相武病院」 改装工事を行う際に事故が多発した曰く付きの病院。

「旧善波トンネル」 国道246線にある旧善波トンネルには少年の幽霊が出るという噂がある

「上柚木公園」 公園内の山吹橋、展望広場、第五駐車場、野球場周辺、池などで霊の目撃が多いなんて、gooのニュースに紹介されてたよ。












『 八王子から、こんなに綺麗に富士山が見えるんだね 』








東京の周り神奈川の小田原から北へ青梅に至る周辺に寄ってるね。

こういう情報は、口コミで広がって、それに尾びれがついて、背びれもついて、それらしい姿になって定着するんだろうね。

昔と違って、好奇心旺盛な人たちが、車で沢山行くだろうから話題も豊富になる。数撃ちゃ当るの確率だからグラフの山も高くなるんだろうね。






で、釣られて行って「なんやねん、なんにも出ないよ」ってことのほうが多い。出ないんじゃなしに霊感がないから気づかないのかも知れない。






車で行って「居るか?」 「居らんでえ」 なんて云いながらウロウロして「なんも居らんがなあ」 「そんなもん、そうそう出るかいな」運転席と助手席で話している。

後部座席に、とんでもないのが居るがな。でも、気づかない人は、気づかないらしいよ。脅すほうからしたらせいのないことやろね。

こういう処へ行く時は、霊感のある人に同行してもらえれば裏切られない確率は高まるだろうね。訳解らんパニックにお付き合いすることになると思うよ。



















昔、うちの奥さんが、まだ若い頃、会社の慰安旅行で沖縄へ行って、向こうであったことを話してたことがある。

当時は、まだ新築のラマダ・ルネッサンスっていう綺麗なホテルに宿泊したらしいんだけど、そこで同僚の女のこがバスを使ってたら出たらしいんだね。

兵隊さんだったらしいんだね。その子は霊感の働く娘(こ)で、過去に何度もそれらしい体験をしているので、「あっ、またや」って思ったらしい。






気づかぬ振りしてシャワーを浴び落ち着いてバスから出て来たという。兵隊さんは、その間、じいっと彼女を見たまま居たらしいね。

それを聞いた周りの同僚のほうがパニックになったらしいけど、騒がず静かに、其の場を去った娘さんのお蔭で、その兵隊さんは、成仏できたかもしれないね。

20数年前の話だから、それから遡って40数年前の沖縄は地獄の戦場だったんだからね。無念の思いで亡くなった沢山の人たちの涙の上に在ることになる。






忘れるなといくら説いても、時代の移り変わりで事実は風化していく。しかし、そこで命を落とした人の魂は、その時点にとどまって変わらない。

伝えたい思いや気がかりな思いも、それぞれにある。全てが、その時点でとどまっているんだろうね。

悪意を持たぬ霊は気の毒なことだね。でも、霊に情をかけてはいけないと云う。疎通すると憑依(ひょうい)すると云う。ただただ、心で合掌して退くのみなんだろうかね。



















日曜出勤で本社の人と雑談していて、近隣交渉の際に、建てた家の土地がとんでもない処だったって嘆いて居られましたよって話から、霊の話しになって

こちらも又聞きの話題を振って、無責任に笑ったりしたんだけど、其の場に居た4人とも霊感のほうは全くないに等しいみたい。

「生きてる奴等だけでも、大概、鬱陶しいのに、その上に訳解らんのなんか要りまへんわ」 もっともやね。






背中側に上司の机が並んでるらしい。「いつも背後に生きてる奴の気配を嫌でも感じまんがな」 「のっとんとちゃうやろかと思いまんで」 そらあ悪霊やね。「最悪ですわ」 

「死んだ奴より性質(たち)が悪いですわ」 ボロクソやね。なんだら、かんだら、生きた悪霊の話で花が咲いたよ。

彼の世にはあの世の事情があり、此の世は此の世で事情に振り回されて、中間に位置する迷える人たちへの関心は薄い。






だから、手を変え品を変え、彼らは存在をアピールするんだろうね。「此処に居るぞおお~」 鈍感な奴は、目の前に出ても気づかない。彼らにはストレスだろうね。














カメレオンの独り言-847 『解析』

2013年07月30日 | 日記







  明日(7/30)の分です。









漠然と今日書いた記事を皆さんが読んでくださるってばかり思ってた。たしかに、そういう方も居られることを確認したけど、意外だったのは、

過去の記事から入って頂く方が多いんですね。参ったなあなんて、つい思ってしまう。「なんでやねん?」 いや別に。

今、アクセス解析なんて情報欄が、10日間のサービスで無料で見れるんですよ。このページにアクセス頂く行程が解るんですね、便利だね。





グーグルで、目的のものを検索しているページで関連する記事へ移行する際に、このページにも連絡されてんだね。

プチって入って、なんやねん、これ? プチッって飛ばされてるんでしょうかね? でも、それでもひとつの訪問者数と閲覧数に含まれる。

そんなのを考えると、この数ってのは、当てにもスッポンにもならんということになる。





















毎日欠かさず書くって思いは、誰かさんが、毎日のように開いてくださると思うからだね。「居るんだろ?」 居られるね。「じゃあ、いいじゃないか」

そうだね、そんな方のために書かずばならんね。

オレは昔から出来上がったものしか興味がないんだね。作られる行程ってものに興味が湧かない。料理にしてもそう、映画にしてもそう、裏を知りたくないんだね。






それが、自身の進歩に、すべからく大きな障害になってることも解ってんだけど、シラケんのが嫌いなんだね。

アクセス解析なんて見なきゃあ良かったよ。「ネットという蜘蛛の糸の中におまえの駄文が含まれてんじゃないか、数残したお蔭で遭遇する機会が増えているんだよ」

毎日、積み上げてる行為は無駄じゃなかったってことか? 「そうだよ、糸を伝って、思わぬところまで行っちゃってるかも知れんよ」 それがネットか? 「そう」






見知らぬ人でも、オレの駄文で喜べばいいってのが、オレの主旨だから、そういえばそうだね。行ったこともない北海道の方が、読んでくれているかもね?

「gooのブログの日記から、おまえの駄文を探し当てるほうが大変だよ」 グーグルで検索する何かしらに関連して知るほうが大きいだろうね。

そうかあ、そういうことかあ。やっぱり、書き続けなあかんね。数増やす方法が、いろいろあるらしいけど、オレは小細工するのが大嫌い。自然がいいよ。






「沢山の人の目に触れるってのはいいことだよ。その中の僅かでも残って見続けてくれる人が現れる」 う~ん。

恥を拡大することに通じるよ。「もう、充分かいてるがな、今更、一緒やで」 そうだろうね。じゃあ、もっと、恥かこおか。





















昨日の休みは、日曜出勤で時間を取られ「緋牡丹博徒」も、なんか、中途半端にしか書けなかったよ。凝りまくったろと思ってたのに、ガックリだよ。






今日は、空が雲で覆われて太陽が見えないよ。雨が降るのかね? そういえば、湿度が高い。山口県のほうでは大変な豪雨だったようだね。

昼食時間に表に出ると小6のおませな女の子が、友達と連れもって「★★ちゃ~ん」って呼んでいる。連れの女の子が「★★ちゃん、拍子とって」

「なんや?」 「★★ちゃん、いつもテンポとって口ずさんでるやつ」 「ああ~あれかあ、おまえ、前、後ろで踊ってたなあ」 キャッキャッ笑ってる。






「チャッチャチャチャ、チャッチャッ、これか?」 のって踊ってる。「おまえ、のりやすいね」

「チャッチャチャチャ、チャッチャッ」って、口先でテンポよく拍子をとってやる。三人の女の子が踊ってる。 こんなのやってるときは、人は、皆、幸せだね。

最近は、ダンスを習う子が多いんだね、身のこなしが振ってりゃいいんじゃなしに即行の振り付けが出来てるわ。






今日は、なにか締まらないね。締まったり、締まらなかったりで毎日がある。下着もあまり締め付けるのを、常に着用してると身体に良くないって云うもんね。













カメレオンの独り言-846 『映画 緋牡丹博徒』

2013年07月29日 | 日記







 明日(7/29)の分です。
















「ご当家の親分さん お姐さん影ながらおゆるしこうむります。向かいます上さまとは今日向初(きょうこうはつ)の御意(ぎょい)を得ます」

「従いまして、生国は、肥後熊本でござんす。熊本は五木の生まれ、姓名の儀は矢野竜子」















「通り名を緋牡丹のお竜と発します。御視見の通り、しがなき者にござんす。行く末お見知りおかれましてよろしくお引き立てのほどお願いいたします」








娘盛りを 渡世にかけて

張った体に 緋牡丹燃える

女の 女の 女の意気地

旅の夜空に 恋も散る























鉄火意気地も しょせんは女

濡れた黒髪 緋牡丹ゆれる

女の 女の 女の未練

更けて夜空に 星も散る















男衣裳に 飾っていても

さしたかんざし 緋牡丹化粧

女の 女の 女の運命

捨てた夜空に 一人行く















此の人を超える緋牡丹お竜は、もう出ないだろうね。物腰は、あくまで女らしく色気があって柔らかい。この人は、心身に筋が入ってるね。

だから、崩れない、キリッと締めて流されないから頼もしい。殺陣も上手いし短銃の扱いも大仰でもなければ軽くもない、程よく使って生かしてるね。

このけじめを失うと、やたらめったらバンッバンッ撃ちまくって、場を潰すんだね。






小刀の免許皆伝の腕前って言う設定がいい。殺陣も、其れに倣った捌きようで斬っても斬っても納得できるね。

身構えが地に足ついてる。矢野一家を背負って立つ女親分の貫禄も持ち合わせてるね。なによりも、此の人は、品があるんだね、此れが素晴らしい。

熊本の方言がいいんだね。大きな器を感じさせるよ。見事な当り役だね。















緋牡丹博徒シリーズ

緋牡丹博徒 緋牡丹のお竜(1968年)

緋牡丹博徒 一宿一飯 (1968年)

緋牡丹博徒 花札勝負 (1969年)

緋牡丹博徒 二代目襲名 (1969年)

緋牡丹博徒 鉄火場列伝 (1969年)

緋牡丹博徒 お竜参上 (1970年)

緋牡丹博徒 お命戴きます (1971年)

緋牡丹博徒 仁義通します (1972年)




























此の人の父親が、東映の当時の大プロデューサー俊藤浩滋だったことから、女やくざ映画でありながら、安易なエロティック演出を一切排したのが功を奏したね。

高倉健、鶴田浩二、若山富三郎、菅原文太をはじめ丹波哲郎、藤山寛美 金子信雄、松方弘樹、待田京介など脇を固める役者が、大スターばかりで映画の格も上がった。

藤純子が「緋牡丹お竜」で一世を風靡するお膳立てが出来上がっていたんだね。其れに応えて裏切らぬ魅力と才能が彼女にあった訳だね。





当るときってのは、こんなもんなんだろと思うよ。





こんなの云ったら失礼だけど物語の内容は、どれも、然程の変わりもなくおんなじなんだね。なのに、観たくなる。

舞台の見せ場に似て、同じ出し物に何度も脚を運んで、何度も酔うような趣きだね。当時、他社でもブームにのって任侠ものが多かった。

日活や大映なんかが、あとを追ってたけど、東映との役者の幅が全然違ったね。東映は粒が揃ってたよ。















毎回、お竜は恋をするんだけど、好きって言葉もなければ、そういう思いもひた隠すんだね。

相手も相手で、露骨な台詞などないから、ほんのり色香が漂い、互いの仕草のほんの触れ合いで情が通じるって感じかね。

「お竜参上」だったかな? 雪の今戸橋、いつか、ちょいと書いたけど、雪に埋もれた墨絵のような静けさの橋の上で菅原文太と藤純子が語り合うシーンがある。





菅原文太の口跡がいいから冷たい空気を切るように凛と響くんだね。「お竜さん、あなたは、優しい人だ」 この言葉が、ずうっと残っているよ。

旅に出る菅原文太に渡そうとした黄色いみかんが雪の上を転ぶ、しゃがんで拾い取り雪を払って手渡す、お竜の思いは、なんでもない仕草のみなんだね。

荒くれ男どもの中で、女だてらに仁義の筋を通す。映画だと云ってしまえばそれまでだけど、娘盛りの女を秘めて、為さねばならぬことに命を賭ける。





自分では、願い下げだけど、人は、人の清廉な生きざまに酔いたいもんなんだろうね。








緋牡丹博徒 一宿一飯(プレビュー)










洋画好みのオレが、これほど夢中になって見続けた邦画も珍しい。

ちょうど、その頃住んでいたのが大阪市の南区だったから、松屋町筋の末吉橋近くに下駄履きの映画館があった。

任侠映画が花盛りの頃で3本立てで安かった。毎週末、観に行ってたね。ああいう、気楽な映画館が少なくなったね。どっか、近くにないかなあ?





今日は、なんにも浮かばないから遊びで埋めようか。

















「唐獅子牡丹」といえば高倉健。この人には、台詞は要らない、存在が全てを語らすね。

そして、此の人がいい味を出して脇を固めているね。着流しが、やけによく似合う池部良。




















我慢に我慢を重ね、耐えに耐えても、あこぎな奴は、何処まで行ってもあこぎなんだね。花田秀次郎(高倉健)が、ひとりゆく。

その行く手に待ち受ける風間重吉(池部良)「秀さん、ご一緒させていただきやす」 「重さん」 俺とおまえだ、なんにも云うな。

用意したドスを差し出し「行こうか」















義理と人情を 秤にかけりゃ

義理が重たい男の世界

幼な馴染みの観音様にゃ

俺のこころは お見通し

背中(せな)で吼えてる唐獅子牡丹














親の意見を 承知ですねて

曲がりくねった六区の風よ

積もりかさねた不幸のかずを

なんと侘びよか おふくろに

背中(せな)で泣いてる唐獅子牡丹














おぼろ月かよ 墨田の水に

昔ながらの濁らぬ光

やがて夜明けのくる それまでは

意地で支える夢ひとつ

背中(せな)で呼んでる唐獅子牡丹













浅草(エンコ)生れの 浅草育ち

やくざ風情(ふぜい)と いわれていても

ドスが怖くて 渡世はできぬ

賭場が命の 男伊達(おとこだて)

背中(せな)で呼んでる 唐獅子牡丹












親にもらった 大事な肌を

墨で汚して 白刃(しらは)の下で

積もり重ねた 不孝の数を

なんと詫びよか おふくろに
  
背中(せな)で泣いてる 唐獅子牡丹










昭和残侠伝 吼えろ唐獅子(プレビュー)










この最期の斬り込みに向う道連れがクライマックスの火蓋になる。高倉健の渋い低音の歌声にのって侠気通ずる二人が行くんだね。正義の爆発だね。

いろいろと、感想を書くつもりだったけど写真を盗むのに時間がかかって疲れたよ。

ホントは、もっと、手当たり次第に貼って写真集なんて銘打って終わったろうと思ってたけど、しんどいわ。





オレって、独り酔うとこあるからごめんなさい。
























カメレオンの独り言-845 『渇き』

2013年07月28日 | 日記







 明日(7/28)の分です。







蝉は気が狂ったみたいに鳴きよるし、お日さんはカリカリ照りよるし、首筋汗で濡れよるし、毎日暑いんだけど、ようよう、暑いのにも慣れてきたね。

暑くなるとおかしなのが出てくるね。男が、コンビニの冷蔵庫に入って寝てる写真がツイッターに投稿されたんだね。

京都府向日市のコンビニの冷蔵庫だって。入って居ったのは、京都府内の私立高校2年の男子生徒と解ったらしい。こんなアホは、閉じ込めて凍らせてしまえっ。





コンビニでは、冷蔵庫に入っていたアイスクリームなんかが気持ち悪いって返品が相次いだらしい。迷惑な話だね。






山口県周南市の5人連続殺人・放火事件の報道を見てると、昔、映画になった横溝正史の小説「八つ墓村」を思い出したよ。

メディアも、そんな捉えかたをしてる向きも有るらしい。実際にあった事件らしいね。

1938(昭和13)年に起きた岡山県西加茂村(現津山市)の30人殺害事件をモデルにしたらしいね。












『 八つ墓村 』 都井役の山崎努の形相が凄いね。










「津山事件」とも呼ばれるこの事件は、総戸数22戸の集落で発生したのも似てるね。

住民の男(当時22歳)が猟銃や日本刀で就寝中の近隣住民を次々に襲った後、近くの山林で自殺しているのが発見された。

残された遺書から、男は自らの病気や男女関係のことで周囲に冷たい目で見られていると思い込み、恨みを募らせたとあったらしいね。







犯行当日、都井はまず祖母の首を斧ではね、次々と近隣住人を改造猟銃と日本刀で殺害していった。逃げ回る者、懇願する者、都井は冷静に凶行を重ねた。

中には、「お前には恨みが無い」と命を助けられた者も居たらしい。事件の被害者は死者30名。5名が16歳未満。

これほどまでに狂った凶行の中、都井は最後まで冷静だった。







約1時間半におよぶ犯行後、都井は隣村の一軒家を訪れ、子供に鉛筆と紙を借りた。「勉強して偉くなれよ」

翌朝、都井の遺体は荒坂峠山頂で見つかった。猟銃で自らの心臓を撃ち抜いたのだ。

事件は日中戦争真っ最中であった日本全国に衝撃を与え、マスコミもセンセーショナルに報道したと、詳細に語られているよ。






人が怨念を募らせるってのは怖いね。なんでも拡散を図らんといかんよ、篭ったらいかん。「おまえも篭っておるね」 馬鹿だね、オレは発散しておるよ。

水は、流さなくては腐るんだよ。此れを心得て生きればいいんだよ。

視界にあるばかりが全てじゃないよ。振り返れば、思わぬ救いの道も見つかるもんだよ。






ただ、馴染まぬ方向に進むには、勇気がいるけどね。暴れるだけが勇気じゃない。自分に克つ行動も勇気だよ。






久ぶりに強烈な眠気が襲ってきたよ。キーを打つ手をとめ考えてると寝てるよ。ビックリして起きたら画面もスリープして真っ暗だよ。周期的にくるね。

此れは、頑張っても意味がないね。自分に克って頑張っても寝てるよ。ちょっと、横になったほうが賢いね。



















目覚めたら深夜になってるよ。開け放った窓からザア~って雨の音、ちょっと、涼しいかね?

こんな雨は、町のあちこちの草木が喜んでいるだろうね。焼けて乾燥した地面を冷やして、地中を水が潤い黙って耐えてる草木の根っこが息を吹き返すだろうね。

人もそうなんだろうね、呑んでも、呑んでも、なにか、満てない渇きを無意識に抱えつつ耐えて生きているんだろうね。







日頃の渇きは嘘でも潤う。嘘で潤うばかりで奥深い涸れた根っこの渇きまでは届かない。そんな渇きを人は抱えているんだろうね。

心の奥底に染み入る恵みの雨のような巡り会いってのかね、そんな巡り会いってのがあるんだろうね。それも、渇きに似て、そうそうあるもんじゃないんだろうけどね。

映画の世界では、頻繁にあるようだけどね。だから、人は夢観て癒すんだろうね。夏の盛りの雨が、そんなことをふっと思わせたね。














 






目覚めたら、なんか、曇りっぽい天気だったけど、やっぱり午後にはカリカリ晴れてきた。

土曜出勤で、今日も暇で長い一日になるだろうって思ってたけど、意外と忙しくて時間が短く感じられたよ。こういう日はラッキーだね。

近所の子供や若者たちは、夏休みでのんびりしているよ。こんな長い休みは今だけだから充分に愉しんでおきな。






夏休みだけ子供に戻りたいよ。遊び狂うんだよ。子供の時は、充分、遊び狂ったけど、オレの場合は、まだまだ足らんね。遊びの爆発だよ。
































カメレオンの独り言-844 『東映任侠映画の唄 花と龍』

2013年07月27日 | 日記







 明日(7/27)の分です。









今日も、高倉健の『望郷子守唄』 と 『花と龍』 『唐獅子牡丹』を聴きながら、口ん中で一緒に歌ったよ。

「望郷子守唄」この映画も映画館で観たよ。ダサい男が、やがて、着流しのいい男になって世話になった芸者の前に現れる。

田舎から出て来たむさい男(高倉健)が、庇ってもらって芸者のあねさん(藤純子)に世話になる、そんな出だしだったかね?







任侠ものを観過ぎて、ごっちゃ混ぜになってるから、当てにはならないよ。物語は、どれも此れも似たりよったりなんだね。

でも、観れるんだね。明治から大正、大正から昭和初期の頃の根性腐りきったやくざに、任侠道を貫くやくざの堪忍袋の緒が切れて「死んで貰うぜ」

何が何でも時代劇って時代が下火になって、東映の役者は、揃ってやくざ者になっちゃったね。此れが、皆、上手いんだね。





























『昭和残侠伝 破れ傘』より 「故あって、花田秀次郎、助っ人させて貰います」 雨合羽に笠を被った高倉健が格好良かったね。








「望郷子守唄」の出だしの藤純子は、芸者になる修行中の娘だったんだね。ユーチューブ観てたら、それらしい写真が出てたね。








































高倉健 望郷子守唄



『すぐに消されるだろうけど貼っておこうか』







オロロン オロロン オロロンバイ

ネンネン ネンネン ネンネンバイ

おどま おっかさんが あの山おらす

おらすと思えば いこごたる

おらすと思えば いこごたる

















台詞 「どうせ、世間からはじきだされたはんぱ者 今さら、どうにもなりゃしねぇんだ

どうしてこう俺ら、出来が悪いのかなぁ かあちゃん、許してやんない」

















オロロン オロロン オロロンバイ

ネンネン ネンネン ネンネンバイ

意見無用と 世間をすねた

馬鹿な男の 身にしみる

郷(くに)のおっかさんの子守唄

















「花と龍」は、福岡県の嘉麻市の馬見山に源を発し、筑豊地方の平野部を流れて福岡県北部の響灘へと注ぐ遠賀川と共に生きた実在の玉井金五郎がモデルになってる。

明治時代には筑豊より産出される石炭を船を使い若松へと運ぶ沖仲仕等の親方で、利権に群がるやくざを相手に敢然と立ち向かった侠客なんだね。

義理と人情が沖仲仕の倫理観、玉井組がこれ等をし切って、筑豊炭田の石炭は人力で遠賀川河口へと運ばれ、八幡製鉄所、若松港の汽船の燃料として重宝された。







お馴染みの「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」もいいんだけど、オレは、同じく高倉健が歌ってる「花と龍」が好きなんだね。






















高倉健 花と龍



『すぐに消されると思うけど貼っておこうか』









遠賀川 土手行きゃあ、雁が鳴く

喧嘩 博打に明け暮れて

ごんぞう稼業と 呼ばれていても

胸に抱いた夢ひとつ
















肌に描いた 登り龍

娘桜が 散り掛かる

意地と度胸を さらしに巻いて

仁義ひとつを抱いてゆく

















義理に捨てようか この命

恋に賭けようか この身体

馬鹿じゃ出来ない 利口じゃやらぬ

胸に抱いた夢ひとつ



















映画は、大画面だね、この任侠ものは、特に大画面でないといけない。東映さんの任侠ものは、他社のそれとは違って、芝居がかってる。

セットを組んで絵だと解るような背景をわざと多用するんだね。趣きを大事にするんだね。時代の情緒を心得ている。

観客が注視するのは役者の演技なんだね、芝居の見せ場、見せ場が繋がってんだね。ロケでは、出せない時代の雰囲気を大画面でも納得させる。







それは、役者が納得させるんだね。他を圧するような存在感だね。着流しのやくざが似合う舞台の設定に、時代劇で培った熟練の技を感じたね。

大画面は、それを増幅させる働きがある。視界の中に画面が収まると、役者の存在感が薄まって、背景やセットに気がとられてチャチになってしまう。







藤純子が、芸者のあねさん演じてるの観ると、「侠客芸者」だったかね? 薩摩出身の大日本帝国軍人役の若山富三郎のお座敷に呼ばれて踊るんだけど

このシーンが、すぐに思い出されるよ。座敷に対面して居並ぶ軍人や芸子などの中央に居座る若山が、藤純子と一言二言話して、やおら、脇に置いた軍刀に手を掛け

「ちぇえすとっ」って居合いで横一線に抜き放つと同時に、田原坂の笛太鼓の囃子がたって藤純子が踊りだす。あれは、良かったねえ~。







どうせ死ぬなら桜の下よ
   












死なば屍に花が散る















色気があって女らしく、それでいて貫禄があってキリッと締まる。女侠客やらせたら、此の人の右に出る女優はいない。

「花と龍」を口ん中で歌ってると、昔、下駄履きの映画館で観た、いろんな任侠ものの映画のシーンが甦るよ。

男が男らしく、女が女らしい時代の物語だね。ホンマにいいねえ。





















































音楽のテンポにかかわる表現なんて出来ないけど、「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」をはじめ、それぞれの主題歌の唄の前後の伴奏がいいんだね。

レコードのじゃなく映画音楽での伴奏かな? なんともいえん転びようなんだね。

当時の役者は、ピンからキリまで揃っていたよ。難しいといわれる時代劇で鍛えられて芸に染みた人が多かった。







台詞ひとつをとっても、いつまでも耳に残る余韻があったよ。

今は、悲しいかな、そんな人が少なくなった。上滑りな中味を感じさせない軽い芸で埋まってる。拘らないんだろうね。だから、伸びないんだよ。

同業者の中に、煩くて怖い奴が居ないんだろうね。理解を超えることで恥をかかされることがないんだろうね。それが無いと伸びないんだよ。







何が何でも極めようとする人がいてこそ進化する。そういう人たちの切れるような緊張感がない世界に本物は育たないね。観る人にも、其れは云えるね。



















唄ってのも、想いが凝縮されてんだね。味のある人が歌う音色には、聴く人の心に染み入る旋律を伴うんだろうね。











今日は、天神さんの本宮(7/25)、いい天気で夏の祭りだね。昼過ぎ、携帯が鳴ったのを、オレより、横ににいる小6のおませな女の子が「★★ちゃん、携帯鳴ってる」

はいはいって出ると、彼女から「近くに来てるねん」 なんのことかいな? 表に出かけると、おませな女の子が腕を突っ張らせて「何処へ行くんやっ?」

「ちょっと」 「誰やっ?」って邪魔をする。「〇〇〇姉ちゃんや」 「なんで来ないの?」 「知らん」 おまえ、解って邪魔してんね? 笑っとおるわ。







通りの横っちょまで行くと「★★ちゃ~ん」 浴衣に着替えた彼女が笑って待っている。「ああ、そうか、行くんだね」 はははは、祭りだね。いっておいで。





















カメレオンの独り言-843 『カラオケ』

2013年07月26日 | 日記







  明日(7/26)の分です。








「明日は雨降らないかな?」 「どうかな、降らないんじゃないの」 「明日は天神さんや」 「ああ、そうか、昔から天神祭りには雨がこぼれるって云うけどね」

「去年は降らんかった」 学校帰りの彼女が云ってる。「気晴らしに、また、行っておいで」   

今日は、大阪天神祭りの宵宮(7/24)なんだね。祭りを前に堂島川に船を出し神事が行なわれているのがテレビのニュースで流れてる。





そういえば、今日の朝、雨だったね。学問の神様、菅原道真も九州大宰府に左遷になって、それで泣いてんのかね? 西暦845~903の昔から宮仕えは辛い。

天神さんの祭神が学問の神様ってのはすぐに浮かんだんだけど、なかなか菅原道真(みちざね)の名が出てこなかったよ。

菅原道真って、別に祭神に崇(あが)めるほどの大した男じゃないんだけどね。全然、関係ないけど楠木正成(くすのきまさしげ)が先に浮かんだよ。



















道真が亡くなった後、平安京で雷などの天変が相次ぎ、清涼殿への落雷で大納言の藤原清貫が亡くなったことから、

道真は雷の神である天神(火雷天神)と同一視されるようになった。「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、

「道真の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来という。政治的不遇を被って大宰府に落ちたからって執念深い怒りだね。





ゴルフ場で雷食らって憎き上司が死んで、顔で泣いて心で喜ぶ奴と変わらんのんではないか? 「おまえ、罰(バチ)が当るぞ」 

オレは、頭が良くても人間の出来てない奴ってのは好きじゃないの。 脳味噌に依存する奴って何処か冷酷なんだね。

「俺は、頭悪い癖して、人間が出来たような錯覚でしか生きれない奴って大嫌いなの」って、そいつは言うだろうね。一理あって勝てっこないから笑っておこ。












楠木正成って名がでて、大楠公の唄を思い出したから、桜井の別れを聴きたくなったよ。ユーチューブで検索して久ぶりに聴いた。いいねえ~。






一.青葉茂れる桜井の  里のわたりの夕まぐれ

  木(こ)の下陰に駒とめて  世の行く末をつくづくと

  忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に  散るは涙かはた露か



二.正成(まさしげ)涙を打ち払い  我が子正行(まさつら)呼び寄せて

  父は兵庫に赴かん  彼方(かなた)の浦にて討ち死せん

  汝(いまし)はここまで来つれども  とくとく帰れ故郷へ

















三.父上いかにのたもうも  見捨てまつりてわれ一人

  いかで帰らん帰られん  この正行は年こそは

  未だ若けれ諸(もろ)ともに  御供(おんとも)仕えん死出の旅




四.汝をここより帰さんは  我が私の為ならず

  おのれ討死為さんには  世は尊氏の儘(まま)ならん

  早く生い立ち大君(おおきみ)に  仕えまつれよ国の為




五.この一刀(ひとふり)は往(い)にし年  君の賜いしものなるぞ

  この世の別れの形見にと  汝(いまし)にこれを贈りてん

  行けよ正行故郷へ  老いたる母の待ちまさん















六.共に見送り見返りて  別れを惜しむ折からに

  またも降りくる五月雨の  空に聞こゆる時鳥(ほととぎす)

  誰か哀れと聞かざらん  あわれ血に泣くその声を




「敵軍襲来」




一.遠く沖べを見渡せば  浮かべる舟のその数は

  幾千万とも白波の  此方(こなた)をさして寄せて来ぬ

  陸(くが)はいかにと眺むれば  味方は早くも破られて
















二.須磨と明石の浦づたい  敵の旗のみ打ちなびく

  吹く松風か白波か  よせくる波か松風か

  響き響きて聞ゆなり  つづみの音に鬨(とき)の声




「湊川の奮戦」




一.いかに正季(まさすえ)われわれの  命捨つべき時は来ぬ

  死す時死なでながらえば  死するに勝る恥あらん

  太刀の折れなんそれまでは  敵のことごと一方(かたえ)より




二.斬りてすてなん屠(ほう)りてん  進めすすめと言い言いて

  駆け入るさまの勇ましや  右より敵の寄せくるは

  左の方(かた)へと薙(な)ぎ払い  左の方より寄せくるは




三.右の方へと薙ぎ払う  前よりよするその敵も

  後ろよりするその敵も  見ては遁(のが)さじ遁さじと

  奮いたたかう右ひだり  とびくる矢数は雨あられ

















四.君の御為(みため)と昨日今日  数多の敵に当たりしが

  時いたらぬをいかにせん  心ばかりははやれども

  刃(やいば)は折れぬ矢はつきぬ  馬もたおれぬ兵士(つわもの)も




五.かしこの家にたどりゆき  共に腹をば切りなんと

  刀を杖に立ちあがる  身には数多の痛矢串(いたやぐし)

  戸をおしあけて内に入り  共に鎧の紐とけば




六.緋おどしならぬくれないの  血潮したたる小手の上

  心残りはあらずやと  兄のことばに弟は

  これみなかねての覚悟なり  何か嘆かん今さらに




七.さはいえ悔し願わくは  七度(ななたび)この世に生まれ来て

  憎き敵をば滅ぼさん  さなりさなりとうなづきて

  水泡(みなわ)ときえし兄弟(はらから)の  心も清き湊川






楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。 建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に活躍。

尊氏の反抗後は南朝側の軍の一翼を担い、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害した。

明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。





後醍醐天皇に忠誠を尽くした武将で河内国石川郡赤坂村(現在の大阪府南河内郡千早赤阪村)の出生なんだね。

昔、楠木正成を嵐寛十郎が演じた映画を観た覚えがある。親父が、上記の桜井の別れの歌を、よく歌ってたね。


















で、下を見たら高倉健の「望郷子守唄」がある。思い出すねえ、「花と龍」もあるね。「唐獅子牡丹」も、藤純子の「緋牡丹博徒」みんな揃ってるよ。

オレは、唄を歌わない。口ん中で歌うだけだね 「口ん中で歌えるか?」 歌えるよ、頭ん中で響いてるよ。





だからか知らんけど高音が出せない、出したことがない。テンポは狂ってないと思ってる。一人の時に風呂の中で、何度か歌ったことがある。『何を歌うねん?」

日頃は、馬鹿みたいな声なんだけど、唄を歌うと低音になるの。歌ったのは、渡哲也の「くちなしの花」なんだけど、我ながら云いねって思ったの。

で、高倉健の「唐獅子牡丹」 これもいいの。風呂ん中だからエコーが利いて、良く聞こえるんだろうね。





で、「花と龍」「望郷子守唄」も歌ったよ。みんないいねえ~。「ホンマかよ?」 ホンマだよ。で、独りよがりじゃないのを、思わぬところで確認したよ。

カラオケなんか死んでも行かない。ちょっと、皆さんとは唄の好みもズレてるし余計だよ。

まだ、肉体労働で頑張ってた頃だね。親方の会社の所長さんが、人間変わったように下請けの会社の連中も一緒にって誘ってくれて慰安旅行に行ったの。





大広間にはカラオケの設備があるの。うちの所長が「★★★★、歌え」なんてけしかけるから「アホか、死んでも歌わんわっ」なんて真顔でエラそうに遮断してる。

なんか若い奴等の唄ばかりだったね。オレは、こんなの嫌なんだけど顔には出さない。笑って「上手いね」なんて合わせてる。

オレが聴いてる限りでは、みんな、100点近くいくように上手いんだね。でも、機械の採点は、意外と厳しいんだね。80点前後止まりなの。




















酒も回ってほろ酔いで中座して風呂へ行ったの。俺は風呂が好きだからね。「★★★★、逃げるな」なんて、うちの所長が大声上げてる。知ったことか。

気持ちよかったねえ。ポカポカなって部屋へ戻ると、まだ、やっとおるわ。酒が回ってるから、余計にお肌がピンク色に上気してるよ。

「よっしゃあ、★★★★が歌いますっ」って、うちの所長も相当回っとおる。「アホッ、なに云うとんねん」 本気で怒ってる。品がないね。





そこへ、親方会社の所長さんが「★★★★、なんでもいいから聞かせてや」って、穏やかに笑って仰る。まずいね。此の人には、世話になってるからね。

オレは、オレが歌える唄は陰気だからって、云いかけたら、親方会社の女子事務員さんが「ステキ、わたし、この唄大好き」なんて言い出すから倒れそお~。

カラオケが伴奏始めてるがな、ちょっと、待ってええなあ~。「★★★★、ええぞお~」 あの野郎っ殺す。家の風呂で歌ってて良かったよ。もう、ヤケクソで歌ったよ。





















「いまでは指輪も まわるほど やせてやつれた おまえのうわさ・・・」 歌いだすと、なんか、静かになって親方会社の所長さんなんか座布団枕にして横なって聞いてるよ。

「くちなしの花の 花のかおりが 旅路のはてまで ついてくる くちなしの白い花 おまえのような 花だった」 「えらい渋い低音やなあ~」なんて聞こえてる。

「わがままいっては 困らせた 子供みたいな あの日のおまえ くちなしの雨の 雨の別れが 今でも心を しめつける くちなしの白い花 おまえのような 花だった」





「小さな幸せ それさえも 捨ててしまった 自分の手から くちなしの花を 花を見るたび 淋しい笑顔が また浮かぶ くちなしの白い花 おまえのような 花だった」





歌い切ったよ。「おおっ~、ダントツやんかあ~98点やわっ」って、社員さんがビックリしたよな声張り上げてる。「わああ~」って歓声上がってる。

「★★★★、なかなか聞かせるねえ~」って、親方会社の所長さんが拍手して言ってるよ。ああ、そう。「凄く、よかったです」って事務員さん、ああ、そう。

うちの肥えた同僚も、満足してるみたい。「★★★★さん、いつもと、全然、違うわ、凄い低音や、格好良かったわ」 ああ、そう。





後にも先にも、此れだけだね。オレは、音感は狂ってないって、いつも自分では思ってたけど、実際に狂ってなかったみたいだね。





まだ、お話は、終わらないんだけど、なんか、長くなったから明日続きで書きます。














カメレオンの独り言-842 『冷気』

2013年07月25日 | 日記





 明日(7/25)の分です。








夏になると、決まって怖い話を見たり聞いたりするね。冷気を呼ぶのかして暑さ凌ぎになるのかな? なるかあ? ただ、怖いだけやで。

オレは、怖いのは、ホンマに弱い、ひたすらに弱い。肝試しなるものがあるけど、行く前に、もう怖い。

幸い霊感はないと思う。そんなのらしきものを感じたり見た覚えもない、いや、一回だけあったね。






子供の時に、遊び場にしてた大阪市の高津神社なんだけど、神社の下の広場に人工池があって、その向こう側にお寺の墓地があった。

兄弟たちと遅くまで夢中で遊んで夜になったことがある。急ぐ帰り道で忘れ物に気づき、仕方なく取りに戻ったんだね。時間は午後の8時ぐらいだったかね?

今とは違い照明は少なかった。真っ暗だったね。西側の広場入り口が見える処まで戻ってきたんだけど、広場は真っ黒けで何にも見えない。

















右手向こう通りの南から鳥居をくぐって石畳の参道の坂道がなだらかになる辺りまでは民家があって窓に明かりが灯ってる。

その明かりが目に馴染むと池の様子や広場の様子が窺える。

西側入り口にさしかかって、オレも、兄弟たちも足が止まった。突然、池の向こう側の墓地にぼわあ~と光が漂ったの。「あっ」だけだったね。





忘れ物もクソもなかったね、皆が瞬時にUターンして全力疾走で逃げた。

百数十メートル西を走る松屋町筋までとまらなかったよ。「あれは人魂やっ」心臓破裂しそうだったよ。オレのそれらしい遭遇は、それっぽちだね。

それでも、大変なものを見てしまったと、帰りの道々、ヤイヤイ云いいつつも、祟りはないかななんて不安を抱えて帰ったのを覚えてる。

















ネットで、怖い話なんてググッたらホントかウソか知らんけど、かなりヤバイお話が目白押しだね。此れを信じたら安心なとこって無いんじゃないの?

うちは、お爺さんの代で零落したから庶民以下になっちゃったけど、田舎で代々変わらず大屋敷を継承して

今に至るようなお家柄の中には、昔々のいわくのある事柄なんかに詳しく係っているなんてこともあるんだろうね。





怖い話を読んでいたんだけど「姦姦蛇螺」の中味が怖かったね。俗称は「生離蛇螺」/「生離唾螺」 古くは「姦姦蛇螺」/「姦姦唾螺」

「なりじゃら」「なりだら」「かんかんじゃら」「かんかんだら」など、知っている人の年代や家柄によって呼び方はいろいろあるらいというくだりがある。

大蛇云々ってとこが引っ掛かるけど、どうも作り話じゃないみたいだね。






人を食らう大蛇に悩まされていたある村の村人達は、神の子として様々な力を代々受け継いでいたある巫女の家に退治を依頼するんだね。

依頼を受けたその家は、特に力の強かった一人の巫女を大蛇討伐に向かわせる。

村人達が陰から見守る中、巫女は大蛇を退治すべく懸命に立ち向かった。 しかし、わずかな隙をつかれ、大蛇に下半身を食われてしまう。






それでも巫女は村人達を守ろうと様々な術を使い必死で立ち向かった。

ところが、下半身を失っては勝ち目がないと決め込んだ村人達はあろう事か、巫女を生け贄にする代わりに村の安全を保障してほしいと大蛇に持ちかけた。

強い力を持つ巫女を疎ましく思っていた大蛇はそれを承諾、食べやすいようにと村人達に腕を切り落とさせ達磨(ダルマ)状態の巫女を食らった。






そうして、村人達は一時の平穏を得た。完全な裏切り行為だね。しかし、なんと、後になって、巫女の家の者が思案した計画だった事が明かされるんだね。

巫女の祟りて村人や、巫女の家族などが腕を切り取られて死ぬなんてことが続き、生き残った巫女の家族が必死に怨霊を封じ込めて収める。

此れを供養する土地に入り込み、大変な目に遭う家庭内暴力の若者のお話なんだけど、興味本位に得体の知れない怪しげな処には、君子危うきに近寄らずだね。

















此れと「八尺」ってお話も怖かったね。大女の霊に見初められたら最期、その霊が封じ込められた村を出ないと、必ず、憑り殺されるんだね。

この脱出までの経緯が怖ろしいよ。霊媒師の手配でお札を貼り巡らせた一室に篭る男を誘い出そうと、窓を叩き、身内の人の声色(こわいろ)を使ったりして

誘い出そうと来るんだね。怖いよ、嫌だねえ~。なんか、昔の怪談、牡丹灯篭を思い出したよ。






暑くてもいいよ。こんなので冷気を呼んで涼もうなんて気はないわ。堪らなくなったら冷房を利かすよ。


































カメレオンの独り言-841 『映画 ソハの地下水道』

2013年07月24日 | 日記







明日(7/24)の分です。








「ソハの地下水道」を観たよ。最近、こんな題材を扱った映画は珍しい。深い溜息を誘うね。

第2次世界大戦のヨーロッパ戦線、ナチス・ドイツが破竹の進撃でヨーロッパを蹂躙していた頃のポーランドが舞台なんだね。

ユダヤ人の悲劇は、もう、世界中に周知の事実なんだけれど、このポーランドも当時、相当の悲劇を被っている。









 『ソハの地下水道』 2011年度ポーランド作品









ユダヤ人大量虐殺の影に隠れて、あまり大きく取り沙汰されないのが不思議だよ。ヨーロッパの方では、そうでもないんだろうとは思うけどね。

ナチス・ドイツの占領下、ポーランドに居住するユダヤ人は、ゲットーと呼ばれる街の一区画丸ごと仕切った収容所に集められる。

もう、老若男女の区別なく人間扱いじゃないんだね。ナチスにとっては、彼らは、ゴミ以下なんだね。






気紛れで、突然、射殺なんて日常茶飯事のことで、やられる側のユダヤ人等も感情を喪失したかのように無表情なんだね。

究極の状況に置かれた者たちの精神を破壊から守る術なんだろうね。昨日は生き延びた、今日はどうだろうの脅迫の日常は普通じゃもたないだろうからね。

ユダヤ人収容所の悲劇を克明に描いていた「シンドラーのリスト」っていう映画があったね。



















スティーブン・スピルバーグ監督の有名な作品だけど、残忍を残忍と思わない残忍さってのは、もう、地獄そのものなんだろうね。怖い映画だったね。

そんな時代のポーランド、街の地下を隈なく張り巡らされた地下水道(下水道)の下水修理工を務めるポーランド人のソハは、或る日、

ゲットー内の建物の床を刳り貫き水道内に逃げ込んだユダヤ人たちと遭遇する。ユダヤ人を匿うと死の制裁が待っている。






女子供を含む彼等に、ソハは金銭を引き換えに水道内の安全な場所へ案内すると持ちかける。



















ユダヤ人は、国をもたず放浪の民でありながら、商才が長けて裕福な人々が多かったらしいんだね。

これを、当時、不況に泣くドイツ国民は、他国に巣食って貪欲に稼ぐユダヤ人を快くは思ってはいなかったんだね。

そんな中、アドルフ・ヒトラーは、高い知能と弁舌の冴えで、巧みに国民感情を利用しゲルマン民族の誇りに訴えて、みるみる頭角を現したんだね。






崇高なるゲルマン民族こそがヨーロッパ全土を治めるにたる人間であり、放浪の民である卑しいユダヤの根絶こそが、歴史に求められる正論である

なんてことを身振り手振りの演説でもって、滅入る国民を鼓舞して血を煽り、戦争へと迷走させたんだね。

他国を侵略して暴利を得て、国内は戦争景気で意気を吹き返し、これに導きしヒトラーの存在は不動となったんだね。








 『アドルフ・ヒトラー』








ナチス・ドイツの電撃作戦は怒涛の如く、1941~42年には、中立国のスイス、スペインを除くヨーロッパのほぼ全土を占領もしくは掌握したんだね。






侵略と共に矛先はユダヤ人に向けられ、徹底的な抹殺作戦が発せられた。本国ドイツ、オーストリア、フランス、ポーランドをはじめとする全ヨーロッパ

に居住するユダヤ人狩が凄惨を極め、当地での処分では追いつかず、かの有名なアウシュビッツ、ビルケナウ収容所のようなのが、あちら此方で建設されて

その殺戮工場は、昼夜を問わず稼動し続けたと云うね。この虐殺における犠牲者の数は、500万とも600万とも云われている。






一人一人の思いが、一人一人の涙が、一人一人の人生が、焼却炉で焼かれ、500万という数字の中に紛(まみ)れて灰となって空に散ったんだね。

途切れなく煙突から噴出する、その灰は、吹雪のように舞い落ちて大地に雪のように積もったらしいよ。 

人がヒステリックになって同方向に流れ出すと、もう、止めようのない土石流と同じだね。尤もらしく音頭をとる奴を疑え。歴史が教えているよ。



















汚物が流れ浮遊する暗黒の地下水道の中は、悪臭が垂れ込めて徘徊するのはドブ鼠のみ。ナチスの捜索に脅え慄(おのの)きながら頼るはソハという男のみ。

何十人と居た中から、ソハが救えるのは11人が限度、その11人を選択する酷さに観るものは「なんでやねん?」と思うけど、此の場合仕方がないんだね。

網の目のように巡らされた水道内で迷ったら外へ出れないほど入り組んでる。選ばれたものも、選択からもれた者も沈黙のうちに別れるんだね。






不潔極まりない水道内で14ヶ月もの長い間、寝食し耐え忍んだんだね。その長い期間の中で、ソハ自身も危ない状況に追い込まれたりする。

占領されたポーランドでも、黙ってナチスにされるがままをよしとせず、レジスタンス(抵抗勢力)の活動もあったらしい。

ドイツ兵が一人が殺されたら、無差別にポーランド人を50~60人殺すんだね。最初、ソハの若い同僚も手伝っていたんだけど、危険だからとおりて手を引く。






その同僚も、無差別の対象者となって首を吊られる。映画では、此のドイツ兵の死はレジスタンスの仕業ではなく、ユダヤ人とソハが絡んでいるんだね。

吊るされ晒しものになった若い同僚の遺体を見てソハは泣きじゃくる。

戦争なんかするもんじゃないね。前線で殺し合うことも酷いけど、銃後の祖国が蹂躙されて、民間人が、ゴミのように殺されまくられるほど悲劇はないよ。






昔は、こういう内容の映画が多かった。よく物語の展開に身をちじ込ませながら観たね。戦争反対唱えて聞かせるより、こういう映画で訴えるべきだよ。

















土砂降りの雨が降る、石畳の道路の上を河のように雨水が流れ下り、あちら此方に設けられた側溝に激しく流れ込む。

地下水道の中では、側溝から流れ込む雨水が、消防用のホースで放水したような勢いで、あちらこちらの土管から噴き込んでくる。

水道内は、見る見る水嵩が増して天井までの空間が狭まるほどになる。水道内に通じる狭い土管の向こう側に個室のような空間がある。





その空間に女子供を含むユダヤ人が身を潜めている。、唯一の出入口である、その土管から雨水が鉄砲水のように吹き込んでくる。

瞬時に個室のような空間は足も届かぬほどに水に浸かる、必死で子供達を抱き上げ立ち泳ぎで狭くなった天井の隙間に顔を出す、もう、為す術もない。

抗し難い時代の激流だね。何もかもを呑み込み容赦がないんだね。





過酷な状況におかれたユダヤ人との長い付き合いの中、いつしか心変わりしたソハが、我が身を顧みず土砂降りの中を行くんだね。

















人間って滅びないね。此の映画を観ていて、そんなのを思ったよ。男と女が在る限り新しい命は尽きないよ。人間の生命力だろうね。

明日をも知れない状況の中でも愛の衝動は抑え難いんだね。

狭い中、いろんな人々が折り重なって寝ている中で奥さんと娘が寝ている前で不倫の愛は燃え盛る。奥さんも娘も気づいて見てるじゃないか。





その光景に刺激された女性が自慰行為、あちらでも、此方でも忙しい。明日がないかも知れないから、生きている今を確かめたいのかねえ?



















体調を崩した女の子に外気を吸わせてやろうと、ソハがマンホールから地上を覗かせてやる。

この女の子は、近代まで生存して、此の「ソハの地下水道」を執筆し本に残したんだね。






ユダヤの人が、本当の安息を得れるのは、いったいいつの時代なんだろうかね? 1948年にエルサレムに国家を樹立してからも、パレスチナと領土争奪の争いが耐えないね。






紀元70年、ローマ帝国軍に滅ぼされたユダヤのエルサレムは、ユダヤ人の宿敵ペリシテ人にちなんでパレスチナと改名されたんだね。

この時から、現代の1948年まで、彼らユダヤ人は他国に離散して放浪の民として生きる定めを強いられた。歴史が長すぎるんだね。

イスラエルとパレスチナ、何千年にも及ぶ禍根は、未だ、氷解することなく憎しみあいが続いている。真の解決は、神の領域かも知れないね。















カメレオンの独り言-840 『旅』

2013年07月23日 | 日記







 明日(7/23)の分です。







長い時間、考えていた。つけっ放しのモニターが、3回消えたね。 そういうことか・・・・ふふふ、オレの口癖だね。

何が、そういうことなのか、確証もないのに、一応、この辺で収めておこうかってとこかね。

思考の湖(うみ)は限りなく深い、多角的に捉えれば限りなく広い。光の届かぬ闇が、その先への深思を阻害するね。



















食事しながらテレビの画面を何気に観てると「3万円で北海道一周」なんて企画で、筋肉番付に出てた男性と元若ノ花、それに女性が一人、旅してる。

4泊5日を3万円で過ごすなんて宿泊、食事代だけでも、かなり貧相だね。交通費は含まないらしい、そらあ、そうだろうね。

オレは、テレビや映画で出演してる女性に、気が残るなんてのはないに等しい。綺麗だなあとか、艶かしいなあとかは、頻繁に思うけどね。






でも、時折、なんか、いつまでも残る女性も居ることには居るけど、もう、名前も顔も薄らボケて思い出せないよ。最近、とんと、そういうことがない。

彼女たちは、画面の中でコロコロ変わっちゃうからイメージが潰れる場合が多いんだね。こんなんだったあ? と裏切られる。

でも、久ぶりに、この番組で旅する女性が、オレの心の中に入って来たよ。名も知らない人なんだけど、なんだろうね? なんか気になるんだね。






この番組に映る彼女に限るんだろうけどね。まあ、他で観ることもないわ、テレビを観ないもんね。

べつに好きなタイプの顔でもないんだけどね。「此の子、大きなお乳で売ってるの」 なんて奥さんが敵意を含んだ物言いで紹介してる。

なにも聞いてないのに 「尾崎ナナいうねん」 聞いても、すぐに忘れちゃうよ。「グラビアアイドルやねん」 うるさいなあ~もう。







 


『 忘れないうちにググッたよ。大胆な娘さんなんだね。この写真の感じで旅してたね 』







川原の露天風呂に元若乃花とショウエイっていうのかな、男前の筋肉マンと三人で混浴してる。いいねえ~、気持ちいいだろうねえ。

それぞれ、大きなバスタオルを巻いてるけど、混浴なんてのは、男の本能的願望だよ。

ショウエイは、テレて目の行き場に困ってるんだけど、元若乃花の目は、チラチラ忙しい。こいつ、本質的にスケベだね。「なんでやねん」 






「おまえならどうする?」 テレて緊張して湯あたりすると思うよ。気持ち悪う~となって快感もそこそこだろうね。 「情けないねえ~」






オレは、こんな設定が好きなんだろうと思うよ。女の娘(こ)の気侭を見守ってやるっていうかね、そんなのがいいんだね。「守ってやれるか?」

ことによりけりだよ、とんでもない奴が出てきたりしたら女の娘(こ)に守って貰うよ。「なんちゅう奴や、無理でも守れっ」 

口で言うは易い、そうそう、世の中甘くない、一緒に逃げるよ。「あかんわ、こいつ」 向こう見ずほど怖いものはない。「云うとけ」






長い番組を最後まで観終わったのは珍しいよ。照英って男、暑苦しいんだけど、こいつは優しい男だね。オレと似たような体躯してるよ。

元若乃花、どうでもいいわ。太い顔して売った人が、痩せて出て来ると面相良くないね。「人の顔のこと云えるんかえ」 オレは、テレビに出ないよ。

尾崎ナナちゃんとやら、もう、出て来なくていいよ。今日の君が、オレにとっては一番良かったからね。「都合のええこと云うとるわ」 



















旅か、いいだろうね。何も始められない来年から3年間は、のんびり旅に出かけて命の洗濯でもするか。

旅先で、出会った娘さんと、口から出任せ相手になって愉しい時間を遊ぼうか。 「そんなん居るか」 世間知らずだね、オレの場合は居るんだよ。

オレの場合はだね、独りで居るときに限るけど、独りにさせて貰えないの。夜道の照明と一緒だよ。なんか寄ってくるんだね。「虫か?」 そうだよ。






「若いときだろ?」 今でも変わらんよ。どちらかと云うと、若いってのは、逆に接近しにくいよ。 娘さんも勇気もいるし肩も凝るよ。 

其処へいくとだね、おっさんの方が安心なんだよ。脂ぎったのは駄目だよ、臭いし危ないよ。「なんやねん、じゃ、おまえは?」 ほどほどだよ。

此のほどほどがいいんだよ。ヨタヨタじゃ介護士みたいになっちゃうし、カチカチの固い奴では面白くない。ほどほど柔らかいってのがいいんだよ。



















オレみたいにね、人畜無害でいて、それでもって、まだ色気も残ってる、歳のわりには若さも匂う 「おまえって、ホンマに珍しい生きもんだね」

事実と、皆さんの総合評価による自意識だよ。「滅びも近いだろ?」 此の世に滅ばぬものはない。滅べばいいんだよ。「ああ云えば、こう云う奴だね」

見知らぬ娘さんを、僅かな時間でも幸せな気持ちにさせてあげる、それでいいんだよ。守ってあげるって気持ちだよ。







「男どもは、寄らんのか?」 寄らなくていいんだけどね、こいつらも、何故か寄ってくるんだよ。要らんのだよ。男はオレだけでいいんだよ。

オレは、鬱陶しいなあ~って思っても、気いよう相手になるから、話し出したら終わらないんだよ。おっさん、サヨウナラって、切ろうとしても繋ぐんだよ。

「なんやねん、おまえは引っ付き虫か?」 神さんに聞いて。オレは、相手の気持ちを大事にしすぎる傾向があるね。






なのに、オレからは追おうとはしないんだよ。おまえより、オレが神さんに聞きたいわ。「神さん、こんなんでいいんでしょうか?」 なんてね。






しかし、日本人の「神さん」ってのは、対象が、実に大らかで都合がええね。なんでも神さんやからね。











カメレオンの独り言-839 『記憶映像』

2013年07月22日 | 日記







明日(7/22)の分です。








思い出というのは、オレの場合、なにか下を這うように流れ巡っているように感じるね。 下ってのは、心の底流かな?

時折、金魚掬いよろしく、思いにとまったのを掬い取るようにして回顧することがある。

走馬灯の彩(いろどり)が影響してんだろうかね、キラキラ光を伴って光線引くように波状の曲線描いて流れているよ。オレンジ色の光が際立ってんだね。



 


意外なのは、なんでもない、ほんの僅かな時間の交流でしかなかった人が、はっきり思い起せることだね。

顔かたちは、薄っすらとしか残ってないんだけど、記憶では、あの人かってはっきり解ってる。

遠い人たちが、掬った思い出の中に、今も、そのままに居るんだね。






と、云うことは、オレも、誰かの心の中の思い出に、その当時のままのオレが残っているかも知れないね。肖像権侵害だよ。「なにを云うとんねん」



















人の思い出が、映像に出来る時代が来たら凄いけれども、大変なことにも発展すだろうね。表があれば、必ず、裏もあるからね。

男と女の遊びごとなんか、秘密も糞もありゃしない、AVそこのけの映像が氾濫するだろうね。

スケベなサイトを愉しんでいたら、「あれえっ? 嫁さんに似てるなあ」 相手は 「あっ、前住んでた家の隣のおっさんっ」 なんてのが当たり前になるよ。






「何を考えてんねん?」 有り得る話をクローズ・アップしてんだよ。 「誰が、そんなの売るんだよ」 馬鹿だね、時間は、人を変えるんだよ。

そんな人じゃないってのは、今の状況が、変わらずに済む要件を満たして居るからってのもあるんだよ。

全てが左前になって背に腹代えられない状況に陥ったら、そんな人になる場合もあるんだよ。人生は長いからね。






記憶を売っても減るもんじゃない、元手要らずで金になるなら売っちゃえって奴も出てくるよ。 そんな奴を相手にケツ振ったお釣が返って来る。

「わたしの映りが悪いわっ」 そういう問題か? こんなアホも、世の中には不思議と居るんだね。 

「おまえの主演記憶AVの本数がダントツじゃないかっ」






「此の前、貴方のもやってたわっ、あの女は誰なのよっ」 「ええっ、彼女に限って有り得ないっ」 彼氏も彼女も有り得るの。

「ああっ、俺の担任の先公じゃないかっ」 「げっ、〇〇子じゃないかっ」 

「きゃっ、〇郎たらっ〇〇ともやってたのっ」 「ありゃっ?」「 おりゃっ?」






「わっ、元首相じゃやないかっ」 「あっ、親父っ」 「ああああっ、あいつう~っ」 

「ああっ、おふくろだっ、若い男とヤッテるっ。こんなん見たん初めてっ」

臭い世の中になるだろうね。世も末だろうね。表と裏のけじめの箍(たが)が緩んで抜けて曝(さら)け出る、どいつもこいつも糞になる。






人それぞれが心の奥底に仕舞って出さない思い出には、何処かで、それを共有する相手が居る。やたらと迂闊(うかつ)に増やすもんじゃないね。





















お祭りの季節だね。もう、忘れ去られたかのような着物姿だけど、お祭りや盆踊りには、まだまだ、浴衣姿の人々が情緒を醸して雰囲気を盛り上げてくれる。

根っからの大阪生まれの大阪育ちなんだけど、市内の北から南に移り住んでからは、天神さんとは疎遠になっちゃったね。

南では、生玉神社や高津神社の祭りには、必ず、出かけて行ったね。時折、足を延ばして北の天神さんへも出かけたけどね。











『 生玉神社(向って左) と 高津神社、グーグルで画像を見る限りでは、昔より規模が小さくなったかね? 』








昭和30~50年代当時の生玉、高津神社の祭りは、盛大だったね。露店が神社境内から周辺道路に建ち並び、沢山の人出で賑わったね

高津神社の石畳の参道を神社に上がる階段に向って右側の広場と神社の裏側の広場に、いつも決まって小屋が建つ。

「親の因果が子に祟り、哀れ、見るも無残な、この姿・・・・見てやってください、見てやってください」なんてマイクでおじさんの呼び込みの声。






長い間、祭りともご無沙汰だけど、今の時代に、もう、こんなのは無いだろうね? あの正体は、未だに不明な侭だよ。

ウロ覚えだけど、昔、「エレファントマン」 で象のような顔をもった人が、見世物小屋で陳列される悲しい実話を映画化したのがあったね。

あちらも、こちらも、昔は、無知が故に残酷なことが、さも当たり前のように行なわれていたんだね。






小屋の前には大きな看板が掲げられ、首がニョロニョロ蛇のように伸びた女の人の絵などがあったね。怖かったあ。

どんなんだろ?って興味はあるけど怖かったあ~。その小屋の周辺には、異世界の臭気が漂っているように感じて近づくのも怖かったあ~。

でも、煌々と照らし出す裸電球の明かりの中で居並ぶ露店の賑わいと、その異様な小屋の存在も含めて祭りが成り立つ雰囲気があったんだね。






遠い記憶の映像が誘っているように甦るよ。 浴衣を羽織って雪駄を引っ掛け団扇(うちわ)を片手に、誰かさんを誘って出かけてみたいね。














カメレオンの独り言-838 『黄昏』

2013年07月21日 | 日記







「★★★★さん、たそがれてるね」って、よく云われるよ。夕方を指して黄昏って書くね。人生の夕方に達しているんだね。

なんとはなしに遠いところに眼をやって、ぼ~としてる時に通りかかった人が、そう云って笑うよ。

自分では、別段、何も考えていないし、心配事が有る訳じゃないのに 「たそがれてるね」って、云われるのは、寂しそうに見えるものをもってるのかなあ?






オレが人を見て、何かを感じるように、人もオレを見て感じたことを、素直に言葉に表しているのかねえ? 

長い人生を生きてきても、自分の背中には無頓着な時間が多いからね。知らない自分が背中に居るんだろうね。

自分では見えない部分を、人は見ているんだろうね。意識の及ばない、もしくは無意識な時の自分てのは、案外、本当が出ているんだろうと思うよ。



















たそがれるか。 昔、テレビの連続もので「月曜日の男」ってドラマを町田京介が演じていたね。それでいくと、今のオレは、「夕暮れの男」 かね。

「★★ちゃんは、自分で云って自分で笑ってる」って、これも、よく云われる。たしかに自前の言葉で腹抱えて笑ってるね。一日、大方笑ってるよ。考えたら馬鹿だね。

無理して笑えるもんでもないし無理に笑うこともない。おもろいから笑いが吹き上がる。連鎖反応に素直なんだろうね。






女の子が「お祭りに★★ちゃん来る?」って誘ってる。 ああ、町内の祭りか、あれは子供たちのためのお祭りだよって応えたら、「★★ちゃん、子供やろ」 






子供に子供って云われるのは、同じ目線で見られてる訳で、大人の風格なんて無いことになる。まあ、いいか、見た目は大人、中味は子供、コナンと逆さまだね。

「ちょっとは恥ろよ」 なんで? 「格好悪いじゃないか」 いいじゃないか。「だから大人になれないんだよ」 大人の世界で、オレは子供ですなんて通るか? 

嫌でも大人の責任は自覚せねばならんし果たさねばならん。それを、見た目でなんとかこなせば、中味は子供でもいいんじゃないの? 「なんやねん、それは?」






社会で舐められないために老けようと努力する人もいる。見た目にやたら拘る人も多い。

髭(ひげ)を蓄えたり、眉や額を剃ったり、口調を変えたり、喉潰したり、無理した大人だね。「それは、どういう意味や?」 嘘っぽいよ。

ありのままがいいんじゃないの? 中味に一本、曲がらん筋を持ってればいい。自分を支えてくれるし、引かない自分を押し出してくれるよ。



















自分を信じてる、そう、信じてるけど迷うときがある。解っているのは自分だけ、中味の一本の筋が邪魔なときがある。そんなのが、黄昏て見えるのかも知れないね。














カメレオンの独り言-837 『休憩』

2013年07月21日 | 日記






  明日(7/21)の分です。







このブログを書いたり、ネットをウロついたりを、もっぱら専用に使用しているブラックホーク(手製)のパソコンが、なんか調子が悪いねと思ってたら起動しなくなった。

思い当たる原因は、USBのジャックじゃなかろうかと思うの。まず、マウスが反応しなくなってジャックから抜き差し繰り返して画面が消えたからね。「そうかあ~?」

パソコンの箱ん中って、各部品については素人が手出し不可能な緻密なもんだけど、それを構成しているのは意外と単純なんだね。






基盤って云うのかね?マザーボードにそれぞれの部品を接続して成立してるんだね。






息子が組み立てているのを見ていたんだけど、器用な奴なら誰でも出来る範囲だね。お蔭で、それぞれの部品の機能が理解できたよ。

動かないからボコンッて叩いたことが何度かあったから、接続箇所に緩みが生じているかもと思い、分解して掃除機で埃を隈なく吸い取った。綺麗になったよ。

ライトで、それぞれの接続箇所を丹念にチェックしたけど緩みは無いね。CPUやメモリの部品自体に不良がある場合はお手上げだね。つきとめるのが大変だよ。






組み立て直して電源入れたらモニターが反応して画面が表示された。「おっ」っと感動したんだけどマウスが反応しない。

クリックを何度かカチカチカチしたら消えちゃった。バカヤロッ。此処で気がついたの、マウスのライトが点いてない。予備のマウスに変えても点かない。

電源ユニットまでは至らず、箱の裏側の上段に設けられたUSBジャックが、悪影響をもたらしているなあ? と、まあ、此処まで解明したんですよ。



















イカれたジャックをとっぱらたら解決する可能性が大きい。でも、もう一度分解するのがめんどい。配線の接続も狭い処でやると疲れる。暫く寝とけ。

で、今は、デルのi5の方で作業してるんですよ。デルの方にはアイオデータの27型モニターを接続してる。

2560☓1440だから画面が広過ぎて、ブログの一行の字数の限度が解らない。縮小すればいいんだけどめんどい、「ボタンプチッで済むじゃないか」






そのボタン操作が苦手なの。画面の下側で見えないから、当てずっぽうで遣ると収集つかんようなったら、めんどい、しんどい、コワイ。取説見てないままなの。






と、まあ、どうでもいいこと書いて字数を稼ぎ、今日の分を消化する作戦なんだけど、「読む人のことを考えろよ」 

そうでもないよ、手製のパソコンについて、「そうなの、じゃあオレも、今度は手製のパソコンに挑戦してみようか」 なんて、前向きになれる内容ではないか?

こんなのに詳しい奴が、「簡単だよ」って云っても、その人の知識経験を認めるが上に 「おまえが簡単でも俺には無理だよ」って逃げ腰になる。






しかし、ボタン操作も出来ない奴が、「意外と単純なんだね」って云う感想の方が、「こんなおっさんでも遣りよるんやから、俺だったら出来るっ」って前向きになるよ。

今日のパソコンについての内容は、手製のパソコンに憧れつつ、たじろいでいる方々には、意外と意欲をもたらす効果が大きいんじゃなかろうか。「ホンマかよ」 ホンマだよ。

出来る奴が出来るより、出来ない奴が出来る事実のほうが、与えるインパクトは大きいんだよ。オレって、なんで、こうも的の得た台詞が溢れ出るんだろ? 「酔うとるわ」






















ついでに大型モニターについて、使用した経験から報告しておこうか? 「要らんわ」 そう云うな。

三菱 Diamondcrysta WIDE RDT272WLM-A(BK) 27インチ ブラックの前身だと思うんだけど、RDT271WVを使用して2年程になるかね? 

製品レビューで怒りのコメント読んだけど、その通りだね。

一年程してから画面の周り全般にカビが繁殖したような黒い影が浮き出て来たよ。今じゃ四方八方、そいつが取り巻いてるよ。






それでも、時間無制限に使用してても目が全然疲れないから気には入ってるね。黒い影は、使用中はバーなんかで隠れてしまうから気にはならない。

韓国製の粗悪な液晶を使ってるんだろうね、27型にしたら値段が安過ぎるもんね。日本製品には、遠く及ばんよ。

でも、此れがイカレたら、また、同じ機種を購入するかも知れんね。RDT273WLM-A。モデルチェンジになってる。色彩は鈍いから、オレなりには綺麗だよ。











『I-O DATA RDT273WLM-A と 三菱 Diamondcrysta WIDE RDT272WLM-A(BK)』 









で、今使ってるアイオデータの27型、LCD-MF271CGBR、グレアの画面だけど映りこみは気にならない。使用して1年弱かな?

今んとこ、なんの劣化も生じてないね。映りになんの文句もないよ。輝度がきついので20/100ぐらいまで下げてちょうど良い。

難を云えば、画面を縮小すると、拡大されたフォントの輪郭がギザつくような感じを受けるね。でも、目も疲れないし全般に満足だね。






映画を観るにはもってこいだわ。グレア(光沢)の綺麗さは、日立のプリウスには及ばんけど、グレアの良さは味わえる。






パソコンもモニターも、そこそこ機能してくれるだけでも有り難い。欲を云ったら切が無い。確かに値嵩の張った奴は、それだけの価値はある。

でも、劣化もするし故障もする。今ある奴を大事に使いきって愉しめれば、それでいい。

27型の良いモニター出ないかなあ~、「云ってることと考えてることが違うじゃないか」 一方向しか見れない奴は馬鹿だよ。





物事は相対してあるんだよ。どちら側にも理に叶った言い分があるもんなんだから、偏った正論なんて正論じゃないよ。






























カメレオンの独り言-836 『信頼』

2013年07月20日 | 日記






  明日(7/20)の分です。







大きな木の陰に静まる芝生の上に寝転がって、白い雲が浮いて流れる青い空をぼ~と眺めていたいね。此の夏は、そんな一日を味わってみよう。

音楽が欲しいね。イヤホーンに音楽流して雰囲気よろしく転んでいたい。「幾つやねん?」  おっさんだからアカン云うことはないだろ?

もしくは、碧い海を眺めて時間を潰すのもいいね。なんか、ホントに行きたくなってきたよ。





昔、明石だったかな? 防波堤の上に寝転んで、目の前の瀬戸内海を行き来する船舶を眺めていたことがある。

よく晴れてんだけど風が強かった。碧い波が高かったね。

海は当然、目線より下にあるべきなのに、白波立てて波切る貨物船の航行が淡路の島影を背景に、矢鱈、盛り上がって視界の上にあったのを覚えてる。





「津波かよ?」 津波だったら、オレは此の世に居ないよ。そんな風に見えたんだよ。かなり高い防波堤なのにね。

この日の海の色は碧くて綺麗だったね。ただ、風が難だね。

海は大好きなんだけど、風が出るとのんびりって感じじゃないからね。なんか、忙(せわ)しなく感じるんだね。









『兵庫 舞子浜 昔はこんなんじゃなかったね。明石大橋もなかったよ』 相当の昔だね? そうなるね。





パタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタ、風が衣服を叩いてイライラしてくるんだね。風のない穏やかな日に限るわ。












「おまえ、大きな木の陰の芝生って、近くの公園じゃないだろうな?」 寝転べば、何処の芝生も同じだよ。「やっぱりなあ」

独りで考えたいことがある。青い空を見上げて考えるんだよ。「なにを考えるの?」 

腑に落ちないことを、始めから、もう一度思い返して考えてみようと思うの。気づかぬまま流しているんじゃないかなあってね。





昨日、彼女が帰りに寄ったので、いつものように送って行ったんだけど、僅かな道のりで笑っていたかと思えば怒ってんだね?

こんなのは、ずっと、毎度のことなんだけど、逸らしたり、怒ったり、とりようによったら随分と失礼なことでも平気だしね。

考えたら、此の娘は、オレだけにこんな態度をとってるね。なにか意図して遣ってんかあ? 単なるB型の悪癖か?





他の男どもには、気持ち悪いぐらいに愛想よく可愛い娘になり切ってるんだよ。年頃だから仕方ないけどちょっと異常なんだね。

だから、オレとしては、見たくないんだね、その豹変振りが、正直、キモイんだよ。凄く気を使ってるのが、ありありだね。モテたいのかなあ?

そんなに作らなくてもモテるよ。気を持たせてから自分を出すって遣り方なんだろうかね? 罪な遣り方だね。




思い起せば、相当に変わってる。此の娘の、いろいろな話を繋ぎ合せてみれば、オレのところへ来続ける意味などないはずなんだけどね?















友達って、よく言うけど、なんの友達なの? 此の娘の生態見てるとコレクターじゃないのって思ってしまうよ。手当たり次第だね。

何処に、本当の自分があるのかね? 多くを求め過ぎて、結局、手にするものを失うよ。それが心配だね。

軽薄じゃないね。打算があるね。周到な計画性がある。だから、何か目的に倣った行動のようにもとれなくもないんだけどね。





遊ぶときは別人になって本身を隠してるね。其れは自分の演技の世界で、見るものからしたら同一人物だよ。

歩いた痕跡は消えないよ。痕跡辿れば、思惑外れの大変な奴も居たろうね。それを事なきに処理する能力も大したもんだよ。生かせる技術だね。

と、まあ、想像する訳だけど、当っているのかハズレなのか解ろうはずもない。





オレとは、正反対の方向を見て生きるタイプだね。ただ、此の娘は、何処かオレと似てるんだね。

同じ匂いを感じるんだよ。こんなの云ったら怒りよるで。「★★ちゃんみたいに臭くないわっ」ってね。そういう匂いではないのよ。

人間の性質(たち)かね? なんだろう? 感覚的なものかなあ? なんか、似てるって感じるの。





オレが、片思いで、こんなに長く好きだと思った娘(こ)は居ない、だから、無事に幸せになって欲しい。

あの娘のお蔭で、好きだった秋の夕焼けが好きじゃなくなったよ。痛かったからね、あん時は。オレの勝手な痛手だけどね。

オレの片思いも長かったよ。でも、独り芝居でも辛い思いばかりで疲れ果てた。なんでも、経験だね、そんな男の気持ちが痛いほど解ったよ。





いい歳こくまで、ここまで苦しんだ経験はなかった。なんで今更なんだよって腹立たしいよ。フェロモンのせいかな? 「アホか、出涸らしが」 だろうね。
















此の娘の話は、もう、書かないって決めたんだけど、昨日、急に怒って振り返らずに別れたとき、何故か、引っ掛かったんだね。

意味のない怒りってのは、気侭もあれば、もどかしさもあるからね。、オレの片思いだけじゃないのかなって、ふっと思ったの。都合良過ぎるかなあ?

否定材料が多すぎて有り得ないことだね。「もし、そうだとしたら?」 もし、そうだとしたら、可哀想だよ、オレより苦しんでいることになる。





もし、そうなら、なにか運命的な縁なんだろうね? もし、そうなら、せめて、なんでも語り合える信頼の友達になれるかね。











全てが外れで、ただ気侭で怒っていても、もう、引いてやろう。なにか腐れ縁的ななりように身を引きかねているのかも知れない。

オレが、欠けたからって何ほどのこともない。金持ちのおっさん等とも付き合ってるって普通じゃないよ。そっちへ行けよ。

完全に切れたら、ある意味、ホッするかも知れないね。彼女の生き方をとやかく云う気はない。おさげの頃の思い出だけで充分だよ。





そんなことを、もう一度お浚いしてけじめをつけようと思うんだね。気づかぬことを、夏の碧い空が、教えてくれるかも知れない。

















「失恋はどうする?」 そんなのは、昔からフラレてばかりで慣れてるよ。失恋は、走り往く車窓の景色と似ているよ。流れて行くんだよ。































カメレオンの独り言-835 『生きる』

2013年07月19日 | 日記







  明日(7/19)の分です。







広島県呉市で、仲良しの友達の遺体を山ん中に埋めた16歳の女子のことを、此の前に書いたけど、なんなの? 集団暴行かよ。

男の取り合い? 幾つやねん? 考えることは、それしかないの? 

どついたり蹴ったり、根性焼き?したり、首絞めたり、揚句、首折ったり、こいつら・・・言葉もないよ。





16くらいで、男を追いかける、取り合いの揚句、殺す、本能だけで生きておるのか? ほとんど獣じゃないの? 

云ってはいかんけど家庭環境が大きく影響しているね。境遇から生成される連鎖的症状だね。溜息でるよ。

「なんでもええやん」から、全てが、崩れ往くね。 「なんでもいかんのじゃっアホンダラッ」 黙々と戦うことを知らんのだね。





小人閑居して不善を為すって云うけど、大した奴でない限り退屈を持て余す時間が多いということはロクなことないね。





神さんも酷だね、理解が及ばん奴に背負わせるのはやめて遣れよ。途中で崩れるのが見えてる奴に背負わせてやるなよ。

背負うも背負わぬも、その者の生きざまが決めることだから、神さんも知らぬことかもねえ。

砂漠に放り出されたら誰でも自分の不運に泣く。どんなに呪い狂っても状況は変わらない。脱出に全てを賭けるんだよ。



















甘い幻覚が誘う、何もかも投げ出したい、負けてはいかんのだよ。太陽の位置が教える方角に向って、ひたすら歩き続けるのが人生なんだよ。





オレは、きれいごとを云ってるんじゃないよ。最悪を逃げるな。最悪に立ち向かえ。必ず、最悪は失せる。階段は、そうして上がるんだよ。

上がる努力を放棄すると、必ず、堕ちる。一歩上がった処に、おまえを待っていてくれる奴が居るんだよ。

そいつが、おまえの手を取って一緒に上がってくれるんだよ。懸命に生きた誇りが、自信となって、おまえを支えてくれるんだよ。





生きると云うことは、そういうことだよ。


































カメレオンの独り言-834 『涸れた』

2013年07月18日 | 日記






明日(7/18)の分です。







昨日の朝、今年初めて蝉が鳴いたよ。夏の響きだね。蝉って7年程、土の中に生きて、成虫したあと、数十日間鳴きまくって一生を終えるらしい。






昨晩は、思いつくままブログが早く片付いたので映画を観て時間を潰した。「ジョン・カーター」と「シャンハイ」2本立て続けに観ちゃった。

「ジョン・カーター」はクソ。飛ばし飛ばし観てゴミ箱行きって感じ。「シャンハイ」は、第2次世界大戦前夜の上海が舞台。

アメリカ、中国、そして日本軍入り乱れての諜報戦、観れんことはないけど未練はない、ゴミ箱行きだね。






何処の国の男も、女に執着して諜報活動も二の次、三の次。結局、何が云いたいの? いまいち伝わって来ないよ。駄作だね。



















さて、朝から晴れ渡り、今日も蝉が合唱しカリカリと日差しはきつく暑いね。しばらくは、夏の人で生きねば仕方がないね。

午前中は、来客が立て続けで、その対応に追われて、あっと云う間にお昼だよ。

毎日、こういうテンポで仕事があればいいのにね。一日の労働が、スムーズに消化されて充足感も得つつ自由の時間も早く来る。






困ったね、引っ掛かるもとが浮かばないね。何かしらに引っ掛からないと話しが展開しないよ。

うーんと、駐車場なんかを歩いてるとフワア~と顔に蜘蛛の糸が引っ掛かることがある。なんだよおっ鬱陶しいっ。

取り払っても蜘蛛の糸の主が背中なんかに引っ付きよったんとちゃうかあなんて気になる。なにが、スパイダーマンだよっ、要らんわっ。






ゴミが落ちている、なにげに拾ってゴミ箱へと思ったら、ゴミの裏に付着したネットリ感、しまったあ、やめときゃあ良かったあ。

道路に停めていた自転車が撤去されずにある、ラッキーと思って近づいたらサドルがない。

お気に入りのおニューの靴、気分もノリノリでウンコ踏む。「オンドリャアーぶっ殺すぞっ」 額の血管、ウキウキしてる。






なんか、今日の此の一瞬の颯爽感はなんだろう? 時折感じるときがある。席に着いて、あっなんだよおっ~チャックが全開だよおお~。

なんか、いつも気取りが先に立つ男性が、今日も、お澄まししたまま通過する。サッサッと歩き去るズボンのケツの穴辺りに大きな白い糸くずが付いている。

鷹揚に構える姿とは裏腹に、細々煩そうな雰囲気漂う人のズボンの裾が、靴下にかまれて、たくしあがったまま直立歩行が痛ましい。



















調子のいい時は、内容は兎も角、スイスイ泳いで書けるのに、どうにも泳げない時がある。

あっ、水が無いのね。そんなときは、人のミス見て笑っとこ。


















カメレオンの独り言