カメレオンの独り言

当分は漫ろ言の漫ろ歩き、頭に浮かんだ事柄を挿絵と写真と下手な文で綴ります。色々と間違い多いですがご容赦を。

カメレオンの独り言-1226 『思い出は映画とともに』

2014年09月10日 | 日記






 9月10日






遠い昔、オレは、子供なりに映画鑑賞の感想をノートに書いて溜めてた頃があった。今よりも拙い感想文なんだけど思いのままに書き留めてたね。

其れを、なにかの話の折におふくろに見せたんだよ。絶対に見られたくない秘密の感想文なんだけどね、何故か、見せたんだね。

おふくろは優しく微笑みながら見てくれたよ。「〇〇〇ちゃんは、映画がすきなんやねえ、そんな想いが伝わってくるよ」って、褒めてくれたよ。





身体の熱が全身を真っ赤に染めてんじゃないかと思うくらいに恥ずかしいんだけど嬉しいんだね。複雑な思いだったよ。





狭い家だったから寝るのは、ずらっと布団並べて親子6人が横になるの。天井に天窓があって外の明かりが薄っらと家ん中を照らすんだね。

妹、弟を挟んだ向こうにおふくろが寝てる。「〇〇〇ちゃんは、ものごとのポイントをしっかり掴んで見てるなあ」って、おふくろが云ってくれた。

「〇〇〇ちゃんの書く手紙も、そう、人の心を打つものがあるね」って、棚からぼた餅喰らったほどに嬉しかったね。








 

『当時、住まいが在った大阪日本橋筋一丁目(昭和30年代後半)』






学校嫌いのオレにおふくろは、刺激を与えて心変わりを目論んだのかも知れないけど、そんな話はせずに「〇〇〇ちゃん、また、増えたら見せてや」

「うん」 天井を繰り抜いたように模(かたど)った吹き抜けの上に天窓がある。

天井は真っ暗なんだけど、繰り抜いた部分には、天窓から差し込む明かりが優しく照らして希望の光のように見えたね。





人生は、流れ往くもの、人、それぞれの生きる道がある。おふくろは、其処から寄り来るものを拒むことなく、逃げることなく受け入れて生きた人だったね。





全身が真っ赤になるほどの羞恥心を失った訳じゃない。失うどころか、尚更、それは激しいものになってる。進歩を閉ざして今が在るからね。

変わったのは、在るがままが自分だと知ったから、こうして恥を曝して書き続けることができるんだね。どうなと思え、だろうね。

「名を伏してならばこそだろ?」 そうだね、大きな砦だろうね。でも、其れも中から崩せば脆いカーテン如きに過ぎぬことも解ってきたよ。





カーテン滑らせて開けば何がある? 変わらぬ景色が在るに過ぎないじゃないか。「じゃあ、カーテン滑らせて開こうか?」 ちょ、ちょっと、待ってえ。








 『1964年(昭和39年)の南街劇場』








おふくろよ、オレは、親の期待を全て裏切ってきたような男になっちゃったけど警察に世話になるような悪いことだけはしなかったよ。

今ね、気の向くままブログを書いて見知らぬ人に見て貰ってるよ。昔のオレなら、熱で湯気が上がって倒れるほどに恥ずかしいことなんだけどね。

歳喰らって皮が厚くなったのかして、そんなの表面には出なくなったよ。随分と厚かましい男になったもんだよ。





自分の書いた映画紹介もどきを読み返すとき、今、おふくろが、此れを読んだら、どう云うだろうなって、必ず、あの日のことを思い出してるよ。

少しは成長したねって笑って褒めてくれるかなあ? おふくろが亡くなった歳に近づいてね、其の年頃の人の思いが解るんだね。

なんにも変わっちゃいないんだよ。幼いときも、若いときも、そして、今も、生き続けて一体であるってことを、今更のように解ったんだね。





人は、人生に練れて厚みを増して大人に成っていく。経験から知恵を育み、体験から人の痛みを知り、教養で人格を高めて己の主張で道を拓く。

若い頃は、大人は違う人種のように思えてた。現実に重きをおき夢絵空は娯楽の世界、けじめを忘れないのが大人と思っていたよ。

おふくろは、苦労の塊のような人生を生きても夢を失わない人だったね。長いものに巻かれず個性を大事にする人だったよ。





おふくろが、今の時代に若く生きてたら、きっと、想うさま人生を謳歌して生きていく人だったろうなあって思うんだね。

















埋もれるってことを考えるんだね。大方の人は、成り行きに順じて、そうせざるを得ない穴凹に嵌まって一生を終えるんだろうね。

其の成否を問うんじゃなくて、生き方の変化の可能性を考えたりするんだね。オレは、ほんとに、此れが、オレの人生かって問いかけるんだよ。

問いかけて返る答えはない。答えは、問いかけを行動で表すしかないって思うんだね。エネルギーの問題かねえ? 言うは容易くするは難しだけどね。





おふくろから学ぶのは、前向きだね。障害を跳ね返してでも前に進もうとする意志力だね。生きる力だね。

オレは、何事も運命の流れに任せてきたから、気づいた時には、もう、後がないところまで来ちゃったよ。だから、出来ることをしようと思うだけだね。

映画を観てるとね、そんなことを考えさせられることがままあるんだよ。創る人、演じる人、それに携わる多くの人、人生の縮図のように思えるんだね。





表舞台で煌びやかに輝く人、その舞台を支える人、創り上げた夢に酔う人、どれが欠けても成り立たないね。










『ダンスの王様 フレッド・アステアと女優さんは、誰だったかなあ?』






前回の「慕情」のテーマソングを聴いていて思い出したことを書いたよ。この曲は、人生を振り返らせるね。曲の中に、生きているってのを感じるんだよ。

映画では、コーラスだったかなあ、歌が入らないオーケストラの演奏だったかなあ?って、定まらない記憶は毎度のことなんだけどね。

何故か、此の曲は、人生の全てに添う旋律を感じるよ。





幼い年頃に耳にして解らぬうちに感動して心に焼き付いたからだろうね。 人の優しさ、人の歓び、人の哀しさ、遣り切れなさが匂いたつんだね。








Ray Conniff - Love Is A Many-Splendored Thing (Singers Version) (with lyrics)









映画解説者のおじさんが居たね、淀川長治だったかね? あの人じゃないけれど、オレも映画で教えて貰ったことが多い人生を生きてきたね。


























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